平成天皇生前退位の理由、カタカムナと安倍晋三のつながり、出口王仁三郎の世界服従計画と失敗について

平成天皇が生前退位するという異例の行事に、私たちはこの時代において居合わせることになりました。天皇家は、日本国民の税金で生活しています。

古代エジプト文明と現代の天皇家は、数多くの共通点があります。大昔から、悪を働いて国民を奴隷のように扱ってきたのです。

生活に欠かせない電気は、現代人にとってなくてはならないものですが、すでに古代エジプト文明では電気を使っていました。高すぎる電気代、高すぎる税金は、彼らの懐に入っています。

自分たちの儲けのために生きている人間は、本当にもう迷惑です。

人々のために生きていける起業家が、これからの時代は活躍していくでしょう。

それでは、トークラジオをお楽しみください。

RAPT×読者対談〈第102弾〉天皇の生前退位のカラクリ。

つい先日、天皇の「生前退位」が発表されましたが、今回はこの「生前退位」のカラクリを解き明かしてみたいと思います。

その前に先ず、今回の対談ではイヤシロチについて簡単に触れています。

実のところ、私は「東出融」氏からもらったピラミッド型のイヤシロチを破壊し、自分で新たに作りなおすことにしました。

ちなみに、「東出」氏からもらったイヤシロチは以下になります。

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このイヤシロチの詳しい仕組みについては、以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。

この正四面体のイヤシロチが私のところに送られてきたとき、私はすぐに自分の体に良い影響が感じられましたし、実際、体が疲れにくくなり、むしろ全身に活力がみなぎってくるのを感じました。

ところが、このイヤシロチを設置してから半年ぐらいが過ぎた頃からでしょうか。

イヤシロチがたくさんの電磁波を集めすぎたためか、その電磁波に含まれた「磁力」が、私の体を圧迫するようになりました。

目に見えない強い力が、私の体にのしかかってくるようになったのです。

最初のうち、私はその圧力の原因が何なのかよく分かりませんでしたが、あれこれと考えた末、イヤシロチしかないと思い至りました。

私はその磁力の重さに耐えられなくなり、思いきってこのイヤシロチを破壊してみることにしました。

すると、イヤシロチの内部構造は以下のようになっていました。

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中は空っぽでした。何も入っていませんでした。

ただし、正四面体には4つの「面」がありますが、そのうちの3面に「宇宙エネルギーカード」と呼ばれるものが貼り付けられてありました。

この「宇宙エネルギーカード」は一枚の紙を二つ折りにしたものなのですが、その紙を開いてみると、中には小さな「うずまき模様」が以下のように沢山描かれていました。(ちなみに、以下の画像は「一万馬力」のイヤシロチの中に入っていた宇宙エネルギーカードです。)

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イヤシロチを破壊した後、私の体はようやく強い圧力から開放され、楽になりました。

しかし、それから半月ほどが過ぎた頃から、体が以前のように疲れやすくなってしまいました。

なので、やはりイヤシロチはあった方がいいと思い、新しいイヤシロチを自作したわけですが、当然、私には「宇宙エネルギーカード」は作れないので、「宇宙エネルギーカード」は貼り付けていません。

しかし、それでも新しいイヤシロチには紛れもない効果があり、私の体は再び元気になりました。

私はこのイヤシロチを近所のホームセンターで売っていた「塩化ビニール版」で作ったのですが、その原価はたったの1500円。

「東出」氏とその仲間たちは、「このイヤシロチは200万円もする商品で、その200万円の商品をただで配布するなんて、我々はなんて大馬鹿野郎なんだ」と豪語していましたが、蓋を開けてみればこのざまです。

本当に詐欺師は大した嘘をつくものです。呆れてものも言えません。

ということで、ここ最近、少し疲れやすくなった方、体が重くてだるいと思っている方は、試しに一度、このピラミッド型のイヤシロチを作ってみてはいかがでしょうか。

ちなみに、「東出融」氏からもらった正四面体の一辺の長さは「18cm」です。一辺の長さが「18cm」の正四面体を二つ作れば、それでイヤシロチの完成です。

ということで、今日の本題に入ります。

対談の中でもお話しています通り、私は先月6月19日の明け方に、神様からとある「啓示」を受けました。

こんな話をすると、人によっては眉にツバをつけたくなるでしょうから、私も普段はこんな話は余りしないのですが、とりあえず今回は特別にお話しようと思います。

というのも、6月19日に受けた「啓示」は、実際にその後、正しかったことが証明されたからです。

そのときの「啓示」が以下になります。

…………………

今日のニュースを見なさい。

私が彼らを滅ぼす前兆がはっきりと現れるだろう。

人々はそれを見て慌てふためくだろう。

しかし、私があなたの祈りを聞いて、サタンの滅びを開始した。

サタンはこれから獄に入れられ、この世で活動する機会を完全に奪われるようになる。

今もまだ彼らは悪あがきをしているが、それももう今日までだ。

これから彼らには滅亡が宣布される。

(中略)

今日からサタンの滅亡が始まる。

そのニュースが今日はあるだろう。

…………………

本当は「啓示」は前後に長く続いているのですが、一部のみ抜粋しました。
 
ちなみに、「6月19日」という数字にも深い意味が隠されていることが後になって分かったのですが、これについてはまたの機会にお話しようかと思います。
 
この日、私はこんな「啓示」を神様から受けたので、この日一日中、ずっとニュースをチェックしていたのですが、すると実際、深夜の23時半過ぎに以下のようなニュースがありました。
 
(以下、こちらから転載)
 
62歳JRA副理事長、自転車で沢に転落し重傷
読売新聞 6月19日(日)23時32分配信
 
19日午前10時50分頃、兵庫県三田市乙原の県道で、サイクリングをしていた日本中央競馬会(JRA) 副理事長で元農林水産省事務次官の町田勝弘さん(62)(東京都荒川区)が道路脇の4メートル下の沢に転落した。
 
病院に搬送されたが、頭を強く打ち、腰などの骨を折る重傷を負った。
 
県警三田署などによると、町田さんは旅行会社主催のサイクリングツアーに参加し、約20人と一緒に自転車で走行していた。
 
山道のカーブを曲がり切れなかったとみられるという。
 
(転載ここまで)
 
「JRA」といえば「熊本地震」に一枚噛んでいた連中です。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
RAPT×読者対談〈第92弾〉熊本地震は天皇家の起こした人工地震である。 その証拠(1)
 
RAPT×読者対談〈第93弾〉熊本地震は天皇家の起こした人工地震である。その証拠(2)
 
そんなイルミナティの重鎮である「JRA」の副理事長がサイクリング中に重傷を負った。
 
私はこのニュースを見て「これだ!」と思い、思わず背中に寒気が走りました。
 
しかも、その二日後の6月21日に「鳩山邦夫」が急死。

spotnews242

〈鳩山邦夫〉

(以下、こちらから転載)

鳩山由紀夫元首相は22日、弟の鳩山邦夫元総務相の死去を受け、コメントを発表した。

由紀夫氏は、邦夫氏との最後の会話が東京都知事選(7月14日告示-31日投開票)への出馬打診だったことなどを明かし、「何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限り」と胸中をつづった。

コメントの全文は以下の通り。

『弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変に驚いております。3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。

2週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。

それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。

私たち兄弟は小中学の頃は小児ぜんそく持ちで、当時は運動が嫌いで、母が心配して家庭教師を私たちにつけてくれたのですが、その先生が勉強よりも野球や昆虫採集を教えてくれました。

邦夫が蝶の権威になったのはそれがきっかけでした。

料理もプロ並みでしたが、大学生の頃、勉強が終わると台所で餃子を皮から作って食べさせてもらったり、屋台のラーメン屋に家を2人でこっそり抜け出して食べに行ったり、本当に仲の良い兄弟でしたが、常に弟のほうが積極的でした。』

(転載ここまで)

「鳩山由紀夫」はカレルギーと仲の良かった「鳩山一郎」の孫であり、つまりは「出雲族」。

NWO(世界統一政府)の提唱者がフリーメーソンであり、日本人であるという確たる証拠。

なので、その弟の「鳩山邦夫」も「出雲族」であったと考えられます。

「出雲族」は今やメキメキと力をつけて「秦氏」を打ち負かし、「秦氏」とおぼしき「舛添要一」を都知事の椅子から叩き出して、「出雲族」の都知事を擁立するつもりだったのでしょう。

そして、その最有力候補が「鳩山邦夫」だったわけです。

もっとも、本人はやる気がなさそうだったという話ですが、とりあえず「鳩山邦夫」を立候補させれば、間違いなく彼が都知事に選ばれていたはずです。

しかし、そんな「出雲族」の計画を察知した「秦氏」が、慌てて「鳩山邦夫」を殺した、ということなのかも知れません。

一応、表向きには「鳩山邦夫」は「十二胃腸潰瘍」で死んだと言われていますが、専門家は「そんなことはあり得ない」と言っていますし。

(以下、こちらから転載)

【専門家の目】鳩山氏 考えにくい死因

法相や総務相を歴任した鳩山邦夫氏が亡くなった。まだ67歳とあり、早過ぎる死を惜しむ声が後を絶たない。

死因は「十二指腸潰瘍」という。兵庫県芦屋市の「松本クリニック」松本浩彦院長に聞くと、若い世代に多い病気で原因はストレスやアルコールなど。

ただ、現代では治癒することが多く、ほかの病気が併発した可能性を指摘した。

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鳩山邦夫氏と言えばかつて総務大臣まで務められた大物政治家ですが、死因として報道されているのは「十二指腸潰瘍」とのことです。

十二指腸は胃から続く消化管でその管の内部は粘膜で覆われています。

潰瘍というのは、胃酸によってその粘膜が溶けて穴が掘られたような状態で、進行すると穿孔(せんこう)、つまり穴が深くなって十二指腸の外壁にまで穴が達してしまいます。

現代でもきわめて良くみられる病気で、10代から20代の若い人に多く、原因はストレスと酒と運動不足です。

ですが、今は胃酸を抑える良い薬がたくさん開発されていますので、胸やけや空腹時の腹痛などを訴えて医師のもとを訪れ、薬をもらってちゃんと飲めば普通に治ります。
 
十二指腸に穴があくほど悪化することはまずありませんし、十二指腸潰瘍が原因で亡くなるなど、今の日本の医療ではまず考えられません。


一部の報道で鳩山氏が半年ほどで「激ヤセ」したという情報もあります。

これらから考えて、おそらく鳩山氏は以前から糖尿病もしくは、どこかの部位の悪性腫瘍、要するにがんを患っていたと私は推測します。

入院していて亡くなったということですから、病気が進行し全身状態が悪化して入院中に、例えば鎮痛剤を大量に服用していて、その副作用で十二指腸に穴が開いてしまった。

しかし全身状態が悪すぎて十二指腸の穴をふさぐ手術すらできなかった。つまり十二指腸潰瘍が穿孔して腹膜炎を合併し、全身に感染が広がって亡くなったということで、死因は十二指腸潰瘍、という発表もウソにはなりません。

今の日本の社会で、現役の政治家が糖尿病やがんにかかっていると発表することで世間に与える影響は、非常に大きなものがあります。

政治の世界は大変だと聞きますから、いかに大病を患っても隠さねばならない事情はたくさんあるでしょうし、だからといって、選挙で選んで下さった人々のことを思えば、治療に専念するために仕事を途中でほっぽり出すという訳にもいきません。

大病と闘いながら政治家の職務を続け、道半ばでこの世を去ったことは、鳩山氏にとってはさぞ無念だったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

(転載ここまで)

このニュースの中でも「十二指腸潰瘍」なんて「あり得ない」けど、結局、「あり得なくもない」とごまかしていますが、やはり「鳩山邦夫」の死が本当に病死なのかどうかは、実に怪しいところです。

しかも、「鳩山邦夫」は次期首相候補としても名が挙がっていたようですし、確かに「安倍晋三」の次にインパクトのある自民党の政治家といえぱ、「鳩山邦夫」ぐらいしかいない。

そんな自民党のホープが死んだとなれば、「出雲族」としてはかなりの痛手だったに違いありません。

まさに「秦氏」がやり返したわけです。

今、「鳥越俊太郎」が都知事選に立候補していますが、「鳥越俊太郎」といえば「アフラック」のCMにも出演するほどの「出雲族」のズブズブの傀儡。アフラックと言えば「青(出雲族)」ですからね。

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しかも、彼はかつてNPO法人「がん患者団体支援機構」の3代目理事長に就任していて、今や選挙公約として「都民全員にがん検診を100%受診させる」と豪語しています。

つまり、「ガン利権」とズブズブの関係をもった腹黒い人物だということです。表面的にはさわやかそうな人物に見えますが。

「がん検診100%」鳥越俊太郎氏の選挙公約にネットの反応は?【都知事選】

しかし、例え「鳥越俊太郎」が不正選挙などで都知事になったとしても、こんな政治のドシロウトが都職員や都民から信頼を得るのは難しいでしょうから、「出雲族」のやりたいように都政を動かすのも難しいような気がします。

ちなみに、「鳥越俊太郎」は関ヶ原の戦いで「反徳川」の勢力についた「大友宗麟」の家臣「鳥越興膳」の子孫だと自称しているそうです。

NHKが鳥越俊太郎氏のデタラメ家系図を報道?子孫が憤りを明かす – ライブドアニュース

この話は「経歴詐称」だと言われているようですが、多分、本当の話なのでしょう。でなければ、「鳥越俊太郎」があんな有名人になれるわけがないからです。

つまり、「鳥越俊太郎」は現代日本の支配者である「島津家」「毛利家」に与した人物の末裔だということです。

そして、この「鳥越俊太郎」はかつて私のブログに対してとんだ言いがかりをつけてきたことがあります。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

早速、鳥越俊太郎氏に絡んだ当サイトへの誹謗中傷が始まっています。

創価と在日によるRAPTつぶし計画が見えてきました。南部靖之(パソナ)=鳥越俊太郎=孫正義(ヤフー)がグルになっている可能性大。

この頃は「鳥越俊太郎」みたいな有名人が、どうして私みたいな無名ブロガーを叩いてくるのか、いまいちその理由がよく分かりませんでした。

しかし、彼が「島津家」「毛利家」と関わりがある人物であるなら、それも当然のことだったのだ、と今ではよく分かります。

ということで、話を元に戻しますが、「鳩山邦夫」が死んでから二日後の6月23日に、イギリスの「EU離脱」が国民投票で決定しました。

そして、この出来事もまた明らかな「秦氏」から「出雲族」への反逆でした。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第97弾〉ジャパン・ハンドラーズは存在しない。またはFEMAキャンプと赤青黄のマークの謎。

このような形で、イルミナティの「NWO計画」が頓挫したわけです。

これもまさしく神様からの裁きに違いありません。神様が、毒をもって毒を制したわけです。

皆さんも御存知の通り、今月の7月13日に天皇が「生前退位」の意向を発表しました。

ところが、これをNHKニュースが報じた直後、「宮内庁」がなぜかこの報道内容をきっぱりと否定。

(以下、こちらから転載)

13日、午後7時の「NHKニュース7」が天皇陛下(82)「生前退位」のご意向を突如報じた。

テレビ関係者によれば「陛下はNHKの7時のニュースをご覧になるので、これは周到に用意されたうえでの報道だった」という。

「陛下は月に一回、皇太子殿下と秋篠宮殿下に、宮内庁長官を交えた会合を開かれており、かなり前から折にふれ、生前退位のご意向を伝えていました。

そのため、宮内庁や官邸のごく一部は、知っていたそうです。ポイントは、なぜこのタイミングで報道されたのかということです」(宮内庁担当記者)

たしかに、今回の生前退位の報道には不可解な点があった。NHKに続き新聞、テレビなどの報道が相次いだが、その13日夜には、宮内庁の山本信一郎次長が「報道のような事実はいっさいない」と否定したことだ。

この背景を元宮内庁職員の皇室ジャーナリスト・山下晋司氏が解説する。

「(生前退位にともなう)皇室典範などの法律改正は国会で審議されるものです。国政に関する権能を有しない天皇は国会審議に影響を与える言動は避ける必要があります。」

つまり、陛下自らが法改正を要望するのは憲法違反の恐れがあり、宮内庁はそれを避けたのだ。

じつは今回の生前退位報道には、ある思惑が存在しているという。皇室に詳しいジャーナリストが打ち明ける。

「NHKが皇室関係の報道をする場合、どんな情報であっても、宮内庁職員から必ず裏を取っている。でなければ、報道しない。今回、その裏を取らせ、OKを出したのは、山本次長とは別の、陛下に近い宮内庁幹部といわれている。彼には憲法改正の流れを止めたいという意図があったのです。」

民放の政治部幹部が続ける。

「いわゆる改憲勢力は参院選で大勝し、衆院ともども憲法改正の発議ができる3分の2の議席を確保しました。憲法改正が現実味を帯びるなか、政治的な発言ができない陛下が安倍内閣に『沈黙の苦言』を呈したということです。正式に天皇陛下のご意思が示されれば、国会は皇室典範の改正を優先させなければならない。憲法改正論議など吹っ飛びます。この生前退位が明るみになり、官邸には衝撃が走っています。」

かねて平和を祈念してこられた陛下の「無言のメッセージ」だったのだろうか。

(転載ここまで)

これまで度々お話してきました通り、「天皇」を世界のトップにしたいと思っているのは「秦氏」側です。

その「天皇」の権威を守っているのが「宮内庁」である以上、「宮内庁」は「秦氏」側の勢力にほぼ独占されていると考えて間違いありません。

「秦氏」としては「天皇」を生前で退位させて、「天皇」の権威に傷をつけることはしたくない。

なので、慌てて「生前退位」の報道を否定したわけでしょうが、上の転載記事を見ても分かる通り、「安倍晋三」と「天皇」の確執が深まっている。

表向きには「憲法改正」をめぐる確執だと言われてようですが、実際のところ、「安倍晋三」は「出雲族」であり、「天皇」は「大和族(秦氏)」である可能性が高い。

しかも、この「安倍晋三」と「天皇」の確執は、この二年近くずっと続いています。以下は2014年11月の記事です。

安倍内閣に亀裂が入りつつある理由。やはり天皇との確執が原因かも知れません。

この確執を知った頃から、私は少しずつ「天皇派」が「大和族」と「出雲族」に分かれていて、今上天皇が「大和族」で、安倍晋三が「出雲族」ではないかと考えるようになりました。

「天皇派」の中で代々続いた内輪争いは「出雲族」と「大和族」の争いだった可能性大。「サナト・クマーラ」は「出雲族」の神様なのか。

とはいえ、天皇と結婚した「美智子皇后」は正田家の出身で、その正田家は「白山神社」を祀っている。なので、どちらかというと「出雲族」。

天皇が「大和族」であるなら、「出雲族」の女性と結婚するわけがない……などと考え、私の頭が混乱していた時期が長く続いていましたが、よくよく考えてみると、「秦氏」の勢力が強くなった2014年と2015年の二年間は、天皇礼賛キャンペーンが凄まじかった。

今上天皇があれだけ「秦氏」から祭り上げられたところを見ると、やはり今上天皇は「秦氏」側と考えて間違いないでしょう。

しかも、現在の日本では「出雲族」がかなりの勢力を強め、「秦氏」はほとんど出る幕がない。

さらには「出雲族」が「熊本地震」を起こして「秦氏」をほぼ壊滅状態にした。

これにて、「天皇」はますます肩身がせまくなった……。

「出雲族」としては、ここで思い切って「秦氏」側の天皇を蹴落として、「出雲族」の天皇を擁立したいと思ったことでしょう。

そこで、今上天皇に「死を選ぶか、退位を選ぶか、それとも悪魔崇拝をバラされることを選ぶか」などと選択を迫り、その結果、天皇はおとなしく「退位」を選んだ……ということかも知れません。

これは単なる推測の域を超えて、かなり真実味のある話です。

というのも、かの関東大震災があった三年後、実は「大正天皇」がクリスマス(つまりミトラの誕生日)に死去しているからです。

そして、この関東大地震も「出雲族」の起こした人工地震であることが分かっています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。

つまり、「出雲族」が関東大震災を起こした上で、大正天皇に「退位しろ」と脅したわけです。

さもなくば、さらなる災害を起こし、「秦氏」を壊滅状態に陥れる、と。

しかし、「大正天皇」は頑なにそれを拒んだ。

そのため、三年後に「出雲族」に殺されてしまった……。

実際、大正時代から昭和初期にかけて、内閣総理大臣がたてつづけてに不審な死を遂げています。この頃も明らかに「秦氏」と「出雲族」の激しい勢力争いがあったわけです。

「昭和天皇」が「出雲族」に与していたことは確実です。(詳しくはこちら

ですから、「大正」から「昭和」に転換したときに、実はこの日本では「秦氏」から「出雲族」への勢力転換があったと考えられるわけです。

そして、「昭和」から「平成」への転換は、逆に「出雲族」から「秦氏」へと勢力が転換した……ということだったのかも知れません。

実際、平成に入ったとたん、「自民党」が野党に転じ、「日本新党」「新党さきがけ」「新生党」「公明党」「民社党」「日本社会党」「社会民主連合」「民主改革連合」が連立して与党となりました。そして、細川内閣が誕生しています。

ところが、二十八年と続いた「平成時代」にじわじわと「出雲族」が勢力を盛り返して、安部政権が完全にその形勢を逆転させてしまった。

最終的に「秦氏」の天皇を追い落としてしまったというわけです。

また、「生前退位」というと、バチカンの全ローマ教皇「ベネディクト16世」のことを思い出しますね。彼もまた「生前退位」をすることになりましたから。

彼のこの退位が「悪魔崇拝」を暴露された結果であることは、このブログの読者なら既に重々お分かりのことと思います。

性的虐待でバチカン前大使が有罪。聖職者の地位はく奪。しかし、相変わらずローマ法王の罪はなかったことに。

一応、表向きには「ベネディクト16世」自身ではなく、彼の下にいたバチカンの祭司たちの「悪魔崇拝」がバレたということになっていますが、実は「ベネディクト16世」自身も悪魔崇拝に加担していました。

そして、現ローマ法王フランシスコも「悪魔崇拝」に加担し、有罪判決まで下されたのですが、彼はその後もそのままローマ教皇として在位しつづけています。

このフランシスコは「出雲族」であり、ベネディクト16世は「月派」でした。

つまり、バチカン内部で「出雲族」と「月派」の確執があり、「出雲族」が「月派」を追い落としたわけです。

RAPT×読者対談〈第97弾〉ジャパン・ハンドラーズは存在しない。またはFEMAキャンプと赤青黄のマークの謎。

このように世界的に「出雲族」の勢力が拡大しているわけです。

そして、そんなドサクサの最中に、「出雲族」は日本の天皇まで「生前退位」させてしまったというわけです。

ちなみに、次期天皇である皇太子と、次期皇后である雅子様が「出雲族」であることは、以下のリンク記事を見ればすぐにお分かりいただけます。

皇太子妃の雅子様が疎んじられ、秋篠宮家の佳子様ブームが起きている最大の理由。

つまり、次期天皇が即位することで、日本は再び「出雲族」の世になるというわけです。

ということで、対談の最後にご紹介しました読者からのメールをここに転載しておきます。

…………………

私は占星術も学んだことがあります(^_^;)
動物占いのベースなる統計学のようなものも勉強しましたね(^_^;)
対談の方の九星気学にハマった気持ちがよーく分かります。

ここで、人類は太陽派(赤)、月派(黄色)、地球派(青)に分かれていると知りました。
地球派が出雲族に相当していると思います。

月派は、新月派と満月派に分かれるので、
緑と黄色に相当していますね。

面白いのはジャンケンの法則のように、
太陽派(秦氏)は地球派(出雲族)に勝てない。
月派は太陽派(秦氏)には勝てない。
地球派(出雲族)は月派に勝てない。

このように三つ巴の戦いが絶えないと学んだのですが、
RAPTさんが仰る理論によく似ていたのです。

で、これまたRAPTさんが月派がどっちに味方するか、
ということを仰っていましたが、
主に新月派は太陽派に味方をし、
満月派は地球派(出雲族)に味方をするそうです。

この別々の学びが、RAPT理論の理解に役立ちました(笑)

…………………

この方が占星術で学んだというこの法則は、私がこれまで調べてきたことと現実世界にもぴったりと当てはまっているので、私もびっくりしました。

ただし、今現在、バチカンでは「出雲族」が「月派」を叩き潰し、EUでは「秦氏」が「出雲族」を叩き潰しました。

これまでの法則とは全く違う状況になっているわけです。

つまり、この世の中が今までとは違う動きを見せているというわけです。

これだけ見ても、神様の裁きが始まっていることは明らかです。

悪魔の滅亡はもう間近なのです。

RAPT×読者対談〈第103弾〉イルミナティはもういらない。

ここ最近、久しぶりに「原発も原爆も存在しない」シリーズが再稼働しはじめましたが、今回の対談はこのシリーズを総括する内容になっています。

ちなみに、これまでの「原発も原爆も存在しない」シリーズは以下になります。

RAPT×読者対談〈第56弾〉原発も原爆も存在しない。(前編)

RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編)

RAPT×読者対談〈第61弾〉原爆被曝はどこまで本当の話なのか?

