祈りの旅 〜長野・八千穂高原〜

皆さん、こんにちは。
今回の旅は、女神湖から続いており、八ヶ岳・八千穂高原、野辺山高原、清里高原、蓼科高原を巡る旅となりました。
振り返ってみると、この旅は、白樺湖からはじまっていたのかも知れません。
10月30日・31日と11月5日・6日の旅。
それに10日間の出来事を交えて、合計4回の記事にしてお伝えします。
女神湖から戻った3日後、あと半分戦いがあるということを天使長から知らされ、計画を立てて準備に取り掛かかっていました。
その間、女神湖の記事を書いていたのですが、ある被写体と向き合っているとき、本当はこちらを選んでいれば、もっといいものが撮れたのだ・・と悟った瞬間がありました。
それは、自分が選ばなくて失敗したのでした。
神様は、ちゃんと良いものを用意してくださっていたのです。
(あまりにも神様のご計画は壮大で、人間には到底わからないことだらけですけれども、神様の人類に対する愛はとてつもなく深い!ということだけは、間違いなくはっきりと言えることです)
実は今までの旅も、神様が準備していた通りに完璧に選択していたら、余計なことや余計な時間を使わずに行えたということを、このことをきっかけにして、あの時もこの時も!と走馬灯のように次々と悟っていったのです。
自分の考えによる選択によって、神様が準備していたことを変更しなければならず、余計な手間を取らせてしまっているということがわかったのです。
というのも、その計画に対して、神様は天使天軍と聖霊をきちんと配置しており、自分の考えで行ってしまうと、またそこからはじめなくてはならないし、計画通りにできないということすら発生してしまうのです。
最悪は、サタンに不意打ちされるきっかけを自らつくってしまう。
はじめてこの記事を読んでくださった方は、何のこっちゃと思われるでしょうが、目に見えない神様が、人類のためにたくさん働いてくださっている・・ということをまずは知ってください。
その反省から、今回の旅は、「神様の御心から糸一本分もずれずに行おう」と決心しました。
筆者は、神様のもとに人々を連れて行きたいので、地域の浄化と救いの祈りを記事にしています。
この旅の前日、このような美しい雲が。
なんとも女性らしい、シルキーな柔らかい雲でした。




さて、前置きが長くなってしまいましたが、旅に出発する日の朝、神様は10時5分前には出発するように言われていました。
しかし、もたついてしまい10時ピッタリに出発すると、やたらと道が混み合い、通行人や自転車が交差し、さらに遅れをとってしまうことに。出端からしくじったと思い、修正して身を引き締めました。
八千穂高原に無事到着。八千穂レイク界隈を一周してみました。
(思う以上に、北部は紅葉がとても美しかった!)




















今回は、こちらの御言葉をおすすめします。
御言葉ーーーーーーー
2025年10月30日(木)
自分の好きなように生きても神様から祝福されないから、結局は幸福に生きられない。ただ神様を愛し、隣人を愛して、神様の御心のために生き、神様を喜ばせて生きるときに、神様から豊かに祝福され、誰かを羨む必要がないほど幸福に生きられる。










とても静寂で穏やかな空気が漂っていました。
一度通り過ぎた森林に惹かれて戻ってみると、光が・・。
日本で2番目に標高が高いメルヘン街道は、冬季期間は閉鎖となります。東京方面から向かうと、佐久穂町から茅野市に向かって八ヶ岳を横断するルートです。




それでは、こちらの御言葉をおすすめします。
RAPT有料記事64 (2016年5月2日)神様の願いが何なのかを見分けて行う。
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特に「祈り」に関するお話をしましたが、「祈り」というのは単に自分の願いを叶えるためにするものではなく、神様の心と考えを受けるためにすることでもあります。
これについては、これまで何度も書いてきましたし、実際に心から真剣に神様に祈った人なら、誰でもこのことを強く実感していることだと思います。
深く祈っているうちに、自分の考えが神様の考えにどんどん近づいていくのを強く実感するようになるはずだからです。
そのため、神様が自分に何をしてほしいと願っているのかについても、詳しく具体的にはっきりと見えてくるようになります。
そして、この「神様が自分にしてほしいと願っていること」を、一言で言うなら「御心」とも言います。
この「御心」をきちんと分かって生きるなら、神様はその人をどこまでも限りなく助けてくださいますし、実際にその「御心」を成したときにも、限りない祝福を与えてくださいます。
ところが、人間はこの「御心」をなかなか見分けることができません。
見分けることができたとしても、その「御心」を行っているうちに自分の意向を優先にしたり、自分勝手に行ったりすることで、その「御心」を成就できず、神様の裁きに遭うこともあります。
