祈りの旅 〜埼玉・名栗湖〜

皆さん、こんにちは。
秩父・甲府に向かう途中、飯能観光案内所に立ち寄ったのですが、館内に名栗湖のパンフレットがあったのです。
翌日、名栗湖が紅葉スポットで有名だということを知って行ってみることにしました。
甲府から帰ってみると、なんだかんだで、400キロくらいは走行していたのですが、全く「疲れていない」という奇跡が起きました。
(脳内にアドレナリンが出過ぎてる?自分大丈夫?ランナーズハイか?というくらいの)
今までの数年間、意識していないうちに、見えない鉄の鎖と鉄球を両手・両足に装着されていたかのような、そんな重圧を背負った状態だったのです。

何か、一気に霊肉が解放され、信じられないくらい軽やかになりました。
本来でしたら一泊するくらいの距離はあるので、肉は少しはキツかったな・・と思うのですが、全身に力がみなぎっているのです。
霊的な重みがなくなり、肉体まで軽く感じるようになり、この日を境にさらに活動しやすくなりました。
その上、翌日は出掛けないのがもったいないくらいの穏やかさ。






名栗湖は、埼玉県の第一号ダムとのことです。
車よりもバイカーの方が圧倒的に多かったですね。
飯能市から秩父市を通る国道299号線は、急勾配でカーブが数多くあり、バイカーにとても人気があるようです。



単なる人造湖で、このような情景が。
神様・聖霊様・御子の聖三位に人生を委ね、ともにして生きたなら、いつ、どこで、何をしていても、地上天国が訪れると・・!?
胸がドキドキしてきて、ただでさえ暑い日に、さらに全身が熱くなってしまいました。
それでは、今回は、こちらの記事をおすすめします。
RAPT有料記事195(2017年8月5日)主こそ永遠の恋人だと心から悟った者は幸いだ。
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神様を愛するということが、私たち人間にとってどれほど幸福なことなのか、主がさらに深く具体的に話をして下さいました。
今の時代は、神様が私たちのことを恋人のように愛してくださるし、私たちもまた神様のことを恋人のように愛することができる時代である、と私はこれまで何度も話をしてきました。
では、皆さんの中にこのことをはっきりと悟り、実感している人がどれぐらいいるでしょうか。
もしこのことをはっきりと悟り、実感している人は、ただそれだけでも心の中が喜びと幸せでいっぱいになっているはずです。
例えば、同じ手紙を書くにしても、恋人に手紙を書くのと、知人に手紙を書くのとでは、その喜びが全く違います。
というより、後者の場合、そこに喜びは全くないと言っても過言ではないほどです。
しかし、恋人に手紙を書くという行為は、どこまでも嬉しく楽しい行為です。
しかも、人間の恋人は時とともにその輝きがどんどん失われていきますが、神様という恋人は時とともにその輝きがどんどん増し加わっていきます。
なぜなら神様は、私たちの霊魂にとっての永遠の恋人だからです。
そして、その永遠の恋人に私たちがすべての人生を捧げて生きるなら、どれほどの喜びとなり得るでしょうか。
今回の御言葉は、どこまでも愛について語られた御言葉です。
RAPT有料記事196(2017年8月7日)霊も肉も恵みを受けてこそ千年王国だ。
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今回は、先ずどのようにしてサタンが情で私たちを騙してくるのかについて、実際に朝の祈り会のメンバーが陥ったケースを元にお話をしています。
情に流されてはいけないと頭でわかってはいても、人というのは、実際に自分が情で騙されるという事態に陥ると、それがサタンによる誘惑であるとはなかなか気付きません。
アダムとエバも、もし自分がサタンに騙されていると分かっていれば、サタンの言うことに聞き従うことはなかったはずです。
しかし、相手がサタンの顔をして現れることなく、親切な人間の顔をして近付いてくるので、それがサタンだと分からずにその人の言うことを受け入れてしまったのです。
