ちょっと寄り道〜神奈川・横浜中華街〜

皆さん、こんにちは。

今回は、ちょっとだけ出向いた先での出来事と、日々のことをお伝えしようと思います。

先日、「聖書」の歴史を締めくくる世界で唯一の人物、「最後の使命者」であるRAPT氏が、写真集を出されました!

早速、購入してページを開いていくと、闇夜に浮かぶ美しい東京の街が。

写真集の中で、東京の写真だけではなく、そこに至るまでの経緯や、心のこもった「救い」についてのお話しが書かれてあります。

そして、あるページの文字が全て光り輝いており、浮かび上がって見えました。(ちなみに、P93)

やはり、神の使いである中心者の言葉には強い力がある‥。

それから、写真についても語られており、もの凄く共感した部分がありました。

自分が、今まで感じていたことを中心者が表現してくださったことで、より明確に写真に対しての理解が深まったのです。

夜の東京は、眠りません。

そして、美味しいお店と、質の良いお買い物が満喫できます。しかし、その裏側では、お金の欲望や見栄が、黒く淀めいている場所でもあるのです。

余談ですが、私は、長いこと銀座で働いていました。

あらゆる国の人々が、スーパーブランドが立ち並ぶビルの風景や、銀座の街並みを楽しそうに写真に撮っていました。

日本は、他国に比べたら、まだまだ平和な国です。

実は、天の文化・芸術を表現したいと、2018年の7月に油絵を描きました。

絵を描き終わったとき、悟りました。

この調子では、人生の全てを描けて、絵を描くことで終わってしまう。(性格上、学生時代にそれが目に見えてわかっていたので、芸術の世界から、あえて一旦離れました。何故か、「もっと体験しなくてはならない」と思ったのです)

しばらくして、写真の世界が気になりはじめました。

もっと、高度な技術で写真を撮ってみたくなり、手始めにカメラ雑誌を買い漁りました。2021年の3月にカメラを購入し、さっそく富士山の旅で撮影を始めたのです。

その旅で、どうしたものか、カメラは長期休暇に入ってしまいました。(汗)

しかし、今年の5月と6月にとりわけ感動が強くなり、新しい道を選択することにしたのです。

中心者が述べておられるように、写真というものの中で、「心が躍るくらい感動した・衝撃を受けた」という作品に出会ったことがありません。

壮大なもの、美しい、可愛い、珍しいというものは、数多く存在しています。

神の世界には、「直線」がないといいます。

人間が造る、「直線」という美意識。建造物。

余談ですが、「曲線」を表現した建築で、ガウディのサクラダファミリアが近々完成予定とのことですね。まだまだ完成しないと言われていましたが、中心者が現れたこの時代に、まさに完成するという奇跡。

どんな人が、撮るか。

世界を、どんな目で見ているか。

人を救おうとする天使たち。人を誘惑する悪魔たち。

霊的な世界では見えるけど、そこに映らないものが写っている。

例えば、我の強い人と会話をすると非常に疲れたりします。写真も同じで、もし、撮り手がそのように主張が強く、あかまみれの人間だったりすると、何かわからないけど、心地が悪くなって、それを無意識に感じとってしまうのでしょうね。

「こう撮ったら、絶賛されるだろう」とか、「こんな写真、誰も撮ったことがないだろう」というような、欲望が見えてしまったりする‥。

悪魔フィルター的なものというかね。

世の中に、今普及しているインスタグラムは、もう少しピュアな気がします。

(真実がX:旧Twitterで、芸術がインスタグラム?)

昨年、銀座から横浜に転勤になりました。

横浜は、とても活気のある街です。そして、兎にも角にもいつも賑やかです。

横浜の街を、目に映るもの興味津々に、歩き廻りました。

神奈川県民は、老若男女、誰もが横浜が大好きですね。駅周辺も進化しており、全て事足りてしまいます。

しかし、日によっては、もの凄くダークな波長が蔓延していることがあります。(ダメな政治家、神奈川県多いですからね。警察官も逮捕者多数)

