祈りの旅 〜長野・駒ヶ根〜

皆さん、こんにちは。
翌日は、中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイに乗って「千畳敷カール」に行ってきました。
絶好調に晴れた朝。

駒ヶ岳(右側に見える山)の裏側に宿泊しており、大回りして駒ヶ根へ。
中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイに乗るには、菅の台駅バスセンターの駐車場に車を停めます。専用バスで30分乗り継ぎ、しらび平駅がロープウェイ乗り場となります。

〈パンフレットより〉
登山者に人気の観光スポットの駒ヶ岳。
早朝始発のバスだと相当並ぶとのことで、時間を少しずらして行きました。
チケット売り場でロープウェイの整理券が出ているか聞いてみると、まだ出ていないとのことでした。
(出るほど混雑の場合もある)
とはいえ、やはりバス待ちの観光客で行列ができました。
だんだんと混雑し、日本人のカップルさんが日陰になる場所で立ち止まっていると、誘導係のおじいさんが後ろに並ぶよう注意していました。
たまたま、筆者の座っているベンチがその場所で、今度は外国人カップルが立ち止まりました。
誘導係のおじいさんは、外国人には注意せずスルーしています。(えっ?)
暑い中、日本人の皆さんは屋根のない場所でちゃんと並んでいたので、そのまま見過ごすわけにはいかず、英語で注意しました。
わからない振りをし、割り込んで並ぶ確信犯。
(日本人が何も言わないと思ったら大間違いですよ)
素直に理解してくれたのですが、できればこちらも言いたくはない。
そんなうちに出発するバスがやって来ました。
バスの車窓から、山から流れてくる川が見えてきました。

〈下流〉

〈中流〉

〈やや上流〉
曲がりくねった山道を登って行きます。
しっかり掴まっていないと、隣の人に押し寄せてしまいそうです。
バスの運転手さんの凄腕ドライビングテクニックに関心してしまいました。道が崩れて工事していたり、細い山道は車幅ギリギリです。

降りてきたロープウェイには、大勢の人が乗っていました。タイミング良く、前から3番目に並んでいたので前方の位置へ。







中御所谷がよく見えています。そろそろ、千畳敷駅に到着です。
ですが・・。

〈ん?〉

〈んん!?〉

〈景色が〉

〈見えない?〉

〈完全に覆われています・・〉

〈まずい状況です〉
まさかの、頂上がガスに覆われて景色が全く見えないという・・。
とりあえず、千畳敷駅に到着。一気に標高が高くなったので、腰掛けて体を慣らすことにしました。

〈立ち止まらないでくださいというアナウンス〉

〈ガスに覆われて何も見えない〉
駅を降りると、「雷雲が発生しました」というアナウンスが流れています。
(いま来たばっかりで!?)
そうして、「ロープウェイの混雑が見込まれますので、速やかにお並びください」とか「雷がロープウェイの近くで確認された場合、運行を停止します」、「施設に全員は人が入りきらないので」というようなことが繰り返し放送されていました。
チケット売り場で整理券の確認をしたときに、雷雲の発生がわかっていなかったのか?突然そうなってしまったのか?はわかりませんが、下で知らせがあれば予定を変更したのに・・と思いました。
仕方がありませんので、ギリギリまで高山植物を撮影することにしました。






近くの高山植物は観察できますが、周りはこの状況です。






そうこうしているうちに、上でゴロゴロ!と雷が鳴り響きました。
さすがに、これ以上はまずい。
走ろうにも岩場ですから、慌てると危険です。
一旦戻って、カフェで様子を見ることにしました。

キャラメルマキアートを飲みながら、景色を眺めました。
そうして、30分経っても変わらなければロープウェイに乗ろうと思いました。
すると・・。

〈も、もしかして!?〉

〈霧が上がってきた!?〉

〈もう少しで〉

〈宝剣岳と〉

〈千畳敷カール〉

〈見えてきました〉

〈この状況で凄い!〉

〈しかし、すぐにガスがきました〉

〈もう覆い尽くされそう〉

〈隠れてしまいました〉
最後のさいごに、神様は宝剣岳と千畳敷カールを見せてくださいました。
雷が鳴り響き、ロープウェイが大行列となる状況の中で、ちょっと待ってください、これは本当に凄いことですよ。感動です、この時間わずか5分足らず。
神様に感謝しつつ、麓に戻ることにしました。
急遽ロープウェイは臨時便運行となり、30分に1本のところ、9分に1本となっていたため、いつの間にか人がはけていました。
すんなり乗れて余裕のあるロープウェイ、無事に帰ることができました。それも奇跡的で、混雑でぎゅうぎゅうだったと思います。