サタンはそうやって巧妙に自分の姿を隠しながら、親切親身な人間を装って人々に近付き、神様の御言葉に反するように人の心を誘導していくのです。
また、今回は千年王国がどのような世界なのかについて、私たちがもっと身近に感じられるように具体的に話をしてくださいました。
信仰者の中には、霊的にやると恵みを受け、肉的にやると恵みがなくなる、という考えをもった人が多くいます。
しかし、神様の世界は、霊的にやっても肉的にやっても恵みを受ける世界です。
そして、そのような世界こそが正常な世界なのですが、この世の中がサタンに長く支配されてきたため、人々はこんな単純なことにも気付かず、霊的にやると恵みだけど、肉的にやると恵みを奪われると思い込み、奪われた恵みを取り戻すために必死で霊的に条件を積む、という毎日を生きています。
奪われて取り戻す生き方ではなく、何ら奪われることなく常に上へ上へと昇っていける世界こそ、真に正常な世界であり、それこそが主の作られる千年王国です。
私たちはこのことをきちんと理解した上で、これからの自分の人生設計をしていかなければなりません。
RAPT有料記事197(2017年8月12日)捨てるべきものと捨てるべきでないものをきちんと見分けなさい。
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今回の有料記事は、大きく分けて二つの内容をお伝えしています。
先ず一つ目は、前回、音声で伝えた御言葉の元となった啓示を伝えています。
もう一つは、この御言葉を聞いてつまずき、そのせいで主や私の悪口を言っている者たちに対して、裁きの御言葉が宣布されました。
例えば、ここ最近は「捨てるべきものを捨てるように」と何度も強調して伝えてきましたが、その御言葉を聞いてつまずき、私の悪口を言う人がいます。
そしてそのような人は、主からの霊的な試験に合格することができなかった者たちだと見なし、主とともに裁きを祈りなさい、と主は仰られました。
主が誰かを祝福しようとするとき、または何か大きな使命を与えようとするとき、事前にその人がその祝福や使命を受けるに相応しい人なのかどうかを試します。
そして、その試験に合格した者だけが主の祝福に預かり、使命を受けられるのです。
しかし、その試験に合格しなかった者、その試験につまずいた者は、主から見放された者、滅びの子、地獄の子となります。
ですから、この御言葉を聞いてつまずいたと言って悪口を言っている者を見かけたら、直ちに主から呪われた者だと見なし、主とともに彼らの裁きを祈らなければなりません。
また今回、いくら主が捨てろと命じているからと言って、捨てるべきでないものまで捨てることも主の前に相応しくないと主が仰られました。
例えば、家族を伝道して救ったにもかかわらず、その家族の面倒を見ないで、自分ひとりだけ愛媛に移住しようとすることは、主の前で相応しいことではないと主は仰いました。
その場合、その家族は霊的な兄弟姉妹になったわけですから、互いに愛し合い、互いに霊的に管理してあげなければならないからです。
前から何度も話してきました通り、主は知能の低い者を罪のある者としてお定めになります。
そして、捨てるべきでない者を捨てて何らかの害を被ったり、主に何らかの損を被らせたりするような人は、主から知恵のない者と見なされ、裁かれます。
皆さんが真の知恵を身に着けて、捨てるべきものと捨ててはいけないものを正確に見分け、捨てるべきものは捨てると決心し、捨てるべきでないものは捨てない者となることを強く願います。
RAPT有料記事198(2017年8月14日)自分のできること、やりたいことを積極的に主に提案し、求め、実践しなさい。
ーーーーーーー(転載します)
今回は、御言葉を深く聞いて悟るために、平素からどのような生活をしていなければならないのか、というお話をしています。
同じ御言葉を聞いても、深く悟れる人と悟れない人がいます。