RAPT×読者対談〈第62弾〉原発と原爆を生んだ相対性理論はデタラメの可能性大。

RAPT×読者対談〈第65弾〉戦後復興もすべては天皇家一族の儲け話。

RAPT×読者対談〈第66弾〉電磁波も放射能も宇宙も危険ではない可能性大。

RAPT×読者対談〈第69弾〉科学の嘘はすべて原発に通ずる。

RAPT×読者対談〈第70弾〉ノーベル賞創設の目的はアインシュタインの嘘を隠蔽するため。

RAPT×読者対談〈第71弾〉嘘と矛盾だらけの核技術。

RAPT×読者対談〈第72弾〉この世の支配層が大金をぼったくる仕組み。

RAPT×読者対談〈第74弾〉この世の支配層による口封じの実態。

RAPT×読者対談〈第77弾〉ケムトレイルとイヤシロチと福島原発事故(1)

RAPT×読者対談〈第78弾〉ケムトレイルとイヤシロチと福島原発事故(2)

RAPT×読者対談〈第79弾〉カタカムナとあらえびすとイヤシロチ詐欺。

RAPT×読者対談〈第99弾〉原発も水素自動車もその燃料はただの水と塩。

RAPT×読者対談〈第100弾〉原爆はただのマグネシウム爆弾。石油の原料もただの海水。トヨタの水素自動車もただのパクリ。

このシリーズの最初の方だけを聞いて(あるいは、最初だけしか聞かないふりをして)、私が単なる推測だけで記事を書いているとか何とかイチャモンをつけてくる者が未だにいます。

はっきり言いますが、このシリーズを全て聞けば、小学生でも「原発も原爆も存在しない」ことをはっきりと理解し、確信できるはずです。

しかも、このシリーズは日本全国に広がることが大いに予想それますので、今まで嘘をついてきたイルミナティの皆さんは戦々恐々としているはずです。

しかも、今回の対談で、彼らは完全に叩きのめされることになるでしょう。

実を言うと、私たちが〈第100弾〉の対談を行った後、対談者の方から以下のようなメールをいただきました。

…………………

石油は塩水から出来るという話しについて思いつきませんでしたが、火力発電所も実は火力で発電していない可能性があると思いました。

《RAPT註:この意味が分からない方は、先に〈第100弾〉をお聞き下さい。》

もしも簡単に塩水から電気を作り出すことができるならば、原子力発電所が水力発電であるのと同じように、火力発電所もわざわざ火力で発電する必要がないと思いついて少しだけ調べてみました。

どうやら火力発電所も海沿い(水の近く)ばかりにあるようです。

ひょっとすると火力発電所の説明も嘘かもしれないと思いました。

リンク記事の<発電の仕組み>によると、ボイラーによって水をあたためてタービンを回すことによって、最終的に変電器で電力を得るようなことが書かれています。

しかし、海水から電力が作れるならわざわざボイラーで海水を熱する必要はなく、むしろマグネシウムを使って水力発電をしたほうが効率的だと思います。

逆に水力発電所は海沿いにはありません。

もちろんこれはダムを山の中にわざわざ巨額の費用で建設したためだと思われます。

https://www.google.co.jp/search?q=火力発電所&biw=1440&bih=647&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjb8cH4l-zNAhUGp5QKHeYmBXgQ_AUIBygC#tbm=isch&q=水力発電所%E3%80%80場所&imgrc=BznBQwsZc5C_8M%3A

有名陰謀論者が中央銀行制度を問題にしたり、貧富の差を問題にすることでイルミナティがものすごい力と権力を握っているように見せかけていますが、本当に彼らが隠したいのはこのエネルギーのことでしょう。

前回からの対談を通じて、彼らイルミナティの権力の根幹に関わる部分について、彼らの最も痛いところを暴いてしまったように思われます。

これで事実上、彼らがいなくなっても、エネルギーについてですら今まで通り生活するのに何も支障がないことがわかりました。

<火力発電の仕組み>

http://www.kepco.co.jp/energy_supply/energy/thermal_power/shikumi/

また、面白いことにデンマークやインドネシアでも海沿いに火力発電所がありました。

<デンマークの火力発電所がある場所>

http://sskk97.blog73.fc2.com/blog-category-13.html

<インドネシアで住友商事が開発予定の火力発電所の位置>

http://www.sumitomocorp.co.jp/news/detail/id=28906

関東地域の火力発電所がある場所についてはこちらが参考になります。

https://www4.tepco.co.jp/fp/procurement/lng/base.html

さらに、今後建設予定の石炭火力発電所も海沿いに作られる予定です。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201506/0008103196.shtml

炭素をかなり排出してしまうということで、問題視されているようです。
(リンク記事の一番下までスクロールすると「脱炭素・逆行日本」という新聞記事があります)

http://seisakukenkyukai.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305530657-1

またこれも面白いことに、インドでは海沿い、または川沿いに火力発電所が見事に位置していました。

(少しわかりにくいですが、2つのリンク記事を重ねれば、水力発電の地図に書かれている川に沿って、火力発電所が建設されているのがわかります。)

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〈インドの水力発電=ダムの位置〉

こちらのリンクにはわざとかもしれませんが、川が描かれていません。

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〈インドの火力発電所の位置〉

一応、私の方でも日本の「火力発電所」のある場所を調べてみました。

しかし、「火力発電所」は「原発」と違ってかなりの数があるためか、その場所の一覧が記された地図がなかなか見当たりませんでした。

それでも、とりあえず以下のサイトでなんとかその場所を把握することができました。

日本全国の火力発電所一覧地図・ランキング | エレクトリカル・ジャパン – 発電所マップと夜景マップから考える日本の電力問題

ちょっと見にくいですが、以下の地図の赤い点が「火力発電所」のある場所です。よく見ると、ほとんどが海岸線にあることが分かります。

スクリーンショット 2016-07-22 15.40.20

一方、以下の地図の青い点のあるところが「水力発電所」のある場所です。

日本全国の水力発電所一覧地図・ランキング | エレクトリカル・ジャパン – 発電所マップと夜景マップから考える日本の電力問題

スクリーンショット 2016-07-22 15.39.40

見ての通り、「水力発電所」はほとんどが内陸にあります。

別に「海水」でも水力発電できると思うのですが、わざわざ山の中に巨大なダムを作って「水力発電」をし、ゼネコンが法外な建設費を自治体からぼったくっているわけでしょう。

ということで、「火力発電所」も実は「原発」と同じく、単なる「塩水発電所」である可能性が高くなってきました。石油も塩水から作られているからです。

しかし、「火力発電所」をやめて「原発」を作っていけば、「もんじゅ」のような高速増殖炉、「六ケ所村」のような放射性廃棄物処理場など、様々な「原発」関連施設をたくさん建てることができます。

そうすると、ゼネコンが潤い、「原発」やその関連施設の近辺に住む人たちも潤います。政府から沢山の補助金をもぎとることができるからです。

しかも、福一原発のように爆発させれば、その近隣住民はさらに潤います。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第77弾〉ケムトレイルとイヤシロチと福島原発事故(1)

よくよく調べてみると、「海水」で発電できるという話は、もう既に多くの学者たちが唱えていて、ネットでも数多くの記事を読むことができます。例えば以下など。

脱原発も可能?マグネシウム発電!日本の技術はすごい! | Mindbooster!!

世界を救う新エネルギーを目指せ! 再生可能・危険性ナシの「マグネシウム燃料電池」をご存知か? 

マグネシウム文明の夜明け −石油に代わる新しいエネルギー−

とはいえ、これらの記事を読んでも、いまいち何かしっくりと来ません。

当たり前です。これら全ての記事には、「マグネシウム発電」つまり「塩水発電」のことを、さも未来の技術であるかのように書かれているからです。

しかしながら、「塩水発電」の技術はもう既に開発され、「原発」でも既に実用化されています。それについては先日の〈第99弾〉と〈第100弾〉の読者対談を聞いていただけば、すぐにお分かりいただけるはずです。

恐らく彼らは今後も、懐中電灯ぐらいなら「塩水」で発電できるけど、家庭の電気まで「塩水」で発電することはできない、とか何とか屁理屈をこねながら、「塩水発電」は未来の技術だと言い張りつづけるつもりでしょう。

実際、ネットにはこんな記事も出ていました。

(以下、こちらから転載)

■ このごろ都にはやるもの-26 水素と水で自動車を走らせる男(その2)(2006.10)

鹿児島在住の渡邊賢弐さん(70)が、車検をとって公道を走らせているHAW(水素・空気・水)エンジン車は、日産の大型ワゴンを改造したものだ。

3列ある座席の最後部を取り払って「水素タンク」(350気圧)を置いた。ここからエンジンに水素が送られる。

ガソリンタンクには水を注入する。それもごく普通の水道水である。

空気とともにシリンダーに送られた水素はプラグによって添加されると瞬時に爆発して高熱を発する。

その熱で、別のノズルから噴射された水が蒸気になる。液体から気体に変化するときの膨張エネルギーでピストンを動かす仕組みは前回紹介した通り。

「一度の水素充填でどのくらい走りますか?」「いまのところ150kmです。タンクを2本積めば300kmになる計算ですが、目標は1本で300kmです」

渡邊さんが積む水素タンクの容量は約36㎡だから、1㎡当り4.2km走ることになる。「それも一概にいえません。坂道や積荷の重量、気象条件などによって変わりますから・・・」。それでも最新のFCV(燃料電池自動車)の1㎡当り3kmよりは効率はいい。

問題はコストである。「エンジンを改良したり、水素タンクを装置したりで、改造費だけで1000万円かかります」と渡邊さん。

いまのところ、知り合いの工場を借りて手造りだから1000万円もかかるが、量産化できれば安くなるだろう。

水素はタンクごと購入しているが、これも水素ステーションが普及すれば安くなるはずだ。

実は最初に渡邊さんに会った9月15日は、HAW車を説明し、東京で走らせるために有明の水素ステーションを使わせてほしいと、資源エネルギー庁に出向いた日だった。

渡邊さんは「アインシュタインを尊敬している」という。アルバート・アインシュタインは高等教育を受けたわけでなく、独学でノーベル賞を受賞した物理学者だ。

渡邊さんは幼児に両親を失い、祖父母に育てられた。高校を出て自衛隊に入り、そこで機械を学んだ。もともとラジオを組み立てたり、分解したり、機械が好きだった。

自衛隊に勤務していたとき、オイルショックが起こった。「これからは石油でない、水素の時代だ」と思って除隊、HAWエンジンの開発にとりかかったという。

「だからここまでくるのに43年かかりました」。白髪に覆われた渡邊さんは日焼けした丸顔をほころばせた。

HAWエンジンが実用化されれば、自動車に限らず、船舶にも航空機にも使えるだろう。なぜこの技術が大手メーカーから無視されているのか、そこがよく判らない。(了)

(転載ここまで)

「水」で走らせる自動車を開発したものの、そのエンジンを一つ作るのに「1000万円」もかかるから、実用化までは程遠い、というわけです。

このように何人かの技術者たちに「水」や「塩水」で発電できる装置を開発させて(開発させた振りをさせて)おいて、彼らに「この技術を実用化できるまでには何年もかかる」と言わせておけば、一般庶民はその話を真に受けます。

そうすると、イルミナティの連中が「原発」や「火力発電所」ですでにマグネシウム発電(塩水発電)をしていることにも気付かない、という算段でしょう。

ちなみに、以下のウィキペディアの記事を見ると、マグネシウム発電(塩水発電)にかかわっている技術者たちが誰なのかを窺い知ることができます。

空気マグネシウム電池 – Wikipedia

どうやら以下のメンツがこの「マグネシウム電池」の開発に関わっているようです。

■東北大学
■古河電工
■産業技術総合研究所
■東工大
■藤倉ゴム工業
■凸版印刷
■ニコン
■京都大学
■矢部博士が会長を務めるベンチャー企業「エネルギー創成循環」

この辺の人たちが「マグネシウム電池の実用化はまだ程遠い」とか何とか言いながら、必死で未来のために「塩水発電」を開発している振りをしているわけです。

しかし、はっきりと言いますが、「塩水発電」は、実は太古の昔から人類が手にしていた技術なのです。それは以下の画像を見ればすぐに分かります。

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このように人類は太古の昔から電池を作っていたわけですが、この「バグダッド電池」も紛れもない「塩水電池」なのです。

以下、この「バクダッド電池」に関する説明です。

(以下、こちらから転載)

■バグダッド電池

1936年、イラクの首都バグダッドにある約二千年前の古代パルティア遺跡から、奇妙な壷が見つかった。

高さ15cmほどのその壷は、上部がアスファルトで固められており、中には鉄の棒が入った銅製の筒が納められていた。

その銅製の筒は、ハンダで溶接され壷に固定されている・・・。

バグダッド近辺では、他の遺跡からも同種の壷が見つかっていたが、ドイツ人の考古学者ウィルヘルム・ケーニッヒ博士は、この壷を調べた上で驚くべき結論を出した。

「これは古代の電池である!」

二千年も昔に「電池」!?  さて、その真相は・・?

バグダッド電池(バグダッドでんち)とは、現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺である。

電池であるという意見と、そうではないとする意見が存在するが、もしこれが電池として使われたのであれば、電池が発明されたのは18世紀後半であるから、これはオーパーツ(時代錯誤遺物)と言うことができる。

■実際に電気を作れる

古代都市セレウキアの遺跡からも同様の壷が4個発見されている。

復元してみると、まさに電池であり、実際に試してみたところ1.5ボルトの電気が起きた。

1800年、イタリアのアレッサンドロ・ボルタが2つの金属を酸に入れて電流を取り出したことが電池の発明と言われている。

これより遥か前に、古代イラクではすでに電気技術を持っていたというのだろうか。

《RAPT註:実はこのボルタの作った電池は「塩水」が使われていました。なのに、以下の文章では、そこのところに全く触れていません。なぜでしょうか。》

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■使用された液体は?
 
この壷が本当に電池であったなら、内部には何らかの電解液が入っていたと考えられるが、実はどんな溶液が入っていたのか未だに不明のままなのだ。
 
今までに、硫酸銅とかベンゼノキノン、葡萄ジュースといった様々な仮説が出されて来たが、それらの液では、電流がすぐに止まってしまったり、電流が弱すぎたりで、実用として使用できない事がわかっている。

《RAPT註:なぜ塩水の話が出てこないのでしょうか?》

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■電池説
 
38年のケーニッヒ説にしても、68年に現地を訪問したロンドンの科学博物館の物理学者ウォルター・ウィントンが確認したときにしても「どうみても電池なんだよな」という報告をしていることから判るように、物理的には「電池」の特徴をよく備えていることがそもそも発端である。
 
十分な電力を得るためにいくつか連結する必要があるため、ケーブル類が出土していないことが最も痛いといえるだろう。
 
この状況は、それなりに実用に足る十分な電力を得ていたことを前提とする仮説全てにとって不利な状況である。

《RAPT註:塩水だったら、ケーブル類など一切いらないのに、なぜ塩水の話が出てこないのでしょうか?》

さらに、アスファルトの蓋も電池としては不便極まりない。
 
ただし、この物件が2個しかないので、どういう使い方をしていたか、正しい状態がわからないため、アスファルトを理由に電池説を否定する論調はやりすぎであろう。
 
逆にケーブルが出てくると、一気に状況が変化するので、これからの発掘が本当に興味深い。

《RAPT註:アスファルトには絶縁性があるので、塩水発電をする際、水が外に漏れても感電する心配が少なくなります。その辺のことが分からないはずがありませんが……。》

■用途は金メッキ?
 
その用途は何だったのか。有力視されているのが金メッキ、バグダッド付近がイラン系のパルティア王国に支配されていた当時、一帯は薄い金箔をかぶせた宝飾細工を作ることで知られていた。
 
金箔はハンマーで薄くのばして作られたと考えられてきた。なぜならメッキには電気分解の技術が必要不可欠だからだ。
 
しかし電池があれば可能であり、実際にツボ型電池を使って金メッキの実験が行われ、成功している。

《RAPT註:実際に古代のバクダッドで金メッキが作られていたのであれば、既にその当時から電力があったということです。》

スクリーンショット 2016-07-22 16.22.57

■非電池説
 
まず、ケーブル類などが一切出土していないこと。これは本当に重要である。(ただ発掘事態があまり進んでいない。)
 
電気を使った遺物について何もヒントがない。(特に伝来のメッキ法が解明されている。エジプトのアーク電灯を示す石のレリーフについては、明らかに必要な電力は得られそうにないし、無関係と思われる。)
 
電池だとすると、ケーニヒ博士の報告通りなら、アスファルトが非常に不便。
 
■非電池説の仮説 [羊皮紙やパピルスなどの収容物説]
 
特にポットの底にある腐食の痕跡(「液体が入っていた痕」というのは不正確)が、羊皮紙などに由来する可能性があるという説で、魔術的小道具・文書の収納みたいなものだった説といえる。
 
もし羊皮紙を入れていて、それが腐ったのであれば、底に弱酸性の有機物の痕跡を残すであろうことから、まさに例の壷と同じ状態になる。
 
(転載ここまで)
 
この記事の中で、一ミリたりとも「塩水」のことに触れようとしないところがミソですね。
 
「ボルタ電池」の説明図にも「塩水」でなく「希硫酸」が使われているかのように書かれていますが、全くの失笑モノです。
 
とにかく彼らは「塩水」で発電できることもさることながら、古代から電気が使われていたことを何としてでも隠したいようです。
 
しかし、太古の昔から人類が電力を使っていたことは明らかです。
 
例えば、エジプトの壁画には以下のような絵が描かれています。

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これは明らかに巨大な電球ですね。
 
しかし、古代エジプト王朝の時代には「電気はなかった」ということになっているので、この電球もまた「電球ではなく、祭祀用の道具である」とか何とか言ってごまかされています。
 
また、古代エジプトには「ジェド柱」なるものがありました。

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〈ジェド柱〉

これまた、どこからどう見ても「電柱」ですね。しかし、この「ジェド柱」もやはり「祭祀用の道具」だとか言われて済まされています。

しかも、この「ジェド柱」に電線がないところを見ると、無線で電気を飛ばす技術がこの頃からすでに開発されていたのかも知れません。

いいや、無線で電気を飛ばす技術なんてあるわけがない、と思った方。残念でした。

実はもう既にその技術は開発されているのです。しかし、例の如く、イルミナティの連中がこの技術を必死で握りつぶしてきたのです。

以下、「ニコラ・テスラ」のウィキペディアの記事からです。

(以下、こちらから転載)

■無線送電装置

世界(無線)システム(World Wireless System、Tesla World systemとも。日本語では「世界システム」と呼ばれることが多い)という電磁波を用いた無線送電装置を発案し、ニューヨーク州ロングアイランドに「ウォーデンクリフ・タワー」を建設し実験をした。

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〈ウォーデンクリフ・タワー〉

しかし、使用された電磁波は150kHzという長波領域の電波であり、周波数が低すぎてすぐに拡散してしまい、利用者に到達する頃には電気密度が薄すぎたため、この時点では結果として、失敗に終わっている。

一説によれば、このシステムは無線で高電圧による電力を供給するためのものであり、テスラはJ.P.モルガンから資金提供を受けていた。

しかし、実はモルガンが銅の会社を保有しており、イルミナティのメンバーから、無線による電力送信を可能にするよりも、銅線を使用して電力供給する方が、モルガンにとっては利益が大きいという助言があり、この資金提供が打ち切られ、現在の銅線による電力供給システムに至ったとされる。

(転載ここまで)

イルミナティの連中は未だに、この無線の送電技術を「実現まで程遠い」と必死で宣伝しています。

未来過ぎる「ワイヤレス給電」の世界!WiTricityで家電製品から電源コードが消える日。

この上のリンク記事を見てみても、スマホぐらいは無線で充電できるけど、家庭の電気はムリと言っています。普通に考えたら、そんなわけない、と思いますけどね。

また、以下は古代エジプトの王(第一王朝アジブ王の皇太子サブー)の墓から発掘されたものです。(出典はこちら

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どう見ても、プロペラのようにしか見えませんね。

まさか古代エジプトにプロペラなんかあるわけがないと思った方。残念でした。

実は古代エジプトの壁画にはヘリコプターもきちんと描かれているのです。(出典はこちら

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これは「セティー一世」の葬祭殿にある壁画です。どこからどう見ても、これらは間違いなく飛行機の絵ですが、それでも学者たちは色々な理由をこじつけて、「これは飛行機じゃない」と言い張っています。

もはや子供が駄々をこねるレベルの言い訳です。

また、以下のエジプトの古代遺跡を見ても、当時から3Dプリンターがあったんじゃないかと思うしかないレベルの精緻さです。原始人が金槌か何かで叩いて作ったものとはとても思えません。

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そもそも、エジプトのピラミッドは、レンガの隙間にカミソリ一枚入らないそうです。

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そんな精緻なものをどうやって原始人が作れるというのでしょうか(笑)。

このように、どこからどう考えても、古代には既に電気があって、それを当たり前のように使っていたのです。

そして、そう考えると、太古の昔から「黒騎士の衛星」なる人工衛星が飛んでいたことも納得できます。

世界中のレイラインを生み出したのは宇宙人ではなく、人工衛星「黒騎士の衛星」です。

なので、卑弥呼の時代から「地球儀」があったとしても、何ら不思議ではありません。

この動画をつくった「はやし浩司」さんは、「卑弥呼の時代に電気があるわけがないし、もし電気を持っていたなら、それはエイリアンに違いない」と言って、「卑弥呼はエイリアン」だと主張しています。
 