あるいは逆に、神様の「御心」をきちんと行っているにもかかわらず、様々な苦しみや試みに遭っているうちに、これは「御心」でないと勝手に判断して、「御心」を行うことを中断し、大きな損失を被ることもあります。
我々が真に人生で成功するためには、いかに自分が神様の「御心」通りに生きるかがカギになってくるわけです。
今回はこの「御心」についてありとあらゆる方面から理解できるようにお話しています。
RAPT有料記事65 (2016年5月7日)神様に愛され、神様と共に同じ目的をもって生きる甲斐ある人生。
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このブログを通して神様を信じるようになった人はかなり多くいらっしゃるようで、私としてもとても嬉しい話なのですが、現実問題として、信仰を守るのはとても大変なことです。
例えば、つい先日までゴールデンウィークの長い休みがありましたが、その間はとかく気が緩み、神様を信じるなんて面倒くさい、もっと気楽に遊んで楽しもう、もっと楽をしようという気になった人もいたことでしょう。
逆にゴールデンウィークが終わると、今度は仕事が忙しくて、色々とイライラしたり気を揉んだりして、もう神様を信じているどころではない、お祈りしたり聖書を読んでいる暇なんてないと思った人もいたかも知れません。
また、何か大変なことに見舞われると、自分はもう神様に愛されていないし、そんな神様を愛する義理なんかない、と思う人も出てくることでしょうし、いざ大変なことが過ぎ去ったときには、神様に感謝することも忘れて、自分は自分の道を行くと言って、好き勝手に安楽な道に突き進んでいってしまう人も出てくることと思います。
実際、私もこれまでに何人もそのような人を見てきました。
しかし、例えどんな状況に置かれたとしても、一筋の変わらない心で神様を愛しつづける人を、神様はいつも探し回っておられます。
神様は私たち人間のことを誰よりも心から愛しているので、自分のことを愛してくれる人が見付かると、それだけで嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
人間も片思いをしていた人から愛されるようになるととても喜ぶように、神様とてもそれは同じことなのです。
だから、いざそのような人が見付かると、神様はその人に限りなく愛を注ぎ、その人を練達して、その人と共に神様の歴史を広げていかれます。
私たち人間の側からしても、それ以上に生き甲斐のある幸福な人生はあり得ないのではないでしょうか。
今回は、そのような人生を生きるためにはどうしていけばいいのか、今までの復習も兼ねて、また新たな視点から具体的にお話しています。
特にゴールデンウィークで気が抜けて、信仰がぼやけてしまった人にとっては、再び信仰が湧き、やる気が湧いてくるお話になっているかと思います。
ーーーーーーー配信はこちらから
RAPT有料記事66 (2016年5月9日)神様を第一優先にする人こそ真の勝利者となる。
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悪魔が支配するこの世の中で信仰を守りつづけるのはとても大変なことですが、それでも今日まで信仰を守りつづけてこられたのは、それだけ皆さんが神様から愛されているという証拠です。
神様の加護なしに信仰を守りつづけることは絶対に不可能だからです。
そして、そのように神様に守っていただけたということは、それだけ皆さんが神様にしっかりとお祈りしてきたという証拠でもあります。
皆さんの祈りが神様に届いたという一つの確固たる証だからです。
それでは、どうしてこの世には祈りが叶えられる人と叶えられない人とがいるのでしょうか。
はっきりと言いますが、神様を何よりも第一優先にし、神様のような完全な人になりたいと強く求める人の祈りは、常にとてつもない偉大な効力を発揮します。
人間は完全になりたくても、そう簡単に完全になれるものではありませんが、それでも諦めることなく完全になろうと努力する人を見て、神様は常にお喜びになり、その人の願いを聞いてくださるのです。
ですから、この有料記事を読んで信仰を守ってこられた方は、神様を最優先にし、純粋に神様の前で完全になろうと努力してきた人である、という証拠でもあるのです。
そこで、今回はこのことにちなんだお話をすると同時に、そのような方に向けてとても重大な告知をしたいと思います。
RAPT有料記事67 (2016年5月14日)祈らずに失うもの。祈って得られるもの。
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前回の有料記事をお読みになった方はお分かりになる通り、私は今、あることのために重点的にお祈りをしています。
