古代ケルトとドルイド僧、生贄の起源は日本だった ゼロ磁場グッズ開発者、木村将人氏編

この世界は、人類が罪を犯してから救われることなく、数千年の時が経ちました。はるか昔から、神様と悪魔は戦い続け、いよいよ最後の時を刻もうとしています。

いまある世界も、古代から伝わってきた悪魔教に汚染されています。(日本では、仏教、神道、新興宗教では創価学会などに、悪魔教の嘘の教理がすでに混ざってしまっています。)ですから、現代人は心に闇を抱えて、毎日を過ごしているのです。

この世界で救われる道は、ただ一つ、本当の神様と共に生きることです。(偽善者に乗っ取られたキリスト教ではなく、聖書にある本当のキリスト教のことです。)

古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。

とうとうハロウィンの日がやって参りました。

日本や世界のあちこちで、多くの人びとがハロウィンをお祝いし、仮装して馬鹿騒ぎをしたり、お菓子を求めて家々を歩き回ったりしているのでしょう。
 
そして、一部の支配層たちは、これまでの慣例通り、悪魔のために子供たちを生け贄として捧げているのではないでしょうか。信じられないと思う方は、以下リンクを御覧ください。
 
ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。
 
島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
このようにハロウィンとは古代ケルトのドルイド教最大のお祭りであり、火の神エルフィンに生け贄を捧げるための日でした。
 
このハロウィンを日本で普及させた立役者の一人が「ディズニーランド」ですが、「ディズニー」はロスチャイルド系の企業ですよね。
 
このロスチャイルドも実はこのドルイド教の神官の末裔です。
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
しかも、彼らロスチャイルド自身、ハロウィンなどのお祝いの日には、趣味の悪い仮装パーティを行っているようです。(出典はこちら

あまりに悪趣味なので、見ているだけで気分が悪くなってしまいます。私は頭痛がしてきました。
 
彼らがこのような悪趣味なパーティをする際には、古代ケルトのドルイド教徒と同じく、きっと乱痴気騒ぎをし、乱交パーティをし、子供を生け贄として捧げるのでしょう。少なくともその可能性は否定できません。
 
ちなみに、このパーティが行われたのは、フランスにあるロスチャイルド所有のマンション「シャトー・デ・フェリエール」とのこと。
 
パーティ当日、このマンションは以下のようにオレンジ色にライトアップされ、華々しく光り輝いていたとのこと。

しかしながら、このドルイド教のお祭り、つまり生け贄儀式は、現在のみならず、古くから世界各地で行われていたことが分かっています。
 
といっても、世界各地にドルイド教という名前の宗教が広まっていたわけではありません。ドルイド教と全く同じような生け贄の儀式が世界各地で行われていたのです。
 
まずドルイド教の生け贄儀式は、「ドルメン」という巨石遺跡で行われていたことが分かっています。

〈アイルランドのドルメン〉

(以下、こちらから転載)
 
ドルイドが行った祭儀は、ギリシャ、ローマの歴史家や哲学者達が書き残した古文献などからその内容をうかがい知ることができる。
 
特に驚くべき祭儀は、「火炙り」の儀式と生贄を「剣で刺す」儀式である。
 
彼らには、1人の人間の生命を救うためには別の人間1人の生命が必要であるという考えがあり、また、太陽の神としてのタラニスを喜ばせ、穀物の実りと作物の豊穣をもたらしてもらうために「火炙り」の儀式を行った。
 
「剣で刺す」儀式は、未来のことを判断し予知するために行われた。
 
ドルイドが儀式を行う祭壇は、石舞台と呼ばれるつくりで、ドルメン(数個の支石の上に、1枚の大きな板石を乗せたテーブル形の構造を持つ墳墓遺構)のようなものであった。
 
そして、ケルトの部落があったと思われるところには必ずドルメンがあり、ドルイドの儀式は、ある意味で、部族の信仰と習慣、生活の中心をなしていたといえる。
 
(転載ここまで)
 
しかし、この「ドルメン」は、アイルランドなどの古代ケルトの文明圏のみならず、世界各地でとても数多く見付かっています。
 
例えば、中国、朝鮮、中東、インド、インドネシア、北部アフリカ、南アメリカなどです。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
支石墓 – Wikipedia
 
このように全世界に似たようなドルメンがあるということは、つまり世界中で古代ケルトと同じような生け贄儀式が行われていたということなのです。
 
いいえ。それだけではありません。実はこの「ドルメン」は日本でも幾つも見付かっています。
 
例えば、岩手県遠野市にある「続石」がその一つです。見ての通り、アイルランドにある「ドルメン」と全く同じような構造をしています。(出典はこちら

〈岩手県遠野市の続石〉

〈別の角度から〉

〈同上・別の角度から〉

また、熊本県にある「矢岳巨石群遺跡」もその一つです。
 
矢岳巨石群遺跡(ドルメン)  上天草市姫戸町姫浦 – みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

