祈りの旅 〜長野・御嶽山〜


皆さん、こんにちは。
今回は「長野の旅ファイナル」というくらい、ちょっと長めの滞在でした。
この旅の準備をしていた2週間の間、波長が悪く、少し体調がすぐれない日が続いていました。
もう、最終決戦、ラスボスに挑むようなものですから、サタンだって黙ってはいないでしょう。
早朝、中央自動車にて左手に富士山、右手に八ヶ岳が全貌を表し、その姿を眺めつつ長野まで車を走らせました。
いよいよ御嶽山の麓にある木曽川を渡り、道の駅三岳でちょっと休憩。
なんと、戻ってくると車内にタマムシが入っていました。タマムシは虹色をした、光沢のある珍しい昆虫です。


筆者がタマムシを見たのは、かれこれ20年前のこと。
巷では縁起の良い、滅多に見られない昆虫だと言われています。(人生で3回目なので、確率は低い)
実は前回の旅、車山高原のカフェにて太ももに小型のタマムシが乗り、撮影したのですがピンぼけしてしまいアップしませんでした。↓

〈出典はこちら、タマムシに会いたいーより〉
珍しいタマムシに感激しつつも、緊張の帯を締め、いざ御嶽山へ。
こちらから出向いていくので、心して立ち向かわなければ絶対にやられます。
戦後最大の災害噴火となった御嶽山。
2014年、信じられないような災害が起きてしまいました。
NHKスペシャル 緊急報告 御嶽山噴火~戦後最悪の火山災害~

