祈りの旅 〜長野・群馬・埼玉・東京〜
皆さん、こんにちは。
ここ最近は、怒濤の如く悪が暴かれています。
中心者のおっしゃる通り、悪が立ち行かない時代になっていくので、来年に向けてさらに悪が追い詰められていくことでしょう。
埼玉県の川口市で、クルド人が女の子をレイプしたり、危険運転をしたり、住民に突っかかってみたりと相当な素行の悪さが際立っていますけれども、ついに難民ではなく、ただの出稼ぎ労働者だったということがバレてしまいました。
トルコでも馬鹿にされるようなド田舎出身で、学がない人々らしいのですが、(他国に来て迷惑をかける、犯罪を犯すという時点で察しがつきますが)中国人、韓国人たちと結託して日本を荒らし、治安を悪くして日本人を追い出し、その地域を乗っ取っていくという計画らしいですね。
在日たちが手を貸して、日本で荒稼ぎするのもやめてもらいたいです。
観光ビザでやってきた外国人が、いきなり居座って難民申請するというような悪徳なやり方は、絶対に許せないことです。(我々の血税で養われる)
すでに、出稼ぎルートが確立してしまっているという事も大問題です。
同じ国の同じ地域からの入国が多すぎる時点で、もうおかしいです。(キチンと出稼ぎ労働者と申請して、難民と嘘をつくな)
労働者として他国に来るという時点で‥どうなんでしょう。自国で稼げるような人間だったら、まず来ないでしょうね。
ですから、もうそれなりの人しか来ないわけですよ。日本の企業は、もしも日本で上手く生きられなかったら、最悪、犯罪に手を染めるかも知れないと考えて雇っていますか。
ホイホイ雇って、安い給料、キツイ仕事に嫌気がさして逃げ出してしまう。
将来、年寄りになる自分や子孫に害を与えるかも知れないというような決断です。前例として、ベトナム人が田舎の一軒家を襲っていますし、日本中で外国人の犯罪が多発しています。
日本を発展させようとしない、日本の企業。(税金にあやかるためゴミ政治家に献金、そのお金というのは日本の国民が支払っているもの)
これからは企業に依存せず、自分たちで生きられる道を模索するしかない。
神様は、「新しい時代」をつくりあげようとされています。こちらの御言葉をおすすめします。
2024年11月7日(木)
サタンは常に、「6」までしか行けないから、私たちが最後まで行くなら、サタンが途中で挫折し、敗北する。だから、サタンに完全勝利する秘訣は、最後まで忍耐して義の条件を立て続けることだ。
2024年11月8日(金)
悪を行う人は楽な道を行こうとする人だから、何ら鍛えられることがなく、むしろ時とともに軟弱になっていく。一方、義人は敢えて困難な道を行こうとする人だから、時とともにどんどん鍛えられて強靭になっていく。だから、義人の方が悪人よりも圧倒的に強いのだ。(完全な義の前では、悪は足をガクガク震わせるほど恐れるしかない。)
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さて、今回は、全く意図していないことで始まった旅になりました。
紅葉が気になり、ドライブがてら軽井沢のアウトレットに冬物を探しに出掛けました。道中の景色を眺め、産地の食を楽しみました。
この日の朝方、皇族の三笠宮百合子さまが亡くなったというニュースが。
皇族が亡くなるということは、一つの時代が終わるという事象です。
本当に、「新しい時代」の転換期だということを見せられた気持ちになりました。
午後から雨の予報でしたので、期待せずに到着したところ、どんどんと雲が上がって、まさかの晴れ模様となりました。
求めていた真っ赤な紅葉、とても大満足でした。
翌日は、紅葉狩りのピークで、高速道路は40キロの渋滞だったそうです。
この日、何故かとても穏やかで、聖霊様がこの地上に強く働かれていると強く感じました。
数日後、用事があったので新宿へ。
日中は20度まで気温が高くなり、雲ひとつない青空。
そして、また聖霊様が地上に働きかけてくださっている‥!と強く感じる一日でした。(何げなく撮った写真ですが)
帰ってから、ちょっと気になっていた場所があったので、撮影に行ってみようかと計画を立てることにしました。
数年前に群馬県の「上野三碑」を廻り、遠くの山のてっぺんにお城があって、何だろうかと思っていました。
数日後、さっそく日帰りで行ってみました。
群馬県の吉井にある牛伏山自然公園は、ぐるっとハイキングができる場所です。なんと、お城型の展望台ということでした。
山の頂上ということもあって、道が狭くほぼ対向車と行き違いができません。その上、熊が出没しているという看板があり、到着するまでは車を降りないよう注意しながら運転しました。
頂上から、日没の様子や夕焼けが撮影できるかと思っていたのですが、16時に門が閉まるということで‥期待できず。
牛伏山展望台は、上毛三山と関東平野が360度見渡せるので、眺めは最高でした。春頃、桜や紫陽花が咲く時期がおすすめらしいです。
光が差している方向の裏側で、天使の梯子が見えてました。右回りで撮影した風景を掲載します。
