LGBTがなぜいけないのか? 〜偽の風潮に流されるな〜

皆さん、こんにちは。

昨日のニュースで、LGBT法案が了承されたということですが、今回はこの件について掘り下げてみたいと思います。

LGBT理解増進法案 自民党が3時間半の激論 条件付き了承

自民党の稲田朋美を筆頭に、なぜここに来てLGBT法案を通そうとしているのかと言うと、一つは彼女自身の宗教の思想を当たり前の世の中にしたいという意図があります。

もう一つは、選挙が視野にあるので、票集めという見方も。騒ぎが大きくなれば、否応なしに注目が集まります。

真剣にLGBTを認めて貰える時代がくることを期待している、LGBTの人たちは、上手いことメディアに利用されています。

LGBTを票集めに利用する与党・野党の破廉恥ぶり いよいよ始まった次回・衆院選向け「それぞれの票固め」

稲田朋美は、生長の家の教祖であった谷口雅春と血縁関係にあり、生長の家とは元を辿ると大本教から発生した宗教です。

彼らは、悪魔崇拝を軸にして信者たちを虜にしていった訳ですが、性別と魂が逆がよろしい(変性女子、男子)と言う教えがあります。

「LGBT」は利権。LGBT推進の犯人はカルト宗教「大本教」・「生長の家」です。

悪魔は、生まれ持った性ではなく、心と体が別々であることや同じ性で愛し合うような考え、性的な乱れを人間に行わせて罪を犯させます。

悪魔に取り憑かれると、どのような「禁断の愛」でもキラキラして見えてくるのかも知れません。

悪魔は常々、この世に誘惑の罠を仕掛けています。

一人でも多く、神様に反逆する者を仲間にしたいのです。

自民党議員が「種の保存に背く」とLGBTを批判し、逆に批判される 差別禁止で小児性愛までもが“多様性”と認められる時代へ

一部転載します。

マスコミや政治家たちは「LGBT」という言葉を頻繁に使いますが、正式には「LGBTPZN」と続きがあり、それぞれ、P:ペドフィリア(小児性愛)、Z:ズーフィリア(動物性愛)、N:ネクロフィリア(死体性愛)を意味します。

これらは全て悪魔崇拝者から広まった悪習であり、つまりは「LGBT」もこれと同類であることを意味します。

LGBTPZNとは?【ペドフィリア・ズーフィリア・ネクロフィリア】

(こちらも一部、抜粋させていただきます。)

1. ペドフィリア(小児性愛)

ペドフィリアとは、児童にのみ性愛感情を抱くセクシュアリティを指します。

米国精神医学会の診断マニュアルであるDSM-5においては「小児性愛障害」として扱われていますが、こちらを「障害」と表現していいのかについては今もなお議論が白熱しています。

2. ズーフィリア(動物性愛)

ズーフィリアとは、動物に性愛感情を抱くセクシュアリティを指します。

性愛感情であれば法律によって規定されることはありませんが、獣姦行為となると、国によっては罪になることもあったり、また衛生上の観点からも問題視されています。

3. ネクロフィリア(死体性愛)

ネクロフィリアとは、死体に性愛感情を抱くセクシュアリティを指します。

ネクロフィリアを題材とした文学作品は非常に多く、『雪国』などの作品で知られる川端康成の『眠れる美女』にもネクロフィリアの考え方が登場します。

ペドフィリア・ズーフィリア・ネクロフィリア

=確実に犯罪者?