御嶽山が大噴火したまさにその直後の現地ムービーがYouTubeにアップされ公開中
この災害について、RAPT理論で御嶽山を含む「国常立尊」についての真実が紐解かれています。
日本の神社仏閣の「神」として崇められてきた存在の正体。千年以上かけて浸透した悪魔崇拝の歴史と文化。
これから先は、日本に蔓延ってきた偶像崇拝は廃れ、いずれ偉大な「万軍の主」を信仰する人々で溢れる世界となるでしょう。
しかし、中心者のおっしゃる通り、今が一番の踏ん張り時なのです。
いま、この時に義の条件を立て、乗り越えていかなければならないのです。
こちらのRAPT理論をお読みください。
JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。
ーーーーーーー(一部転載します)
恐らくこの墜落事故を計画した主犯はロックフェラーに違いありませんが、「国立常尊」を信じる「出雲族」もまた共犯であることは疑いようがありません。
彼らが自分たちの神様を蘇らせるために、民間航空機を撃墜し、520人もの乗客を殺したのです。
では、520人もの人間を殺害させた「国常立尊」とは一体どんな神様なのでしょうか。今日はその正体に迫ってみたいと思います。
先ずは以下の記事を御覧になって下さい。
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
国常立大神(くにとこたちのおおかみ)は、『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。
(註:「国常立尊」と「国常立大神」は全く同じ神様です。)
しかし、国常立大神を語るには、大本教(おおもときょう)の出口なお、出口王仁三郎氏を紹介しないといけません。
大本(おおもと)は、1892年(明治25年)、出口なおに降りた国祖・国之常立神の神示を立教の原点とする教派神道系の教団であります。
出口なおに、国常立大神の神示が降り、霊能者である出口王仁三郎と1898年(明治31年)に出会い、大本として独立することになる。
王仁三郎は、出口なおの娘婿となり、後に養子となった。
やがて戦前の日本において、有数の巨大教団へと発展しました。出口なおには、厳霊・国常立大神の神示がお筆先(自動筆記)による間接内流によって伝えられました。
出口なおの昇天後には厳霊の神懸りも加わると共に、主神の神霊も本格的に神懸るようになり『霊界物語』の口述もされました。戦前、政府から二度の弾圧を受け、組織と施設に潰滅的な被害を受けました。
全国に大本弾圧の嵐が吹き荒れた頃、弓削道鏡、足利尊氏、明智光秀と並んで日本史上「四大逆賊」の一人である、とまでの非難を浴びせられた出口王仁三郎について書くと批判を受ける覚悟で書かせて頂きます。
大本教の聖師であった出口王仁三郎によると、泥海の状態にあった地球の天地を、修理固成した神を、国常立大神と言います。
またの名を「艮の金神」(うしとらのこんじん)とも言います。
この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた「ミロク大神」と「伊邪那岐命」のニ神を助ける形で、地上に降臨したそうです。
国常立大神自身も龍神であったようですが、他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。
その後も国常立大神は、地球の相司令官として君臨し続けたようですが、次第にその厳格さゆえに、他の眷属神から不平がもれ始め、世界の東北(=艮)の地にあたる日本列島に封印されてしまう事になります。
それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。
しかし、次第に地上の人間達が欲望とエゴにまみれ、地球環境破壊などを起すようになってきます。そこで、この世の「立て替え」の為に、荒神である国常立大神の力が、再び必要とされ始めたという事なのです。
国常立大神は、既に「日本の地」に下生されて活動を始めています。この世を作った神でなければ、世の「立て替え」はできないという事なのです。
また、ここで言う世の「立て替え」とは、全人類の宗教観や社会常識など価値観の立て替えであり、次第に物理的な立て替えにも繋がっていく事になります。
大本教では、国常立大神が世の悪神達によって世界の東北(=艮)の地に封印されてしまった事、節分の豆まきは、国常立大神を封印する「まじない」であるとしています。
ーーーーーーー(転載ここまで)
このように「国常立尊」を神として信じ、かつ最も巨大化した宗教団体が「大本教」です。
しかし、この「大本教」は神道を信じる宗教団体でありながら、神道の最高神である「天照大神」を信じず、「国常立尊」を最高神として信じていました。今でも「大本教」の信者たちはそう信じているはずです。
もちろん、当時の天皇をはじめ、皇室の面々はこの「大本教」の信仰のあり方を見て怒り狂いました。
当然です。天皇家が最高神としている神様は「天照大神」です。なのに、「大本教」ではその「天照大神」を差し置いて他の神様を信じているというのですから。
天皇家からしてみれば、これほどの相当な屈辱はなかったでしょう。
そこで、天皇家は「内務省」を通して「大本教」を激しく弾圧することにしました。それがいわゆる「大本事件」と呼ばれるものです。(詳しくは以下のリンクを御覧下さい。)
このように、現在の天皇家にとって「国常立尊」は一種のライバルのような存在であると言えます。
そもそも、天皇家は「国常立尊」をずっと昔から煙たがっていて、あるときこの神様を「東北=艮(うしとら)」の方角に封印してしまいました。
今でも「節分」には豆まきが行われますが、実はこの豆まきはこの「国立常尊」を追い払うために行われるものです。
世間一般に言われている「鬼」とは、実は「国立常尊」のことなのですね。
しかし、この「国立常尊」を神としている「出雲族」からしてみれば、自分たちの神様を追い払うなんてとんでもないことです。なので、当然、彼らは節分に豆まきをしません。
もし読者の方の中に、自分の家では一度も豆まきをしたことがないという方がいらっしゃいましたら、そのご家庭は「出雲系」である可能性が高いと考えていいでしょう。(もっとも、ここ最近は、家系とは関係なく豆まきをしない家庭も増えてきているとは思いますが。)
また、日本の神社の中にはこの「鬼」を神様として祀っている神社もありますので、当然、こういった神社でも節分に豆まきはしません。
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
節分というものは“福は内、鬼は外”で、鬼の災いを避けるという、昔からの行事があるのです。そのためにほうぼうの神社仏閣で豆まきをやるのです。
ところでこれは、前にも話したことがありますが、あべこべなのです。鬼というのは偉い神様なのです。
艮の金神国常立尊という神様です。
今日の御讃歌にも「常立の神」というのがありましたが、国常立尊(くにとこたちのみこと)のことを略して常立の神と詠んだのです。
それからもう一つ「艮の神」ということも入れてありました。そういうようで、つまり事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではないのです。そう古いことでもないのです。
もっとも三千年ということになってますから、三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。
