日本は在日ヤクザに牛耳られていた「麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇」、エボラ熱を広めた犯人は「麻生太郎」、小林麻央の死は悪魔への生贄だった

この世界の人々は、騙されていても何も考えずに、情報の渦に飲み込まれて生きています。

rapt理論に辿り着き、真実を受け入れて自分の人生を変えたいと願う人は、これから次のステップへ向かうべきです。

RAPT×読者対談〈第128弾〉完全解決! もう子育てに悩まない。

今回の読者対談は、再び読者対談〈第124弾〉〈第125弾〉で登場した「Aさん」「Bさん」の登場になります。

そして、今回の対談のテーマは「子育て」です。

RAPT理論が分かってくると、この世の中で一般的に広まっている「子育て論」も実はすべてイルミナティの作った嘘っぱちではないか、という疑いが出てきます。

そして、実際にこの世の中に普及している「子育て論」を実践してみても、ほとんどがうまくいかないし、むしろ逆に子供がわがままになったり、つけあがったりしてしまうことが大半です。

最悪の場合、親の言うことを全く聞かなくなり、親に対してどこまでも反抗的になってしまうことすらなきにしもあらずです。

そうすると、その子を一生懸命育ててきた親御さんたちは、ただただ自分の無能さに愕然とし、無力感に打ちひしがれてしまうばかりでしょう。

そして、この世の中にはそのような親御さんたちが余りにも多い。

この世の親御さんたちのほとんど全員が、そのような苦悩にどっぷりとはまり込んでいるというのが現実ではないでしょうか。

実際、「Aさん」も「Bさん」も子育てについては激しく苦悩し、絶望のどん底にまで追い詰められていたようです。

しかし、今回の対談を聞いていただけば分かる通り、今では二人ともその苦悩から完全に抜け出して、子供たちとともに平穏と喜びと希望の中で暮らしています。

特に気張ることもなく、自然体で自分の子供たちと向き合い、自分の願う通りに、子供たちは健全に成長しているのです。

では、彼女たちはどうしてそのように子育てに成功することができたのか……。

その答えは、今回のこの対談を聞けばすぐに分かります。

今回の読者対談はおよそ1時間程度の長さになります。

いつもなら、読者対談はおよそ30分程度の長さに分けて公開していますが、今回は特にそのように分けることなく公開することにしました。

わざわざ二度に分ける必要がないし、一度できちんと最初から最後まで聞けた方が、読者の皆さんにとっても理解しやすいだろうと判断したからです。

特に今回の読者対談は、有料記事を読んでいる方たちにとっては、絶対に聞くべき重要、かつ有益な話になっています。

なぜなら、この対談を聞いてしまえば、子育てについての悩みはほぼ完全に解決してしまうからです。

もちろん、有料記事を読んでいない方にとっても、またお子さんをお持ちでない方にとっても、今回の読者対談は皆さん自身の人生をどのように切り開いていくか、ということを教えてくれる有益な内容になっていると思います。

はっきりと言いますが、こんな話はこの世のどこに行っても聞くことができません。

どこかの教会に行っても、こんな話は絶対に牧師から聞くことができません。

これほどはっきりと「子育てはこうすればいい」と結論を出せるのは、世界広しといえども、この「RAPT理論」と「有料記事」を読んだ人だけでしょう。

ちなみに、過去にも「Aさん」と子育てについて話し合った対談があります。それが以下のリンクです。参考までにご視聴いただければと思います。

RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。

さらにその後、私は「Aさん」と「Bさん」と一緒に対談したことがありますが、それが以下のリンクになります。

RAPT×読者対談〈第124弾〉東京スカイツリーは3.11の放射能汚染演出のために建設された可能性大。

RAPT×読者対談〈第125弾〉どこからどう陰謀論を語っても全て「麻生太郎」につながるという現実。

また、「Aさん」「Bさん」がこの「RAPT理論」と「有料記事」に出会ってから、どれほど人生が変わったかについては、以下のリンクでそれぞれ証言してくださっています。

また、「Aさん」「Bさん」がこの「RAPT理論」と「有料記事」に出会ってから、どれほど人生が変わったかについては、以下のリンクでそれぞれ証言してくださっています。

「Aさん」の証言 RAPTブログ読者の証言〈VOL.5〉乳癌らしきしこりを発見するも、祈りによって一週間でしこりが消えた40代女性。

「Bさん」の証言 RAPTブログ読者の証言〈VOL.3〉 3.11の被曝回避のために大金をかけて岡山に移住し、余計に心身ともに破壊された40代女性。

また、今回の対談に出てくる「カナダ」に関する読者対談は以下になります。「Bさん」がこの世の「子育て論」はやっぱり嘘だとはっきり確信するきっかけとなったのが、この読者対談でした。

RAPT×読者対談〈第109弾〉カナダは次の秦氏=ロスチャイルドの拠点となる。

あと、「癌は存在しない」ということを対談したものは以下になります。

RAPT×読者対談〈第114弾〉癌という病気は存在しない。(前編)

RAPT×読者対談〈第115弾〉癌という病気は存在しない。(後編)

また、「Bさん」のお子さんは自閉症を患っていたのですが、その症状を和らげるきっかけとなった有料記事が以下になります。

RAPT有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。

RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。

この世に溢れた「ハウツー本」などを実践して本当に効果があるのであれば、実際にそれを実践してどれほどの効果があったのか、それをきちんと証言する人があちこちから沢山現れるはずです。

ところが、実際のところ、そのような証言者はほとんど現れることがありません。

例え現れたとしても、いかにもお金で雇われたような胡散臭い証言をする人たちばかりです。

心の底から本音で話しているような人を見かけることがありません。

本当に問題が解決したのであれば、今回の「Aさん」と「Bさん」のようにもっと喜びと希望に満ちて、スッキリとした気持ちで証言することができるはずし、聞いている側にもそれがきちんと伝わってくるはずですが、そのような証言者を一人も見たことがありません、

しかし、今回の「Aさん」と「Bさん」の話を聞いていただけば、彼女たちがどこまでも本心から本音で語っていることが分かっていただけると思います。

そして、彼女たちの話が嘘でないこともはっきりとすぐに分かるはずです。

私の「有料記事」は、配信を開始してからもう既に19ヶ月目に突入しています。

そして、もしこの「有料記事」が本当に良いものであり、人生の悩みを全て解決してくれるものであるならば、その効果を実際に実感している人がそろそろ出てきてもおかしくはない頃です。

そして、実際にそのような人が次々と出てきているからこそ、私もここ一連の「RAPTブログ読者の証言」シリーズを開始したわけですが、今回の対談も「有料記事」の効果がどれほど凄まじいものであるかをはっきりと理解できる内容になっていると思います。

とにかく論より証拠。

二人の話を聞けば、「RAPT理論」と「有料記事」が子育てにどれほどの威力を発揮するかが、はっきりと確信できることでしょう。

RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)

今回の読者対談は、また新たな二人の方との対談となります。
 
今回は初回ということもあって、二人ともかなり緊張していて、私ばかりが話をしているような感じになっています(笑)。どうぞご勘弁下さい。
 
もちろん、彼らと対談することになったのは、きちんとした理由があってのことです。その理由は、次回以降の対談から少しずつ分かってくることでしょう。
 
ということで、今回の対談はまたしても「麻生太郎」関連となりますが、今回の対談を聞いていただけば分かる通り、RAPT理論は完全に新たな段階に入りました。
 
「麻生太郎」がこの世の悪の中心(イルミナティの中心)であることが分かったため、これからは犯人探しではなく、犯人の周辺を詳しく調べていく作業をすることになったからです。
 
そして、今回はその記念すべき第一弾の読者対談だとも言えるでしょう。
 
ちなみに、「麻生太郎」がこの世の悪の中心であることをご存じない方は、以下のリンクをご参照ください。
 
天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。
 
「麻生太郎」こそイルミナティの計画する主要な悪事の中心的な実行犯である。
 
「麻生太郎」こそ人工地震「3.11」と「熊本地震」を起こした主犯格である可能性大。
 
「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。
 
「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。
 
「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。
 
ついにマスコミが「麻生太郎」に斬り込みを入れた。「森友学園」問題はやはり秦氏と出雲の戦いか?
 
「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。
 
RAPT×読者対談〈第125弾〉どこからどう陰謀論を語っても全て「麻生太郎」につながるという現実。
 
RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。
 
RAPT×読者対談〈第127弾〉イルミナティの終焉まであとわずか。
 
そのようなこともあって、心機一転して、このブログや動画のデザインも全て衣装替えすることにしました。
 
ということで、今回は「日本は在日ヤクザに牛耳られている」というタイトルでお話をしています。
 
そして、副題が「麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇」です。
 
「朝堂院大覚」というのは、有名陰謀論者の「ベンジャミン・フルフォード」などと結託して、嘘の陰謀論を垂れ流しているこの人です。

〈朝堂院大覚〉

そして、この人の動画を見る限りでは、やたらと偉そうに話をしていて、向こう側の世界でかなり重要視されていることがすぐに分かります。

朝堂院大覚 – Wikipedia

しかも、この人は「山本太郎」とか「立花孝志」とか、幸福の科学の陰謀論者「与国秀行」など、実に様々な人たちと対談しています。

つまり、この人たちは皆、裏で一つにつながっているわけですね。

しかも、これらの動画を見た限りでは、誰もがやたらと「朝堂院大覚」を尊敬しているように見えます。

では、どうしてこの「朝堂院大覚」はこんなに偉いのか。

これを調べていくと、またしてもこの「朝堂院大覚」と「麻生太郎」が深くつながっていることが分かってしまいました。

それと同時に、実は現代の日本の支配構造が、「空海」と同じ時期に活躍した「嵯峨天皇」のそれと全く同じであることも分かってきました。

嵯峨天皇 – Wikipedia

「嵯峨天皇」のことは知らない人も多いと思いますが、「源氏物語」の主人公である「光源氏」、すなわち「源融(みなもとのとおる)」の父親です。

そして、結論から先に言いますと、この「嵯峨天皇」の直系の子孫が「朝堂院大覚」なのです。

だからこそ、彼はこのように多くの人々から崇敬されているわけです。

そして、この「嵯峨天皇」の子孫たち、およびその親族や関係者たちが、現在の日本を支配しているのです。

しかも、これまたご多分に漏れず、「麻生太郎」もまた直接の血のつながりはないにしても、「嵯峨天皇」とは深い関係があります。

この辺のことは後ほど詳しくご説明しますが、先ず「朝堂院大覚」と「麻生太郎」にどのようなつながりがあるのかをご説明したいと思います。

先ず、「朝堂院大覚」のウィキペディアの記事を見てみると、最初にこう書かれてあります。

(以下、こちらから転載)

朝堂院 大覚(ちょうどういん だいかく)は松浦 良右〈まつうら りょうすけ〉、1940年〈昭和15年〉12月9日 – )が使用している自称。

武道総本庁総裁であり、空手道本庁宗家家元であり、団体を立ち上げている。

武道に秀でおり、居合道警視流の宗家家元、剛柔流空手道九段。

インターネットTVの連合組織である日本ネットTV報道協会をつくり、総裁に就任。

日本維新の会総裁。東亜ビル管理組合顧問。「全アジア条約機構推進委員会」委員長。

(転載ここまで)

先ずここに「日本維新の会」の「総裁」であると書かれてあります。

つまり、「日本維新の会」のトップだということです。

そのため、「日本維新の会」の母体となった「大阪維新の会」の「橋下徹」を、彼は昔から大絶賛しています。

しかも、彼は「吉田茂」のことも大絶賛しているとのこと。

では、なぜ彼は「吉田茂」と「橋下徹」を同列において絶賛しているのでしょうか。

その理由は、恐らく「吉田茂」も「橋下徹」もどちらも「麻生太郎」と深いつながりがあるからでしょう。

「吉田茂」は「麻生太郎」の祖父ですし、「橋下徹」のブレーンが「株式会社・麻生」の「上山信一」でしたよね。「上山信一」についての詳細は、以下のリンクをご覧下さい。

「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。

〈上山信一〉

つまり、「朝堂院大覚」は「麻生太郎」と深い関わりのある人ばかりを絶賛しているわけです。

ということは、「朝堂院大覚」と「麻生太郎」はグルであると考えられるわけですが、ではどうして彼らは一つにつながっているのか。

そのキーワードが、実は「嵯峨天皇」なのです。しかし、その話は後回しです。

先ず、「朝堂院大覚」が一体どのような人物なのかを見てみたいと思うのですが、一言で言うなら、彼は日本のヤクザです。

しかも、在日ヤクザと深いかかわりを持っています。

上のウィキペディアの記事を見ると、「朝堂院大覚」は「東亜ビル」の管理組合顧問に就任していると書かれてあります。

そして、この「東亜ビル」について調べてみると、ウィキペディアには以下のような記事が出ていました。

(以下、こちらから転載)

TSK・CCCターミナルビル(ティーエスケイ・シーシーシーターミナルビル、英称:Toa Sogo Kigyo・Celebrity Choice Club)は、東京都港区六本木に存在した高級会員制クラブやレストラン、オフィスなどの複合ビル。

■概要

■東亜相互企業

暴力団「東声会」のトップとして知られ、レジャー開発などを手がける「東亜相互企業」を経営する在日韓国人の町井久之(本名は鄭建永)により、1966年に完成し町井の自宅がおかれていた「東亜マンション」と同じ敷地内に「現代人の憩いと対話の場所を実現するため」として建設され、1973年7月11日にオープンした。

建設資金は、東亜相互企業が韓国外換銀行の支払い保証約60億円の信用保証を受け、日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行、現在のあおぞら銀行)より約54億の借款を受けることにより調達した(その内の21億円が建設関連費に回され、33億円を那須高原・白河高原の総合開発事業につぎ込んだ)が、最終的に建設費は建設会社に払われないままであったと伝えられている。

■東声会

なおTSK・CCCは、町井が自らの生業としていた「東声会」などの非合法活動から決別し、「東亜相互企業会長」という「表の社会の成功者」として振る舞うことを演出することを主な目的として建設されたこともあり(フロント企業)、東声会構成員は、TSK・CCCのオフィス棟に置かれていた東亜相互企業とそのグループ企業のオフィスに出入りすることが固く禁じられていた。

《RAPT註:もちろん、これは表向きの話でしょう。ちなみに、「CCC」とは「666」のことです。なぜそう言えるのかはこちらをご参照ください。》

■「Celebrity Choice Club」

元暴力団関係者が経営しているにもかかわらず、オープニングレセプションは読売新聞社の渡辺恒雄(その後同社会長)が運営委員を務め、司会は後に参議院議員となる女優の山口淑子が務めた。

さらにゲストとして町井の後見人の児玉誉士夫と親しい岸信介元首相や園田直衆議院議員などの政界人や、岡田茂三越会長などの財界人、三田佳子などの芸能人から各国の特命全権大使までが駆けつけた。

オープン後も、「Celebrity Choice Club(セレブリティーが選択するクラブ)」の名の通り、長嶋茂雄や石原裕次郎、E・H・エリックやデヴィ・スカルノ、アラン・ドロンなどの著名人が毎晩のように訪れるなどの盛況を見せた。

(中略)

■閉鎖と競売

「Club Vanilla」として営業されていた3階(2006年)

その後2002年9月に町井が死去したため、町井の長男の佐藤に所有権が移された。

しかしその後町井の債権者らによって競売にかけられ、敷地の約半分である約600坪が252億6000万円で落札されたものの、その後数度にわたり所有者が移転された。

なおこの競売には、2007年に朝鮮総連本部ビル売却問題で逮捕された緒方重威元公安調査庁長官や、2008年に経営破綻したリーマン・ブラザーズなどの外資金融機関も関与していたのではないかと噂された。

その後2007年4月1日には、最大のテナントであった「Club Vanilla」が閉店し、「東亜ビル管理組合顧問」を名乗る朝堂院大覚や、いくつかの残ったテナントが立ち退きを巡って所有者らと争っていた。

しかしその後ビルの解体が進み、2008年3月一杯でビルは完全に解体された。

(転載ここまで)

このように「東亜ビル」は、在日ヤクザと深い関わりのあるビルなのです。

そして、そのビルを管理していたのが「朝堂院大覚」なのです。

しかも、「東亜ビル」を建設した在日ヤクザの「町井久之」について調べてみると、彼は暴力団「山口組」の三代目組長「田岡一雄」と盃を酌み交わし、彼の弟分になっています。

以下、「町井久之」のウィキペディアの記事です。

〈町井久之〉

(以下、こちらから転載)

町井 久之(まちい ひさゆき、本名鄭建永〈チョン・ゴニョン、정건영〉。1923年 – 2002年9月18日)は、在日韓国人のヤクザ、実業家。東声会会長。東亜相互企業株式会社社長。釜関フェリー株式会社会長。在日本大韓民国民団中央本部顧問。若い頃は、「銀座の虎」、「雄牛」と呼ばれた。

《RAPT註:「牛」とか「虎」とか、つまりは「バアル」とか「国常立神」のことでしょうね。》

大正12年(1923年)、東京生まれ。昭和20年(1945年)の終戦直後、朝鮮建国青年同盟東京本部副委員長となった。

そのころから(1945年)、事件屋の「中央商会」、興行会社の「中央興行社」を設立した。これらの会社をベースに、愚連隊・町井一家(関東町井一家)が形成された。

韓国建国後に韓国国籍を取得したが、その後も日本に住み続ける。

曺寧柱と出逢い「大アジア主義」の思想に感銘を受け、昭和32年(1957年)には東京・銀座で、町井一家を母体として「東洋の声に耳を傾ける」と云う理念のもとに、在日朝鮮人連盟(現:朝鮮総連)や在日朝鮮統一民主戦線などへの防波堤として東声会を結成した。

その後、東声会は、東京、横浜、藤沢、平塚、千葉、川口、高崎などに支部を置いた。構成員は1600人となった。

しかし急速な勢力拡大により、他のヤクザ団体が結束し、東声会は四面楚歌の状態に陥った。

さらに、警察の取り締まりにより、東声会の幹部多数が逮捕された。

このため昭和38年(1963年)児玉誉士夫の取り持ちで、三代目山口組・田岡一雄組長の舎弟となった。

同年11月9日午後6時9分ごろ、東京会館の前の路上で、東声会組員・木下陸男が、東京会館で行われた出版記念祝賀会から帰る途中だった田中清玄を銃撃した。

警察は背後関係を疑い、町井を銃砲刀剣類所持等取締法で別件逮捕したが、背後関係までは立件できなかった。結局、町井は起訴されなかった(田中清玄銃撃事件)。

昭和39年(1964年)2月、警視庁は「組織暴力犯罪取締本部」を設置し、暴力団全国一斉取締り(「第一次頂上作戦」)を開始した。

町井の東声会は、警察庁により広域10大暴力団に指定された。

10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会、東京・住吉会、東京・日本国粋会、東京・東声会、川崎・日本義人党、東京・北星会だった。

警察の圧力の強まる中、昭和41年(1966年)9月1日、町井は東声会の解散声明を発表した。

その一週間後、東京の池上本門寺で解散式が行われた。こうして彼はやくざ社会の表舞台から去った。

昭和42年(1967年)4月、町井は東声会を、企業色を前面に押し出した形で「東亜友愛事業協同組合」として再建し、自らは名誉会長となった。

《RAPT註:「友愛」ということは、つまり「フリーメーソン」関係の組織ということですね。》

町井はこの東亜友愛事業協同組合に資金提供を行っており、人事権も握っていた、と云われる。

なお、関東会も関東二十日会として復活した。

間もなく、「東亜友愛事業協同組合」は「東亜友愛事業組合」と改称された。

その後、町井は東亜相互企業株式会社を設立した。会長には児玉誉士夫が就いた。

東亜相互企業株式会社は、銀座で料亭「秘苑」を営業した。

昭和43年(1968年)、韓国より国民勲章・冬栢章を受勲した。

《RAPT註:どうしてただのヤクザが、韓国からこんな勲章をもらえるのでしょうか? それは彼がただのヤクザではないからでしょう。》

翌年釜関フェリー株式会社を設立し、就航させた。昭和46年(1971年)には、在日本大韓民国民団中央本部顧問に就任した。

昭和48年(1973年)7月、東亜相互企業株式会社は、六本木にTSK・CCCターミナルビルをオープンさせた。

この資金源については、韓国外換銀行東京支店が、東亜相互企業株式会社に、支払い保証約60億円の信用供与を与えた。

東亜相互企業株式会社は、60億円の支払い保証に基づいて、日本不動産銀行から54億円の融資を受けた。

東亜相互企業株式会社は、33億円を那須高原・白河高原の総合開発事業につぎ込み、21億円をTSK・CCCターミナルビル建設につぎ込んだ。

なおTSK・CCCターミナルビルは、町井が暴力団活動などの非合法活動から決別し、「表の社会の成功者」として振る舞うことを演出することを主な目的として建設されたこともあり、東声会の構成員は、TSK・CCCターミナルビルのオフィス棟に置かれていた東亜相互企業とそのグループ企業のオフィスに出入りすることが固く禁じられていた。

(転載ここまで)

この在日ヤクザの建てたビルを管理しているのが、「朝堂院大覚」なのです。

そして、この「朝堂院大覚」と有名陰謀論者の「ベンジャミン・フルフォード」や「与国秀行」、または政治家の「山本太郎」がつながっているわけですね。

なので、「ベンジャミン・フルフォード」も「山本太郎」も、完全に向こう側の人間なのです。

ちなみに、「山口組」三代目組長「田岡一雄」は、「日本財団」の「笹川良一」と飲み友達です。

そして、この「笹川良一」は実に広い人脈を持っていて、統一教の「文鮮明」とも大の仲良しだし、「金正恩」とも親戚だし、かつ「出口王仁三郎」と同じく「世界紅卍字会」の会員でしたね。

