信じること
これからの時代を生きていくにあたって、大切なことがあります。
それは「目には見えない世界」についてです。
そういう世界はある、と思っている方もいれば、あるかもしれないがどうなんだろう、またはないだろうという方もいらっしゃるでしょう。
私は、なんでも追求したいという人間なので信じているものや考えはあるけれど、一度はリセットしてじっくりと考えてみます。
答えは、それから出します。
それでは、まずこちらの記事をお読みください。
悪魔が人の心を破壊し、その命を生贄として捧げる二つのパターン。
人の心を破壊するには、ワクチンも食品添加物もウイルスも爆弾も必要ありません。ちょっとした情報操作、ちょっとした言葉だけで、人の心を簡単に蝕むことができます。
そして、人の心の中が悩み、心配、不安、憂い、絶望などで満たされれば、もはやその人は廃人同様になります。生きているのか死んでいるのか分からないような状態になります。
もしあなたが会社の経営者で、自分の会社の社員がみんなこんな人ばかりだったとしたら、どうなるでしょうか。そんな会社がうまくやっていけると思いますか。
絶対に無理ですね。こんな人たちがまともに仕事ができるわけがないですし、その会社はいずれ何かしら大きな問題にぶつかり、何かしら大きな危機に見舞われるでしょう。
しかし、今の日本がまさにこのような状況に陥っています。誰も彼もがその心に大きな問題を抱え、それを解決できないまま悶々と日々を過ごしています。
悪魔とは空想の産物ではなく、架空の存在でもありません。悪魔崇拝者たちはそんな非現実的なものを拝む連中ではありません。
こんな世界の中でも、きちんと自分を守る方法があります。それは一言で言えば、自分の心を守ることです。自分の考えを守ることです。
自殺する人も、他殺する人も、どちらも自分の心と考えを守ることができませんでした。悪い方向に考えが偏り、そこから抜け出せなくなってしまったのです。
鬱になる人の大半は、このような思考の罠に陥っています。考えがどんどん狭くなって、そこから抜け出せなくなってしまったのです。より広い視野、より広い考えを持てなくなってしまったのです。
しかし、本当のところは、その狭い考えから抜け出そうと思えば、いつでも抜け出すことができます。自分の思考は自分でいくらでも自由に操ることができるからです。しかし、なぜか本人はそこから抜け出せないと思ったのです。そう信じ切ってしまったのです。
「霊界」という奥義について。悪魔崇拝者たちは「霊界」の存在をひたすら我々一般庶民に隠してきました。
日本のマスコミも、2000年を過ぎた頃からやたらと心霊現象を扱った番組を流してきましたが、ここ最近は、まるで報道規制でもかけられたかのように心霊現象を扱う番組がなくなってしまいました。
いたずらに人を怖がらせてはいけないとか、存在するかしないか分からないものを報道してはいけないとか、表向きはそんな理由で報道させないようにしたのでしょうが、裏社会としては、悪魔崇拝という存在を知られたくない。そのため、人々が霊の世界について開眼しないように仕向けているのでしょう。霊のことについて、人々を無知なままにしておこうとしているのです。
で、いざ誰かが霊の姿を見たり、霊の声を聞いたりしたら、病院に行けと言って、すぐさま病人扱いしようとします。で、向精神薬を飲ませて本物の病人にしてしまうわけです。なんという酷い世の中でしょうか。
悪魔崇拝者を根本的に滅ぼし尽くす方法。それは「霊界」の奥義を知ることから始まります。
聖書には「霊界」について沢山のことが書かれてあります。まさに聖書は「霊界」についての秘密が書かれた書物なのです。
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世間一般の人たちにしろ、クリスチャンにしろ、全ての人たちが「霊界」のことを知らず、信じず、むしろまがい物だと思っているのは、もちろん、悪魔崇拝者たちがそのように巧妙に情報操作してきたからに他なりません。
彼らは「霊界」についての知識を自分たちだけで独占し、我々一般庶民には教えようとはしませんでした。そうしておいて、自分たちだけでコソコソと悪魔を拝み、悪魔と交流し、悪魔から知恵を授かったり、力を授かったりしてきたのです。それは一部の特権階級にのみ許される秘儀、秘密、奥義だったのです。
にもかかわらず、二千年前に現れたイエス・キリストが、いきなり一般庶民の前で「霊界」について「悪魔」について詳しく教えはじめ、かつ悪霊を追い出したり、悪魔を追い払ったりしはじめた。
だから、当時の悪魔崇拝者たちはイエス・キリストのことを煙たく思い、「イエスは異端である」「イエスは偽キリストである」という風評を広め、迫害し、十字架刑に処して殺してしまったのです。
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先ず私たちが「霊界」について知ることです。つまり、この世に悪魔が存在していること、そしてこの悪魔を拝む者たちがこの世を支配しているということ、しかし神はこの悪魔よりも強く、神なら悪魔を滅ぼすことができるということ。これらのことを知り、これらを信じて悪魔の滅亡を神に向かって祈ることです。
我々人類が神様の手によって守られてきたという数々の証拠。悪魔の滅亡が近く起こりそうな数々の予兆。
この世には人間の耳には聴けない音があります。それを世間一般では「超音波」と呼んでいます。
