曼珠沙華と仏教の真実

皆さん、こんにちは。

今回は、見頃を迎える曼珠沙華の撮影に行って参りました。

曼珠沙華の花にそれほど興味がなかったのですが、昨年、たまたま通りすがった場所に曼珠沙華の群生地があり、満開の様子に驚きました。(カメラ界隈では、割と取り上げられる被写体)

田んぼや棚田のある地域では、とても身近な花なのでしょうが、別の地域によってはお墓の花とか、お彼岸に咲くので「先祖供養・死者の花」というように捉えられていたりします。

ちょっと、彼岸花の歴史について調べてみました。

こちらの記事から、一部転載します。

ヒガンバナ(彼岸花)

いつ、どうやって日本にやって来た?

秋の彼岸頃に花を咲かせるヒガンバナ。
今でこそ秋の始まりを告げる花として、日本人に親しまれるヒガンバナだが、ヒガンバナは日本生まれの花ではない。
ヒガンバナは中国、長江流域が原産の球根植物であり、中国から海を越えて日本に渡来してきたと考えれている。
ヒガンバナがどうやって日本にやって来たかを記し文献資料は存在せず、有史以前に渡来・帰化した植物、史前帰化植物とされている。
具体的にどの時代に、どうやって来たのかは諸説あり、実態は分かっていない。

ヒガンバナの伝播ルート

縄文時代後期から晩期(~弥生時代)に稲作とともに伝えられた「人為分布説」や、球根が海流に載って流れ着いた「自然分布説」などがある。
ヒガンバナは沖縄などの離島、近隣諸国の朝鮮半島や台湾では日本の様に帰化しておらず、中国から直接日本に伝わった可能性が高い。

ーーーーーーー(中略)

縁起の悪い花?

日本では縁起の悪い花と言われることがあり、地域によっては「しびとばな」や「じごくばな」といった恐ろしい名前が付いている。
墓場で見掛けるから、毒を持っているから、子供が近づかない様に、等の様々な理由から恐ろしい名前が付けられたのだろう。

宣教師の記録

慶長8年(1603)、日本イエズス会が長崎で刊行した『日葡辞書 VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPOM』にも「Manjuxaqe(曼珠沙華) 秋に咲くある種の赤い花」としてヒガンバナがとりあげられている。
はるかヨーロッパからやって来た宣教師たちも、日本でヒガンバナを見ていたようだ。

名前の由来

彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。
別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。

多くの別名

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われるままある。
しかし、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。
日本での別名・方言は千以上が知られている。

曼珠沙華の由来

別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。
「天上の花」という意味も持っており、相反するものがある。
仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、真っ赤なヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである。
ただし、白花曼殊沙華は「天上の花」という名前にしっくり来る。

ーーーーーーー(中略)

食用・薬用

ヒガンバナは有毒植物であるが、球根にデンプンを含んでおり毒抜く次第で、食用にもなる。
食料の確保が難しい時期に救荒作物として食されたようで、団子にしたり、雑穀と混ぜて食べられていた。
なお、調理は非常に難しいモノである為、現代人は絶対に食べない。
すりつぶした球根を患部に塗るというような、民間療法も知られている。

害虫・獣除け

糊にすり下ろした球根を混ぜて、屏風などの下紙を張るのに用いると虫が付かない、土壁に混ぜるとネズミが齧らない、獣除けに墓場に植えるなどの利用法が在った。
また、モグラ除けのために水田の畦に植えられたようだ。
現在、田畑の近くでヒガンバナが多く見られるのは、こういった事情であった。

雑草除け

ヒガンバナは他の植物の生長や発芽を抑制する他感作用(アレロパシー)がある。
水田の畦に植えると雑草を抑える効果もある。

ーーーーーーー(転載ここまで)

稲作とともにやってきた彼岸花。

田んぼの畔に植えられているのは、雑草や害虫・獣除けだという先人の知恵だったわけですね。

しかし、名前の由来は仏典ですので、「仏教と密接な花」であるということになります。

こちらの記事によると、密接である理由がわかります。

秋のお彼岸、お彼岸の由来と歴史を解説!早良親王の祟り?波羅蜜って?

①お彼岸のはじまり〜歴史からみるお彼岸〜

お彼岸と言えば、やはりお墓参り。
多くの人がこの日に墓参をし、お墓の掃除やお供え、焼香を行うと思うのですが、なぜこの日にお墓参りをするのでしょうか。このお彼岸に行うお墓参り、彼岸会の起源は1200年ほど前まで遡ります

西暦806年(大同元年)に公式な記録として残る日本初の彼岸会が執り行われました。早良親王のために七日間の間、昼夜を問わずにお経を転読することを諸国の僧に命じたのです。

日本史に詳しい方は、早良親王という言葉にピンときたのではないでしょうか。早良親王というのは、桓武天皇の弟にあたる人ですが、立太子を望まれておらず出家をしており、東大寺に住んでいたことから、親王禅師と呼ばれておりました。しかし、桓武天皇が天皇に即位すると同時に皇太子となっております。桓武天皇は即位当時45歳。既に老年ともいえる年齢から、早良親王が立太子されたといわれております。

ですが、長岡京遷都を提唱し、推し進めた藤原種継を暗殺した疑いをかけられ、太子を廃されてしまいます。というのも長岡京への遷都というのは、東大寺をはじめとする既存仏教勢力や貴族勢力に距離を置く意味があり、東大寺と関わりの深い早良親王が関与しているのではないかと疑いをかけられました。
その後、早良親王は藤原種継暗殺に関与した疑いから、幽閉、配流されます。