笹川良一 – Wikipedia

この「笹川良一」は「岸信介」や「吉田茂」とも親しい仲だったので、その孫の「安倍晋三」も「麻生太郎」も「統一教」や「山口組」や「北朝鮮」と一つにつながっているわけです。その証拠は以下のリンクをご参照ください。

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

これだけ見ても、この日本が在日ヤクザの関係者たちに牛耳られていることがはっきりと分かります。実に恐ろしい話です。

どうりで、日本には「在日」の政治家や有名人が多いわけです。

日本が朝鮮人に支配されているという証拠。「田布施システム」こそが朝鮮人と金融ユダヤによる日本支配の始まり。

しかも、「日本維新の会」の代表「松井一郎」は、幼い頃から「笹川良一」に子分として従うような親しい間柄でしたね。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。

〈松井一郎〉

そのため、「山口組」と親しい「朝堂院大覚」が総裁として君臨している「日本維新の会」に、同じく「山口組」と親しくしていた「笹川良一」の子分「松井一郎」が、代表として選ばれたわけでしょう。

少し話がややこしいですが、以下の人々はヤクザの「山口組」を中心に一つにつながっているわけです。

■朝堂院大覚 → 町井久之(東声会組長) → 田岡一雄(山口組三代目組長) → 笹川良一 → 松井一郎 → 橋下徹 → 上山信一 → 麻生太郎 → 安倍晋三

日本の政治家たちがやたらと「朝鮮人」を敬っているのも、こうして在日ヤクザが彼らのトップに君臨しているからでしょう。

このように「朝鮮飲み」などをしてきちんと朝鮮人に礼儀を示さないと、政治家としての生命をすぐさま絶たれてしまうのでしょう。

さらに、「朝堂院大覚」のウィキペディアの記事を見てみると、彼がどれほど多くの政治家たちを配下に従えているかがすぐに分かります。

以下、「朝堂院大覚」のウィキペディアの記事です。

(以下、こちらから転載)

後藤田正晴(元警察庁長官、田中角栄内閣内閣官房副長官、中曽根内閣内閣官房長官)より、経済協力・経済支援を申し入れられ、資金援助を開始する。

1975年、社会民主主義国際組織での出会いにより、PLO執行委員会議長・パレスチナ自治政府大統領ヤセル・アラファトとの交友が始まる。

松浦は5回ほどベイルートを訪れ、1981年には後藤田と共に、アラファトを来日させた。

1977年、フィリピンで投獄中の政治家ベニグノ・アキノ・ジュニアの死刑回避を求めるため、石原慎太郎を同行させ、マルコス大統領を訪問する。

1977年から1982年3月において、資金困難に陥った、小池百合子(2016年・東京都知事当選)の家族への資金援助を行い、エジプトへ移住させ、商号「ナニワ」というレストランを経営させた。

1978年、スパイ防止法制定を目的に設立した法曹政治連盟総裁に就任。井本台吉検事総長、横井大三最高裁判事、佐藤立夫早稲田大学名誉教授(憲法裁判所創設委員会会長) らがメンバー。

1978年、エジプトにて、日本政府の自民党・毛利松平を伴い、エジプトのアサド大統領と会談し、トファミ副首相と交渉し、第4次中東戦争の終結と、日本エジプトの外交関係を構築の為の立役者になった。

1979年、赤軍ダッカ日航機ハイジャック事件において、赤軍からの小菅刑務所の未決勾留5名とJAL乗客との交換要求に関し、福田内閣は「人命は地球より重し」と超法規処置により、未決勾留5名を解放し、JALの乗客解放に至った。その後5名はアルジェリアに滞在した。

自民党園田官房長官から朝党院への依頼により、朝堂院が、アメリカCIAのアルジェリア軍事訓練担当のアメリカントレード&ファイナンスの社長と交渉し、10億円を支払うことを条件に、5名の人間を日本へ引き渡すことを一旦成立させた。福田内閣は条件を呑まずに、その交渉は不調に終わった。

1979年、八重洲画廊の真鍋と組んだ、大和証券の菊一社長の30億円の背任横領の事実を突きつけ、菊一社長を退任させた。そして、一端、退任させられていた土井副社長を元の職に戻し、その後土井社長の就任に全面的に協力し実現をはかった。

1980年、非核諸国同盟会議を開催。アラファト議長、カストロ議長、後藤田正晴等が参加した。

1982年、ニカラグア運河開発計画を発表。国際運河開発公団の総裁に就任。ニカラグア大統領のダニエル・オルテガと計画を進める。

1982年3月、ナミレイ会長就任中、同業で大手・高砂熱学工業の株式を買い占め、筆頭株主の力を盾に同社社長等を脅して業界提携やナミレイの株式引き受けを強要したとして、当時ナミレイ社長だった実兄の松浦幸作ほか、ナミレイの他の役員等と共に強要罪で(相手方に電話をして怒鳴り上げたことを検事に同意したことによる)逮捕され執行猶予付き有罪判決を受ける。

取調中逮捕前、検事より「株には興味が無いから元警察庁長官である後藤田正晴の贈収賄での検挙への協力を」と要請されたが拒否した。

1987年、尖閣列島に中国の民兵が漁船で上陸しようとした。松浦が指揮をとり、石原慎太郎、自民党・毛利松平、園田直官房長官と団結し、政治結社石門社代表・関二郎、沖縄旭琉会・羽根地勲ら10人を尖閣列島へ上陸させ、戦後初となる大日章旗を掲げることに成功した。

1988年、国際宇宙法学会を創設。140ヶ国の学者による研究学会を発足させた。

早稲田大学の佐藤立夫名誉教授とともに憲法裁判所創設委員会を設立。

80年代から90年代にかけては、フランスのフランソワ・ミッテラン、イギリスのマーガレット・サッチャー等、東西各国の国家元首と交流を持ち、各国の活動を様々に支援。

発展途上国アフリカ諸国の社交場の運営をし、世界黒人会議という団体を主催していたことにより、1997年にマイケル・ジャクソンから、コンタクを熱望するアポイントが入る。

1998年7月に来日したマイケル・ジャクソンに空手道名誉五段を授与。また、「マイケル・ジャクソン・ジャパン」を立ち上げ、マイケルの希望によりレジャーランド設立を計画する。

(転載ここまで)

いやはや。日本国内外の政治家たちとかなり仲がよろしいようです。

これぞまさに日本のフィクサーですね。

彼は日本の政治家たちを、完全に自分の配下に収めているのです。

では、なぜ彼がこんな強大な権力を持っているのかというと、先程も言いました通り、「嵯峨天皇」の直系の子孫だからです。

そして、現在の日本を牛耳っている人たちのほぼ全員が、「嵯峨天皇」にゆかりのある人物ばかりです。

つまり現在の日本では、「嵯峨天皇」の血を継いでいる人物、または深い関係のある人物が、この国のトップに就くことができる仕組みになっているのです。

そもそもの話、日本の内閣は以下の「五七の桐」を紋章として使っていますが、この「五七の桐」を作ったのが「嵯峨天皇」なのです。

(以下、こちらから転載)

■日本政府の紋「五七の桐」を知っていますか

これは“五七の桐”と呼ばれる日本政府の紋章だ。しかし、その歴史背景を知る人は多くないのではないか。

「五七の桐の由来は今から1200年以上前に、嵯峨天皇によって創案されました」

銀座で「きものギャラリー泰三」を経営する高橋泰三氏によれば、“五七の桐”にはそれを作った嵯峨天皇の「思い」が込められているという。

「古来から、聖天子の時代が来るとその瑞兆として鳳凰が現れると伝えられていますが、鳳凰は桐の木に宿り、竹の実をついばむとされています。すなわち桐は聖天子の象徴であるため、この故事を愛でた嵯峨天皇は、桐花をモチーフにしてこの紋章を作ったのです。きっと、自らを聖天子だと誇示したかったのでしょう」

(転載ここまで)

かの「豊臣秀吉」もこの「嵯峨天皇」に憧れて、「五七の桐」を自らの家紋としたようです。

(以下、こちらから転載)

■「五七の桐」を切望した秀吉

さらにこの桐花紋は、天皇家に功績のあった臣下に下賜されることがありました。

足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。

尊氏はすでに足利家としての家紋があったので、これを室町幕府の紋として使用しました。

五七の桐を一番欲したのは秀吉で、彼は五七の桐をアレンジして太閤桐をも作っています。

家康は桐花紋を下賜されることを断りましたが、隠居地である駿府では使っていたようです。

(転載ここまで)

この「豊臣秀吉」の家臣として仕えていたのが「毛利家」で、この「毛利家」の子孫たちが現在の日本を支配している、という話は前から何度もしてきましたね。例えば以下の記事になります。

RAPT×読者対談〈第122弾〉現代日本の支配構造は、安土桃山時代と全く同じ。

このように現代日本の支配者たちは、「嵯峨天皇」のことを崇めているからこそ、内閣の紋章として「五七の桐」を使っているわけです。

さらに言うなら、「朝堂院大覚」に資金提供しているのが「後藤田正晴」で、この「後藤田正晴」は「忌部氏」の末裔だと言われています。これは以下の記事でもお話しましたね。

RAPT×読者対談〈第127弾〉イルミナティの終焉まであとわずか。

そして、「忌部氏」は天皇の行う「大嘗祭」に関わる氏族なのですが、実を言うと、かの有名な「真言宗」の僧侶「空海」もまた「忌部氏」なのだそうです。

空海と忌部氏:ダ・ヴィンチ・コードの解説!

ちなみに、「大嘗祭」について私が書いた記事が以下になります。

天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

そして、この「空海」が今のように有名になれたのも、実は「嵯峨天皇」のお陰です。

というのも、「嵯峨天皇」は兄の「平城天皇」との間で「薬子の変」という戦争をしているのですが、この戦争のときに「空海」が「嵯峨天皇」の勝利を祈って、実際に「嵯峨天皇」が勝利したために、その後、「空海」の名が高められることになったそうです。

以下、「薬子の変」のウィキペディアの記事です。

(以下、こちらから転載)
 
薬子の変(くすこのへん)は、平安時代初期に起こった事件。
 
大同5年(810年)に平城上皇と嵯峨天皇とが対立するが、嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことによって、平城上皇が出家して決着する。
 
平城上皇の愛妾の尚侍・藤原薬子や、その兄である参議・藤原仲成らが処罰された。
 
(中略)
 
なお、僧・空海は嵯峨天皇側の勝利を祈念し、以降、日本仏教界一の実力者になる契機となった。
 
(転載ここまで)
 
この「空海」の開いた「真言宗」は、今では日本で大きく幅を利かせています。
 
「真言宗」の僧侶「池口恵観」が、現在の日本の総理大臣である「安倍晋三」の指南役をやっているほどです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
天皇家と安倍首相と永田町の政治家が「密教」を信じる悪魔崇拝者であるという確たる証拠。
 
では、どうしてこんなに「真言宗」が強大な力を持っているのかというと、「嵯峨天皇」が特別に「空海」を贔屓にしていたからでしょう。
 
そのため、「嵯峨天皇」の末裔である現在の日本の支配者たちは、「空海」を神のように崇めるしかないのです。
 
しかし、その「空海」の開いた「真言宗」は、完全なる悪魔教でしたね。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。
 
〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。
 
ですから、現在の日本のトップたちが「悪魔崇拝者」に成り下がってしまうのは当然のことなのです。
 
では、ここで「朝堂院大覚」がどうして「嵯峨天皇」の直系の子孫だと言えるのかをご説明します。
 
先ず、彼の本名は「松浦良右」です。
 
つまり、「松浦家」ということになります。
 
そして、「松浦家」の元祖は「渡辺綱(わたなべのつな)」という人物です。
 
(以下、こちらから転載)
 
松浦氏(まつらし)は、日本の氏族の一つ。
 
松浦氏の系譜については諸説あるが、渡辺綱の子孫とするのが通説。中世には肥前・壱岐の水軍衆である松浦党をなした。
 
(転載ここまで)
 
この「渡辺綱」は「源融(みなもとのとおる)」の子孫なのだそうです。
 
(以下、こちらから転載)
 
渡辺 綱(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。源宛の子。
 
嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。
 
通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。渡辺氏の祖。
 
(転載ここまで)
 
この「源融(みなもとのとおる)」は先程もいいました通り、「嵯峨天皇」の息子でしたよね。
 
(以下、こちらから転載)
 
源 融(みなもと の とおる)は、嵯峨天皇の十二男。
 
侍従、右衛門督、大納言などを歴任。
 
極位極官は従一位左大臣に至り、また六条河原院を造営したことから、河原左大臣(かわらのさだいじん)と呼ばれた。死後正一位を追贈されている。
 
(転載ここまで)
 
ですから、「松浦良右」もまた「嵯峨天皇」の直系の子孫だと考えられるのです。
 
図にすると、こうなります。
 
■嵯峨天皇 → 源融(息子) → 渡辺綱(子孫) → 松浦氏(子孫) → 松浦良右
 
だからこそ、「朝堂院大覚」はこれほどの強大な権力を持っているのです。
 
しかも、「朝堂院大覚」と「嵯峨天皇」の血のつながりを立証するかのように、「朝堂院大覚」の「大覚」という名前も、実は「嵯峨天皇」とゆかりの深い名前であることが分かりました。
 
というのも、京都には「大覚寺」というお寺があるのですが、この「大覚寺」を建てたのが「嵯峨天皇」なのです。
 
(以下、こちらから転載)
 
大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。
 
山号を嵯峨山と称する。
 
本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。
 
嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。
 
また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)である。
 
時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている。
 
(転載ここまで)
 
このように、「朝堂院大覚」は「嵯峨天皇」の建てたお寺を自分の名前として使っているのです。
 
これが単なる偶然でしょうか。
 
いいえ、そうではありません。
 
彼もまた「嵯峨天皇」と深いつながりがあるからこそ、「嵯峨天皇」の建てたお寺「大覚寺」の名前を自らの名前として使っているのです。
 
そして、ここで「麻生太郎」がまたしても関係してきます。
 
「麻生太郎」の祖父が「吉田茂」であることは有名な話ですが、この「吉田茂」の養父が「吉田健三」でしたね。(実の父親は「竹内綱」です。)
 
そして、この「吉田健三」の父親が、「渡辺健七」です。
 
(以下、こちらから転載)
 
吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) – 明治22年(1889年))は、日本の江戸時代後期の武士(福井藩士)、明治期の実業家。
 
昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は養孫に当たる。
 
1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。
 
(転載ここまで)
 
そして、この「渡辺健七」はその名の通り「渡辺家」の一門です。
 
そして、この「渡辺家」の先祖が、これまた先ほど出てきた「渡辺綱」なのです。
 
(以下、こちらから転載)
 
渡辺 綱(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。源宛の子。
 
嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。
 
通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。渡辺氏の祖。
 
(転載ここまで)
 
しかも、先程も言いましたように、「渡辺綱」は「源融(みなもとのとおる)」の子孫ですから、つまりは「嵯峨天皇」の子孫ということになります。
 
ですから、こういうことが言えますね。

■嵯峨天皇 → 源融(息子) → 渡辺綱(子孫) → 渡辺健七(子孫) → 吉田健三(息子) → 吉田茂(養子) → 麻生太郎(孫)
 
このように、「麻生太郎」もまた「嵯峨天皇」とは実に深いゆかりがあるのです。
 
そもそも、「麻生太郎」の「太郎」という名前を最初に作り出したのも、実は「嵯峨天皇」なのです。
 
(以下、こちらから転載)
 
太郎(たろう)は日本語の男性名。本来は長男を意味する輩行名で、当該の人物に個人名としてもつけられる。
 
日本において太郎という人名が登場したのは、嵯峨天皇が第一皇子の幼名に命名したのが初見とされる。
 
(転載ここまで)
 
しかも、「麻生太郎」の父方の祖父もまた、実は同じ「麻生太郎」という名前を使っていました。(「吉田茂」は「麻生太郎」の母方の祖父です。)
 
(以下、こちらから転載)
 
麻生太郎 (明治時代)
 
麻生 太郎(あそう たろう、1887年(明治20年)9月 – 1919年(大正8年)3月)は日本の実業家。
 
麻生太吉の三男として生まれ、麻生商店取締役を務めた。
 
同姓同名の第92代総理大臣は孫にあたる。
 
(転載ここまで)
 
ですから、「麻生家」も「太郎」という名前をとても重要視していたということです。
 
では、どうして彼らが「太郎」という名前をそんなに重要視していたのかというと、「嵯峨天皇」がこの名前を最初に作り出したからでしょう。
 
つまり、彼らもまた「嵯峨天皇」のことをそれだけ崇拝しているということです。
 
このように、現在の日本は「嵯峨天皇」の末裔たちによって完全に牛耳られているのです。
 
しかも、彼らは在日ヤクザともとても深い関係がある……。
 
では、どうして彼らが在日ヤクザとそんなに深いかかわりがあるのかは、次回以降の対談で詳しくお話しています。
 
どうぞお楽しみに。

RAPT×読者対談〈第130弾〉エボラ熱を広めた犯人は麻生太郎である。(現代日本を支配する藤原家=麻生家の闇)

今回の読者対談は、RAPT理論に出会って間もない方には少し難しい話かも知れませんが、RAPT理論を長く読んできた方にとってはかなり頭がスッキリとする内容になっていると思います。
 
このRAPT理論では、この日本の歴史、ひいては世界の歴史がすべて「秦氏」と「出雲族」の戦いの上に成り立っているという話をしてきました。
 
例えば、以下のリンクなどをご覧いただけば、それが理解できるかと思います。
 
RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
 
RAPT×読者対談〈第63弾〉昭和天皇が人間宣言をした本当の理由。
 
RAPT×読者対談〈第68弾〉三つの勢力に分かれた日本のフリーメーソン。
 
RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。
 
RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。
 
そして、「秦氏」は自らのシンボルカラーとして「赤」を使い、「出雲族」は自らのシンボルカラーとして「青」を使っています。
 
しかし、ここ最近になって、この世の中では「赤」でも「青」でもなく、なぜか「緑」の勢力が目立つようになってきました。
 
RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。
 
安倍晋三・稲田朋美をはじめ緑の勢力が「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている厳然たる事実。
 
そして、この「緑の勢力」の特徴として、主に以下の2つが挙げられます。
 
1.秦氏と出雲族を一つに束ねて、世界統一政府の樹立を目指している。
 
2.一つにならない勢力を叩き潰すため、第三次世界大戦を画策している。

 
では、この「緑の勢力」とは一体何者なのか。
 
これが今の今までずっと謎でしたが、「麻生太郎」こそがイルミナティの中心であることが分かったとたん、この謎もほぼスッキリと解明できるようになりました。
 
結論から先に言うと、「秦氏=赤」は「平家」であり、「出雲族=青」は「源氏」であり、「緑の勢力」は「藤原氏」ということになります。
 
藤原氏 – Wikipedia
 
しかし、急にこう言われても、人によっては全くのちんぶんかんぷんでしょう。
 
しかし、今回の対談を聞けば、この意味が少しは理解できるようになると思います。
 
今回の読者対談は、前回の読者対談の続きとなります。

先ず、かの「麻生太郎」は「藤原鎌足=中臣鎌足」の子孫です。
 
少なくとも、「麻生百年史」にはそう書かれているとのことでしたね。(詳しくはこちら

〈麻生百年史〉

そして、「藤原鎌足」といえば、日本最大の氏族である「藤原」氏の元祖です。

しかも、古代日本においては、天皇に次いで「ナンバー2」だった権力者です。

なので、この「藤原鎌足」の血を継いだ「麻生太郎」も、現代の日本において「ナンバー2」の権力を握っていると考えられるのですが、「藤原鎌足」は西暦600年代に活躍した人物なので、その「藤原氏」の末裔が今でもこの日本で大きな権力を握っているとは、誰も夢にも思ってもいません。

しかし、現実には「藤原鎌足」の末裔である「麻生太郎」が、今でも「天皇」と最も近い親戚となって、この日本で陰ながら強大な権力を振るっています。

これについては、以下の「麻生太郎」関連の記事を読んでいただけば、誰でもすぐに納得できるはずです。

天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。

「麻生太郎」こそイルミナティの計画する主要な悪事の中心的な実行犯である。

「麻生太郎」こそ人工地震「3.11」と「熊本地震」を起こした主犯格である可能性大。

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。

「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。

ついにマスコミが「麻生太郎」に斬り込みを入れた。「森友学園」問題はやはり秦氏と出雲の戦いか?