そして、その祈りがここ一、二ヶ月の間で目に見える形ではっきりと叶えられてきています。
基本的に日本人は神様の存在を知らずに生きてきた人が多く、本物の神様に向かって心から祈りを捧げるという体験をした人がほとんどいません。
仮にクリスチャンになったとしても、ほとんどの教会でまともな教理を教えられず、サタンに毒されたスカスカの内容のない教理しか習わないため、その祈りにも大した効力がありません。
そのため、この世のクリスチャンの多くが、時間の経過とともに信仰を弱めている、あるいは失っている、というのが実情です。
しかし、このブログの有料記事を読まれた方で、心から真剣にお祈りしている方たちは、私と同様、祈りの効力を強く実感し、かつその祈りによって人生が見違えるほどに変化してきています。
実際、最近はそのような読者の方からのメールが次々と私のところに届くようになりました。
そのような方たちは、今後もさらに時間の経過とともに信仰を強めていき、神様に対する感謝にさらに満ち溢れるようになることでしょう。
私としては、そのような方がこの世に一人でも増えることを願うばかりです。
そこで、今回もまたお祈りについてのお話をさせていただきます。
今回の記事を通して、祈らないことで失うものと、祈ることで得られるものとの差がどれほど大きなものなのか、さらにはっきりとご理解していただけることでしょう。
と同時に、お祈りしてもなかなか叶えられないと悩んでいる方も、なぜその祈りが叶えられないのか、今回の記事を通していくつかの答えが得られるのではないかと思います。
RAPT有料記事68 (2016年5月16日)より良く変化してこそ希望が生じ、理想的になる。
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ここ最近、私は有料記事の読者の方たち何人かとお話をする機会を持つようになりました。
それによって分かってきたことは、明け方にお祈りをしている人は有料記事や聖書の内容をしっかりと理解し、深く悟っているということです。
そして、自分の心や性格もより良い方向に変化させ、周囲の人々までもより良く変化させています。
そのため、神様の存在をさらに強く確信するようになり、明け方の祈りがますます楽しくなり、朝早く起きることが苦痛ではなく、むしろ楽しみに変わっていっています。
私自身も、昼や夜に祈るよりも、明け方に祈った方が神様とより近くできる感じがあるので、明け方が来ることを何よりも楽しみに待っていた時期がありました。
今では明け方の祈りは完全に習慣となり、それによって自分の周りでは自然と不思議なことが次々と起こるようになっています。
このブログを書いているうちに、不思議なぐらいこの世の謎がスラスラと解けていったのもその一環と言えます。
これは私だけに限らず、有料記事の読者の方で、明け方の祈りを欠かさずに行っている人は、必ずそのような不思議な奇跡を体験しているということが分かってきました。
しかも、明け方の祈りがしっかりと実践できている方は、有料記事や聖書の内容もより深く悟り、より深く理解していらっしゃいます。
皆さんの中には、有料記事がよく理解できずに落ちこぼれてしまったように感じている方もいらっしゃるようですが、そのような方は先ずは明け方の祈りができるように頑張ってみてください。
去年の8月から今年の2月ぐらいまでの有料記事は、ある意味、基礎的な聖書解釈でしたので、頭だけで理解できる部分も多かったと思いますが、今年の3月に入ってからは、より生活に結びついた実践的な記事になりましたので、頭だけで理解するのは無理です。
有料記事に書かれたことを少しでも実践していかないと、その内容を悟れず、理解できずに、落ちこぼれたような気持ちになっていくと思います。
ですから、先ずは明け方の祈りができるように頑張ってみてください。
明け方が無理なら、他の時間に懸命にお祈りしてみてください。
そして、聖書もできるだけ沢山読んでみてください。
神様は皆さん一人ひとりのことを限りなく愛しておられます。
例え皆さん自身が落ちこぼれたと思っていても、神様は皆さんのことを心から愛し、諦めることなく皆さん一人ひとりを自分のもとに導こうとされておられます。
そして、そのために毎日、限りなく力を与え、霊感を与えてくださっています。
あとは、その力と霊感を皆さんが受け取るだけです。
それを信じて、自分がどんなにダメだと思っても、諦めずに神様を求めつづけてください。
そうすれば、いつか必ず神様に出会い、神様の偉大な愛に触れ、神様としっかり疎通しながら毎日を生きられるようになるはずです。
そして、自分の身の回りで不思議な奇跡が次々と起きるのを体験するようになるでしょう。
RAPT有料記事69 (2016年5月21日)神様がこの世を創造した目的を共に成してこそ、人生の虚しさから脱却できる。
