祈りの旅 〜広島・大久野島〜

皆さん、こんにちは。

広島県の旅は、大久野島が一番の目的でした。

別名うさぎの島と呼ばれている大久野島ですが、もともとは戦時中に毒ガスの研究開発をしていた島です。

人間が島に持ち込んだうさぎが、繁殖し棲みついたことで、多くの観光客が訪れるようになりました。

広島市からローカル線に揺られ、フェリーで島に上陸しました。忠海港で、うさぎの餌やお土産を販売しています。

島には、うさぎの巣穴がたくさんあり、数百匹のうさぎが生息しています。(ケガをしやすいので抱っこしたり、追いかける等NG)

人だかりができていた観光案内所前を避け、山の中のうさぎたちを撮影することにしました。

こちらの様子を伺って、そっと近づいてくるうさぎたち。なんとも可愛らしい様子です。

今回は、「うさぎ村のおはなし」という写真絵本の撮影のため、大久野島に向かいました。こちらの記事で紹介しておりますので、ご覧ください。

写真絵本 うさぎ村のおはなし ← こちらから

うさぎは、国や地域によっては貴重な食料源でしたが、近年、多くの先進国でペットとして飼育されています。

ふさふさした毛並みや、長い耳と短いしっぽの愛くるしい姿に、ついつい顔が緩んでしまいますね。

撮影した一部となりますが、駆け寄ってきたうさぎたちをご紹介します。

「ごはんちょうだい〜!」

「んじっ・・」

「鼻ピクッ」

〈すみっこに虹のプリズム〉

「むぐむぐ・・・おいしい」

〈大きなおめ目〉

次に、三兄弟があらわれました。

ケンカしながらも、仲よく餌を食べていました。

「ごはんください」

「ずいっ!」あるんでしょう?と近づいてくる・・

「おなかすいてるの」

「おいしい、おいしい〜!むぐむぐ」

大久野島休暇村で一息。

コーヒーをいただき、また歩きます。

今度は、2匹の仲よしうさぎがあらわれました。

「ごはんくださーい」

「んじっ・・」

「あるのは、わかってるのよ」耳ピーん!

「はやくはやく」

だいぶ日が暮れてきました。

海側に行ってみると、海風が凄かったです。真横に髪がなびき、息ができないくらいでしたが、ようやく風が落ち着いてきました。

休暇村から毒ガス資料館を過ぎ、港に近い場所に出ると、うさぎ仕様の専用バスがありました。

〈ちょこんとお尻を向けているうさぎ〉

もう、夕日が山をかすめていました。

うさぎたちは互いに丸くなって集まり、寝る準備をはじめています。

キャンプ場前で駆け寄ってきたうさぎたち。

「ごはんちょうだーいっ」

「あるの?」

「おいしいやつー」

港に到着すると、なぜか全く人がいないという時間がありました。

巣穴がたくさんあって、うさぎたちの暮らしを間近で観察することができました。

〈まだ子どもの黒うさぎ〉

〈うさぎたちの毛色が巣穴と同化しており、まさに生きる知恵〉

「ど〜こだっ?」

どうやら、人だかりの原因がわかりました。

とっても可愛らしい、小さな子うさぎがいます!

〈ぬ、ぬいぐるみ!?というほどのかわいさ〉

「トコトコ・・・」

「んしょ、んしょ」

「きたよ〜」

〈かわいいお耳が天使の羽のよう!?〉

なんと、子うさぎから近寄ってきてくれました。

この時間になると、皆さんもう帰ってしまったようで、不思議なことに独占状態でした。

子うさぎたちをじっくりと観察することができ、あまりの可愛さに倒れそうになりました。(筆者しかおらず、神様の計らいとしか思えない状況)

「あっ!」

「ママ〜」

「ちょっと、お散歩しようかな」

「よいしょっと」

「ぴょん!」

「よしっと」

〈一番、警戒していた子うさぎ〉

〈少しずつ様子を見にきています〉

「怖くない?」

「んじっ」

「〜♩♬」

「きれいにしないと」

「なに、見てんのよ」

「かゆっ」

「んじっ」

「ぷんっ」

「あっ!」

「ママ〜」

〈お母さんうさぎ〉

〈たぶん、お父さんうさぎ〉

最後に、こんなに可愛らしいうさぎたちに出会えるとは、思ってもいませんでした。

実を言うと、電車の中で餌を2袋くらい購入すればいいか、と考えていたところ、神様は3袋にしなさいとおっしゃいました。

その通りにすると、ちょうど餌が間に合ったのです!