「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。

RAPT×読者対談〈第125弾〉どこからどう陰謀論を語っても全て「麻生太郎」につながるという現実。

RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。

RAPT×読者対談〈第127弾〉イルミナティの終焉まであとわずか。

つまり、古代日本の支配体制が、現代日本においてもそのまま継続されているというわけです。

このように、この日本では古代から「天皇」がトップに君臨し、「藤原氏」がナンバー2として君臨してきたわけです。

その下にいるナンバー3が「摂家」と言われる人々です。「摂家」とは以下のような人たちのことを言います。

(以下、こちらから転載)

摂家(せっけ)とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のこと。

大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できた。

摂関家(せっかんけ)、五摂家(ごせっけ)、執柄家(しっぺいけ)ともいう。

この5家の中から藤氏長者も選出された。

(転載ここまで)

見ての通り、この「摂家」だけが、「摂政」とか「関白」といった、歴史の教科書に出てくるような重要な地位に就くことができました。

つまり、「摂家」以外の人たちが「摂政」とか「関白」といった地位に就くことはできなかったわけです。

ところが、日本の歴史において、たった一度だけ例外がありました。

その例外が、今回の対談に出てくる「豊臣秀吉」です。

「豊臣秀吉」だけは、なぜか「摂家」でなかったにもかかわらず、「関白」という地位に就くことができたのです。

では、どうして彼にそんなことができたのかというと、彼が「摂家」の一つである「近衛家」に養子(猶子)として入ったからです。

(以下、こちらから転載)

■摂家以外からの摂政・関白就任

五摂家成立以後は、摂政・関白にはこの5家の者のみが任じられ、摂家たる5家は摂政・関白職を独占した。

そのため、関白就任を目論んだ羽柴秀吉(豊臣秀吉。当時は平朝臣を称していた)は、1585年(天正13年)に近衛前久の猶子となり、藤原朝臣秀吉(近衛秀吉)として関白就任を果たした。

翌年、秀吉は豊臣に改姓し、豊臣朝臣秀吉として関白に残留した。

秀吉は豊臣氏を新たな摂関家とし、豊臣秀吉の養子である豊臣秀次は「豊臣朝臣秀次」として関白に任じられている。

しかし秀次以降は再び五摂家が摂関の座を独占するようになった。

(転載ここまで)

つまり「豊臣秀吉」は、「関白」になるためにわざわざ「近衛家」の養子になったわけです。

そこまでして彼は「関白」になりたかったようです。

そして、上の転載記事を見ても分かる通り、「豊臣秀吉」の養父となったのは「近衛前久」という人物です。

近衛前久 – Wikipedia

この「近衛前久」がかなりのクセ者で、「豊臣秀吉」の名字を「羽柴」から「豊臣」へ変えたのも、「徳川家康」の名字を「松平」から「徳川」へと変えたのも、実はこの「近衛前久」なのです。

ですから、この「近衛前久」は歴史的に見てかなりの重要人物のはずなのですが、私たちはこの人物について学校の授業では全く教えてもらっていません。

「近衛前久」という名前すら聞いたことがない人がほとんどでしょう。

ということは、イルミナティにとって「近衛前久」という人物は、我々庶民に隠したい人物である、と考えられます。それぐらいの重要人物だということです。

しかもこの「近衛前久」は、「豊臣秀吉」の他に「津軽為信(つがるためのぶ)」という人物を養子(猶子)にしています。その他にも、「教如」や「近衞堯真」といった人物をも養子にしています。

この「津軽為信」は「津軽藩(弘前藩)」をつくって、その初代藩主となった人物です。

弘前藩 – Wikipedia

しかも、「津軽家」の家紋は「卍」です。

津軽為信 – Wikipedia

武家の家紋_津軽氏

〈津軽家の家紋〉

この「津軽藩(弘前藩)」が現在の「弘前市」となったわけですが、この「弘前市」の市章も、以下のような赤い「卍」です。(出典はこちら

「弘前市」がこの市章は、つまり「津軽為信」の家紋に由来があるわけですね。

(以下、こちらから転載)

卍(まんじ)は、藩政時代に津軽氏の旗印として用いられた由緒あるもので、功徳・円満の意味で、吉祥万徳の相を表すといわれ、明治33年6月から旧弘前市の市章として用いられてきました。

(転載ここまで)

そして、この赤い「卍」をシンボルマークとして使っていたのが、かの「世界紅卍字会」でしたよね。

世界紅卍字会 – Wikipedia

ということは、この「世界紅卍字会」もまた「津軽為信」と何らかの関係があるのではないか、と考えられるわけですが、実際に関係があります。

というのも、この「世界紅卍字会」には、大本教の教祖である「出口王仁三郎」や、日本財団の創設者「笹川良一」が会員として名を連ねていましたよね。

(以下、こちらから転載)

■(世界紅卍字会の)主な会員

出口王仁三郎 
出口すみ
内田良平
張海鳳
陳漢森
今小路了円
浅野和三郎
林出賢次郎
岡田茂吉
植芝盛平
堀川辰吉郎
谷口雅春
出口日出麿
出口直日
安岡正篤
笹川良一
笹目秀和
中西旭
五井昌久
伊與田覺
小田野早秧
呉清源
西園寺昌美

(転載ここまで)

そして、「出口王仁三郎」も「笹川良一」も、以下の系図を見れば分かる通り、「津軽藩主の娘」の血を引いています。

この「津軽藩主の娘」が誰なのかは分かりませんが、恐らくは「津軽為信」の子孫なのでしょう。

つまり、「出口王仁三郎」も「笹川良一」も「津軽為信」の子孫である可能性が高いわけです。

だからこそ、彼らは「津軽家」の家紋である「卍」を使って、「世界紅卍字会」なる組織を結成し、運営していたわけでしょう。

こうして見てみると、イルミナティにとって「津軽為信」がかなりの重要人物であることが分かります。

そして、その「津軽為信」は「近衛前久」の養子になったわけですが、同じく彼の養子になったのが「豊臣秀吉」です。

この「豊臣秀吉」は「五七の桐」を自らの家紋としていましたが、現在の内閣もこの「五七の桐」を自らのシンボルマークとして使っています。これについては、前回の対談でもお話しましたね。

要するに、「世界紅卍字会」にしろ、現在の「内閣」にしろ、どちらもそのバックには「近衛前久」の存在があるわけです。
 
これだけ見ても、「近衛前久」がどれほどの重要人物であるかが分かるというものです。
 
そして、ここからがさらに重要なのですが、この「近衛家」の現代の当主が「近衛忠煇」という人物です。
 
近衛家 – Wikipedia
 
この「近衛忠煇」は現在、「国際赤十字社・赤新月社連盟」の会長、ならびに「日本赤十字社」の社長を務めています。
 
しかも、彼はかの元首相「細川護煕」の実の弟でもあります。

〈近衛忠輝(左)〉

(以下、こちらから転載)

近衞 忠煇(このえ ただてる、 1939年5月8日(78歳) – )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。

特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。

初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。

旧肥後熊本藩主細川家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の二女)の次男として生まれた。

兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。

1962年(昭和37年)学習院大学政治経済学部政治学科卒業後(学位:政治学士)、英国ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学、1964年(昭和39年)に帰国。

日本赤十字社副総裁三笠宮崇仁親王の長女・甯子内親王と結婚した。同年より日本赤十字社に入社。

外祖父近衞文麿の長男で伯父にあたる文隆がシベリア抑留中に死去し、近衞家の当主が不在となったため、1965年(昭和40年)に母の実家である近衞家の養子となった(伯父の文隆の夫人の養子)。

(転載ここまで)

そして、彼の兄である「細川護煕」は、かつて「熊本県知事」に就任したことがあります。

細川護熙 – Wikipedia

〈細川護煕〉

なので、「細川護煕」は表向き「肥後細川家」の当主と言われていますが、実のところ、彼は「肥後細川家」の当主ではなく「奥州細川家」の当主なのです。

以下、「細川家」のウィキペディアからです。

(以下、こちらから転載)

■(細川)奥州家

細川氏の庶流の一つ。大外様ともいわれる。和氏・頼春の従兄弟の細川顕氏の子孫。

顕氏の兄弟はそれぞれが武勇に優れ活躍したが、彼等は顕氏に先立ちこの世を去る。

残った顕氏は讃岐、土佐などの領国化に励み実力をつけ、嫡流の和氏の死後、その弟の頼春と並んで細川氏の実力者となる。

顕氏は観応の擾乱で活躍するも、やがて頼春と前後して死去する。

顕氏の実子の繁氏は顕氏の領国を受け継ぎ、有力者として武功を積むも急死する。

その後は、和氏の子・業氏が後を継いで存続したが、讃岐など領国は頼春の子・頼之に押さえられたため、以後の代々の当主は京兆家に協力的な立場をとった。

細川満経は、京兆家の細川満元の片腕として政界で活躍した。

また、業氏は3代将軍・足利義満、業氏の子孫の晴経は13代将軍・足利義輝の加冠の際の理髪役を務めるなど、有力な幕臣であった。

和泉上守護家の藤孝の子・忠興が、戦国時代末期の当主・輝経の養子となり形式的には奥州細川家を継承したので、近世大名の肥後熊本藩細川家は奥州家の末裔と言うこともできる。

■細川奥州家歴代当主

1.細川頼貞(細川俊氏の子)
2.細川顕氏
3.細川繁氏
4.細川業氏(細川和氏の子)
5.細川満経
6.細川持経
7.細川成経
8.細川尚経
9.細川尹経
10.細川晴経
11.細川輝経
12.細川忠興(細川藤孝の子。初代中津藩主、初代小倉藩主。肥後細川家祖)
13.細川忠利(2代小倉藩主、初代熊本藩主)
14.細川光尚(2代熊本藩主)
15.細川綱利(3代熊本藩主)
16.細川宣紀(細川利重の子。4代熊本藩主)
17.細川宗孝(5代熊本藩主)
18.細川重賢(細川宣紀の子。6代熊本藩主)
19.細川治年(7代熊本藩主)
20.細川斉茲(細川興文の子。8代熊本藩主)
21.細川斉樹(9代熊本藩主)
22.細川斉護(細川立之の子。10代熊本藩主)
23.細川慶順(11代熊本藩主)
24.細川喜延(細川斉護の子。12代熊本藩主)
25.細川護成
26.細川護立(細川喜延の子)
27.細川護貞
28.細川護熙(熊本県知事、内閣総理大臣)

(転載ここまで)

「奥州」とは「陸奥国」のことです。つまり「津軽」のある地域です。

奥州 – Wikipedia

陸奥国 – Wikipedia

〈奥州・陸奥国〉

ですから、「細川護煕」も実は「津軽」ととても深い関係があるわけですね。

つまり、この「細川家」も「津軽為信」、そして「近衛前久」と深い関係にあるわけです。恐らく彼らの血が「細川家」にも混じっているに違いありません。

そして、ここでまたしても我らが「麻生太郎」の登場となります。

「近衛忠煇」のウィキペディアを見れば分かる通り、「近衛忠煇」は「三笠宮」の長女「甯子(やすこ)」と結婚しています。

近衛やす子 – Wikipedia

そして、この「近衛やす子」は「寛仁親王」の姉です。

〈寛仁親王〉

この「寛仁親王」と結婚したのが、「麻生太郎」の妹「麻生信子」でしたよね。

なので、ここでまたしても「麻生太郎」と「近衛前久」とが一つにつながってしまうわけです。

これにて、古代から中世における日本の権力構造と、現代の日本の権力構造が全く同じであることが、完全に証明されてしまいました。簡単な図にすると、このようになります。

■古代から中世にかけての日本の支配構造

1.天皇
2.藤原家
3.摂家(近衛家など)

■現代の日本の支配構造

1.天皇
2.麻生太郎=藤原家の元祖「藤原鎌足」の血をひく
3.近衛忠輝=近衛家

しかし、問題はさらにここからです。

皆さんは二年ほど前に起きた「エボラ熱騒ぎ」のことをまだ覚えているでしょうか。

覚えていない方は、先ず以下のリンクを御覧下さい。

エイズの年間死亡者数160万人。マラリア60万人。エボラ熱は現在4555人。なのに、なぜエボラ熱だけこんなに騒がれるのですか。

エボラ熱騒ぎの最大の目的は、ロスチャイルドが西アフリカにあるダイヤモンド原石を独占すること。

このリンク記事を見れば分かる通り、「エボラ熱」なんて病気はこの世には存在していません。

「エボラ熱」とは、ロスチャイルドがでっち上げた嘘の病気です。

では、どうして彼らがそんな嘘の病気をでっち上げたのかというと、その理由はこうです。

彼らは「シエラレオネ」という国でダイヤモンドの採掘事業を行っていたのですが、そこで働いていた黒人たちが賃金の安さに怒って、ストライキを起こしてしまいました。

シエラレオネ – Wikipedia

ロスチャイルドはそんな黒人たちの態度に怒り狂い、彼らに脅しをかけるために「シエラレオネ」に軍隊を送り込むことにしました。

しかし、何の口実もなく軍隊を送り込んでしまうと、それこそ周辺諸国から不審に思われてしまう。

そこで、彼らは「エボラ熱」が発生したという嘘の情報を世界中に垂れ流して、軍隊が派遣されてもおかしくないような状況を作り出したわけです。

しかし、黒人たちの中には、軍隊に脅されても頑として働こうとしない者たちもいた。

ロスチャイルドはそんな黒人たちに対して怒り狂い、彼らに無理やり「国際赤十字社」のワクチン(と称する猛毒)を注射し、次々と殺していったわけです。

「エボラ熱」のせいで死んだと見せかけつつ……。

本当にどこまでも闇です。どこまでも悪です。

しかし、話はこれで終わりではありません。

実はここで、またも我らが「麻生太郎」の登場となるのです。

前にもお話しました通り、「麻生太郎」と「ロスチャイルド家」は古くから大の仲良しでしたね。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。

「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。

ということは、「麻生太郎」もこの「エボラ熱騒ぎ」に関わっていたのではないかという疑いが出てくるのですが、実際に彼は深く関わっていました。

というのも、「麻生太郎」はこの「シエラレオネ」に行って、ダイヤモンドの採掘事業に携わっているからです。

以下、「麻生太郎」のウィキペディアの記事です。

(以下、こちらから転載)

その後、1970年から2年間に渡ってシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していたが、シエラレオネ内戦勃発で帰国した。

(転載ここまで)

また、「麻生太郎」自身も、このときの経験を日本記者クラブの人たち前で偉そうに(自らの苦労話として)語っています。

(以下、こちらから転載)

■麻生外務大臣演説「ODA・情けは他人のためならず」

《RAPT註:題名からして凄いです。ODAをやるのは全て自分のため、というわけですから。》

本日は、ODAの話をします。我が国が外国向けに、色々している経済協力の話です。
 
ちょうど今、ODAのあり方が盛んに議論されています。
 
政府というものを努めて小さくしようという風潮の中、世間はODA政策について厳しく見ています。
 
無駄がありはしないか。費用対効果はシビアに考えてやっているか。
 
そもそもODAとは誰のため、何のためにするものなのか。それから実施態勢は、今のままでいいのか。
 
ODAの中心的な役割を担っている役所の大臣として、先に結論を言っておきますが、私としては、「安全保障会議」のような仕組みを、ODAについても作れないかと思っています。
 
総理に直属し、国防の重要事項を審議するのが安保会議です。
 
ODAに関する戦略について、同じように総理の下で審議する仕組みを作るという案はどうだろうか。
 
と言いますのも、ODAとはまったくもって「情けは他人(ひと)のためならず」でして、他人(ひと)を思いやる暖かい気持ちを抜きにやって貰っては困る。
 
しかしかといって、最後は日本のためにしているのだという点を忘れて貰ったのではいけないものだからです。

《RAPT註:つまり、彼自身の儲けのためであることを忘れてはいけないということですね。》

我が日本のため、我が国民の、世界における幸福と存在感を高めるため実施するもので、言わば長い算盤を弾く類の事業だからです。
 
国民から預かった大事なお金を、一度よそ様に使って頂き、その結果をおいおい自分たちの役に立てようという話ですから、考えてみればODAくらい、腰の据わった戦略を必要とするものもざらにはありません。

《RAPT註:国民から預かったお金を、自分たちの儲けのために使おうというわけですから、本当に腰が据わっていますよね。》

しかし当節、大きなハコモノを作るのは時代に逆行していますから、主だった閣僚が集まるコンパクトな会議形式にしておくと、便利だろうと思うわけです。
 
実は私、西アフリカのそのまた西の端にあるシエラレオネという国で、昭和45年から2年生活したことがあります。
 
年齢で言うと、30歳になった年に行き、32歳までおりました。

 
実家の会社からの派遣でした。
 
ご存知なくても一向構いませんが、私の実家というのは元は石炭の山を掘っておりました。シエラレオネでは、ダイヤモンドを掘れという命令です。

《RAPT註:どうして炭鉱をやっていた人に、ダイヤモンド採掘の依頼があったのでしょうか? 同じ掘る仕事でも、全く業種が違いますよね。》

日本の大使館や領事館が何もない時代でした。青年海外協力隊も来ていない。
 
自分で水を汲んで風呂を炊き、発電機を動かして電気を起こすという、協力隊の諸君がしているような生活を送りました。
 
それなのに、アメーバ赤痢やマラリアに、私の会社から行った中では私だけがかからなかった。まあこれは、余談であります。

《RAPT註:要するに、彼だけは安全なところに住んでいたわけです。これら全ての苦労話は、嘘だということです。》

ダイヤモンドを掘る現場ですから、マシンガンで襲われたりする事件に、いちいち驚いてはいられない。
 
けれども我々のところは、全く襲撃されませんでした。部族の長老にきちんと挨拶をしてあるし、電気を起こしてあげたり薬を譲ったり。指導者たちの信頼を勝ち得ていたから、命を狙われるというような心配は何もなかったわけです。
 
この時期以来、私はいつしか、「日本の常識は世界の非常識などと言うが、日本人がアフリカでもっと働くようになると、日本の常識は素晴らしいと言われるようになるのじゃないか」と思い、口にもするようになったのです。
 
というのは2年というもの、我々日本から行った者と同じようにして、現地の人たちと一緒に汗を流しているヨーロッパ人や、アメリカ人の姿というものに、あまりお目にかかることがなかったからです。
 
一般化しすぎるのは慎まないといけないが、少なくとも我々日本人だけでした、現地の人々とまったく同じ目線で、共同して働くという姿勢を持ち合わせていたのは。
 
同じ姿勢が、途上国でODAの実行に携わるJICAや協力隊、NGOの人々に、昔も今も変わらず明確に見て取れることは言うまでもありません。
 
(以下、略)
 
(転載ここまで)
 
さすが悪魔崇拝者だけのことはあって、自らの悪行を美談としてうまく語っていますね。
 
まるで自分が苦労してダイヤモンドを採掘したかのように話をしていますが、彼はただ「シエラレオネ」の黒人たちをこき使いに行っただけですよね。
 
そして、彼が日本に帰ってきた後も、現地の黒人を脅すために「エボラ熱」騒ぎを起こした。
 
例の如く、私みたいに「エボラ熱は嘘」とブログを書く人間のところには、次から次へと工作員を送り込んで、さんざん悪口を書き散らしてきました。その証拠が以下のリンクです。
 
「エボラ熱騒ぎはロスチャイルドのダイヤモンド利権のため」という記事を書いてから、やたらと当ブログへの攻撃が激しくなっています。
 
やはりこの世のネット工作員は、みんな「麻生太郎」の儲けのために働かされているようです。これはもう間違いないことですね。
 
この「エボラ熱」に効くという薬を「富士フイルム」が発表したとき、インチキ陰謀論者のリチャード・コシミズが「富士フイルムは日本の誇り」だと大絶賛。
 
リチャード・コシミズ自身、「エボラ熱は嘘」と主張していたにもかかわらず、その「嘘の病気」に効く薬を大絶賛したわけです。なんともひどい矛盾です。これを見たときから、私は彼のことを一切信じなくなりました。
 
エボラ出血熱も金融ユダヤによるテロの可能性大。新薬を開発した富士フイルムの筆頭株主は金融ユダヤ。
 
この「富士フイルム」が発売していた「ネガフィルム」の箱は、以下のような「緑色」でしたね。

ですから、「富士フイルム」もまた「緑の勢力」に加担していたわけでしょう。ちなみに、「富士フイルム」のロゴは「赤」なので、本当は「秦氏」ですね。

〈上が新しいロゴ、下が古いロゴ〉

しかし、彼らは「秦氏=赤」でありながらも、「緑」の勢力にも加担していたというわけです。

では、「緑の勢力」とは一体何なのか。

実を言うと、「麻生太郎」の先祖に当たる「藤原氏」は、「奥州」をも支配していて、この「奥州」を支配していた「藤原氏」のことを「奥州藤原氏」と言います。

そして、「奥州藤原氏」のウィキペディアを見てみると、そこには「緑」の服を着た「藤原一族」の写真が載っています。

〈奥州藤原氏〉

ということは、もしや「緑」の勢力とは、「藤原氏」のことではないかと考えられます。

実際、「麻生太郎」のホームページも「緑」ですし……。

麻生太郎オフィシャルサイト

しかも、実を言うと、この「奥州藤原氏」の始まりは「奥州安倍氏」です。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

奥州藤原氏 – Wikipedia

〈奥州藤原氏の系譜。安倍氏から始まっていることが分かります。〉

そして、この「奥州安倍氏」の末裔が、現首相の「安倍晋三」でしたね。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。

ですから、実は「安倍晋三」にも「藤原氏」の血が混じっているわけです。

そして、「安倍晋三」も今や完全に「緑の勢力」に加担しています。以下のポスターがその証拠です。

〈昨年2016年の選挙戦のポスター〉

ちなみに、2014年の時点では、彼のポスターは以下のような「赤」でした。

RAPT理論では「安倍晋三」は「出雲族」ということになっていますが、歴史的に見ると「安倍氏」は「平清盛=平家=秦氏」の水軍として活躍し、「源氏」に敵対していた時期もありました。

だからこそ、彼は「秦氏=赤」の勢力にもなり得るわけでしょう。

いずれにせよ、こうして見てみると、この現代の日本で勢力を拡大しつつある「緑の勢力」は、「藤原氏」のことではないかと考えられます。

そして、この「藤原氏」は古代からずっと「平家」や「源氏」の上に君臨していたわけですから、彼らを一つに束ねて支配しようと思えば、実際にそうすることができます。

それと同時に、もし「平家」や「源氏」が言うことを聞かなければ、彼らを駆逐することもできます。

つまり、現代の「緑の勢力」がやっていることを、「藤原氏」なら簡単にできてしまうということです。

1.秦氏と出雲族を一つに束ねて、世界統一政府の樹立を目指している。
 
2.一つにならない勢力を叩き潰すため、第三次世界大戦を画策している。


ですから、「第三次世界大戦」を起こそうとしている「緑の勢力」とは、どこからどう考えても「藤原氏」である、と考えられるわけです。

そして、この現代の日本において、「藤原鎌足」の位置にいるのが「麻生太郎」ということになるのです。

ですから、やはり「麻生太郎」はどこからどう見ても、この世の悪の中心なのです。

ちなみに、前回の対談でもお話しました通り、「朝堂院大覚」は「松浦家」の末裔ですが、実はこの「松浦家」も「安倍氏」から始まったと言われています。

以下、「松浦家」のウィキペディアの記事です。

(以下、こちらから転載)

