神様の御言葉(2016年 8月のまとめ)

RAPT有料記事90(2016年8月1日) 神様の下では、万事全てのことが易しい。

ついに有料記事も二年目に突入しました。
 
人によっては、この一年間の間に、人生がめざましく変化し、以前とは全く違う生き方をしています。
 
「お祈りが余りにも叶えられるので恐ろしいぐらいだ」
 
「明け方に祈るようになって生活が好循環になった」
 
「有料記事を読み始めてから、余計な心配をしなくなった」
 
「考え方が前向きになった」
 
「欝から救われた」
 
「心も体も元気になった」
 
「自分が変わることで、周りの人も変わるようになった」
 
有料記事を読んでいる人たちと話をすると、みんな口々にこんな感想を述べてくださいます。
 
しかし、こんないいものが自分のすぐ傍にあるのに、人によっては頑なに有料記事を読むことを拒絶しつづけてきました。
 
そして、その人たちの人生はこの一年間も大して変わることがありませんでした。一年前とほとんど何の変化もない生き方をしています。
 
残念なことに、この1年の間に、有料記事を読んだ人と読んでいない人の間には、天と地ほどの差がついてしまいました。
 
知能の差、IQの差、人格の差、考え方の差、生き方の差、生活の差、人生の差です。
 
有料記事なんか読んでも人生が変わらないと思った人は変わらなかったのです。
 
しかし、変わると信じて有料記事を読んだ人は変わりました。
 
やはり神様の世界では「信じる者が救われる」ということです。
 
この世の人々は騙されることが当たり前になっているので、なかなか誰かの言葉を信じることができません。
 
何かを信じることを恐れてしまいます。
 
しかし、それは悪魔の支配下にいたから信じても騙されるだけだったのであって、一旦、神様の支配下に入ってしまえば、信じれは信じた分だけ救われます。
 
実際にこの私自身も、この世のカラクリを解き明かすことができると信じてやったら、本当に全てを解き明かすことができるようになりました。
 
一般記事で「誰でも世界を変えられる」とお話をしましたが、この言葉も信じて行えば誰でも実現することが可能です。
 
RAPT×読者対談〈第104弾〉誰でも世界を変えられる。
 
しかも、実際にやってみれば、やればやるほど技術や要領が身についてくるし、祈ることで神様の力も強く受けられるようになるので、ますます可能だと思えるようになります。
 
やれはやるほど目の前の仕事が易しく感じられるようになり、もっと自信がつき、もっとやりたいという気持ちも湧いてくるようになります。
 
何もかもが好循環になっていくわけです。
 
悪魔の世界ではどんなことも全てが悪循環に陥るばかりですが、神様の世界ではどんなことも全てが好循環になるのです。
 
ただでさえ険しいこの世の中、こんな良いものを信じずに、他の何を信じて生きていくというのでしょうか。

…………………

パスワードのご購入は以下のリンクからお願いいたします。
 
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
 
どうぞよろしくお願いいたします。

〈1ヶ月分の有料記事が全て購読できます。〉

RAPT有料記事91(2016年8月6日) 天の運は誰のところについていくのか。

前回の有料記事では「神様の下では、万事全てのことが易しい」とお話しました。
 
今回はこれを別の角度からお話します。
 
読者対談の〈第104弾〉の中で、「人間の能力には限界がある」とお話をしました。
 
RAPT×読者対談〈第104弾〉誰でも世界を変えられる。
 
このことがはっきりと悟れず、自分の努力や才能だけで何かできると思っている人は、はっきり言って、自分の能力を過大に評価しているだけです。
 
長い時間をかけて本当に死にそうなぐらい努力したことがないから、自分の努力や才能に限界があるということを知らないのです。
 
しかし、このことをはっきりと悟っている人は、必死になって「運」を手に入れようとするでしょう。(もちろん、何の努力もしないで全てを運任せにしている人もいますが。)
 