雨が降らなかったということも、奇跡的です。
学校のジャージを着た学生さんたちが、続々と頂上から下山していたので悪天候になる前に間に合うといいけど・・と思いました。
宿のローカルニュースによると、長野県の学校行事には当たり前のように登山合宿があるとのことでしたが、年々開催する学校が減っていると。
余談になりますが、個人的には登山は多くの学びがあるので、子どもたちには良い経験になると思っています。
バスに乗ると、山の中腹で雨が降ってきました。またもや間一髪。


菅の平のバス停に到着すると、全く雨が降っていませんでした。
バスセンター周辺の駒ヶ根ファームス、こまカフェに寄ってみました。

〈さすがに誰も並んでいません〉

〈駒ヶ根産いちごシェイクをいただく〉
忙しい観光となりましたが、神様に守られているという安心感に包まれ、駒ヶ根を後にしました。
ここでも、シェイクを飲んでいる最中に雷が鳴り出し、車まで走りました。
上で見かけた子どもたち、大型バスに乗って無事に到着したようです。
さて、これから北上して伊那市にある、道の駅大芝高原へと向かいます。
駒ヶ岳の上には、入道雲が見えていました。山の天気は変わりやすいので、皆さんお気をつけください。
この日も、雷・洪水警報が出ており、雹が降った地域がありました。
道の駅に向かう途中の、田んぼの青さがとても美しかった。