ここで早良親王は無実を訴えるため、10余日飲食を断ちますが、配流の途中で憤死したとされております。その後、桓武天皇の周りでは、新たに立太子された安殿親王(後の平城天皇)の発病や、天皇妃や母の病死、疫病、洪水、日照りなどの天災が相次ぎ、早良親王の祟りであるといわれました。

この凶事に関しては、学生の頃の日本史の授業でも触れた方は多いのではないでしょうか。その後、794年、長岡京から平安京へ遷都を行い、800年には早良親王崇道天皇と追称することを決め、この祟りを鎮めようとしたのです。

そして、806年に前述の彼岸会が執り行われました。彼岸の法要のはじまりは、ここから始まっております。ちなみに、上記のような経緯から、インドやミャンマー、タイ、中国などの他の仏教国には、このお彼岸行事は存在しないそうです

②仏教とお彼岸

では、なぜこの法事が「彼岸」と呼ばれるようになったのでしょうか。それは、仏教用語の「波羅蜜(パーラミー)」を意訳して、「彼岸」と呼ぶようになったといわれております。「彼岸」というのは、文字通り向こう側の岸を指しており、対義語として「此岸」という言葉があります。

この「波羅蜜(パーラミー)」、「彼岸」という言葉、仏教的には悟りの境地としており、逆に「此岸」迷いのある状態、つまり今いる現世を指しています。この「彼岸」の悟りが後々の世で意味が変形し、あの世の「極楽浄土」を指すようになり、彼岸にご先祖様がいるという事から、鎮魂の法要から、ご先祖様を供養する風習に変わっていったとされております。

ーーーーーーー(転載ここまで)

お彼岸は、日本独自の文化だったのですね。

そして、祟りを鎮めるための儀式がお彼岸だった。

このことから、仏教では死者の供養で祟られないようにと、お彼岸にお墓参りをするようになったということですね。

余談ですが、仏教では、お坊さんを呼んで念仏を唱えてもらう儀式、弔い上げが33回忌で終了します。(それまで家族は、死者に縛り付けられる・・言い方が悪いですが、成仏したかわからないのに念仏代の相場は数万円)

話しを戻しまして、早良親王とは、どのような人物だったのか深掘りしてみたいと思います。

こちらの記事を転載します。

早良親王とは?兄を呪って平安京へ遷移させた真相は?

早良親王は平安遷都を行った桓武天皇の実弟

山部親王と早良親王の母親は、身分の高い女性ではありませんでした。

そのため、山部親王は中務卿(なかつかさきょう)として朝廷に勤め、早良親王にいたっては若いころに寺に預けられていました。2人とも天皇になる予定のない皇子だったのです。しかし当時の有力貴族である藤原氏の策略によって、どんでん返しが起こります。
山部親王を天皇に担ぎ上げようとしたのは、ときの権力者だった藤原百川(ももかわ)。

光仁天皇の皇后と皇太子を「天皇を呪い殺そうとした」という罪で追放し、山部親王を新たに皇太子として擁立したのです。

そして781年に桓武天皇として即位すると、早良親王が皇太子になりました。

後ろ盾の弱い天皇のほうが、藤原氏には都合がよかったのかもしれません。

百川は自分の娘である藤原旅子を桓武天皇の夫人(後宮で妃に次ぐ位)として、姻戚関係を結んでいます。

早良親王が祟り神になったきっかけは長岡京への遷都

奈良時代には孝謙上皇が道鏡という僧侶を寵愛したことをきっかけに、仏教寺院が政治への関わりを強めていました。

律令政治を取り戻そうと道鏡を左遷したのが光仁天皇。後を継いだ桓武天皇はさらに都を移すことで、仏教と政治を引き離そうとします。

長岡京の造営を命じられたのは早良親王と、桓武天皇を天皇の座へと押し上げた藤原百川の甥にあたる藤原種継。

しかし、ふたりの仲はあまり良くなかったと伝えられています。そして長岡京遷都の翌785年に藤原種継が暗殺される事件が発生。その首謀者として捕らえられたのは早良親王でした。

皇太子を廃され、乙訓寺に幽閉された早良親王は無実を主張し、自ら飲食を断ちます。けれども命を懸けた抗議もむなしく淡路に流されることが決まると、移送の途中で絶命してしまうのです。

早良親王の祟りを恐れた兄によって怨霊から神へ

その後、桓武天皇のまわりを立て続けの不幸が襲います。妻や母親など身近な人が次々に亡くなり、ついには早良親王に代わって皇太子となった息子までが病に倒れ……。怨霊による災いだと恐れた桓武天皇は、淡路に葬られていた早良親王に崇道(すどう)天皇という称号を送り、奈良県の八島陵に改葬をします。

そして荒ぶる魂が鎮まるようにと、京都の御霊(ごりょう)神社に崇道天皇を祀りました。

ーーーーーーー(転載ここまで)

「天皇を呪い殺そうとした」という罪!?