■安倍宗任の系譜

『平家物語』の百二十句本(国会本)剣の巻によれば、安倍宗任が前九年の役で敗れたあと、治暦3年(1067年)に太宰府に流されるが、子孫繁栄して松浦姓を名乗ったという説がある。

この伝えは、百練抄、前太平記、歴代鎮西要略でも記されている。

この説では、安倍宗任は、宗像氏の配下となり、筑前大島の統領となる。

宗任の三男・安倍季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。

《RAPT註:私は対談の中で間違って「安倍貞任」と言ってしまいました。訂正してお詫びいたします。》

その子孫が九州水軍松浦党を構成したともされる。

なお松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。

《RAPT註:「安倍晋三」も山口出身でしたね。》

その後、高俊の娘が平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗ったとされる。

(転載ここまで)

ということは、「朝堂院大覚」もまた「安倍晋三」と血のつながりがあると考えられるわけですね。

彼はよく「安倍晋三」のことを批判していますが、全てはただの演技だということです。

「松浦家」のそもそもの始まりが「渡辺綱」であり、「渡辺綱」は「嵯峨天皇」の子孫ですから、「安倍晋三」もまた「嵯峨天皇」と血のつながりがあるわけです。

だからこそ彼は、内閣総理大臣としての地位を獲得し、その政権を長く維持することができたわけですね。

とにかく「安倍晋三」も歴史上のいくつもの重要人物たちの血を受け継いでいるというわけです。

しかしながら、今やそんな彼の地位も安泰ではなさそうです。

なぜなら、「麻生太郎」が政権獲得に向けて、野心むき出しで「安倍おろし」を始めているからです。

(以下、こちらから転載)
 
■「大宏池会」結成へ “麻生の乱”が起こる日
 
ある閣僚経験者が4月下旬、官邸で安倍首相にこう尋ねた。
 
「首相は信頼しているようですが、この人(麻生氏)、大丈夫ですか」
 
安倍首相は笑顔でこう断言したという。
 
「1割、(再登板の)気持ちはあっても、それ以上ではないよ」
 
だが、安倍首相の読みは外れつつある。
 
「小さな派閥が乱立するより大きな派閥が必要だ」
 
副総理でもある麻生太郎財務相は5月15日、自ら率いる麻生派が山東派などを事実上吸収合併することで合意した意義をこう強調した。
 
都議選後の7月に約60人の新派閥を結成する段取りで、最大派閥、細田派(96人)に次ぐ勢力になる。安倍一強が続き、久しくなかった派閥再編がにわかに慌ただしくなった。
 
翌16日、「反主流派結集」と注目を集めた勉強会が発足した。約20人の自民党議員が集まり、野田毅・前党税制調査会長や村上誠一郎・元行革相ら政権と距離を置くベテラン議員が中心で、野田聖子・元総務会長の姿も見られた。
 
村上氏は本誌に勉強会立ち上げの趣旨を憤りを込めこう語る。
 
「改憲より政治的に喫緊(きっきん)の課題は財政や金融政策、社会保障の立て直しです。日銀保有の国債に値が付かないぐらい危ない状態で、アベノミクスは完全に破たんしている。財政再建に全精力を注ぐべきなのに、厚生労働省は年金マネーである年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)でクラスター爆弾をつくる米企業に株式投資している。首相の優先順位は明らかにおかしい。出口が見えない財政・金融再建に大変な危惧を感じている」
 
集まった議員に共通しているのは「2度先送りした消費増税への不満の受け皿になる」(村上氏)こと。 あるベテラン議員はこう見立てる。
 
「野田毅、村上らは経済産業省主導の官邸に不満が大きい財務省の意向を受け、首相が3たび消費増税見送りをしないよう釘を刺した形だ。裏で自身の再登板を視野に政局含みで麻生氏がシナリオを描いているのは間違いない」
 
一時期、河野グループで麻生氏と親交を深め、現在は細田派の最高顧問を務める衛藤征士郎・元衆院副議長は本誌に対し、「政党力強化のために派閥パワー拡大を図ったことは評価したい」とこう語る。
 
「麻生さんは首相に対抗して『アソノミクス』をやりたいのでしょう。ずばり、総裁選で岸田文雄外相を担ぐのではなく、麻生さん自ら打って出ると思うよ」
 
政治評論家、小林吉弥氏も同様の見方を示す。
 
「麻生氏は党内の安倍一強への不満が充満している状況を十分わかっており、一強がこの先、続くとは思っていない。本人としては再登板したいはずです。無理ならば、ポスト安倍を睨み、キングメーカーとして君臨すればいい。犬猿の仲とされる古賀誠元幹事長とも手を組んで、岸田派を含む大宏池会を次の総裁選までに実現させたい考えだ」
 
政府関係者は解説する。
 
「麻生さんは首相と一体化している菅義偉官房長官・今井尚哉筆頭首相秘書官ラインに対する反発が強い。経産省主導の官邸に押され続ける財務省の看板を背負い、政策立案にかかわる影響力低下の払しょくを図り、権力構造を変化させたい狙いがある。政治は数が全て。奇麗ごとではない」
 
こうした見方に対し、首相の出身派閥・細田派幹部はこう本音を言う。
 
「安倍、麻生両氏の畏友(いゆう)関係がクローズアップされるが、首相は麻生氏に対して警戒感を持っている。政権を支える菅、党をまとめる二階(俊博)幹事長への信頼感とは決定的に相違がある」
 
この言葉どおり、首相は15日、父の故晋太郎元外相をしのぶ会で「(細田派で)四天王を作りたい」と発言。自らに続く後継者育成に意欲を示してみせた。
 
これには麻生氏の動きに加え、党の大番頭・二階氏の安倍官邸への不信感も背景にある。
 
中国で習近平国家主席と会談し、帰国した二階氏と17日夜、会食した作家、大下英治氏はその胸中をこう慮(おもんばか)る。
 
「二階派の今村雅弘前復興相を更迭したことについて、親分である二階さんとしては、自分に責任を取らせる形を取ってほしかったと不満のようでした。『せっかく、新しく派閥に入る人の晴れの場(派閥パーティー)なのに、安倍首相のあの発言(今村失言を陳謝)は……』と言っていました」
 
ポスト安倍をめぐっては、石破茂元幹事長が本誌に改めて、「未来永劫続く政権はない」と戦闘宣言。
 
周辺によると、石破氏は政調会長就任時に脱会した額賀派の事実上のオーナー、青木幹雄・元参院議員会長の事務所へ定期的に顔を出しているという。
 
禅譲狙いとされる岸田氏も4月に行われた宏池会結成60周年パーティーでポスト安倍に意欲を示した。
 
「もうすぐ行われる内閣改造は極めて重要な意味を持つ。岸田氏の動きを封じ込めるため、幹事長含め三役に充て、二階氏を副総裁に格上げし、麻生氏と同格の政権ナンバー2で処遇する。あるいは、霞が関に影響力を持ちすぎた菅氏を幹事長に据える腹案など官邸サイドはさまざまな選択肢で頭の体操をしている」(官邸関係者)
 
 本誌の取材に対し、麻生事務所はこう回答した。
 
「『麻生も安倍を引き下ろしにかかったな』と書きたい人がいるような気がしますが、間違いなく安定政権を作り上げた、そのど真ん中に我々はいる自負があり、その自負がある奴が足を引っ張ったってしょうがないと考えています」(本誌・村上新太郎)
 
(転載ここまで)
 
やっぱり「森友学園問題」を大々的に報じて、「安倍晋三」を叩き潰そうとしたのは「麻生太郎」だったようです。
 
「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。
 
ということで、「秦氏」と「出雲族」を一つに束ねて世界を統一しようとしている「緑の勢力」は、「藤原鎌足」から始まった「藤原氏」一族のことだった、ということが見えてきました。
 
そして、現代日本において、その「藤原氏」の位置にいるのが「麻生太郎」というわけです。
 
確かに「藤原不比等」が「古事記」やら「日本書紀」やら偽の歴史書を書いて、自分たちの権力を維持しようとしたわけですから、現代の彼らがそれと同じことをやっていたとしても何ら不思議ではありませんね。

〈お知らせ〉悪質ななりすましRAPTブログが次々と誕生しています。ご注意ください。

ある読者の方からの情報です。
 
悪質ななりすましRAPTブログが、この世に次々と誕生しているようです。
 
RAPTブログはこのブログだけですので、騙されないようにご注意ください。
 
他は全て偽物です。
 
私の文体とかなり似せて書いていますが、私が書いたものではありません。
 
混乱する人が出ないようにするため、敢えてそのブログのリンクをここに貼ることはしません。
 
それに、ここでリンクを貼って、RAPTブログ読者からの注目が集まったとたん、工作員どもがそのサイトにさらに悪質な情報を書き込む可能性があります。
 
とにかく、私が見たなりすましサイトでは、私が書いた記事に、私が書いていない記事を巧妙に混ぜて、あれこれとくだらないことを書いていました。
 
しかも、RAPT本人が書いたとは一言も書いていないので、「なりすましはやめろ」と注意しても、「なりすましじゃないよ」と言い訳できるような作りにもなっています。
 
しかし、そのサイトは私の文体にどこまでも似せて書いているので、明らかに「なりすまし」です。
 
よくここまで似せることができたな、と思うぐらいのレベルです。
 
よくそんなつまらないことにここまで努力できるな、とある意味で感心しました。よほど必死なんでしょう(笑)。
 
しかも、そのブログの記事の内容も、私のブログに書かれていない情報が盛り沢山なので、人によってはその新鮮さに興味を惹かれてしまうかも知れません。
 
しかし、一つの記事を一通り読んでみると、「最終的にこの人は一体何が言いたいのだろう」という結論に至ります。
 
私が書いてきた記事を幾つもごちゃ混ぜにして、さらには新たなそれらしい情報を書き加えているので、読めば読むほど頭が混乱していきます。
 
例えば、最初に「麻生太郎」がこの世の悪の中心だと書いていながら、実は「フェニキア人」が悪いとか、「毛利家」が悪いとか、「フン族」が悪いとかいうことになっていて、最終的に誰が悪いのかが分からなくなってしまいます。
 
しかし、私は「フェニキア人」とか「フン族」のことは一度も書いたことがありません。
 
とにかく工作員は、なぜか「フェニキア人」という言葉をよく使いますね。なぜでしょうか(笑)?
 
はっきりと言いますが、結論は一言です。
 
ある意味、歴史の話はもうどうでもいいのです。
 
私が歴史についてあれこれと調べてきたのは、結局、現代日本において一体誰が最も悪いのかを調べるためです。
 
それを知りたいがために、過去の歴史にまで遡ってあれこれと調べなければならなかっただけです。
 
そして結論は、「麻生太郎」こそが現代におけるこの世の悪の中心である、ということ。
 
そしてその「麻生太郎」が、悪の頂点である「天皇家」と「ロスチャイルド家」を結びつけていた、ということ。
 
そして、つい最近まで「天皇家=ロスチャイルド家」と「ロックフェラー家」が互いに争っていたけれども、今や「天皇家=ロスチャイルド家」が勝利し、「麻生太郎」を世界の中心に据えようとしている、ということ。
 
「トランプ」と「安倍晋三」がやたらと仲がいいのも、二人とも「天皇=ロスチャイルド」の配下にあるからでしょう。
 
これだけです。
 
イルミナティについて、人間サタンについて、私たちはこのことだけ分かっていればいいのです。
 
そして、この結論を出すために、歴史的なことや科学的なことなど、様々なことを調べてこなければならなかったわけです。
 
それぐらいありとあらゆることを調べなければ、この極めてシンプルな結論が見出せなかったのです。
 
そして、彼らイルミナティの連中は、この結論がなんとか我々庶民に知られないように、必死で煙に巻こうとしています。
 
特に私が見たなりすましブログでは、巧妙に「ロスチャイルド家」と「天皇家」のことを隠していました。
 
しかも、「麻生太郎」がこの世の悪の中心であることを否定していないように見せかけて、本当は「麻生太郎」がこの世の悪の中心なのではないかもしれない、という気にさせるように誤誘導していました。
 
例えば、「フン族」が一番悪い、という風に……(笑)
 
恐らくRAPTなりすましブログは、その他にも色々と誕生していると思いますが、今回、私が見たなりすましブログはかなり悪質で巧妙でした。
 
デザインもそこそこお洒落にして、私がデザインしたように見せかけていましたし。(といっても、デザインセンスはやはりどこまでも素人でしたけど……笑)
 
もっとも、きちんと私の有料記事を読んでいる人は、そのなりすましブログを読んでも、必ずどこかしら悪い波長を感じ取り、途中で読むのが嫌になってしまうと思います。
 
確かに彼らの作ったなりすましブログは、私の文体をかなりうまく真似てはいますが、それでも彼らの文章からは何かしら異様な波長が感じられます。
 
波長だけは嘘がつけないのです。
 
サタンを拝んでいる連中はこのことがよく分かっていません。
 
いくら文体をうまく真似たとしても、彼らの書いた文章の波長はどんよりと濁っています。
 
どこか暗く、陰湿な感じがします。
 
そして、どこか硬質な感じがします。
 
まるでゴツゴツした岩の中にでも潜り込んでしまったかのような嫌な感覚になります。
 
なので、彼らの書いた文章を読んでいるうちに頭が痛くなってしまいます。
 
そもそも、彼らは結論を濁すことが目的で撹乱情報を書いているので、彼らの書いたものを読むと、かえって頭が混乱し、訳がわからなくなるばかりです。
 
そして、そのような文章は絶対に「嘘」だと思って間違いありません。
 
正しい情報は常にシンプルで、読めば読むほど頭がスッキリとしてきます。
 
実際、有料記事を読み、聖書を読んでいる人は、自分の頭の中がどんどんスッキリとしていくのを体験しているはずです。
 
なので、有料記事をきちんと読んでいる人は、頭を混乱させられる情報はすべて「嘘」であることが感覚的に分かります。
 
しかし、有料記事を読まず、聖書を読まずに、頭の中がスッキリとするという体験をしたことがない人は、誰かの書いた文章を読んで頭が混乱してくると、「自分の頭が悪い」と思ってしまいます。
 
そして、「ついに自分はRAPTブログの内容についていけなくなってしまった」と思って落ち込んでしまうことになるでしょう。
 
まあ、神様を信じないと、いつかはそういうハメになってしまうので、自業自得といえばそれまでですが……。
 
いずれにせよ、本物のRAPTブログはこのブログだけです。
 
彼らはいずれこの本物のRAPTブログを削除して、私のなりすましブログしか読めない状況にしようと画策しているのかも知れませんが、そんなことにならないためにも、皆さんの強力なお祈りが必要です。
 
どうぞよろしくお願いいたします。

RAPT×読者対談〈第131弾〉小林麻央の死は悪魔への生贄である。(悪の巨塔・日野原重明と市川海老蔵の深いつながり)

今回はまたしても「癌利権」に焦点を当ててお話をしたいと思います。
 
そして、読者対談のオープニング曲も心機一転して新たに作ってみましたが、いかがでしょうか。
 
ここ一年ほどの間、「小林麻央」が乳癌をわずらったとのことで、マスコミ各社が総力を挙げて「小林麻央」とその夫の「市川海老蔵」のことをやたらと熱心に騒ぎ立ててきました。
 
しかし、このブログの読者である皆さんは、これらの報道を見て、すぐさま「癌利権」の関係者たちがボロ儲けしようと企んでいる、と分かったはずです。
 
「乳癌にかかると恐ろしい。だから、きちんと検診を受けて早期発見しなければならない」とのプロパガンダを垂れ流すことによって、この世の多くの女性を不安に突き落とし、病院に駆け込ませようという寸法なのです。
 
しかし、実際のところ、「癌」という病気はこの世には存在していません。これについては、以前にこれまでに何度も記事にしてきました。
 
RAPT×読者対談〈第114弾〉癌という病気は存在しない。(前編)
 
RAPT×読者対談〈第115弾〉癌という病気は存在しない。(後編)
 
ですから、「小林麻央」が乳癌にかかったというのも嘘だということです。
 
「癌利権」の関係者どもが、歌舞伎界の寵児(?)である「海老蔵」と結託し、「小林真央」を利用した上で国民を騙してボロ儲けしようと画策したのです。
 
そして「海老蔵」自身、「小林真央」の命を生贄として捧げる見返りとして、今後さらに有名にしてもらえるという保証が与えられたわけでしょう。
 
イルミナティの世界では、有名人としてのしあがるために、自分にとって最も親しい人の命を殺し、悪魔に捧げなければならないという取り決めがあるからです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
キリスト教がミトラ教から誕生したという大嘘。ミトラ教は悪魔教であり、悪魔崇拝者たちが悪魔教の要素をキリスト教に混入していったのです。
 
ですから、「海老蔵」もまたご多分に漏れず、知名度を上げるために誰か親しい人の命を悪魔に捧げなければならなかったのでしょう。
 
実際、これまでの一連の「小林麻央」報道によって、「海老蔵」はすっかり国民的なヒーロー(?)になってしまいました。
 
と同時に、一連の「小林麻央」報道によって、「癌利権」も随分と儲かったに違いありません。
 
しかし、もしこの推測が正しいとしたら、「市川海老蔵」は「癌利権」と何らかのつながりがあったということになります。
 
そこで、私は「市川海老蔵」と「癌利権」に何らかのつながりがないかどうか調べてみたのですが、意外にあっさりとその答えは見付かりました。
 
今回の対談者も、「癌利権」についてかなり深いところまで調べてくださったので、我々の調査は思っていた以上に速いスピードで進むことができました。
 
まず、癌治療の「早期発見・早期治療」などと銘打って、日本で初めて「人間ドッグ」を開設し、「予防治療」なるものを広めた立役者が、実は先日死んだばかりの「日野原重明」です。

〈日野原重明〉

(以下、こちらから転載)

■訃報 日野原重明さん 105歳=医師

「元気に老いる」体現 命と平和訴え続け

100歳を超えて現役の医師として活躍し、「元気に老いる」を体現した聖路加国際病院名誉院長で文化勲章受章者の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが18日、呼吸不全のため死去した。

105歳。葬儀は病院葬として29日午後1時、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所。喪主は長男明夫(あきお)さん。

1911年山口県生まれ。

京都帝大医学部卒業後、41年に聖路加国際病院に内科医として赴任し、2012年に聖路加看護大(現聖路加国際大)理事長の座を退くまで71年間、一線で働き続けた。

同病院名誉院長、同大名誉理事長に就任後も患者と言葉を交わしていた。

病院によると、日野原さんと話すことが患者の生きがいや喜びにつながっていたという。

早くから予防医学の重要性を説き、民間では初となる人間ドックを同病院に開設。

「生活習慣病」という言葉も生み出した。

一方で、「75歳以上」の人を「新老人」と名付け、00年には「新老人の会」を設立。老後の新しい生き方を提唱した。

東京大空襲でも診察に当たり、薬不足などで救えなかった経験から「命と平和の尊さ」を訴え続けた。

95年のオウム真理教による地下鉄サリン事件で病院長として陣頭指揮を執った。

(転載ここまで)

もし「人間ドッグ」が存在しなければ、日本人の多くが「癌」と診断されて、ムダに死ぬこともなかったでしょう。

ですから、多くの人々を「癌」に見せかけて殺してきた立役者の一人が、実はこの「日野原重明」だったのです。

マスコミは彼のことをいかにも人の良さそうな名医として報道していますが、調べれば調べるほど、この「日野原重明」は筋金入りの悪であり、イルミナティの最重要人物であることが明らかになってきました。

まず以下の記事を読んでみてください。少し長いですが、非常に重大な記事です。

(以下、こちらから転載)

■地下鉄サリン事件で日比谷線が最も多くの犠牲者を出したのはなぜか?

(1)3月20日に東京メトロ霞ヶ関駅で慰霊式を挙行するのは、「地下鉄サリン事件」と呼ばれる出来事の真相を隠蔽する為ではないか?

今年も3月20日に「地下鉄サリン事件」と呼ばれる出来事の慰霊式が東京メトロ霞ヶ関駅で挙行された。

TBSニュースバードや NHK総合では、「現場となった霞ヶ関駅」と言う言い方をしていた。

この言い方は間違いではないだろう。だけど、この言い方をいくつかの放送局がして、何より毎年霞ヶ関駅で慰霊式を挙行する事により、多くの人々は霞ヶ関駅が1番たくさんの被害者を出して1番悲惨な状況だったと誤解するようになっていないだろうか。

実は、地下鉄サリン事件で最も多くの被害者を出したのは、東京都中央区にある日比谷線の築地駅です!

地下鉄サリン事件

築地駅は、後述する聖路加国際病院の最寄り駅です。

私には、3月20日に東京メトロ霞ヶ関駅で慰霊式を挙行するのは、「地下鉄サリン事件」と呼ばれる出来事の真相を隠蔽する為のように思えてならない。

(2)営団地下鉄<当時>霞ヶ関駅

オウムは強制捜査を妨害するために、警察庁のある霞ヶ関に通勤する警察幹部を狙って地下鉄にサリンを撒き、捜査を撹乱し、その間に証拠隠滅を狙っていたと言われている。

1995年3月20日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時に発生した。

霞ヶ関の官公庁の公務員は、通常は午前9時30分頃に出勤することが多い<えっ、そんなに遅いの! 羨ましい!>。

しかし、月曜日だけは朝早くに朝礼があるところが多く、8時という早い時間を狙ったのはそういう官公庁の 内部を知っている者が犯人の中にいたからではないかと推測されている。

霞ヶ関の官公庁の公務員、取り分け、霞ヶ関に通勤する警察幹部を狙ったと言う点に着目すれば、確かに霞ヶ関駅は象徴的な駅には違いない。

(3)地下鉄霞ケ関駅から採取した毒物が入っているとされる容器を運び出す警視庁科学捜査研究所の職員が笑顔なのはなぜか?

↑画像:地下鉄霞ケ関駅から採取した毒物が入っているとされる容器を運び出す笑顔の警視庁科学捜査研究所の職員 1995年3月20日、東京・千代田区

多くの人々が倒れている状況で、多くの人々が倒れている状況の原因となった毒物が入っているとされる容器を運び出す時、笑顔でいられるものだろうか?