また、同じ聖書を読んでも、深く悟れる人と悟れない人がいます。
どうしてこのような差が出てきてしまうのかというと、平素からどれだけ神様を愛して生きているのかによって変わってきてしまいます。
今回、私がこのような御言葉を朝の祈り会で伝えることになったのは、朝の祈り会のメンバーたちが御言葉を深く聞いて悟れる状態になっていないということに気付いたからです。
といっても、彼らが皆、平素から神様を愛していないのかというと、決してそんなことはありません。
彼らはきちんと毎日、信仰の条件を熱心に立てて生きています。
なのに、なぜ彼らがそのような状態になってしまったのか。
タイトルにも書きました通り、我々が霊的に成長したなら、今度はただ神様から言われたことだけをやるのではなく、自ら積極的に「自分にはこれができるから、これがやりたい」といって神様に提案し、それができるように熱烈に祈り求め、実践していかなければなりません。
今回の御言葉は、自分の信仰をさらにもう一次元上げて、さらに高い次元で神様を愛し、喜ばせるために聞いておくべきとても重要な御言葉です。
RAPT有料記事199(2017年8月19日)求めれば生き、求めなければ死ぬ。
ーーーーーーー(転載します)
今回お伝えする御言葉は、ここ最近の御言葉の総まとめような内容であると同時に、さらにもう一段、高い次元に昇るための御言葉です。
聖書の中には「求めなさい。そうすれば与えられる」と書かれてありますが、今回の御言葉を聞くことによって、この聖句の意味がさらに深い段階で悟れるのではないかと思います。
こうして御言葉を聞いて学んでいる人の中には、御言葉や聖書はたくさん読んで学んでいるけれども、いざ現実生活の中で何らかの問題にぶつかると、これまで学んできた御言葉を全てきれいさっぱり忘れて、御言葉以外の方法で自分の幸せを掴もうとしたり、守ろうとしたりする人がいます。
しかし、皆さんが真に幸せに生きるためには、この御言葉に従順に聞き従う以外に方法はありません。
それをはっきりと分かったからこそ、皆さんはこの御言葉を学んでいるわけではないでしょうか。
それなのに、現実の中で何らかの問題にぶつかると、すぐにその事実を忘れて、自分なりの方法で不安や心配を取り除こうとし、自分の幸せを掴もうとしたり、守ろうとしたりします。
そうすると、神様がその人のことを全く祝福しなくなるので、逆に何もかもがうまくいかなくなり、最終的には何もかもにやる気を失ってしまいます。
私はこれまで何万人ものクリスチャンたちを目にしてきましたが、彼らはほとんど皆、そのような形で信仰を失っていきました。
どんな問題にぶつかったとしても、絶えず神様に解決の方法を求め、神様の言うとおりに解決していかなければなりません。
そうしてこそ、我々はすべての問題から解放され、霊的にも肉的にも守られ、大きな祝福に預かることができるようになるのです。
RAPT有料記事200(2017年8月21日)聖三位も天使天軍もあなたを救うために血みどろの戦いをしてきたのだから、一生をかけて恩返ししなさい。
ーーーーーーー(転載します)
有料記事も、ついに200回目に突入しました。
しかも、サタンどもから様々な攻撃や妨害があったにもかかわらず、一度も休みなく更新してくることができました。
いかに主が我々のことを愛し、守ってくださっているかという証拠でしょう。
実際に今回、聖三位や天使天軍が我々を守るために、これまでどれだけサタンと壮絶な戦いを繰り広げてきたか、ということを啓示を通してはっきりと教えてくださいました。
サタンはサタンで、聖書の言葉が真理であることを分かっていますし、その真理の言葉がいかに強力な力を持っているかを知っています。
だから、サタンどもが作り上げた思想などには、ほとんど全てに聖書の言葉が混じっています。
それを見て、我々はずっとクリスチャンが作ったものなのではないかと惑わされてきたわけですが、RAPT理論によって、それらのものが実はサタンを拝むイルミナティによって作られたものであることが分かってきました。