ところが非常に厳格な神様で、間違ったことは許さないというために――大本教のお筆先などを見ると分かりますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとてもやりきれないというので、こういうやかましい神様は押し込めなければ楽はできないというわけで、押し込められたわけです。
押し込めた方の神様は天若彦(あめにわかひこ)神というのです。これはよく天邪鬼(あまのじゃく)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪鬼と言って、つまり素直でない、なんでも横車を押すという性格の神様です。
それで国常立尊という神様を、艮(東北)に押し込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌み嫌ったのです。もっとも忌み嫌うわけです。
人間の方が間違ったことをすれば、そういうやかましい神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろんなことをやったのです。
そういうわけで、三千年押し込められたとしてあります。そうしてその神様が明治二十五年に大本教の教祖の出口なおという方に憑られて非常に怒鳴ったのです。
出口なお刀自の口を借りて怒鳴ったのです。その第一声が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」というそれが最初の獅子吼(ししく)です。
それで、大きな声をして怒鳴るので、気違い扱いにされて警察に引っ張られて、二十日か三十日間勾留されたのです。それが大本教の始まりなのです。
その艮の金神という神様は、押し込められて肉体の方はなくなりましたが、霊は霊界に行かれて閻魔大王になるのです。それで閻魔大王というのは、善悪、罪穢れを裁く神様、裁くお役目です。閻魔大王というと非常に恐ろしがられたのです。
それが、本当は至正至直の神様ですから、そこで霊界に行っても、悪い人間が見ると恐ろしい顔に見えるのです。
ーーーーーーー(転載ここまで)
恐らくこの記事を書いた人も「出雲族」か、その関係者なのでしょう。
このように「艮の神」や「国常立尊」を良い神様として書くような人は、先ず「出雲族」か、その関係者と考えて間違いありません。
逆に「国常立尊」のことを悪く書くような人は、「大和族」か、その関係者である可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
で、この「国常立尊」を良い神様として崇め、広くこの日本に普及させてきた最大の立役者が「大本教」の教祖「出口なお」と「出口王任三郎」だったわけです。
いえ。それだけではなく、実は彼ら二人が国家から大弾圧を受けた後も、「国常立尊」の名をさらに広めた人物がいます。
その人物とは「岡本天明」です。
あるとき突然、彼は「国常立尊」に取り憑かれ、「日月神示」という書を「自動書記」によって書くようになりました。1944年のことです。(「自動書記」とは自分の意志ではなく、霊に取り憑かれて勝手に文字を書くことを意味します。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。)
で、今ではこの「日月神示」はネットでも広く普及し、多くの人の知るところとなっています。
そして、この「日月神示」には別名があって、「ひふみ神示」または「一二三神示」ともいいます。
そうです。1985年に墜落した民間飛行機、「JAL123便」と全く同じ「一二三」です。
「JAL123便」の乗客520人の死によって蘇った「国常立尊」が、今から半世紀近くも前に「岡本天明」に取り憑いて「一二三神示」を書かせていたというわけですね。
まあ、なんとも矛盾した話ですが、いずれにせよ、「一二三神示」を書かせた神が「123便墜落事故」の死者によって蘇ったというのは余りにも出来すぎた話です。
なので、「JAL123便墜落事故」が単なる事故ではなく、人為的に起こされた事件であったということは疑いようもありません。
しかしながら、「国常立尊」を神と崇める人たちは、今でも「JAL123便墜落事故」を神の成した業であり、神様がついにこの世の悪を糾すために活動を始めたのだと本気で信じ込んでいるのでしょう。
実際、かの「3.11」もたまたま日本の艮(北東)の方角の地で起きたわけですし、「国常立尊」が祀られている御嶽山でも、ここ最近やたらと激しい噴火を繰り返していますので、尚更、そう信じないわけにはいかないでしょうね。
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
(2014年)9月27日午前11時53分ごろ、長野、岐阜県境にある御嶽山(おんたけさん)が7年ぶりに大噴火した。紅葉シーズンの週末土曜日、日帰りの登山者が最も多い時間帯。まさに最悪のタイミングでの噴火だった。
この、御嶽山は「木曽の御嶽山」として、古くから山岳信仰の霊山として有名だが、この山の御祭神は、なんと国常立尊なのである。これは、冒頭でもお伝えした『日月神示』に神示を与えている、”国を作った”神なのだ。そこでこのような事態が起きたとは…。
ついに国常立尊が動き出したとしか言いようがない。『日月神示』の予言に記されている「大峠(未曾有の大厄災)」が始まったのだ。そう、御嶽山噴火はただのプロローグに過ぎない。
■御嶽山噴火! 的中か!?
「日は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ、人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとして、神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」
この予言にある「火の雨降らしての大洗濯……」とは、まさに火山噴火による大災害のことであろう。
また、
「江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ」
「八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ」
そして、まさに9月、今回の御嶽山の噴火が起きた。しかし、予言はこれで終わらない。上に記したとおり、「十月に気つけて呉れよ」とある。ということは…?
ーーーーーーー(転載ここまで)
もちろん、御嶽山の噴火のみならず、「出雲族」の神様はあらかじめ「3.11」が起きることもきちんと予言していたようです。凄いですね。
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
2011年3月11に起きた3.11テロと福島原発の事故による放射能汚染・・・
実はこの恐ろしい事態を予言していた神社があったのです。
東日本大震災が起きた年の1月、長野県諏訪郡の諏訪大社下社春宮で行われた神事で占われた結果が、
(註: 諏訪大社もまた「出雲系」の神社です。)
「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出た。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き足をすくわれる」と出たのです。
この神事は、毎年1月14日の夜から15日早朝にかけて1年の世相や農作物の豊凶を占う神事で「筒粥神事」と呼び、よく当たることから「諏訪大社七不思議」のひとつとされています。
そして、この年は農作物については、秋蚕、里芋、晩稲の3品目が大豊作で、インゲン、茄子が不作という結果が出たそうです。
問題は世相についての結果です。
出たのは「三分五厘」という数字。