常識的に考えれば、笑顔は消え失せ緊張感に満ちあふれているのではないかと思われる。

それなのに、このリラックス感たっぷりの警視庁科学捜査研究所の職員の笑顔はいったい何を意味するのだろうか?

もしかしたら、中には毒物など入っていないのではないだろうか。笑顔の警視庁科学捜査研究所の職員は芝居を演じているのではないだろうか。

もっと踏み込んで書けば、自分達の計画が決行されている事に無上の喜びを感じているようにも見える。

(4)地下鉄サリン事件で日比谷線が最も多くの犠牲者を出したのはなぜか?

地下鉄サリン事件のターゲットにされたのは、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内だった。

↑画像 東京地下鉄路線図 1995年当時

地下鉄サリン事件で13名の方々が逝去された。その中で何と10名が日比谷線利用者であった。

地下鉄サリン事件 – Wikipedia

その中で北千住7時43分発の日比谷線中目黒方面行きが8名の死者を出している。なぜ、突出して死者数が多いのか?

北千住発日比谷線は散布役の林泰男(現在は小池泰男)と送迎役の杉本繁郎が担当したとされている。

他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、林は3パックを携帯した。

また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた。

彼は北千住7時43分発の電車の3号車に上野駅から乗車した。

林は秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けサリンを散布したとされている。

以上がWikipediaなどから判る突出して死者数が多い理由である。

事件発生後の8時10分、日比谷線は複 数の駅で乗客が倒れ、また運転士から爆発事故との通報を受け、築地駅と神谷町駅に多くの緊急車両が送られた。

次第に被害が拡大したため営団は8時35分、 日比谷線の全列車の運転を見合わせ、列車・ホームにいた乗客を避難させた。一方で千代田線・丸ノ内線では不審物・刺激臭の通報のみで、更に被害発生の確認 が遅かったため、運行が継続された。

(5)なぜ林泰男だけ3パックを携帯し秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けたのか?

それは最初から実に広い収容スペースがある東京築地の聖路加国際病院に多数の犠牲者を収容するつもりだったからではないだろうか。

秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けたというのは絶妙である。こうする事により、悲惨な状況のピークになる頃、電車は聖路加国際病院の最寄り駅・築地駅に到着する。

(6)東京二十三区内で戦時中に全く爆撃がなく無被害だったエリア

ロックフェラー財団の寄付で建てられた図書館のある東京帝国大学付近。アメリカ聖公会の建てた聖路加国際病院付近。日本正教会のニコライ堂(東京復活大聖堂)と関連施設。

丸の内の第一生命館や明治生命館などがある地域などは、戦後統治に米軍が駐屯するために残してました。

金持ちが住む白金<しろがね>地区、谷中・根津・千駄木地区など。

空襲の標的になったのは主に貧乏な人々が多く住む下町で、ここは人口が密集しているために爆撃の効果が高い上、何より産業・経済の集積地だった。

1995年の阪神淡路大震災も、貧乏な人々が多く住むエリアが壊滅的な打撃を受けた。

多くの人々が不幸に陥る出来事があった際、金持ちは助かっている例が多い。

(7)聖路加国際病院

地下鉄サリン事件の時、大半の患者が運ばれた聖路加国際病院は、元米軍極東中央病院です。

病院名は、使徒パウロの協力者の一人であり、新約聖書の福音書の一つである『ルカによる福音書』の著者とされる聖人ルカの漢字表記に由来している。

1874年、東京・築地の外国人居留地に、スコットランド一致長老教会の宣教医師ヘンリー・フォールズが健康社築地病院を設立した。その後、築地近辺で転々と場所を移動した。

フォールズはこの地でエドワード・モースの弥生町遺跡発掘に協力する中で、土器に残された指紋に興味を持ち、指紋捜査法を発見した。エドワード・モースと申す人は、大森貝塚を発掘した事で有名です。

1902年: フォールズが帰国した後荒廃していた築地病院の建物を、米国聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラーが買い取り、聖路加病院とした。ロシア革命が起きた1917年に、聖路加国際病院と改称した。

1923年、関東大震災で病院が倒壊、入院患者80名を青山学院の寄宿舎に移送、後に仮設病院を建設して診療を継続した。新病院が完成後は、仮設病院は管理棟や看護専門学校(後の聖路加看護大学)として使用された。

1933年、 皇室・米国聖公会・米赤十字などの寄付により新病院再建(現在の旧館)された。

1943年、政府に「大東亜中央病院」という名称に改名させられた。特高警察がスパイの嫌疑で日野原重明氏や日野原氏の同僚を取り調べたり、特高警察が患者を装って病院に出入りし、「大東亜中央病院」を監視をしていた。

1945年: 当病院があることにより築地・明石町一帯はアメリカ軍機による東京大空襲の爆撃を免れた。

日本の敗戦後には旧称に復帰したが、日本を占領下においた連合国軍を構成する一員となったアメリカ軍に病院施設が接収されて米軍極東中央病院として使用されたため、現在の国立がんセンター中央病院がある場所に「聖路加築地分院」を開設して診療を行った。1955年、「本院」がアメリカ軍から返還され、現在 地に戻った。

(8)日野原重明 104年間の人生 PART1

↑画像 2015年11月1日実施「日野原重明先生 104歳 記念講演」のポスター

日野原重明氏は、1911年10月4日、山口県山口市湯田にある母の実家で生まれた。

《RAPT註:「湯田」という地名は、イエス・キリストを裏切った「イスカリオテのユダ」から来ているのでしょうか。》

6日後の10月10日、 清で武昌新軍が蜂起した。世に言う「辛亥革命」が始まったのだ。

前年の1910年、メキシコ革命が始まっていた。

メキシコ革命は、1877年以来メキシコ大統領の座にあったポルフィリオ・ディアス氏に対する反対運動として始まった。

日野原重明氏が生まれた翌月11月、継続中のメキシコ革命で、農民派のサパタ氏が蜂起した。

日野原重明氏が生まれた日本は、中国やメキシコとは真逆の動きが進展していた。革命的な動きを弾圧する動きである。

1910年に起きた大逆事件の裁判で幸徳秋水氏ら被告全24人に、大審院が死刑判決を下したのは1911年1月18日 であった。

さて、7歳で洗礼を受けた日野原重明氏は、731部隊の石井四郎が首席で卒業した京都帝国大学医学部を卒業後、1941年に聖路加国際病院の内科医となった。

1951年、聖路加国際病院内科医長に就任した。

1957年、石橋湛山首相が脳梗塞で倒れ入院した際、石橋首相の主治医を務めた。

(9)石橋湛山氏を首相の座から引きずり降ろしたのは誰か?

孫崎享(まごさきうける)氏の著書「アメリカに潰された政治家たち」で、アメリカと戦った12人の政治家の一人として評価されているのが、石橋湛山氏である。

石橋湛山氏は、首相就任後すぐ、不審な病に倒れ辞職した。

その後88歳まで生き、長生きであった。あの時の病はなんだったのか。薬物攻撃を受けたのではないかとも指摘されている。その説が正しいとすれば、誰が薬物攻撃をしたのか?

石橋湛山首相が脳梗塞で倒れ入院した際、石橋首相の主治医を務めたのがクリスチャンの日野原重明氏ですので、日野原重明氏の可能性が高い。

(10)よど号ハイジャック事件

1970年、日野原重明氏は、福岡での内科学会への途上によど号ハイジャック事件に遭い、韓国の金浦国際空港で解放された。

日本初のハイジャック事件ということもあり、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャック」の意味を知らなかった日本人乗客の為に日野原重明氏は自ら手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と機内で説明した。
 
ハイジャック中に犯人グループから人質へ本が提供されたが、応じたのは日野原だけで、『カラマーゾフの兄弟』を借りた。
 
日本初のハイジャック事件で、この驚くべき落ち着き。事前に日本初のハイジャック事件が起きる事を知っていなければ、これだけの落ち着きは示せないのではないだろうか。
 
日野原氏以外は犯人グループから本を借りなかったと言う事実は、その時点において、日野原氏以外の搭乗客は不安におののいていた事を示すと思われる。
 
また、その事実は、日野原氏がよど号をハイジャックしたグループと通じていたのではないかという疑惑を深める。


犯人グループは赤軍派を名乗り、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に亡命する意思を示して同国に向かうよう要求し、よど号は福岡と大韓民国(韓国)の金浦国際空港を経由して朝鮮民主主義人民共和国の美林飛行場に到着した。

運航乗務員を除く乗員と乗客は福岡とソウルで解放されたものの、身代わりとなった運輸政務次官山村新治郎氏と運航乗務員、犯人グループはハイジャックされた機で北朝鮮に向かい、運輸政務次官山村氏と運航乗務員はその後帰国したものの、犯人グループは亡命した。

なお、犯人グループが亡命した北朝鮮が、本日<2016年3月21日>午後3時19~4時5分(日本時間同)の間に、咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)南方から日本海に向けて短距離の飛翔体(ひしょうたい)を5発発射したと明らかにした。

(11)日野原重明氏 104年間の人生 PART2

1974年、聖路加国際病院を定年退職。聖路加看護大学学長(第4代)に就任(1998年迄)。

1992年に聖路加国際病院院長に就任(1996年迄)。 無給で院長を務めた。

1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。

院長であった日野原氏の判断により、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを 無制限に実施し、同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、犠牲者を最少限に抑えることに繋がったと評価されている。

この病院の対応は、ペンタゴンをはじめ諸外国からも絶賛された。

ペンタゴンの驚嘆 地下鉄サリン事件の聖路加国際病院

1996年、財団法人聖路加国際病院理事長に就任、院長を退任し聖路加国際病院名誉院長となった。

日野原氏は日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き終末期医療の普及にも尽くした。

従来は「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたのも彼である。

2001年12月に出版した著書『生きかた上手』は120万部以上を売り上げた。

高齢者の希望の星的存在となっている。

保守思想を持ち、皇室を崇敬。度々皇室行事に招かれている。

新日本国憲法に勤皇奉仕義務を明記するよう求めている。

一方で、朝日新聞で執筆中のコラム「95歳の私 あるがまま行く」において、君が代に代わる新国歌の制定も提案した。

君が代に代わる新国歌の制定、私は賛成です。それにしても「勤皇奉仕義務」ですか、日野原さんってウルトラ右翼なんですね。「勤皇奉仕義務」、私は反対です。

でも、もしかしたら、日野原さんは似非右翼かもしれない。

私は高天原山事変の首謀者と指摘されている中曽根康弘氏も似非右翼ではないかと考えている。

日野原さんが似非右翼ではないかと考える理由は、よど号ハイジャック事件の犯人グループ<赤軍派>と通じている可能性があるからだ。

さて、日野原氏は100歳を超えてなおスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送っている。

乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしたと言う。

日野原氏は少なくとも 110歳まで現役を続けることを目標にしていると語っている。

日野原重明氏は、日本の医師・医学博士であり、現在、一般財団法人聖路加 国際メディカルセンター理事長、聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団 法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを務める。

(12)よど号ハイジャック事件のその後 【証拠湮滅】山村新治郎氏の娘は操られていたのか?

さて、よど号ハイジャック事件で身代わりとなった運輸政務次官<当時>山村新治郎氏は、宮崎勤事件が世間を騒がせていた1989年6月3日成立の宇野内閣(約2ヶ月の短命内閣)で運輸大臣を務めました。(同年8月10日まで=宮崎勤の自宅が捜索された日)

地下鉄サリン事件、よど号事件と国立がんセンター、厚生労働省を繋ぐもの

1992年、山村新治郎氏は、自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、自宅にて精神疾患を患った24歳の次女に出刃包丁で刺され殺害された。当時健在であった母の目の前での惨劇であった。

北朝鮮に訪問の際には22年ぶりによど号グループ首謀者の田宮高麿<社会主義者なのに貴族のような名前、まあ、本人が名付けたわけではないのですが。>と会う予定であった。

日本国憲法下で他殺された現職国会議員としては、浅沼稲次郎氏に続いて二人目(丹羽兵助氏を他殺に含めると三人目)。次女は引きこもりがちであったと言うが、茶道教室に通う等をしていた。

また、よど号事件の時、次女は2歳であったが、身代わり人質で有名になった新治郎氏を羽田空港で出迎えた。新治郎氏の選挙をよく手伝っていたことから、後援会関係者からは「次女を後継者に」と言う声も挙がる一方で、次女の精神疾患に気付く者はいなかったという。

次女は心神喪失により責任能力なしと判断され不起訴となるが、4年後に自殺している。

次女が自殺した前年、つまり、地下鉄サリン事件が起きた1995年の11月30日、田宮高麿が平壌で死亡したとされた。

当局は死因を心臓麻痺と発表した。

しかし、前日の29日に赤軍派議長だった塩見孝也が田宮に平壌駅で見送られており、死亡日前日まで田宮が元気であったことが確認されていることから、拉致 事件を追っているジャーナリストの多くが田宮の死に疑問を呈している。

(13)地下鉄サリン事件が起きる事を予期していたかのような聖路加国際病院の新病棟建設

日野原氏は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験から、「過剰投資ではないか」という批判を抑えて、大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を1992年に完成させた。

この備えは1995年の地下鉄サリン事件の際に遺憾なく発揮され、通常時の機能に対して広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は緊急応急処置場として機能した。

↑画像 運び込まれた聖路加国際病院の廊下で治療を待つ被害者たち (東京都中央区の同病院で) 1995年03月20日

(8)で記した通り、日野原氏は、1941年に聖路加国際病院の内科医となって以来現在に至る迄、聖路加国際病院と関わっている。

「東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験から」と主張なさるのなら、なぜもっと早く大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟の建設を提案なさらなかった のですか?

新病棟は、地下鉄サリン事件の3年前の1992年に完成した。
 
(11)で記した通り、日野原氏は、その1992年に聖路加国際病院院長に就任し、地下鉄サリン事件が起きた翌年の1996年院長を退任した。
 
日野原氏は、地下鉄サリン事件が起きる事が判っていて、地下鉄サリン事件に対応できる新病棟を建設し、1995年3月20日の地下鉄サリン事件に対応した翌年、使命を終えたと思い院長を退任したのではないだろうか。
 
事前に判っていれば、当日に入るかもしれかった手術は、他の日にずらす事も可能だし、当日、出勤する医師や看護師の数も事前にある程度増やしておく事が可能だっただろう。
 
何しろ、日野原氏は、院長なのだから。
 

(転載ここまで)

この記事を見ればお分かりの通り、「日野原重明」が「よど号ハイジャック事件」と「地下鉄サリン事件」に関与している可能性は大です。

というか、ここまで来ると、完全な「クロ」と言うしかありません。

彼は「よど号ハイジャック事件」と「地下鉄サリン事件」に関わった確信犯の一人なのです。

そして、このようなキナ臭い事件を起こして、多くの人々の命を見殺しにできるのであれば、病気にかかってもいない人たちを「人間ドッグ」に呼び寄せて大金をぼったくり、その挙句に「あなたは死の病にかかっています」と嘘の診断を下して、大量の治療費をぼったくることなど朝飯前でしょう。

そして、場合によっては「癌」と偽って、本当に人を殺してしまうわけですね。

で、実を言うとこの「日野原重明」。「市川海老蔵」とも深い関係があることが分かりました。

先ず、「市川海老蔵」は「関東連合」という暴走族のリーダー「石元太一」と昔からの知り合いでした。

〈石元太一〉

これは、「市川海老蔵」が行きつけの「バルビゾン27」というビルの中で「石元太一」を殴るという、通称「海老蔵事件」によって明らかになったことです。

(以下、こちらから転載)

■11代目市川海老蔵暴行事件

十一代目市川海老蔵暴行事件(じゅういちだいめ いちかわえびぞう ぼうこうじけん)とは、2010年(平成22年)11月25日に十一代目市川海老蔵が元暴走族の男に暴行された事件。

「関東連合」の存在が世間に広く知られるきっかけとなった。

■詳細

2010年11月24日、海老蔵は午後11時ごろから歌舞伎役者の仲間らと飲食していた。

その後日付が変わった25日明け方に知人たちと別れて独りで飲んでいたところ、石元ら数人とトラブルになり、殴られたとみられる。

海老蔵は、「飲食店で知り合った仲間と飲んでいて、その後酔いつぶれた人を介抱していたらいきなり殴られた」としているが、その後の報道などで、テキーラを灰皿に注いで飲ませようとしたり、髪を引っ張る、頭を叩くなどの行為に及んだとする証言が浮上していた。

また、海老蔵が「俺は人間国宝(または「平成の助六」)だ」などと暴言を吐いていたという報道もあったが、海老蔵本人は否定している。

加害者側は海老蔵が石元に対する頭突きに対応した過剰防衛を主張した。

裁判所は「被害者の行動が犯行を誘引したことも否定できない」と海老蔵の落ち度を認めたが、「状況から(被害者による)頭突きを認めることは困難」とした上で「仮に頭突きされたためだったとしても、被害者がさらに攻撃を加えようとした事実はない」として過剰防衛を否定した。

さらに暴行の程度については、「被害者に相当量の出血があり、意識不明に陥った場合は窒息死する可能性もある、危険な犯行だった」と認定した。

(転載ここまで)

ちなみに、対談の中でもお話しています通り、「バルビゾン27」の「バル」とは「バアル」のことで、「27」とは「27クラブ」のことでしょう。

バアルをご存じない方は、以下のリンクをご参照下さい。

京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。

また、「27クラブ」をご存じない方は、以下のリンクをご参照下さい。

27クラブ – Wikipedia

そして、「石元太一」はまだ十代だった頃に、以下のような悪質な事件を起こしています。

(以下、こちらから転載)

■トーヨーボール事件

(石元太一が)非行に明け暮れた10代の時期に関与した各種事件のなかでも特に重大なものであった(自叙伝『不良録』)のが、都内大田区池上のボウリング場「トーヨーボール」が現場となった暴走族同士の乱闘事件、いわゆる「トーヨーボール事件」(2000年)で、1名の死者を出すに至ったこの事件の首謀者として逮捕されたこと、あわせて、被害者への「懺悔」の意思をのちの自叙伝『不良録』の内に明かしている。

この事件は無関係な少年グループを対立暴走族グループと勘違いして襲撃した末に飲食店勤務の少年(当時18歳)を脳挫傷で死亡させたもので、犯行に用いた車両が女優の三田佳子(次男が関東連合関係者らから小間使いのように扱われていた)の名義であったことなどから、「関東連合」がメディアの注目を惹起するきっかけとなった事件でもあった。

自身は傷害致死の判決を受け、特別少年院に送致される結果となった事件であった。

(転載ここまで)

太字にした部分を読むと、いきなり女優の「三田佳子」の名前が出てきますね。

なんと「石元太一」が「三田佳子」の車を借りていたとのこと。彼ら二人が、どれほど近い関係にあったかがよく分かります。

そしてこの「三田佳子」。以前の対談でもお話しましたように、「TSK・CCCターミナルビル」の会員制クラブの常連客でしたね。

RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)

(以下、こちらから転載)

SK・CCCターミナルビル(ティーエスケイ・シーシーシーターミナルビル、英称:Toa Sogo Kigyo・Celebrity Choice Club)は、東京都港区六本木に存在した高級会員制クラブやレストラン、オフィスなどの複合ビル。

「Celebrity Choice Club」

元暴力団関係者が経営しているにもかかわらず、オープニングレセプションは読売新聞社の渡辺恒雄(その後同社会長)が運営委員を務め、司会は後に参議院議員となる女優の山口淑子が務めた。

さらにゲストとして町井の後見人の児玉誉士夫と親しい岸信介元首相や園田直衆議院議員などの政界人や、岡田茂三越会長などの財界人、三田佳子などの芸能人から各国の特命全権大使までが駆けつけた。

オープン後も、「Celebrity Choice Club(セレブリティーが選択するクラブ)」の名の通り、長嶋茂雄や石原裕次郎、E・H・エリックやデヴィ・スカルノ、アラン・ドロンなどの著名人が毎晩のように訪れるなどの盛況を見せた。

(転載ここまで)

この「TSK・CCCターミナルビル」は、暴力団「東声会」の組長「町井久之」が建てたものです。

町井久之 – Wikipedia

そして、「町井久之」は「山口組」の三代目組長「田岡一雄」の盃を酌み交わし、その舎弟となった人物でしたね。

町井久之 – Wikipedia

そして、「田岡一雄」といえば「笹川良一」とも飲み友達でしたよね。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

はい。ここで一気に「海老蔵」と「笹川良一」がつながってしまいました。

簡単にまとめると、こういう感じですね。

■市川海老蔵 → 石元太一 → 三田佳子 → TSK.CCCターミナルビル → 町井久之 → 田岡一雄 → 笹川良一

ということは、「海老蔵」はイルミナティの核心人物である「麻生太郎」ともつながってしまうことになります。

なぜなら、「麻生太郎」と「笹川良一」は昔からとても深い関係があるからです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

そして、実を言うと、「日野原重明」も「笹川良一」とは大の仲良しだったようです。以下の記事が、その証拠です。

〈笹川良一〉

(以下、こちらから転載)

日野原氏の最大の功績は日本における「予防医療」の普及だろう。

「病気になってから病院に行くより、病気になる前に行って予防した方が本人のためにも社会のためにも良いはずだ」

そう考えた日野原氏は1973年に「財団法人ライフ・プランニング・センター」を立ち上げ、予防医療の普及に半生を捧げた。

最初にやったのは「家庭での血圧測定」だった。

今でこそ、家庭に血圧計があるのは当たり前だが、当時、血圧測定は「医療行為」とされ、病院で医師や看護師に測ってもらうしかなかった。

面倒だから誰も普段から血圧は計らない。ある日突然、脳溢血や心臓発作など高血圧に由来する病気で倒れるのだ。

氏は厚生省(現在の厚生労働省)と掛け合い、家庭での血圧測定を認めさせる。

一方でライフ・プランニング・センターは全国を巡回し、プロの看護師が主婦たちに血圧計(当時は水銀を使っていた)の使い方を教えた。

ライフ・プランニング・センターの設立にあたって、資金を提供したのは財団法人日本船舶振興会(現日本財団)の笹川良一会長(1899-1995、当時)だった。

笹川氏は自らの主治医でもあった日野原氏の思想に共鳴し、センターの活動資金として日本船舶振興会から3億6000万円を拠出、さらに東京・港区にある笹川記念館の11階フロアを権利金・敷金なしの破格の家賃で貸した。

毀誉褒貶の激しい笹川氏から支援を受けることについて、周囲は反対したが、日野原氏は「世のため人のためにお金を使おうとしている今の笹川氏は立派な人だ」と話し、堂々と金を受け取った。

理想を実現するためには、現実と向き合う。

そんなプラグマティズム(実用主義)が氏の真骨頂だった。

(転載ここまで)

「日野原重明」が「ライフ・プランニング・センター」なる建物を設立する際に、なんと「笹川良一」が3億円ものお金を援助したとのこと。(対談の中で、聖路加病院の設立のために援助したとお話しましたが、正しくはライフ・プランニング・センターでした。訂正してお詫びいたします。)

さすが「笹川良一」。毎年、国から助成金として「200億」をもらっているだけのことはあります。この助成金についての詳細は、以下のリンクをご参照ください。(これまた対談の中で、600億と言いましたが、正しくは200億でした。訂正してお詫びいたします。)

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

しかし、彼ら二人がもともと何の縁もなければ、「笹川良一」がいきなり「日野原重明」に3億もの大金をあげるわけがない。

彼ら二人は赤の他人どうしではなく、もともと何らかの深い関係があったということです。

それこそ、どちらもイルミナティ(フリーメーソン)に所属する仲間であり、ホモ仲間だったのではないでしょうか。

このように、「笹川良一」と「日野原重明」とにつながりがあったということは、当然、「市川海老蔵」と「日野原重明」も一気に一つにつながってしまうことになります。

簡単に言うと、こういうことになりますね。

■市川海老蔵 → 石元太一 → 三田佳子 → TSK.CCCターミナルビル → 町井久之 → 田岡一雄 → 笹川良一 → 日野原重明

このように「市川海老蔵」と「日野原重明」がつながっていたということになると、当然、「海老蔵」と「日野原重明」が結託し、「小林真央」を利用した上で「癌利権」がボロ儲けできるように画策した、という疑いは濃厚になります。

そもそも、今回の対談の中でもお話しています通り、「小林麻央」は乳癌と診断された後、一度もテレビに出なくなりました。

しかし、乳癌になったぐらいでテレビに出られなくなるわけがありません。

実際、「北斗晶」も乳癌にかかりましたが、彼女はその後もテレビにはバンバン出ていました。

なので、私は「小林真央」はテレビに出られなくなった時点で、既に死んでいたのではないかと疑わざるを得ません。

しかも、彼女がどこの病院に入院していたのかも定かではありません。

もともと「聖路加病院」に入院していて、その後、「慶応病院」に移ったとの噂もあるようですが、これもまた憶測の域を出るものではありません。

小林麻央はどこの病院で目撃?現在は聖路加でなく慶應義塾大学病院だった!

