神様の御言葉(2016年 9月のまとめ)

RAPT有料記事99(2016年9月3日)人生の前には二つの道がある。ひとつの道だけが行くべき道だ。

私たちがこの世を生きていくとき、目の前には常に二つの道があります。
 
聖書の言葉で言えば、「命の道」と「死の道」です。
 
もっと分かりやすく言えば、「一見するとよく見えるけれども、後になって後悔するしかない道」と「一見すると険しく見えるけれども、後になって栄える道」です。
 
人間はいつもこの二つの道の選択を誤ります。
 
目の前に平坦な道があれば、いつもその道を行きたがるからです。
 
その道が後になって険しい断崖絶壁になるかもしれないのに、目先のことだけを考えてその道を選んでしまうのです。
 
そして逆に、目の前に険しい道があれば、そこを避けて通ろうとします。
 
本当はほんの少し険しい道が続くだけで、すぐに目的地に辿り着くことのできる道であるかも知れないのに。
 
人間は自分の見たこと、聞いたこと、知っていることの範囲の中でしか物事を判断できないので、そうするしかないのです。
 
だからこそ私たちは、目の前にふたつの道が現れたとき、全てのことをご存知でいらっしゃる神様に尋ねなければなりません。
 
遠慮することなく、どちらの道に行くことが正しいのか、きちんとした答えが来るまで尋ね求めなければなりません。
 
自分の感情や欲望はすべて横において、ただ神様が「こちらがあなたにとって本当に良い道だ」という方向に行かなければなりません。
 
悪魔は人を騙しますが、神様は人を騙しません。
 
悪魔は最初によい道を見せ、後で断崖絶壁に連れていきますが、神様は最初に断崖絶壁を通らせてでも、その人が最後に栄える道に連れて行きます。
 
そこが神様と悪魔の決定的な違いです。
 
悪魔の企みに騙されないためにも、私たちは神様を正しく知り、神様に正しく祈り求めることを知らなければなりません。
 
そうしてこそ初めて、私たちは何の後悔もなく、未練もなく、生涯を全うすることができるのです。

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RAPT有料記事100(2016年9月5日)主の御心でない道を行くことで様々な苦痛を受けながら「これが私の運命だ」と思うのか。

