神様の御言葉(2015年12月のまとめ)
RAPT有料記事26(2015年12月7日 )神、聖霊、御子の三位一体が強く働く時代。
有料記事もついに5ヶ月目に突入しました。
読者の方の中には、もう既に人生が大きく変わって、喜びに満ち溢れて生活しておられる方もいらっしゃるようで、私としてもとても嬉しく思っています。
私もそんな皆さんの声を励みにしながら、これからもますます深い内容の有料記事を配信していければと思っています。
私はこれまでの有料記事の中で、現代は神様の力がとても強く働く時代だと何度もお話してきました。
そこで、今回はどうしてそんなことが言えるのか、はっきりとその理由を具体的にお話しています。
また、聖書の中には「神」と「聖霊」と「御子」という存在が登場し、この三つの存在のことをクリスチャンたちは「三位一体」という言葉で表現しています。
そして、この「神」と「聖霊」と「御子」はみんな同じ神様なのですが、それぞれ別々の存在であり、それぞれ性質も異なっています。
これについては過去にも簡単にお話したことがありますが、今回はこのことについてさらに次元を上げて深くお話しています。
今回のお話を聞いていただけば、今の時代が今までとは全く違う新しい時代であり、神様の力でとても強く働く時代だということをはっきり理解できるようになるでしょう。
そして、今まで以上に深く神様にお祈りできるようになることと思います。
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RAPT有料記事27(2015年12月14日 )なぜ神様が必ず悪魔に勝利すると言えるのか。
私のブログを読んで、凄い分析をしていて色々とためになるけど、キリスト教を信じるのはどうかと思う、などとつまらないコメントやメールを書いてくる人が未だにいます。
聖書の知識がなければ、このように世の中のカラクリを解明することは絶対に不可能だったわけですし、それは私のブログをきちんと読めばすぐに分かることですが、そんなことも分からずに私のブログを賞賛し、それでいて聖書のことをああだこうだと否定してくるのは、私からすると余りにもトンチンカンな話で、ただただ呆れ返るしかありません。
また、人によっては、「聖書は悪魔によって改ざんされたはずだ」と未だに聖書に対してあれこれとイチャモンをつけてくる人がいます。
まあ、仮りに百歩譲って聖書が本当に改ざんされていたとしても、聖書の根本部分をきちんと解釈することができれば、逆に聖書のどの部分が改ざんされたかも分かってくるはずです。
この世のカラクリをきちんと解明すれば、この世のどの情報が本当で、どの情報が嘘なのかがはっきり分かってくるのと同じことです。
で、私は有料記事の中で、聖書の言葉に隠された根本の意味をきちんと解釈してお話しています。
そうすることで、二千年前の人々の無知(科学的知識がないなど)によって誤った書き方がされているとか、こういう表現をせざるを得なかった、という部分まできちんと読み解くことができるようになっています。
現に、有料記事を購読されている方は、そのようなことをきちんと理解した上で聖書を読めるようになっているはずです。
なので、そのようなコメントやメールを書いてくる人は、私の揚げ足をとるつもりが、かえって自分の無知をさらけ出しているだけだということを分かった方がいいと思います。
ということで、本日もいつも通り有料記事を配信いたします。
今回は、なぜ悪魔の力がこれほどこの世にはびこっていながら、それでも神様が勝利し、かつ神様を信じる人が勝利できると言えるのか、その理由をはっきりとご説明しています。
と同時に、神様を信じることによって、ただ単に霊的な救いを受けるだけでなく、この世でも大きく成功できる、ということがはっきりと理解できるようになるはずです。
RAPT有料記事28(2015年12月17日 )霊の救いと肉の救い。
本日は、有料記事を配信いたします。本日の内容は、前回の対談の続きになります。
前回の有料記事では、神様を信じて霊的に救われるようになると、この地上でも成功を収められるようになる、というお話をしました。
しかしながら、聖書をよく読むと、神様は我々人間に対して「霊的」な救い、「霊的」な祝福を与えるとは書かれてあっても、「肉的」な救い、「肉的」な祝福を与えるとは余り書かれていません。