入院している病院も特定できないとは、一体どういうことなのでしょうか。

芸能人だから沢山の人たちが駆けつけてくるかも知れない、だから入院している病院を知られないように配慮した、ということなのでしょうが、それならどうしてマスコミは「聖路加病院」か「慶応病院」にいるなどとの報道を垂れ流したのでしょうか。

やはり、「小林真央」はこのときにはもう既に死んでいたのではないでしょうか。だから、入院した病院すら誰にも分からなかったのではないでしょうか。

それに何より、「小林真央」が入院した後の写真が、明らかに別人にしか見えません。

〈入院した後の小林麻央〉

以下は、入院する前と後の比較写真です。(出典はこちら

いくら病気になり、スッピンになったからと言って、ここまで人相が変わってしまうものでしょうか。

目の形はもちろん、鼻の形もかなり違うように見えます。

単なる目の錯覚でしょうか?

これらのことから考えて、やはり「小林麻央」は乳癌にかかったためにテレビに出なくなったわけではなく、最初から死んでいた、いえ、もっとはっきりと言うなら、最初から殺されていた、と考えざるを得ないのです。

それなら、彼女が急にテレビから消えた理由も納得ができます。

では、なぜ彼女が殺さなければならなかったのかというと、先ほども言いました通り、「海老蔵」を有名にするためです。

悪魔に自分の親しい人間の命を捧げることで、自らの知名度をさらに高めようとしたのです。

特に「歌舞伎」の世界では、次から次へと多くの人々が短命で死んでいます。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

10月31日ハロウィンの日に起きたロシア機エアバスA321墜落事件と、異常に増えつづける有名人の死亡者数について。

ですから、「歌舞伎」の世界では誰かが誰かを殺すということは、それほど特別なことではないのではないのかも知れません。

しかし、「海老蔵」としては、自分と親しい誰かを殺すことは忍びなかった。

なので、あれこれと考えた末、自分の好きではない人物を殺すことにした。

そんなことをしたら、悪魔に生贄を捧げたことにはなりませんが、それでも一応、自分の嫁を殺せば、最も親しい人を殺したという風に悪魔に見せかけることができます。

実際、「海老蔵」にとって「小林真央」は好みのタイプではなかったようです。

これは、芸能関係者の間では有名な話のようです。

(以下、こちらから転載)

■市川海老蔵が小林麻央を選んだ本当の理由

2010年に起きた関東連合幹部との暴行事件後は一時期、大人しくなったものの、結婚した小林麻央の周辺からは派手な女関係を心配する声はいまだに根強い。

今まで彼を通り過ぎて行った女性は数知れずと言われてます。歌手、モデル、女優、タレントと…

現在は結婚し二児のパパなのは皆さまもご存知だと思われますが、そんな海老蔵さんが妻として選んだのは当時フリーアナの小林麻央さんでした。

数えきれないほどの女性がいて結婚相手も選び放題だったのはずの海老蔵さんが梨園の妻として自分の妻に小林麻央さんを選んだのには理由があるようです。

■小林麻央は市川海老蔵の好みの女性ではない?

「海老蔵は小林麻央のことを『ハイ、ハイ』と何でも素直に従う都合のいい女と思っている。また、『スルメのような女は嫌い』とも言っています。

意味するところは不明ですが、そもそも、海老蔵は麻央が好みの女ではありません」

確かに、かつて浮名を流した巨乳の米倉涼子さん、佐藤江梨子さんのような派手さや豊満さは小林麻央さんにはありません。

「麻央に処女の匂いを感じたからでしょう。海老蔵は殴打事件があった六本木や西麻布に集まる男経験豊富な女ばかりとアバンチュールを楽しんでいましたから。麻央のような従順で処女の女は初、ともっぱらの噂でした」

ちなみに海老蔵さんは米倉涼子さんとも結婚寸前のところまでいっていました。

海老蔵さんが20億円ほどの借金を負っていて、病気になってしまった父の代りに払わなければならない状態だったようです。

「小林麻央さんの父親は資産家では?」などとネットで噂もありましたが、実際は普通の銀行員なんですね。小林麻央さんの年収が1億円ほどあるのと、大手信託銀行に努めている父親の存在を理由に後援会がプッシュをしたようです。

お金だけではなく、年齢なども影響するとか。当時米倉さんはもう35歳でしたし。出産するとなるとデメリットもあります。歌舞伎という狭い世界なので子孫を残していけるというのも重要な要素のようです。

■ネットの噂は本当か?

ネットではこのように「借金を肩代わりしてくれるから」、「麻央さんは処女だから」の2つの理由があると言われていますが、実際には海老蔵さんの本能とお家柄にあるようです。

男性は付き合う女性と結婚する女性はタイプが違うとよく聞きます。

確かに今までお付き合いされた女性はグラマラスで派手、女の色気がムンムンって感じな方が多かったのですが、麻央さんにはその派手さはなく真面目でおしとやかなタイプです。

海老蔵さんは自分がスキャンダラスなので結婚相手は真面目で浮ついた噂のない女性を選んだのでは?とも予想される。

今までの米倉涼子やサトエリは派手だし男ウケもするがどちらかと言うと家庭的ではなく、男性からの誘惑が多そうなだけに、もしかしたら浮気だってするのかもしれない。

その点、麻央さんは家庭的で一筋、浮気とは無縁のような雰囲気の女性である。そんな女性を海老蔵さんは本能で探し当てたようです。

ネットではいい加減な噂が流れていますが、お家柄とか云々じゃなくただ単に海老蔵さんは麻央さんの事が大好きなのですね。色んな女性を見てきた中でも今までで一番好きになったのが麻央さんだっただけのようです。

やはり一番の理由は海老蔵さんが麻央さんの事を大好きだったのです。妻として選ぶ理由にこれ以上はないですね。

(転載ここまで)

はっきりと言いますが、男性が付き合う女性と結婚する女性とを区別する、なんてことは普通は考えられません。

どんな男であろうと、好きだから結婚するものです。これは当たり前のことです。

しかも、この記事を読む限りでは、「海老蔵」は過去にはっきりと「小林真央」のことを嫌いだと言っていたようですね。

ならば、なおさら彼女と結婚するはずがない。

なのに、なぜ彼女と結婚したのかというと、「自分の嫌いな人なら悪魔への生贄として捧げても惜しくはない」と思ったからではないでしょうか。そうとしか考えられません。

つまり、「海老蔵」は悪魔すらも騙したということですね。

自分の好きでもない人と結婚しておいて、その妻を殺し、きちんと親しい人を生贄として捧げたでしょ、と言って悪魔をも煙に巻いたわけです。

なんとも残酷な話ですが、「海老蔵」なら、それぐらいのことは朝飯前でしょう。

また、「日野原重明」が設立した「聖路加病院」にはもともと分院があったのですが、この分院が今の「国立がん研究センター」となっています。

そして、この「国立がん研究センター」を設立したのが「武見太郎」なる人物です。

〈武見太郎〉

そして、この「武見太郎」には自民党議員である「武見敬三」という息子がいます。

で、実はこの「武見敬三」。その姉が、「麻生太郎」の弟「麻生泰」と結婚しているのです。

つまり「麻生太郎」は、「癌利権」の核心人物と、義理の兄弟関係を結んでいるわけです。

〈武見敬三〉

(以下、こちらから転載)

武見 敬三(たけみ けいぞう、1951年(昭和26年)11月5日 – )は、日本の政治家、元ニュースキャスター。自由民主党所属の参議院議員(4期)。

元厚生労働副大臣。学歴は慶應義塾大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。

学位は法学修士(慶應義塾大学)。家族は妻と2男1女。

日本医師会の会長であった武見太郎の子息。
 
麻生グループ代表麻生泰(麻生太郎衆議院議員の弟)の和子夫人は姉であり、武見自身麻生太郎とは母方のはとこにあたる。


(転載ここまで)

系図で見ると、このようになりますね。

こうなってくると、「麻生太郎」が「癌利権」にも深く頭を突っ込んでいることは明白です。

さすがはイルミナティの重鎮です。どんな悪いことにも「麻生太郎」は関わっているというわけです。恐れ入ります。

また、最後に補足として付け加えておくと、「乳癌」にかかる可能性がある人が、「乳癌予防」のために乳房を切除することを日本国内で最初に承認したのも「聖路加病院」とのこと。
 
つまり、「乳癌予防」でボロ儲けできるように、日本で最初に画策したのが「日野原重明」ということですね。
 
一体、どこまで悪なのでしょうか。
 
(以下、こちらから転載)
 
■国内でも乳房予防切除 聖路加とがん研有明病院が準備
 
米人気女優アンジェリーナ・ジョリーさん(37)が受けたことで話題になった、乳がんを予防するための乳房の切除・再建手術について、聖路加国際病院(東京都)が病院内の倫理委員会で承認していることが20日までに分かった。
 
がん研有明病院(同)でも早ければ月内にも倫理委員会に申請する。
 
将来、乳がんになる確率が高いとはいえ、発症前の健康な体の一部を切除する手術の是非について論議を呼びそうだ。
 
遺伝性乳がんに関する遺伝子「BRCA1」か「BRCA2」に変異が見つかり陽性だった人が対象。
 
これまでは検診の強化で対応しているが、選択肢の一つとして予防切除をできる体制を整えることにしたという。現時点で切除の希望者がいるわけではないという。
 
これらの遺伝子のいずれかに変異があると、50歳までに乳がんを発症する確率が33~50%、70歳までの確率は56~87%になるとの研究結果がある。
 
国内では約15人に1人が乳がんになり、乳がん全体の5~10%が遺伝性との海外データがある。
 
約20万~23万円の検査費用と約70万~100万円の切除費用は自己負担。再建手術は術式によってさまざまという。
 
がん研有明病院では、遺伝子検査はすでに実施しており、陽性だった場合には、早期にがんを見つけ治療するため、医師の診察を3カ月ごと、マンモグラフィーなどの画像検診を半年ごとにするなど、検診を強化している。
 
厚生労働省医療課によると、国内の公的な医療保険制度は基本的に予防関連の医療を対象としておらず、乳がんの予防切除は保険の適用外。
 
同課の担当者は「予防を認めるとなると乳がんのみにとどめるわけにはいかず、大きな議論が必要になる」と述べ、適用拡大は難しいとの認識を示した。
 
現在、この遺伝子検査は国内の80以上の医療施設で受けることが可能で、導入された2008年以降、約1600人が検査を受けた。
 
(転載ここまで)
 
「BRCA1」、「BRCA2」などという遺伝子のせいで、乳癌になるそうです。
 
またしても、竹中平蔵式ですね(笑)。
 
素人には分からない難解な言葉を使って、国民を煙に巻いて騙すという戦法です。
 
「あなたの体内からBRCA1、BRCA2が検出されました」と言われても、素人はそれをそのまま信じ、受け入れるしかありませんから。
 
そして、素人はそう言われると、不安になってどんな大金を払ってでも癌を切除したくなります。
 
しかも、この遺伝子を発見された人たちは「人間ドッグ」で検診を受けられるぐらいの金持ちなので、治療費を死ぬまできちんと払ってくれることでしょう。
 
かくして、「日野原重明」や「麻生太郎」など「癌利権」関係者はボロ儲けにボロ儲けを重ねてきたというわけです。
 
ということで、今回は主に「癌利権」についてのお話をしましたが、今回の対談は、最後の最後に「台湾」について軽く触れたところで終わりになっています。
 
そして、もちろんこの対談には続きがあります。
 
ここ最近、私はブログ以外の活動にかなり忙しく奔走しているため、定期的に記事を更新できるかどうか分かりませんが、できる限り、近いうちに次の記事を更新したいと思っています。
 
どうぞお楽しみに。

RAPT×読者対談〈第132弾〉リチャード・コシミズの正体。(麻生太郎とアヘン貿易の仲間たち)

タイトルにも書きました通り、ついにリチャード・コシミズの正体が判明いたしました。
 
ここ最近の一般記事では、「麻生太郎」がイルミナティの中心人物であるということを具体的に立証してきたわけですが、こうして「麻生太郎」がイルミナティの中心であると分かった上でこの世のことを調べていくと、今まで分からなかった謎が次々と解明されるようになりました。
 
その結果、「ベンジャミン・フルフォード」や「朝堂院大覚」といったインチキ陰謀論を広めている人たちが、実は「麻生太郎」と深いつながりがあった、ということまで分かってきました。これは以下の記事を読んでいただければ分かります。
 
「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。

彼らのようなインチキ陰謀論者がこの世に数多くはびこっているのは、結局のところ、すべては「麻生家」の差し金であり、「麻生家」「天皇家」「ロスチャイルド家」の悪事を隠蔽するための工作だったというわけです。
 
そもそも、「麻生太郎」の甥である「麻生巌」も、ニコニコ動画を運営している「ドワンゴ」の取締役であり、このニコニコ動画も「麻生太郎」をやたらと賞賛したりして、ネトウヨなる人間たちを大量生産してきたという経緯があります。
 
麻生巌 – Wikipedia

〈麻生巌〉

しかも、「麻生巌」は「2ちゃんねる」を運営している「西村博之」と一緒にニンテンドーDSで遊ぶほどの大の仲良しなのだそうです。

(以下、こちらから転載)

麻生 巌(あそう いわお、1974年7月17日 – )は、日本の実業家。学位は学士(経済学)(慶應義塾大学)。株式会社麻生代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役、カドカワ株式会社社外取締役。

来歴・人物

1974年、実業家の麻生泰の長男として生まれる。5歳まで父方の実家である福岡県飯塚市で育つ。

松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部を首席で卒業。

1997年、日本長期信用銀行入行。金融商品開発部に配属されるも、翌1998年に戦略的退職。1999年から2000年まで、ケンブリッジ大学に留学、国際関係論を専攻。

25歳で、家業である麻生セメントの監査役に就任する。翌年には26歳で麻生セメントの取締役に就任。

その直後、同社は組織改編を行い株式会社「麻生」となる。

取締役に就任するとともに、医療事業開発部と新規事業開発部の部長を兼任。

2004年7月、従来の役職に加え、麻生グループ全体を統括するグループ経営委員会の委員に就任した。

2005年4月、医療事業本部の本部長に就任。2005年6月には、従来の役職に加え、常務に就任した。

また、同年12月にはドワンゴの取締役に就任した。

2006年6月、常務から専務に昇任したが、取締役、グループ経営委員会委員、医療事業本部本部長、医療事業開発部部長などはそのまま兼任。

2008年4月、従来の役職に加え、さらに東京支社の支社長も兼任する。

2008年10月、専務から副社長に昇任するとともに、医療事業開発部の部長は退任した。

2008年4月には、さらに不動産事業本部の本部長も兼任。

2010年、父・泰が社長を退き代表権のある会長への就任にともない、後任の社長に就任。

(中略)

趣味はテレビゲームやカードゲームである。

『カルドセプト』や『Demon’s Souls』などを好む。ドワンゴ会長の川上量生とは飲み会で知り合い、マジック:ザ・ギャザリングの話題で意気投合、のちにドワンゴの取締役に就任することになった。

川上や2ちゃんねる管理人だった西村博之らと焼き肉屋叙々苑でニンテンドーDSに興じることもある。

サイバーエージェント社長の藤田晋とも仲がいい。

父方、母方の双方から大久保利通の血を継ぎ、2007年末の「Venture(企業家倶楽部)」ではインタビュアーから大久保利通と似ているとの指摘を受けている。

(転載ここまで)

「2ちゃんねる」というと、この世の様々な人(または企業や団体)の悪口をひたすら書きまくって、善良なる人の名誉を次々と貶めてきた史上最悪のどうしようもないサイトですが、そのサイトを作ったのも「麻生太郎」の仲間だったということです。

つまるところ、この世の中に色々なエセ情報を垂れ流して、日本国民を騙してきた確信犯が「麻生太郎」だったということですね。

そして今回、ネット上でインチキ陰謀論をこの世に広く普及させてきた核心人物「リチャード・コシミズ」の正体までもがはっきりと分かりました。

結論から先に言うと、やはり彼もまた「麻生太郎」の仲間でした。

しかも、「麻生太郎」とは先祖代々、かなり親しい関係にある一族から生まれた人物です。

先ず、今回の読者対談では、後半のところで「台湾」についてざっと簡単に触れましたが、ここに彼の正体を解くヒントが隠されていました。

前回の「台湾」に関する話をざっと簡単にまとめると、こういうことになります。

インチキ陰謀論者「朝堂院大覚」は「松浦家」の人間であり、「麻生太郎」とも歴史的につながりのある人物である。

「松浦家(松浦隆信)」は、かつて長崎県にあった「平戸藩」の藩主であった。

「松浦隆信」はなぜか中国人の「鄭芝龍」のことを寵愛していた。

「鄭芝龍」は日本人の「田川マツ」と結婚して、「鄭成功」という息子を生んだ。

そして、この「鄭成功」が、後に「台湾」を建国した。

(以下、こちらから転載)

鄭 成功(てい せいこう、拼音:Zhèng Chénggōng、チェン チェンコン、繁体字: 鄭成功; 簡体字: 郑成功、寛永元年/大明天啓4年7月14日(1624年8月27日) – 大明永暦16年5月8日(1662年6月23日))は、中国明代の軍人、政治家。

出身は福建省泉州市。元の諱は森。字は明儼。日本名は福松。

清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった。

様々な功績から隆武帝は明の国姓である「朱」と称することを許したことから国姓爺とも呼ばれていた。

台湾・中国では民族的英雄として描かれており、特に台湾ではオランダ軍を討ち払ったことから、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されている。

日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川マツの間に生まれた。

鄭成功の父、鄭芝龍は福建省泉州府の人で、平戸老一官と称し、平戸藩主松浦隆信の寵をうけて川内浦(現在の長崎県平戸市川内町字川内浦)に住んで田川マツを娶り鄭成功が産まれた。

たまたま、マツが千里ヶ浜に貝拾いにいき、俄に産気づき家に帰る暇もなく、浜の木陰の岩にもたれて鄭成功を出産したという逸話があり、この千里ヶ浜の南の端にはこの逸話にちなむ誕生石がある。

幼名を福松(ふくまつ)と言い、幼い頃は平戸で過ごすが、7歳のときに父の故郷福建に移る。

鄭一族は泉州府の厦門島、金門島などを根拠地に密貿易を行っており、政府軍や商売敵との抗争のために私兵を擁して武力を持っていた。

15歳のとき、院考に合格し、泉州府南安県の生員になった。

以後、明の陪都・南京で東林党の銭謙益に師事している。

(転載ここまで)