これは「五分」を最高とする中では厳しい数字らしいのです。
神事を終え、北島権宮司は
「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出たのです。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」
と語り、地元紙などに掲載されました。
3月11日の東日本大震災と、その後の暗い日本の世相を見事に言い当てたというわけです。
不吉なことはさらに続きます。
震災後の4月4日のこと。
日本一大きな日の丸国旗があることでも有名な京都の出雲大社で、それは起きました。
この出雲大社の国旗の大きさは畳75帖分あるというから、いかに大きな国旗であるかがわかります。
その日本一大きな国旗が風で真っ二つに裂けて半分が下に落ちたというのです。
神のいる神聖なる場所で起きたこの不吉な出来事を私たちはどう捉えるべきなのでしょうか?
近いうち日本が真っ二つに分かれるというのでしょうか?
それとも日本が崩壊するとでもいうのでしょうか?
ネガティブなイメージだけが頭をよぎます。
今後も恐ろしいことが起こりそうな予感がするのは私だけではないと思います。
平和ボケしている日本国民に対し神様が激怒しているのかもしれません。
日本国民は平和ボケしている場合ではありません。
今こそ目を覚まし危機感を持つべきです。
ーーーーーーー(転載ここまで)
このように、「出雲族」の神様は次から次へと未来の出来事を予言したり、この世を糾すために大災害を起こしたりと、とても忙しく活動なさっているようです。
もちろん、賢明なるこのブログの読者の皆さんはこんな話を真に受けることはないと思いますが……。
しかし、こうしてよくよく見てみると、「国常立尊」がいにしえの時代に暗殺され、艮の方角に封印されてしまったというのは無理もない話です。
こんな迷惑な神様はとっとと殺して、封印してしまった方が身のためですから。
ちなみに、この「国常立尊」の子孫である「スサノオ」や「大国主」は、かつてメソポタミア地方で「バアル」という名で崇められていた神様(悪魔)です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
はっきりと言いますが、このように悪魔を多くの人たちが神として崇めるようになると、この世の秩序が完全にひっくり返ります。
現在の日本がおかしくなっているのは、まさにこのような悪魔を神として信じる人たちが大勢いることに原因があるのです。
このような人がこれ以上増えることなく、むしろ減少し、ゆくゆくは完全にいなくなることを強く願うばかりです。
ーーーーーーー(RAPT理論、転載ここまで)
予言といいながら、自分たちで災害を起こす。
その災害によって人々を苦しめ、あるいは殺害し、サタンに生け贄を捧げるわけです。とんでもない輩たちです。
御嶽山は、702年に役小角が開山し、1782年に覺明行者が黒沢口登山道、1792年に普寛行者が王滝口登山道を開いたとされています。
出口王仁三郎は、100年後の1871年に生まれているのですが、「大本教」すらも利益目的・サタンの手先となって乗っ取った可能性があるといいます。
こちらの記事もお読みください。
RAPT×読者対談〈第106弾〉出口王仁三郎と日本軍による世界征服計画とその失敗。
愛媛県の最高峰「石鎚山」は、JAL123便を撃墜して520人の命を奪った「国常立尊」そのものでした。
ーーーーーーー(一部転載します)
今回、私が体調を崩したのは、明らかに霊的な攻撃によるものだと思っています。(なので、病院には一切通っていません。)
ですから、この一週間の間は、体調がよくなったと思っても、また霊的な攻撃を受けて、体調が再びおかしくなるということが何度も繰り返されました。
私が「JAL123便墜落事故」の内幕について深く暴露したことが、どうやら「国常立尊」の怒りを買ってしまったようです。それは先日も記事に書いた通りです。
○体調が万全に整うまでしばらく記事の更新はお休みします。しかし、ただ休んで終わりではなく、新たな企画を構想しています。
もっとも、私がこんなことを言うと、読者の方の中には相変わらず私が妄想を語っていると思う人がいるかも知れません。
なので、今回、こうして私の体調が崩れたのが「国常立尊」からの攻撃によるものなのかどうか、自分なりにはっきりと確かめてみることにしました。
しかし、どうすればそんなことが確かめられるのか。実はその方法が一つだけありました。
私の住んでいる家の近くには「石鎚山」という西日本最高峰の大きな山があります。
この山は「日本七霊山」の一つであり、まさに四国地方にとっての「富士山」、いえ、西日本にとっての「富士山」と言っても過言ではないほど巨大な山です。
実際、四国の人々からは、この「石鎚山」は神様のように崇められています。
ちなみに、「日本七霊山」とは以下の山々のことを言います。(出典はこちら)
・富士山(静岡県、山梨県)
・立山(富山県)
・白山(石川県、岐阜県)
・大峰山(奈良県)
・釈迦ヶ岳(奈良県)
・大山(鳥取県)
・石鎚山(愛媛県)
この「石鎚山」は私の住んでいる家からも見ることができます。夏は青々とした姿が美しく、冬は雪のかかった白い姿がとても美しく見えます。人々がこの山を神様のように崇めたくなる気持ちも分からないでもありません。
で、この「石鎚山」について詳しく調べてみると、実はこの「石鎚山」そのものが本当に「蔵王権現」という神として定められ、祀られていることが分かりました。
このウィキペディアの記事の「全国の主な蔵王権現」という項目の中に、「石鎚山 – 山そのものが石鎚蔵王権現」とあります。
また、以下の記事にもこうあります。
ーーーーーーー(以下、ウィキペディアより転載)
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。
伝説で紀元前63年のこと崇神天皇第35年石鎚の峯に神を勧請す(長寛勘文による)とある。
また、685年に役小角(神変大菩薩)が開山、引き続き、上仙法師(寂仙または石仙とも呼ばれている)が開山したと伝えられる。
その後、空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから空海も修行したことは異論のないところである。
さらに伊予国風早郡の出身の光定といった高僧たちも修行した。
以来、石鎚蔵王権現と称され、別当の前神寺(四国八十八箇所第64番)・横峰寺(四国八十八箇所第60番)のもとで、神仏習合・修験の道場として繁栄した。
ーーーーーーー(転載ここまで)
しかも、さらによく調べてみると、この「蔵王権現」は、なんと「JAL123便」を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」と同じ神であることが分かりました。(「国常立尊」が520人を殺した犯人であるという証拠はこちら)
つまり、「蔵王権現 = 国常立尊」というわけです。
ーーーーーーー(以下、ウィキペディアより転載)
また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。
ーーーーーーー(転載ここまで)
ですから、四国にある石鎚山は「国常立尊」そのものである、と言ってもいいわけですね。
正直、これには私も驚きました。自分の近所にある親しみのある山が、実は「悪魔」として祀られていたというわけですから。
で、私の住んでいる愛媛県には、この「石鎚山」を御神体として祀っている神社があって、その神社の名を「石鎚神社」と言います。以下がその神社の画像です。