むしろ、肉的に成功して、富や名誉を得ることが悪いことであるかのように書かれてある部分すらあります。
特に「新約聖書」においてはそれが顕著です。
ところが、「旧約聖書」を見てみると、神様に仕えた義人たちの多くが、神様からの祝福として多くの富や名誉を得ていますし、それが悪であるとは書かれていません。
クリスチャンの中には、このような「旧約聖書」と「新約聖書」の違いを見て混乱してしまう人も多々います。
そのため、旧約時代には「霊的」な祝福がなかったから、神様がやむなく「肉的」な祝福ばかりを与えたのだろうと解釈する人もいるかも知れません。
しかし神様は、我々人間が「霊的」にも「肉的」にも満たされなければ、本当の幸せを実感できないことを知っています。
なぜなら、人間は「霊体」も「肉体」も持っているからです。
今回はこの辺の理解が深められるようにお話しています。
RAPT有料記事29(2015年12月21日 )一人で千人、二人で万人を敗る。
この世の中でも「一人よりも二人の方が強い」という話をよくします。
そして、人々はこれを「1+1=3」などと表現したりもします。
一人で何か事を成そうとするより、二人でペアになって事を成した方が強い、ということを誰もが分かっているわけです。
そして、もちろん神様もこのことは十分に承知しています。
なので、神様もこの法則を使ってこれまでの義の歴史を成してきました。
しかし、二人の力は「1+1=3」どころではありません。実は10倍以上もの力を発揮します。
そして、悪魔もまたこの法則をきちんと分かった上で、これまで様々な悪巧みをしてきました。
RAPT有料記事30(2015年12月28日 )バプテスマのヨハネとは何者なのか。
ここ数日間、体調不良のため記事の更新をお休みさせていただいていました。
皆様には多大なご心配をおかけしましたことを心よりお詫びいたします。
ただ、今現在もまだまだ体調は万全とは言いがたい状態で、ともするとまたすぐに調子がおかしくなりそうな感じなのですが、いつも通り有料記事を配信いたします。
ちなみに、今の私の状態を簡単にご説明しますと、お休みをいただいていたこの十日ばかりの間は、絶えず大なり小なり頭痛を感じているような状態でした。
最初の数日間は、それでも体だけはそこそこ元気な状態でした。
頭は痛くて、何か調べ物をしたり文章を書いたりすることはできないけれども、日常生活を営む上では何の支障もないという状態が続いていました。
ところが、日が経つに連れて、体も徐々に弱りはじめ、人と話をするだけでも辛いという状態にまでなってしまいました。
それで、これは本当にマズイと思い、今朝はいつにも増してかなり気合を入れてお祈りをしたのですが、その甲斐もあってか、今は頭痛も少しとれ、文章もきちんと書けるような状態になりました。
もっとも、またすぐに頭痛がぶり返すかも知れないのですが、とりあえず頭痛が治まった一瞬の隙をついてこの記事を書いています。
7月にも一度、激しい頭痛によって倒れてしまったときがありましたが、今回の頭痛はあのときの比ではありません。
とにかく私の周りに次から次へと悪魔がやってきて、私に襲いかかり、覆いかぶさってくるような感じです。
霊の存在を信じていない人にとってみれば、なかなか信じられない話かも知れませんが、単なる体調不良とは全く訳が違います。もちろん、信じるか信じないかは皆さん次第ですが……。
しかしながら、以前の対談でもお話しました通り、私は体調が悪くなってもただじっと寝込んでいる、ということができない性分なので、ここ数日間は、文章が書けない代わりに、ずっと滞っていた音楽作業をやっていました。
お陰で、今までに類を見ないほどに音楽の作業が捗り、新たに何曲もの新しい曲を作ることができました。
これにて、私のファーストアルバムに収録される曲も完全に塗り替えられ、より次元の高い曲をこの世に発表することができそうです。
全く思ってもみなかった予想外のことが起きてしまいました(笑)。
まさに神様が私にクリスマスプレゼントを下さったという感じです。
悪魔どもは、私がこの世のカラクリを解き、神様の御言葉を伝えることを阻止しようと必死になっているようですが、悪魔がどんなに足掻いたところで、神様は別の形で私にさらなる祝福をお与えくださったというわけです。