しかし、当時から人類は電気をすでに持っていたので、卑弥呼は宇宙人ではなく、ごく普通の人だったと考えられます。当たり前ですが。
 
実を言うと、この「はやし浩司」さんも美智子皇后の実家「正田家」から資金をもらって、「皇太子」と一緒に海外留学をしたことのある人物です。自分でそう自慢しています。
 
なので、彼もまたイルミナティ側の人間であり、つまりは「宇宙人は存在する」という嘘のプロパガンダを発信するためのエージェントなのです。
 
しかし、その事実を抜きにすれば、「はやし浩司」さんの動画には実に興味深いものが沢山あります。
 
例えば、以下の動画がそうです。

この動画の「2:21」辺りから、ミケランジェロの作ったダビデ像が出てきますが、このダビデ像の「手の血管」を再現するには3Dプリンターでなければ無理でしょう。
 
また、ギリシア彫刻も3Dプリンターで作られた可能性大です。

また、ガンダーラ仏像もCADで作られた可能性大です。

あと、「ダ・ビンチ」もコンピューターグラフィックを使っていた可能性大です。

このように、古くから人類がコンピューターを使っていた可能性はとても高いのです。
 
しかし、一般には「電気が発明されたのは19世紀以降」ということになっているので、「ギリシア彫刻」やら「ガンダーラ仏像」やらが3Dプリンターで作られたと言っても、誰も信じようとはしません。
 
そんなことを言えば、逆にキチガイ扱いでしょう。
 
まあ、バカから見ると、本当の天才はキチガイに見えるものです。
 
しかし、古代から「塩水」で発電する技術があったのなら、古代から3DプリンターやCAD、コンピューターグラフィックが使われていたとしても、何らおかしくはありません。
 
それと同時に、以下のようなオーパーツが世界各地から発見されたことも、何ら不思議なことではないのです。

〈アンティキティラ島の機械〉

さらに、オーパーツにはこんなものもあります。

これは「アンティキティラ島の機械」と言って、今から約2100年前(紀元前)に製作されたものと言われています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

驚異のテクノロジー!アンティキティラ島の機械(オーパーツ) – NAVER まとめ

まあ、どこからどう見ても、この「アンティキティラ島の機械」はコンピューターですよね。

実際、ここ数十年の研究によって、これは天体の運行を計算するための歯車式機械であると解明されたようです。

ですから、紀元前の時代から既にコンピューターがあったことは間違いのない事実なのです。

ちなみに、ダ・ビンチやミケランジェロにお金を出していたのは「メディチ家」です。

この「メディチ家」の紋章は以下になります。

メディチ家 – Wikipedia

Coat_of_arms_of_the_House_of_de'_Medici

八咫烏に「赤」い服(?)……。どう見ても「秦氏」ですね。

「メディチ家」といえば銀行家であり、銀行家といえば、利子をつけて人に金を貸す人のことですよね。

よくよく考えてみると、イルミナティの敵である神様ヤハウェが書いた「聖書」では、利子をつけてお金を貸すことが禁じられています。

つまり、「銀行」という存在も、悪魔どもが神様に反逆するために作り出したものだったということですね。

しかし、今では「銀行」という存在が余りにも当たり前になりすぎているため、まさか「銀行」までもが聖書への反逆だったとは誰も思わないでしょう(笑)。私もここ最近になって、ようやく気付きました。

そして今現在、天皇と親戚の「黒田東彦」が日銀総裁になり、「マイナス金利政策」でボロ儲け。まさに聖書と逆のことをやって私服を肥やしているわけです。

しかも、「黒田東彦」が日銀総裁になって以来、日銀は「量的金融緩和政策」なるものを行い、大量のお金を発行してきました。

そのお金の総量を「マネタリーベース」というのですが、以下のグラフを見れば分かる通り、「黒田東彦」が日銀総裁になった2013年頃から、この「マネタリーベース」が三倍も増えています。(出典はこちら

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〈マネタリーベースの推移〉

つまり、この三年間でこの日本国内に流通するお金が三倍も増えたわけです。

にもかかわらず、日本の政治家やマスコミは「日本にはお金がない」「日本の経済が危ない」とか言いながら危機感を煽り、消費税を上げ、医療費を上げ、社会保障を切り崩して、国民から莫大なお金をぼったくっています。

そうやって、一部の支配層たちが潤い、我々庶民を貧苦のどん底に突き落として苦しめているわけです。

そして、その成果が以下の「アベノグラフィックス」に書かれています。(出典はこちら

アベノグラフィックス – データで見る「アベノミクス」20の成果と目標 | 自由民主党

以下、一部を抜粋します。

アベノグラフィックス - データで見る「アベノミクス」20の成果と目標 | 自由民主党_ページ_1
アベノグラフィックス - データで見る「アベノミクス」20の成果と目標 | 自由民主党_ページ_2

見ての通り、安倍政権が発足した後、日本政府は「21兆円」もの税金を我々庶民から巻き上げたそうです。

そして、それを堂々と我々国民に向かって自慢しているわけです。

その一方、国民の最低賃金はこの三年間でたった「50円」しか上がらなかったそうです。

にもかかわらず、彼らはこのことをまた大きな成果であると言って堂々と自慢しています。

さらに、国民の平均給与も2%しか上がらなかったそうです。

一カ月に20万円の給料をもらっている人は、一カ月たった4000円しか上がらなかったわけですね。

4000円なんて、生活に必要なものを買っているうちに、すぐに消費税で持っていかれる額ですね。帳消しどころか、マイナスです。

なのに、自民党はこのことを我々に向かって「成果を上げた」といって堂々と自慢しています。

しかし、恐らく国民のほとんど誰もこの「アベノグラフィックス」に隠された本当の意味を理解することができないのでしょう。

我々国民がどれだけ小馬鹿にされているのか理解することができないのです。なんという悲しい話でしょうか。

こんな日本政府による詐欺行為がこれ以上まかり通らないためにも、今こそ我々国民は彼ら天皇家一族(イルミナティ)に対して反撃に出なければなりません。

その一環として、先ずは「塩水」で発電できる家庭用の電池を開発しましょう。

「塩水電池」を開発し、日本全国に普及させれば、それだけでイルミナティの存在は不要になります。

イルミナティがいらなくなるのです。

私としては、この「塩水電池」をできれば20万円、高くても50万円で販売したいと考えています。

理科の好きな方、エンジニアの方、どなたでも結構ですから、ぜひともこの塩水電池を安い値段で開発してみてください。

技術的にはそれほど難しくないはずですので、コストもそんなにかからないはずです。(詳細は今回の対談をお聞き下さい。)

そして、実際に「塩水電池」を開発できた方は、ぜひとも私の方までご連絡ください。

こちらのブログで大々的に宣伝、販売させていただきます。

ちょうど電力の小売の自由化が始まったところですので、誰も文句は言えないはずです。

どうぞふるってご応募下さい。

RAPT×読者対談〈第104弾〉誰でも世界を変えられる。

今回の読者対談は、またしても新しい対談者の登場になります。
 
ただし、今回の対談は陰謀論というより、箸休め的な内容になっています。
 
特に現代の若者たちに向けて「もっと本気を出せよ!」と喝を入れるようなお話になっています。
 
もちろん、ある程度、年を召した方にも聞いていただきたいお話です。
 
この対談は有料記事としてアップするつもりでしたが、結果的に、一般記事としてアップした方がいいと思えるような内容になりましたので、こうして一般記事として公開することにしました。
 
ここ最近、RAPT理論が急速に展開し、イルミナティの全貌がほぼ解明できそうな勢いになっています。
 
さすがにここまで来ると、今後は単にこの世のカラクリを暴いていくだけでなく、実質的にこの世の中を変えていなければならないと私は思っていますし、それは読者の皆さんも同じ思いではないかと思います。
 
しかし、ただじっと黙って指をくわえてこの世を眺めていても、この世の中が自然と変わっていくわけではありません。
 
仮に神様がイルミナティの全メンバーたちを倒してくれたとしても、それで世の中が変わるということは絶対にあり得ません。
 
我々庶民が、全力でこの世を作り変えていかなければ、この世の中には何の変化も起きません。
 
食べ物一つ口に入れようと思っても、ただじっとその食べ物を見詰めているだけでは、ずっと空腹のままでいるのと同じことです。
 
そもそも、イルミナティの全メンバーがこの世から消滅したとしても、ルシファーどもがまたしても新たな人間を取り込み、洗脳し、新たなイルミナティを作り上げていくことでしょう。
 
そうすると、この世の中は再び悪魔の支配下に置かれ、この世に再び悪がはびこり、多くの人々が苦痛と絶望の中で呻くようになります。
 
ならば、一人でも多くの人たちが強い覚悟と決意をもって立ち上がり、実質的にこの世の中を変えていく必要があります。
 
特に10〜30代の若い人たちが、今すぐ一大決心をしなければなりません。
 
せっかくRAPT理論を読んでこの世のカラクリを知り尽くしたのに、ただじっと黙って、誰かがこの世の中を変えてくれるのを指をくわえて待っているだけでいいでしょうか。
 
この世のカラクリを知り尽くし、悪魔がこの世を支配しているということを知り尽くしているのは、このRAPTブログを読んでいる皆さんだけです。
 
その皆さんがこの世の中を変えずして、どうやってこの世の中が変わっていくというのでしょうか。
 
そもそも、RAPT理論を知らない人がこの世を変えようとしたところで、彼らの大半がトンチンカンなことをやったり、ムダな足掻きをするだけに終わる可能性が高いです。
 
それこそデモ行進をしたり、署名活動をしたりと、何の意味もないことばかりをして、無駄足を踏んで終わりになる場合が大半でしょう。
 
仮に彼らが、何かしら意味のあることをやったとしても、RAPT理論を知らなければ、成功したとたんにイルミナティに取り込まれたり、叩き潰されてしまうのが関の山です。
 
そうして、それまでの努力や苦労がすべてムダになるばかりか、自分の人生すらも破滅させてしまうわけです。
 
皆さんがこれ以上そんな目に遭わないために、私はこれまで必死でこの世のカラクリを解き明かし、イルミナティの手口を解き明かしてきたのです。
 
だから、このRAPT理論を知っている人からこの世を変えていってほしい、そのために実際に行動に移してほしい、というのが私の素直な気持ちです。
 
今回の対談では、そんな私の素直な気持ちをかなりストレートにお話しています。
 
人によっては、今回の話に反感を覚える人もいることでしょう。
 
しかし、多くの人が今回の対談を聞いて一大決心をし、自分の人生ばかりか、この世界を変えていく人が出てくることを信じています。
 
「そんなこと、自分にできるわけがない」と思う人も、今回の対談を聞けば、「もしかしたら、自分もできるかも知れない」「自分でも必ずできる」という気持ちになるはずです。
 
特に今回の対談は、10〜30代の人にぜひとも聞いていただきたいです。
 
というのも、40代以上の人たちが今から何か新しい才能や能力を身につけて、この世の中を変えていくのは難しいだろうと思うからです。
 
とはいえ、例え40代を超えていたとしても、これまでの二倍、三倍、四倍、五倍の努力を積み重ねていくならば、この世を変えていくことは絶対的に可能でしょう。
 
もちろん、40代、50代まで何もせずにブラブラと生きてきたような人には到底そんなことは不可能でしょうが、このRAPTブログに出会い、RAPT理論を理解した人は、それまでに何かしら大きな努力を積み重ねてきたはずです。
 
ですから、このブログを読んでいる皆さんなら、例え40代を超えていたとしても、十分にこの世の中を変えていけるはずです。
 
特に有料記事を読んで神様を信じている人は、老若男所、誰でもその祈りによって実質的にこの世の中を変えていけるはずです。
 
とにかく私としては、皆さんの中から真の改革者が現れ、この世の中を変えて下さることを切に祈るばかりです。

私もこれからも懸命に頑張っていきますので、皆さんも共に頑張りましょう。

皆さんはこの言論弾圧メールをどう思いますか。

RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。

このブログではこれまで、「関ヶ原の戦い」と同じような天下分け目の戦いが「関ヶ原の戦い」より1000年前(西暦600年頃)にもあった、というお話をしてきました。

しかも、「関ヶ原の戦い」が「秦氏」と「出雲族」の戦い(源平合戦)であったように、「関ヶ原の戦い」より1000年前に起きた天下分け目の戦いもまた同じように「秦氏」と「出雲族」との戦い(源平合戦)だった、ともお話してきました。

では、その戦いとは一体、歴史上のどの戦いのことを指すのでしょうか。

今回はこれをテーマにお話します。

実を言うと、今回のお話は「カタカムナ」について調べているうちに副次的に分かってきたことです。

しかも、「カタカムナ」について調べていくうちに、「あらえびす」と現首相「安倍晋三」が同じルーツを持っていた、ということまで詳しく分かるようになってきました。

現在、「あらえびす」の代表者の名前は「安倍晋三」となっていますが、「東出融」氏はこのことについて単に「安倍晋三」から名前を借りているだけだと話しています。

しかし、実際のところ、これは事実ではありません。

「あらえびす」の代表者は、本当に「安倍晋三」であって、単に名前を借りているだけではありません。

では、なぜ「安倍晋三」が「あらえびす」の代表者だと言えるのか。

実は「安倍晋三」は、古代に「カタカムナ」を崇めていた氏族の、由緒正しき末裔の一人なのです。

今回はこの事実をはっきりと証明いたしましょう。

しかし、本題に入る前に、今回は先ず一つ興味深いお話をしておきたいと思います。

日本の天皇家は「秦氏」にしろ「出雲族」にしろ、全ては朝鮮半島から渡ってきた氏族です。

そして、その朝鮮半島は今、「韓国」と「北朝鮮」とに分かれていて、その国旗の色からそれぞれ「韓国(白)」は「出雲族」、「北朝鮮(赤)」は「秦氏」であると考えられます。

ただし、「韓国」のように政権のトップがコロコロと変わるような国では、政権交代が起きる度に「秦氏」と「出雲族」の権力の入れ替えが起きていると考えて間違いありません。

その証拠に、「韓国」の二大政党は「セヌリ党」と「共に民主党」ですが、これらの政党はそのロゴの色がそれぞれ「赤」と「青」でした。

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現在の大統領「パク・クネ」は「セヌリ党」で「赤」。

前大統領の「イ・ミョンバク」は「共に民主党」で「青」。

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〈パク・クネ〉

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〈イ・ミョンバク〉

前大統領「イ・ミョンバク」は、日本の大阪府大阪市平野区出身で、日本での通名は「月山明博(つきやま あきひろ)」とのこと。(出典はこちら

現大統領の「パククネ」の父親「パク・チョンヒ」もかつては韓国大統領に就任したことがあるのですが、彼もまた日本名を持っていて、その名が「高木正雄(たかぎ まさお)」。(出典はこちら

しかも、単に日本名を持っているというだけではなく、過去にはなんと満州帝国の軍官学校(士官学校)に志願入隊し、卒業した後は日本の帝国陸軍士官学校へ留学し、日本式の士官教育を受けたとのこと。

さらに、帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として、八路軍やソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えたそうです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

朴正煕 – Wikipedia

このように、韓国の大統領が日本の帝国陸軍に所属して、日本軍として第二次世界大戦を戦っていたわけです。

この「パク・チョンヒ」の所属していた「セヌリ党(現ハンナラ党)」は「赤」なので「秦氏」です。

彼の所属していた日本の帝国陸軍もまた「秦氏」でしたよね。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。

つまり、「パク・チョンヒ」は「秦氏」だったからこそ日本の帝国陸軍に所属し、「セヌリ党」として韓国大統領に就任していたわけです。

その娘の「パク・クネ」もセヌリ党で「赤」で「秦氏」。

ここ最近、急に韓流ブームが下火になってきたのも、どうやらここに原因がありそうです。

というのも、「韓流ブーム」が起きたときの韓国大統領が「ノ・ムヒョン」で、彼は「青」の民主党でした。

つまり、「韓流ブーム」を起こしたのは「出雲族」で、その「出雲族」の大統領が退任し、今では「秦氏」の大統領「パク・クネ」が擁立されたがために、「韓流ブーム」が急に下火になってきたと考えられるわけです。

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〈ノ・ムヒョン〉

「韓国」はもともと国旗の色(白)からして「出雲族」の国なので、「秦氏」としてはその韓国を持ち上げるようなことは余りしたくないのでしょう。

ということで、今日の本題に入ります。

まず「あらえびす」を漢字にすると、「荒夷」になります。あるいは「荒蝦夷」ともなります。

「蝦夷」は「えびす」とも読みますし、「えみし」とも「えぞ」とも読みます。いずれにせよ、読み方が違うだけで、意味はすべて同じです。

蝦夷 – Wikipedia

「皇極天皇(斉明天皇)」の時代に「大和朝廷」がこの「えみし」を討伐したという出来事がありました。

「えみし」とは「出雲族」のことであり、「アイヌ人」のことでもあります。

要するに、「大和族(秦氏)」である「皇極天皇」が、「出雲族」と「月派」の連中を討伐したというわけです。

念のために言っておくと、「斉明天皇」と「皇極天皇」は同一人物です。しかも女性の天皇です。

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〈皇極天皇〉

それぞれの在位期間が以下になります。(出典はこちら

■皇極:642年2月19日 – 645年7月12日
■斉明:655年2月14日 – 661年8月24日

関ヶ原の戦いが「1600年」なので、彼女はちょうど関ヶ原の戦いから1000年ほど前に天皇として在位していたわけです。

ということは、この「皇極天皇」の時代にこの日本で何があったのかを調べれば、「関ヶ原の戦い」から1000年前に起きた天下分け目の戦いがどんな戦いだったのかが分かるということです。

この「斉明天皇」のウィキペディアの記事を見てみると、「対外政策」として「蝦夷討伐」と「朝鮮出兵」を行ったと書かれてあります。

(以下、こちらから転載)

■対外政策

対外的には、朝鮮半島の諸国と使者を交換し、唐にも使者を遣わした。

■蝦夷平定

北方の蝦夷に対し、三度にわたって阿倍比羅夫を海路の遠征に送り蝦夷地を平定した。さらに当時北海道の北海岸や樺太に存在した粛慎まで出兵し勝利したと伝える。

■朝鮮半島への軍事介入

在位5年(660年)に百済が唐と新羅によって滅ぼされた。百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、人質として日本に滞在していた百済王子豊璋を百済に送った。

百済を援けるため、難波に遷って武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた。

遠征の軍が発する前の661年、当地にて崩御した。

斉明天皇崩御にあたっても皇子は即位せずに称制し、朴市秦造田来津(造船の責任者)を司令官に任命して全面的に支援、日本軍は朝鮮半島南部に上陸し、白村江の戦いを戦ったが、唐と新羅の連合軍に敗北した。

直木孝次郎は皇極天皇のこれらの動向について、記紀における神功皇后の三韓征伐説話のモデルになったのではないかと推測している。

(転載ここまで)

繰り返しますが、当時の大和朝廷は「蝦夷」を討伐して、東北地方や北海道へと追いやりました。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

RAPT×読者対談〈第98弾〉サブカルチャーに隠された悪魔の紋章。

追いやられた「蝦夷」の中に、大和朝廷への出入りを許された人たちがいて、その人たちのことを当時は「あらえみし」とか「にしきえみし」と呼んでいたようです。

(以下、こちらから転載)

蝦夷の生活を同時代人が正面から語った説明としては、斉明天皇5年(659年)の遣唐使と唐の高宗の問答が日本書紀にある。

それによると、大和朝廷に毎年入朝してくる熟蝦夷(にきえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つがる)があった。

この使者の説明では、蝦夷は穀物を食べず、家を建てず、樹の下に住んでいた。

しかしこのような生活は史料にみえる他の記述とも現在の考古学的知見とも矛盾し、蝦夷を野蛮人と誇張するための創作と思われる。

信憑性に欠けるこの説明から確実にわかるのは、都加留(津軽)が固有名をあげられるほどの有力集団として存在したことである。

(以下、こちらから転載)

この「あらえみし」を漢字にすれば「荒蝦夷」であり、「あらえびす」とも読みますね。

「あらえびす」の名前はここに由来がある、と考えて間違いないでしょう。

ですから、「あらえびす」が「出雲族」であることはほぼ確定です。

また、「えみし」という言葉は、もともと古代の中国で使われていた「日本」の蔑称でもあります。当時の中国人は、日本のことを「東夷(とうい)」と呼んでバカにしていました。

(以下、こちらから転載)

本来は古代中国の東に位置する山東省あたりの人々に対する呼び名であったが、秦以降は朝鮮半島、日本列島などに住む異民族を指すようになった。

後に日本でも異民族を意味する「エビス」という語と一体化し、朝廷(京)から見て東国や蝦夷の人々のことを「東夷(あずまえびす・とうい)」「夷(い・えびす)」と呼んだ。

(転載ここまで)

よくよく考えてみると、「東出融」氏もまたその名に「東」という字を使っています。

「東夷」と「東出」。これが単なる偶然とは思えませんね。

もしかしたら「東出融」氏は、本当は心の中で「日本」のことを侮蔑しているのかも知れません。

ここで話は少し飛びますが、「カタカムナ」文献をもともと持っていたのは「チュルク族」という一族だそうです。

(以下、こちらから転載)

【カタカムナ文献】の内容は

【宇宙の成り立ち】 【宇宙 の特徴】 【物質や生命の発生の仕方】

【生命の本質】から【農業や製鉄技法】 【病気の 治療法】

【人間の考え方】 【商人道の心構え】までを表していました。

大自然、大宇宙の息吹を友としていた超古代人にとって、その直観力は、現代人の想像も及ばないほど研ぎ澄まされており、宇宙の深淵、宇宙の背後に隠されている何ものをも射抜くほどの力を持っていたようです。

【カタカムナ】は山窩族長の平十字(ひらとじ)が伝承したものです。

古文書というと一般には歴史書ですが、【カタカムナ文書】は、歴史書ではなく科学書です。

チュルク族(高令)は、遙か昔には、バイカル湖付近にいて、その時はオロッコ族といいましたが白鳥の磁場センサーを追って日本に渡来し、鉱脈を掘り当てていた人々だったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バイカル湖

https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族

https://ja.wikipedia.org/wiki/チュルク語族

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィルタ

そして後のトルコ族のことで、鉄の車輪を作った製鉄部族族でした。

オロッコが高令になり【白鳥】をトーテムとし、匈奴の冒頓部のなかにありましたが、高句麗や扶余に混じって朝鮮半島や日本列島に渡来し、天の王朝の物部氏、新羅の蘇我氏、安曇水軍と対馬の阿比留一族、安部水軍、秋田水軍など及びメキシコのアステカ人など互いにつながっていたと考えられる伏しがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/阿比留氏

https://ja.wikipedia.org/wiki/安東氏

アストランが白鷺または白亜の地を意味すること、セレベス島南部のマカッサル族とブギ族は、彼らの王族には【タクの木の樹液と同じような】白い血が流れていると信じています。

【カタカムナノウタヒ】には初めに【カタカムナヒビキマノスベシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ】とあって【アシアトウアン】という者が筆者したといいます。

また、この書を伝えた平十字は【カタカムナ神を祀る一族の王アシアトウアンと天皇家の祖先が戦い、アシアトウアンは敗けて九州で死んだ】と語ったといいます。

このアシアトウアンという王名もしくは王朝名は、後に芦屋道満の名になって有名な差別伝承となったものですが、天皇家と戦って敗れたという先王朝は金官加羅の王朝です。

だから【カタカムナ】を信ずれば、【アシアトウアン】は先王朝が、またはそれ以前の先住民族の王朝ということになります。

先王朝というのは、神武、綏靖、安寧、懿徳という王朝と対立した孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化という王朝であって、このうち考安天皇が安日彦、王弟の長足彦が長スネ彦で、安部貞任らはその子孫でした。

このことを認めると、1062年に滅びた安部一族は【アシアトウアン】王朝の末裔ということになります。

【天の王朝】の「アシアトウアン」こそ、アステカ族の故地アストランではなかったか。

古代メキシコ人のアステカ人が日本列島から出発した安部水軍だったとすればマヤ文明は彼らのもので、この部族には二系あり、その一つはホルヘ・キン(金)など新羅姓を思わせるものが多く、二系の部族とは倭人系阿曇水軍と新羅系阿部水軍であったかもしれません。