このように、サタンたちも神様の言葉を悪用しながら我々人類を騙してきたわけですが、今の時代にこうしてサタンの秘密が暴かれて、聖書の封印が解かれることがないようにするためにも、サタンどもは義人よりも先に聖書の封印を解こうとしてきました。
そして神様は、そんなサタンどもの悪巧みを阻止するために、数多くの天使天軍をこの地に送り、サタンどもと血みどろの戦いを繰り広げてきたのです。
そこまでして、我々人類の命を霊的にも肉的にも救おうとされてこられたのです。
ならば、私たちはそんな神様に対して、全人生をかけてでも恩返しするべきではないでしょうか。
RAPT有料記事201(2017年8月26日)私RAPTを妨害する者たちへの裁きと、兄弟姉妹どうしで守るべきマナーやルールについて。
ーーーーーーー(転載します)
今回の有料記事は、大きく分けて3つのお話をしています。
先ず一つ目は、私の悪口を言ったり、私の活動を妨害しようとして工作活動を行う者に対して、主がはっきりと裁きを宣布なさいました。
主は昨年2016年の6月19日にイルミナティの裁きを宣布し、その後、実際に次々と彼らへの裁きが下されるようになりました。
そして今回、主は今月の8月15日の終戦記念日に、イルミナティであろうとなかろうと、私に対して悪事を働く者たち全てに裁きを行うことを宣布されました。
彼らはこれまでいくら私の悪口を書いても何の裁きも起こらないので、高を括って悪口を書きつづけていたと思いますが、これから順次、彼らのそれぞれの時に応じて裁いていくとのことです。
二つ目は、この世の法律やマナーやルールを守ることの重要性についてです。
今現在、愛媛に何人もの人たちが移住してきていますが、いざ移住して私と頻繁に会ったり話をしたりする人の中に、世間的に見て余りにも非常識な人たちが何人かいました。
私たちが勘違いしてはいけないのは、主の御言葉に聞き従っていれば、この世の法律やマナーやルールを守らなくていいというわけではありません。
なぜなら、この世の支配者たちは善人であれ悪人であれ、全ては主がお立てになった者たちだからです。(ローマ人への手紙13章)
そして、今の時代は悪人たちがこの世を支配しているわけですが、それも全ては神様の計らいです。(悪人が支配者として立つのは、人類に対する神様の裁きです。)
しかし、彼ら悪人たちが法律を作っているからといって、我々がこの法律をすべて無視してしまったら、この世の治安や風紀はさらに乱れてしまうことでしょう。
また、法律のみならず、人間としてのマナーやルールもきちんと守らなければ、兄弟姉妹どうしが互いに顔を合わせたときに、互いに傷付け合ったり、気分を害したりしてしまうことになります。
そんなことにならないためにも、日本人なら日本人としての(海外の人たちはその国それぞれの)マナーやルールをきちんと守らなければなりません。
三つ目は、お金の問題についてです。
愛媛に移住したいと申請してきた人たちの中に、お金に対して余りにもルーズな人たちが何人かいました。
しかし、お金にルーズな考えを持った人が教会の中に入り込めば、当然、教会の中でお金に関するトラブルが発生してしまいかねません。
特にこれから愛媛に移住したり、一時滞在したりする人は、今回のこの御言葉をきちんと心に留めて、兄弟姉妹の間で何らかのトラブルを起こさないように注意しなければなりません。
RAPT有料記事202(2017年8月28日)この世からの誉れを求めず、主からの誉れを求めなさい。またはこの時代の十二弟子の選定について。
ーーーーーーー(転載します)
私たち主を信じる義人たちが、義の条件を立てて、自分に与えられた使命をきちんと成していくなら、いずれ主から必ず祝福されて栄えることは間違いのないことです。
しかし、実際に主から祝福されて栄えるようになるまでは、様々な困難にぶつかることは必至でしょうし、それこそ自分の理想通りに事が運ぶことはありません。
はっきりと言えることは、主の使命をいくら果たしたとしても、この世からは絶対に認められることはありません。