〈熊本県上天草市姫戸・矢岳巨石群遺跡〉

あと、世界最古のピラミッドと呼ばれている葦嶽山(あしたけやま)にもドルメンがあります。ただし、こちらはほとんど原型を留めてはいないようです。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
葦嶽山(広島県庄原市)
 
実はこういった「ドルメン」は、日本の神社の「鳥居」の原型ではないかとも言われています。実際、これらの「ドルメン」を見ていると、なんとなくそんな気がしてきますよね。
 
そもそも、世界の「ドルメン」の中には、明らかに「鳥居」を象ったとしか思えないようなものもあります。それが以下です。

これはロシアのコーカサス地方で見つかった「ドルメン」です。明らかに「鳥居」としか思えない形の彫刻が施されています。
 
もちろん、このブログの読者の皆さんなら、これが単なる偶然ではないことはもう既にお分かりのことと思います。
 
「秦氏」と名乗る古代ケルトのドルイド僧の一族が、その後、日本にやってきて、全国各地に次々と神社を建てていったわけですから。
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
つまり日本の神社は、古代ケルトの「ドルメン」と同じく、悪魔に生け贄を捧げるための場所だった、とも考えられるわけです。

まさかそんなわけがない、と思う人もいるかも知れません。
 
しかしながら、例えば芦ノ湖にある「九頭龍神社」では、実際に何人もの若い女性たちが、生け贄として自分の身を湖に沈めていった、という伝承が残されています。

〈九頭龍神社の鳥居〉

(以下、こちらから転載)
 
奈良時代、芦ノ湖が万字池と呼ばれていた頃、池には九頭の毒龍がすみついており、生贄を求めていました。
 
村人はその怒りを鎮めるために、屋根に「白羽の矢が立った」家の娘を泣く泣く生贄に捧げていました。(本来「白羽の矢が立つ」とはこのような語源といわれています。)
 
見るに見かねた箱根神社の祖、万巻上人は、九頭の龍を湖底に沈む「逆さ杉」に縛りつけ、法力を持って調伏させ、悔い改めさせました。
 
改心した龍は龍神にその姿を変えたため、それを見た万巻上人は社を建て、龍神を祭り、芦ノ湖の守り神として崇められるようになったと言われています。 (箱根神社資料より)
 
(転載ここまで)
 
ちなみに、これは「箱根神社」に残された伝承ですが、「箱根神社」と「九頭龍神社」は同じ「芦ノ湖」に鳥居があります。
 
このように、人々を生け贄として捧げていた場所に、実際にいくつもの「神社」が建てられているのです。
 
ですから、「神社」というのは、もともと悪魔への生け贄を捧げる場所であったと考えられるわけです。
 
また、これと同じような生け贄の儀式が、実は古代エジプトでも行われていました。

数多くの神官たちの見守る中、若い女性が自ら水の中に身を沈めていく……。
 
これは箱根で行われたことと全く同じではありませんか。
 
では、一体どうして日本で行われていたことと全く同じことが、古代エジプトでも行われていたのか。
 
古代エジプトにも日本にも同じドルイド教の神官がいて、彼らが悪魔に生け贄を捧げることを推奨していたからでしょう。
 
そもそも、上に出てきた「葦嶽山」は世界最古の人口ピラミッドだと言われています。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。
 
そのピラミッドは古代エジプトでもたくさん作られましたよね。
 
しかも、「葦嶽山」にはドルメンもあって、そのドルメンは古代ケルトで栄えたもので、その古代ケルトでは生け贄儀式が行われていて、それと同じ生け贄儀式が日本でも行われていて、しかも古代エジプトでも行われていて……。
 
ということで、何もかもが一つにつながってしまいました。
 
これを単なる偶然として片付けたり、見て見ぬふりをしてきたのが、これまでのアカデミズムの世界なのです。

転載ここまで

日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。

世界各地にあるドルメンも日本の神社も、全てはドルイド教の生け贄儀式の場であるというお話をしました。

同時に、「古代ケルト」でも「古代エジプト」でも「古代日本」でも、同じような生け贄儀式が行われていたというお話もしました。
 
しかしながら、イルミナティの連中はここの部分には絶対に触れられたくないので、世界中のマスコミや学者たちに絶えず強い圧力をかけ、このような史実を世間に伝えないように強く誘導してきたものと思われます。
 