〈Nikon撮影〉
最後の写真は、麓まで降りてきたときのものです。
光が美しくて撮影したのですが、後から見たら、まるで善と悪がバチバチしているかのような雲。
徹底的に「悪の滅びを祈る」という御言葉が宣布されたので、イルミナティ13血流である李家と群馬人脈の滅びを祈りました。
全ての悪は滅亡しなければならないのです。
中心者と義人が世の中を治められるよう祈ります。
2024年11月24日(日)
悪がどんなに足掻いても栄えられない時代にもう既に突入した。だから、私たちを苦しめて来た悪人もサタンも急速に衰え、義を行う清い者たちが次々と栄えていくだろう。
2024年11月25日(月)
悪がこの世を支配するなら、この世は地獄になる。しかし、義がこの世を支配するなら、この世は天国になる。だから神様は、義人がこの世の頂点に立ち、この世を治められるように導いていかれる。(義が栄え、義がこの世の頂点に立ち、義がこの世を治められるように祈りなさい。)
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この日、25日に必ず紅葉を見に行くのだという強い感動があったので、また出掛けることになりました。
しかし、体の怠さが残っており、ゆっくりしてから紅葉と夕焼けの撮影ができる場所を探してみました。(また、とてつもなく穏やかすぎるくらいの日となって、神様が何かを整えてくださっているのではないかという思いが湧き上がる‥)
群馬県の富岡市にもみじ平公園があったことを思い出し、そこに決めました。
高速道路の夕焼けが、本当にとても綺麗でした。
もみじ平公園の夕焼けに間に合わないかも知れない‥という時間になってしまい、何故か、道を誤って富岡市役所の脇を通ることに。
あの隈研吾という詐欺建築家の被害に遭っている、富岡市庁舎です。
お役人は、市民の税金を無駄遣いしないよう、調査してから委託するようにしてください。全国で、隈研吾の建築被害は続出していますから。
東京都の国営公園内にあるオオカフェに寄りましたが、見てくれだけでした。
内装も激安素材のオンパレードで、すぐに劣化して壊れそうな上に、動線がまるで無視され、人の出入りがスムーズにいかない。(素人目でもヘタ過ぎる)
まあ、これくらいにして‥、次はもみじ平公園の様子になります。
〈Nikon撮影〉
この通り、夕日には間に合いませんでした。(もうほぼ夜です)翌日は雨の予報なので、別の何かをしようと考えることに。
そして、ここでまた上野三碑のことを思い出しました。
数年前に訪れた時は、多胡碑記念館の営業時間に間に合わなかったので、ちょっと深掘りしてみることにしました。
高句麗 広開土王碑(こうくり こうかいどおうひ)「多胡碑記念館本」をみる、という企画展も開催していました。
〜チラシから〜〜〜
西暦414年に建てられた高句麗 広開土王碑(こうくり こうかいどおうひ、石碑の高さ639センチメートル。現在の中国吉林省にあり好太王碑ともいわれる。)の拓本(たくほん、碑文を墨で写しとったもの)は、日本国内各地で確認されているうちの貴重な一本です。
迫力ある拓本の展示をとおして、中国大陸から朝鮮半島、日本列島、そして上野三碑にいたる文字文化の伝来について、考えていただく機会となれば幸いです。
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上野三碑は、ユネスコに登録されています。
常設展では、文字についての歴史、刻石の各時代のレプリカがありました。
上野三碑から、東アジアとの文化交流があり、インドや中国から政治制度や漢字、仏教、石碑の文化が伝わったということがわかります。
学芸員さんとのお話しの中で、石碑が残っていることが珍しく、災害などによって日本ではあまり数がないということでした。
石に刻されるというと、聖書のモーセの石板を思い起こします。
モーセが四十日四十夜シナイ山にこもっていた時、イスラエルの民はアロンに金の子牛を造らせました。
主はモーセに、「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き登った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳造を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」と、怒りをあらわにされました。
モーセが主の怒りをなだめて下山すると、イスラエルの民が金の子牛の偶像にむかって歌い踊っており、モーセは激しく怒って石の板を投げつけて砕いてしまいます。
そして、「イスラエルの神、主がこう言われる。『おのおの、剣を帯び、宿営を入り口から入り口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ』」と命じられたのです。
そうして、三千人の民が裁かれて倒れました。
(聖書の神様は、それほどまでに偶像を嫌っています。この理由は、また後でご説明したいと思います)