ついに有料記事も100回目を迎えました。
 
今でも多くの方々に有料記事をご購読いただいていることを心から嬉しく思います。
 
きっと神様も、多くの人たちが信仰を守り通し、神様の御心のために全力で努力している姿を見て、心からお喜びになっておられることでしょう。
 
今回も前回に引き続き、すでに定まっている二つの人生の道について、より具体的にお話しています。
 
その道を行くと、最終的に断崖絶壁にぶつかる道があります。
 
その道を歩く途中、どんなに苦労し、もがき、希望で祈ったとしても、その道を行けば、必ず最後に断崖絶壁にぶつかります。
 
なのに、その人はそうなることを知らずに、最後の最後まで希望でその道を歩きつづけます。
 
そして、最終的には得るべきものも得られず、今来た道を引き返さなければならないので、時間も労力も投資したお金も全てがムダになります。
 
その一方、最初から行くべき道を分かって行く人は、どんなに苦労しても、最終的には得るべきものを得られるので、甲斐と喜び、感謝と希望で満ち溢れるようになります。
 
人生もこれと全く同じです。
 
最初から行くべきでない道を見分けて、最初から行くべき道を見付けて行くことが知恵です。
 
そうすることが成功の鍵であり、勝利の鍵です。
 
しかし、人々はその鍵を見付けようともしません。
 
ただ自分がこうしたいああしたいという考えだけで行くべき道を判断します。
 
だから、多くの人々がサタンに付け込まれ、誘惑され、洗脳されて、断崖絶壁に至る道を良い道だと信じて、希望で歩きつづけるのです。
 
誰かがその道を行くなといくら注意をしても、その人は聞く耳を持ちません。
 
むしろ、注意をした人のことを間違っていると言いふらし、悪評を広げます。
 
今やそのような人たちがこの世に溢れていて、この世界全体が傾きつつある状態です。
 
そんな世界の傾きを修正し、真に幸福で平和で繁栄のある世界を作っていく人は誰でしょうか。
 
神様はそのような人がこの世から一人でも多く現れることを待ち望んでおられます。

RAPT有料記事101(2016年9月10日)現在、終末も主の再臨も進行中だが、少しずつ進むので、知らないでいる。

人々は自分の将来がどのようになるのかを知りたいと思いながら生きています。
 
しかし、将来を知ることはそんなに難しいことではありません。
 
自分が今どのように生きているを見れば、直ちにそれが分かります。
 
自分が毎日少しずつ良い方向に進んでいるなら、将来も必ず良いことが起こります。
 
しかし、自分が毎日少しずつ駄目な方向に進んでいるなら、将来も必ず駄目なことが起こります。
 
主を信じて生きている人の中には、自分が主の再臨をきちんと迎えられるかどうか、不安に感じている人もいることでしょう。
 
しかし、毎日自分が少しずつ主の御心の方向に進んでいるなら、必ず主を迎えることができます。
 
反対に、毎日自分が少しずつ主の御心から離れて進んでいくなら、絶対に主を迎えることができません。
 
サタンもこのことを分かっているので、私たちの心が毎日少しずつ主からズレていくように誘惑します。
 
聖書を読むこと、お祈りすること、義を行うこと、これら全てのことを毎日少しずつ行わないように誘導していきます。
 
そうして、あるとき突然、盗人のようにその人に破滅が襲いかかるのです。
 
「再臨の主が盗人のように突然やってくる」という聖書の言葉は、まさしくこのことを意味します。
 
したがって、毎日コツコツとお祈りし、聖書を読み、義を行う人は、突然、主が現れたとしても、慌てふためくことがありません。
 
自然と主を迎えて、自然と祝福を受けられるようになります。
 
つまり、平素の信仰と行いとが、自分の将来を決定するということです。

RAPT有料記事102(2016年9月12日)神様の心に秘められた悔しさと悲しみ。

今回の有料記事は、対談形式になります。
 
今回は神様の心に秘められた深い心情についてお話をしています。
 
聖書の中には「神は愛である」と書かれてあります。
 
だから、神様は人間を無条件で愛し、受け入れてくれるものとばかり多くの人たちが思い込んでいます。
 
しかし、聖書をよく読めば分かる通り、神様は罪を犯して悔い改めないイスラエル民族に対して激しい怒りを下し、頻繁に厳しい裁きを行ってきました。
 
神様とて何の感情も持っていない方ではないということです。
 
神様も人間と同じように感情を持っていて、悲しいときには悲しみ、嬉しいときには笑い、辛いときには苦しみ、傷付くときには嘆き、怒りを覚えられる方なのです。
 
そして神様は、人類から何度も何度も裏切られ、その度に傷つき、悔しい思い、悲しい思いをされてきました。
 
このような神様の深い心情を悟って、神様の心を慰め、癒やしてあげられる人は誰でしょうか。
 
神様は今日もこの地球を眺めながら、そのような人はいないものかと絶えず探し求めておられます。

RAPT有料記事103(2016年9月17日)祈りの気、御言葉の気、感謝の気。気は力だ。

第112弾〉の読者対談で「気」の話が出ましたので、今回の有料記事ではもう少し具体的に「気」についてお話します。
 
この世で何か欲しいものを得たら「気」が来ます。
 
お腹が空いているときに食べたら「気」が来ます。
 
会いたい人に会ったら「気」が来ます。
 
自分の願っていることが叶えられたら「気」が来ます。
 
これは神様の次元から見れば、大した「気」ではありませんが、人間にとって普段は余り受けられない「気」なので、人々はその「気」を受けて喜びます。
 
また、神社でお守りを買ったり、パワーストーンを買ったりしても、少しは「気」が来ます。
 
そして、その「気」でやる気が湧いてきたり、力が湧いてきたりします。
 
しかし、お守りやパワーストーン自体には何の「気」もないので、その人は片思い的な「気」を受けているだけに過ぎません。
 
相手が自分以上の強い「気」を持っているときに、自分も本当に強い「気」を受けられます。
 
人間の中にも、自分より強い「気」を持っている人がいますが、その人から「気」を受けると、やはり強い「気」が来ます。
 
そして、神様はこの世のどんな人よりも強い「気」を持っているので、神様とつながり、神様と愛し合うようになれば、とてつもない「気」が来ます。
 
この場合、神様の持っている「気」と、愛する人と愛し合うことによって来る「気」によって、大きな力が湧いてきます。
 
「気」はあればあるだけ、大きな力を発揮します。
 
逆にサタンは人に罪を犯させて「気」を抜こうとし、悪口を言って「気」を抜こうとします。
 
「気」が抜けてしまうと、人は精神的にも不安定になり、いずれは病気になったりもします。
 
だから神様はいつも人間に「気」を与えようとし、サタンは人間から「気」を抜こうとします。
 
この「気」の法則を究めることで、人は恵みと力に満ち溢れ、ときに超人的なパワーを発揮することもあります。

RAPT有料記事104(2016年9月19日)祈りと御言葉と感謝はワンセットだ。

前回の有料記事では、祈りと御言葉と感謝によって「気」を受けるという話をしました。
 
今回は、原点に立ち返って、「祈り」と「御言葉」と「感謝」の重要性についてお話をします。
 
この「祈り」と「御言葉」と「感謝」はワンセットで行うべきことです。
 
ところが、ある人は「祈り」は毎日欠かさず行いますが、「御言葉」は余り読みません。
 
ある人は「御言葉」は沢山読むけれども、ほとんど「祈り」をしません。
 
また、ある人は「御言葉」を沢山読み、「祈り」も沢山するけれども、ほとんど「感謝」をしません。
 
そのような信仰生活を続けていると、いずれ信仰が破綻してしまいます。
 
多くの人は最初に神様に出会ったときだけ、あるいは祈りが叶ったときだけ衝撃を受け、感謝感激しますが、生活の中で何か大変なことがあったり、自分のやっていることがうまくいかなかったりすると、感謝する心もどんどん薄れていきます。
 