(転載ここまで)

このように、「カタカムナ文献」を大切に所持していたのが「チュルク族」。

この「チュルク族」はもともとロシアのバイカル湖辺りに住み着いていたのですが、その後、以下のように世界各地へと分布していきます。

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この「チュルク族」がその名を変えて「匈奴(きょうど)」となったり、「高句麗」となったり、日本の「物部氏」となったり、「蘇我氏」となったり、「安曇水軍」となったり、「対馬の阿比留一族」となったり、「安部水軍」「秋田水軍」となったり、「メキシコのアステカ人」となったりしたようです。

なぜ「メキシコのアステカ人」が急に出てくるのか不思議に思う人もいるかも知れませんが、この辺のことは既にRAPT理論でも解明しています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

マヤ・アステカ・インカ文明で行われた残酷な生贄儀式が、すべて日本に起源があるという明確な証拠。

RAPT×読者対談〈第48弾〉3.11人工地震と福島遷都の謎。

さらに言うなら、「アシアトウアン」、「金官加羅」、「考安天皇=安日彦」「長足彦=長スネ彦」、「安部貞任」もまたこの「チュルク族」の後裔となるようです。

つまり、これらの人たちはみんな名前が違うだけで、同じ「蝦夷」であり「出雲族」であるわけです。

「安倍貞任」から後に「奥州安倍氏」が誕生するわけですが、実はこの「安部貞任」の末裔の一人に「安倍晋三」がいるとのこと。

安倍氏 (奥州) – Wikipedia

しかも、「安倍晋三」自身、自らのことを「安部貞任」の末裔であるとはっきりと公言しているようです。

以下、「安倍貞任」のウィキペディアの記事から転載します。

(以下、こちらから転載)

津軽地方の豪族・安東氏(のち秋田氏)は貞任の子、高星の後裔を称した。

盛岡市出身で東京府知事の阿部浩も末裔を自認した。

第90・96代内閣総理大臣・安倍晋三も末裔であると日下公人に語ったとされ、また第23回参議院議員通常選挙に向けて北上市で遊説を行った際、「貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。その岩手県に帰ってきた」と聴衆に語りかけた。

(転載ここまで)

なお、「奥州安倍氏」のルーツには諸説あって、それが以下になります。

(以下、こちらから転載)

1.神武天皇に殺された畿内の王長脛彦の兄安日彦をその始祖とする説。

『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝によれば、安日彦の津軽亡命をもって安倍氏の発祥としている。「藤崎系図」にも同様の記述が見られ、真偽は別にして安倍氏の後裔はそのような自己意識を持っていたことは確かである。ただし、長脛彦を出自に関連づけているのは、平将門・藤原純友の後裔と称した武家が多数発生したのと同様に、武勇を尊んでの仮冒の結果とも考えられる。

2.奥州に下った中央豪族である安倍氏のいずれかが任地で子孫を残したとの説。

秋田の蝦夷の帰順を得た阿倍比羅夫につながる系図もある。これを受けて、明治期に編纂された華族類別録で安倍氏の子孫は、土御門家等阿倍氏と同じ孝元天皇の皇子大彦命の後裔であると位置づけられている。また、鎮守府将軍安倍比高の後裔とする説がある。

3.奈良時代に陸奥国に勢力を広げた阿倍氏から、陸奥南部の諸豪族が阿倍を冠した複姓(阿倍陸奥臣・阿倍安積臣、ほか)を賜与され支配関係を築かれたが、その子孫との説。

ただし復姓下賜が奥州南部にとどまり奥六郡のような北部に及んだ例がないこと、奥州の安倍氏にはこのような復姓を称した伝承が全く伝わっていないことをもって否定する見解もある。

4.朝廷に従った蝦夷(俘囚)とする説。

後世の研究では、蝦夷をアイヌの祖先と同一視する立場からabeをapeと読み替えて完全な土着の先住民とみる説もある。

(転載ここまで)

1では「安日彦」と「長脛彦」が出てきて、2では「阿部比羅夫」が出てきて、4では「蝦夷」が出てきます。

どれもこれも、名前こそ違えど、すべては「チュルク族」の末裔ですね。

ですから、これらすべての説はどれも正しいと考えて間違いなさそうです。

現首相の「安倍晋三」がはっきりと自分のことを「安部貞任」の末裔であると公言している以上、彼が自らのことを「チュルク族」の後裔であることを自覚していることは間違いないでしょう。

しかも、「チュルク族」は「カタカムナ」を崇めていて、「安倍晋三」も「カタカムナ」を元に作られた「イヤシロチ」を販売している「あらえびす」の代表者となっている。

さらに、「安倍晋三」の妻である「安倍昭恵」は、カタカムナ研究家「吉野信子」と双子と思えるほど、その顔がそっくり瓜二つ。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。

これが単なる偶然であるはずがありません。

「安倍晋三」の家系は、古代から現代まで「カタカムナ」を崇める祭祀一族であり、「安倍晋三」自身もこのことをはっきりと自覚しているに違いありません。

「あらえびす」の一員である「東出融」氏が私に接触し、私を取り込もうとしたということは、「安倍晋三」もまた私のことを知っていて、RAPTブログを入念に読んでいる可能性がありますね(笑)。

RAPT×読者対談〈第75弾〉あらえびす・東出融の正体(1)

RAPT×読者対談〈第76弾〉あらえびす・東出融の正体(2)

だから、このブログではずっと工作員の嫌がらせが絶えないわけです(笑)。

ちなみに、今回の対談では「アーリア人」と「チュルク人」を一緒くたにしてしまいましたが、この対談の後、「アーリア人」は「秦氏系」で、「チュルク人」は「出雲系」なのかも知れないと、ふと思い当たりました。

その根拠については、いずれ近いうちに詳しく記事にしたいと思っています。(まあ、分かる人はすぐに分かることだと思います。)

「秦氏」も「出雲族」も世界各地に散らばりつつ、その一部がそれぞれ朝鮮半島に流れ着き、「秦氏(あるいは大和族)」が「百済」を建国、「出雲族」が「新羅」を建国したわけでしょう。

彼らはご多分に漏れず、いつものようにここでも互いにバチバチと火花を散らすようになった。

そして、その戦いが「白村江の戦い」へと発展していった。

白村江の戦い – Wikipedia

その際、日本の「皇極天皇」が「百済」と手を組み、中国の「唐」が「新羅」と組んで、互いに交戦した。

その結果、「唐」と「新羅」の連合軍(出雲族)が勝利したわけですが、ちょうどこの戦いの十年ほど後に、日本で「壬申の乱」が起きています。

壬申の乱 – Wikipedia

「白村江の戦い」が西暦663年で、「壬申の乱」が西暦672年です。

「壬申の乱」は、当時の天皇「天智天皇」の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が反旗をひるがえしたクーデターだと言われています。

しかも、古代日本最大級のクーデターだと言われています。(出典はこちら

この「壬申の乱」を起こした「天武天皇」は、この戦いのときに「赤」い旗を掲げていたとのこと。

(以下、こちらから転載)

天武は壬申の乱のおりに、自分を百姓(侠客)上がりの漢の高祖劉邦になぞらえて劉邦と同じ赤い旗を使用しているが、身内同士の争では例えとして合っていない。

(転載ここまで)

つまり、「天武天皇」は「秦氏」だったわけです。

この「天武天皇」が勝利したということは、歴史の流れとしてはこういうことになります。

先ず「白村江の戦い」で「出雲族」が勝利し、「秦氏」が敗れて、「出雲族」の日本支配が固まろうとした。

そこで慌てて「秦氏」が「壬申の乱」を起こし、「出雲族」に逆襲した。

その結果、「秦氏」が「出雲族」を倒し、「秦氏(大和族)」による日本の支配が確立した。

で、「大和朝廷」が開かれた……。

ちなみに、「聖徳太子」は「秦河勝」という名の「秦氏」であり、彼は「白村江の戦い」が起きる40年ほど前に「出雲族」の「蘇我氏」によって暗殺されています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。

つまり、「聖徳太子」のときから既に「秦氏」と「出雲族」の争いは激化していて、その延長として「白村江の戦い」という世界大戦が勃発したと考えられるわけです。

「白村江の戦い」に敗れた「秦氏」が、「壬申の乱」で「出雲族」を滅ぼし、「大和朝廷」を開いた上、自分たちの権力の正当性をでっちあげるため、「古事記」を712年に編纂、「日本書紀」を720年に編纂したというわけでしょう。

こうして見てみると、「関ヶ原の戦い」の1000年前に起きた天下分け目の戦いとは、「白村江の戦い」と「壬申の乱」のことだったと考えられます。これはもう間違いありませんね。

ここで、話はさらに古代に遡ります。

日本の初代天皇は「神武天皇」で、彼はもともと「日向」にいました。

「日向」とは現在の「宮崎県」のことで、古代のこの近辺には「秦王国」なる国家が存在していました。これについては、以下の記事でも既に書いた通りです。

RAPT×読者対談〈第98弾〉サブカルチャーに隠された悪魔の紋章。

「秦王国」とはすなわち「秦の始皇帝」の統治国のことです。つまり「秦氏」側の国ということです。

今では「秦王国」が福岡にあったという説や、下関にあったという説などあって、諸説紛々としています。

■福岡説

秦王国について

■下関説

秦王国の首都は穴門の国の北浦海岸(下関)|日本の歴史と日本人のルーツ

しかし、大分県にある「宇佐神宮」が「秦王国」の中心地であると唱える人もいます。

宇佐八幡神は新羅の神だった

なので、「秦王国」は九州のかなり広い地域を支配していたのではないかと私は考えています。

ちなみに、このリンク記事では、「秦氏」が「新羅人」だったということになっていて、その「新羅人」は「出雲族」ですよね。

ということは、「秦氏」ももともとは「出雲族」だったということになり、RAPT理論とは矛盾してしまうのですが、実のところ、私はこの歴史的事実からまた新たなる事実を発見することになりました。

確かに「秦氏」と「出雲族」は敵対しています。

しかし、「秦氏」はもともと「出雲族」の一派だったのでしょう。

しかし、その後、何らかの理由があって彼らは「出雲族」に反抗し、「大和族」へと転身してしまったわけです。

その証拠については、いずれ近いうちに記事にする予定です。どうぞお楽しみに。

この日本国内において「秦氏」と「出雲族」の戦いが本格的に始まったのが「神武東征」のときから、と考えられるのですが、「神武天皇」はもともと「日向」にいて、その「日向」の周辺には「秦王国」があった。

ということは、「神武天皇」とは「秦王国」に住んでいた豪族だった、と考えられます。

この「神武天皇」が九州を発ち、大和地方を征服したという出来事が「神武東征」です。

神武東征 – Wikipedia

この「神武天皇」はこれまで何度もお話してきましたように、「赤」い服を着ています。なので、彼は明らかに「秦氏」です。

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〈神武天皇〉

この「神武天皇」と戦って負けた一人に「長脛彦(ナガスネヒコ)」がいるのですが、上にも書いた通り、この「長脛彦」の末裔が「奥州安倍氏」であり、その「奥州安倍氏」の末裔の一人に「安倍晋三」がいます。

また、上の転載記事もあります通り、「カタカムナ」を祀っていた「アシアトウアン」という一族も、九州で天皇家と戦って敗北したとのこと。

ここで、「アシアトウアン」と「長脛彦」に一つのつながりが見えてきます。

確かに「長脛彦」は奈良で「神武天皇」に倒され、「アシアトウアン」は九州で「天皇家」に倒されたことになっているので、それぞれ彼らのいた地域は違います。

しかし、彼らは同じ「秦氏」と戦って負けたわけですから、「長脛彦」と「アシアトウアン」が同じ一味であったことは間違いありません。

実際、「アシアトウアン」は「金官加羅」のことだとも言われていて、「金官加羅」は3世紀から6世紀にかけての王朝だと言われていますから、ちょうど「神武東征」の時期ともかぶります。

金官加羅 – Wikipedia

邪馬台国と神武東征

前にもお話しました通り、近年に入って「カタカムナ文献」を受け継いだのが「楢崎皐月」です。それが「1949年」のことです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第79弾〉カタカムナとあらえびすとイヤシロチ詐欺。

この「楢崎皐月」から「カタカムナ文献」を受け継いだのが「宇野多美恵」という女性なのですが、実はこの「宇野多美恵」。

その別荘が火災に遭い、その際に彼女自身も焼死してしまったそうです。

しかも、この火災のときに「カタカムナ文献」の原本も一緒に燃えてしまったとのこと。

(以下、こちらから転載)

カタカムナ文献の研究は楢崎皐月から宇野多美恵さんに引き継がれますが、分厚い全16冊の「相似象」を刊行した後、最後の81首目の解読中の2006年11月、軽井沢の別荘が全焼して死亡します。

ここでカタカムナ文献の原本はすべて失われてしまったそうです。

焼け跡からは、宇野多美恵さんの焼死体箇所が最も激しい温度で焼けことが明らかになり、別荘から離れた車も全焼、息子さんが車中から焼死体で発見されています。

(転載ここまで)

この出来事もまた「秦氏」と「出雲族」の争いだったのでしょうか。

それとも、「カタカムナ」を言葉として残しておきたい勢力と、言葉として残したくない勢力との間に争いがあったのでしょうか。

いずれにせよ、この放火事件(?)によって「カタカムナ文献」はこの世から消滅してしまいました。

「楢崎皐月」ですが、実は彼は第二次大戦のときに「満州」に派遣されています。

しかも、彼が「満州」にいたときに「アシアトウアン(アシア族)」に関する話を聞かされたそうです。

以下、ウィキペディアによる「楢崎皐月」の略歴です。

(以下、こちらから転載)

1899年5月9日、山口県東萩の母方の実家で誕生した。その後、北海道札幌市で育った。

《RAPT註:山口県は「安倍晋三」の生まれ故郷でもあります。》

母方の祖父・楢崎寛直は旧長州藩士で、初代長野県令を務めた。実父・丹野軍治は旧伊達藩士で、屯田兵として北海道の開拓に従事した。後に楢崎家を継ぎ、中学校卒業後上京。

1917年、日本電子工業・電気学校で学んだ。卒業後、20代で国産の特殊絶縁油を開発。日本石油と契約を結び、フリーランスの技術者として活躍。

その後石原莞爾の助言を受け、福島県相馬郡に亜鉛から人造石油をつくるプラント工場を設立した。

1943年、東條英機の要請により、満州吉林省河北の陸軍製鉄技術試験場の所長として赴任した。陸軍の製鉄所の建設地決定の為に大地電気分布の構造を実測した。

1944年、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)について聞かされた。

その時、老師に伝わっている鉄器の熱伝導のよさに驚いた(木の葉で湯が沸いた)。

(以下、こちらから転載)

で、この「満州」。

先ほど、「斉明天皇」の時代に「阿倍比羅夫」が「蝦夷」を討伐したとお話しましたが、実は「蝦夷」は「粛慎」とも呼ばれていて、「粛慎」はもともと「満州」に住んでいたツングース系の狩猟民族なのです。

(以下、こちらから転載)

粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ、拼音:Sùshèn)とは、満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方)に住んでいたとされるツングース系狩猟民族。

また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。

この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)が粛慎人の自称を音訳した呼び名である。

息慎(そくしん、Xīshèn),稷慎(しょくしん、Jìshèn)とも表記される。

中国の周代の文献の中にしばしば見られるほか、日本の『日本書紀』の中にも粛慎の記述が見られる。ただ、中国文献中の粛慎と日本文献中の粛慎の存在した時期にかなりの開きがあり関係性は不明。

後代の挹婁,勿吉,靺鞨,女真(満州族)と同系の民族と考えられている。

(転載ここまで)

この「粛慎」のことを「蝦夷」と同じ氏族であると考えている人がいる、とウィキペディアには書かれてあります。

(以下、こちらから転載)

日本で最初の正史の『日本書紀』にも粛慎のことが記されている。

ただ、日本書紀に出てくる粛慎は、中国の古典に出てくる粛慎と数百年の開きがあり同一のものであるとする確証はない。

日本書紀に粛慎が出てくる箇所は大きく分けて、以下のように3ヶ所ある。

1.欽明天皇の時に佐渡島へ粛慎が来たこと

2.斉明天皇の時の阿倍比羅夫の粛慎討伐

3.天武天皇・持統天皇の時の粛慎の来訪と官位を与えたこと

日本書紀に出てくる粛慎についてどのような集団かという説はさまざまあるが、おおむね以下のようにまとめられよう。

蝦夷(えみし)と同じ。粛慎と呼ぶのは中国の古典にも出てくる由緒ある名前であるからとする。

蝦夷とも中国の文献に出てくる粛慎とも違う民族。(ニヴフ、アレウトなど、もしくは現存しない民族)

中国の文献に出てくる粛慎と同じ民族であるツングース系の民族。

また北海道のオホーツク海沿岸や樺太などに遺跡が見られるオホーツク文化(3世紀~13世紀)と関連すると考える人もいる。

粛慎の訓は「みしはせ」とする説と「あしはせ」とする説とがあり、未だに定まっていない。

見の字を略したミの音を表す変体仮名が、片仮名のアと字形が似ているため、このような混乱が生じている。

(転載ここまで)

「出雲族」は第二次大戦の際に「満州」にユダヤ人国家を作ろうと計画し、失敗しました。(この計画が「出雲族」による計画だったということは、次回、詳しく記事にする予定です。)

満州国へのユダヤ人移民計画が失敗し、パレスチナにイスラエルが建国されるまで。または「河豚計画」が声を大にして語られない理由。

しかし、現代に入ってから、「出雲族」はまたしてもこの計画を推し進め、性懲りもなくユダヤ人の国を「北海道」に作ろうとしています。

そして、その北海道のユダヤ人国家に「蝦夷共和国」という名前をつけようとしています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。

なぜ「満州」に作ろうとしたユダヤ人国家を、今度は「北海道」に作ろうとしているのか。

そして、なぜその国に「蝦夷共和国」という名前をつけようとしているのか。

今の今までそれがずっと謎でしたが、「満州」も「北海道」も彼ら「蝦夷=粛慎(出雲族)」にとって深い縁のある土地です。

だから、彼らはこんな計画を長きに渡って進めようとしてきたのです。

ということで、ここで一旦、話の要点をまとめます。

…………………

1.「斉明天皇」の時代に「阿倍比羅夫」が「蝦夷」を討伐し、東北と「北海道」に追いやる。

2.「蝦夷」は「粛慎」とも呼ばれ、「満州」に住んでいたツングース系の狩猟民族。

3.第二次大戦のとき、出雲族は「満州」にユダヤ人を移住させようと「河豚計画」を進めて失敗。

4.現在、「蝦夷」の一部は「北海道」に住んでいるが、その「北海道」にユダヤ人を移住させる計画がある。

6.その北海道のユダヤ人国家に「蝦夷共和国」という名前をつける予定になっている。

7.第二次大戦中、「満州」に「楢崎皐月」が派遣され、彼はそこでカタカムナ文献を崇めていた「アシア族」の話を聞かされる。そして、その後「カタカムナ文献」を受け継ぐ。

8.「阿倍比羅夫」は後に「奥州安倍氏」となる。

9.「奥州安倍氏」は「カタカムナ文献」を崇めていた「アシア族(アシアトウアン)」の末裔。

10.「安倍晋三」は「奥州安倍一族」の末裔の一人。

11.「出雲族」の陰陽師「蘆屋道満(あしやどうまん)」の名前は、「アシアトウアン」に由来がある。

12.カタカムナを崇める「あらえびす」は、漢字にすると「荒蝦夷」であり、その代表者は「安倍晋三」。

13.「あらえびす」はイヤシロチを販売していたが、そのイヤシロチの最初の考案者は「楢崎皐月」である。

14.「アシア族」は古代日本において「秦王国」に負けた氏族。つまりは「出雲族」である。

…………………

古代から現代に至るまで、ありとあらゆる出来事が一つにつながってしまいました。

● 蝦夷 = 粛慎 = アシアトウアン = 芦屋道満 = 満州 = 北海道 = 奥州安部氏 = 安倍晋三 = あらえびす = 楢崎皐月 = 出雲族

ついでに言っておくと、「満州」や「北海道」に移住させられようとしているユダヤ人は、本物のユダヤ人(ユダヤ教徒)ではありません。

本物のユダヤ教徒は「旧約聖書」を信じていますが、彼らは「悪魔教(タルムード)」を信じているに違いないからです。

そして、その偽ユダヤ人たちもまた「アシアトウアン」なる一族の末裔なのでしょう。

つまり、彼らは「出雲系・月派」の悪魔崇拝者(イルミナティ)に違いありません。

なぜなら、ジョン・タイターの地図もこの「蝦夷共和国」は「緑(出雲系・月派の色)」で囲まれていますし、今年に入って開通した「北海道新幹線」も「緑」に塗装されているからです。

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〈北海道新幹線〉

また、「安倍晋三」を首相として祀り上げている自民党も、現在のホームページは「緑」が基調になっています。

2016年 参院選特設サイト|「この道を。力強く、前へ。」自由民主党

また、自民党から分裂して都知事選を戦った「小池百合子」も、そのホームページは同じ「緑」。

小池ゆりこ オフィシャルサイト | 小池ゆりこ衆議院議員の公式ホームページです。

要するに、「小池百合子」が自民党から分裂して戦ったというのは嘘で、彼らはみんな同じ穴のムジナ、つまり同じ「出雲系・月派」の連中なのです。

恐らく彼らは、今後、総力を結集して「蝦夷共和国」を北海道に建国し、ジョン・タイターの予言を実現していくつもりなのでしょう。

彼らのもともとの先祖は「チュルク族」ですが、「チュルク族」の使っていた「チュルク語」は、「日本語」と同じ「膠着語(こうちゃくご)」という種類の言語で、「日本語」と文法などが全く同じなのだそうです。

さらに言うなら、「チュルク族」は「オロッコ族」とも呼ばれていて、「オロッコ族」は「ウィルタ」とも呼ばれ、「ウィルタ」もまた「粛慎」と同じツングース系民族。

そして、「ウィルタ」の一部は現在、北海道に移住しているとのこと。

(以下、こちらから転載)

ウィルタ(UILTA, Orok)は、樺太(現在のサハリン州中部以北)の民族で、ツングース系である。

アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた。

本来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である。

樺太では中部・北部に暮らし、シベリアのツングース系諸族と交流をもったほか、樺太北部のニヴフ、南部のアイヌとも交易をしていたと伝えられている。

2002年(平成14年)の国勢調査によると、346人がオホーツク海沿岸の樺太北部および南部のポロナイスク(旧敷香町)近郊に居住している。現在では、一部がロシア人との混血が進んでいる。

第二次世界大戦前に日本領だった南樺太に居住して日本国籍をもっていた者は、日本の敗戦後に北海道(網走市など)へ移住したりした。

1978年の時点では網走市に6世帯13人いたという調査結果が得られている。

現在の人口は情報が乏しく、推測すら出来ないため不明となっている。

(転載ここまで)

つまり、「ウィルタ」もまた「蝦夷」と同じ「チュルク族」の末裔であり、「満州」や「北海道」と深く関わりがあるということです。

要するに、この「ウィルタ」もまた「蝦夷」と喋る言語こそ違えど、同じ「出雲族」ということです。まあ、日本の「ホピ」みたいなものでしょうか。

ここで先ほどの「神武天皇」の話に戻ります。

「神武天皇」の後の二代目から八代目の天皇の時代のことを「欠史八代」といって、「古事記」でも「日本書紀」でもこの時代のことはかなりあやふやに書かれています。

欠史八代 – Wikipedia

このことについては、私も過去に以下のような記事を書きました。

二代目天皇「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。古事記と日本書紀から削除された怪しげな天皇家の記録。

では、この「欠史八代」とはどんな時代だったのか。

これについては、様々な人が様々な説を唱えているのですが、その説の一つに「葛城王朝説」なるものがあります。

(以下、こちらから転載)

■葛城王朝説

初代神武天皇から欠史八代までの系譜を10代の崇神天皇の一族とは別の王朝のものと考え、その王朝の所在地を葛城(現在の奈良県、奈良盆地南西部一帯)の地に比定する説。

この葛城王朝は奈良盆地周辺に起源を有し、九州を含む西日本一帯を支配したが、九州の豪族である崇神天皇に併合されたと考える。

この葛城王朝説は邪馬台国論争とも関連させて考えることができ、この説を発展させて邪馬台国は畿内にあったとして葛城王朝を邪馬台国に、崇神天皇の王朝を狗奴国にそれぞれ比定する説や、邪馬台国は九州にあったとして崇神天皇の王朝が邪馬台国またはそれに関連する国、あるいは邪馬台国を滅した後の狗奴国と考え、それが畿内に東遷したとする説もある。

(転載ここまで)

見ての通り、「欠史八代」の時代に、奈良盆地の辺りに「葛城王朝」という王朝があって、この「葛城王朝」こそが「邪馬台国」であるという説や「狗奴国(くなこく)」であるという説があるとのこと。

「邪馬台国」については皆さんも御存知だと思いますが、では「狗奴国(くなこく)」とはどんな国だったのか。

この当時、日本には「倭(わ)」という国と「奴(な)」という国がありました。

倭国 – Wikipedia

奴国 – Wikipedia

「奴(な)」の分国として「狗奴国(くなこく)」があったそうです。

しかも、魏志倭人伝によると、「狗奴国」は「邪馬台国」と争っていたとのこと。

(以下、こちらから転載)

狗奴国(一般的には「くなこく」と読む)は、中国の三国時代の歴史書三国志(西晋の陳寿の作)のうちの魏書の中の魏書東夷伝に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国。

3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。

その名称からも、元は奴国の分国ではないかという説があるが、単に「クの国」(「奴」は「の」という意味に過ぎない)という説もある。

(転載ここまで)

このように、「邪馬台国」と「狗奴国」が争い合っていたということは、「邪馬台国」「欠史八代」の時代もまた、巨大な二つの勢力が争い合っていたということになりますね。

恐らくこういうことでしょう。

■倭 = 邪馬台国 = 大和族(秦氏)
■奴 = 狗奴国 = 出雲族

こんな肝心なことを我々は歴史の授業では全く習いません。

とにかくイルミナティの連中は、この日本の歴史が、古代から現代に至るまで「秦氏」と「出雲族」との争いによって成り立ってきた、という事実を隠したがっているようです。

そのため、我々庶民がいくら日本史の勉強をしても、全くのちんぷんかんぷんで、何一つまともな歴史的なストーリーを組み立てられなかったわけです。

その結果、歴史の授業のすべてが、面白くも何ともない詰め込み式の授業になってしまっていたわけですね。

ちなみに、以下のリンク記事を読む限りでは、やはり「葛城王朝」が「出雲族」であることは間違いなさそうですね。

(以下、こちらから転載)

秦一族の初渡来・・・

秦一族の最初に渡来して来た時代は、天皇はまだ居ない・・・。 

天皇制度がまだ無いからだ。日本は存在しない・・・。

ではこの国は何だ・・・? 