ここでまた、幸福の科学のファミリーのようなエピソードですよ。

日本は「人を呪い殺す」文化なのでしょうか・・。(1200年前から)

昔、丑三つ時に頭にろうそくを立て、藁人形を釘で打って人を呪い殺すという怪談話がありました。

しかし、「人を呪わば穴二つ」ということわざがあるように、「他人に害を与えれば自分も害を受ける」という目に遭うのです。

人様に迷惑をかけたり、ましてや呪うなどのおぞましい行いをすれば、必ず自分にかえってきます。(誰かを呪うってこと自体、すでに不幸な生き様ですし)

こちらの記事によると、陰陽師は呪うことが仕事だったといいます。

「人を呪わば墓二つ」の由来は陰陽師

「人を呪わば墓二つ」の由来は、平安時代の陰陽師です。 「陰陽師」とは、陰陽道に基づいて卜筮(ぼくぜい)、天文、歴数をつかさどり、吉凶災福を察知し、呪術により除災を行う術士のことです。

陰陽師の仕事の中には、人を呪い殺すということもありました。 その呪術の際に、陰陽師は呪い返されることを覚悟して、呪う相手の分と自分の分の合わせて二つの墓穴を用意していました。

依頼であるとはいえ人を呪って命を奪うということは自分も呪い返されて当然とし、陰陽師は呪術で人を呪い殺すときは自分も命を落とす覚悟で挑んでいたのです。

この陰陽師の姿勢から、「他人を陥れたり、その人の不幸を願うということは自分にも同じ報いが訪れると思うべきだ」という戒めの言葉として「人を呪わば穴二つ」といわれるようになりました。

ーーーーーーー(転載ここまで)

人を呪うのではなく、幸せになるように祈って欲しいものですね。

それではこの辺で、曼珠沙華の様子をご覧ください。

曼珠沙華と仏教の歴史から、今回は、こちらのRAPT理論をおすすめします。

皆さんは、仏教の輪廻転生、「生まれ変わり」を信じますか?

ーーーーーーー(転載します)

ここ連日、聖書についてのお話を続けてきました。

悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。

キリスト教最大のタブー。イエス・キリストの「肉体」が生き返ったという大嘘。

キリスト教最大のタブーその二。聖書に書かれた奇跡はほとんど奇跡ではない。

で、私がかねてからこのブログで「聖書」を薦めてきたこともあってか、私に対して宗教的な質問をしてくる方が多々いらっしゃいます。

その質問の中でも、特に印象的だったのは、「聖書」には輪廻転生のことが全く書かれていないけれども、あなたも輪廻転生を信じてはいないのか、というものでした。

しかも、その人自身は「輪廻転生」を信じていて、「輪廻転生」があることは間違いないことだから「聖書」は嘘だとまで言ってきました。

何の根拠があって「輪廻転生」があると言っているのかはよく分かりません。

単に「聖書」を否定したくてそう言っているのか、それとも誰かが輪廻転生したのを実際に見たのか(まあ、そんなわけがないと思いますが)、それとも誰かから聞いた話をそのまま信じ込んでいるだけなのか。

確かにこの日本では、キリスト教的な概念よりも、仏教的な概念の方が広まっています。

つい最近も、金髪の同性愛者とちょっと太めの霊能力者が、仏教的な話をテレビであれこれと繰り広げていましたので、もしかしたら多くの国民が彼らの話を信じ、「輪廻転生」はあると洗脳されているのかも知れません。

もっとも、私は決して「輪廻転生」がないとは言いません。

ただし、「聖書」に「輪廻転生」という概念について全く書かれていないことは確たる事実です。

そして、私個人はこの「聖書」を読んで自分の人生のいろんな問題を解決してきましたし、この世のカラクリもこうしてほぼ完全に解明できるようになりました。

なので、「聖書」に「輪廻転生」という概念が書かれてない以上、「輪廻転生」を信じるのは難しいというのが本音ですね。

それに、私としては、「輪廻転生」して何度も生まれ変われるという考え方よりも、人生は一度きりという考え方の方がしっくりと来ます。

その考え方の方がより理路整然としていると思うからです。

その理由をご説明しましょう。

人間がこの世に生まれ出てくるまで、人間は母親の胎の中で成長します。

で、ある程度まで成長した後、母のお腹の中から出てきます。

しかし、子供が胎にいる間、母親がタバコを吸ったり、お酒を飲んだり、刺激の強い薬を飲んだりしたら、最悪、その子供は奇形児や障害児として生まれてきてしまいます。

なので、子供がお腹にいる間は、母親はできる限り食べ物に気を使い、お腹に圧迫を加えたり、衝撃を加えないように注意しなければなりません。

つまり妊娠期間中は、母親は徹底的に節制した生活をしなければならないわけです。

たった十ヶ月辛抱して、まともな子供を生むのと、十ヶ月間辛抱せずに、奇形児や障害児を生んで、その子を何年も育てていくのと、どちらがいいかという話ですからね。

で、当然のことながら、誰もが前者を選ぶはずです。

で、話は変わりますが、私はかねてから人間には「肉体」と「霊体」があるという話をしてきました。

では、どうして神様が私たち人間をこんな構造に作ったのかというと、人間の「肉体」は実は「霊体」にとっての母胎の役割をしているからです。

さらに具体的に言うならば、「肉体」がこの世で善を行えば、「霊体」も天使のような美しい姿に成長して、天国に行くことができるけれども、「肉体」がこの世で悪ばかり行えば、「霊体」は悪魔のような醜い姿になって、地獄に堕ちるというわけですね。

で、この地上で生きる100年間、善を行うために苦労して生きるのと、その後、永遠にあの世で苦痛を受けながら生きるのと、どちらがいいかという話なのです。

これが聖書の基本的な考えです。聖書のある箇所にもはっきりとこう書かれてあります。

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だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

(コリント人への第一の手紙14章16〜18節)

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で、この外なる人である「肉体」が死んだ後、内なる人である「霊体」があの世に行くというわけですね。

「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(口語訳聖書・伝道の書12章7節、新共同訳聖書・コヘレトの言葉12章7節)