15日付けで、このようなニュースがありました。
世界最古のモーセ「十戒」石板がオークションへ。ユダヤ教の美術品人気で3億円超えの予想
〈古代ローマ後期からビザンツ帝国にかけての時代(300~800年頃)のものとされる石板。Photo: Courtesy of Sotheby’s〉
上野三碑は、およそ千三百年前に建てられています。
多胡碑は、近所の人々が戦争時代に素早く埋めて隠したり、社会の混乱から守られたことで現存しています。記念館ではご近所の証言が紹介されていて、当時の人々の詳しい様子を伺うことができます。
石碑は外来文化なので、朝鮮半島から渡来した人と地元の人で共存社会が確立されていたということが考えられています。
学芸員さんから、拓本の体験を勧められたので挑戦してみました。笑
(簡単そうに見えるのですが、まず先に紙を濡らし、ずれないようにして石碑に乗せて押さえます。生地を丸めたものに墨をつけ、紙に軽くあてていくという工程。大きい石碑ほど大変な作業です)
多胡碑から歩いて10分ほどの場所に、正倉院跡があるというので行ってみました。住宅地の中を歩いていきます。
この辺りでは、敷地内に歴史的なものがあるというお宅が多いそうです。
〈多胡碑〉
〈多胡碑正倉院跡〉
〜案内板より〜〜〜
多胡郡正倉跡
多胡郡正倉跡は、今から1300年ほど前の奈良時代から平安時代にかけて存在した古代多胡郡の役所跡です。奈良時代は、律令と呼ばれる法律に基づいた中央集権的な国家の体制が経った時代です。
この頃、地方行政は国・郡・里の三段階の単位に編成されました。711年(和銅四年)、この地に多胡郡が新たに設置され、那の役所である那香(那家)も整備されました。
正倉とは、この郡街の施設の一つで、高床の倉庫を建て並べ、税として集めた米などの穀物を保管した公の倉庫群のことです。2011年から多胡碑周辺で実施している発掘調査で、特に注目されたのは、東西16・8m、南北72mの大きな建物跡です。建物基礎となる大きな礎石が整然と並び、屋根は希少な瓦茸だったことが調査で確認されました。
このことから、この建物跡は高台にそびえたつひときわ格式の高い倉庫(法)であったと考えられます。付近一帯では他にも礎石建ちの正倉が発見されており、複数が建ち並んでいたと想定されます。
これら倉庫群は南北の方位にあわせて掘られた区画溝に囲まれ、約210m四方の敷地を有していたことも分かりました。
正倉跡の北辺中央から真北に約350mの距離には、多胡郡の建郡記念碑である特別史跡多胡碑が存在しています。このことは多胡碑と正倉が計画的に配置された可能性を強く示唆しています。
古代多胡郡は、国家の形成期に国が主導して渡来人を登用し設置した全国でも稀な郡です。その役所跡が見つかったことは、日本古代史を理解する上で極めて重要あり、建郡記念碑である多胡碑の歴史的価値をいっそう高めるものとして注目されます。
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住宅がなかった時代、平地で景色が見渡せる安全な場所だったのでしょう。
〈地域の模型〉
多胡碑の石材、牛伏砂岩は群馬県富岡市~甘楽郡甘楽町~高崎市吉井町~藤岡市にかけて分布しているそうです。牛伏砂岩が展示されてあるので、実際に触ることができます。
正倉院跡地は、遠くから全く見えません。
〈ちょっと高めの2本の木が目印〉
なんとか雨は降らなかったので、外で撮影することができました。
この日の夜、ざんざんぶりの大雨となりました。さて、明日の撮影はどうしようかと考えて‥。
そして、なんでまた多胡碑になったのか。
RAPT理論で少し多胡碑について書かれてあったところから、コロナの最中に訪れてみました。この頃は、外出を控えるようにとのお達しがありましたが、嘘の病気なので気にせず出掛けていました。
(注:ワクチンを打つと病気になるしくみ)
そういえば、富岡市のもみじ平公園の先に羊神社があって、思い返してみると神社の羊の像に「藤に五重の塔」がある珍しい家紋がありました。
羊太夫伝説から、知った場所です。
この時、通りかかった近所に住むおばあちゃんに話しを聞いてみたところ、子孫の方が羊神社を守っているということでした。(未年になると、毎年大行列になるそうですが、道がとても狭いです)
藤は藤原氏、五重の塔は仏教を現すものです。
五代思想からなる宇宙は、地、水、火、風、空からできていると。
法隆寺の五重の塔(奈良県生駒郡斑鳩町・607年)が最も古いものです。推古天皇と聖徳太子によって建設されたとあります。最下層には、和銅4年(711年)に造られた塑像群があるといいます。
この時代については、RAPT理論でかなりいろいろと紐解かれています。(RAPT理論は、2014〜2016年に書かれた記事です)
話しが飛んでしまいますが、数日前、藤原紀香の所属事務所が廃業するというニュースがありました。
【独自】藤原紀香、篠田麻里子らが所属する大手芸能プロダクションがまさかの年内廃業へ!
