祈りの旅 〜富山・氷見、高岡〜石川・能登島〜
皆さん、こんにちは。
今回は、富山・石川に行って参りました。
2022年の旅で、富山の立山連峰が見れなかったため、写真撮影をしてみようと思い立ったのです。
それから、イルカと触れ合った水族館へまた行ってみたいという思いもあり、2020年に訪れたのとじま水族館へ。
能登半島の大地震によって、水族館も甚大な被害が出ました。哺乳類などは命が助かったようですが、その他の生き物は厳しかったようです。それぞれ、各地の水族館に避難しているとのことです。
のとじま水族館のペンギンたちは、東京のすみだ水族館に避難していましたが、能登へ戻ったことをニュースで知りました。
能登半島地震で被災した「のとじま水族館」のペンギンを公開…「すみだ水族館」
ペンギンたちが、無事に戻れるようになったという状況に少しほっとしました。
出発の当日、あまり天気は良くないという予報でしたが、関越トンネルの合間、土砂降りという程度で、富山は晴れていました。
氷見に到着すると夕焼けが。
(今回のブログでは、全てiPhoneで撮影したものを掲載します。Nikonで撮影したものは、別の機会でアップしたいと思います)
〈比美乃江公園〉
〈夕焼け〉
次の日、曇りの可能性が高かったのですが、月と星が見えたので、雨晴海岸へ向かいました。夏日が続いており、朝方、湿気と露でムシっとしていました。
富山の日の出は、5時半頃となります。
果たして、立山連峰は見えるのか‥。
〈まだ月が出ています〉
〈いくつかの星が見えます〉
〈明るくなってきました〉
〈雲が美しいピンク色に染まっています〉
〈波の色も変化して〉
〈いよいよ、日が昇ってきました〉
〈立山連峰が姿を現しました〉
〈朝日と立山連峰、女岩〉
雨晴海岸で、日の出と立山連峰を撮影することが出来ました。
この後は、徐々に雲が出てきてしまいました。10人くらい、他にも撮影している人たちがいました。土日祝日だと、混雑しそうです。
この日は、真夏日で30度越えの一日となりました。
ホテルでチェックアウトを済ませ、能登島へ向かいました。絶好のドライブ日和ですが、能登方面に向かう者は、私一人でした。まるで貸切のようです。爽快に、海岸線を走り抜けました。
〈海岸線・立山連峰〉
山道に入ると、160ミリで通行止め、というような場所がいくつかありました。
ようやく能登島大橋に辿り着くと、海岸の崖が崩れており、大地震の大きさを物語っていました。片道通行だったり、道路工事がまだ続いています。
そして、懐かしく思いながら水族館に到着。
〈2024年・のとじま水族館入り口〉
少しだけ4年前を振り返って、当時の写真を載せます。
2020年は、駐車場待ちの渋滞、たくさんの人で賑わっていました。
大きなジンベイザメが優雅に泳ぎ、イルカのショーのレベルの高さに驚きました。
〈2020年・イルカ、ジンベイザメ〉
さて、休日だと子どもたちが集まって見られない生き物、蟹の生態をゆっくり観察してみました。小さい生き物同士、小さな社会が形成されていました。
一匹でいるもの、まとまっているもの、縄張り争いをするもの‥。
ペンギンたちは、元気でした。
泳いでいたり、水浴びをしています。
あまり意識していませんでしたが、振り返ってみると、まさかの4年前と同じ日に訪れていました。(帰ってから気がつく)
お昼は、敷地内の定食屋さんで、ざる蕎麦をいただきました。
どうやら、水族館で働いているスタッフさんたちも、御用達のようです。わいわいと賑やかに召し上がっていました。
海を眺めながら、神様を信じる人が一人でも出てくるよう、心の中で願いました。
氷見へ帰る途中、どこかカフェに立ち寄ろうと、内陸を走ることにしました。幾つか通り越してしまい、市内で一休み。
オーナーさんがやたらと地元の事情通で、色々雑談しました。笑
今まで富山は、あまり地震がなかったということで、都会から移り住んでくる方がちらほらいるとのことでした。
能登ではもう住めない、被災してしまった方々は、各地に引っ越している状況だそうです。
能登の大地震で、珠洲で震度7、氷見で震度5(人工地震ですが)の被害で、もう祈るばかりだとおっしゃっていました。(御言葉に辿り着きますように)
復興するのに、十年くらいはかかるのではないかというお話しでした。