神様が人類を創造した目的。
それは、神様を愛すること。
そして、自分の霊を救うこと。
神様が「肉体」を造ったことには、とても重要な意味があります。
人間はサタンに騙されて、この重要なことから、とんでもなくかけ離れた生き方をしているのです。
こちらの記事をおすすめします。
RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。
ーーーーーーー(一部転載します)
これまで何度も話をしてきました通り、神様が私たち人間をお造りになったのは、私たちの肉体を基盤にして霊魂を救い、成長させるためです。
胎児が母の胎の中で成長してから、一人の人間としてこの世に誕生するように、私たちの霊魂も肉体という胎盤の中で成長してから、一人前の霊魂として永遠に天国で暮らせるようになるのです。
ところが、私たち人間はこのような真の人生の目的を知らされることなく、単に肉体のため、肉体の見栄えをよくするためだけに生きることを余儀なくされています。
サタンに騙されたまま、この肉体のある人生だけが全てだと思って生きています。
だから、肉体のためだけに全ての時間とお金を投資し、霊魂のためには全く何の投資もしませんし、むしろ自分の霊魂が堕落するような生活ばかりを送っています。
人間の肉体に寿命が定められているのは、この肉体がいわば蛹(さなぎ)のようなものであり、その蛹の中で霊魂を羽化させ、蝶のように美しく成長させるためです。
そして、神様が私たちの肉体をそのような目的でお造りになった以上、私たちが霊魂の救いのため、霊魂の成長のために全身全霊で生きるなら、神様と自ずと心一つにして生きられるようになるでしょう。
同じ目的を持った者どうし、互いに深く通じ合い、互いに愛を成すようになるしかないからです。
RAPT有料記事293(2018年7月14日)この終わりの時に救われる人が僅かであることは、神様も最初からご存知だ。
ーーーーーーー(一部転載します)
この世の人たちの中には「神様が存在するなら、どうして全人類が神様を信じるようにすることができないのか」などと愚かなことを言う人がいます。
しかし、神様は人間をロボットのようにはお作りにならず、各個人に自由意志というものをお与えになりました。
そうすることによって、自分の意志によって神様を求めて愛する者が現れるのを待ち、そのような者とだけ愛を成して生きるようにされたのです。
誰もがロボットのように神様を信じて愛してくれるなら、どうして神様はその人たちと愛を成して嬉しいと思うでしょうか。
そして実際、聖書を見ても分かるように、神様を心から求めて、神様と愛を成す人はいつの時代もそんなに簡単には現れませんでした。
この世で成功して金持ちになったり有名人になったりすることが難しいように、神様の世界においても成功して神様の愛を掴むことはとても難しいことだからです。
いえ、この世で成功するよりも、神様の世界で成功する方が遥かに難しいことだと言っていいでしょう。
実際、聖書の中にも「救いの道を見出す者は少ない」と書かれています。
人の愛を掴むのも難しいのですから、まして神様の愛を掴むことが難しいのは当然のことです。
しかし、実際に神様の愛を掴んだ人は、神様からどこまでも貴重な存在として見なされ、豊かに愛され、この世でもあの世でも豊かに祝福されるようになります。
皆さん一人一人がそのような成功を勝ち取り、真に祝福された生を生きられるようになることを心から願います。
RAPT有料記事299(2018年8月4日)自分の心からもこの世からも悪を消し去るなら、主から功績者として認められて祝福される。
ーーーーーーー(一部転載します)
私たち人間がこの世で生活していると、常に心の中から様々な悪なる心が湧き出してくることがあります。
家の中にカビが生じるように、日々、様々なゴミが出てくるように、心の中から様々な悪なる考えや思いが出てきて、ときにそれを実行したりしてしまいます。
しかし、主の御言葉を知った私たちは、その悪なる心を常に悔い改め、心を清めようと努めているので、心が完全に悪に染まりきってしまうようなことはありません。
ところが、この世の人々は悔い改めるということを知らないので、場合によっては完全なる悪人へと変質してしまうこともあります。
したがって、この世では日々、新たな悪人が次々と誕生するばかりで、この世から悪を完全に消し去ることはできないということになります。
ただし、私たち義人が常に豊かに義の条件を立てて、この世に善の法則が強く働くようになれば、その分だけ義人が大きく栄え、悪人たちは大手をふって活動することができなくなります。
実際、この日本に中心者が送られてからというもの、この日本には善の法則が強く働くようになり、悪を行うイルミナティたちも次々と裁かれるようになりました。
そして、このようにこの世の悪を消していくなら、罪を悔い改めて自分の心から悪を消していくのと同じく、主から一つの大きな功績と認められ、祝福されます。
皆さん一人一人がこの世に義の働きを広げ、悪の働きを消していく者となり、主から大きな栄光と祝福を受けられることを心から願います。
神様と心情一体になって完全な者となれるよう、肉体を脱ぎ捨てるまでにどこまでできるかわかりませんが、義の条件を立てていきます。
引き続き、こちらの記事をお読みください。
ーーーーーーー(一部転載します)
RAPTブログの御言葉を知らずに生きていた頃は、ひとたび悩み始めると、どこまでも深い溝に落ちていくような感覚に襲われ、その流れに身を任せるしかなく、なす術もありませんでした。
何日も、ときには何ヶ月も、あるいは何年も、その問題が頭から離れずに苦しみつづけるしかありませんでした。
それでも答えは見つからず、状況が好転することもなく、場合によっては、ただ時間が過ぎるのを待つしかないこともありました。
これ以上はもう落ちようがない…。
そう思うほどのどん底まで沈んで、ようやくそこから少しずつ時間をかけて立ち直っていく。
当時の私は、そんなふうにして生きていたように思います。
それでも、「転んでもタダでは起きられない!」と、弱りきった力をなんとか振り絞り、悩んだ日々を無駄にしたくない一心で、「これは人生の勉強だ」と自分に言い聞かせ、必死に虚しい悪あがきをして自分を奮い立たせていました。