芸能界でも、何が起こるかわかりませんね。
RAPT理論の記事で、藤原紀香について書かれてあります。(一時期、何かと「天皇派」と関係のある活動ばかりだったといいますが‥人気商売ですから、現在はどうでしょう)
日本の裏社会のエージェントが目指す道はただ一つ。国家神道の復活です。
RAPT×読者対談〈第76弾〉あらえびす・東出融の正体(2)
藤原氏の衰退‥ふと、そう感じました。
そういえば、最近またエボラ熱の話題がありました。
わざわざ日本の長崎大に持ち込むといいますが、エボラはワクチンを打つとかかる病気です。ダイヤモンドの産地である、シエラレオネで大勢の人が犠牲になりました。
エボラのニュースと同日、三笠宮百合子さまが亡くなりましたが、その配偶者は近衛忠煇です。近衛家については、こちらの記事にあります。
藤原氏の末裔、麻生太郎についても暴かれています。
RAPT×読者対談〈第130弾〉エボラ熱を広めた犯人は麻生太郎である。(現代日本を支配する藤原家=麻生家の闇)
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
近衞 忠煇(このえ ただてる、 1939年5月8日(78歳) – )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。旧肥後熊本藩主細川家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の二女)の次男として生まれた。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。
1962年(昭和37年)学習院大学政治経済学部政治学科卒業後(学位:政治学士)、英国ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学、1964年(昭和39年)に帰国。
日本赤十字社副総裁三笠宮崇仁親王の長女・甯子内親王と結婚した。同年より日本赤十字社に入社。外祖父近衞文麿の長男で伯父にあたる文隆がシベリア抑留中に死去し、近衞家の当主が不在となったため、1965年(昭和40年)に母の実家である近衞家の養子となった(伯父の文隆の夫人の養子)。
ーーーーーーー(転載ここまで)
(藤原氏についても一部転載します)
結論から先に言うと、「秦氏=赤」は「平家」であり、「出雲族=青」は「源氏」であり、「緑の勢力」は「藤原氏」ということになります。
しかし、急にこう言われても、人によっては全くのちんぶんかんぷんでしょう。
しかし、今回の対談を聞けば、この意味が少しは理解できるようになると思います。
今回の読者対談は、前回の読者対談の続きとなります。前回の対談は、以下になります。
○RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)
先ず、かの「麻生太郎」は「藤原鎌足=中臣鎌足」の子孫です。少なくとも、「麻生百年史」にはそう書かれているとのことでしたね。(詳しくはこちら)
そして、「藤原鎌足」といえば、日本最大の氏族である「藤原」氏の元祖です。
しかも、古代日本においては、天皇に次いで「ナンバー2」だった権力者です。
なので、この「藤原鎌足」の血を継いだ「麻生太郎」も、現代の日本において「ナンバー2」の権力を握っていると考えられるのですが、「藤原鎌足」は西暦600年代に活躍した人物なので、その「藤原氏」の末裔が今でもこの日本で大きな権力を握っているとは、誰も夢にも思ってもいません。
しかし、現実には「藤原鎌足」の末裔である「麻生太郎」が、今でも「天皇」と最も近い親戚となって、この日本で陰ながら強大な権力を振るっています。
これについては、以下の「麻生太郎」関連の記事を読んでいただけば、誰でもすぐに納得できるはずです。
○「麻生太郎」こそイルミナティの計画する主要な悪事の中心的な実行犯である。
○「麻生太郎」こそ人工地震「3.11」と「熊本地震」を起こした主犯格である可能性大。
◯「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。
◯「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。
○「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。
◯ついにマスコミが「麻生太郎」に斬り込みを入れた。「森友学園」問題はやはり秦氏と出雲の戦いか?