本当に、地域の方が御言葉に辿りついて、神様を信じられるよう祈りました。
翌朝は、薄曇りでしたが青空でした。
天気が崩れるという予報でしたので、早めに氷見を出発しました。
お昼頃、雨足が強くなっていきました。いよいよ新潟の海岸線は、台風並みの暴風雨となりました。この日は、新潟に一泊。
しかし、宿に向かう途中、不思議と薄っすら晴れ間が見えていました。
昼食をとっているとき、輪島が300ミリの大雨だという情報が。きのう、天気が良かったのに‥。
夕方には、街が濁流に覆われて、とんでもない様子になっている映像を目の当たりにし、まさかそこまで‥と驚きました。
中心者の御言葉によって、2022年の9月から日本が裁かれるということがわかっていました。
インターネットを利用する多くの人々が、御言葉を知りながらも神様を受け入れないという状況に、怒っていらっしゃるということでした。
2年が経ち、神様は、日本人にここまで我慢してこられました。しかしながら、この2年を振り返ってみて、日本人は変わっていないし、悔い改めないので、我慢の限界にきているという宣布がありました。
多くの地域は、義人の義のおかげで守られているのですが、神様は、神様を信じない人をいつまでも忍耐して導くことはしないので、今まで守られていたところも、守られなくなる‥ということです。
より、厳密な裁きがくだされるのです。
神様は、増税や値上げ、地震や豪雨など、裁きをしながらも、人々に期待をしていました。
ですが、世の人々が神様を信じないので、本当に怒っておられるのです。
もう、大丈夫じゃないというレベルで‥。
御言葉を受け入れないと、地獄のような世を生きることになります。
世の中は、サタンの思想に洗脳され、人々はサタンの体質に慣れてしまい、心が汚れている状態です。
真理を受け入れられない体質から抜け出そうとしないと、心が病んでいきます。
これから、神様により頼まなければ、ますます生きることが辛くなっていく時代です。
神様は、この世界を地獄から天国に変えようとなさっているので、その変化についていけずに、精神が狂ってしまうのです。
これからの日本の変化についていけるように、そして、サタンに勝利して生きられるようにと、神様は、地上に中心者を送って、御言葉を宣布してきました。
この世の真理がなければ、人々は立ち行かなくなってしまうからです。
神様は、地上の膿をさらに出していきます。
神様を信じて、御言葉の通りに生きるなら、天国のような幸福感に包まれ、神様に守られ、生きていけるのです。
私自身、サタン不可侵になることを目指して、日々奮闘しています。怠惰な生き方を悔い改めるのは、強い意志と信仰が必要ですが、現実に幸福になっていることで、神様を心から信じています。
信じるしかないほど、守られたり、導いてくださっているからです。
中心者の御言葉が、地上の人々を救っていくのです。
そして、これからもそうなるのです。
余談ですが、9月1日の御言葉を聞き終わったあと、あるワードが私の頭に浮かびました。
そこを目指して、これからやってみようと思ったところ、空に虹が出ました。
ほんの5分くらいの間だけ、虹が出たのです。もしも、数分でも気づかなかったら、見逃していました。
(主よ‥)
〈お天気雨の中、虹〉
神様を信じて、考えと生き方を変えていく。
自分の考えに固執せず、柔軟な考えで救われる‥。
こちらの御言葉をお勧めします。
2022年9月24日(土)
これまで主は、日本人に対して救いの手を差し伸べ、救いのチャンスを与えてきたが、多くの日本人がそのチャンスを無視し、足蹴にしてきた。だから主は、これから日本人に対して厳しい裁きを下すと宣布された。
2022年9月25日(日)
この世の支配者が私たちの敵である以上、人間に訴えても仕方がないから、神様に訴えるよう中心者は御言葉を伝えてきた。しかし、人々がその御言葉を拒絶し、神様に訴えるのではなく、相変わらず人間に訴えているから、彼らは滅びの道を辿るしかない。
2022年9月26日(月)
最後の使命者は肉的な使命者だから、世界で最も発展した地域で練達を受けなければならなかった。だから主は、日本を世界の中でも最も経済的に発展させられたのだ。しかし、日本人がその使命者を受け入れなかったので、日本は裁かれ、衰退していく。