とはいえ、先程も言いましたように、体調はまだまだ万全とは言いがたい状態ですので、まだしばらくの間は記事の更新はお休みしそうですが、とりあえず今月中は、今日の分ともう一つの有料記事をきちんと配信したいと思っています。
今回は、新約聖書に出てくる「バプテスマのヨハネ」についてのお話をしています。
聖書を見てみると、イエス・キリストはこの「バプテスマのヨハネ」のことを「エリア」であると明言しましたが、「バプテスマのヨハネ」自身は自分のことを「エリア」ではないと言いました。
この世のクリスチャンたちの多くは、この矛盾に隠された深い意味をきちんと理解していません。
今回はこのことを具体的に紐解いてお話しています。
これを理解することで、イエス様の死についてより深く理解できるようになるでしょう。
RAPT有料記事31(2015年12月31日 )アダムとエバが人類最初の祖先ではないと言える具体的根拠。
ついに今年も最後の日がやってきました。
今年はRAPT理論がほぼ完成し、この世のカラクリの全容がほとんど全て理解できるようになりました。
私がお休みしている間に、これまでの記事を何度も読み返したり、対談を何度も聞き返したりした方は、それがよりはっきりと深く理解できるようになり、かつ実感できるようになったのではないでしょうか。
そういう意味で、今年は私にとってとても意義深い一年となりました。本当に神様に心から感謝しています。
ただ、相変わらず体調は余り思わしくなく、良くなったり悪くなったりの繰り返しが続いています。
多分、彼らが私のことを呪っているときに頭痛が激しくなり、呪っていないときに頭痛が治まっているのではないかという気がします。
しかし、記事の更新はできないものの、私自身はそれなりに元気に生活していますので、余り心配なさらないでください。
実はこうしている間に音楽の作業は着々と進んでいますし、新たな驚くべき新事実も次々と分かってきています。
ですから、来年はこれまでにないような人類の常識を覆すような記事を次々と書くことになりそうです。
あと、先週は工作員とおぼしき人たちから膨大な工作メールやコメントが届いていましたが、今週に入ってからは、年末年始のお休みに入ったのか、そういったメールやコメントがぴたりと来なくなりました。
異様なまでに静まり返っています。
ただ、そういったメールやコメントが急に一つも届かなくなると、私からまたしても怪しまれてしまうと思っているのか、一日に一通か二通は、申し訳程度にそういったメールやコメントが届いています。
しかし、会社からではなく、家から書いてきているのか、私があれこれと激しく言い返すと、「申し訳ありません」と言ってすぐに退散してしまいました。
上司に見られていないので、余り熱心に仕事をしていないみたいです(笑)。
ということで、今日は今年最後の有料記事を配信したいと思います。
今回は、「アダムとエバ」についてお話しています。
実はこの「アダムとエバ」のことについて多くの読者の方から質問を受けていて、今回はその質問にお答えするような内容になっています。
私はこれまで「アダムとエバ」のことをこの世で最初のメシアであった(しかしながら、神様の掟に逆らって堕落してしまった)とお話してきました。
しかし、聖書を読むと、「アダムとエバ」がまるで人類の最初の祖先であるかのように書かれてあります。
なので、読者の方の中には聖書の言葉をそのまま文字通りに信じている人もいらっしゃるようです。
そこで今回は、なぜ「アダムとエバ」が人類の最初の祖先ではないと言えるのか、その根拠を詳しく解説しています。
このことをきちんと理解することによって、「アダムとエバ」の部分だけに限らず、聖書の他の様々な部分についても、よりいっそう深く正しく理解して読めるようになることでしょう。
いかがでしたでしょうか。
今回の記事も、聖書がより深く理解できるようになる内容となっています。神様のご計画と、聖書の歴史について、いろいろと知ることができます。
アダムとエバについてのお話は、聖書を読むにあたってとても大切な部分ですね。
霊的な救いと肉的な救いとは、一体何なのか。
人間にとって、本当に大切なこととは…。