また、神様や神様が遣わした人のことも、最初は貴重に思っていても、時が経つに連れて、徐々に普通のものとして見るようになり、その価値性を忘れて接するようになります。
 
サタンは常にそのようにしながら、人々の心が少しずつ神様から遠ざかり、信仰から離れるように仕向けます。
 
そんなサタンの罠に陥らないようにするためには、「御言葉」と「祈り」と「感謝」の生活を体質化し、習慣化しなければなりません。
 
そうしてこそ、私たちはよりいっそう神様と近くなり、神様からより多くの祝福を受けられるようになるのです。

RAPT有料記事105(2016年9月24日)無念な思いをしている人は、失望せずに昼も夜も祈りなさい。

102回目の有料記事で、神様はこの世の誰よりも悔しい思い、悲しい思い、無念な思いをされてきた方だとお話しました。
 
私たちも神様の御言葉を聞いて、神様の考えや思想や心情を身に着けるようになると、この世の有様を見ながら、神様と同じようにただただ悔しい思い、悲しい思い、無念な思いを抱くようになります。
 
この世の中がサタンの思想に染まり、それによって人々の心や行いが悪に染まり、乱れきってしまっていると感じるしかないからです。
 
さらには霊的なサタンが、実際に激しく活動するので、私たち自身の人生においても様々な悔しい思い、無念な思いをすることも多いはずです。
 
しかし、私たち人間は、心が平安なときには神様にすがりつくこともせず、お祈りしようともしません。
 
ましてや、体を動かして何か努力をしようとはしません。
 
しかし逆に、人生において様々な苦痛を受け、無念な思い、悔しい思いをしているときは、その無念さ悔しさを晴らすために一生懸命に祈ったり、努力したりしようとします。
 
そうすると、私たちの人生がよりいっそう実りのあるものになるので、人生を生きる甲斐をさらに感じるようになり、希望も湧いてきます。
 
ですから、私たちは様々な悔しい思い、無念な思いをしたときこそ、自分がより成長して神様の御心を成し遂げ、サタンを滅ぼす機会だと思って、失望することなく昼も夜も絶え間なく祈るべきなのです。

RAPT有料記事106(2016年9月26日)主が枕する所。

道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。(ルカによる福音書9章57〜58節)
 
イエス・キリストがこの世に遣わされたとき、人々はイエス・キリストのことを受け入れず、不信し、迫害しました。
 
そのため、その当時、イエス・キリストにとって心の休む場所は一つもありませんでした。
 
「人の子にはまくらする所がない」と言ったのはこのためです。
 
しかし、そんな中でも十二使徒となった人たちや、マグダラのマリヤ、サマリアの女など、一部の人たちがイエス・キリストのことを心から受け入れ、信じ、愛しました。
 
イエス・キリストもそのような人のことを心から喜び、その人たちといつも共に行動しました。
 
ときに彼らの家に行って休み、寝泊まりすることもありました。
 
イエス様にとってその場所こそ唯一、心の休める場所だったからです。
 
今の時代も、私たちは自分自身の心と体を、主の心が休める場所として作ってさしあげなければなりません。
 
自分自身を主の枕する所としなければなりません。
 
主から「この人と一緒にいると心が安らぐ」「この人と一緒にいると嬉しい」「この人と一緒にいると幸せだ」と思ってもらえる人間にならなければなりません。
 
そのようにしてこそ、神様がこれまで何千年と募らせてきた悲しみも和らぎ、その人自身にも祝福と平安と栄光が訪れます。
 
また、そのような人が一人でも多くこの世に現れることで、人類全体の運命も回復し、この時代に祝福が訪れるようになります。

いかがでしたでしょうか。

神様からいただいたことに感謝すること。

自分の心をおさめられるようになって、神様の心を知ることができるのではないでしょうか。

自分の考えばかりになって、行動してしまう人を神様は助けることは出来ません。

心から祈り求めて、神様がお与えになった使命者の御言葉を聞いて、神様に心を捧げて行動したら、神様は助けてくださいます。

そのような生き方を日々意識していけば、練達や困難を与えられて、磨かれていき、神様が栄えさせる道に導いてくださるのです。

豊かな心で、神様と共に生きていけるのです。

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