もっとも、この世のクリスチャンたちがこのことをどれぐらい理解しているかは謎ですが、それぞれの教会の牧師さんの聖書の理解度にもよるでしょうね。

とはいえ、考えてみれば、これはある意味、とても恐ろしいことです。

なので、「輪廻転生」があるという考えの方がまだ救いがあるようにも感じられます。

その方が、やり直しが何度でもきくわけですから。

しかし、私から言わせてもらえば、この100年という人生の間にまともに生きられない人が、いくら別人に生まれ変わったとしても、その後も同じような人生しか生きられないのではないか、という気がしてなりません。

その人の外見が変わり、生きていく環境が変わり、両親が変わったとしても、その人の中身は全く同じなのですから。

それに、100年という期間は短いようでいて、それでも長いといえば長い。

なので、自分の「霊体」をしっかりと成長させるには十分な期間と言えるのではないでしょうか。だからこそ、神様も人間の人生を100年と決めたのだと思いますし。

それに私は、何度もこの世で生まれ変わりたいとも思いません。

例え輪廻転生して、物凄いお金持ちになれたとしても、物凄い有名人になれたとしても、そこに何の魅力も感じません。

なぜなら、この地上の世界はどこもかしこも悪魔の支配下にあるからです。

悪魔の支配下にある以上、例えどんな人間に生まれ変わったとしても、悪魔から来る苦痛を逃れることはできません。

だから私は、できれば人生はたった一度きりであってほしいと思います。

そうすれば、100年生きた後は悪魔から完全に解放されるわけですから。

とはいえ、この地上で悪ばかり行って生きたら、結局、死んだ後も地獄に落ちて、「悪魔」どもに取り囲まれて永遠に苦しみの中で生きていかなければなりません。

なので、この地上でできる限り善を行って、天国に行きたいと願っているわけです。

もっとも、この世で善良に生きるというのは、それはそれで相当な努力が必要となりますし、ときに苦労も多いわけですが、この100年の間、苦労するのを惜しんで、永遠の地獄に堕ちる方がさらに大きな苦痛です。

なので、私はこの人生100年は修行の場だと思って、懸命に一日一日を生きています。

しかも、そのように生きることが、この地上での人生を幸せにすることにもなりますしね。それもそれで確固たる事実です。

ところが、そんな自分の人生をときどき政治家やら企業やらマスコミやらが脅かすようなことをしてくるし、私以外の多くの人たちも同じように彼らから苦しめられているので、このブログを通して、悪魔どもの嘘と悪行とを徹底的に暴き出してきたわけです。

一度きちんとそれらを暴き出してしまえば、もう二度と彼らに惑わされることもなく、騙されることもなく、悪の道に誘惑されることもありませんから。少なくとも、その危険性がずっと低くなります。

そして、彼らから受ける苦痛も少なくて済みます。

はっきり言って、この世の中、時代が経てば経つほど、嘘も罠も誘惑も何百倍、何千倍、何万倍と大きく膨らんでいます。

文明が発達してどんどん生活も便利になっているにもかかわらず、なぜか心は空しく寒々しく、どんどん窮屈になっていくばかりです。(もちろん、中には脳天気に生きている人もいますが……。)

で、我々の心をそうやって苦しめる黒幕が誰なのだろうと思って調べてみたら、実はそれが日本に古くから住まわれる「天皇」だと分かってきたわけです。

なので、私は今後もつづけて「天皇制の廃止」のために祈っていくつもりですが、いくら「天皇」が権力の座から下りたからといって、我々一人一人の人生が幸福になるというわけでもない。

なので、悪魔どもを責めてばかりいるのではなく、一人一人が自分の人生をより良く変えていきましょうともお話しているわけですね。

で、人生をよりよく変えていく方法についても、ある程度、具体的にお話してきましたし、これからも続けて話していくつもりです。

この世には悪を叩き潰してこの世の中を変えようとする人たちがいますが、例えその悪なる政治家や企業や団体がつぶれたとしても、別の悪者がよそから出てきてしまったら、何の意味もありません。

私はそんないたちごっこを続けるのは嫌なので、最初から誰かを倒そうとか潰そうとばかり考えず、自分の人生をどう作っていくかにいつも神経を使っています。

その方がずっと生き甲斐のある、価値のある人生を生きられるようになりますしね。

その一方で、悪魔崇拝者たちは自ら悪を行うことに神経を使って、自ら地獄に行こうとしているわけですから、本当にお気の毒です。

はっきり言って、地獄は地獄。苦痛と苦しみの世界です。

地獄には悪魔たちがうようよしていて、その悪魔たちは神様と違って、愛も正義も何もない奴らなのです。

そんな世界にどうしてそんなに行きたがっているのか理解に苦しみますが、要するに彼らがそれだけ悪魔に深く洗脳されているということなのでしょう。

皆さんが地獄に堕ちることなく、天国に行けるよういつもお祈りしています。

ーーーーーーー(RAPT理論、転載ここまで)

ーーーーーーー(転載します)

一応、昨日の時点では「輪廻転生」という概念が聖書に書かれていないこと、そのため私も「輪廻転生」を信じられないとお話しましたが、それでも「輪廻転生」がないとまでは断言しませんでした。

このブログでは何の根拠も証拠もなく物事を結論づけたくないからです。

とはいえ、その後、ある読者の方からコメントをいただき、どうも「輪廻転生」という概念そのものが悪魔の作った概念なのではないかと疑わざるを得なくなってきました。

というのも、ウィキペディアの「輪廻転生」の記事にはこんなことが書かれてあったからです。

ーーーーーーー(以下、ウィキペディアより転載)

転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。

ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。

輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

ーーーーーーー(転載ここまで)