実際、この世の人々は、「運」を手に入れるために様々なことをします。
 
例えば、神社仏閣にお参りに行ったり、パワーストーンやお守りを買ったり、風水をやったりします。
 
しかし、いくらそんなことをやってみても、結局のところ、「運勢」はそんなに変わりがありません。
 
そのため、この世の多くの人々が「運」なんてこの世には存在しないと考えるようになり、今やこの世の中には「目に見えるものしか信じない」と考える人で満ち溢れています。
 
人々がどんなことをやっても「運」を手に入れられないのは、本物の神様を知らないからです。
 
天地万物を創造した神様は、人間がどのように生きれば「運」を手に入れられるか、その法則を分かっています。
 
神様ご自身が、あらかじめその法則を定めておいたからです。
 
私たちはその法則を分かって、その法則通りに生きればいいだけです。
 
それだけで確実に「運」を手に入れることができます。
 
そして、それはそんなに難しい話ではありません。実に単純明快な話です。

RAPT有料記事92(2016年8月8日) 主に報告し、主と相談してこそ、奇跡としるしが起こる。

ここ最近は、かなり多くの方々からメールをいただいています。
 
情報提供や感謝のメールだけでなく、人によっては複雑な問題を抱えていて、その問題にどう対処すればいいかを尋ねてくる人もいます。
 
私としても、そのような質問の全てに返事したいとは思っているのですが、実際のところ、物理的にすべてのメールに返事を出すことは厳しい状況です。
 
本当に申し訳ないのですが、それが実情です。
 
しかし、何か問題が起きたり、何か相談したいことがあった場合、まずは神様に報告し、相談した方が手っ取り早いということを分かっておいた方がいいと思います。
 
神様に報告し、相談したとしても、自分には神様の声が聞こえるわけでもないし、何か霊感を受けられるわけでもないのに、どうすればいいのか、と思う人もいるかも知れません。
 
しかし、神様に報告し、相談するなら、神様は必ず何らかの形で答えをくださいます。
 
実際、有料記事を読んでいる読者の方の中には、私に何のメールも出していないのに、私がその人の悩みを解決するような記事を次々とアップしてくれる、といって驚いている人が沢山います。
 
その人が神様に切実に求めたから、神様が私の手を動かして、その人の答えになる記事を書かせたわけでしょう。
 
しかも、その人は神様に相談した代価として、神様から力もアイデアももらって、さらなる奇跡としるしを起こせるようになるはずです。
 
そのように、普段から神様に報告し、相談することがとても大きいということです。
 
私も皆さんの質問に一つ一つ返事は出せなくても、メールが来る度に、その人に最善の答えが来るようにお祈りしています。
 
私が直接、返事を書いて送るよりも、そのほうがその人にとってずっと有益な場合が多いからです。
 
ですから、私から何の返事もなかったとしても、落胆したり、恨んだりしないでください。
 
神様に相談すると、自分の望んでいる通りにできなくなる、と思って心配になる人がいるでしょうか。
 
しかし、自分の望んでいる通りにやるより、神様の御心通りにやることが、自分の人生を栄えさせる最高の秘訣だということを知らなければいけません。

RAPT有料記事93(2016年8月13日) 極限的に深く祈り、最後まで信仰を守り通すために絶対的に必要なこと。

今回の有料記事も、対談形式となります。
 
ここ最近、深くお祈りすることができないとコメント欄に書いている人がいたのをきっかけに、今回の対談をする運びとなりました。
 
今回のお話は、なかなか深く祈ることができない人に対する私からの一つの究極的な回答です。
 
そして、今回のお話をきちんと心に留めて生活していけば、今後、例え自分の身にどんな災いが降りかかってきたとしても、決して神様を裏切ることなく、一生涯、信仰をしっかりと守り通すことができるはずです。
 