この国は、中国大陸の領土であった。その名も「倭」という。

邪馬台国の卑弥呼も大陸側に使いの者をやり、中国本土側から卑弥呼を女王として認めるという金印を貰い、女王として認めて貰う話しである。

だが・・・

それも‘邪馬台国’だけでの話しであり、倭の女王ではない・・・。

倭は、北九州の豊国(とよのくに)に‘秦王国’があり、現在の大分県と福岡県が一つの国であった。いわゆる‘秦一族’の拠点である。

豊国は後に豊前(とよのまえ:ぶぜん)と、豊後(ぶんご)に分れ、今に到る。

秦王国があったのは文献によれば、瀬戸内の沿岸付近とあるので豊前の側に拠点があった。だが実際には豊国全体に秦氏が居たのは言うまでも無い。

この時代、歴史で言えば‘弥生時代’である。 

それまでの‘縄文時代’はと言えば、先住民はフンドシ一丁のほとんど裸同然の原始時代。 

身体には刺青タトゥーを彫り、片手には槍を持って、獲物を追いかけていた。 

縄文時代の土器を見ると、明らかに弥生式の土器とは全く違うものだ。 

器や土偶はデザインがまるで別の物であり、縄文人のデザインの方が細かくて精巧に作られている。それに大して弥生式は‘ヌペーッ’とした作りだ。

日本人の先住民と言われている‘アイヌ人’は、文献には‘白人=しらひと’と記されている。 

白人とは何か?? 謎であったが、調べて行く内にこの白人とは脱字の‘木’の文字があるのが判った。白人とは、‘白木人’である。

先住民:アイヌ人は、白木人=シラギのヒトであった。先住民とは言うが、アイヌ人も渡来人である。

「倭」は他に奈良県の葛城山に‘葛城王朝’があった。

日本の古い氏族としてここには葛城氏の一族が拠点としていた。

葛城王朝は短くして滅んだと言われているが、葛城氏の襲津彦(そつひこ)によって、一時的に復活している。

が、結局滅ぶ・・・。 

秦一族の何度目かの渡来である弓月君の一団が渡って来た時代。

これは天皇が居るので、時代は倭の時よりも大分後になるのだが、その弓月君が連れて来たという秦一族がまだ新羅で足止めを喰らっていて渡来出来ないでいる話しにも登場しているのが、この葛城の‘襲津彦’である。

面白い話しのつながりである。

そもそも葛城王朝の襲津彦にとっては、天皇家など大したものとは思っていなかったのが本当の所だ。 

新羅で足止めされている秦一族を連れて来ると天皇家に言って新羅に渡っているが、新羅に行って歓迎されて、そのまま帰らず、天皇家の怒りを買っているのだ。面白い男だ・・・。

だが、それだけの権限があればこそであろうな・・・。

‘王権’を持っていながら‘自由な男’というイメージがある。

結局、葛城王朝を復活させながらも、それを滅ぼしたのもこの男である。

何とも言いがたい所があるが、この葛城王朝は滅んだとは言え、その血脈までは滅んだ訳ではない。 

この滅んだ王朝の血脈から継承して出て来た一族がいるのだ。

それが‘蘇我氏’と‘賀茂氏’である・・・。

(転載ここまで)

また、今回の対談の中で出てくる「金印」は以下になります。

King_of_Na_gold_seal

〈金印〉

この金印のことを「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」と言って、漢から「倭」と「奴」に送られた金印という意味ですが、この「倭」と「奴」が争っていたということが最初から分かっていれば、RAPT理論ももう少し早くから解明できていたかも知れません。

あと、最後の補足になりますが、現在の天皇は、自分たち天皇家が「百済」と深い縁がある、という話をしたことがあります。

(以下、こちらから転載)

『天皇陛下は23日、68歳の誕生日を迎えた。これに先立って記者会見し、深刻化する経済情勢が国民生活へ与える影響を案じ、この1年の出来事を振り返った。

日韓共催のサッカーワールドカップ(w杯)との関連で、人的、文化的な交流について語る中で「韓国とのゆかり感じてます」と述べた。

「残念な」歴史にも触れ、両国民の交流が良い方向へ向かうよう願う気持ちを示した。

w杯の共同開催国、韓国に対する関心や思いを問われ、陛下は、同国からの移住者らによって文化や技術が伝えられたことに触れる中で

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、【韓国とのゆかり】を感じています。

武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招聘されるようになりました。

また、武寧王の子、聖明王は日本に仏教を伝えたことでしられております」

と語った。』とあります。

…………………

「百済」というと、「白村江の戦い」で「新羅=出雲族」と戦った国です。なので、「大和族(秦氏)」側の国ですよね。

この「百済」とゆかりを感じているということは、やはり現在の天皇は「出雲族」ではなく、「大和族(秦氏)」にゆかりがある、ということになります。

しかし、現在の日本では「出雲族」が勢力を強めている。

そのため、「大和族(秦氏)」にゆかりのある今上天皇は、今や「生前退位」へと追い詰めてしまったわけでしょう。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第102弾〉天皇の生前退位のカラクリ。

ということで、RAPT理論はついに古代史の謎をもはっきりと解明してしまいました。

これからさらなる歴史の解明が進んでいきます。どうぞお楽しみに。

RAPT×読者対談〈第106弾〉出口王仁三郎と日本軍による世界征服計画とその失敗。

前回の対談で「カタカムナ」と「満州」のつながりについて、歴史的にかなり深いところまで探りを入れながらお話をしました。

この対談では、これまで出てきたことのない人物や歴史用語がかなり出てきたので、戸惑ってしまった方も多かったかもしれません。
 
私としては、できれば初心者の方にも分かるような平易な記事を書くするよう普段から心がけているのですが、やはりRAPT理論をさらに展開していくためには、前回のような難しい記事もアップする必要があります。
 
しかも、たまにこういう記事をアップしておかないと、工作員が私のことを舐めてかかってきます。
 
逆に、こういう難しい記事を書いておくと、工作員の知能の低い頭ではとても理解することができないので、イチャモンをつけることも反論することもしてきません。
 
実際、〈第105弾〉をアップしたとたん、悪口コメントがぴたりと来なくなりました(笑)。
 
この〈第105弾〉をアップする前日、8月15日にはいくつもの悪口コメントが殺到したにもかかわらず。
 
これにて、またしても工作員の知能がいかに低いかがよく分かりました。
 
いずれにせよ、私は悪口コメントが来る度に、それを書いた者たちの滅亡を徹底的にお祈りしています。
 
恐らく今頃、彼らは地獄のような苦しみを味わって、私を攻撃してきたことを激しく後悔していることと思います。
 
前にも言いましたように、今年2016年の6月19日を境として、神様は容赦なく向こう側の連中を裁いています。
 
なので、冗談半分で私につっかかってくると、後で本当に大変な目に遭って、激しく後悔することになりますので、どうぞ十分にご注意ください。
 
ということで、今回もまた「満州」に関するお話です。
 
「満州」にユダヤ人を移住させる計画を最初に言い出したのが、大本教の教祖「出口王仁三郎」です。これは以下の記事でも詳しく書きました。
 
RAPT×読者対談〈第89弾〉ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。
 
そして、この「出口王仁三郎」は「出口すみ」と結婚して、何人かの子供を生んでいますが、その長女が「出口直日」で、「高見元男」なる人物と結婚しています。

《RAPT註:今回の対談で「高見元男」のことを「出口王仁三郎」の子供だとお話していますが、正しくは、出口王仁三郎の「娘婿」になります。訂正してお詫びいたします。》

この「高見元男」はその後、「出口日出麿」と名乗り、出口王仁三郎の後を継いで「大本教」の教祖となる予定だったのですが、「第二次大本事件」で起訴された後、病気で死んでしまいます。
 
出口日出麿 – Wikipedia
 
よくよく見てみると、この「出口日出麿」の出生地は「岡山県倉敷市」。
 
大本教の信者で、その後、「国常立尊」から啓示を受けて「日月神示(ひふみ神示)」を書いた「岡本天明」もまた「岡山県倉敷市」の出身です。
 
岡本天明 – Wikipedia
 
今、「出雲族」の連中は、岡山に「岡京」なる日本の首都を作ろうとしていますが、それはやはりこの「出口日出麿」や「岡本天明」などとも深い関係があるのかもしれません。
 
RAPT×読者対談〈第81弾〉ジョン・タイターが予言した三つに分断された日本。
 
この「岡山」は古代においては「吉備」と呼ばれていて、その当時、「吉備」は「筑紫」「出雲」「大和」などと並ぶ有力な勢力の一つだったそうです。
 
吉備国 – Wikipedia
 
「筑紫」といえば「福岡県」のことで、恐らくこれは前回出てきた「秦王国」と何らかの関係があるのでしょう。
 
しかし、古代の日本において、「筑紫」「出雲」「大和」「吉備」などと幾つもの国家が林立していたという話は、人によっては初耳なのではないでしょうか。
 
何しろ、学校の授業では「邪馬台国」のことしかほとんど習いませんからね。
 
だから、古代日本には「邪馬台国」という一つの国家しか存在していなかったと、ほとんど誰もが認識しています。
 
しかし、どこからどう調べてみても、古代日本にたくさんの国家があったことは確かな事実です。
 
そして、このように古代日本にたくさんの国家があったという説のことを「多元王朝説」と呼んでいるそうです。
 
多元王朝説 – Wikipedia
 
この「多元王朝説」を最初に唱えたのは「古田武彦」という人だそうですが、この人もやはり古代の「九州地方」に巨大な国家が存在していたと主張しています。
 
九州王朝説 – Wikipedia
 
ただし、「古田武彦」氏はこの「九州王朝」のことを「秦王国」とは呼んではいません。
 
そして、彼はこの「九州王朝」の首都が「太宰府」だったと言っています。
 
この「太宰府」とは何なのかと思って調べてみると、ウィキペディアにはこう書かれてありました。
 
(以下、こちらから転載)
 
大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。
 
大宝律令以前には吉備大宰(天武天皇8年(679年))、周防総令(天武天皇14年(685年))、伊予総領(持統天皇3年(689年))などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。
 
(転載ここまで)
 
見ての通り、「吉備=岡山」にも「太宰府」があったとのこと。
 
つまり、「筑紫」と「吉備」は当時はかなり仲が良かった、ある意味、同盟国のようなものであったと考えられるわけです。
 
さらに言うなら、この「太宰府」に関係のある人物として、ウィキペディアには次のような人物が挙げられていました。

(以下、こちらから転載)
 
■関係人物
 
・石川王 – 壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に与して功績を上げた。吉備大宰在任中の679年(天武天皇8年)に吉備で病死。他に例のない5段積みの方墳である大谷1号墳(岡山県)がその墓との説が有力である。
・栗隈王 – 敏達天皇の孫(曾孫とも)。大宰帥の前身にあたる「筑紫率」に任命された。壬申の乱の際、筑紫の軍は外敵に対するもので国内の争いに用いるべきではないとして中立を宣言、結果的に大海人皇子(天武天皇)の勝利に貢献して天武天皇から重用されることとなり、子孫が橘氏として繁栄する礎を築いた。
・藤原広嗣
・吉備真備
・大伴旅人(665年 – 731年) – 728年(神亀5年)から730年(天平2年)の晩年、大宰帥。大宰府へ赴任した直後に妻丹比郎女を失った。
・大伴家持
・大伴坂上郎女
・山上憶良
・小野岑守 – 大宰大弐として赴任中の弘仁14年(823年)に公営田の導入を建議、翌天長元年(824年)に多褹国を大隅国に編入した。
・菅原道真 – 大宰員外帥として赴任するが、大宰府政庁には一度も登庁せず。
・藤原隆家 – 眼病治療のために自ら望んで大宰権帥として赴任。その後、刀伊の入寇に遭遇し、現地での陣頭指揮を執った。
・橘公頼
・高階成章 – 太宰大弐(1055年 – 1058年)。「欲大弐」の綽名がある。妻は歌人の大弐三位。
・藤原長房 – 太宰大弐(1092年 – 1094年)。
・平清盛(1158年) – 大宰大弐となる。
・武藤資頼(1226年 – 1228年) – 武士ながら大宰少弐に任ぜられ、少弐氏の祖となる。
 
(転載ここまで)
 
太字にしたところが特に重要です。
 
先ず最初の「石川王」と「栗隈王」ですが、彼らは「壬申の乱」で「天武天皇」に与したとあります。
 
「天武天皇」は前回の記事でも書きました通り、「秦氏」です。
 
ですから、これだけ見ても、「太宰府」と「秦氏」の関係が深いことは明らかです。
 
つまりこの「九州王朝」、すなわち「筑紫」は、「秦氏」の国家だったということです。少なくともその可能性が高いです。
 
しかも、「石川王」は「吉備」にも赴任していて、岡山県の「大谷1号墳」は彼の墓だとまで言われているとのこと。

「筑紫」と「吉備」がどれだけ関係が深かったのかがよく分かります。
 
さらに、もうひとつ太字にしたのが「吉備真備」ですが、彼は「岡本天明」と同じ「岡山県倉敷市」の出身。
 
吉備真備 – Wikipedia
 
そして、この「吉備真備」から後の「賀茂氏」が誕生したという説もあります。
 
そして、かの「徳川家」も「賀茂氏」の末裔にあたります。
 
徳川氏 – Wikipedia
 
さらにもう一つ太字にしたのが「平清盛」ですが、彼もまた「大宰大弐」となった、とありますね。(「大弐」とは、「最高位」という意味です。)
 
「平清盛」が「秦氏」であることは間違いのない事実です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
平清盛が平家をロスチャイルド家にしてしまった可能性。または「密教」と「日の丸」に隠された意味。
 
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
 
なので、やはり「太宰府」は「秦氏」とゆかりが深い、と考えて先ず間違いなさそうです。
 
今回の対談でもお話していますように、「秦氏」とゆかりの深かった「吉備の国」は、その後、「出雲の国」を征服しようとして失敗。
 
その後、「大和の国」と同盟を結び、日本列島の統一をともに目指したものの、「大和の国」から警戒されて謀略に遭い、勢力を削がれていったとのこと。
 
(以下、こちらから転載)
 
吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗。
 
以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視された。
 
河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されていった。
 
(転載ここまで)
 
さらにその後、「吉備の国」は「大和朝廷」から抑圧され、「吉備氏の乱」を決行しました。
 
しかし、この反乱は失敗し、かえって「大和の国」の勢力が拡大していくことになりました。
 
(以下、こちらから転載)
 
5世紀に雄略天皇は地域国家連合体であった国家をヤマト王権に臣従させて中央集権を進めるために、最大の地域政権の一つ吉備に対して「反乱鎮圧」の名目で屈服を迫った。
 
吉備下道臣前津屋の乱(463年)と吉備上道臣田狭の乱(463年)の「反乱鎮圧」を成功させてヤマト王権の優位を決定づけ、さらに雄略の死の直後の吉備稚媛(雄略妃)と星川稚宮皇子(雄略の息子)の乱(479年)でまたしても吉備の勢力を削減させている。
 
(転載ここまで)
 
つまり、「吉備の国(岡山)」は、もともとは「秦氏」と手を組んで「出雲族」を倒そうとしたものの、それに失敗した挙句、さらには「大和族」からも嫌われてしまったわけです。
 
この「吉備」から後に「徳川家康」が出てきて、「出雲族」の天下を築いた……。
 
ということは、やはり「吉備」は今現在では「出雲族」に深いかかわりがあるということになります。
 
ただし、先程も言いましたように、「吉備氏」から「賀茂氏」が出てきたわけですが、「賀茂氏」のウィキペディアを見てみると、「賀茂氏」には「天孫系(賀茂県主)=大和系」と「地祇系(三輪氏族)=出雲系」とに分かれているようです。
 
賀茂氏 – Wikipedia
 
なので、「吉備」とか「賀茂氏」とか言っても、単純に「出雲族」だとは決められないようです。
 
それこそ、「筑紫」が「秦氏」で、「大和」が「大和族」で、「出雲」が「出雲族」なら、「吉備」は「月派」なのかな、と勘ぐってしまいます。
 
そして、「月派」の勢力にも「新月派」と「満月派」がいるとのことですから、「吉備」の勢力もときに「秦氏」にくっついたり、ときに「出雲族」にくっついたりしているのかも知れません。
 
ちなみに、「吉備」が「岡山」なら、「阿波」は「徳島」で、「キビ」も「アワ」もどちらも「雑穀」の名前です。で、「アワ」という言葉は「カタカムナ」に度々出てきます。
 
アワ・キビ・ヒエ・キヌア(あわきびひえきぬあ)とは – コトバンク
 
また、雑穀の「キビ」を漢字で書くと「黍」ですが、「秦氏」の「秦」とそっくりですね。やはり「キビ」は「秦氏」と何らかの関係があるのでしょうか。

また、「カタカナ」が「カタカムナ文字」から作られたことは間違いないようですが、この「カタカナ」を作ったのが先ほど出てきた「吉備真備(きびのまきび)」なのだそうです。
 
(以下、こちらから転載)
 
【カタカムナ図象とカタカナ文字の関係考】
 
カタカムナ声音符とカタカナ文字の関係を確認しておくと次のような類似が認められる。

これを見れば、カタカナが、漢字の偏や旁(つくり)から採ったというよりもカタカムナの声音符を原形としているとみなすべきではなかろうか。
 
【豊国文字とカタカナ文字の関係考】
 
「上記」・「竹内文献」原文に使われていたり、宮崎県の天岩戸神社境内より出土の岩戸蓋石にも刻まれている豊国文字となるとカタカナとの繫がりがもっと直接的になる。
 
書体には豊国古体象字と“豊国新体象字”が存在しており、古体象字は一種の象形文字であり、越文字やサンカ文字」に酷似している。
 
新体象文字は更に力タカナと類似点がある。
 
力タカナを作ったのは吉備真備と云われているが、その際「上記」を参考にしていたことが十分考えられる。
 
(転載ここまで)
 
先程も言いましたように、「吉備真備」は「秦氏」系の人です。
 
前回の対談でもお話しましたように、「秦氏」といえば「アーリア民族」の「インド・ヨーロッパ語族」と深い関わりがあります。
 
だからこそ、現在の日本では「ヨーロッパ語(英語)」を書くときに、「カタカナ」で表記することになったのかも知れませんね。
 
「ペン」とか「ライス」とか「パソコン」という風に……。(かつての日本では無理やり漢字にこじつけていましたが。)
 
ということで、今日の本題に入ります。
 
「出口王仁三郎」こそ、ユダヤ人を満州に移住させる計画を立てた人物である……、ということについては、以前にもお話しました。
 
念のため、もう一度ここにそれに関する記事を転載しておきます。
 
(以下、こちらから転載)
 
王仁三郎は、中国道院・世界紅卍字会の協力のもとに数人の側近と共に入蒙(満州・蒙古)する。
 
王仁三郎は、中国道院との提携によって道院の宣伝使としての資格をもっていたので宗教の布教には支障がない。
 
そこで「まず宗教的に進出するのだ」と語り、宗教的・平和的に蒙古を統一し、東亜連盟実現の基礎を打ち立てたいと考えていた。
 
しかし、出口宇知磨に渡した手紙には、「ことの成否は天の時なり・・・王仁30年の夢いまやまさに醒めんとす・・・」と記されていた。成功する確率は低いと見ていたのであろう。
 
「王仁蒙古入記」によると、「蒙古王国の建設よりひいて新疆、チベット、インド、シナの全土を宗教的に統一し、東亜連盟の実行を成就し、ついでロシア、シベリアにその教勢をひろめ、パレスチナのエルサレムに再生のキリストとして現れ、欧米の天地に新宗教的王国を建設し、国祖の使命を完成せん・・・」。
 
