祈りの旅 〜新潟・妙高高原〜 11月11日の祝祭の日の体験
皆さん、こんにちは。
10月の半ば、新潟県に行って参りました。
到着した日の数日前から急に冷え込み、一気に紅葉となり、赤く色づいた山々はとても美しかったです。
その一方で、地方都市を眺めていると、通り沿いの民家がぽつぽつと空き家となっており、街が衰退しているといった印象でした。
「お金が全て」という洗脳が強い日本で、都会にばかり何かを追い求め、本当の豊かさが何であるのか、大切なものが置き去りにされてしまった、今の日本の象徴に思えてなりませんでした。
しかしながら、神様が創造した大自然の光景には、只々感動するばかりです。
宿泊先では、収穫したての野菜の美味しさ、採れたばかりの魚介を心置きなく満喫することができました。
豊かな自然の恵みが、五感の全てに心地よさを与えてくれます。
ゆっくりした時間を過ごしていると、つくづく「もの凄い時代」に生まれてきたものだなと、今まで経験してきたいろいろな出来事が、頭の中を駆け巡っていきました。
美しい自然を眺めているとき、遥か遠い国では計画された戦争が勃発して、生き地獄を見ている国があるということが、信じられなくなります。
日本は、どれだけ守られていることか。
神様がお導きになった中心者が、この日本で宣教し、「神様の御言葉」を発信されているので、これだけ日本は平和なのです。
こちらをご覧ください。
いつの時代の中心者も、神様に沢山の祈りを捧げて、沢山のものを与えられ、沢山の愛を感じてきたから、神様を誰よりも好きになり、ただ好きだから神様を愛し、神様の御言葉に熱心に従ったのだ。
これまで神様がこの地上に送られてきた歴代の中心者たちは、誰もが神様にたくさんの祈りを捧げてきました。
それこそ彼らは、この世の誰よりもたくさん祈ったからこそ、中心者として選ばれたと言っても過言ではありません。
では、どうしてたくさんの祈りを捧げたら中心者として選ばれるのかというと、それは神様にたくさんの祈りを捧げることで、沢山の祈りを叶えてもらったから、神様のことが自然と好きになり、自然と神様の喜びのために生きるようになったからです。
中心者たちが熱心に御言葉に聞き従うのは、別に義務感からではありません。
神様にたくさんの祈りを叶えてもらったからこそ、神様のことが自然と好きになり、しかも沢山の祈りを捧げることで、神様の愛を誰よりも深く感じて生きたからこそ、神様のことを愛さずにはいられなくなり、その愛を神様に示すために、自ずと熱心に御言葉に聞き従うようになったのです。
神様とて、そこまで自分のことを好きになってくれる人を見たら、心が熱く感動して、その人のことを好きにならずにはいられません。
このようにして、私たち人間と神様は恋人どうしの関係になって、永遠に互いに愛し合うことができるようになるのです。
皆さん一人一人が、沢山の祈りを捧げ、沢山の祈りを叶えてもらって、神様のことを心から好きになり、神様の喜びのために熱心に生きる者となって、永遠に祝福された生を生きられますことを心から祈ります。
ーーーーーーー(一部転載ここまで)
それでは、妙高高原の風景をご紹介します。
筆者は、祈り旅に出かけると、神様の存在をより深く感じて、より一層の感謝が湧き上がってきます。
神様の存在を、感じる瞬間。
人は、神様の存在を確信しているかいないかで、生きる楽しみがまるで変わってきてしまいます。
このことが少しでも理解できるようになるまでには、今まで当たり前だと思ってきたことの数々を、一旦リセットする必要があります。
筆者は、この一ヵ月、強制的に大きなリセットが起きました。
実は、妙高高原の旅から戻ってすぐ、大幅な環境の変化があり、その対応に追われることとなったのです。
不思議なことに、この急変した環境は、見えない世界では決まっていたのではないかと思えるくらい、あっという間のことでした。
なぜこのようになったのか、徐々に理解し始めています。
神様を信じて生きるようになると、余計な不安や心配に駆られることがなくなっていくので、多少の混乱はあっても、すぐに軸を取り戻すことができます。
ようやく落ち着いたので、この記事を書いています。
今年は、11月11日の祝祭の日が空けられませんでした。ですから、後日、神様に出会えたことに感謝する日としました。
この日は車で遠出したのですが、見晴らしが良いところに出た途端、かなりの広範囲で雲の間から天使の梯子が出ていました。
神様がサプライズしてくださったかのようで、目的地に到着するまでずっと、そのまま天使の梯子は出続け、神様の祝福と愛を感じつつ車を走らせました。
〈伝わりにくいのですが、横にずっと長く雲が広がっています。〉
この日は、お気に入りの場所に到着。
日差しがあたたかく、幸せな時間を過ごしていると、「振り返って空を見上げるように」という感動がありました。
すると、彩雲が現れたのです!