むしろ、この世の人々からはバカにされたり、悪口を言われたりすることの方が多いでしょう。
しかも、ときに自分が考えていたのとは違った使命を主から与えられることすらあります。
自分の理想通りの使命がなかなか与えられないので、その使命を放棄したくなることすらあるかも知れません。
しかし、私たちがこれまでずっと懸命に義の条件を立ててきたのは、主から与えられた使命を果たし、その使命を通して主の御心を成していくためです。
それなのに、私たちが主から与えられた使命をきちんと果たさなければ、私たちがこれまで立ててきた義の条件すら全てが無駄になってしまいます。
また今回、主は私に対して、この時代の十二弟子を選び出して育てていくようにと啓示を通して指示なさいました。
どのような人に十二弟子の使命を与えられるか、またその使命がどのようなもので、どのようにその使命を果たしていかなければならないのか、今回の御言葉を通して具体的に理解できることでしょう。
筆者がRAPTブログを読みはじめたのが、2016年の6月でした。
この日付けだったか、近い日にちではあったので、とにかくメチャクチャ驚いたことを思い出します。
その頃は、「まさかイルミナティが!?」というくらい、悪の存在が偉大なものとして陰謀論が広まっていたので、そんなことが起きるのだろうか?と驚愕しました。
しかし、次々とイルミナティやフリーメーソンの悪事が暴かれ、悪魔崇拝者がこの世を支配していたという事実が、これでもかというほどに世間に明るみに出てきています。
中国共産党が「大バビロン」であり、黙示録の18章にある通りです。RAPTブログにも掲載されています。
当時、よく聴いていた有料記事が2017年8月17日の記事でした。聖三位と天使天軍が、我々義人たちのために日夜戦ってくださっているということに、とても感動していました。
神様を信じるようになって、ありえない幸運を掴むことができたし、経済的にも今すぐ心配する必要がない状況となっています。
ですから、やはり、神様を愛したら恩返しをしたいと思うのです・・。
神様がくださった構想があるのですが、今はそのことよりも神様の「御心」を最優先にして、自分を成長させなければならない時期。しばらくは、そうなると思います。
それでは、旅の続きに戻りましょう。
名栗湖の周りを散歩してから、来る途中で見かけたイチョウの木がとてもきれいだったので、近くまで行ってみることにしました。



イチョウの木に近い森林が、檜のようで、とてもいい香りが漂っていました。スーッとした、爽やかな檜の香りに、思わず深呼吸してしまします。
穏やかすぎるほどの、平穏な空気でした・・。







黄金色のイチョウが、秋を満喫させてくれました。
この日、一人ではなかったのですが、いつの間にかカーナビの誤誘導が始まっていて、巻き込まれなくて済んだはずの渋滞にはまってしまいました。
自宅に到着し、夜になってからその場所にいたと思われるサタンが背中をチクチクと攻撃してきたので、祈りでトドメを刺しました。
その後、天使長が「サタンは豹変してくる」とおっしゃいました。
そうして、聖霊たちは神様を信じる人にはすぐに働きかけられるけれども、そうでない人はサタンの体になるから、義人に聖霊が働きかけにくくなるということを思い知ったのでした。
翌日の朝、ふっと天使長がいらっしゃり、それから「先生」が、「聖書を渡したね。私は協力するよ」とおっしゃって、鍵を渡されました。
そして、イエス様やモーセさん、聖書の使命者と天使天軍から、それぞれ鍵を渡されて、手が鍵でいっぱいになりました。

その次の日、天使長が強く「祈って欲しい」とおっしゃられました。
サタンは蔓延っているし、浮かれている時間はない。どんなに幸福感があっても気を引き締めていかなければと思いました。
それから、名栗湖に行ったのはもう一つの「御心」だったとわかり、また行かなくてはならない!とすぐに出掛けることになったのです。
この旅は、次回へと続きます。