2袋にしていたら、最後に会ったうさぎたちには、おそらく餌が足りていなかったことでしょう。

神様は、全てわかっていらっしゃる・・。

またもや、驚きと感動に包まれた瞬間でした。

そうして、大久野島を後にフェリーに乗りました。

今回は、特別な旅でした。

生き方を変えていく、はじめての行いでした。

神様のどんでん返しが、本格的にはじまります。

この世の悪人たち、人間サタンと霊的なサタンが苦しみ、義人たちが救われる時代がやってきます。

まやかしは効かなくなり、化けの皮が剥がれ、裁かれるのです。

こちらの記事をご覧ください。

神様の歴史は、いつの時代も常にサタンや悪人によって攻撃・妨害されてきました。

そして、今にも神様の歴史が終わりになりそうになるという瞬間が、聖書の中でも何度もあったわけですが、そういうときに限って、いつもサタンや悪人たちが突如として滅びの時を迎え、逆に神様の歴史が本格的に始まるということが、幾度となく繰り返されてきました。

これは今の時代も全く同じで、私たちの活動は常にサタンや悪人たちから攻撃・妨害され、今にも中断されそうになるという危機にこれまで何度も直面してきました。

しかしそんなとき、いつも神様が救いの手を差し伸べてくださり、突如、悪人やサタンが滅び去り、逆に私の活動が軌道に乗りはじめるということが、これまで幾度となく繰り返されてきました。

神様はありとあらゆる知恵を絞って、悪人やサタンの裏をかきながら彼らを滅ぼし、義人を救って、ご自身の御心をこの世に広めていかれます。

神様のその深い知恵は、私たち人間には全てを理解することは不可能です。

ですから、私たちはどんなに悪人やサタンから攻撃・妨害されたとしても、決して落胆することなく、最後まで神様を信じて神様の御心を成していかなければなりません。

悪人たちは、ある限界点を迎えるまでは、向かうところ敵無しと思えるほど栄えることがあります。

彼らは、自分たちが栄えるためなら、どんな悪事を働くことも厭わないので、一つも悪を行わない義人たちよりも遙かに速いスピードで栄えることができるのです。

しかし、彼らが自分たちの思い通りに栄えた頃には、彼らの行った悪事が山のように積み上がっているので、そのときから彼らは、それまで自分たちの働いてきた悪事がバレないように、様々な対策をとらなければならなくなります。

それには時間もお金も労力もかかりますし、当然、心労も溜まっていきます。

しかし義人たちは、どんなに時間が経っても、バレてはいけないことが一つもないので、その間も、ただひたすら自分たちの成すべきことを成していけばいいだけです。

そして、このときから、善がどんどん悪を追い抜き、善と悪の逆転現象が起きるのです。

しかも、悪人たちの行った悪事が一つでもバレようものなら、そのときから悪人たちは滅亡に向かってまっしぐらに突き進んでいくことになります。

悪にはこのような性質があるので、悪は決して永続して栄えることはできません。

ですから、悪がどんなに栄えようとも、私たちは決して落胆することなく、最後まで忍耐して悪の滅びを祈り、義を行いつづけなければなりません。

中国は2022年までは、今にも世界一の経済大国に上り詰めそうと勢いで繁栄していました。

ところが、2023年に入ったとたん、一気に経済の崩壊が始まり、それ以降はどんなに足掻いても経済が回復することはなく、むしろ恐ろしいほどのスピードで衰退し、今では中国はすっかり後進国の仲間入りを果たしてしまいました。