本当に素晴らしいことに、聖霊様を強く感じることができました。今年に入って、年始に感じた時よりも強いものでした。
この後、何故か急に、びゅうびゅうと強風が吹き荒れ、台風並みの横風が襲ってきたのです。
それは、サタンが妨害にきたのだとすぐにわかりました。
信仰を破滅させるため、サタンは、神様を信じて愛している者を徹底的に邪魔をしようとします。この状況は、まるで「北風と太陽」のようでした。
そうして、絶対に負けない、サタンに打ち勝って行くと(この先の人生も)心に決意して前に進みました。
一瞬風が吹き荒れるたびに、ちょうど身が隠れる木々や岩場があり、完全にうまく回避することができました。そうして、どんな時も、「神様が壁となって守ってくれる」という御言葉を思い出しました。
まさに、タイミング良く強風を防御するものが現れ、聖三位と天使天軍がついていらっしゃる!と強く意識して祈ることができました。
日差しは、キラキラと花を光らせて、台風並みの強風の中でも、ここだけは平和なのだと思わせてくれました。
画像ではわかりにくいのですが、観光客の誰もが「うわー!」とか「凄い風!」などと叫び、髪の毛がもう真横になびくという状況だったのです。
この体験を通して、神様を信じて信仰を持つ者は、どのような状況になっても、無事平穏に過ごすことができるのだと、改めて聖三位と天使天軍に感謝することができました。
しばらく祈ると、風が弱まってきたので、すぐに山を降りました。
それから、行ったことのないお店に寄って、(肉と決めており)美味しいハンバーグを食べました。そこは、すべての味付けが好みのもので、さらに新鮮な食材を使用しており、最高級のコーヒーを最後にいただいて、大満足で帰宅しました。
先日、信仰者が使命を成すために、中心者が集まりを設けてくださいました。
ZOOMの集まりに、筆者も参加しました。
いわゆる、工作員なのではないかという人々が、どういう様子なのかと映像を通して、その様子のおかしさを目の当たりにしました。
その辺を歩いていたとしても、とても幸せそうには見えない、むしろ苦しそうで、神様を信じて喜びに満ち溢れた様子からは、遥か彼方にいらっしゃるようでした。
それに比べて十二弟子の方は、本当にとても清らかでした。動画や祈りの言葉で聞く声は同じでも、その清らかさは、やはり神に使える人なのだと、全然違うものだと感動しました。
中心者の卓越した感覚、一人ひとりにアドバイスするその様子は、一企業の社長レベルで、適材適所を見抜く、とても明確なご意見でした。
出かける時間となってしまい、残念ながら途中で退出することになってしまいましたが、たくさんの方々が御心を成したいとお考えになっているとわかって、嬉しく思いました。
その後、有料記事がアップされました。
人生について深く真剣に考えたことのない人は、人生を生きる上で必要な答えが与えられても、それが答えだと分からない。
今月は、以前からずっと計画していたZoomの集まりを持ち、私の御言葉を聞いている多くの人たちが参加しました。
その集まりは非常に恵み深いものとなりましたが、当初の予想通り、その集まりには多くの工作員が入り込み、集会の雰囲気を台無しにする場面も多々ありました。
彼らはこの御言葉を聞いても理解できず、その価値性も理解できないからこそ、工作員として紛れ込んでくるわけですが、彼らの知能は余りにも低く、その知能の低さがその容姿や雰囲気から滲み出ていました。
しかし、彼ら自身はそれがよく分かっていません。
彼らは人生についてそれほど深く考えることもなく生きてきたので、この御言葉を通して人生の答えが与えられても、それが答えだと分かりません。
人間は、平素から自分が考えていることに対して答えが与えられたときに、それが有益な答えだと分かるのであって、平素からろくに考えてもいないことに答えが与えられても、それが答えであることすら理解できません。
例えば、どうすればもっと絵がうまく描けるだろうかと考えている人は、その方法を詳しく教えてくれる人が現れたとき、ありがたいと思ってその人から話を聞きますが、絵について全く何も考えていない人は、そういう人が現れても見向きもしません。
神様が今、この世の中を厳しく裁いておられるのは、この世の人々がもっと人生について深く考え、人生の答えが与えられたときに答えだとはっきりと分かるようにするためでもあります。
もっとも、それでも何も考えようとしない人は、逆に神様がその人の目を塞いで、どんな答えも全く悟れないようにしてしまいます。
皆さん一人一人が、人生の答えを与えられたときにはっきりと答えだと分かって、真に価値ある有意義な人生を生きられますことを心から祈ります。
ーーーーーーー(一部転載ここまで)
続いて、十二弟子の皆さんの神様に恵まれた証です。
信仰の4本の柱をしっかり立て直し、中心者、十二弟子、兄弟姉妹と共にして神様の御心を成せる者となれるよう、改めて決心したいと思います。
最後に、こちらの御言葉をどうぞ。
2023年9月7日(木)
私たち義人の身に起きることは、良いことも悪いことも全て、神様が自分を最も幸福な道に導こうとして起きていることだ。だから、自分の身に起きる艱難にも全て意味がある。しかし、その意味を正しく理解するには深い知恵と祈りが必要だ。
ーーーーーーー配信はこちらから
皆さんに、神様からの祝福がありますように。