このように「台湾」を建国した人物は、「松浦家」と関係の深い(日本人と中国人の)ハーフだったわけです。

ここから話はとんでもない方向へと進んでいきます。

「鄭成功」が台湾に築いた「鄭氏政権」は、その後、「清(当時の中国)」に滅ぼされたのですが、さらにその後、「清」は日本と「日清戦争」をして敗北します。

その結果、日本は「台湾」を「清」から奪い取ることに成功したのですが、このときに活躍したのが「辜顕栄(ごけんえい)」なる中国人です。

辜顕栄 – Wikipedia

〈辜顕栄〉

この「辜顕栄」が、日本の「台湾」統治を強力に推し進めていったのです。

その結果、彼は日本政府からも認められて出世し、さらには「アヘン貿易」を行って巨大な資産家としてのし上がっていきました。

(以下、こちらから転載)

辜 顕栄(こ けんえい、1866年 – 1937年。中国語: 辜 顯榮、ピン音Gū Xǐan róng)は、日本統治時代の台湾における実業家、政治家。字は耀星。台湾彰化県鹿港出身。

日本の台湾統治に積極的に与した台湾島人有力者、いわゆる「御用紳士」として評されることが多い。贈従五位。

(中略)

辜は当初、日本軍からスパイではないかと疑われたものの、結局日本軍を台北まで案内し、無血入城させた。

その後7月に日本の近衛師団が台湾を南下する際には辜も同行し、軍の道案内や抗日勢力の誘降を担当し、時には自ら現地の壮丁を「義勇軍」として組織して日本軍を支援した。

12月には日本に招待されて、東京にて内閣閣僚から歓待された上、勲六等を叙勲された。

一方で日本の領台初期には日本側から抗日勢力との関係を疑われており、逮捕もされている。だが程なくして疑惑は晴れ、釈放された。

1896年1月、辜顕栄は台北保良局長に任じられ、台北の秩序維持にあたった。

保良局自体はほどなくして廃止されるが、1909年に台中庁参事、1920年に台中州協議会員、1921年に台湾総督府評議会員に任じられた。

また1896年に樟脳の製造と販売の許可を日本当局から受け、後には塩田開設やアヘン、タバコ販売の特権も認められて、新興の台湾土着資本家として台湾五大資産家に名を連ねた。

1900年以降には開墾事業にも進出し、台中のニ林や鹿港、屏東で広大な土地を得ることとなる。

(転載ここまで)

このように、「辜顕栄」は「アヘン貿易」で財を成した人物です。

表向きには台湾の創設に関わった「英雄」で、その実、裏では「巨悪」を行っている。

この構図は、日本の「天皇家一族」とよく似ていますね。

やはり彼らもまた悪魔崇拝者(イルミナティ)一味だということでしょう。

で、当時の中国で「アヘン貿易」を積極的に推進していったのが、ロスチャイルド系の企業「ジャーディン・マセソン」でしたよね。

そして、この「ジャーディン・マセソン」の横浜支店の社長を務めていたのが、「麻生太郎」の曾祖父「吉田健三」でしたね。

ですから、「辜顕栄」と「麻生家」は裏では深くつながっていると考えられているのですが、実際にそのつながりは今でも強力に保たれています。

では、どれぐらい強力に保たれているのかというと、実は「辜顕栄」の子孫が今でも「麻生太郎」のブレーンを務めているのです。

そのブレーンの名を「リチャード・クー」と言います。

〈リチャード・クー〉

(以下、こちらから転載)

顕栄の子である辜振甫(実業家・海峡交流基金会理事長を歴任)と辜寛敏は、実業家として成功するとともに、総統府資政など公的役職を歴任した。

辜振甫は台中に農地6000甲、塩田350甲などの膨大な遺産を相続した。

寛敏の子にあたるリチャード・クーは、野村総合研究所研究創発センター主席研究員・チーフエコノミストを務めている。

(転載ここまで)

この「リチャード・クー」が「麻生太郎」のブレーンとして、これまでずっと大活躍してきました。

(以下、こちらから転載)

リチャード・クー(Richard C. Koo)はアメリカ国籍のエコノミスト。野村総合研究所研究創発センター主席研究員、チーフエコノミスト。

1954年、兵庫県神戸市生まれ、東京育ち。1976年カリフォルニア大学バークレー校卒業(政治経済)。

ジョンズ・ホプキンス大学大学院にて経済学修士課程修了(MA in Economics)。1981年にニューヨーク連邦準備銀行入行。

国際調査部、外国局などでエコノミストとして活躍した後、1984年11月に野村総合研究所に入社。現在、同社の主席研究員、チーフエコノミスト。

内閣府経済動向分析・検討会議委員、早稲田大学客員教授などを務める。

講演活動を世界各地で行っている。

2007年6月8日には麻生太郎衆議院議員の政治団体素淮会の支出により講演をした。

デフレ不況の経済状況を示すモデルとして「バランスシート不況」を提唱している。

そのモデルに基づき、1990年代後半からは積極財政政策を強力に主張し、供給側の改革を主張する論陣とぶつかった。

そのため、大きな政府を主張する代表的なエコノミストの一人と考えられている。

ケインジアンの一人と目されることも多いが、ケインズ経済学の問題点についても指摘している。

(転載ここまで)

太字の部分を見ると分かる通り、彼は「麻生太郎」からお金をもらって講演をしています。

「麻生太郎」の作ったインチキな政策について、「竹中平蔵」のごとくインチキな経済学的知識で「素晴らしいもの」だと人々に説明し、説得していったわけです。

そして、このような人物のことを世間一般では「ブレーン」と呼びますね。

「アヘン貿易」をやってボロ儲けした「台湾人」の子孫が、同じく「アヘン貿易」をやってボロ儲けした日本の政治家のブレーンを務め、しかもその政治家が今や日本の副総理として君臨している、というわけです。

悲しいかな、これがこの世の現実なのです。

(以下、こちらから転載)

■麻生首相・政策「ブレーン」の正体

2008年現在、台湾財界の「独裁者」と呼ばれる辜一族の始祖・辜顕栄(ゴケンエイ)は、台湾中部の鹿港と呼ばれる地方の豪商・豪族の出身であった。

辜顕栄は、青年時代から働く気がなく、生まれ故郷を捨て、台北へホームレスとして流れ込み、港でコメ輸出の人足等の仕事で、その日暮らしを行っていたが、やがて人足を、まとめ上げ船会社に派遣する「手配師」、つまりヤクザのボスとなる。

中国大陸向けのコメ輸出が台湾・台北の重要産業となっていた19世紀末の事である。

当時、台湾では中国本土の清王朝の政治家・官僚達が本国の眼の届かない事を利用し、盗賊化し、台湾市民の財産を強奪し、子女を強姦する等、犯罪組織化し、それが「公式の権力・政府機関」となっていた。

「辜」は「罪・罪人」を意味する。

「無辜」で「無垢」つまり犯罪者ではない事を意味する。

辜の名前は犯罪歴のある人間、という意味であり、辜顕栄は、こうした清王朝の無法に反逆し、犯罪者のレッテルを貼られた罪人であった。

中国では、辜という氏名は、ほとんど存在しない。「あいつは犯罪者だ」という意味のニックネームが、そのまま辜顕栄という氏名になってしまったのが、この一族の始まりであった。

辜顕栄は、清王朝への謀反心から、コメ輸出でも台湾で強い勢力を持っていたフランス系船舶会社に「拾われ」、その配下のヤクザとなり、清王朝系の輸出事業には関わりを拒否していた。

《RAPT註:このフランス系の会社がロイチャイルド系企業の「ラファージュ」であることは言うまでもないでしょう。》

この英仏の貿易船、それを護衛し「アジアへ侵略者として姿を現していた」この時代の英仏海軍に燃料・石炭を供給していたのが、日本の九州の麻生炭鉱(麻生グループ)であり、2008年、次期日本首相・麻生太郎の一族であった。

麻生グループの親会社は、現在、フランスのタンカー・船舶会社ラファルジュである。
 
フランス系船舶会社に拾われ、その実働部隊のヤクザとなった辜一族と、麻生一族の接点は、この時代に始まる。


19世紀末、日本軍が台湾へ軍事侵略を開始すると、辜顕栄は自分に犯罪者のレッテルを貼った清王朝打倒のため、この日本軍を利用し、日本軍上陸の道案内役を果たす。

1895年、戦争に勝利した日本軍が下関条約で台湾を支配下に置き、清王朝を台湾から追放すると、辜顕栄は、その「働き」を高く評価され、台湾と中国本土への塩、砂糖の輸出専売権を日本政府から与えられる。
 
塩の専売事業は中国大陸では、青幇、赤幇と呼ばれる中国マフィアの独占事業であり、塩の販売ルートは、そのまま麻薬の販売ルートであった。
 
辜顕栄は日本政府公認の台湾の地下マフィアのボス、中国本土のマフィアへの地下ルート・パイプを握る「日本政府公認のヤクザのボス」の地位を得た事になる。
 
注意すべきは、当時の台湾の支配者である日本政府の総督・後藤新平は、中国支配の資金捻出を麻薬売買で行うべき、と主張する「日本政府を代表する麻薬専売事業」の推進者であった。
 
後藤は内務省で薬物を扱う部署の局長(現在の厚生労働省に該当する)出身であった。
 
辜顕栄は、日本政府から中国侵略資金の調達係、つまり麻薬販売係を任命された事になる。
 
それだけ中国本土の麻薬組織とのパイプを辜顕栄が持っていた事を意味する。
 
この中国本土の麻薬ビジネスの実働部隊=担当者であったのが後の首相・吉田茂、つまり麻生太郎首相の祖父である。


既に、この時代、辜一族と麻生一族の「ビジネス・ネットワーク」は出来上がっていた。

1934年、辜顕栄は日本軍支配下の台湾政府で、貴族院議員になっている。

第二次世界大戦後、日本軍が敗北し台湾から撤退すると、辜振甫は日本軍への協力者として、蒋介石により投獄され全財産を没収されるが、出所後、香港に亡命し、そこで再び財産を形成し、台湾に戻る。

辜顕栄、その息子・辜振甫(庶子)は、親子二代に渡り華僑持ち前の商才を発揮し、現在、台湾・中国本土の両者で、和信電話、和信メディア、中国国際信託銀行、中信証券、中国人寿保険等、大手企業100社を超える一族経営の巨大コングロマリットを形成している。

財閥と共に、台湾マフィアのボスの地位を継承した辜振甫は、現在、台湾財界の総理大臣・独裁者と呼ばれている。

過去、成長著しい中国経済の資金需要の中枢を担って来た台湾財界。

そのボス中のボスが、この辜一族である。

蒋介石によって投獄された辜が、出所後に起死回生を図ったのが香港であり、香港は辜一族の第二の故郷である。

その香港財界と台湾財界を一体化し、台湾=香港=中国全土へと資金を流し込み、中国経済成長の原動力となって来た辜一族の活動のエネルギー源は、父のホームレス時代、犯罪者のレッテルを貼った「中国本土権力への、リベンジ」であった。

台湾から香港・中国への資金の流れ、「企業支配の流れ」は、このリベンジの流れであった。

そのリベンジは中国の市場開放において、現在「果たされつつ」ある。

このリベンジの「パイプ」、台湾と中国を結ぶ地下水脈は、旧日本帝国軍の与えた台湾と中国を結ぶ、マフィアの塩専売権(麻薬の専売権)のパイプの転用であり、その拡大生産版であった。

辜一族が、その出自から「生粋の日本支持者」である理由が、ここから生まれてくる。

また創業者をホームレス時代、「拾い、育ててくれた」フランス系貿易商社との「連携」こそ、この一族の成功の秘訣であった。一族にとって香港が第二の故郷であれば、欧州フランス系企業は、第三の故郷である。

現在、この辜(クー)財閥は、辜振甫の3男ジェフリー・クーが財閥全体を仕切っている。

APECなどにはジェフリー・クーが台湾代表として参加している。

そしてジェフリーの父=台湾財界の総理大臣と呼ばれた辜振甫の甥・辜寛敏は中国共産党への敵対心を激しく燃やし台湾独立の闘士として終生、戦い続けた政治運動家であった。

その息子が、次期日本首相・麻生太郎の「政策ブレーン」リチャード・クーである。
 
麻生・クー共に、欧州フランス・ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュの「子分連合」である。


2008年、リーマン・ブラザースが崩壊した。

長年、野村證券・野村総研の上級研究員として対中国ビジネスを指揮して来た「親日派」リチャード・クーは、一族の第三の故郷=ヨーロッパ企業=リーマン・ブラザース欧州支部買収に「指揮権を発動」した。

リーマンの中国ビジネスを「継承」する目算である(最終的にリーマンのアジア部門買収で妥結した)。

「日本・フランスと協力し中国王朝を打倒せよ」。

犯罪者のレッテルを貼られた創業者以来の、クー一族の「血が騒いだ」のであろう。

1930年代、クー一族と麻生一族の中国上陸の野望は、1945年の敗戦を持って失敗に終わった。

2008年、麻生首相のブレーンとなった、クー一族は、再び過去の失敗を繰り返すのか?

野村総研で、クーと同僚であった経済学者・植草一秀は小泉の郵政民営化を厳しく批判したため、「口封じ」のために強制ワイセツ罪を警察によって「デッチアゲ」られ、職を失い名誉も失い、葬り去られた。

文字通り、「社会的リンチ・魔女刈り裁判」であった。

(転載ここまで)

つまり、「リチャード・クー」なる人物はただの中国マフィアだということですね。

しかも、「リチャード・クー」の顔をよく見て下さい。

誰かに似ていると思いませんか。

そうです。対談の中でもお話していますが、かの有名陰謀論者「リチャード・コシミズ」とそっくりです。

しかも、二人ともなぜか「リチャード」と自称しています。

これが単なる偶然でしょうか。

とにかく、二人の顔をよく見比べてみて下さい。ドキッとする程、よく似ています。

〈リチャード・クー(左)とリチャード・コシミズ(右)〉

実際、ネットには「リチャード・コシミズ」についてこんな情報もアップされていました。

(以下、こちらから転載)

通名:輿水正 本名:李詠進 出身:福岡県 父親が在日一世

母親が中国福建省出身の帰化人 妻は中国人の謝明香

昭和63年2月離婚

理由:輿水氏の余りの嘘の多さに中国人の妻が愛想を尽かし出て行ったとの事

現在 マレーシア人と同居?

輿水氏は、イルミナティ、フリーメーソンなど触れる事もありませんが メーソンなしでユダヤを説明充分だと判断しているのか。

それとも触れられない理由でもあるのか。

コシミズは在日中共の工作員ですね。

(転載ここまで)

この情報が本当かどうかは分かりませんが、「リチャード・コシミズ」の出身地が「麻生太郎」と同じ「福岡県」で、彼の母親の出身地が「鄭芝龍(鄭成功の父)」と同じ「福建省」とあります。

ここまで来ると、単なる偶然として片付けることはできません。

いずれにせよ、「リチャード・コシミズ」もまた「麻生太郎(およびロスチャイルド)」の仲間だったというわけです。

どうりで彼はずっと「ロックフェラー」のことばかりを叩いて、「天皇家」や「ロスチャイルド家」のことには一切触れようとしなかったわけです。

これで彼の素性がはっきりと分かりましたね。

やはり怪しげな言動をとる人というのは、何かしら裏があるということです。

ちなみに、「李家」というとイルミナティの「13血流」として名前が挙げられている血族ですね。

(以下、こちらから転載)

(李家)

億万長者で香港を仕切る李嘉誠、中国前首相の李鵬、元首相の李先念、シンガポール元首相の李光耀など。

〈李光耀(リー・クアンユー)〉

李一族はイルミナティと密接な連携のもと、世界最強の犯罪同盟である秘密結社「三合会」を従え、新世界秩序構築に貢献している。

孫文や毛沢東の中国革命や共産中国経営も、権力中枢部に巣食う李一族の協力なしではありえなかった。

ちなみに李家は日本の最大の敵として位置づけられる家族である。

(転載ここまで)

そもそも、「リチャード」という姓も「李」という姓に由来がある気がしますし。(読みが「りー」ですから)

「台湾」というと、民進党の党首だった「蓮舫」もまた「台湾」の国籍を持っていたことで問題になりましたね。

〈蓮舫〉

そして、実を言うと、「蓮舫」の祖母もまた「アヘン貿易」でボロ儲けした人物の一人なのです。

つまり、「麻生太郎」や「リチャード・クー」の仲間だということです。

(以下、こちらから転載)

■蓮舫氏祖母・女傑・陳杏村の黒い霧と意図的二重国籍説浮上

蓮舫氏に、ここにきて意図的に二重国籍を利用したのではないかとする説が浮上しました。

〈謝哲信氏と蓮舫氏〉

父・謝哲信氏が亡くなった時に、蓮舫氏には大きな遺産が残されたはずです。

後述しますがそれもそのはず、謝氏は政商だった母・陳杏村の台湾バナナルートの日本事務所長のような立場だったからです。

巨額の金が謝氏の元にあつまり、黒い霧の中に消えていきました。

憶測の域を出ませんが、蓮舫氏が相続税を租税回避するために、台湾籍を捨てなかったとしてもそう不自然ではありません。

というのは台湾は、日本よりはるかに相続税が安いからです。

ここにも、彼女のもう一つの体質である、「違法ではないが、限りなく脱法に近い」ことをやってのける体質が現れているのではないか、と見る向きもあります。

〈蓮舫の祖母・陳杏村〉

蓮舫氏の祖母である陳杏村は、これはもう女傑、あるいは、女帝というにふさわしい存在でした。

戦時中に表向きのタバコ商の看板の裏で、日本海軍の裏工作であった阿片取引などに関わっていたとされています。

〈ロッキード裁判に出廷した児玉誉士夫〉

当時日本海軍は米国などのタングステンなどの戦略物資の禁輸で苦しんでいました。しかし、哀しいかな軍人にはどうしていいかわかりません。

そこで白羽の矢がたったのが、大陸に様々なパイプを持つ右翼の児玉誉士夫でした。

児玉は、上海を拠点にしてこの裏工作に当たります。これが俗にいう「児玉機関」です。

児玉は、1937年、外務省情報部長河相達夫の知遇を得て、中国各地を視察し、翌38年には海軍嘱託となり、41年から上海で児玉機関を運営しています。

この裏工作の資金源が阿片密売でした。
 
陳は、上海で児玉機関のための物資調達や、阿片密売の売り捌きなどに協力していたようです。
 
この阿片密売によって陳杏村は巨富をなし、児玉も戦後、日本に持ち帰った巨富を元手にして黒幕にのしあがっていきます。 


(転載ここまで)

このように「蓮舫」の祖母が「アヘン取引」をしていたということは、「蓮舫」もまた裏では「麻生太郎」や「リチャード・クー」と一つにつながっていることは間違いありません。

全く何の関係もない振りを装っていますが、彼らはみんなグルです。

しかも、「蓮舫」はいつも「第一野党」に入っては頭角を現し、その後、すぐに問題を起こして辞任しています。

(対談の中で、彼女が前にも一度、「党首」になったことがあると話をしましたが、「幹事長」の間違いでした。訂正してお詫びいたします。また、彼女が「一番じゃなきゃ駄目なんですか」と失言したのは、事業仕分けの「仕分け人」になったときのことですね。)

しかも、今回は「民進党」の党首になった上で「二重国籍問題」で叩かれ、それによって「民進党」が分裂してしまうという事態にまで発展してしまいました。

しかし、対談の中でもお話しています通り、「二重国籍」を持っていることは実はそれほど大きな問題ではありません。

これについては、既にマスメディアもかなり報道しています。例えば、以下の記事など。

蓮舫氏の『二重国籍』は問題なし。説明責任は法務省にあり / 奥田安弘×荻上チキ | SYNODOS -シノドス-

なのに、マスコミはさんざん彼女のことを叩いてきました。それはなぜでしょうか。

恐らく「蓮舫」は、「民進党」を乗っ取ってトップに立ち、わざと問題を起こして大きな批判を浴びて、「民進党」を破壊しようとしたわけでしょう。

マスコミとも連携をとって、「民進党」に大きな批判が集まるように工作したわけです。

そうすると、「麻生太郎」の所属する「自民党」を与党(第一党)としつづけることができますから。

つまり、彼女は「麻生太郎」から遣わされた「工作員」だったと考えられるわけです。

「蓮舫」と「麻生太郎」の先祖が同じ「アヘン貿易」仲間だった以上、その可能性は否定できません。

さらに興味深いことに、「蓮舫」の夫は「村田信之」という弁護士なのですが、この「村田信之」は「鄭成功」や「田川マツ」と同じ「長崎県佐世保市」の出身です。

これまた単なる偶然とは思えませんね。

村田信之は蓮舫の夫!職業やプロフィールは?娘と息子は双子?