言うまでもなく、信仰とは一時的なものではなく、一生涯、貫き通さなければならないものです。
 
そして、人間の一生は短いようで、とても長く、その間には実に様々なことが降りかかってきます。ときに思いもかけない災難が起きることもあるでしょう。
 
そんな波乱万丈の人生の中で、一筋の心で神様を愛し貫くために何が必要なのか。
 
今回のお話は、ある意味、信仰者にとって絶対に知っておくべき究極的な回答とも言えると思います。

RAPT有料記事94(2016年8月15日) 御言葉は霊的な銃であり、祈りは霊的な弾丸だ。

私はこれまで何十年と信仰生活をしながら、実に数多くのクリスチャンと自称する人たちを見てきました。
 
しかし、彼らのほとんどが喜びも恵みもカラカラに渇いた状態で、ほとんど形式的に信仰を守っている人たちばかりです。
 
なぜそんなことになるかというと、彼らのほとんどが御言葉と祈りを疎かにしているからです。
 
あるいは、お祈りしても形式的にしかお祈りしません。
 
御言葉と祈りを疎かにする人は、いずれ信仰がどんどん弱くなり、最終的には信仰を失うか、工作員によって誤った教理を洗脳され、ズレた信仰生活をするようになります。
 
しかも、自分の信仰が弱くなっていることにも、ズレていることにも気付きません。
 
そうしておいて、心から神様を愛して仕え、喜びと恵みに満ちて生きている人を見て、訝り、怪しみ、批判するようになります。
 
そのような人たちは、もはや神様に仕える人ではなく、サタンに仕える人たちだと言えます。
 
彼らの言葉はすべて嘘なので、一ミリたりとも受け入れてはいけません。
 
しかし、自分自身が御言葉と祈りを疎かにしていれば、いずれ彼らの言葉を受け入れるようになり、彼らと同じような形式的な信仰者になってしまいます。
 
そうして、後になって神様を恨んだり、この世を恨んだり、人を恨んだりするようになります。
 
そんなことにならないためにも、私たちは普段から御言葉と祈りで、しっかりと霊的に武装しなければなりません。

RAPT有料記事95(2016年8月20日)聖書を読めば有能になり、賢くなり、サタンにも勝利する。

今回の有料記事も対談形式となります。
 
今回は基本に立ち返って、聖書を繰り返し読むことがどれほど重要なのかについてお話しています。
 
もし本当に一生の間、最後までサタンに騙されずに神様についていきたいのなら、やはり聖書をしっかりと読むことが何よりも重要です。
 
なぜなら、サタンは我々が神様から遠ざかるために、嘘偽りばかりを話して騙してくるからです。
 
場合によっては、「これが主の言葉だ」と言って、主の振りをして啓示を与えてきたり、聖句を使って騙してきたりします。
 
つい最近も、ある読者がそのようにして私のやっていることを妨害しようとしてきました。
 
そのような者は神様から激しく裁かれ、地獄のような苦しみを味わうことになるでしょう。
 
とにかく、我々がサタンのこのような嘘偽りに騙されないようにするためには、やはり普段からきちんと真理で武装していなければなりません。
 
そして、その真理は聖書の中に書かれてあります。
 
有料記事がない状態でいくら聖書を読んでも理解できなかったので、これまでは人によっては聖書を読んでも読んでも匙を投げるばかりだったでしょう。
 
しかし、有料記事によって聖書の解き方がある程度分かってきたわけですから、これからはどんどん聖書を読んでいかなければいけません。
 
そして、聖書を何度も繰り返し読むことによって、逆に有料記事の内容ももっと深く悟れるようになりますし、お祈りも深くできるようになります。
 
この世のどんな情報もほとんど全てが嘘だと分かった今、真に嘘偽りのない聖書の言葉をどんどん頭の中に詰め込み、充実した生き甲斐のある人生を生きていくべきではないでしょうか。

RAPT有料記事96(2016年8月22日)神様は理に合うことを言い、サタンは理に合わないことを言うから、私たちは理知を身につけなければならない。

(RAPT註:理知とは、本能や感情に支配されず、物事を論理的に考え判断する能力のこと。)

