ヨシュアの太陽
皆さん、こんにちは。
毎日、ワクチンを打った人が体調不調になったり、死亡したという情報が出ています。若くして杖を持つ人や車椅子の人が増えています。
情報に惑わされてワクチンを打ってしまった人は、今後の人生で、一体何が重要で大切なことなのか、良く考えてください。
生きることが辛くなった時、なぜこの世に生まれてきたのだろうと、誰しもが考えたことがあるでしょう。
そういう時こそ、神様を信じるものは救われます。
神様を信じた者しか、救われないのです。
聖書の「終わりの時」の完成が「世の終わり」に行われ、「裁きの日」に試されるということです。
今回は、筆者の体験談となります。
朝、駅に向かう途中で、秋とは思えないくらいの太陽の光が地上を照りつけていました。暑いくらいの異様な太陽で、ついつい何枚か写真におさめてしまいました。
この世界には、霊界というものが存在しています。
朝の太陽を見て、天の勢力が勝っているーーーと感じました。
聖書の神様を信じて中心者の御言葉に従う者にとっては、最後の戦いの時であり時代の転換期となります。
この日の御言葉は、旧約聖書のヨシュア記のお話でした。
2022年11月24日(木)
今この終わりの時、私たち義人にとっては一日が千年のようだ。天の軍勢が大量にこの地上に送り込まれているので、天使天軍一人一人が成した働きを全て合算すると、まさに千年分にも匹敵するからだ。(今この時、私たち義人にはヨシュアの時のように太陽が留まる祝福が与えられる)
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このお話の中で、中心者の方が、一日の時間がとても長く感じるとおっしゃられていますが、筆者も数日の間、近いような感覚で過ごしていました。
普段の生活では、業務に忙殺され「もうこんな時間」とか、逆に「まだこんな時間」と、事あるごとに時計を見ています。
しかし、最近は、何をするにも意識的に過ごせるようになり、一日が充実しているのです。
この「時間の祝福」によって、一日が千年のようにも感じるというその祝福を、ほんの少し体験することができたということでした。
私は「時間の祝福」の体験によって、祈りの深さが桁違いに変わりました。
毎日、明け方の祈りの時間のサタンの妨害は酷く、ラップ音や痛みを感じる攻撃、自分にも弱さがあって肉体がついてこれないなど、しっかりと祈ることができない日々が続いていました。
この日から、祈りの時間がとても満たされ、まるで11月11日の祝福の日のような時間なのです。
サタンが付け狙ってくる瞬間、まるで何かに守られているようです。
このような祈りの時間は、はじめての体験です。
天国という場所は、こういう幸福な時間が流れているのかも知れない‥と、この体験を思い出したとき、ふと思いました。この感覚がいつまで体験できるかわかりませんが、何が起きてもここで踏ん張らなければなりません。
聖書で、イスラエルの民がせっかくエジプトの奴隷生活から解放されたのに、シンの荒野で四十年間も過ごすことになってしまったという記述があるのですが、義人が御言葉に従順に行わないと同じことになる、という重大なお話がありました。
2022年11月28日(月)
2023年に至るまでの期間は、イスラエル民族がエジプトから脱出してシンの荒野に入ったのと同じ苦痛の期間だと主が仰った。この期間にブツブツと文句を言って御言葉に従順にしなければ、イスラエル民族と同様、四十年の蕩減を受けるから、最後まで耐え忍んで御言葉に従順に従って生きなさい。
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もしもそうなったら、もう生きている意味がない、多分死んだ方がマシだとさえ思えました。四十年とは、あまりにも辛すぎます‥。
モーセは、カナンの地に行くことが許されずに最後を遂げました。
申命記 34ー1〜5
モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフラエムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。
主はモーセに言われた。
「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。
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モーセの結末をはじめて知ったとき、悔しいような切ないような、なんとも言えない思いと涙が込み上げてきました。
今でも、この箇所を読むとそのような思いが溢れてきます。
その後、イスラエルの民はどうなったのかというと、ヨシュア記にあります。
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ヨシュア記 5ー6
イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出てきた民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼等には見せない、と主は誓われたのである。
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エジプトから出た民は、誰一人新しい土地に行くことができませんでした。
今まさに、この状況になるかならないかという瀬戸際です。
敵を倒すことができれば、念願の地に向けて、ヨルダン川を渡ることができるのです。
神様の計画通り、2023年を迎えたいと願っています。
「時間の祝福」を体験したお祈りの中で、神様がとてつもなくお怒りになっている瞬間を感じました。
その一瞬は、大変恐ろしいものでした。
12月1日、祈っている部屋ではない場所を通ったとき、養豚場の匂いが漂っていました。あれ?豚くさい?豚肉を料理したわけでもないのだが‥と考えていたところ、サタンの匂いかも知れないと思いました。
サタンは悪臭を放っており、汚らしい存在そのものです。
そして、御言葉では神様の心情と悪による悪臭のお話がありました。
2022年12月1日(木)
イルミナティたちの悪事が悪臭となって天にまで届き、彼らに苦しめられてきた人々の叫びが天にまで届いた。主も胸がえぐられるような思いをされている。2023年を迎えようとしている今このとき、主と心一つにしてイルミナティ・大バビロンの滅びを心から祈りなさい。
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罪の匂いが天まで届くほど、この地上は酷い状況です。
神様は、サタンと地上の悪人たちに、とてつもなく怒っておられます。
自分の罪を全てなくせるようにもがいて、清くなって、神様と天の軍勢が心置きなくこの地上で働けるように、努力すると決心して挑戦するしか方法はありません。
地上が天国となりますように‥。
旧約聖書 ヨシュア記 10ー8〜14
主はヨシュアに言われた。
「彼らを恐れてはならない。わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたのいく手に立ちはだかる者は一人もいない。」
ヨシュアはギルガルから夜通しで軍を進め、彼らを急襲した。主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられたので、ヨシュアはギブオンで敵に大打撃を与え、更に彼らを追ってベト・ホロンの坂道を登り、アゼカ、マケダまで彼らを追撃した。
彼らがイスラエルの前から敗走し、ベト・ホロンの下り坂にさしかかったとき、主は天から大石を降らせた。
それはアゼカまで続いたので、雹に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺したよりも多かった。
主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。
「日よ とどまれ ギブオンの上に
月よ とどまれ アヤロンの谷に。」
日は とどまり
月は 動きをやめた
民が 敵を打ち破るまで。
『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。
主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。
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この時代の中心者の手に、悪人の命運が手渡されています。
成約の時代に、歴史が刻まれる瞬間がやってきます。
絶対に後悔しないよう、中心者、兄弟姉妹、これから救われる人のために祈りを捧げます。
そして、必ずや神様の御心がなされますように。