〈村田信之〉

そして、この「蓮舫」と「村田信之」を結びつけた媒酌人が、ジャーナリストの「高野孟(たかのはじめ)」だそうです。

〈高野孟〉

そして、この「高野孟」は元共産党員で、「辻元清美」の政治資金集めのパーティにも参加したことがあるとのこと。

(以下、こちらから転載)

高野 孟(たかの はじめ、1944年4月17日(戸籍上は3月19日) – )は、日本のジャーナリスト、『インサイダー』編集長。東京都出身。

早稲田大学高等学院、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。元共産党員。2002年より早稲田大学客員教授。サイバー大学客員教授。東アジア共同体研究所理事。千葉県鴨川市在住。

高野実(後の総評事務局長)の長男として生まれる。なお、気功師で毛沢東主義の政治運動家・津村喬は弟。

かつては日本共産党の党員であり、大学卒業後に共産党系の通信社「ジャパンプレスサービス」(JPS)に入社したが、後に共産党とは袂を分かった。

ジャパンプレス退社後、広告・PR会社「麹町企画」勤務を経て、1975年からフリーランスでジャーナリスト活動を開始。ニューズレター「インサイダー」の創刊に参加する。1980年より株式会社インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任した。

1993年、村田信之・斉藤蓮舫夫妻の媒酌人を務める。

1995年、新党さきがけ政調会長の菅直人、前日本社会党委員長の山花貞夫、日本新党を離党した海江田万里らとリベラル東京会議を旗揚げした。このリベラル東京会議の設立が翌年の旧民主党結党のきっかけになった。

インターネット上での言論活動を、インターネットの草創期から他のジャーナリストに先駆けて行っていた。「東京万華鏡」「ざ・こもんず」を経て、現在はジャーナリストらのブログサイト「THE JOURNAL」を主宰。

2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。

(転載ここまで)

そして、この「辻元清美」もその夫が「元赤軍」であり、彼女自身も「赤軍」とはズブズブの関係なのだそうです。

(以下、こちらから転載)

辻元清美の内縁の夫である北川明は、 昭和50年、スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵。

西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終わり、公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意危険人物。

辻元の選挙区は大阪10区(高槻・島本)、氏の地盤の高槻市はあの赤軍の重信房子が潜伏、逮捕された場所であり、周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い土地である。

重信房子支援者が勤務していた高槻市の光愛病院の創設者は、日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド)赤軍派の元メンバー。 光愛病院は、日本赤軍支援グループの拠点、巣窟だった。

辻元の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属。 (辻本は早大在学中に極左団体と関係していた。)

(転載ここまで)

「赤軍」といえば、マルクス・レーニン主義、つまりは共産党員であり、なおかつ「よど号ハイジャック事件」を起こした犯人ですね。

よど号ハイジャック事件 – Wikipedia

ここに何かしら深い闇があるような気がします。

しかも、「よど号ハイジャック事件」を起こした「赤軍」のメンバーたちは「北朝鮮」に亡命したわけですが、「北朝鮮」と「日本」は国交断絶しているはずなのに、どうして「北朝鮮」が日本人を受け入れてくれたのでしょうか。

まあ、賢明なるこのブログの読者の皆さんにとって、その答えは簡単にお分かりでしょう。

北朝鮮はもともと「笹川良一」の弟である「畑中理(はたなかおさむ)」によって作られた国であり、つまりは日本人によって作られた国だからです。

日本と北朝鮮は、決して国交断絶などしていないのです。それがこの世の現実なのです。その証拠は、以下のリンクをご参照下さい。

北朝鮮のトップ「金正恩」は日本の天皇家の血筋です。

しかも、「蓮舫」と「辻元清美」もどことなく顔が似ています。やはり彼女たちも何らかの血のつながりがあるのではないでしょうか。

〈辻元清美(左)と蓮舫(右)〉

ということで、以下のようなつながりがはっきりと見えてきましたね。

■麻生太郎 → リチャード・クー → 辜顕栄 → アヘン貿易 → 仏ラファージュ(ロスチャイルド) → 陳杏村 → 蓮舫 → 高野孟(元共産党員) → 辻元清美 → 赤軍 → よど号ハイジャック事件 → 北朝鮮 → 畑中理 → 笹川良一 → 麻生太郎

さらに言うなら、「畑中理」が北朝鮮を建国する際にも、やはり「日本」の実業家が巨額の資金を出して協力しています。

その日本人の名を「野口遵」といいます。

〈野口遵〉

一応、以下が日本人が北朝鮮を建国していった詳しい経緯になります。

(以下、こちらから転載)

■北朝鮮は日本陸軍諜報員(金策)こと畑中理(はたなか、おさむ)が建国した

北朝鮮は戦前大日本帝国陸軍が大陸に送り込んだ工作員(中野陸軍学校出身)の日本人金・策(キム・チャク)こと畑中理(はたなかおさむ)構築した国家なのです。

北朝鮮を建国したと言われる故金日成(キム、イルソン)国家主席は、抗日独立戦争の英雄4人を合体して作り上げた単なる偶像です。

4人は戦闘中に亡くなったり暗殺されたりしてこの世にはいなかったことから、共産党の若手幹部の中で弁の立つ金一星に目を付けロシア(当時ソ連)で訓練を積ませ、抗日パルチザン(革命戦争における遊撃隊)で名を馳せた「金日成」を名乗らせたのです。

実際に国を取り仕切っていたのは側近の一人とされた金策(畑中理)でした。

金策こと畑中理は陸軍中野学校を卒業したエリート諜報員であり、敗戦によって頓挫してしまった大東亜共栄圏創設という偉業を引き継ぎ、何時の日か日本の下で大陸に王道楽土を建設するために、その橋頭堡(きょうとうほ)として北朝鮮を建国したのです。

本人は戦後になくなりましたが、その意思は息子である故金正日。(キムジョンイル)に引き継がれました。

金正日の母親は金日成夫人の金正淑(キムジョンスク)ですが、父親は金日成ではなく金策(畑中理)です。

金日成が1年半ほどロシアに行っている間に身ごもったのが金正日(キムジョンイル)ですから金日成(キムイルソン)も自分の子どもではないことを知っていたはずです、、金正日(キムジョンイル)の父親は日本人だったのです。

その金正日(キムジョンイル)亡き後、後継者だり金正恩(キムジョウウン)朝鮮労働党第一書記が使命を引き継いでいます。

■日本人が誰も知らない北朝鮮の真実

北朝鮮域で “核の研究・開発” を始めたのは、日本帝国だった。

しかし、タングステンも、核 (ウラン) も,途方もない大電力を必要とする。当時の貧しい北朝鮮域に、そんな大電力を供給する発電所があったのか?

なかった。だから日本帝国は、先ず、発電所 (ダム) づくりから始めた。朝鮮半島の北部地域には、豊富な水資源がある。これが今でも大洪水を起こす…。

今後、世界で最も逼迫する資源は、石油、水、ウラン、タングステンだ。この全てが北朝鮮にはある。無尽蔵にある! 

ここに最初に目をつけた人物が…。

日本帝国の実業家・野口遵 (のぐち したがう) だった。(今。北朝鮮の無尽蔵の地下資源は、日本を除く全世界の国々が狙っている。)

さて、野口遵 (のぐち したがう)
 
野口は、豊富な水資源がある鴨緑江と、支流の長津江、赴戦江に着目した。
 
この三大河川流をせき止めて大ダムを建設し、このダムから上流に30キロの大送水トンネルを掘り、大水流を日本海側に逆流落下させて発電するという稀有壮大な計画である。この壮大な計画を、野口は迅速に実行していった。
 
野口の大計画に全面協力したのは、日本陸軍 (宇垣一成) と朝鮮銀行だった。
 
そして、野口の計画どおりに大発電所 (ダム) 群が陸続と完成し、稼動し始める。
 
その総発電能力は、驚くなかれ、なんと 100万キロワット!
 
当時の世界一は、ソヴィエト連邦・ドニエプル発電所、31万kw。
 
ともかく日本は、断トツ世界一の発電能力をもつ巨大ダム群を北鮮に築造したのだ。
 
同時に、この巨大電力をフルに利用する大工業地帯も北鮮域につくっていった。
 
余談だが…。

巨大ダム群の一つが、朝鮮戦争時に話題になった 「水豊 (スプン) ダム」 だ。米軍が幾度も爆撃し破壊を試みたが、ついに堤防を破れなかったダムである。

こうして、大電力を確保した日本帝国は、化学繊維、窒素火薬、アルミ、石油精製、やがて、タングステンからウランの製造までをも開始する。

(転載ここまで)

もちろん、この「野口遵」も天皇家一族の関係者であり、彼が終生、ライバルとして意識していたのが同じく天皇家一族の「森矗昶(昭和電工)」なる人物とのこと。

(以下、こちらから転載)

野口 遵(のぐち したがう、1873年7月26日 – 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。

「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。

チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。

朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。

朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。

さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。

森矗昶、鮎川義介などと共に当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた。

■関連項目

森矗昶 ・昭和肥料(現・昭和電工)を率いた実業家。

野口遵が終生、ライバルとして意識していたという。

奇遇にも、野口遵の日本窒素肥料は水俣病、森矗昶の昭和電工は第二水俣病という公害病を引き起こした。

(転載ここまで)

ちなみに、この「森矗昶」はケムトレイルを作って気象操作を行い、ボロ儲けしてきた人物でしたよね。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

ケムトレイルも天皇家一族のボロ儲けの種。この世の陰謀論は、天皇家一族の悪事を隠すための情報撹乱である。

〈森矗昶〉

このように、「北朝鮮」は日本人によって建国された完全なる属国なのです。ある意味、日本の植民地と言ってもいいでしょう。

そもそも、「金正恩」という名前も、「麻生太郎」の曽祖父「麻生太吉」が建立した「正恩寺」と全く同じ名前でしたよね。これが単なる偶然でしょうか。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。

「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。

今やマスコミは、「北朝鮮」が日本にミサイルを落とそうとしている、などと言って連日のように騒がしく報道し、我々国民を不安のどん底に突き落としていますが、こうして日本と「北朝鮮」が一つにつながっている以上、「北朝鮮」が本気で日本にミサイルを撃ち落としてくるわけがありません。

なのに、政治家もマスコミも顔面蒼白になっ(た振りをし)ながら、「北朝鮮」のミサイルから日本を守ると言いつつ、今年も「5兆円」を超える防衛予算を計上しました。

18年度防衛予算、過去最大の5.2兆円を要求=関係者 | ロイター

これにて、安倍晋三の兄が勤めている「三菱」などが兵器製造でボロ儲けできる、という仕組みですね。

安倍晋三の兄は「死の商人」であり、安倍晋三はそのセールスマン。日本は着実に軍国主義の道に向かって進んでいます。

この「森矗昶」もやはり「聖路加病院」に入院した直後、自宅で死亡したとのことです。

ここでまたも「聖路加病院」の名前が出てきましたので、最後についでに「聖路加病院」について簡単に付け加えておきます。

「がん治療」や「がん予防」のために切除した肉片などのことを「医療廃棄物」と呼びます。

そして、実を言うと、「株式会社・麻生」もこの「医療廃棄物」の処理を業務として行っています。

(以下、こちらから転載)

株式会社麻生(あそう)は福岡県飯塚市に本社を置く企業。麻生セメントなどが属する麻生グループ全体の統括を行なう存在として位置づけられている。

麻生太吉が明治時代に飯塚市で始めた「麻生炭鉱」を源流とし、現在ではセメント事業、専門学校運営、病院経営、医療廃棄物処理など幅広い分野の事業を手掛けている。

(転載ここまで)

「癌」という病気が嘘である以上、「がん治療」や「がん予防」のために切除した肉片は、何ら病気になっていない健康な肉であることは間違いありません。

なのに、彼らはその肉片を数多くの病院から(お金をもらって)回収しているわけです。

では、彼らはその健康な肉片をその後どうしているのでしょうか……?

単に処分しているだけとは考えられません。

なぜなら、彼らは「人肉」を食べる(カニバリズム)人たちですからね。

間違いなくこの肉片を食べているはずです。

例えば、チベット仏教でも「人肉」を食べることが教理の中で定められています。

(以下、こちらから転載)

内容を特徴付ける主な言葉・概念を挙げると、以下のようなものがある。
「五欲徳」(色・声・香・味・触)
「五肉」(人肉・牛肉・犬肉・象肉・馬肉)
「五甘露」(糞・尿・精液・経血・肉体)
「大印」(女性パートナー)

こういった従来の顕教、あるいは世俗の社会倫理では忌避されてきたものを、真理の反映の過程として取り上げ、三昧の上においてはむしろ徹底的に享受・摂取することが、(その優越性・究極性を強調されつつ、)全面的に象徴化がなされ、それを肯定し推奨されて、現実の如く具体的に観想することが必要とされる。

ちなみに、「大印」(女性パートナー)は、言うまでもなく、「愛欲」(性理的瑜伽、二根交会)の象徴として文中に現れるが、その尊様の指定は、
十二歳の乙女(第七分、第十五分)
十六歳の乙女(第四分、第七分、第十六分)
二十五歳の乙女(第八分)
といった具合にバラつきがある。

(転載ここまで)

チベット仏教とは、日本の「西本願寺」に由来のある宗教です。

そして、この「西本願寺」には「麻生太郎」の曽祖父である「麻生太吉」も出家していましたよね。

「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。

しかも、「麻生太郎」が所属している「イエズス会」のローマ教皇「フランシスコ」も、悪魔崇拝を行う傍ら、幼児を虐待し、その生き血を飲んでいたことが分かっています。

現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。

ですから、「チベット仏教」や「イエズス会」と関わりのある「麻生家」一族が、「肉片(医療廃棄物)」を食べている疑いはとても濃厚なのです。

「まさか、そんなわけがない」と考えたあなた。残念でした。

実際、出産後の女性の「胎盤」を料理にして食べさせている病院が、この日本には存在しています。

(以下、こちらから転載)

胎盤は、胎児と通じるへその緒(臍帯)と母体をつなげていますよね

酸素や栄養、そして老廃物などをコントロールしているのです。

胎盤にはフィルター機能があるといわれています。

そのため、胎児に良くないものは通さないようになっているのです!!! 素晴らしいですね

でも、煙草のニコチンやアルコール、薬は場合によっては通すので、注意が必要です

先日、母親学級で、出産シーン映像を見ました。

その時に、胎盤も写されていたのですが、とっても真っ赤で、かなり大きかったです。

なんと、500gくらい あるそうですよ

でも、とっても胎児に重要な役割をする10カ月間お世話になるものですから、偉大ですわ

赤ちゃんを出産後、10分~20分後くらいに後陣痛がおこり、胎盤を排出します

この胎盤を食べるって言う習慣のあるところや、庭に埋めるってところがあるそうです

「胎盤を食べる」と知った時は、ビックリでした

産後の肥立ちがいいとか、母乳がでやすいとか、いろいろと意味があるようですが・・・。

食べた人の感想では、

 ・生臭い

 ・おいしい

 ・胎児によって胎盤も味が違う

など、ひとそれぞれの感想がありました

なんでも、赤ちゃんが元気であれば、胎盤も張りがあってしっかりしているそうです。

赤ちゃんの発育がよくなければ、小さかったり硬かったりするそうですよ

生レバー刺身のように醤油で食べたり、レバニラ炒めのように火を入れたりとイロイロな調理法で食べているようです

(転載ここまで)

しかも、産後に「胎盤」を食べると、「産後うつ」にも効果がある、などとも言われているようです。「そんなバカな」と言いたくなりますね。

(以下、こちらから転載)

■自分の胎盤からのプラセンタを摂取し、産後うつに対処可能?

意外な物が効果あり?

23日のCBS Losangelesのホーム―ページに、自分の胎盤から取ったプラセンタ錠剤を摂取すると産後うつに効果があるかもしれないという記事が発表されました。

胎盤は赤ちゃんが母親から栄養分やその他の重要な化合物を受け取ることを可能にし、さい帯を経由して子宮の壁に発​​達中の胎児をつなぐ、一時的な器官であり、オキシトシンという出産時に役立つホルモンを分泌します。

ほとんどすべての哺乳類は、出産直後に自分の胎盤を食べるので、この方法は理にかなっていることであると、発見したアン・ファーガソンさんは語ります。彼女はこのサービスをすでに開始しているとのことですが、反対意見もあるようです。

■反対意見と、摂取した体験談

ビバリーヒルズの産婦人科医、ピーター・ワイス医師は胎盤には細菌感染症、肝炎など多くの疾患を含んでいる可能性があるので、この行為は危険であると指摘し、以下のようにも語っています。

産後うつ病は、実際の疾患であるので、ただプラセンタの錠剤を摂取するだけで治すことはできません。

しかし、実際産後自分の胎盤から取ったプラセンタを摂取したステファニー・ジョンソンさんは、役に立っていると感じているそうです。彼女の母親と妹が産後うつになっていたそうですが、彼女は産後でも生まれたばかりの赤ちゃんと幸せと健康を感じているそう。

プラシーボ効果なのでしょうか?それとも本当に、プラセンタが効果を発揮しているのでしょうか?

どちらにせよ、産後うつは本当につらいもの。ないにこしたことはないですよね。

(転載ここまで)

このような屁理屈をこねまわして、我々一般人にもなんとか「カニバリズム」を普及させようという魂胆なのでしょう。

このように、この世の中には「人肉」を食べることを推進している人たちが実際に存在しているのです。

ならば、なおさら悪魔崇拝者たちが「医療廃棄物」を食べている可能性は否定できません。

そもそも、「医療廃棄物」のマークは、以下のような「CCC」です。そして、「C」とは「6」のことでしたね。

〈バイオハザードの記号(出典はこちら)〉

「666」なる「医療廃棄物」を食べて、サタンの力を自分の中に取り込もうというわけでしょう。全くもって気味が悪い話です。

ちなみに、「胎盤」を食べていた歴史上の人物に、「始皇帝」「楊貴妃」「西太后」などがいるようですが……。

闇で売られている程の“究極のプラセンタ!妊婦だけが得られるこのチャンス – NAVER まとめ

彼らは「不老不死」や「美容」のために「胎盤」を食べていたとのことですが、彼らはみんな悪魔崇拝者たちなので、本当のところは単に「カニバリズム」を楽しんでいただけでしょう。

つまり、サタンの力を自分の中に取り込もうとしていたわけです。

ついでに言っておくと、「麻生太郎」の祖父である「吉田茂」もまた「健康」ためと称して「人」を食べていたことを、暴露していたようです。

(以下、こちらから転載)

■人を食っております

(吉田茂は)日米修好通商百年祭に日本の代表として訪米し、外国人記者団に質問されたとき、元気な様子を褒められると、「元気そうなのは外見だけです。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの以外受け付けず、耳の方は都合の悪いことは一切聞こえません」と応じた。

特別の健康法とか、不老長寿の薬でも、という質問には、「はい、強いてあげれば人を食っております」とすました顔で即答した。

吉田は米寿をすぎてもまだ矍鑠としていたが、ある日大磯を訪れたある財界人がそんな吉田に感心して「それにしても先生はご長寿でいらっしゃいますな。なにか健康の秘訣でもあるのですか」と尋ねると、「それはあるよ。だいたい君たちとは食い物が違う」と吉田は答えた。

そういった食べ物があるのならぜひ聞きたいと財界人が身を乗り出すと、「それは君、人を食っているのさ」と吉田はからからと笑った。

これが吉田がこの世に残した最後のジョークとなった。

(転載ここまで)

「人を食っている」という言葉は「人をバカにしている」という意味にもとれますが、さすがに「麻生太郎」の祖父だけに、本当に「人を食っていた」とも取れなくありませんね。

いずれにせよ、皆さんはくれぐれも「胎盤が体にいい」などというデタラメを信じて、「カニバリズム」を行うような愚は犯さないようにご注意ください。

YOUTUBEが再生回数を意図的に減らした決定的証拠!!

以前から、YOUTUBEによる不正な再生回数の改ざんについて、私は何度も指摘してきました。
 
そして、いくつもの証拠をこれまで収集してきましたが、今回ははっきりとその証拠を皆さんにお見せしたいと思います。
 
つい最近、有料記事でおなじみの川田さんと私の家内がYOUTUBERとしてデビューしたのですが、その再生回数がどうもおかしい。そのチャンネルは以下になります。
 
KAWATAとNANAのRAPT理論
 
日によっては、全く一つも再生回数が動かないこともあります。
 
しかし、これがYOUTUBE側による不正操作であることは、既にこちらで確認済みです。
 
今回アップした動画が、その確たる証拠です。
 
この動画を最後まで見れば分かる通り、「KAWATAとNANAのRAPT理論」にて最初にアップした動画の再生回数が、はっきりと「969回」から「966回」に減らされました。
 
たった3回ですが、それでも意図的に減らされたことは明らかです。
 
何しろ、「969」と「966」で悪魔の数「6」と「9」ばかり。
 
さらに言うなら、「9+6+9=24=6+6+6+6」ですね。
 
悪魔の数「6」と「9(6を逆さまにしたもの)」を使って、必死で私たちのことを呪っているんでしょうか(笑)。
 
いずれにしても、今回のこの不正操作にはかなりの悪意を感じられましたので、急遽、このRAPTブログにてアップすることにいたしました。
 
彼らの不正の実態を、皆さんで思い切り情報拡散してください。
 
もっとも、この動画がどんなに広く拡散されたとしても、この動画の再生回数もひどく操作されて、それほど伸びることもないでしょうが、実際に表示される再生回数が問題ではありません。
 
どれだけ多くの人々にこの現実を知ってもらうかが重要です。
 
二度とYOUTUBEがこのような不正を働けないように、徹底的にYOUTUBEに打撃を加えていきましょう。
 
どうぞよろしくお願いいたします。

いかがでしたでしょうか。

悪魔崇拝者たちによって、情報操作はこれからも続いていきます。

嘘の情報に惑わされず、この世界を変えていけるような人たちが、もっと増えていくことでしょう。マスコミは嘘ばかりだと、すでに多くの人が気づいています。

一生に一度しかない自分の人生を、これから変えていきたいと願う人は、今すぐにその一歩を踏み出すことができるのです。

新約聖書

ヨハネの黙示録

キリストの再臨 22−14〜21

「命の木に対する権利を与えられ、

門を通って都に入れるように、

自分の衣を洗い清める者は幸いである。

犬のような者、

魔術を使う者、

みだらなことをする者、

人を殺す者、

偶像を拝む者、

すべて偽りを好み、

また行う者は都の外にいる。

わたし、イエスは使いを遣わし、

諸教会のために以上のことを

あなたがたに証しした。

わたしは、ダビデのひこばえ、

その一族、輝く明けの明星である。」

“霊”と花嫁が言う。

「来てください。」

これを聞く者も言うがよい、

「来てください」と。

渇いている者は来るがよい。

命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、

わたしは証しする。

これに付け加える者があれば、

神はこの書物に書いてある災いを

その者に加えられる。

また、この預言の書の言葉から

何か取り去る者があれば、

神は、この書物に書いてある

命の木と聖なる都から、

その者が受ける分を取り除かれる。

以上すべてを証しする方が、言われる。

「然り、わたしはすぐに来る。」

アーメン、主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、

すべての者と共にあるように。

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