このように「悪」というのは、ある時点までは飛ぶ鳥を落とす勢いで発展していきますが、あるときから急に恐ろしいほどのスピードで崩壊していきます。

悪は「6」までは到達できても、「7」に達することができないからです。

「7」という数は、天においては「完全」を意味する数字であり、つまりこの世の悪人たちは完全に達することができません。

悪人たちはまやかしにまやかしを重ねて発展してきたので、完全に到達することができません。

しかし、私たち義人は誰であれ、義の条件を立てつづけるなら、必ず完全な状態へと達することができます。

そして、人間が完全になるなら、余計なことであれこれと悩む必要もなくなり、この世でもあの世でも堂々と生きられるようになります。

皆さん一人一人が、忍耐強く義の条件を立てつづけて、主のもとで完全な者へと成長していけますことを心から祈ります。

神様の成約歴史が始まるまで、この世の中では巨悪を行う悪人たちが、悪を行うが故に大きく栄えてきました。

しかし、成約時代が正式に始まった2023年以降、天の法則がこの地上に強力に働くようになり、悪を行う者は栄えるどころか、むしろ速やかに裁かれるようになりました。

しかも神様は、これからの時代、私たち義人が続けて義の条件を立てていくなら、天の法則はさらに強力にこの地に働くようになると仰いました。

そうすると、悪人たちは今よりもさらに速いスピードで裁かれ、滅び去っていくことになります。

悪を行ってから裁かれるまでの時間が長いと、彼らはその間に栄華を極めることができます。

しかし、悪を行ってから裁かれるまでの時間が短ければ、彼らは栄華を極める間もないうちに滅び去っていくことになります。

神様はそのようにして、悪人たちがこれ以上、この世で幅を効かせることができないようにし、逆に私たち義人がこの世で大きく栄え、この世を統治できるように導かれているのです。

悪というのは、一見すると力があるように見えて、実は軟弱でもろいものです。

悪を行う者たちは、結局、自分に実力や能力がないから、悪を行って楽に栄えようとして悪を行います。

もし彼らに真の実力や能力があったならば、その実力と能力を使って堅実に栄えようと努力したことでしょう。

そして実際、私たち義人はバカ正直に実力・能力を身につけて栄えようと努力します。

そうすると、その過程で精神的にも肉体的にもどこまでも鍛えられ、強靱な人間へと成長していくことができます。

しかし、悪人たちはそういった過程を経ることなく、楽に悪を行って栄えようとするので、精神も肉体もさして鍛えられることがなく、むしろどんどん軟弱な人間へと落ちぶれていくことになります。

ですから、悪人たちがどんなに悪を行って栄えたとしても、結局、最終的には真の実力・能力を身につけた義人たちが、圧倒的な差をつけて悪人たちを追い抜き、彼らを踏み潰していくようになります。

毎年11月11日は、神様と私たちが出会ったことをお祝いする日として神様が定めてくださっていますが、昨年の11月11日は、いつものように神様に感謝し、賛美を捧げる日とすると同時に、私たちを苦しめるサタンや悪人の滅びを徹底的に祈る一日としなさいと主は仰いました。

そして、私たちは主の仰る通り、この日一日、サタンや悪人の滅びを徹底的に祈りましたが、今ではその祈りが次々と叶えられ、サタンも悪人も日に日に衰退し、今や見る影もないほどになっています。

成約時代が正式に始まった2023年から、神様は次々とサタンと悪人に裁きの手を下してきてくださいましたが、特に昨年の11月11日からは、この世の悪人たちが一ミリたりとも幸福を感じられないように裁きを下していくと仰いました。

同時に、これからの1年間は、それまで以上に彼らに対する裁きを加速させていくとも仰いましたが、実際に今、この世の悪人たちは「一人残らず」と言っていいほど、その悪が次々と炙り出され、厳しく裁かれています。

神様がなさっている以上、もはや誰もこの動きを止めることはできません。

私たちはこれからも続けて、神様の歴史を妨害するサタンと悪人たちの滅びを祈り、神様の歴史が壮大に成されていくように心からお祈りしていかなければなりません。

人間にとってみれば、サタンという存在は余りにも強力な存在なので、普通に考えれば、ただただ脅威でしかありません。

ところが、私たち人間が一旦、神様を信じ、神様の力に頼るようになるならば、神様が私たちの代わりにサタンと戦ってくださるようになるので、サタンに勝ち目はなく、むしろ私たちがサタンを滅ぼすことが可能になります。

もちろんサタンは、それでも負けじと勢力を増強して私たちを滅ぼそうとしますが、そのときには神様も同じように天使天軍の数を増やして応戦するので、結局、どこまでも行ってもサタンは「6」で、神様は「7」だと主は仰いました。

つまり、私たち人間が神様に頼って生きる限り、サタンに勝ち目はなく、私たちが永遠にサタンに勝利しつづけることが可能だということです。

ですから、例えどんなにサタンから激しく攻撃され、勝ち目がないように思えるときでも、私たちは常に神様の強大な力を信じて祈り、サタンと戦って勝利していかなければなりません。

神様が中心者を導き、「神の御言葉」を述べ伝えてくださっています。

人類に与えられた「神の御言葉」が、多くの人々に伝わりますように。

悪人とサタンが滅び、神様の御心どおり人類が救われるよう祈ります。

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