この「石鎚神社」は山そのものを御神体と祀っているので、かなり規模の大きな神社です。
以下の画像はこの石鎚神社の案内ですが、これらの建物はほんの一部に過ぎません。上の画像を見てもお分かりになる通り、山の上にも建物があったりしますので。

で、私は試しにこの神社に行ってみることにしました。家で寝てばかりいても仕方がないので、気分転換もかねてドライブに行こうと思ったわけです。(もちろん、山にまで登る気はなく、ちょっと立ち寄るぐらいのつもりで。)
しかも、この神社は私の家から車で一時間もかからない場所にあります。なので、行こうと思えばいつでも行くことができます。
しかし、そんな近い場所にありながら、私は今までこの神社には一度も行ったことがありませんでした。多分、私の家族も(もしかしたら先祖も)誰も行ったことはないと思います。
恐らくうちの家系は「出雲族」ではないということなのでしょう。
で、上の画像にもありますように、先ずは赤い大きな鳥居をくぐり、さらにもう一つ小さな鳥居をくぐります。で、第二駐車場に車を止めて、「神門」に行きます。
すると、そこには「鬼」と「天狗」のリアルな木彫りの彫刻がありました。以下は私が撮った写真です。光が反射しているのは、ガラス張りになっているからです。


この二つの彫刻はかなり巨大なもので、上を見上げるようにして見なければなりません。しかも、これらの彫刻を間近で見るととても気味が悪い。彼らの正体を知っている分、余計に気味が悪かった、というのもあるかも知れません。
で、この「神門」に行った時点で、私はおかしな偏頭痛に襲われました。頭がヒリヒリ、チクチクするような感じです。
で、さらにこの「神門」をくぐって、その奥にある「会館」「社務所」に行こうとした時点で、私はさらに強烈な頭痛に襲われました。
その頭痛はまさに一週間前に経験した頭痛と全く同じものでした。この頭痛がひどかったので、この一週間、私はずっと記事の更新をお休みさせていただいてきたわけです。
いえ。もっと正確に言うなら、それは一週間前に経験した頭痛よりももっと激しい痛みでした。まさに悪魔か何かが私の頭に覆い被さってきたような感覚です。
で、その頭痛が首筋を通って、全身をもしびれさせはじめました。まさに電気信号が頭から全身へと伝わっていくような感じです。
特に首筋に強烈な痛みが走り、首の筋が自然とピクピクと激しく動き出しました。
で、その痛みが余りにも強烈だったので、それ以上、先に進むことはできませんでした。「神門」から先を少し進んだところでリタイアです。
まあ、普通の人なら、「それは電磁波攻撃だ」と言われたら、素直にその言葉を信じたかも知れません。本当に強い電波が頭から全身に伝わっていくような感じでしたから。
さらに言っておくと、私の頭痛がたまたまそこでぶり返したというわけではありません。なぜなら、私がもう一度「第二駐車場」に戻ったときには、その頭痛はきれいさっぱり消えてなくなったからです。
どうやら私は「国常立尊」に弾かれてしまったようです。「お前はこれ以上、この神社に近付くな」という警告だったのかもしれません。
私が「国常立尊」とそれを信じる「出雲族」たちの悪事を次々と暴いてきたので、私はどうやら「国常立尊」から激しく恨まれてしまったようです。
まあ、私としても「国常立尊」や「出雲族」と仲良くやっていきたいとは思わないので、ある意味、願ったり叶ったりではありますが。
ちなみに、私以外の人たちは特に頭痛を感じることもなく「会館」や「社務所」に行くことができるわけですから、私が感じた頭痛の原因が「電磁波」でないことは明らかです。
ということで、今回、こうして「石鎚神社」に試しに行ってみたことで、私を襲った頭痛の原因が、間違いなく霊的な攻撃によるものであるということがはっきりと分かりました。双方ともその痛みが全く同じタイプのものだったからです。
ですから、私と違って霊界の存在を信じていない人が、下手に「国常立尊」の悪事を暴いたりすると、強烈な頭痛に苛まれ、「電磁波攻撃」を受けたと信じ、二度とそんな目に遭いたくないと思って、それ以上の記事を書こうとしなくなるかも知れません。
しかも、そういう人は「国常立尊」を追い払うための祈りすらしないでしょうから、その後も強烈な偏頭痛に悩まされつづけるかも知れません。
一応、私の場合はこの一週間ずっと祈りつづけて、なんとか頭痛からも解放され、「国常立尊」も追い払うことができたという感じです。
もっとも、今後いつ再び彼らからの攻撃があるか分かりませんので、油断は禁物です。これからもさらなる祈りが必要でしょう。
しかしながら、多くの人々がこの「石鎚神社」のような神社に行って、美しい自然に囲まれた勇壮な建物を見ながら、心が洗い清められるような神聖さを感じているわけです。そう考えると、なんとも複雑な気持ちになりますね。
確かに外観だけを見れば、その自然や建物の壮麗さに心を打たれるてしまう人たちの気持ちも分からないでもありません。
しかしながら、目に見えないところでは、このように悪なる霊どもがうようよしているわけですので、何度も繰り返しこの神社に通っているような人たちは、その心や人生に何らかの影響を受け、危害が及んでしまう可能性はなきにしもあらずです。
実際、この「石鎚神社」のある「西条市」は年々、目で見て分かるほどに寂れていっています。「西条市」のお住まいの方たちには本当に申し訳ないのですが、それが傍目から見ていて感じる率直な印象です。