前回の有料記事では、聖書を読むことがいかに重要であるかについてお話をしました。
 
今回はこのことについて、また別の角度からお話します。
 
神様の言葉は、どこまでも理にかなった言葉です。
 
理路整然としていて、矛盾したところがありません。
 
一方、サタンの言葉はどこもかしこも全く理にかなっていません。
 
一見すると理にかなっているように見えても、じっくりとよく見てみると、どこまでも矛盾だらけで、人の頭を混乱させます。
 
そうすることで、本当に理に合っていることが分からなくなるようにするのです。
 
サタンの言葉と神様の言葉と、どこがどう違うのか一言で言うなら、神様の言葉は理に合っていて、サタンの言葉は理に合っていない、ということです。
 
だから、聖書をたくさん読むと、理にかなったことだけを考えられるようになります。
 
そして、何が理に合っているのか、何が理に合っていないのかを正確に見分けられるようになります。
 
しかし、聖書をあまり読んでいないと、理に合ったことを全く考えることができず、理に合っていることと合っていないことを正確に見分けることができません。
 
だから、すぐにサタンの言葉に騙されてしまいます。
 
私たちは何よりも神様の言葉をたくさん学び、「理知」を習得することが重要です。
 
そうしたときに初めて、サタンの言葉に騙されなくなり、サタンについていかなくなります。
 
そして、自分の得たいと思うものを得るようになり、人生を輝かしく成功させることができるようになるのです。

RAPT有料記事97(2016年8月27日)本物と偽物。

この世の中には、どんなものでも本物と偽物とが存在します。
 
特に尊く価値のあるものほど、誰かが陰でコソコソと偽物を作って、人々を騙そうとします。
 
神様の御言葉は、この世で最も尊く価値のあるものなので、当然、サタンがいつの時代も必ず偽物の御言葉を作り、偽の預言者、偽のメシアを遣わして人々を騙してきました。
 
今の時代もそれは全く同じです。
 
今の時代の人々も、余りにもたくさん偽物に騙されてきたし、騙されることに馴れてしまっているので、本物が現れても偽物だと思います。
 
そして、偽物こそが本物だと思い込んだまま、偽物をありがたいと思い、本物を偽物だと言って指摘します。
 
あるいは、今まで偽物に騙された苦い経験があるため、本物が現れても、また騙されるのは嫌だと思って、本物に近付こうともしません。
 
しかし、本物を知っている人だけが、何が偽物で何が本物なのかをはっきりと見分けることができます。
 
本物の蜂蜜の味を知っている人だけが、偽物と本物の蜂蜜の味をきちんと見分けられるのと同じことです。
 
偽物しか食べたことのない人は、偽物を食べて本物だと思うしかないのです。
 
私たちは直ちにそんな価値のない虚しい生き方にやめて、本物だけを慕い求め、本物だけを信じる価値のある尊い生き方をしなければなりません。

RAPT有料記事98(2016年8月29日)知らなくてできない人ほど無念な人はいない。

人は無知のせいで人から騙されたり、サタンから騙されたりします。
 
また、無知のせいで行うべきことを行えず、行うべきでないことを行って、損をしたり害を受けたりします。
 
そして、後になって「無念だ」といって慟哭し、怒り、自分を恨んだりもします。
 
私たちがこの世を生きる上で無念な思いをしないためには、何よりも無知から抜け出さなければなりません。
 
同じ神様を信じていても、大して神様の愛を感じられず、神様から祝福を受けられないのは、正しく神様のことを知らないからです。
 
だから、神様の心情に逆らうことばかりを行って、ほとんど何も祝福を受けられず、かえって神様から裁かれることになるのです。
 
それでいながら、自分は神様を正しく信じ、正しく従っていると思い込み、かえって正しく神様を知っている人を指摘したりします。
 
そのような人は、なおさら神様が裁くしかありませんので、ますます大きな苦痛と損害を受けることになります。
 
このように無知はどこまでも恐ろしいものです。
 
この世の人々も無知のせいで偶像を拝み、それで自分が幸せになれると思い込んで生きています。
 
しかしながら、いつまで経っても幸せになれないので、何がいけないのだろうと苦悩しながら、人生をあちらこちらへとさ迷いながら生きています。
 
そうしていながら、神様を信じて喜んで生きている私たちのことを悪評したりします。
 
そのような人たちは、私たちから見れば愚の骨頂でしかないのですが、彼らはあくまで自分が正しいと頑なに思い込みます。
 
私たちはそんな虚しい無知の生から早く抜け出し、無念さのない祝福に満ちた人生を生きなければなりません。

いかがでしたでしょうか。

信仰を深めるにつれ、霊的な武装が欠かせないというお話です。

御言葉と祈りは非常に重要です。神様と心情をあわせてこそ、祈りが届きます。

本物の御言葉を学ぶから、本物となれるのです。

人類を愛する神様に感謝し、神様の御言葉を伝えてくださる使命者に、心から感謝いたします。

Follow me!