王仁三郎は、蒙古だけでなくさらに西に進軍することを考えていた。この構想に、協力してきた人々もたまげてついていけなくなるのであった。
 
後日王仁三郎は語っている。
 
「蒙古から中央アジアをへて太古のエデンの園、太古のエルサレムへの世界の源をたずねにいくつもりだった。
 
人類文明の源アルメニアについては、わしの『霊界物語』にくわしくあらわしてある。ノアの方舟のひっかかっとる山へも登る気やった。
 
いまの人類史の始点にさかのぼると、もうひとつまえのムー大陸時代の文明の研究ということがやかましゅうなってくるだろう。馬にのって、くる日もくる日も走りまくった。
 
一週間ほどして、もうだいぶエルサレムも近づいたやろと地図をみてがっかりした。針で突いたほどもうごいておらん。地球というものはなんと大きなもんやろう」。
 
関西の一流財界人の集まりである清交社主催の「出口王仁三郎氏にものを聞く会」での答えであった。
 
王仁三郎は、張作霖の配下でチャハル方面の実力者、盧占魁の兵に守られ、霊界物語(大正10年の第一次大本事件後に王仁三郎が書いた第二の経典)と西王母の衣装(能楽『西王母』の主役が身にまとう衣装。西王母は女の神様で、中国古典に出てくる救世主)を積んだ車を引いて、自身は盧占魁から贈られた白馬にまたがって蒙古草原を進軍して行った。
 
王仁三郎は、ダライ・ラマだ、ミロクだといって進軍する。各地で「聖者来る」といううわさがひろまり、人々が群れ集まって王仁三郎を拝んだという。
 
もくろみは、端緒についたかにみえた。
 
しかし、事態は暗転する。満州の独裁者張作霖は、盧占魁の勢力が拡大することに危機感を募らせ、討伐軍を派遣する。盧占魁は捕らえられ殺される。
 
王仁三郎は、捕らえられ銃殺一歩手前までいく。あえなく、蒙古王国は潰え去ったのであった。わずか4ヶ月ほどの夢物語であった。しかし、日本ではやんやの喝采が巻き起こったのだった。
 
(転載ここまで)
 
このように「出口王仁三郎」は中国の「道院」と結託して、「世界紅卍字会」とともに宗教的な世界帝国を作ろうと構想していました。
 
「紅」は「赤」のことですから、もしや「満州計画」は「秦氏」の計画だったのではないかと思ってしまいがちですが、「出口王仁三郎」は明らかに「出雲族」の人間です。これについては、これまで何度もお話してきた通りです。
 
そのため、「満州計画」は「秦氏」の計画だったのだろうか、「出雲族」の計画だったのだろうか、それとも両方が結託していたのだろうか、と調べているうちに、今回の対談と相成りました。
 
日本政府もこの「出口王仁三郎」の計画に乗って「八紘一宇」、すなわち「大東亜共栄圏」を作ろうとしました。
 
八紘一宇 – Wikipedia
 
大東亜共栄圏 – Wikipedia
 
日本政府はこの「大東亜共栄圏」の計画の一環として「満州国」を作ろうとしたわけですが、結果的には、中国軍からの攻撃に遭って失敗しました。
 
「満州国」の旗は以下のように「黄色」です。

agents_in_berlin_manchukuo_1940

一方、張作霖は「中華民国」初期の政治家で、「中華民国」の旗は以下のように「赤」。

s_41.18

「満州国」が建国されるはずだった地域は、その後、「中華人民共和国」に組み込まれてしまったわけですが、「中華人民共和国」の旗は以下のとおり「赤」です。

s_41.54

要するに、「月派」の計画を「秦氏」が覆したというわけですね。
 
「出口王仁三郎」が「世界帝国」を作ろうとしていたのとほぼ同時期に、かの「クーデンホーフ・カレルギー」もまた、現在の「EU」の前身である「汎ヨーロッパ連合」を作ろうとしていました。
 
NWO(世界統一政府)の提唱者がフリーメーソンであり、日本人であるという確たる証拠。
 
NWOも原発もNHKも自動車もタクシーも、全てがフリーメーソン絡みの天皇の親戚一同の儲け話です。
 
この「カレルギー」の構想が、当時の右翼の総帥「頭山満」の構想していた「大アジア主義」と似ている、ということで、当時、かなり話題になったようです。
 
(以下、こちらから転載)
 
1 「EUの父」と似て非なり by 斎藤吉久
 
   ──鳩山首相の「友愛」を考える その1
 
▽1 クーデンホーフ=カレルギーを鳩山一郎が翻訳
 
鳩山由起夫首相の「友愛」は直接的には、祖父である鳩山一郎元首相の政治哲学を引き継いでいます。
 
「友愛社会の実現」を目的とする日本友愛青年協会なる財団法人があります。
 
鳩山一郎元首相の唱えた「友愛」を基調に、次代を創る青年の育成を目的として、昭和28年に創設された友愛青年同志会を母体としています。
 
現在の代表者は鳩山由紀夫理事長(休職中)その人です。
 
名誉会長は首相の母安子氏、副理事長には鳩山邦夫元総務相と長姉・井上和子氏の2人の名前が並んでいます。
 
興味深いことに、協会の主な活動には日中友好事業が含まれ、100億円のいわゆる小渕基金から助成を受けて、植林訪中団を毎年派遣しているようです。
 
さはさりながら、「友愛」は鳩山一郎元首相の独創ではありません。
 
ほかならぬ協会のホームページに説明されているように、昭和27年に、鳩山一郎氏が汎ヨーロッパ運動の主宰者であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの著書から発想を得たのが最初です。
 
鳩山由紀夫首相は「Voice」昨年9月号に掲載された「私の政治哲学」で、「祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである」と解説しています。
 
▽2 日本女性を母に、東京で生まれた
 
汎ヨーロッパ運動が評価され、再三、ノーベル平和賞候補に挙げられたというリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯は、日清戦争のさなかの明治27(1894)年、東京で生まれました。
 
父親のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーはオーストリア伯爵で、外交官でした。
 
東京駐在公使のおり、見初めたのが光子(旧姓青山)で、2人は結婚します。リヒャルトは次男で、日本名をエイジロウといいました。
 
夫ハインリヒが母国に帰国するとき、光子は昭憲皇太后の拝謁をたまわり、「外国に嫁いでも日本婦人たることを忘れぬように」とお言葉を得たことを、生涯、肝に銘じたといわれます。
 
日本人の母を持ち、日本で生まれたことが、リヒャルトの汎ヨーロッパ運動に少なからぬ影響を与えたことは十分、想像されます。
 
興味深いのは、鳩山一郎がリヒャルトに関心を持つはるか以前、俗に「右翼の総帥」といわれる頭山満がリヒャルトの存在に注目していたことです。
 
クーデンホーフ・カレルギー全集第1巻の巻頭にある木村毅の解説によれば、支那事変(日中戦争)が泥沼化していたころ、作家たちとともに従軍した木村は、軍の依頼を受け、占領地・漢口の放送局で、重慶に向けた和平提案のマイクの前に立ったといいます。
 
▽3 頭山満「大アジア主義」との共通性
 
しばらくして、「不思議な反応」があらわれます。
 
重慶ではなく、日本の内地から、頭山の使者なる人物が漢口に飛んできました。
 
「この際、クーデンホーフ・カレルギーを呼んできて、アジア共同体の提案を重慶させたらどうか?」。
 
文学者の木村毅は「奇抜な案に驚いた」と回想しています。
 
しかし、なんら驚くには値しません。
 
敗戦後、占領軍は頭山らの玄洋社を「侵略戦争推進団体」と決めつけて解散させ、戦後のアカデミズムやジャーナリズムは頭山を敬遠してきましたが、近年、歴史の封印が解かれ、頭山が孫文などアジアの革命家を支援していたことが一般に知られるようになっています。
 
右翼人士こそ「侵略戦争」推進の張本人だ、といまなお信じ込んでいる人たちには意外かもしれませんが、昭和13年当時、香港を舞台とした朝日新聞による日中和平工作の背後には民族派の存在がありました。上海戦線での軍の暴走を食い止めようとしたのも彼らでした。
 
それどころか、リヒャルトの汎ヨーロッパ運動は頭山の大アジア主義と通じるものがあります。
 
木村毅が解説するように、リヒャルトは、日本帝国が勃興し、日露戦争に勝利したことがアジア解放の一大転機になった。
 
ヨーロッパ諸国が身勝手にも、アジアを植民地支配の対象としか見なかったときに、日本という一大国家が誕生したうえに、ヨーロッパのアジア植民地より大きな勢力を築いた。
 
こうして白人による世界支配は打破された──と考えていました。
 
(転載ここまで)
 
この記事によると、「カレルギー」と「頭山満」の構想が余りにもよく似ていて、それに気付いた「頭山満」がひどく驚いた、とのこと。
 
しかしながら、「カレルギー」はその後、天皇から「勲一等瑞宝章」をもらっていますし、彼を日本に招いた「鹿島守之助」と「鳩山薫(鳩山一郎夫人)」もまた同じように「勲一等瑞宝章」をもらいました。
 
そして、「頭山満」もまた天皇を神と崇める「右翼の総帥」です。
 
ですから、彼ら全員が「天皇」を中心として一つにつながっていることは明らかです。
 
要するに、「頭山満」は「アジア」を統一し、「カレルギー」は「ヨーロッパ」を統一して、後でその二つの連合国家をドッキングさせて、天皇中心の「世界統一国家」を建国しようと考えていたわけでしょう。
 
ちなみに、「満州」の建国に携わっていた「世界紅卍字会」の主なメンバーは以下のとおりです。

(以下、こちらから転載)
 
■主な会員
出口王仁三郎 
出口すみ
内田良平
張海鳳
陳漢森
今小路了円
浅野和三郎
林出賢次郎
岡田茂吉
植芝盛平
堀川辰吉郎
谷口雅春
出口日出麿
出口直日
安岡正篤
笹川良一
笹目秀和
中西旭
五井昌久
伊與田覺
小田野早秧
呉清源
西園寺昌美
 
(転載ここまで)
 
これまでこのメンバーのほとんど全員が「大本教」の信者であるとお話をしてきましたが、今回はこのメンバーの中でも、特に「内田良平」についてお話をしています。
 
内田良平 (政治運動家) – Wikipedia
 
彼もまたご多分に漏れず、昭和九年に大本教系の「昭和神聖会」の副統管になっています。
 
昭和神聖会 – Wikipedia
 
また、彼は「黒龍会」の主幹になっていて、「黒龍会」のメンバーには「犬養毅」や「鳩山和夫(鳩山由紀夫の曽祖父)」、そして先ほど出てきた「頭山満」などが名を連ねています。
 
そして、「内田良平」と「頭山満」が「福岡県(筑紫)」出身で、「犬養毅」と「鳩山和夫」が「岡山県(吉備)」出身です。なんだか「福岡」と「岡山」ばかりが出てきますね。
 
しかも、「黒龍会」は「玄洋社」の海外工作センターと呼ばれていたらしいのですが、この「玄洋社」は「旧福岡藩(黒田藩)士が中心となって結成されたアジア主義を抱く政治団体」である、とウィキペディアには書かれてあります。またしても「福岡」です。
 
黒龍会 – Wikipedia
 
玄洋社 – Wikipedia
 
このようなメンバーを中心にして、「満州」を中心とした世界帝国を作ろうしていたわけですが、よくよく考えてみると、この計画はかつての「チンギス・ハン」が計画した世界征服ととてもよく似ています。
 
以下が、その「チンギス・ハン」とその子孫によって建国された「モンゴル帝国」の版図です。
 
これを見ると、「満州」の辺りを中心にして「モンゴル帝国」の領土を広げていったことがよく分かります。(出典はこちら

Mongol_Empire_map

「チンギス・ハン」は実のところ「源義経」である、という説があって、これについて私も過去に以下のような記事を書いています。
 
「源義経」がロスチャイルドの傀儡となり、その孫のフビライ・ハンが元寇を起こしました。
 
この「義経」はモンゴルに入る前に、「奥州平泉」や「北海道」に渡っていました。
 
前回もお話しました通り、「奥州」や「北海道」は、「蝦夷=出雲族」が住み着いていた場所です。
 
「源氏」は「出雲族」であり、「源義経」もまた「出雲族」であることは確実ですし、だからこそ、彼は「奥州」や「北海道」に行って部下を集め、それからモンゴルに渡って「出口王仁三郎」と同じく「満州」を中心にした世界帝国を作ろうとしていたのかも知れません。
 
一応、チンギス・ハンの着ていた服も「赤」ではなく「白」です。

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〈チンギス・ハン〉

しかし、最終的には、「モンゴル帝国」は「紅巾の乱」によって次第に勢力を失っていきました。

(以下、こちらから転載)

大元ウルスでも1351年に起こった紅巾の乱によって経済の中心地であった江南を失い、1368年、ついに紅巾党の首領のひとりであった朱元璋の立てた明によって中国を追われた。

北元と呼ばれるようになった元はモンゴリアに拠って明への抵抗を続けるが、1388年にクビライ王統最後の大ハーン、トグス・テムルが内紛により殺害され、かつてモンゴル帝国を構成した諸部族は分裂した。

(転載ここまで)

「赤」の勢力に倒されたということは、やはり「モンゴル帝国」は「出雲族」の国だったのでしょうか。

ただし、「モンゴル帝国」が日本に攻めてきた「元寇」の絵を見てみると、モンゴル軍の旗は「赤」になっています。

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〈元寇〉

「出口王仁三郎」が「出雲族」でありながら「紅卍会」だったのと同じように、この当時も「紅卍会」に似たような「赤」の組織が「モンゴル帝国」に与していたのでしょうか。

この「モンゴル帝国」は最終的にはどんどん弱体化していったわけですが、その中でロシアも「モンゴル帝国」に抵抗して打倒していきます。

(以下、こちらから転載)

●モスクワ大公国の成立と独立

しかし、繁栄を続けてもいつかは衰退します。14世紀後半になると、キプチャク・ハン国(モンゴル帝国)は混乱と分裂の時代にはいり、ロシアへの支配も弱まります。

そのため1380年、「これではまずい」と、キプチャク・ハン国の実力者ママイはロシア支配を強化するために侵攻します。

しかし逆に、成長著しいモスクワ大公国のドミトリー・ドンスコイ(位1359~89年)を中心とするロシア諸公軍にクリコヴォ平原で敗北。

以後、ロシアはモスクワ大公国を中心に発展します。

また、ロシア正教の本拠地もモスクワに移ります。

補足しておくと、モスクワという都市。

キエフ公国時代は小さな村でしかなかったのですが、次第に人口が増加。

14世紀にキプチャク・ハン国に取り入ったイヴァン1世がウラジーミル大公の称号をもらったことで発足した国です。ドミトリー・ドンスコイは、その孫。

(転載ここまで)

さらにその後、ロシアは「レーニン」や「スターリン」によって王政が倒され、「共産主義」が敷かれ、「ソビエト連邦」へと名前を変えました。そして、そのときの旗の色が「赤」です。

s_ 21.22.31

〈ソビエト連邦の旗〉

「ロシア」を「ソビエト連邦」に変えたのは、明らかに「秦氏」だということです。

この「ソビエト連邦」が建国されようとしていた最中、ロシアでは「赤軍」と「白軍」が互いに交戦していました。

赤軍 – Wikipedia

白軍 – Wikipedia

言うまでもなく、「赤軍」は共産党の味方。

一方、「白軍」は共産党の敵です。

ということは、やはりこうなります。

■赤軍 = 共産党 = 秦氏
■白軍 = ロシア皇帝 = 出雲族

そして、日本軍は「ロシア革命」の最中、「白軍」を援護するためにシベリア出兵したとのことです。

(以下、こちらから転載)

1918年に、日本はロシア革命の鎮圧のためシベリア出兵を行い、赤軍と敵対していた白軍を援護した。

10万人の兵と9億円の戦費を投入したものの、3千人の死者を出した上に目立った成果もなく、1922年に撤退を余儀なくされる。

この頃、白系ロシア人らの間では、革命はユダヤ人による陰謀であるとの疑惑が広がっていた。

《RAPT註:もちろん、この疑惑はその通りですが、「出雲族」が「秦氏」の計画をダメにするため、こんな噂話を垂れ流したわけでしょう。》

レーニンをはじめ、トロツキーやカーメネフ、ジノヴィエフ、スヴェルドロフら多くのユダヤ人、もしくはユダヤ系の人物が革命の主導者として名を連ねていたことが原因とみられる。

白軍は『議定書』の写しを兵士に配布し、またシベリアや満州に逃れた白系ロシア人は、行く先々で反ユダヤ主義思想を喧伝した。

…………………

ということは、日本軍が行った「シベリア出兵」とは、「出雲族」を援護するために行われたものだったということです。

そして、この「シベリア出兵」が引き金となって、「河豚計画」が本格的に敢行されるようになりました。

そして、この「河豚計画」の言い出しっぺが「日産コンツェルン」の創始者である「鮎川義介」。

鮎川義介 – Wikipedia

日産コンツェルン – Wikipedia

「河豚計画」を実行に移した当時の首相が「細川護熙」の祖父である「近衛文麿」です。

近衛文麿 – Wikipedia

つまり、一つの新興宗教の教祖にすぎない「出口王仁三郎」の構想を、「日産コンツェルン」の創始者がさらに具体的に計画し、当時の日本政府がその計画を政策として実行した、というわけです。

しかしながら、日本政府は「満州国」の建国に失敗。

その後、ユダヤ人は「満州」ではなく、パレスチナに移住させられることになり、ユダヤ人国家として「イスラエル」が建国されることになりました。

その「イスラエル」の国旗が、まさに「白」と「青」の出雲色で、「出雲族」の紋章である「六芒星」まで書き込むという念の入れよう。

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〈イスラエルの国旗〉

そして、この「イスラエル」の国旗は、同じ「中東地域」においてかなり異色のものとなっています。

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そして今では、「出口王仁三郎」の計画をもとに「イスラエル」が建国されたためか、「出口王仁三郎」の妻「出口すみ」の出生地「京都府綾部市」と、「イスラエル」の首都「エルサレム市」が姉妹都市となっています。

(対談の中で「綾部市」のことを「出口なお」の出生地と話していますが、正しくは「出口すみ」の出生地です。訂正してお詫びいたします。)

(以下、こちらから転載)

■綾部市がエルサレムと友好都市に 日本の自治体で初めて (京都新聞)

イスラエルの首都エルサレム市と友好都市宣言を締結することになった京都府綾部市は九日、駐日イスラエル大使を招いて署名式を行い、四方八洲男市長が「世界の恒久平和を実現する」との宣言文書にサインした。

エルサレム市と日本の自治体が友好都市宣言を結ぶのは初めてで、宗教法人・大本が仲介した。

署名式は午前十時から同市西町のI・Tビルで行われ、モシェ・ベンヤコヴ大使夫妻、大本の出口聖子教主、ヘブライ大学の辻田協二理事、地元各界の代表ら二百人が出席した。

綾部市は一九五〇年に日本で最初に世界連邦都市宣言をし、今回の友好宣言のキーワードは「平和」。エルサレム市のエフード・オルメルト市長がすでにサインし、綾部市に送付してきた宣言文書には「世界平和実現の共通目的を持って、友情の絆(きずな)を強める」と記されている。

両国の国旗が掲揚された会場で、宣言文書に署名した四方市長は「二〇〇〇年という大きな節目の年に、エルサレム市が平和へのパートナーとして綾部市を選んでいただいたことは日本、世界にとって意義がある」と喜びを語った。

[京都新聞 2000年2月9日]

(転載ここまで)

要するに「出口王仁三郎」の世界征服計画はそのほとんどが失敗したものの、ユダヤ人国家「イスラエル」の建国にだけは成功したわけです。

ただし、「出口王仁三郎」がキリストとなってイスラエルに再臨するという計画もものの見事に失敗。

これでは「出口王仁三郎」の面目が立たないということで、「大本教」の信者たちが「出口すみ」の出生地「綾部市」と「エルサレム市」とを姉妹都市にして、「出口王仁三郎」のメンツを守った、ということなのでしょうか。

そして、この「出口王仁三郎」の黒幕が「堀川辰吉郎」だと言われているのですが、もしかしたら「満州国」中心の世界帝国を作ろうと最初に提案したのは、本当は「出口王仁三郎」ではなく、「堀川辰吉郎」なのかもしれません。

堀川辰吉郎 – Wikipedia

彼のこの提案を元に、日本政府が中国と戦争までして「河豚計画」を実行していったということは、「堀川辰吉郎」がそれだけ強大な権力を握っていた、ということになります。

そう考えると、それこそ「堀川辰吉郎」が当時の「裏天皇」だったと考えられなくもありませんね。

RAPT×読者対談〈第107弾〉SFと北斗七星と蛇と水銀。

読者対談〈第105弾〉と〈第106弾〉はやや初心者には難しい内容でしたが、今回の読者対談は初心者にも分かりやすい内容になっているかと思います。
 
しかしながら、今回の話のテーマはかなり多岐に渡っていますし、以前の対談に出てきた「新潟県旗」と「GEのロゴマーク」の謎についても、完全に解明することになりました。
 
「新潟県旗」と「GEのロゴマーク」の謎について、最初に対談したのが以下のリンクになります。
 
RAPT×読者対談〈第97弾〉ジャパン・ハンドラーズは存在しない。またはFEMAキャンプと赤青黄のマークの謎。
 
今回の対談では、先ずエジプトの考古局などが長年にわたって「古代エジプト文明」の秘密を隠蔽しつづけてきた、ということについてお話しています。
 
そして、この対談の中で、古代エジプトの豊穣の神と呼ばれる「ハピ」が稲に精子をかけている壁画がある、という話が出てきます。
 
ハピ – Wikipedia
 
この「稲に精子をかける」という行為は、天皇が行う「大嘗祭」でも同じように行われています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。
 
このように「古代エジプト」と日本の「天皇家」には幾つもの共通点があります。
 
これについては、調べれば調べるほど山のように出てきます。そのうちの幾つかの記事のリンクをとりあえず貼っておきますので、興味のある方はご参照ください。
 
日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
 
出雲大社とピラミッドの余りに奇妙な共通点。出雲大社は「大国主」を侮辱するために作られたものなのか。
 
古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。
 
また、「古代エジプト」において行われていた若い女性をナイル川に沈めるという生贄儀式については、私も過去に以下のような記事を書いています。
 
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
 
このリンク記事に「古代エジプト」の生贄儀式を描いた映画を貼り付けていたのですが、この記事をアップした後、すぐに「YOUTUBE」によってその動画が削除されてしまいました。
 
若い女性をナイルに沈めるという古代エジプトの生贄儀式は、今では「ナイルの花嫁」として知られ、小説などのテーマにもなっているようです。以下はその小説(サウンドノベル)の紹介記事になります。

(以下、こちらから転載)
 
西暦600年代のエジプト。
 
ここで、古代より受け継がれる生贄の儀式が行われていた。
 
その驚愕の内容は「1年に1回、任意に選ばれたた最も美しい女性がナイル川に投げ込まれ、人食い鰐の餌食になる」というもの。
 
人々はこれを「ナイルの花嫁」と呼んでいた……。
 
生贄というおぞましくも興味深い慣習がテーマ。
 
現代ではもはやありえないことになりましたが、古来の世の中では生贄の文化が少なからずありました。
 
災害や飢饉を防いでもらおうと祈願するのはいいですが、生贄に選ばれた当の本人や家族には絶望しかありません。
 
またその裏には、黒い権力や陰謀が渦巻いていることもあるようです。
 
そんな、「私達の日常生活では触れられないけど世の中には確実に存在したもの」を克明に描いた物語となっています。
 
(転載ここまで)
 
しかし古代エジプトでは、若い女性だけに限らず、男性たちもまたしごく当然のように生贄儀式の犠牲となっていたようです。
 
しかも、王のために犠牲になった者は死後に「楽園」に行くことができると信じられていたようです。つまり洗脳されていたわけですね。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
生贄の歴史 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!
 