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つい先日分かったことですが、私の有料記事を読んで下さっている読者の中に、たった一ヶ月で聖書を通読できたという方がいらっしゃいました。
その方が言うには、私の有料記事を読むまでは、どんなに聖書を読んでも全く理解することができず、通読などとても無理だと思っていたようです。
ところが、私の有料記事を何回も読んだ上で聖書を読んでみると、聖書の内容をきちんと理解できるようになった上、聖書を早いペースでスラスラと読めるようになったとのことです。
未だにクリスチャンの中には、私の聖書解釈に対してあれこれとイチャモンをつけてくる人がいますが、彼らの頭の中にある聖書解釈ではとてもこんな快挙を成すことはできないでしょう。
はっきりと言いますが、聖書の内容をきちんと理解できなければ、どんなに聖書を読んだとしても、神様の御心を成すことができませんし、神様の御心を成すことができなければ、いつまで経っても神様からの祝福を受けることができません。
それでは、神様を信じても全く何の意味もないではありませんか。
ですから、先ずは自分の中にある固定観念をすべて捨て去って、頭の中を空っぽにした状態で私の有料記事を読んでみてください。
そして、有料記事の内容をしっかりと理解できるまで、繰り返し読んでみてください。
そうすれば、聖書を理路整然と矛盾なく理解できるようになり、スラスラと早いペースで聖書を読めるようになります。
その結果、神様の御心が何なのかを明確に理解できるようになりますので、実際にこの世で神様の御心を成し、神様から限りない祝福を受けられるようになります。
一体、それほどの幸せがこの世のどこにあるでしょうか。
もっとも、初めての聖書通読をたった一ヶ月でこなしたというのは、私から見てもかなり驚異的なことです。
私もこれまでに何度か聖書を一ヶ月で通読したことはありますが、それはあくまで聖書を10回以上通読した上でのことです。
ですから、その方はかなり凄い記録を立てたことになりますね。
RAPT有料記事70 (2016年5月23日)神様の水準にまで成長してこそ、神様のことを完全に理解できるようになる。
ーーーーーーー(転載します)
私が一般記事の更新をお休みしている間に、オリンピックの招致問題やら舛添都知事問題やらパナマ文書の流出問題やら、世の中では随分と騒がしい問題が噴出していますね。
RAPT理論をきちんと理解している方は、このようなニュースを見ても、どうして急にこんな問題が次々と噴出しているのか、その背景と原因がおおよそは理解できるはずなので、特にうろたえることも動揺することもないはずです。
そして、「相変わらずバカなことをやってるな。彼らももうそろそろ終わりだな」と思いながら、心の中でせせら笑っているに違いありません。
しかし、RAPT理論をきちんと理解できていない人は、これらの諸問題がどうして急に噴出するようになったのか、その背景や原因がさっぱり分からないので、未だに頭を混乱させていることでしょう。
それでいて、RAPT理論を単なる「妄想」だと思い込み、私のことを心の中でバカにしているのではないでしょうか。(現に、未だにそのようなメールがたまに届きます。)
では、一体どうしてこのようにRAPT理論を理解できる人と理解できない人とが出てきてしまうのでしょうか。
その答えは簡単です。
人は、自分の「水準」でしか物事を認識したり、理解したりすることができないからです。
「水準」の低い人には、どんなに「水準」の高いものが目の前に現れたとしても、その「水準」の高さをきちんと認識し、理解することができません。
そのため、自分より「水準」の高いものを見ても、ただ馬鹿にしたり足蹴にしたりしてしまうわけです。
これは「聖書」についても全く同じことが言えます。
自分自身がいつまでも低い「水準」にとどまっていれば、「聖書」の内容をきちんと理解することはできません。
「聖書」はこの世で最も「水準」の高い存在者である「神様」について書かれた書物ですから、私たち人間が低い「水準」のままでは、とてもその内容を理解することはできないのです。
ですから、「聖書」の内容をきちんと理解するためには、私たちが何よりも先ず自分自身の「水準」を上げていかなければなりません。
では、「水準」を上げるとはどういうことなのか。
「水準」を上げるためにはどうすればいいのか。
また「水準」を上げることによって、どのような祝福が待っているのか。
今回はこれらのことについて具体的にお話しています。
また、前回の有料記事で「たった一ヶ月で初めての聖書通読」という快挙をなした方のことをご紹介しましたが、昨日、その方からまた一通のメールをいただきましたので、そのメールも併せてご紹介しています。
そのメールを読めば、聖書を理解しながら読むために必要な押さえておくべき幾つかのポイントを把握できるようになるのではないかと思います。