太字にした宗教は、すべて悪魔教である可能性の高いものです。というか、悪魔教であると断定してもいいものでしょう。

つまり、悪魔の作った宗教の多くが「輪廻転生」という概念を取り入れているということです。

ヒンドゥー教が悪魔教であるという証拠は、以下のリンク記事に書いてあります。

この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。

古代のエジプトに関してはもう言わずもがなですね。古代エジプトとは、ある意味、天皇家の第二のふるさととも言えるような場所ですから。

古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。

「オルペウス教」「ピタゴラス教団」「プラトン」といったギリシャ哲学(宗教)も悪魔崇拝者たちの作ったものです。聖書の中にも「哲学」についてこんな言及があります。

「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」(コロサイ人への手紙2章8節)

「世のもろもろの霊力」とは何なのかと言えば、もうお分かりですね。もちろん「悪魔」のことでしょう。

で、聖書が書かれた当時、流行していた「哲学」といえば「ギリシャ哲学」ですから、「ギリシャ哲学」は「悪魔」の作った学問だと言えるわけです。

また、イスラム教の「アラウィー派」も「天皇派」のアサドが信仰している宗派ですから、明らかな悪魔教ですね。

アラウィー派 – Wikipedia

また、イスラム教の「ドゥルーズ派」も、そのシンボルマークは完全に悪魔でした。以下のマークを「五色星」というそうです。

ドゥルーズ派 – Wikipedia

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〈ドゥルーズ派のシンボルマーク〉

このウィキペディアの記事を見てもお分かりの通り、この「ドゥルーズ派」もご多分に漏れず、紛争ばかりを繰り返しています。これではもう宗教とは呼べないですね。

で、「アラウィー派」では人間が動物に輪廻転生することもあると説いていて、「ドゥルーズ派」では人間にしか輪廻転生できないと説いているそうです。これもまた全くの意味不明です。

なぜこうも教派によって言うことが違うんでしょうか。それぞれの宗派がそれだけ勝手なことを言っているという証拠ではないでしょうか。

ちなみに、かの「ひかりの輪」も輪廻転生を信じているみたいです。

「ひかりの輪」はオウム真理教から派生した宗教ですし、そのオウム真理教は「チベット仏教」から派生した宗教です。

で、この「チベット仏教」が悪魔教であることは何度もお話してきた通りです。

〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。

なので、「ひかりの輪」も紛れもない悪魔教の一つの分派だと言えるわけですが、このように悪魔教の多くが「輪廻転生」という概念を取り入れているとなると、同じ「輪廻転生」という概念を取り入れている「仏教」や「インド哲学」もまたとても怪しくなってきましたね。

いいや、「釈迦」は悪魔ではないと仰る方、そう思いたい方もいらっしゃることでしょう。「釈迦」が悪魔なのではなく、「釈迦」の後から出てきた仏教徒の中に悪魔崇拝者たちが紛れ込んでいただけではないか、と……。

しかしながら、「釈迦」がこの輪廻転生という概念を仏教に取り入れたことは事実ですし、しかも「釈迦」は自分なりに新たな輪廻転生の理論まで組み立てています。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。

六道輪廻

こうなってくると、「釈迦」もまた悪魔から何かの啓示を受けていたという可能性を捨てきれません。

いや。実際に前世の記憶を持った人がこの世にはいるのだから、輪廻転生は起こり得るのだ。だから、輪廻転生を唱えたからといって、「釈迦」を悪魔であるとは言えないのではないか。

そうコメントされた方もいらっしゃいましたし、実際、以下のようなサイトも見付かりました。

輪廻転生はあり得るのか?過去の記憶を持つという転生した10人のストーリー : カラパイア

しかし、前世の記憶があるからといって、それだけで輪廻転生をしたと考えるのは無理があります。ただ単に死者の霊がその人に臨んでいるだけとも考えられなくはないからです。

また、前世と同じ場所に母斑(皮膚の奇形)が現れたからと言って、輪廻転生をした証拠だという考えにもやはり無理があります。

輪廻転生は「肉体」が輪廻するわけではなく、「魂」のようなものが輪廻するわけですから、輪廻転生したからといって「肉体」に同じ母斑があらわれるわけがないからです。

で、もしこの「輪廻転生」が嘘ということになれば、「釈迦」も嘘をついたということになり、多くの人たちを騙したことになります。

もっとも、私は現時点ではっきりとそう断言することは控えましょう。

ただし、この「輪廻転生」の概念について、多くの宗教人たちがネットなどであれこれと説明をしているのを読んでも、私にはいまいちよく理解できませんでした。

それに引き替え、「聖書」に書かれた概念はなんと単純明快でしょうか。人間の「肉体」は「霊体」にとっての母胎のようなものである、というわけですからね。

「肉体」という母胎があるからこそ「霊体」を育てていくことができる。だから、神様は人間の「霊体」だけを作らず、「肉体」も作ったということです。

で、人が「肉体」を持っている間に善行を積めば、その人の「霊体」は天使のように美しい姿に成長し、永遠に天国に住むことができる。

逆に、人がこの世で悪いことばかり行えば、その人の「霊体」は悪魔のように醜い姿になり、永遠に地獄に住む、というわけです。

「宗教」というものは本来、複雑で分かりにくいもの、ぼんやりとした漠然としたものを、分かりやすく明確に説明してくれるべきはずのものです。

なぜなら、「宗教」とはいわば人生の道しるべみたいなものだからです。

その道しるべが分かりにくいものであれば、当然、人がいくらその道しるべを見ても道に迷ってしまいます。

なので、分かりにくく複雑な教理を述べるような宗教は、もはや宗教とは呼べません。

この世の多くの人は、複雑で難解な話を聞くと、奥が深すぎるから自分には理解できないんだと思い込みがちですが、本当に悟りを開いた人というのは、どんな複雑で難解な物事も、凡人にも理解できるように分かりやすく説明できるはずです。