このようにおぞましい生け贄義姉が繰り返された「古代エジプト文明」ですが、この分野の専門家と呼ばれる「吉村作治」はこのことについてテレビなどでは一切触れようとしません。

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〈吉村作治氏〉

この事実を広く国民に教えれば、国民の多くがいずれ「古代エジプト」で悪魔崇拝が行われていたことに気付き、かつその「古代エジプト」と日本の「天皇家」との共通点に気付く恐れがあります。

そうすると、現在の天皇家も「悪魔崇拝」と深く関わりがあるということがバレてしまうので、彼らはできる限り「古代エジプト」に関する歴史的事実を隠蔽しようとしてきたわけでしょう。

また、つい最近では、ツタンカーメンの遺跡の中から「錆びない剣」が発見されたとのニュースがありました。

ツタンカーメンは「宇宙の剣」を持っていたことが判明! 3400年間錆びない謎が明らかに!

はっきり言いますが、現代の技術をもってしても、何千年間も錆びない剣を作ることは全くもって不可能です。

ということは、古代エジプト人が現代人よりも優れた文明を持っていたということに他なりません。

そして、これは間違いなく歴史を揺るがすほどのビッグニュースですが、イルミナティの連中はこのニュースを全く相手にせず、むしろ黙殺しようとしています。

それどころか、こうして「古代エジプト」などで優れた技術が発掘されるたびに、古代文明を作ったのは「シリウス聖人」であるとか何とか言って、全てを宇宙人の仕業にして、「宇宙人は存在している」とのエセ情報を我々庶民に洗脳してきました。

実際、「ツタンカーメン」「錆びない剣」でグーグル検索しても、今や「宇宙人によって錆びない剣が作られた」という上にリンクを貼ったようなニュースしか出てきません(笑)。

私が前に見たニュースは、もっとまともな学術的な感じのニュースでしたが……。

このように「宇宙人は存在する」ということを我々国民に洗脳するために「SF(サイエンス・フィクション)」が作られたわけですが、この「SF」を日本に広めた最大の立役者が「南山宏」という人物です。

南山宏 – Wikipedia

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〈南山宏・左〉

この「南山宏」が「武田崇元」という人物と共に、かの有名なオカルト雑誌「ムー」を創刊したわけです。

しかも、「武田崇元」もまた同じくとんでもない「くせ者」で、実はこの男。かの「出口王仁三郎」の孫の娘と結婚しています。(対談の中では孫と言っていますが、正しくは孫の娘です。訂正してお詫びいたします。)

(以下、こちらから転載)

兵庫県生まれ(京都府という説もある)。灘高等学校卒業。東京大学法学部在学中は共産主義者同盟(ブント)に所属して学生運動に携わるも挫折。社会変革に失敗した経験から、人間の内面の精神世界に関心を向けるようになった。卒業後は東京海上火災に入社するも、間もなく退社。

絃映社に入り、1976年から伝説的オカルト雑誌『地球ロマン』誌の編集長(~1977年、武田洋一名義。伊藤裕夫と共同編集)。ユニバース出版にて武田益尚名義で『UFOと宇宙』(後のトワイライトゾーン)編集長を務めた後、白馬書房に移り、1979年から『迷宮』誌編集長(武田洋一名義)。

1981年、国学者大石凝真素美の全集を刊行。その全集刊行会を母体として、オカルト専門の出版社である有限会社八幡書店を創業し、代表取締役となる。

同時に武田崇元と名を改め、ファシストを宣言、新右翼活動家と連携する。

90年代前後老舗出版社今日の話題社を吸収。現在は再び反体制時代に回帰しているが、過激な側面はほとんど消えている。

妻は出口王仁三郎の孫である出口和明の娘。

と学会の原田実は武田崇元の下で働いた事がある。

(転載ここまで)

トンデモ本をトンデモ本として世に広めた「と学会」と関わりがあるということは、つまり彼もまたイルミナティに都合の悪い話を隠蔽するために、ウソの情報を垂れ流す工作員だったというわけです。

この「南山宏」や「武田崇元」などのような人物が、数多くのSF本を書いたり翻訳したりして、「宇宙人は存在する」とか「オーパーツや古代文明はすべて宇宙人が作ったもの」とかいったエセ情報をこの世に広め、我々庶民をミスリードしてきたわけです。

例えば「南山宏」の書いたSF本と、翻訳したSF本はこんなに沢山あります。

…………………

■著書

・世界の円盤ミステリー(秋田書店(世界怪奇スリラー全集) 1968年)
・超自然のなぞ(講談社(マガジン=ブックス) 1966年)
・超自然の世界(大陸書房 1970年)
・超現実の世界(大陸書房 1971年)
・異次元の怪奇(大陸書房 1971年)
・空飛ぶ円盤のなぞ(黒崎出版(世界怪奇シリーズ) 1973年)
・世界の恐怖画報(黒崎出版(世界怪奇シリーズ) 1973年)
・世界のスリラー画報(黒崎出版(世界怪奇シリーズ) 1973年)
・円盤写真大図鑑(黒崎出版(世界怪奇シリーズ) 1974年)
・世界の怪奇ミステリー(曙出版 1974年)
・UFOと宇宙人(大陸書房 1975年)
・UFO事典 宇宙の神秘がわかる193項(徳間書店 1975 年)
・UFOの秘密(秋田書店 1976年)
・怪奇なぞのUFO怪事件(学習研究社 1977年/のち広済堂文庫)
・UFO大追跡 キミは見たか!(ベストセラーズ(ワニの豆本) 1978年)
・世界怪奇情報大事典(講談社 1978年)
・SFパズル キミはどこまで宇宙人か?(ベストセラーズ(ワニの豆本) 1980年)
・UFO地球侵略の謎(二見書房(サラ・ブックス) 1980年)
・世界の未確認怪獣 実在するモンスターのすべて(曙出版 1980年)
・UFO遭遇事典(編著、立風書房 1980年)
・宇宙から来た遺跡 宇宙考古学フィールドワーク(講談社 1981年/のち講談社文庫) 
・米政府は異人類の死体を隠している 今世紀最大の謀略! 墜落円盤回収事件の真相(学習研究社 1983年)
・超科学最前線(クロスロード 1983年)
・世界の円盤ミステリー(秋田書店(世界怪奇スリラー全集) 1984年)
・最新・世にも不思議な物語 南山宏のミステリー・ワールド(みき書房 1985年)
・水たまりの宇宙戦争(岩崎書店(あたらしいSF童話) 1987年)
・宇宙と地球のミステリー 超科学が解いた不思議現象(講談社文庫 1988年)
・世界ちょっと不思議な話(講談社 1990年)
・UFO隠蔽工作の謎(大陸書房 1990)
・宇宙と地球最後の謎 今世紀最大のミステリーに挑む(広済堂出版 1992年)
・ちょっと不思議な話(学習研究社 1992年)
・謎の巨大獣を追え 未知動物〈ヒドン・アニマル〉の正体を徹底検証(広済堂出版 1993年)
・奇跡のオーパーツ 不思議な発見物が歴史を書き変える(二見書房 1994年)
・宇宙のオーパーツ 月と火星に巨大建造物を発見!(二見書房 1995年)
・沈黙の大陸 アトランティス・ミステリー(学習研究社 1996年)
・海底のオーパーツ(二見書房 1997年)
・超古代文明論 オーパーツが証す神々の存在(高橋克彦共著、徳間書店 1997年)
・地球史を覆す「真・創世記」(学習研究社 1998年)
・アンビリバbook 288の奇跡体験 二見書房(二見wai wai文庫) 1999年)
・本当にあったちょっと不思議な話(学習研究社 1999年)
・大ピラミッド1万2000年の秘密(小学館 2002年)
・恐竜と人間は共存したのか?(オーパーツ 1)(岩崎書店 2002年)
・古代の人は空を飛んだのか?(オーパーツ 2)(岩崎書店 2003年)
・大ピラミッドは宇宙からの遺産か?(オーパーツ 3)(岩崎書店 2003年)
・海底遺跡はまぼろしの大陸か?(オーパーツ 4)(岩崎書店 2003年)
・綺想科学論 世界の奇説・怪論・超研究(学習研究社 2005年)
・生きていた恐竜・翼竜・海竜ドラゴンUMAの謎(学習研究社 2005年)

■翻訳書

・宇宙市民(ロバート・シェクリイ、早川書房 1966年)
・時間ちょう特急(レイ・カミングス、岩崎書店 1967年)
・火星の合成人間(バローズ、講談社 1967年)
・宇宙アトム戦争(ハミルトン、偕成社 1967年)
・明日にとどく(アーサー・C・クラーク、早川書房 1968年)
・光る目の宇宙人(ハンター・ホリー、偕成社 1970年) 
・怪獣惑星SOS(ラインスター、集英社(ジュニア版世界のSF) 1970年)
・透明人間(H・G・ウェルズ、朝日ソノラマ 1972年)
・衝撃の四次元(ジョン・マクリン 大陸書房 1972年)
・最後の恐竜世界(コナン・ドイル 朝日ソノラマ 1973年)
・ネス湖の怪獣(ティム・ディンスデール 大陸書房 1973年)
・四次元から来た怪獣(ジョン・A.キール 大陸書房 1973年)
・死を呼ぶ弾丸(コーネル・ウールリッチ 岩崎書店 1974年)
・地底人間秘密の怪獣境(E・R・バローズ 秋田書店 1975年)
・UFO大襲来 人類への挑戦(ロバート・エメネガー、ストセラーズ 1975年)
・謎のバミューダ海域 UFO基地か四次元の断層か(チャールズ・バーリッツ、徳間書店 1975年)
・スーパーマインド 超人間の謎(ジョン・テイラー、勁文社 1976年)
・UFOからバミューダまで(I.T.サンダーソン、大陸書房 1976年)
・新編世界の謎(ジョン・マクリン、大陸書房 1976年)
・湖底怪獣 その追跡と目撃(ピーター・コステロ、ベストセラーズ 1976年)
・宇宙人飛来の謎(アラン&サリー・ランズバーグ、二見書房 1976年)
・時間けいさつ官(レイ・カミングス、岩崎書店(SFこども図書館) 1976年)
・大隆起 魔の海域にアトランチスが浮上する(ブラッド・スタイガー、徳間書店 1977年)
・大消滅 その後のバミューダ海域(チャールズ・バーリッツ、徳間書店 1977年)
・アミティヴィルの恐怖 全米を震撼させた悪魔の家 (ドキュメント)(ジェイ・アンソン、徳間書店 1978年)
・UFOとの遭遇(J.アレン・ハイネック、大陸書房 1978年)
・謎のフィラデルフィア実験 駆逐艦透明化せよ!(チャールズ・バーリッツ、ウィリアム・ムーア、徳間書店 1979年)
・宇宙のランデヴー(アーサー・C.クラーク、早川書房 1979年/のちハヤカワ文庫)
・スター・トレック 救世主の反乱(T.コグズウェル、C.スペーノ、徳間書店 1980年)
・謎の創世記 エデンの園にいた宇宙人(アーウィン・ギンズバーグ、徳間書店 1980年)
・四次元宇宙の謎 超空間から超時間へ(ラモン・バルデス・ジュニア、二見書房 1981年)
・1999年運命の日(チャールズ・バーリッツ、二見書房 1981年)
・ニューメキシコに墜ちた宇宙船 謎のロズウェル事件(チャールズ・バーリッツ、徳間書店 1981年)
・22世紀のコロンブス(J・G・バラード、集英社 1982年)
・宇宙誘拐 ヒル夫妻の“中断された旅”(ジョン・G.フラー、角川文庫 1982年)
・第10番惑星に宇宙人がいた(ゼカリア・シッチン 二見書房 1983年)
・トワイライトゾーン オリジナル版-超次元の漂流者(ロッド・サーリング 二見書房(サラ・ブックス) 1984年)
・人類は地球外生物に狙われている(ローレンス・フォーセット、バリー・J.グリーンウッド、二見書房(サラ・ブックス) 1985年)
・ブライド(ヴォンダ・マッキンタイア、角川文庫 1985年)
・ノストラダムスの遺産(レイモンド・レナード 祥伝社 1986年)
・アーサー・C.クラークのミステリー・ワールド(サイモン・ウェルフェア、ジョン・フェアリー、角川書店 1986年)
・太陽系オデッセイ(アーサー・C.クラーク、新潮文庫 1986年)
・悪魔族の叛乱(J.H.ブレナン、二見書房 1987年) (アドベンチャー・ゲーム)
・ゴールデン・チャイルド(ジョージ・C.チェスブロー、角川文庫 1987年)
・インナースペース(ネイサン・エリオット、角川文庫 1987年)
・幻の恐竜を見た(ロイ・P.マッカル 二見書房(サラ・ブックス) 1989年)
・アビス(オースン・スコット・カード、角川文庫 1989年)
・ミステリー・サークルの謎(パット・デルガード、コーリン・アンドルーズ、二見書房(サラ・ブックス) 1990年)
・MJ-12の謎と第18格納庫の秘密(ティモシー・グリーン・ベクリー、二見書房(サラ・ブックス) 1990年)
・アメリカン・ゴースト・ストーリー 実録・世にも怪奇な真実の物語(シャロン・ジャーヴィス、広済堂出版 1991年)
・イントゥルーダー 異星からの侵入者(バッド・ホプキンズ、集英社 1991年)
・ノストラダムスの極秘大予言(アーサー・クロケット、大陸書房 1991年)
・宇宙人究極の地球侵略計画 20世紀最後の秘密(コマンダー・エックス、大陸書房 1991年)
・アウトゼア 米政府の地球外生物秘密探査(ハワード・ブラム、読売新聞社 1992年)
・ドリーマー(ピーター・ジェイムズ、角川ホラー文庫 1993年)
・ポゼッション(ピーター・ジェイムズ、角川ホラー文庫 1993年)
・30日でできる超常体験 不思議世界への扉が開く(キース・ハラリー、パメラ・ワイントローブ、広済堂出版 1993年)
・オーパーツの謎 古代文明は現代科学を超えていた(二見書房 1993年)
・〈超真相〉ノアの箱舟 「謎の聖域」はアララト山頂にあった(チャールズ・バーリッツ、徳間書店 1993年)
・キリスト教と聖書の謀略 カトリック教会が仕掛けた人類最大の虚構を暴く!(モーリス・シャトラン、日本文芸社 1994年)
・ノストラダムス世界大終末〈全予測〉衝撃の近未来シミュレーション(モーリス・A.ラカス、広済堂出版 1994年)
・ノストラダムス霊界大予言(ドロレス・キャノン、二見書房 1994年)
・コミュニオン 異星人遭遇全記録(ホイットリー・ストリーバー、扶桑社 1994年)
・奇跡の体験(チャールズ・E.セリアー、日本テレビ放送網 1995年)
・X-ファイル(クリス・カーター、チャールズ・グラント、角川文庫 1995年 – 2008年)
・ロズウェルに墜ちたUFO 突然に破られた宇宙での孤独 地球外生命体はこうして捕獲された(ケビン・ランドル、ドナルド・シュミット、徳間書店 1996年)
・死の大研究 世にも奇妙な300の死に方(スティーヴ・ムーア 二見書房 1996年)
・X-ファイル 知られざる世界 vol.2(ジェーン・ゴールドマン、ソニー・マガジンズ 1997年)
・コズミック・ヴォエージ SRV:科学的遠隔透視による宇宙「謎の大探査」(コートニー・ブラウン/ケイ・ミズモリ共訳 徳間書店 1997年)
・内宇宙・外宇宙への旅 元NASA科学者兼飛行士の魂の記録(ブライアン・オレアリー、廣済堂出版 1997年)
・ボーダーランド(マイク・ダッシュ、角川春樹事務所 1998年)
・ホスト(ピーター・ジェイムズ、角川文庫 1999年)
・神々の帰還(エーリッヒ・フォン・デニケン、廣済堂出版 1999年)
・恐竜のオーパーツ 北米で発見された“足跡”が超古代史を覆す!(カール・ボウ、クリフォード・ウィルソン、二見書房(サラ・ブックス) 1999年)
・エイリアンの夜明け(コリン・ウィルソン、角川春樹事務所 1999年)
・アブダクション 宇宙に連れ去られた13人(ジョン・E.マック、ココロ 2000年)
・超古代遺跡と異星文明の謎 宇宙から来た神々がもたらした太古超文明の秘密(モーリス・シャトラン、日本文芸社 2000年)
・夢の研究(ジャック・バトラー、角川文庫 2001年)
・宇宙からの暗号 大ピラミッドに刻まれた神々の未来計画(ピーター・ルメジュラー、廣済堂出版 2001年)
・プロフェシー(ジョン・A・キール、ソニー・マガジンズ(ヴィレッジブックス) 2002年)
・月は誰が創ったか? 最も身近な天体の真実(クリストファー・ナイト、アラン・バトラー、学習研究社 2007年)
・地球の静止する日(ハリー・ベイツ/尾之上浩司共訳、角川文庫 2008年)

…………………

しかも、彼だけではなく、彼と同じようなSF作家が他にも数百人、数千人といて、彼らもまた同じように沢山のSF本を書いたり、翻訳したりしています。

そのため、今や書店のSFコーナーに行けば、「宇宙人」に関する本ばかりがずらりと並んでいるという有様です。

しかも、ハリウッドの「SF映画」も日本の「SFアニメ」も、そのほとんどが「宇宙人もの」。

これでは多くの国民が「宇宙人は存在している」と洗脳されてしまって当然でしょう。

さらに言うなら、彼らが「宇宙は無重力」「宇宙には空気がない」という嘘を必死でついてきたお陰で、今や多くの人々が「宇宙利権」で大金をぼったくることができるようになっています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第66弾〉電磁波も放射能も宇宙も危険ではない可能性大。

RAPT×読者対談〈第72弾〉この世の支配層が大金をぼったくる仕組み。

ということで、ここで本日の最大のテーマである「新潟県旗」と「GEのロゴマーク」の謎に迫ってみたいと思います。

「新潟県旗」と「GEのロゴマーク」はそれぞれ以下になります。

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〈新潟県旗〉

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〈GEのロゴマーク〉

このように、「新潟県旗」にも「GEのロゴマーク」にもなぜか同じようなマークが書かれてあります。

「新潟県旗」は「赤」なので「秦氏」であり、「GEのロゴマーク」は「青」なので「出雲族」側であると思われますが、「秦氏」も「出雲族」もその両方がこのマークを使っているということは、このマークが「秦氏」にも「出雲族」にも関係のあるマークだと考えられます。

私なりにこのマークについて調べてみたところ、これと全く同じマークが「ウルトラマン・レオ」の腹部に描かれていることが分かりました。

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〈ウルトラマン・レオ〉

では、この「ウルトラマン・レオ」のマークは何を意味しているのかと思って調べてみたところ、ウィキペディアにはこう書かれていました。

(以下、こちらから転載)

腹部のシークレットサインはL77星人が使う文字で、「レオ」を意味し、L77星人の証でもある。

「元々レオは獅子座L77星の王子で、腹部の紋章・レオサインはその証である」という公式設定が存在する。ただし本編では言及されていない。

(転載ここまで)

これを見た限りでは、どうやら「獅子座」と何やら関係がありそうです。

そこで、「獅子座」について調べてみたところ、ウィキペディアにはこう書かれてありました。

(以下、こちらから転載)

しし座(獅子座、Leo)は、黄道十二星座の1つ。

トレミーの48星座の1つでもある。

(転載ここまで)

太字にした「トレミーの48星座の1つ」というところが重要です。

これはある読者の方からいただいた情報ですが、「ヤマトライス」という会社が販売している「北海道ななつぼし」にも、「JR北九州」の運営している「クルーズトレインななつ星」にも、同じようなマークが使われていました。

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〈北海道ななつぼし〉

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〈クルーズトレインななつ星〉

これらを見ていると、どうもこのマークは「ななつ星」と関係がありそうです。

先ほどの「レオサイン」も「L77星」とのことでしたし。

では、「ななつ星」とは何なのか……。

私は「ななつ星」と聞いて、すぐに「北斗七星」が思い浮かびました。

というのも、イルミナティの連中の多くが「北斗七星」を神として崇める「妙見信仰」を信じているからです。

空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。

(以下、こちらから転載)

妙見(ミョウケン)信仰とは、一般には仏教でいう北辰妙見菩薩(ホクシンミョウケンボサツ)に対する信仰をいうが、その原姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰である。

(転載ここまで)

そこで、「北斗七星」とは何ぞやと思って調べてみると、ウィキペディアにはこう書かれてありました。

(以下、こちらから転載)

北斗七星は、おおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星で象られる星列のこと。

(転載ここまで)

「北斗七星」とは「おおぐま座」のことだということです。

そこで、今度は「おおぐま座」について調べてみると、ウィキペディアにはこう書かれてありました。

(以下、こちらから転載)

おおぐま座(大熊座、Ursa Major)は、北天の星座で、トレミーの48星座の1つ。

(転載ここまで)

これまた「獅子座」と同じく、「トレミーの48星座の1つ」と書かれてありました。

ということは、こういうことになりますね。

■新潟県旗 = GEのロゴマーク = ウルトラマンレオのレオサイン = 獅子座 = トレミーの48星座 = おおぐま座 = 北斗七星 = 妙見信仰 

つまり、「新潟県旗」と「GEのロゴマーク」に描かれたマークは、どちらも「妙見信仰」を表していたというわけです。

ですから、今後はこのようなマークを見たら、「妙見信仰」だと考えればいいと思います。

ちなみに、「北海道」の道旗もやはり「ななつ星(七芒星)」だと言えます。

〈北海道旗〉

なので、「北海道旗」もまた「妙見信仰」を表していると考えていいのではないでしょうか。

そして現在、「出雲族」の連中はこの「北海道」に「蝦夷共和国」なる国家を作って、偽ユダヤ人たちを移住させようと計画しています。

やはり「出雲族」にとって「妙見信仰」はとても重要なものなのでしょう。

さらに補足しておくと、「関東大震災」の起きた日時を足すと「111」になる、という記事を前に書いたことがありましたね。その記事が以下になります。

RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。

この「111」に関東大震災の起きた年である「大正12年」の「12」を足すと「123」となります。

「123」は「ひふみ」であり、「ひふみ」が「国常立尊」を表すということはこれまで何度も書いてきた通りです。

それでは「111」とは一体何を意味するのか。そう疑問に思った方も多いはずです。実際、この私自身もそうでした。

よくよく調べてみると、「7」という数字を二進法で書くと「111」になるとのこと。

7 – Wikipedia

なので、「111」という数字もまた「7」を表し、「北斗七星」すなわち「妙見信仰」を表している可能性がありますね。

「北川景子」が「1」が好きだからといって婚姻届を「1月11日11時11分」に提出したのも、彼女とその婿のDAIGO(竹下登の孫)が「妙見信仰」の持ち主だからかも知れません。

しかし、「妙見信仰」について調べればすぐに分かることですが、「妙見信仰」は単に星を拝む宗教ではありません。

やはり「密教」と深い関わりがあって、「密教」と同じような淫乱邪悪、かつ呪術的な宗教に他なりません。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

「人が創りし神と仏の間に」

ということで、ここでまた話のテーマを変えます。

以前の対談で、私は「赤い鳥居があるなら、これからいずれ青い鳥居も出てくるだろう」と話したことがありました。その対談が以下になります。

RAPT×読者対談〈第94弾〉大震災は天皇家一族(イルミナティ)のボロ儲けの種。

しかし、ある読者からいただいた情報によると、実はもう既に「青い鳥居」は存在しているようです。

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このように、「小名浜鎮守 諏訪神社」「静岡県倉平 熊野神社」「大阪東住吉区 桑津天神社」「東海町 港柱神社」「大久山善生寺」「福島県いわき市 小名浜諏訪神社」「大沢山 宗印寺」などには「青い鳥居」が建立されているようです。