もちろん、町が寂れていく原因がすべて「石鎚神社」にあるとは断定できませんが、悪魔崇拝者たちが「石鎚山」を神として崇め、ちょくちょくその山に足を運んできては、その近辺で悪魔崇拝なんかを行っているわけでしょうから、霊的に大きな(悪い)影響を与えていることは疑いようもありません。
近所にお住まいの人たちが知らず知らずのうちにその影響を受けて、やる気を失ったり、生気を失ったり、病気に罹ったり、精神的に辛い思いをしたりしている可能性もなきにしもあらずなのです。
そして、それが町の行政や経済などにも影響を与えてしまっているわけですね。
とはいえ、他の人たちが悪魔の影響を受けることを止めるのは難しいので、先ずは自分から悪魔の影響を受けないように努めることが何よりも重要です。
ーーーーーーー(RAPT理論、転載ここまで)
現実に、霊的な攻撃を受けると肉体にも害が出ます。
サタンは、我々人間をとことん憎んでいます。サタンが何か仕掛けているというのに無防備でいたら、そのまま理由が分からず、ただ単に「体調が悪いとか不幸なことが起きた」と、太刀打ちする術を知らずに苦しんでいることがあるのです。
この地上を創造した神様を愛さずに生きるということは、「苦しみながら生きること」を選択しているようなものです。
こちらの記事をお読みください。
ーーーーーーー(一部転載します)
執筆に先駆けて、悪人たちが地震や洪水などの災害を人工的に引き起こし、人々の生活を破壊して苦しめてきた経緯や歴史を学ぶ中で、彼ら悪人たちは、人間がどうなれば苦しみ、不幸になるのかを徹底的に理解した上で、あらゆる行動を起こしているのだということを改めて痛感しました。
◯RAPT有料記事811(2024年2月5日)神様とサタンが激しく争い合っているので、神様の創造した私たち人類は生まれたときからサタンに宿敵として憎まれる運命にある。
これまで世界を牛耳ってきた支配層たちは、先祖代々、悪魔を崇拝し、その悪魔から知恵や力を与えてもらうことで栄え、それと引き換えに悪魔の願い通りにこの世の人間を滅ぼそうと画策してきたことがRAPT理論によって暴かれています。
彼ら悪人たちは、数十年前まで戦争や虐殺などを平然と繰り返し、多くの人々を殺戮して苦しめてきましたが、最近はその手口が巧妙化し、政策や医療などの分野を通じて、じわじわと苦しめるという手段に出るようになりました。
重税を課して経済の余裕を奪い、働いても働いても豊かに生きられない環境を作って、時間や心の余裕を奪い、さらにはワクチンなどの有害な医療を普及させて病気を蔓延させ、移民を大量に受け入れることでモラルを破壊し、人々からありとあらゆる幸福を奪い取っています。
私自身、RAPTブログに出会う前までは、1日の大部分を労働時間に充てていたにもかかわらず、経済の余裕を得られないばかりか、時間や心の余裕もどんどん失い、精神的にも肉体的にも不幸だと感じながら生きるしかありませんでした。
しかし、RAPTブログとの出会いを機に、この世の中の仕組みを正しく理解し、これまでの生き方から一刻も早く抜け出したいと願うようになりました。
◯RAPT有料記事798(2023年12月19日)人間の人生を一言で言い表すなら、神様に従順に生きるなら幸福になり、神様に不従順に生きるなら不幸になる、ただそれだけだ。
◯RAPT有料記事808(2024年1月27日)人間の人生がどんなに十人十色のように見えても、実は人間の人生は「神様に従って幸福になるか」「神様に従わずに不幸になるか」の二種類しかない。
そして、幸福に生きるためには、悪人や霊的なサタンと戦って勝利するための知識や知恵や力を神様からいただかなければならないと理解し、RAPTさんが教えてくださった通りに信仰生活を始め、肉的にも能力・実力を身につけられるように毎日、努力するようになりました。
◯RAPT有料記事816(2024年2月26日)私たちが欠点・弱点をすべて克服してしまえば、サタンは我々に勝利する術がない。
聖書や御言葉を通して神様の考えを学び、お祈りや賛美をし、実生活の中で神様の考え通りに全てを行えるよう努力していくうちに、ありとあらゆることが円滑に進むようになり、さらには神様が様々な恵みを与えてくださるようになりました。
◯RAPT有料記事862(2024年8月26日)サタンに勝利した者だけが、神様の用意した祝福を余すことなく受けられる。(サタンは私たちが祝福を受ける前と受けた後にやってくる。)
その恵みとは、人生経験を積むための機会や、問題を解決するための知恵、知識、健康、安全に暮らせる環境、家、生活に必要なお金や物資、仕事道具など多岐にわたります。
そして今から振り返ると、私の身の回りにあるものの中で、自分の力で得たものは一つもなく、すべて神様がその時々に応じて与えてくださったものばかりだと感じます。
ときには、悪人たちから卑劣な嫌がらせを受けたり、根拠のない悪口を拡散されたり、活動を妨害されるようなこともありますが、神様が守ってくださるおかげで、今も元気に活動を続けることができ、年々恵みと祝福が増し加わり、心の底から幸福を実感できる出来事が増えてきました。
このような体験を通して、悪人やサタンは私たち一人ひとりをどのように攻撃すれば不幸になるのかを熟知している一方で、神様は私たち一人ひとりに何を与えれば幸福になるのかを全てご存知でいらっしゃると深く悟り、心から感謝して、神様にもっと恩返しして生きられるよう毎日祈り求めています。
