祈りの旅 〜長野・麦草峠、蓼科湖〜

皆さん、こんにちは。

前回の旅から一週間も経たないうちに、また出かけることになりました。

というのも、紅葉がきれいな季節がやってきたので、近いうちにどこかへ行きたいとは考えていました。

その前に・・神様が11月1日、朝日を撮影するようおっしゃいました。

(朝から、空気がいつもと違うのです)

そして、「11月11日」と言われ、祝祭日までに何かがありそうな予感。

この日は、新宿に用事があったのですが、祝祭日のような一日となり、また違う人生が始まるような・・不思議な感覚に包まれました。

さて、11月5日のお祈りの後、一眠りしていると聖霊が耳元でめちゃくちゃ何かを訴えてきました。

いつも以上に強い訴えで起き、前日に調べていた宿を予約。

すでに決まっていたかのように、不思議と支度も出発もスムーズで、さっと出かけることができました。

(神様との通信・感動・霊感は人それぞれかと思いますが、筆者の場合、聖三位とイエス様、天使天軍とは会話です。ですが、聖霊から直接的に何かを言わたとき、喋っているのはわかるのですが、何を言っているかは聞き取れません。神様と一体になり、サタンに完全に勝利するのだと決心したときから、天がいままで以上に強く働きかけてくださるようになったのです)

〈11月4日〉

前回の旅で、気になったけれども撮影しなかったという被写体があって、そこへ立ち寄ってから蓼科湖に向かうことに。

先週よりも、紅葉に黄色みが増し加わっていました。

峠の上は曇ってきました。

なんと、もう雪が降っていたもよう。

八千穂高原スキー場を過ぎて、レストハウスで昼食。

どうやら、きのこ汁がオススメのようでとても温まりました。

スキー場から麦草峠はすでに多めの積雪あと。

(道中はお気をつけください)

白駒池駐車場付近で、鹿の子ども2匹発見。

ゆっくりと車を進めて行きます。

次々と来る対向車が雪を見て驚き、安全運転。

さらに下りていくと、親子が群れでいるところに遭遇しました。

みんなでご飯中でした。

蓼科湖に近づくにつれ、紅葉が美しい。

そして、また別の鹿の親子が食事中でした。

ようやく蓼科湖に到着。

日が暮れてしまい、すでに紅葉がライトアップされています。

さらに、なんと今回は、ウエディングの撮影中。

立て続けに花束を渡している方々を見かけてからのウエディング。なんだか不思議な幸福感・達成感がありました。笑

また翌日、大廻りになりますが、再度来る価値があるほどの色付きでした。

本当にいい感じの紅葉に感動!!

それでは、今回は、こちらの記事をおすすめします。

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このブログを通して悪魔の悪い行いがどんどん暴かれるようになり、それによって悪の世界から離れて神様のことを信じる人が増えるようになりました。

それはとても素晴らしいことですし、神様もきっと大いに喜ばれていることだと思います。

しかし、そのように神様を信じる義人たちが増えることによって、サタンも今まで以上にこの世で大暴れするようになりました。

そして、私たち神様を信じる者たちを害そうと、血眼になって攻撃を仕掛けてきています。

緑の牧場に羊の群れが沢山育つようになると、狼たちがその羊を狙って、たくさん群がってくるのと同じことです。

これは私自身も感じていることですが、特にこの二、三ヶ月の間に人々の心はひどく荒廃し、乱れてしまったような気がします。

昨年よりも今年の方が人々はずっと窮屈そうだし、心に多くのストレスを抱えているようだし、心に平安も喜びも希望もなく、むしろ不安と怒りや不満に満たされて生きているように見えます。

それだけサタンの活動が活発化しているということです。

しかしながら、神様はこのようなサタンの活動をこれまでずっと放置しておかれました。

そうすることで、サタンの企みや行いをよりいっそう明るみに出し、私たち義人の目にサタンの活動がはっきりと分かるようにしてくださったのです。

しかし神様は、サタンと悪人たちが好きなだけ悪を行った後に、厳しい裁きの鉄槌を下されます。

神様は悪がこの世に満ちたときに初めて裁きを行われるからです。

これから順次、神様はこの世にはびこった悪を裁かれていくことでしょう。

黙示録18章に書かれた裁きが次々とあからさまに起きていくはずです。

いえ、気付いている人は気付いていると思いますが、神様は既にその裁きを密かに始めておられます。

私たちもそんな神様の裁きに巻き込まれないように、よりいっそう悪から離れ、善を行って生きるよう努力していかなければなりません。

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この世の人々は、神様からの裁きがあると言っても、全く信じようともせず、受け入れようともせず、むしろそのように話す人のことを誹謗します。