RAPT有料記事71 (2016年5月28日)頭脳の次元を上げてこそ、人生はさらに充実する。
ーーーーーーー(転載します)
ここ最近は、毎日のように読者の方たちとお話をする機会を持っていますが、皆さんのお話を聞いていると、やはり神様を信じるようになってからの生と、神様を信じていなかった頃の生とでは歴然とした違いがあるということがよく分かります。
神様を信じるようになってからは、誰も彼もが考え方のレベル、知能のレベルを上げるようになるため、それによって生活のレベル、人生のレベルも自然と大きく引き上げられているようです。
しかし、この世の多くの人々は自分のレベルを上げたいと思ってもなかなか思うように上げることができません。
なぜなら、神様の御言葉なしでは、この世のどんな言葉によっても人生のレベルを引き上げることは不可能だからです。
どんな自己啓発の言葉も、どんなスピリチャル系の言葉も、どんな哲学者や偉人の言葉も、多少の参考にはなるかも知れませんが、人生のレベルを引き上げることまではできません。
実際、私自身もそうでしたし、このブログの読者の方の中にも、そのようなことを「懸命」に「とことん」試してダメだった人が大勢います。
ところが、そのような人たちの多くが、このブログの有料記事を読み、聖書を読むようになってからは、自分のレベルをどんどん引き上げるようになり、今までとは歴然と違う幸福な人生を生きられるようになっているのです。
もちろん、幸福な人生といっても、全ての苦しみ悩みが消えてなくなったというわけではありません。
ただ、人生のレベルを引き上げたことによって、それまで抱えていた苦しみ悩みがとてもちっぽけなものに見えるようになり、そんな苦しみ悩みにとらわれることなく、もっと高い次元で物事を考えて生きられるようになるため、自然と自分の人生がより充実したものになっていくのです。
単純に考えて、人間がいつまでも幼稚園児のまま、幼稚園児のレベルで生きつづけるより、大人になって、大人のレベルで生きた方がずっと生き甲斐があります。
それと同じく、我々が大人になってからも、自分の次元をどんどん引き上げていけば、その分だけ自分の人生をより充実したものに変えていくことができるのです。
ということで、今回も前回に引き続き、自分の人生のレベルをさらに引き上げるにはどうすればいいのか、さらに次元を上げて具体的にお話しています。
RAPT有料記事72 (2016年5月30日)神様はご自分を愛する者を練達してお使いになる。
ーーーーーーー(転載します)
神様はご自分を愛する者をこよなく愛し、自分の御心を広げるためにその人を選んでお使いになります。
しかし、実際に神様の御心を広げようとするときには、ただ「愛」だけでは事を成すことができません。やはり様々な能力が必要になります。
そのため、神様はその選び出した人をわざと艱難・迫害の吹きすさぶところに送り込み、練達を受けさせます。
そして、悪人から受ける苦痛に耐えしのぶようにさせ、祈るようにさせて、その人を鍛え上げていくのです。
そして、その人が十分に練達された時点で、神様はその人をこの世の中に遣わし、その人を通してご自身の御心を広げていかれます。
神様を心から愛さない人は、艱難・苦難に見舞われると、すぐに神様を捨てて、自分勝手な道に突き進んでいってしまいますが、神様を心から愛する人は、どんな艱難・苦難に見舞われようと、神様を愛しつづけ、神様の喜ばれる道のみを突き進もうとします。
だから、神様はそのような人を安心して使うことができるのです。
私たちもどうせ神様を信じ、愛するならば、神様がいつでも安心して使うことができるような人間にならなければなりません。
神様の世界では、何よりも「愛」が重要であり、「愛」に始まって「愛」に終わるからです。
私はいつもこの有料記事の読者の皆さんが、神様を心から真に愛する者になれるようにお祈りしています。
一人ひとりがそのように成長していくことこそが、その人自身にとって最も幸いな道だからです。
真実の愛がある世界に変わったら、どれだけ生きやすい世の中になるでしょうか。皆さん、想像してみてください。
今の世の中の価値観は、サタンが構築してきたものです。
ですから、この世界の価値観は完全に間違っているのです。そのことを示すかのように、教師が盗撮をしたり、子どもを性の対象にするなどという気の狂った事件が顕になっています。
お金が全てで、何を持っているかとか、そんなことで自分を魅せるしかない大人たちは、空っぽの人生を歩むしかありません。
人を愛せずに、アニメの世界に没頭したり、推し活をしたりして、自分を騙し虚しさを隠しながら生きている若者たち。
とんでもなく歪んだ愛に満ちた世界に生きているのです。
その人の中にどれだけの「宝」があって、本当に価値のある内面を持っているのかどうかが、重要なのです。









この旅は、次回へと続きます。