○「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。
○RAPT×読者対談〈第125弾〉どこからどう陰謀論を語っても全て「麻生太郎」につながるという現実。
○RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。
○RAPT×読者対談〈第127弾〉イルミナティの終焉まであとわずか。
つまり、古代日本の支配体制が、現代日本においてもそのまま継続されているというわけです。
このように、この日本では古代から「天皇」がトップに君臨し、「藤原氏」がナンバー2として君臨してきたわけです。
ーーーーーーー(省略)
この「寛仁親王」と結婚したのが、「麻生太郎」の妹「麻生信子」でしたよね。
なので、ここでまたしても「麻生太郎」と「近衛前久」とが一つにつながってしまうわけです。
これにて、古代から中世における日本の権力構造と、現代の日本の権力構造が全く同じであることが、完全に証明されてしまいました。簡単な図にすると、このようになります。
■古代から中世にかけての日本の支配構造
1.天皇
2.藤原家
3.摂家(近衛家など)
■現代の日本の支配構造
1.天皇
2.麻生太郎=藤原家の元祖「藤原鎌足」の血をひく
3.近衛忠輝=近衛家
しかし、問題はさらにここからです。
皆さんは二年ほど前に起きた「エボラ熱騒ぎ」のことをまだ覚えているでしょうか。覚えていない方は、先ず以下のリンクを御覧下さい。
○エイズの年間死亡者数160万人。マラリア60万人。エボラ熱は現在4555人。なのに、なぜエボラ熱だけこんなに騒がれるのですか。
○エボラ熱騒ぎの最大の目的は、ロスチャイルドが西アフリカにあるダイヤモンド原石を独占すること。
このリンク記事を見れば分かる通り、「エボラ熱」なんて病気はこの世には存在していません。
「エボラ熱」とは、ロスチャイルドがでっち上げた嘘の病気です。
では、どうして彼らがそんな嘘の病気をでっち上げたのかというと、その理由はこうです。
彼らは「シエラレオネ」という国でダイヤモンドの採掘事業を行っていたのですが、そこで働いていた黒人たちが賃金の安さに怒って、ストライキを起こしてしまいました。
ロスチャイルドはそんな黒人たちの態度に怒り狂い、彼らに脅しをかけるために「シエラレオネ」に軍隊を送り込むことにしました。
しかし、何の口実もなく軍隊を送り込んでしまうと、それこそ周辺諸国から不審に思われてしまう。
そこで、彼らは「エボラ熱」が発生したという嘘の情報を世界中に垂れ流して、軍隊が派遣されてもおかしくないような状況を作り出したわけです。
しかし、黒人たちの中には、軍隊に脅されても頑として働こうとしない者たちもいた。ロスチャイルドはそんな黒人たちに対して怒り狂い、彼らに無理やり「国際赤十字社」のワクチン(と称する猛毒)を注射し、次々と殺していったわけです
「エボラ熱」のせいで死んだと見せかけつつ……。
本当にどこまでも闇です。どこまでも悪です。
ーーーーーーー(省略)
ということで、「秦氏」と「出雲族」を一つに束ねて世界を統一しようとしている「緑の勢力」は、「藤原鎌足」から始まった「藤原氏」一族のことだった、ということが見えてきました。
そして、現代日本において、その「藤原氏」の位置にいるのが「麻生太郎」というわけです。
確かに「藤原不比等」が「古事記」やら「日本書紀」やら偽の歴史書を書いて、自分たちの権力を維持しようとしたわけですから、現代の彼らがそれと同じことをやっていたとしても何ら不思議ではありませんね。
ーーーーーーー(一部転載ここまで)
ただ、コロナ茶番で、世界を貶めている勢力が中国共産党であり、イルミナティの李家だということがわかっています。
しかし、大暴れしてきた中国共産党は、今となっては裁きにあって弱体化。
日本人からも、そして世界中でも嫌われる落ちぶれた民族となったのです。
だんだんと天皇家、藤原家、近衛家という古代権力も衰退していくことでしょう。
この地上を創造した聖書の神様は、千年かけて時代を転換させていくつもりです。
千年以上かけて日本に広がった仏教、神道。
古い時代を終わらせて、「新しい時代」を築き上げていくのです。
歴史に興味がある方は、こちらの記事もお読みください。
「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。
青いバラを作ったサントリーは出雲族。彼らは「秦氏=ロスチャイルド」の作った「君が代」を忌み嫌っているようです。
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
「秦氏=ロスチャイルド」は日常的に虐殺と人身供養を行っていた「秦の始皇帝」の末裔です。
今回の旅は、次回に続きます。