ーーーーーーー(証、転載ここまで)
ーーーーーーー(一部転載します)
私は今、RAPTさんが宣布してくださった御言葉を毎日学んでいますが、読めば読むほど、聞けば聞くほど、御言葉は心の闇を取り除く特効薬であり、まさに誰もが求めていた答えなのだと実感しています。
私は、幸いにも毎日RAPTさんから直接、御言葉を学べる環境を与えられ、ときには個人的に御言葉をいただくこともあります。
聖書と御言葉を深く学ぶことで神様の思考回路を身につけ、すべてを神様の御心の通りに行えるようになれば、神様と一体となり、この世でもあの世でも大きく栄えて生きられると、RAPTさんは教えてくださっています。
◯RAPT有料記事536(2021年2月13日)主の思考回路は、愛の思考回路であり、そこに自分中心の考えは一ミリたりともない。そして、主と同じ思考回路を持てるように自分自身を作りなさい。
◯RAPT有料記事833(2024年5月4日)御言葉を聞いて豊かに悟る人が神様の考えと心情を身につけて成長し、神様・聖霊様の臨む体となって、神の歴史を大きく成していく。
実際にRAPTさんは、あらゆることを神様の御心の通りに行うことで、すべてが順調に進み、どこへ行かれても常に祝福と恵みに満ち溢れ、年を重ねるごとに大きく栄えていらっしゃいます。
そして今、RAPTさんは、私たちがより神様を近くに感じ、神様と一体となって生きられるようにと、写真集や讃美歌などの芸術作品を次々と発表してくださっています。
このように私たちは、神様のお考えや心情に触れて、神様の思考回路を身につけることができるよう様々な天の文化・芸術が与えられるという驚くべき時代に生きています。
私は、RAPTさんの御言葉や芸術作品に触れるたびに、頭の中がどこまでも清々しくなり、心にも体にも力が満ち溢れ、これまでの自分では到底成し遂げられなかったこともできるようになり、無限に成長できると確信して、希望を持って生きられるようになりました。
◯RAPT有料記事835(2024年5月10日)御言葉を悟った分、絶望は消え、人生の荷が軽くなり、喜びと希望に満ち溢れるようになるし、悟ることの素晴らしさを人々に伝えずにはいられなくなる。
それと同時に、これまで何気なく見聞きしていた世の中の情報が、混乱に満ち、悪魔崇拝思想に染まっていることがはっきりと分かるようになりました。
ーーーーーーー(中略)
同時に、人が生み出すものにはその人の思考回路がそのまま反映され、他者に計り知れない影響を及ぼすのだと理解しました。
そして、RAPTさんが日々宣布してくださる御言葉こそ、目に見えない心の病を癒し、頭の中の混乱をすべて取り除き、誤りを完全に正してくださる命そのものであると改めて深く悟り、常に心に留め置き、決して手放したくないと一層強く願うようになりました。
◯悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
◯RAPT有料記事858(2024年8月10日)一ミリでもあなたの中に否定的な考えがあるなら、あなたの中にサタンが住み着いていると考え、信仰の火で全ての否定的な考えを焼き尽くしなさい。
この体験を通して、文章には書き手の思考回路がそのまま反映されるのだと痛感し、私自身も記事を発信するたびに大きな責任が伴うと強く感じるようになりました。
そして、まずは自分自身が聖書とRAPTさんの御言葉をさらに深く学び、神様の考えに少しでも近づけるよう、毎日命がけで努力しようと決心し、日々励んでいます。
世の中には肉体を健康に保つ方法が溢れていますが、思考回路や霊魂を正常に戻し、成長させる方法については、今なお多くの人々が知らないまま生きています。
そして、目に見えることには気を配っていても、目や耳から入る情報が自分にどのような影響を及ぼすのか深く考えず、無意識のうちに影響を受け、精神を病んでしまうケースも少なくありません。
しかし、このように情報が溢れる時代であっても、神様はRAPTさんを通して、世の荒波を押し返すほど豊かに御言葉を与えてくださり、私たちが迷うことなく救いへと導かれるようにしてくださっています。
ーーーーーーー(証、転載ここまで)
幸福に生きるための「御言葉」を中心者が述べ伝えてくださっています。
どうか、悪人の作り上げた世界、今の生活から抜け出したいと本気で思うなら、神様の御言葉を受け入れて生きてください。
神様の御言葉によって、人は救われていくのです。
御言葉ーーーーーーー
2025年7月14日(月)
どんなに欠点・弱点があったとしても、絶えず完全を目指して努力する人を、神様は絶えず愛で導いてくださる。私たち人間が完全な者となり、サタンに完全勝利できるようになったとき、真に幸福に生きられることを神様はご存知だからだ。
ーーーーーーー配信はこちらから
それでは、旅の続きに戻ります。
険しいカーブを走り、田の原を目指します。気温がグッと下がってきました。
全体的に晴れていますが、御嶽山には雲がかかっています。
もの凄い急勾配の坂道を自転車で登っていく子どもたちや、マラソンしている人たちがいることに驚きました。
駐車場に到着。標高2180mとなります。
御嶽山ビジターセンターに立ち寄り、田の原遥拝所へ。