…………………(抜粋ここまで)

ですから、LGBTを差別してはいけないということになれば、いずれ小児性愛なども“多様性”だと認められかねず、実際に彼らはいずれそのように世論を誘導していくつもりでしょう。

そうなると、モラルの破壊どころか、公に犯罪を認めてしまうようなものです。

…………………転載ここまで

LGBTに続きがあったとは、恐ろしいですね…。

LGBTPZNが世の中を我が物顔で歩き、その人たちを差別したら悪者扱いになるのであれば、「気味の悪いことを我慢して生きる人」が世の中のほとんど、ということになってしまいます。

小児愛もよしという世界になれば、お父さんお母さんは、まともな精神で生きていけるのでしょうか。

ほぼ、気持ち悪いおじさんのターゲットになるのは幼い女の子です。小児愛を認めたら、子どもに手を出しても犯罪にならない、なんてことになるのです。

それから、もしかすると動物と性交渉する人を見てしまうような機会が出て来るかも知れません。

挙句の果てに、死体…!!!…もう、限界地点です。

政治家は、自分たちの性癖が罪にならないように正当化しようと目論んでいます。巷でバレている、ホモの政治家、女装、乱行パーティー、小児愛の権力者たちを認める訳にはいきません。

ですので、こちらの記事をお読みください。

「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。

裏社会が「同性愛」を普及させる方法。そのパターンが分かりましたので、簡単にご紹介します。

一部抜粋します。

1.「同性愛は異常」と話す人のことを差別する人であるとのレッテルを貼り、怖くてもう二度と話せないように仕向ける。

2.同性愛者たちは世間から差別されて自殺しているとのデマを流し、「同性愛は異常」と話すことに罪悪感を抱かせて口封じする。

3.「同性愛は異常」と話す人に対して、あなたのことを信頼していたのに裏切られたと言って、さらなる罪悪感を抱かせて口封じする。

…………………

裏社会の人間たちは、常にこうして我々人類の善悪に対する判断力を削ぎ取ります。特に性の問題について、彼らはこれまでずっと善悪の判断基準を失わせるように仕向けてきました。
 
本来、結婚もしていない男女が性的に交わることはあってはならないことですが、彼らは子供だろうが誰だろうが好きなだけセックスをしても構わない、それこそが人権だ、という風潮を作り上げようとしています。
 
そんな風潮を作るからこそ、この世から性犯罪は絶えず、援助交際、強姦、異常性愛、中絶、妊娠、若年離婚など、実に様々な社会問題が次から次へと生じるのではないですか。
 
彼らは正しい善悪の判断基準を攪乱させるために、人間の良心を掻き乱します。同性愛者の人権を守れ、その人権を守れない奴は悪い奴だ、といって、何が善で、何が悪であるのか、はっきりと分からなくしてしまうのです。
 
「善悪の判断」において、情に流されるようなことがあっては絶対にいけません。悪いものは悪い、善いものは善い。先ずはこの判断力を身に着けた上で、情状酌量というものを考えるべきであって、先ず最初に情状酌量ありきの社会になってはいけません。

そんなことをしていたら、それこそこの世の中は悪だらけになってしまいます。(もう既にそうなりかけていますが……。)
 
ですから、私は改めてはっきりと断言します。同性愛差別の撲滅ではなく、同性愛そのものを撲滅すべきだと。

…………………抜粋ここまで

権力者たちは、欲にまみれて生きているので、成功するためにはなんでもやるのです。宗教の思想も受け入れますし、罪を平気で犯します。

そういう人間たちではなく、風潮に飲まれてしまう人たちがいます。

筆者の知人で、別の性で生きている人がいました。その人は、小さい頃に父親から虐待されていたそうです。

しかし、なんでこうなっちゃったのかな?と、私なりに考えてみたのですが、もしかして、別の誰かになろうとしていたのではないか?と、その時に思ったのです。

生まれた性で愛してもらえないなら、別の性になる。虐待されていた父から、本当は愛されたかったという思いを、別の男性に重ねあわせたのではないかな、と。別の性で自分の居場所を求めていたのです。

しかし、本当の愛とは、とても深いものだと思います。

神様の愛は、そんじょそこらの陳腐な愛とは比べものになりません。

男は神様のように男らしく、女は聖霊様のように女らしく生きることが、人間にとって真に幸福な生き方だ。

おかしな風潮をカッコいいとか、注目されたい願望や、さみしい思いを性の世界で満たそうとしてはいけません。ちゃんと自分を見てあげてください。

神様は、心を入れ替えようとする人を助けてくださいます。

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