さて、横浜中華街は、もっと活気がありました。

凄い人混みで、ガヤガヤしています。

ゴールデンウィークは、もうお祭りレベルです。

中華街では、重慶のコース料理を満喫しました。

本当に、たくさんの人。

中華街を歩きながら、港へ向かいました。

港は、夜景が綺麗でした。

神様が造った地上と人類、人が造った創造物。

そういう目線で見ると、世界は本当に素晴らしい。

そして、これからもっと、素晴らしい世界にしたいと思う。

中心者が、神様からの厳しい練達を受け、この地上を統治する人に選ばれ、人類に「神の御言葉」を述べ伝えてくださっている‥。

独りよがりになったり、突っ走ってみたり、立ち止まってみたり、放棄したこともあったけれども、神様は、中心者を通して愛を述べ伝えてくださった‥。

紆余曲折して、だんだん気がついていく‥。

歴代の中心者が、どのように幕を閉じていったか。

いつの時代も、中心者を悟るということが、いかに難しいことだったのか。

預言者モーセが、シナイ山で神の啓示を受けていたとき、人々は悪魔にそそのかされ、「金の子牛」の偶像を造って、拝んでしまいました。

モーセは怒り、神から四十日もかけて受け取った石板をぶっ壊しました。

人々と共に、四十年もの間、シンの荒野にとどまることとなり、モーセはカナンに行けませんでした。

モーセに「愛を込めて祈ること」ができなかった。

霊が成長していかないと、悟れない。

日々の信仰と愛‥。

それでは、こちらの記事をご覧ください。

中心者があなたの代わりに練達を受けて御言葉を悟ってきたのだから、その御言葉を聞いて救われたあなたたちが今度は中心者を祈りで支えなさい。そうしてこそ、あなたと神の愛が成立する。

今年の3月から、サタンは私の霊肉魂すべてに対して激しい攻撃をしてくるようになりました。

もちろん、それ以前からサタンの攻撃はずっと続いていましたが、今年の3月から突然、それまでにない激しい攻撃が始まりました。

それによって、私は常に私自身のために祈らなければならない状況になり、兄弟姉妹のため、この世の人々のために祈ることが極めて難しくなってしまいました。

この世の誰であれ、神様が遣わした中心者の祈りを受けなければ、決して救われることはできません。

中心者の伝えた御言葉を聞かなければ、この世の誰も救われないように、中心者の祈りを受けなければ、この世の誰も聖霊を受けることができず、救われません。

ですから、中心者がただ自分のためにばかり祈らなければならないという状況に陥らないよう、むしろこの世の全ての人々のために祈れるようにしてあげることが知恵です。

そして、そのためには中心者のために真心から祈ることがとても重要です。

そうすることで、その人自身もサタンから守られ、多くの祝福と恵みで満たされるようになりますし、神様もその人のことを見て大いに喜んでくださいます。

ーーーーーーー続きはこちら【2024年6月22日】

中心者の御言葉から悟りと恵みが与えられる以上、祝福の根源は中心者にある。だから、中心者のために祈る人は、誰よりも早く成長して栄えていく。

神様の遣わした中心者は、御言葉を通して全ての人に救いと恵みと祝福を与えます。

つまり、中心者が宣布した御言葉によって、この世の人々は救われ、聖霊に満たされ、祝福に満たされ、神につながって神様と永遠に愛を成していけるようになるのです。

ですから、人類にとって中心者こそが全ての祝福の根源だと言っても過言ではありません。

しかし、中心者から全く同じ御言葉を聞いていながら、ある人は祝福を受けて栄えているのに、ある人はさして祝福を受けられず、栄えることができません。

それは一体、なぜでしょうか。

それは、その人が中心者のためにどれだけ祈るかで、中心者の口からその人にとって真に必要な御言葉、真に有益な御言葉がどれだけ宣布されるかが決まるからです。

中心者自身、その人がどれだけ中心者のために祈っているかは分かりませんが、神様は全てをご存知なので、神様がそのように全てのことを公平に采配なさるのです。

そして、中心者とそのように祈りで愛を成した人が、神様とも深く愛を成し、神様から尊ばれて大きく使われ、大きく栄えていくことができるようになるのです。

ーーーーーーー続きはこちら【2024年6月24日】

こちらの記事もどうぞ。

皆さんに、神様からの祝福がありますように。

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