しかし、RAPTブログに出会い、そのような生活から完全に脱却することができました。
RAPTブログに出会ってからというもの、どんなに苦しく辛い出来事があっても、長く落ち込むことがなくなりました。
それは、頭の中の雑念を追い払い、御言葉で思考を満たすことで、神様から悟りを与えていただき、前に進むための希望を得られるようになったからです。
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○RAPT有料記事58 (2016年4月11日)天の知恵を得て生きるという特権。
もちろん、信仰を持ったからといって、悩みがまったくなくなるわけではありません。
それでも、御言葉には天の知恵と知識が惜しみなく詰まっており、それを学び続けることで、私たちは少しずつ神様の思考回路を身につけていくことができます。
そのおかげで、かつてのように一つの問題に引きずられ、振り回されて苦しむことがなくなりました。
たとえ悩みが湧いてきても、まずはその悩みを正直に神様に打ち明け、御言葉や聖書の言葉で思考を満たすように心がけ、神様の思考回路で物事を深く考えるよう努めることで、新たな悟りが与えられ、悩みの本当の原因が少しずつ見えてくるようになります。
やがて、悩みの原因の多くは、自分の間違った考えや、聖書や御言葉で罪とされている行いにあることに気付かされます。
そこで、御言葉に従って考え方や行動を一つ一つ見直し、修正していくうちに、状況が次第に好転し、苦しみから解放されるようになるのです。
○ RAPT有料記事374(2019年5月13日)主の知恵は人間の想像を遙かに超えたものだから、主の御言葉に従って生きる人がどれほど栄えていくかは、人間の頭では想像することができない。
○ RAPT有料記事536(2021年2月13日)主の思考回路は、愛の思考回路であり、そこに自分中心の考えは一ミリたりともない。そして、主と同じ思考回路を持てるように自分自身を作りなさい。
このように、冷静に気持ちを保てるようになったことで、自分でも気付かなかった弱点や欠点にも目が向くようになり、さらには神様に祈り求めるなら、神様がこれからどう変わっていけばよいのかを明確に示してくださり、実際に変わっていけるよう、どこまでも豊かに力を与えてくださるのです。
ーーーーーーー(証、転載ここまで)
ーーーーーーー(一部転載します)
RAPTさんは、常に「私たち人間は神様を信じ神様を愛し、神様のために生きることで、どこまでも幸福に生きられる」と教えてくださっています。
○RAPT有料記事823(2024年3月25日)神様を第一に愛して生きるなら、神様があなたの生活を守ってくださる。あなたが生活を守ることを第一にして生きるから、かえって生活が守れないのだ。
私は実際に、RAPTさんが教えてくださっていますように、神様を第一に愛して生きる生活を続ける中で、これまで受けたことのない喜びと恵みに満たされ、心から感謝しながら、どこまでも幸福な毎日を過ごせるようになりました。
ーーーーーーー
しかしサタンは、神様から愛と恵みを受け、幸福に生きている人間の姿を羨み、神様と愛を成して生きる私たちを妬み、嫉妬に駆られて、常にその関係を断とうと、あらゆる嫌がらせや妨害を仕掛けてきます。
○RAPT有料記事22(2015年11月14日 )我々の喜びを奪い取ろうとするサタンの働き。
先日も、そうしたサタンの攻撃によって、私の霊体と肉体が深く影響を受け、体力をごっそりと奪われるような体験をしました。
頭痛に加え、体中のあちこちが次々と痛み出し、霊的にも大きな苦しみを感じ、その影響で心もすっかり弱り切ってしまい、祈る気力さえ失われそうになりました。
このままではいけないと頭では分かっていても思うように力が湧かず、焦る気持ちだけが募っていきました。
そんな中、私はただ心の中で絶えず神様に助けを呼び求めていました。
しばらくそのようにしていると、ふと、聖霊様のような優しい愛に包まれ、私の心にそっと語りかけてくださっている感覚を覚えました。
「焦らず、ただ静かに神様に祈り求めなさい」
私はその声のおっしゃられる通りに心を鎮めて、
「霊肉魂が元気になりますように。」
「再び力を取り戻して御心を成せますように。」
と神様に祈り求めました。
するとそれまでの焦りや不安心配がスーッと消え、身体中が安堵感に包まれ、肩の力も自然に抜けていきました。
その時間はそれまでの途方もない虚無感とは打って変わって、どこまでも温かく穏やかで神霊な時間でした。
気が付いた時には、私はほんの少しの時間、深い眠りに落ちていたようで、ハッと目が覚めたときには先ほどよりも明らかに、肉体も霊体も心も軽くなっているのを感じました。
その後も、お祈りを続けていましたら、確実に自分の霊肉魂に力が宿っていくのが感じられました。
このとき私は、自分の力で無理に気力を振り絞るのではなく、ただ神様を信じて縋り、静かに祈り求めることで、神様が豊かに聖霊を注いでくださり、その御力によって霊体も肉体も癒され、力が与えられるのだということを、はっきりと実感しました。
そして翌日には、すっかり元気を取り戻していたのです。
ーーーーーーー(証、転載ここまで)
次に、こちらの御言葉をおすすめします。
御言葉ーーーーーーー
2025年7月15日(火)
神様は、私たちがサタンに完全勝利できるようになったとき「完全な者」になったと認めてくださる。その人は堕落から回復し、神様が本来造りたかった人間の形を取り戻したからだ。
ーーーーーーー配信はこちらから
さて、大芝高原に到着。
こちらに来たのは、筆者好物のガレットが目的です。
たくさん種類があって、選ぶのに時間がかかりましたが、シンプルにはちみつとりんごのコンポートにしてみました。



美味しかったですね〜。
特にアイスクリームが別格の美味しさで、どうやらジェラートとしても人気のお店のようで、筆者が座ってから続々と注文する人がやってきました。
(筆者、割とお店で人を呼ぶタイプ)
大芝高原は、かなり敷地が広く、道の駅・スポーツエリア・キャンプ場・温泉・リラクゼーション・森林エリアがあります。
散歩してみようかと松林に向かいましたが、雨粒が。
またの機会にして、宿に戻りました。
この旅は、次回へと続きます。