なぜなら、悟りとは複雑な物事をシンプルに単純明快に解き明かしていくという行為なのですから。

実際、私もこの世のカラクリを調べていくうちに、どんどんシンプルに単純明快に解き明かすようになりましたが、これもまた一種の悟りですよね。

で、この世のカラクリを一言で説明すればこういうことになります。

別の言葉で言うなら、悟りを開くということは「物事の核心を捉える」ということです。あるいは「物事の本質を捉える、見抜く」とも言えるでしょう。

そのように「核心」や「本質」を捉え、見抜くことによって、一見バラバラに見えていた100も200もの事象を一つの点と線で結んでいけるようになるわけですね。

なので、複雑な物事がどんどんシンプルに単純明快に見えてくるわけです。

ーーーーーーー(RAPT理論、転載ここまで)

ーーーーーーー(転載します)

ある読者の方から「前世」は存在しないという客観的、かつ確たる証拠を教えていただきました。

以下の記事を読んでいただけば、「前世」が存在しているとか「輪廻転生」があるとか、そんなことは口が裂けても言えなくなるでしょう。

もちろん、「前世を見てあげましょう」といって莫大な鑑定料をもらっているような霊能者、占い師、療法士などは、これからも屁理屈をこねながら「前世はある」と言い張りつづけるでしょうが、彼らの言うことが全く何の根拠もないことが、以下の記事を読めばはっきりとお分かりいただけると思います。

はっきりと言いますが、あなたの人生の問題を解決するのにお金は必要ありません。法外なお金を要求して、あなたの人生の問題を解決すると言ってくる人はみんな詐欺師と思えばいいのです。

彼らはあなたにあれこれとデタラメ話をして、あなたの抱えている問題をさらに複雑化し、あなたの頭を激しく混乱させます。

そうしておいて、あなたの問題をあなた一人ではとても解決できないように仕向けてしまうのです。

そうすると、あなたは目の前にいる霊能者、占い師、療法士にすがりつくしかありません。

詐欺師とはそうやってあなたから法外なお金をもぎ取ろうとするのです。

彼らはただ単に法外な鑑定料をとるために、それらしく聞こえるデタラメな空想話をでっちあげているに過ぎないのです。

率直に言って、これほど悪質な商売はないと言っていいでしょう。

で、そんな商売をしている人からしてみれば、私のように「前世」を否定するような記事を書く人間は煙たくて煙たくて仕方がない。

なので、「輪廻転生」について懐疑的な記事を書いて以来、やたらと嫌がらせメールやコメントが殺到してきました。

悪いですが、このブログを読んでいる読者の皆さんは博識な方ばかりですので、必要とあれば、すぐに私に必要かつ重要な情報を送ってくださいます。

そういうこともあって、このブログは物凄い勢いでこの世のカラクリをすべて解き明かしてきたのです。

今回もまた読者の方からの情報によって「前世」も「輪廻転生」もないということをはっきりと証明する運びになりました。

悪いですが、人を騙してお金をぼったくるような商売はこの世から全て消え去るように、このブログではこれからも徹底追求していきます。

ーーーーーーー(以下、教えて!gooから転載)

前世療法の信憑性

■質問
質問者:rin7755質問日時:2009/01/03 21:45

イギリスなどでは、その昔から精神科のドクターによる前世療法が行われ人々を救ってきたと聞きます。

日本からも外国に渡り、前世療法を学んだ人もいるとは思うのですが、人間の魂が本当に1つなのか?

その魂が何百年も前から体を変えて宿り存在するのか?

その魂は何かしら前世と現在の橋渡しをしているものなのか?

私はあるきっかけで5年くらい前に前世療法というものを知りました。

自分には精神的にどうしてもクリアできないものがあり、それが以前から苦しくて苦しくてたまりません。

・・・前世療法・・・

本当に胸のつかえがとれるのなら受けてみたいような気がします。

ご存知の方もしくはこの療法にお詳しい方教えて下さい。

この療法は信憑性はありますか?

この療法の凄いところは何ですか? 

催眠療法ですよね?  

単なる暗示みたいなものですか?

受けるとすればどこに行けばいいのでしょう?

いかさまっぽいところでは意味がないのできちんとしたところはどのように調べたらいいんですか?

■ベストアンサー
回答者:kigurumi 回答日時:2009/01/04 01:13

よく、このサイトに広告が出ていますよ。

広告主があってこそ、このサイトが存続するので、あまり大きな声では言えないのですが。。。

1980年代にアメリカで大きな社会パニックが起こったそうです。

突如、子供の頃親に性的虐待を受けた記憶が蘇ったとして、裁判所の詰めかける人で、裁判所はごった返したそうです。

どうしていきなりそうなったのか?