しかし、聖書の言葉は必ず実現しますので、「ヨハネの黙示録」に書かれてある裁きは必ず全てこの地上で成されます。

例え今、どんなに人々がいつもと変わらず平安に暮らしていたとしても、その時はあるとき突然、不意に襲ってきます。

実際、この世で起きるほとんど全ての艱難が、何の前触れもなく、不意に多くの人びとに襲いかかってきました。

今は聖書に書かれた「終わりの時」です。時代の転換期です。

このときに神様は黙示録に書かれたような裁きを必ず行われます。

この世に悪が満ち溢れたとき、神様は必ず厳しい裁きを敢行されます。人々がそれを信じようと信じまいと。

愛の神様なのに、どうして神様が人を裁くだろうかと言う人がいますが、極度にこの世を愛していたからこそ、逆に人々がその愛に答えなければ、神様は極度にこの世を裁いてしまうのです。

熱い心で愛し合っていた男女ほど、その愛が冷めるときも急激に冷めてしまうのと同じことです。

そして、誰がどう見ても、現在の世の中はすっかり悪に満ち溢れてしまいました。

この有様を見ても、裁きの時が近いことがよく分かります。

この悪の世の中で、それでも心を清め、善の心を持って生きる人は誰なのか。

神様はこの世の中を見渡しながら、そのような義人を絶えず炎のような目でお探しになっています。

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昨日の一般記事で、サタンによるキリスト教の教会の乗っ取りが進んでいるというお話をしました。

そして、多くの信者たちがそんな悪魔たちの工作活動に気付かずに、彼らに取り込まれたり、信仰を破壊されたりしています。 (昨日の記事は以下になります。)

しかし、私がこのような話をすると、どうして神様はそんな悪魔の働きをいつまでも黙ってほおっておくのかと質問してくる人がいます。

どうして神様は、そんな多大な被害が出る前に、悪魔どもを滅ぼしてくださらないのか、と。

はっきりと言いますが、神様から与えられる祝福は、神様が100%手を差し伸べてくださって与えられるものではありません。

この世のありとあらゆる艱難苦難、サタンや悪人からの攻撃や誘惑、そういった全てのものに私たち人間が打ち勝ってこそ初めて与えられるものです。

何の労苦もなしにオリンピックで金メダルを取ることもできなければ、金持ちになることもできないのと同じことです。

まして、神様から与えられる祝福はオリンピックで金メダルをとることよりも、この世の中でお金持ちになることよりも遥かに素晴らしい天からのプレゼントです。

その素晴らしいプレゼントを神様とてタダでは与えては下さいません。

ありとあらゆる艱難苦難、ありとあらゆるサタンの攻撃や誘惑に打ち勝った者にのみ与えてくださいます。

ある意味、天国というのは地獄を通って初めて行くことのできる世界だと言えます。そんなに生易しいものでありません。

そもそも、何の練達も受けていない人が、いくら神様から祝福をもらったとしても、その人はその祝福の重さに耐えることができません。

弱い器に重たいものを入れると、すぐに割れてしまうのと同じことです。

私たち人間がその重さに耐えられるほど練達されて初めて、神様は約束した祝福を安心して私たちに与えてくださるのです。

ーーーーーーー(転載します)

サタンたちは自分たちの最後が近いことを分かっているので、今、このときにヤケになって神様を信じる人たちを攻撃し、この世から神様の影響をことごとく排除しようとしています。

ここ数年、数カ月の間に、この世の中はとてつもないスピードで退廃し、混乱し、雑然とし、荒れ果てています。

それに伴って、人々の心もまた同じように退廃し、混乱し、雑然とし、荒れ果てています。

サタンは何よりも先ず神様を信じる人たちを標的にし、さんざん苦しめ、信仰から離れるようにしますが、それだけでは飽き足らず、神様を信じていない人たちまでも苦しめ、惑わし騙して、自分たちと同じような悪人に作り変えようとします。

彼らが使う方法は様々です。

人々の人生に直接何らの働きかけをすることもありますし、この時代は特に人々の心を害するようなテレビ番組を放送したり、インターネットで悪質な情報を流したりして、人々を騙し、悪の道、虚無の道へと誘導しています。