〈良い天気です〉

〈青空が〉

〈田の原遥拝所に到着〉

〈厚めの雲が〉

〈だんだん近くなってきました〉

〈反対方向は晴れています〉
ベンチに座って、主に祈りました。悪魔の力がどこまでも弱体化し、地上で悪が蔓延らないようにと・・。
すると、だんだんと雲が厚くなり、雲行きが怪しくなってきました。
駐車場に戻ろうとした矢先、雨粒が。急ぎ足で車に戻り、さっと車に乗り込んでドアを閉めたその瞬間、もの凄い勢いで雨が降ってきたのです。
しかも、ドオン!!ゴロゴロゴロ!!と頭上で雷が大きく鳴り響きました。
雨量が激しく、かなり危険な様子。しばらく車で待機することに。
御嶽山から下山してきた人たちが、まるで洋服のまま水に入った?というくらい全身びしょびしょになっていました。(間一髪で車に乗れ、神様に心の底から感謝!!)
すぐには動けない天候だったので、少し仮眠することにしました。
しばらく経ってふと目を開けてみたら、なんと、完全に晴れて御嶽山が全ての姿を表したのです。
その光景を目にしたとき、なぜか勝った!と思いました。とにかく勝利したと、不思議とそう思ったのです。
すぐにカメラを手に取って撮影しました。

〈サタンが睨んでいる〉

〈しかし、数分後苦しみ悶えるような姿に〉

〈雨上がりに、草木の露がキラキラ光っています〉

〈強い日差し〉

〈雲が流れていきます〉

〈青空が〉

〈一気に雨雲が去っていきます〉

〈遥拝所が見えます〉

〈大昔の噴火跡〉

〈残雪〉

〈頂上まで見えました〉

〈光が映っています〉

〈天から強い光〉

晴れ上がったので、麓に向かいます。
雷と豪雨から、清々しいほどの雨上がりの空となりました。
しばらく走り、下り坂が終わろうかというあたりで、ざんざん降りの大雨にあたりました。
凄い勢いの雨だったのですが、お天気雨でフロントガラスの目の前に、大きく虹のプリズムが現れました。
地熱によって雨が降りながら水が蒸発しており、なんとも不思議なお天気。
雨が止み、ようやく橋を渡る直前、一匹の小猿が横切って行きました。渡り終わると、崖に数匹、小猿がまとまっていました。笑
宿に到着すると夕焼けが。


戦いは終わったかと思われたのですが、その後、頭痛に見舞われてしまいました。汗
ニュースで天気予報をチェックしたところ、この日、なんと長野全域で大雨・雷・洪水警報が出ていたというのです。(え?全域で!?)
記録的短時間大雨警報が発表された地域がありました。数年に一度しか降らないというような雨です。100ミリの猛烈な雨が降ったということでした。(何かが暴れた?)
その後、神様に祈り求めると、突発的な頭痛は回復していきました。
この旅は、次回へと続きます。