2024年9月5日(木)
御言葉に忠実に従う人と、自己流に行う人とでは、これからますます顕著な差がついていくだろう。前者は勤勉に生きた分、どんどん天国に上っていくが、後者はどんなに勤勉に生きても、ただ地獄に堕ちていく一方だからだ。
2024年9月6日(金)
自己流に行って、御言葉に忠実に従わなければ、いつまで経っても天国で生きる体質が身につかない。そして、その体質が身につかなければ、いくら天国に入れたとしても、ただ苦痛を感じて、自ら天国から離れていかざるを得なくなる。(御言葉に従順でない人は、天国に行っても地獄に行っても、結局は地獄だ。)
2024年9月7日(土)
神様は人間よりも遥かに忍耐強い方だが、人間が不従順を繰り返すなら、神様もいつか必ず我慢の限界にぶつかってしまう。神様にも感情があり、心があるからだ。
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続いて、こちらの記事もどうぞ。
神様は、神様を信じる人のことを助け、守り、願いを叶えてくださいます。
神様は、神様のことを信じない者までまんべんなく助け、守り、願いを叶えてくださるわけではありません。
神様から助けを受けるためには、神様を信じるという条件が必要です。
しかし一旦、神様を信じるようになると、その信じるという条件によって、私たちは常に神様からの庇護を受けられるようになり、どんな願いも叶えられるようになります。
ですから、神様を信じるということは、私たち人間にとって、とてつもなく大きな祝福であり、大きな特権です。
にもかかわらず、この世の多くの人々が神様を信じても意味がないとか、信じるとかえって頭がおかしくなるなどと洗脳されて、実際に信じようとしないのですから、どれだけ不幸で悲惨でしょうか。
神様の庇護を受けられなければ、彼らの上には次々と災いと不幸が降りかかるしかありません。
これからもさらに多くの人々が、この大きな祝福と特権に預かるために、神様を知り、神様を信じることができますことを心から祈るばかりです。
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RAPT有料記事867(2024年9月14日)絶対に叶えられそうもないことを祈り求めて叶えられる人が、信仰の強い人だと主から認められ、褒められ、義とされる。
イエス様は、信仰によって病気が癒やされた人々のことを「信仰の強い人だ」と認め、褒められました。
その上、「あなたの信仰があなたを救った」と仰り、その人たちのことを義と認められました。
このように、聖書の中では「信仰」が非常に重要視されており、「信仰」によってどれだけ祝福されるかが書かれてあります。
ところが、現代人にはこの「信仰」が全くありません。
そのため、信じて病気が治るといった奇跡はほとんど起きず、祈ったことがその通りに叶えられるという奇跡も、ほとんど誰も体験したことがありません。
信仰を持つことで、私たち人間の祈りは全て叶えられますし、その上、神様がその人のことを認め、褒め、義として救ってくださり、その上さらに祝福してくださいます。
果たして、これほどありがたい話が他にあるでしょうか。
ところが、人々は信仰を持っても意味がないとか、信仰を持つとかえって人生がおかしくなる、などとサタンから洗脳されているのですから、どれほど不幸なことでしょうか。
本当にサタンのやることは卑劣で、神様のなさることは本当に愛以外の何物でもありません。
皆さん一人一人が、神様が教えてくださったこの「信仰」を強く持って、自分の願いをことごとく叶え、義とされ、祝福された人生を歩むことができますことを心から祈ります。
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神様により頼むことは、特別なことではありません。
五円や十円で、神社仏閣に祈ることはできるのに、なぜ本当の神である、地上を創造したほどの、聖書の神様を信じられないのでしょうか。
何もしてくれない、木や岩でできた悪魔の化身である偶像や、ただの人間に助けを求めても、助かりません。
どうか、神様の救いに、目が開かれる人が現れますように。まだ御言葉に出会っていない人が、神様に導かれて救われますように。