しかも、この世の人々はサタンについて余りにも無知なので、サタンの攻撃や誘惑にコロリと騙され、自分の人生をあっという間に駄目にしてしまいます。

また、いざサタンのことを知り、サタンを滅ぼしてくださる神様のことを知っても、自分の人生に少しでも何か辛いことがあると、そのたびに神様のことを忘れ、自分の考えに流されて、神様を信じることをやめ、神様を捨てていってしまう人もいます。

この終わりの時、神様はサタンに対して厳しい裁きを敢行なさるでしょうが、このときこそサタンが最も激しく暴れだします。最後の悪あがきを始めます。

この患難に最後まで耐え抜き、最後まで信仰を守り抜き、勝利して自分の人生を輝かせる人は誰でしょうか。

冬の寒さに耐えられずに自暴自棄することなく、いつか必ず春がやってくることを信じて、最後まで耐えぬく人は本当に幸いな人です。

そして、春が来るまでに、きちんと準備すべきことを準備し、いざ春が来たときに、慌てふためくことなく、機会をきちんと正確に掴み、自分の人生を成功に導く人はさらに幸いな人だと言えるでしょう。

私は一人でも多くの人がそのように正確に機会がつかめることをお祈りしています。

ーーーーーーー(転載します)

神様は聖書の中で、神様を信じるイスラエルの民たちに向かって「あなたは私のものだ」とおっしゃいました。

今の時代も神様は、私たち神様を信じる者に対して「あなたは私のものだ」とおっしゃいます。

そして、私たちが火の中、水の中に入るときも、いつも共にして守り、困難な状況の中から助け出してくださいます。

このことを信じられる人は、例えどんな困難にぶつかったとしても、絶えず神様に祈り求め、実際にその困難から抜け出します。

そして、大胆な心で神様の御心を成し、偉大な働きを成し遂げます。

しかし、このことを信じられない人は、困難な状況にぶつかるたびに「自分は神様から愛されていない、神様から見捨てられた」と思って疎外感に陥り、ときに信仰が破産してしまうことすらあります。

自分を愛してくれる人がすぐ傍にいるのに、その愛を信じられず、自分勝手に疎外感を感じて、その人から離れ去っていくなら、どれほど大きな損失でしょうか。

例えどんな困難なことがあったとしても、神様はご自身を信じる人の味方であり、いつも共にし、助けてくださいます。

どんなに大勢の敵が取り囲み、襲いかかってきたとしても、神様がいつもその人を守り、逆にその敵たちをことごとく滅ぼしてくださいます。

そして、実際に悪人たちが滅んでいく様を見ながら、神様が自分たちのことを守ってくださったことを後から悟るようになります。

しかし、悪人たちはこのことを悟れないので、自分たちがなぜ滅んでいくのか理解することができません。

分かる人には分かることですが、今、神様は次々と悪人たちを裁き、滅ぼしておられます。

それを見て、神様の働きだと悟れる人は幸いな人です。

私たちは、例えどんな状況に陥っても、神様の愛と御働きとを信じ、常に恐れることなく、大胆に神様の御心を成していかなければなりません。

ーーーーーーー(転載します)

今回の有料記事は、久しぶりの対談形式になります。

これまでの有料記事を読みながら、人それぞれ悟ってきたことがあると思いますが、今回はこれまでの有料記事を、より具体的に現実や生活に結びつけた形でお話しています。

特に今回のテーマは、以下になります。

■黙示録に書かれた裁きはどのように行われるのか。

■「いじめ」など、この世で起きる不条理にどう対処していけばいいのか。

■神様に公平な裁きを求める。

■艱難を乗り越えた人に与えられる大きな使命。

■男と女の役割。

■霊と肉のバランス。

■イスラム教とは神様にとってどんな宗教なのか。

ということで、今回はこれまで文章の記事だけでは悟りきれなかった部分を補うような内容になっているかと思います。

これまで記事がよく分からなかった、よく理解できなかったという方は、ぜひとも今回の対談をお聞きください。

神様の御言葉がより身近に感じられるのではないかと思います。

ーーーーーーー(転載します)

この世の人々は皆、愛と平和を待ち望んで生きています。

にもかかわらず、この世のほとんど誰も真の愛と平和を享受できていません。

それはなぜでしょうか。

私も何十年間と教会に通いつづけましたが、もし私が神様を愛さず、兄弟だけを愛していたら、いずれ教会に紛れ込んだ工作員に惑わされ、騙され、向こう側の世界に取り込まれていたことでしょう。

そうすると、私自身も神様の愛から離れ、悪魔の側についてしまうことになるので、結局、永久に愛も平和も享受できなくなっていたはずです。

アダムとエバも神様を愛さず、自分たち同士で愛を成そうとして、サタンに騙され、滅ぼされてしまいました。

その上で人間同士が愛しあったとき、私たちは悪魔の支配から脱し、真の愛と平和を享受できるようになるのです。

どんな物事にも順番があります。聖書にもこう書かれてあります。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