退行催眠療法がブームになったから。

中でもジュディス・ハーマンという精神科の医者が、退行催眠療法により「あなたも あなたも あなたも あなたも子供の頃両親に犯されています。その記憶をすべて思い出さない限り、心の病は治りません!」とやった。

ブームなので、もてはやされたわけで、ある牧師はいい療法があるのなら、自分もそのやり方をやってみたいと調べたそうです。
 

実際 よくなった人。 0人。

療法を受ける前より精神状態が悪化した人、全員。

 
 
家庭崩壊した人、大学を中退しホームレスになってしまった人、自殺した人、そこまでいかない人でも、両親は加害者だと裁判所に訴えた。

(註: これこそ「前世」など存在しないという確たる証拠です。しかも、療法を受ける前より精神状態が悪化した人は「全員」!! なんなんですか、これは。詐欺以外の何物でもありません。)

国民全員が狂ってしまってはと、法曹界は解決に乗り出した。

そして、偽の記憶を作ってしまう恐れのある退行催眠を治療の際にやってはならないと、医者やカウンセラーなどメンタル系の職業の人に行為に法律によって制限を設けた。

その事により、やっと精神的錯乱を生み出していた人たちが行動できなくなり、誘導してクライアントに偽の記憶を作らせることができなくなったので、社会パニックは終息に向かった。

本人たちは、それは現実に起こったもので、偽の記憶じゃないし、退行催眠で思い出したものは、真実だと今も言っています。

逆に偽の記憶だとする側を攻撃しています。

そりゃそうですよね。

クライアントがやってこなくなったら、商売上がったりですものね。

クライアントは、

精神が不安定だと感じており、

その弱みにつけこみ、

「それはあなたが記憶を抑圧しているからですよ。そういう記憶を無理に閉じ込めて意識に上らせないようにしているのは、すごく嫌な記憶だからです。そういう人の特徴は、子供の頃両親にレイプされているに決まっているんですよ。あなたも親に犯されているんです。すべて思い出し親に犯されたことを認めなさい!!!」ってやっちゃったんですね。

この女史、なんでもかんでも「子供の頃 親に犯されていますね」とよっぽど親に犯されたいという願望が強すぎたのでしょうか。

一応 精神科医ですが、、、狂ってますね。

そして、とうという自分も誰かに攻撃されていると、神経症になってしまって、普通に偶然に起こりうることも、誰かに攻撃されたと受け止め、警察を呼ぶようになった。

自分が作り出したもので、他人ばかりではなく自らも害を受けてしまった。

今でも日本でこの女史の言うことは正しいという信者は多いようです。

精神を病んだ人は、全員子供の頃両親に性的虐待を受けていると捉えるメンタル系の職業の人が日本に多いようです。

アメリカで起こったパニックを知らないようです。

30年前にアメリカで起こることは、日本ではその30年後に起こる。

だから今 スピリチュアルブームになっているんです。

30年前のアメリカと同じ道を日本も歩んでおり、30年前に起こったことを報道しないので、メンタル系の職業の人は、その弊害を知らないので、さかんに退行催眠を薦めるわけです。

ビジネスにつながるので。

(註: 美輪明宏、江原啓之、等々をしきりとテレビに登場させ、脚光を浴びさせたのも、何かしら裏で大儲けを企んでいた連中がいたということでしょう。悪いですが、同性愛者という既に人の道から外れた人が、生きる道を説くこと自体、あり得ないことです。)

クライアントは先生 とすがるわけで、先生の言うことしか聞こうとしない。

他の助言に耳をふさぎ、自分を治してくれる人を神のように思う。

第三者からすれば、かなり悪化しているとわかる状態なのに、先生と捉える人から離れようとしない。

カルト宗教にはまって落ちていく人のようなもの。

で、アメリカで前世を覚えている人たちのことが書かれた本が出版され、すごいと興味を持った人が、実際 その本に書かれた人に会いに行きました。

ところが、本に書かれている村が実在しなかった。

ですが、そんなすごい人なので、有名だろうと、周りの人に聞いたが、「前世の記憶を持つ人? そんな人 ここらじゃ聞いたことない」と誰も知らなかった。

アメリカでは超有名人だが、実際現地の人にとっては無名。

いや 実在しませんでした。

つまりノンフィクションではなくフィクション。

で、本に書いた人に「一体どういうことですか。あなたはホントに本人に会って本を書いたのですか」と聞いたところ、他人からそういう話を聞いたものを、あたかも自分が本人と話しをして聞いたように書いたとのことでした。

(註: とか何とか言って、なんとかごまかしたわけでしょうね。)

その他人から聞いた話も、また他人から聞いた話で、辿れば、実在の人物にいきつくか?

エイリアンに誘拐されたという人を辿っていけば、エイリアンに会えるか?

ある人はエイリアンに誘拐され実験されたなどと嘘っぱちだと思っていた。

その人に突如 エイリアンがやってきて誘拐して実験をした。

と、本人が記憶を蘇らせた。

全く信じなかった人だったが、恐ろしい体験だったので、記憶を閉じ込めてしまったのか?

で、その人に教授は「そしてエイリアンはこんなことをあなたにしたんですよね。次がこうですよね」と言うと、本人 ぽかんとして「どうして知っているんですか!?」と聞いた。

「だってそれ私があなたに催眠をかけて塗りこんだ私が作ったストーリーだから。あなたはエイリアンに誘拐されてなどいません。催眠をかけているとき、私が催眠による誘拐されたという偽の話をしたんです。」

「私は催眠などかかっていません」

「催眠にかかった人は皆さんそういいます。ですが実際はかかっているんです。ビデオを見せましょう」と催眠をかけているところ、催眠中に偽のエイリアンに誘拐された話を聞かせているところ、催眠から解いているところ、と映像を見せても、本人ぽかーん。

催眠にかけられたという記憶が無い。

これが、カウンセリングの最中にも起こったわけです。

カウンセリングをする側の誘導で、偽の記憶を作り出した。

カウンセラーが好む性的虐待の記憶を自ら作り出し、神と崇める先生に気に入られようと、性的虐待のストーリーを作り出した。

カウンセラーに気に入られるために、それを真実の記憶と塗り替えた。

前世記憶の本 いくつかありますが、それが真実か検証された例も知っています。

何百年も前にイギリス方面の地方で話されていた言葉を、突如喋る出した人。

この人の前世は、その地方の人だったのか?