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〈小名浜諏訪神社の鳥居〉

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〈東海町港神社の鳥居〉

「赤い鳥居」のように巨大なものは余りないようですが、いずれにせよ、「青い鳥居」は全国各地に存在していたというわけですね。

また、「色」に関して、ある読者の方からこんなメールをいただきました。

…………………

東京オリンピックのエンブレム問題の時期にトヨタの社長が辞任しましたね。

その後パナソニックの方になりましたがこれも秦氏から出雲族でしょうか。

http://www.sankei.com/sports/news/151221/spo1512210023-n1.html

そして今年の春闘の時の発言です。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201603/CK2016031602000234.html

「潮目が変わった」と言っているのでやはり出雲族の力が強くなってるようですね。

トヨタ自動車の販売店は

トヨタ店 = 赤色
カローラ店 = オレンジ色 (以前は赤色)
トヨペット店 = 緑色
ネッツ店 = 青色
レクサス店 = 黒色
なので秦氏、出雲族、月派とみんなで分け合っているのですね。

日産自動車も以前は「赤の日産」と「青の日産」と2つの販売店がありましたが、(10年程前かな?)うちの近所は赤だけになってしまいました。

…………………

このようにトヨタのディーラーの色が違うということは、トヨタも一枚岩ではないということかも知れません。

「トヨタ」のロゴは「赤」なので「秦氏」ですが、「パナソニック」のロゴは「青」なので「出雲族」ですね。

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つまり、「トヨタ」の豊田章男が東京オリンピックの「組織委副会長」を辞任して、代わりに「パナソニック」の津賀一宏社長が就任したということは、オリンピックの組織委が「秦氏」から「出雲族」に変わったということを意味しているわけです。
 
(以下、こちらから転載)
 
■豊田副会長が突然の辞任 五輪組織委、後任パナ社長(2015.12.21 )
 
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は21日、東京都内で記者会見を開き、トヨタ自動車の豊田章男社長(59)が組織委副会長を辞任したと発表した。
 
本人から18日の理事会後に申し出があり、同日付で了承された。
 
後任にはパナソニックの津賀一宏社長(59)が就任予定で、本人から内諾を得ている。
 
豊田氏は大会公式エンブレムの白紙撤回問題を受けて発足した組織委の改革チームの座長を務め、組織の体質改善に取り組んできただけに突然の辞任となった。
 
(転載ここまで)
 
東京オリンピックのエンブレムが「赤」から「青」に変わったのも、東京オリンピックに関わる勢力が「秦氏」から「出雲族」に変わったからだと考えられます。
 
RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
 
そして、そのような勢力転換が、2015年の12月の時点で既に起きていたわけですね。
 
あれほど強大に見えた「トヨタ」ですが、どうやら少しずつその勢力が「出雲族」によって削ぎ落とされているようです。
 
確かによくよく考えてみると、ここ最近はトヨタのリコール問題がかなり深刻化しており、マスコミもこの問題について何の気兼ねもなく報道しています。
 
今回の対談では、「タカタのエアバック」の問題のみに触れていますが、その後も、立て続けにトヨタのリコール問題が起きています。
 
トヨタ158万台リコール タカタ製エアバッグ欠陥で追加、累計470万台に – 産経ニュース
 
トヨタ、「プリウス」「SAI」など7車種155万2509台でリコール。燃料臭がするおそれ – Car Watch
 
トヨタ 86、豪州でリコール…パワーステアリングに不具合 | レスポンス(Response.jp)
 
危険な欠陥のため「トヨタ」30万台リコール
 
「トヨタ」はもともと隠蔽体質を持った企業で、実際には「リコール」があっても必死で「リコール隠し」をしてきました。その実態については、以下のリンクをご覧ください。
 
トヨタとマスコミのブラックな関係。トヨタの支払う巨額の広告費は、自らの悪事を隠蔽するための口止め料に他なりません。
 
なのに、トヨタがいつものように「リコール隠し」をせず、しかもそのリコール問題をマスコミが何の遠慮もなく報道している……。
 
よくよく調べてみると、どうやらトヨタ内部で「本家」と「分家」がかなり激しい派閥抗争を展開しているようです。
 
(以下、こちらから転載)
 
【豊田(愛知県)】トヨタ自動車の品質危機が、長年社内にくすぶっていた派閥抗争を顕在化させ、なおかつ悪化させている。
 
創業一族の豊田家と非創業家メンバーのマネジャーらが、トヨタが抱える問題をめぐって非難の応酬を続けているのだ。
 
舞台裏の小競り合いは、特にこの数週間で激しさを増している。
 
創業者の孫、豊田章男社長(53)は、創業家出身でない幹部の一人を排除しようとした。
 
トヨタの前社長で現在は副会長の渡辺捷昭氏だ。
 
今年1月の最初の大規模リコールからほどなくして、豊田氏は仲介者を通じて渡辺氏に対し、トヨタ本体からの離職と系列会社の経営を打診した。
 
豊田氏からこの人事を聞いたとする、ある幹部が明らかにしたものだ。渡辺氏はこの打診を拒んだ。
 
かつて報じられたことのないこうした動きは、継続中の危機をきっかけに、長く抑え込まれてきた分裂が、今や表面化しつつあることを示す劇的な一例だ。
 
トヨタの75年の歴史で前例のない危機からの立て直しに幹部があえぐなか、内部抗争が経営分裂を招きつつある。
 
豊田氏と側近は、高い成長率や厚いマージンと引き換えに品質を犠牲にした非創業家メンバーの社長らによって弱体化した企業を同氏は引き継いだ、と公言している。
 
豊田氏は3月、北京での記者会見で、一部の関係者が利益を過度に重視した結果、問題は発生した、と述べた。さらに、誤りの最終的な責任は自身にあると認めた。
 
その1週間前、米国トヨタのかつての重役で、現在は競合他社に移っているジム・プレス氏は「創業家に対して反発する金儲け主義の人々よって、会社が数年前に乗っ取られたことに問題の根本的な原因がある」との声明を出した。
 
その上で、プレス氏はこれら幹部は「顧客第一主義を維持する姿勢を持ち合わせていなかったが、豊田氏は違う」とした。
 
トヨタの広報担当者は内部対立についてコメントを控えるとし「人事移動は正式決定まで話すことはない」と述べた。
 
担当者は、豊田氏とプレス氏の発言についてもコメントせず、渡辺氏の発言を求める要請を拒んだ。
 
非創業家メンバーのマネジャーらは独自のキャンペーンを展開しており、トヨタが米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜き去り世界最大の自動車メーカーになったことを賞賛された時期、成長率を重視する戦略をめぐり豊田氏が直接反論することはなかった、としている。
 
これらのマネジャーは、トヨタが現在、直面する問題は、品質危機というよりむしろ豊田氏の経営手腕と広報活動に関連する危機であり、そこには豊田氏は世界企業のトップに立つ準備ができていない、とのマネジャーらの長年の主張が反映されている、と指摘している。
 
1995年から99年まで社長を務めた非創業家メンバーの奥田碩相談役(77)は、トヨタ車の急加速に関する問題が深刻化して以来、同僚2人に対し、「章男は辞めるべき」と述べている。
 
昨年、取締役から外れた奥田氏は、現在でも長老格として影響力を誇っている。トヨタは奥田氏のコメントを求める本紙の要請を拒んだ。
 
(転載ここまで)
 
恐らくこの内部抗争が原因なのでしょう。
 
以下のように、トヨタの創業家一族の一人が、部下の女性に対して肉体関係を強要したとのニュースまでテレビで報道されました。
 
トヨタグループ創業一族元幹部セクハラ!採用内定見返りに肉体関係要求 : J-CASTテレビウォッチ
 
テレビでこんな報道をさせたのも、きっと「奥田碩」あたりに違いありません。彼ならやりかねませんし、彼の力ならできます。
 
豊田章男は「秦氏」で、奥田碩は「出雲族」です。なぜなら「奥田碩」は、出雲族である「小泉純一郎」や「竹中平蔵」と仲良しだからです。
 
「消費税増税」と「郵政民営化」はトヨタの元社長「奥田碩」によって進められ、トヨタの懐を潤しました。
 
日本をダメにした「小泉・竹中改革」の成功は、すべてトヨタ元社長「奥田碩」の力あってのお陰です。
 
なので、このトヨタの内部抗争も、結局のところは「秦氏」と「出雲族」の代理戦争みたいなものだと言えるでしょう。
 
ちなみに、「パナソニック」はもともと「ナショナル」という家電メーカーから分離・独立してできた企業ですが、「ナショナル」のロゴマークは「赤」でしたね。

なので、「ナショナル」は「秦氏」であり、その創業者である「松下幸之助」も「秦氏」だったということになります。
 
実際、「秦氏」の末裔には「松下氏」がいます。詳しくは以下のウィキペディアの記事をご覧ください。
 
秦氏 – Wikipedia
 
つまり、「秦氏」系の企業だった「ナショナル」を「出雲族」が乗っ取ろうとして、「ナショナル」内部で激しい抗争が起き、「出雲族」が勝手に「パナソニック」という会社を作って、「ナショナル」から分離したわけですね。
 
最終的に「パナソニック」がこの抗争に勝利し、「ナショナル」を吸収、統一してしまったというわけです。
 
このように「秦氏」と「出雲族」はいつも互いに争い合い、共食いし、共倒れしてきたわけです。本当にご愁傷さまです。
 
なので、「トヨタ」も「パナソニック」もこの先、そんなに長くはないかも知れません。
 
ということで、今日の最後のテーマに入ります。

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〈鋼の錬金術師〉

上の画像は、有名なマンガ「鋼の錬金術師」ですが、このマンガのマークは見てのとおり「蛇」と「十字架」です。

「蛇」と「十字架」を使ったロゴマークといえば、イタリアの自動車会社「アルファロメオ」が有名ですね。

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〈アルファロメオのロゴマーク〉

また、「十字架」ではありませんが、「蛇」を使った紋章でよく見かけるのが以下の「ケーリュケイオン(カドゥケウス)」と「アスクレピオスの杖(ヘルメスの杖)」です。

ケーリュケイオン – Wikipedia

アスクレピオスの杖 – Wikipedia

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〈ケーリュケイオン(カドゥケウス)〉

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〈アスクレピオスの杖(ヘルメスの杖)〉

ウィキペディアによると、「リューリュケイオン」が「商業や交通のシンボル」、「アスクレピオスの杖」が「医療・医術のシンボル」として世界的に広く用いられているとのこと。

実際、「世界保健機関(WHO)」のロゴマークは以下のように「アスクレピオスの杖」です。

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〈世界保健機関(WHO)〉

また、スイスの救急車にも「アスクレピオスの杖」が使われています。ちなみに、スイスと言えば「ロスチャイルド」の拠点でしたね。

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〈スイスの救急車〉

また、「アメリカ陸軍医療部隊」のロゴマークも「アスクレピオスの杖」ですね。

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〈アメリカ陸軍医療部隊〉

あと、「アメリカ医師会」のマークも同じく「アスクレピオスの杖」です。

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〈アメリカ医師会〉

そして、「日本医師会」のマークにもやはり「蛇」が描かれています。

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〈日本医師会〉

また、「一橋大学」の校章もまた「ヘルメスの杖(メルクリウスの杖)= ケーリュケイオン」を図案化したものだそうです。(出典はこちら

この一橋大学から「竹中平蔵」が出てきたり、「如水会」が作られたりしたわけですね。「如水会」についての詳細は以下のリンクをご参照ください。

RAPT×読者対談〈第64弾〉南あわじ市の独立宣言に隠された裏のカラクリ。

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〈一橋大学の校章〉

あと、「札幌医科大学」の校章も「一橋大学」と同じく「翼」と「蛇」が描かれています。こちらもまた「ケーリュケイオン(ヘルメスの杖)」なのでしょうか。

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〈札幌医科大学〉

このように、この世の中は「蛇」を使ったロゴマークが満ち溢れています。

そして、この「蛇」は旧約聖書でアダムとエバを騙した「悪魔」を象徴する動物です。

要するに、イルミナティの連中は、「悪魔」を象徴するものを「医療」やら「交通」やら「商業」などのシンボルとしてすっかり定着させてしまったわけです。

彼らはこの「アスクレピオスの杖」を「ギリシア神話に登場する名医アスクレピオス(アスクレーピオス)の持っていた蛇(クスシヘビ)の巻きついた杖」と説明しているようですが、私はこの「アスクレピオスの杖」を見た瞬間、モーセの作った「青銅の蛇」のことを思い出しました。

青銅の蛇 – Wikipedia

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〈モーセの青銅の蛇〉

このモーセの「青銅の蛇」は、ある意味、イスラエル民族が神様に反抗したことを象徴するものです。

神様がモーセに「青銅の蛇」を作らせて、イスラエル民族が神様にどれだけ反抗して、どれだけ痛い目にあったかを、後世の人々に記録として残そうとしたのです。

しかしイスラエル民族は、その後、度々この「青銅の蛇」に向かって偶像崇拝し、その度に神様から裁かれました。

神様は別にこの「青銅の蛇」を拝めとは言っていなかったのに、彼らがこれを神格化し、神として拝んでいたのです。

(以下、こちらから転載)

「民数記」では、エジプトを離れたイスラエル人の一行が葦の海の途中までやってきたときに、苦しみに耐えかねて不平を言った。

そこで神は炎の蛇を送ったので、かまれた人々の中から死者が出た。

民がモーセに許しを願うと、モーゼは神の言葉に従って青銅で蛇を作り旗ざおの先に掲げた。

この蛇を見たものは炎の蛇にかまれても命を永らえた。

“民は神とモーゼに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れのぼってこの荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」

そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。

民はモーゼのところへ来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」

モーゼは民のために祈った。

すると、主はモーゼに仰せられた。

「貴方は燃える蛇を作り、それを旗さおも上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」

モーゼは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。

もし、蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎみると、生きた。(新改訳:「民数記」21.5-21.9)”

しかし、「列王記」下18:4では、ユダ王国のヒゼキヤ王の時代に、それまで人々が香をたいて崇拝していた青銅の蛇がアシェラ像とともに打ち壊された。

“彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行った。

彼は高き所を取り除き、石の柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーゼの作った青銅の蛇を打ち砕いた。

そのころまでイスラエル人はこれに香をたいていたからである。

これはネフシュタンと呼ばれていた。(新改訳:「列王記 Ⅱ」18.3-18.4)”

(転載ここまで)

イスラエルの民が「青銅の蛇」を拝んで神様を怒らせたので、イルミナティの連中は現代でも同じように神様を怒らせるため、わざと「青銅の蛇」をあちこちのロゴマークとして使っているわけでしょう。

とにかく彼らは、聖書の神様に反逆したくて仕方がないわけです。本当に稚拙な連中です。

また、一方の「ケーリュケイオン」ですが、こちらは「水銀」を表すと言われているようです。

(以下、こちらから転載)

カドゥケウス(ギリシア語のケーリュケイオン、伝令使の杖)はギリシア神話のヘルメース神の携える杖である。

一般的に使者が手にする杖でもあり、例えばヘーラーの使者であるイーリスも同じ杖を持っていた。

2匹の蛇が巻きついた短い杖であり、時には双翼を上部に戴いている。

古代ローマの図像表現では、神々の使者であり、死者の導き手にして商人・羊飼い・博打打ち・嘘つき・盗人の守護者であるメルクリウスが左手に持っているさまが描かれることが多かった。

象徴物としてヘルメース(または古代ローマのメルクリウス)を表しており、その延長で、その神と結びつけて考えられる商売や職業や事業を象徴する。

古代後期にはカドゥケウスは水星を表す惑星記号の基になった。

そしてそれは、占星術と錬金術におけるその用法を通じて、同名の金属元素〔メルクリウス=水銀〕を表すようになった。

この棒は眠っている人を目覚めさせ、目覚めている人を眠りにいざなうと言われる。死にゆく人に用いれば穏やかになり、死せる人に用いれば生き返るという魔法の杖である。

(転載ここまで)

対談の中でもお話しています通り、かつて空海はこの「水銀」を幻覚剤(麻薬)として使っていました。

現在の悪魔崇拝者たちは、悪魔崇拝をする度に「麻薬」を使っていますが、当時は「麻薬」がなかったので、「水銀」で代用していたわけです。(彼らが「麻薬」を使っているという証拠は以下のリンクになります。)
RAPT×読者対談〈第91弾〉悪魔崇拝と麻薬。

以下の記事を読むと、「空海」が「水銀」を麻薬代わりに使っていたことがよく分かります。

(以下、こちらから転載)

■空海と水銀

日本人は魚を食べる量が多いので高水銀体質だそうですわ、とくにマグロなどの大型回遊魚は食物連鎖の関係で水銀濃度が高いそうです、なんて話しから急に水銀について考察したくなってしもた。

水銀というと中毒なんて連想してしまうのだが、我々の祖先は水銀のとりこになっていたようですわ。

とくに権力者や呪術者には欠かせないものだったと思います。

水銀は金属でありながら液体なんだが、自然界では硫化水銀(HgS)として存在し、主に朱色なので朱砂(しゅしゃ)、真朱(しんしゅ)、丹砂(たんしゃ)、辰砂(しんしゃ)なんて呼ばれてます。

この朱砂の使い道はさまざまで顔料、不老不死を得るための丹薬、金の精錬、鍍金(金メッキ)、消毒防腐のため、呪術用、漢方薬等として使われてきたようです。

現在でも高価なものですが、いにしえの頃はさらに貴重で高価なものだったのではないでしょうか。

それ故この朱砂を扱う人は、権力、地位 、財にかかわることができたのだと考えております。

そこで俗な話しになるんですが、最澄は国のバックアップで唐に行って勉強してきたので問題ないのだが、空海ちゃんは私費の留学僧だそうですわ、それも長期の留学僧(最低でも20年)の扱いだったらしいね。

出身は地方の豪族ですからそこそこ裕福なんでしょうけど、唐で勉強するとなると莫大な費用が必要だったというんですわ。

この費用はどうしたんだ~ということになりますよねえ、多岐にわたって異常な才能の持ち主であり、近い将来頭角を現わすはずの空海ちゃんに投資しようとする人たちに支えられて留学することが出来たのではといわれておりますわ。

《RAPT註:この学費を「秦氏」が負担したということは、過去の対談でお話しています。その対談が以下になります。》

RAPT×読者対談〈第54弾〉秦氏=ロスチャイルドの隠蔽された歴史。

空海ゆかりの霊場は水銀鉱脈と関係が深いらしいです、四国の霊場も高野山も金属鉱脈と重なるらしいね。

莫大な富を得るには、現代なら人をだまくらかす商売でも富を得ることができるかもしれないが当時はそんな商売はできないだろうし自然資源をいち早く見つけ確保するのが財をなす手段でなかったか、現代でも財閥と鉱山とのつながりは深いですわ。

山岳で密教の修行をした空海は山中で生活をし特殊技術を持った人々と接触があったと思われます。

鉱脈を見つけ採掘し精錬する一族がいたらしいですわ。

この技術ってのは総合科学ともいえる知識だろうし、技術が発展すれば効率よく金属が確保されるわけですから、空海ちゃんを唐に送って知識を貰いたい人がいたのではないでしょうか。

空海ちゃんが朱砂探しをしたのかどうかはわからんけども、鉱物資源が元になって空海の人生が切り開かれていったのではないかと思うのですわ。

鉱脈は莫大な財を生み出すものですから、力のある連中が奪い合うのは想像できますわ。そこで霊場とか朝廷の信奉を得て開いた高野山となればだれにもじゃまされず、がっぽがっぽと堀まくったかもよ。

空海入滅4年前の831年、上に奉った上表に「悪蒼体に起こって吉相根せず」なんて苦しんでることを報告してるようですわ。

この頃から限界を感じたんでしょうか、断食修行に入ったらしいね。

弟子の真済(しんぜい)が表した「空海僧都伝」に釈迦涅槃の姿(右脇を下)での最後を迎えたことが書かれてるようです、その時は承和二年(835)3月21日午前4時頃です。

「続日本後紀」には淳和天皇の弔書が引用されておりその中に「荼毘」の文字があることから、死後火葬をされたらしいですわ。

当時の平均寿命が30才位のところ空海ちゃんは62才で他界されたそうです。

空海ちゃんが即身仏でおるんじゃないかとか言われてるようですがおいらは違うような気がしますわ。

即身仏になるってのはそうとう鍛え上げて、心身共に充実してないとできないのではないのかな、体力的にも晩年ですし病気になってる人間にはどうなんでしょうか。

しかし空海ちゃんは即身仏になることを望んでいたんでしょうね、そんなような行動をとってますわ、身体に悪蒼(わるいできもの)を生じたなんてのもあやしいですわ、防腐作用を期待して朱砂等を服用してたかもよ、それがもとで悪蒼ができたんじゃないかな、

水銀は腎臓に一番たまるらしいよ、その次ぎが肝臓なんだが、腎臓にたまると腎機能は落ちますわね、

そうなれば毒素が排出できませんから皮膚に出来物がなんて考えられませんかねえ。

空海ちゃんは科学者ですからこんな事は把握してたと思うのですわ、それでもさらに自分の最後を完結するため朱砂等を服用した気がするんだが。

三教指帰(さんごうしいき)では仏教が一番なんていっておきながらちゃっかり道教の外丹法(丹薬:朱砂や水銀の化合物を服用)で仙人の道をめざしてたとしたらおもろいな。

いろいろな意見を参考に自分勝手に書きましたが、ここでやっと水銀つながりですわ、空海ちゃんは水銀で道が開き、水銀で最後を迎えたのではということ、現代の我々以上に空海ちゃんは水銀体質であった~かもよ?

(転載ここまで)

この「麻薬」の代用品であった「水銀」を、イルミナティの連中は今でも自分たちの紋章(ロゴマーク)としてあちこちで使っているわけです。

本当に呆れた連中です。

いかがでしたでしょうか。

悪の計画は、今までに次々と実行されてきた訳ですが、ことごとく失敗に終わっています。

それは、いつの時代も神様が私たち人類を救いたいと思って、手を差し伸べてきてくださったからです。

今、この時に生まれた人たちは、ある意味相当なチャンスに恵まれています。その理由は、神様を信じて学んで実践した人にしかわかりません。

この世界のカラクリと真実を知った上で、心と思いと精神を尽くして生きることができたなら、本当の幸せが待っています。

新約聖書

ヨハネの黙示録 

サタンの敗北 20ー7〜10

この千年が終わると、

サタンはその牢から解放され、

地上の四方にいる諸国の民、

ゴクとマゴクを惑わそうとして出て行き、

彼らを集めて戦わせようとする。

その数は海の砂のように多い。

彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、

聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。

すると、天から火が下って来て、

彼らを焼き尽くした。

そして彼らを惑わした悪魔は、

火と硫黄の池に投げ込まれた。

そこにはあの獣と偽預言者がいる。

そして、この者どもは

昼も夜も世世限りなく責めさいなまれる。

最後の裁き 19ー11〜15

わたしはまた、大きな白い玉座と、

そこに座っておられる方とを見た。

天も地も、その御前から逃げて行き、

行方が分からなくなった。

わたしはまた、死者たちが、

大きな者も小さな者も、

玉座の前に立っているのを見た。

幾つかの書物が開かれたが、

もう一つの書物も開かれた。

それは命の書である。

死者たちは、

これらの書物に書かれていることに基づき、

彼らの行いに応じて裁かれた。

海は、その中にいた死者を外に出した。

死と陰府も、

その中にいた死者を出し、

彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。

死も陰府も火の池に投げ込まれた。

この火の池が第二の死である。

その名が命の書に記されていない者は、

火の池に投げ込まれた。

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