ーーーーーーー(転載します)

モーセがイスラエルの民たちを率いてエジプトから脱出しようとしたとき、エジプトの王たちは彼らを追いかけ、エジプトに連れ戻そうとしました。

しかし、神様はモーセの祈りを聞いて、イスラエルの民たちを追いかけるエジプトの王たちを滅ぼし、イスラエルの民を守り通しました。

また、イスラエルの民たちが先祖の住んでいた土地カナンに戻ろうとしたとき、そこには野蛮な原住民たちが既に勝手に住み着いていて、「ここは自分たちの土地だ」と言い張り、イスラエルの民たちに戦争を仕掛けてきました。

イスラエルの民たちは、彼らと戦いたくはなかったけれども、彼らが戦争を仕掛けてきたので、やむなく戦わざるを得なくなりました。

しかしイスラエルの民たちが、神様の力を信じて恐れず大胆に戦ったので、難攻不落と言われていた「エリコの城(上の画像)」を打ち崩し、野蛮な先住民族たちを退かせ、完全に滅ぼしてしまいました。

現代に生きる我々も同じです。

悪人のことを恐れて尻込みし、神様の力を信じずに何も行わなければ、何も得られずにかえって神様から裁かれてしまいますが、悪人を恐れずに大胆に立ち向かい、神様の力を信じて行う人は、悪人どもに勝利し、かつ悪人どもを完全に滅ぼして、この地上で限りない祝福を受けて生きられるようになります。

神様は悪人の神様ではなく、義人の神様でいらっしゃるからです。

これを信じて行う人は幸いな人です。

ーーーーーーー(転載します)

今回の有料記事は「神様はこの地上に天国を成されている」というテーマでお話をします。

ここ最近、有料記事でも一般記事でも、皆さんのやる気と気合を奮起させるような内容が続いています。

この悪と嘘と詐欺に満ちたこの地上世界を、天国のような理想世界に作り変えられるわけがない、と思う人は多かったでしょうが、これまでの記事を読んで、「いや、作れるはずだ」と考え方を変えた方もいたはずです。

悪魔どもも必死でこの地上に天国を作ろうとして「NWO」などをやっています。

しかし、例え彼らが天国を作っても、結局、それはただの地獄にしかなりません。そんなことは説明しなくても誰でも分かることでしょう。

この地上に本当に天国を実現していけるのは、我々のように本物の神様を信じている者だけなのです。

有料対談のお話しの中に、イスラム教についての聖書からの観点が語られており、そういうことだったのかという「真実」を知ることができます。

中心者について行くクリスチャンが圧倒的に増えれば、イスラム教に限らず、あらゆる宗教が滅びに向かっていくことでしょう。

そして、神様の望む地上天国を実現することができるのです・・!

それでは、旅の続きに戻ります。

蓼科湖から、宿泊先の清里高原へ向かいます。

(この日の夕焼けも美しかった)

八ヶ岳ラインを走っていると、雌鹿が道路脇に見え目が合いました。

動物飛び出し注意(鹿)の看板がたくさん設置してあり、「絶対に飛び出すなよ〜っ!」と心の声を大にして車を走らせました。

しばらく走っていくと、今度は雄鹿がT字路に!?(目が合う)この辺り一帯は、相当数の鹿が暮らしているようですね。

交差点で青信号になると、対向車のジムニーがやけに減速し、こちらに何かシグナルを送っているかのように走って行きました。

「何かあるのかな?」と思って進んで行くと、若い雄鹿が道のど真ん中でずっと佇んでいます!

クラクションを鳴らしてもどかない・・。

〈じっ〉

〈ぷいーん〉

〈何か?〉

仕方がないので、窓を開け、大声で「おーい!どっちかに行きなさーい!」と言うと、ゆっくりガードレールをくぐって森の中へ入って行きました。

(ハザードを出し、こんなこともないから写真を撮ってみる)

日が暮れると、途端に観光客が帰るか宿に到着しているため、筆者一台、闇の中にいたので心の臓に悪いですね。

(驚かすのやめて?)

この辺りは八ヶ岳牧場の近くでしょうか。

またしばらく走ると、小狐が道端を歩いていました。森にはたくさんの動物たちが暮らしている・・とさらに実感。

そして、無事に宿に到着することができました。

この旅は、次回へと続きます。

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