いいえ、何百年も前に話されなくなった言葉ではなく、現代の人も使っています。

そして、その昔の言葉を喋る人は子供の頃、そのイギリスの地方からやってきた住民と親しく、よくその家を訪れていたことも突き止めた。

ええ、そのイギリスからやってきた人は、現代の言葉として使っているわけで、何百年前の言葉じゃないんですね。

催眠下では、夢の中で自分の意思とは違う夢を見るように、子供の頃聞いた言葉を思い出して喋ってもおかしくない。

ちょっと変わった言葉だ。昔の言葉だと子供の頃に思っていたら、過去に戻るための催眠だといわれたら、当然、昔の言葉となれば、その子供の頃、古い言葉だと思った言葉が蘇ってもおかしくもなんとも無い。

上品な女性が、退行催眠をかけると、南部訛の男の言葉使いになってしまった。

というのも、上品であるべきだという脅迫観念から催眠により制限がゆるくなると「べらんめ ちくしょー」と今まで言ってみたかった荒い言葉を使ってみたくなるんじゃないでしょうか。

酒を飲むと、荒くなる人もいるように、社会的抑圧により上品な人格を演じていた人ほど、実際自分が望む生き方ができず、精神的に苦しい思いをするのではないかと。

それが、催眠をかけられ「自由に思いついたことを言っていいんですよ」となれば、「てやんでー」と言ってみたかった言葉を言うんじゃないか と。

前世男だったからじゃあない。と思えます。

さて、中には胎児の頃の記憶があるという人もいる。

胎児の頃は まだ記憶を保存する器官ができておりません。

おぎゃーと生まれてた時も、まだできておりません。

唯一耳だけは成人に近いレベルですが、そのほかの器官は何年もたたないとできあがらない。

記憶を保存する器官が無いのに、どうやって胎児の頃の記憶、そして言葉をまだ習得していないのに、母親がどういう歌を歌っていたとか どういう言葉を腹の中にいる自分に言ったとかなるのでしょうか?

それは何年もたって、記憶する器官が出来上がったとき以降に聞いた歌であり言葉だからだと思えます。

それを胎児の時に聞いたと、記憶を塗り替えてしまっている。

(註 : 子供の魂が自ら親を選んで胎の中に入っていく、などという話もよく聞きますが、それもすべて嘘ということですね。やはり前世はないということです。)

ーーーーーーー(転載ここまで)

ということで、これだけ読めば、「前世」なんて存在しないということがはっきりとお分かりいただけたと思います。

はっきりと言いますが、人間の運命なんて生まれたときから決まっているわけではありません。カルマがどうこうとか、前世の因縁がどうこうとか、そんなことのためにあなたの人生が悪くなるわけではありません。

はっきり言って、人生、生きていれば良いことも悪いこともあります。というか、悪いことの方が多いんじゃないでしょうか。

なぜなら、この世の中は悪魔が支配しているわけですからね。

そんな中で毎日24時間幸せに楽しく生きる方が無理というものです。

なのに、その痛み苦しみに耐えられず、安易にお金でその問題を解決しようとなどするから、悪魔に付け込まれてしまうのです。

しかも、単にお金を奪い取られるだけでなく、精神や人生そのものまで完全に破壊されてしまうわけですから、ひとたまりもありません。

私はかつて「向精神薬」が精神病を治すどころか、むしろ悪化させるだけという記事を書いたことがありますが、この「前世療法」もそれに似たような、いえ、それを遙かに超える悪質な商売だと感じました。

ですから、あなたは自分の人生や心の問題を、霊能者や占い師、療法士などに法外なお金を出して解決してもらう必要がありません。

私もこれまで数え切れないぐらいの艱難・苦難に見舞われ、何度も絶望の淵をさまよってきましたが、結局、お金ではなく、すべてを祈りと聖書の言葉で解決してきました。

その上、神様はこうしてこの世のカラクリまで私に全て教えてくださいました。

法外なお金を出しても、こんなことは絶対に成し得なかったでしょう。

むしろ、お金の力なんかに頼らずに、神様だけに頼ったので、ここまでできたと思っています。

ちなみに、昨日のコメント欄はまるで一つの壮大なドラマを見ているかのようでしたね。まだご覧になっていない方は、ぜひ昨日のコメント欄もご覧になってみてください。

「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。

結局、「前世」を信じたところで何もいいことはないし、むしろ余計な苦悩だけが増えてしまうということです。現世の生活を生きるだけでも大変なのに、「前世」のことにまで悩みたくはありませんよね。しかも、存在しない「前世」のことを。

ーーーーーーー(RAPT理論、転載ここまで)

生まれ変わりを信じている人は、いまだに多いのではないでしょうか。(無神論者は、死んだら自分は消えてなくなると考えてます?消えませんけど)

今が大変でも、生まれ変わって〇〇しよう!とか、不幸な星の元に生まれついたから、今世はどうでもいいや・・とか考えている人、ダメです。

人生は、たったの一度きり・・!!

このチャンス逃したら、肉体を持って生きることはもうありません。

ですから、今、この人生!が大切なのですよ。

この世で、何が正しくて何が間違っているのか、何が大切で何が自分を救ってくれるのかを、よく考えて生きてくださいね。

それでは、続きをご覧ください。

このお話は、次回へと続きます。

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