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一般に「霊感」が強いと言われている人は、普通の人よりもやや広い範囲の周波数帯のものを見たり聴いたりできる人ということになります。ですから、霊を見たり、霊の声を聴いたりする人のことも、特に異常だとは言えないわけですが、それでもこの世の中は、こういった人々のことを精神異常者と見なし、病人扱い、変人扱いします。
この世の科学者たちも、少し考えれば、これぐらいのことはすぐに分かりそうなものなのですが、彼らはなぜかそういった主張をしません。そういった主張をすると、自分まで変人扱いされていると思って恐れているのでしょうか。
とにかく、この世では霊界について詳しく話をする人が現れると、すぐにインチキ扱いされます。悪魔崇拝者たちがその人のことを異常者と断定し、悪い風評を広めて、その人の言説が広まらないように工作するからです。
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悪魔によって犠牲になった人、未だに犠牲になっている人はとても多いです。数え切れないぐらい多いです。本当にそれだけは無念でなりません。そのため、私もこんなブログを立ち上げて、皆さんにこの真実を伝え、注意を呼びかけてきたわけです。
「バベルの塔」がNWOの象徴であるという証拠。または日本に建設された「バベルの塔」について。
「バベルの塔」の絵を描いたのは、画家のブリューゲルですが、彼は中世ルネサンス期に活躍した画家の一人であり、ルネサンス期に活躍した画家のほとんどは悪魔崇拝者どもです。
ルネサンスというと、華やかな時代というイメージがありますが、実のところ、ルネサンスとは裏社会によるキリスト教の破壊工作に他なりません。「信仰ではなく理性」を人々に重んじさせることによって、人々からキリストに対する信仰心を奪い取ろうとしたのです。
さらには、キリスト教の教義の中に悪魔教の要素を混入し、全世界のクリスチャンたちが神様のことも信じられないように仕向けていきました。
キリスト教の教理に嘘をまぜて、その教理を矛盾だらけにし、クリスチャンの頭をどんどん混乱させていったわけです。
はっきり言って、矛盾した理論はどんな人でも信じることができません。中には簡単にカルトのデタラメな教理に騙され、一生、そのカルトを信じつづける人もいますが、やはり大半の人はインチキな理論など信じられないものです。
ですから、キリスト教の教理をねじ曲げて、矛盾ばかりの教理をクリスチャンたちに教えていけば、クリスチャンの大半はやがて信仰から脱落します。キリストを信じられなくなり、神様を信じられなくなります。バチカンはルネサンスを通して、まさにこういったキリスト教の破壊工作を行ったわけです。
水面下で着々と進む関西への首都移転計画。天皇派が頼りにする呪術の効果はいかに。
裏社会の連中は建物を建てる際にも、他にどんなことをする際にも、必ず呪術の力を借りようとします。しかも、そこに莫大なお金を投資します。彼らがそれだけ呪術の力を重視しているという証拠です。
ですから、彼らにとってみれば、呪術とはもはや単なる迷信や気休めなどではなく、完全な信仰であると言っても過言ではないかも知れません。いえ、科学と言ってすらいいのではないでしょうか。
私はこれまでこのブログの中で、彼らのこのオカルト的な側面について語ることをやや避けていたようなところがありましたが、裏社会のことを調べれば調べるほど、私たちが考えている以上に、裏社会がこういったオカルト的なものを重視しているということが分かってきました。もはやオカルトを語ることなしに裏社会のことを語ることはできないと言っても過言ではないぐらいです。
いかがでしたでしょうか。私はこれらの記事を読んで、ようやく真実の答えに辿り着けたと思いました。自分の力では調べようもない、世間巷では絶対に手に入らない話の数々です。
ここまで理解されるには、相当な時間を要したことでしょう。このようなたくさんの真理に至るまでは、並大抵の努力ではなかったことと思います。
本当の神様を信じることで、救いの道は必ず開けます。しかし、その道はとても狭いのです。悪魔の考えに染まりきって生きてきた私たちは、罪にまみれています。そこから抜け出すには、罪を悔い改めなければなりません。
悪いことをしたら、必ず裁かれます。
悪い考えも、裁かれます。
聖書を手にしたことのない私は、未知の世界でした。それでも読んでみようと思ったのは、真実が知りたかったからです。自分がこの世に生まれた意味、それが一体なんなのかを心の底から知りたい、と思ったからです。
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旧約聖書 申命記
主を忘れることに対する警告 8-11
わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。
主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎と蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。
それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。
もしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる。主があなたたちの前から滅ぼされた国々と同じように、あなたたちも、あなたたちの神、主の御声に従わないがゆえに、滅び去る。
ここから、本当の生き方を見つけていきませんか。