実際、ドルメンと神社との関連性について、また「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」の共通点について研究し、発表した学者は、皆無と言っても過言ではないからです。
 
しかも、この事実を火消しにしようとしてでしょう。昨日の私の書いた記事に対して、早くも陰湿な悪口コメントを書いてきた人が現れました。
 
恐らく彼らは、私の理論を何としてでも「トンデモ」にしてしまおうと、これから色んな対策を講じるに違いありません。まあ、RAPT理論がほとんど完成した今となっては、何をやっても無駄ですけどね。
 
なので、今日はまた記事の続きを書こうと思います。
 
皆さんは古代ケルトの中心地・アイルランドにある「ニューグレンジ」という古代遺跡をご存知でしょうか。
 
ニューグレンジ – Wikipedia

ウィキペディアによると、この「ニューグレンジ」は今から約5000年前に作られたもので、ギザのピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも1000年ほど古いものだそうです。
 
この写真の「ニューグレンジ」の入り口は最近になって修復されたもので、元の形は以下のようなものでした。

見るからに神社の「鳥居」と同じ形をしていますね。これまた日本の神社が、古代ケルトに起源があることを証明してくれているかのようです。
 
そもそも、私はこの「ニューグレンジ」を最初にパッと見たとき、すぐにあるものを連想しました。
 
日本の「古墳」です。例えば、奈良にある「藤ノ木古墳」がこれとよく似ています。

〈藤の木古墳〉

しかも、日本の「古墳」の内部が「石室」になっていることは皆さんもご存知だと思いますが、「ニューグレンジ」もやはりその内部は「石室」になっています。

〈ニューグレンジの入り口〉

〈ニューグレンジ内部の石室〉

〈古墳の内部の一例〉

このように、「ニューグレンジ」と「古墳」の作りはとてもよく似ているのです。
 
また、熊本にある「釜尾古墳」の内部は以下のようになっていますが、これまたアイルランドの史跡「ビーハイヴ・ハット」と石垣の積み方が瓜二つです。

〈釜尾古墳の内部〉

〈アイルランドの史跡ビーハイヴ・ハット〉

日本の古墳時代に、古代ケルト(アイルランド)と何らかの交易があった……ということは、現在の通説からすると絶対にあり得ないことです。
 
なので、このような類似性を見ても、世間一般の学者たちは単なる偶然として片付けてしまうに違いありません。
 
しかし、はっきりと言いますが、何の交易もない二つの国でこれほど似たような文化が形成されるわけがありません。
 
古代ケルトと古代日本には間違いなく何らかの交易があったに違いないのです。
 
また、アイルランドの「ニューグランジ」周辺には、他にも幾つかの墳墓があるようなのですが、その墳墓の入り口は以下のようになっています。(出典はこちら

この入り口はとても狭くて、這うようにして中に入らなければならないとのこと。
 
私はこの入り口を見て、またしてもあるものを連想してしまいました。
 
熊本にある地底遺跡「トンカラリン」です。「トンカラリン」については過去にも記事にしたことがあります。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
 
この「トンカラリン」の入り口は以下のような形をしているのですが、アイルランドの墳墓の入り口ととてもよく似ています。

この入り口を通って「トンカラリン」の中に入るわけですが、アイルランドの墳墓と同様、その入り口はとても狭くて、這うようにして入らなければならないとのこと。
 
しかも、この「トンカラリン」の通路は、古代エジプトのピラミッドの内部にある通路と全く同じ構造をしているとのこと。ピラミッドの専門家である「吉村作治」氏が言うのですから間違いありません。

またしても「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」との間に、新たな共通点が見えてきました。
 
要するに、これらのものは全て同じ人間によって作られたということです。
 
では、それは一体誰なのか。
 
まあ、古代ケルトのドルイド僧でしょうね。彼らが生け贄儀式を行う場所としてこれらのものを作ったに違いありません。
 
その証拠に、以下のような記事が見付かりました。
 
(以下、こちらから転載)
 
本日、平成23年(2011)6月13日の帰路、午後六時半ころの車中TVニュース(NHK)で、桜井茶臼山古墳から「生け贄」を埋めた石室が橿原考古学研究所によって発見され、発表されたと言っていた。

《RAPT註:生け贄を埋めていたという時点で、この古墳はドルイド僧が作ったとしか考えられません。》

〈桜井茶臼山古墳〉

〈桜井茶臼山古墳の内部。これまたアイルランドの石垣とそっくりです。〉

「生け贄」と、耳が逆立った。
 
古代中国やマヤ・アステカじゃあるまいし、本邦の大王陵に生け贄があったとは、手塚治虫さんの名作にして、はなはだ古典的・史的遺物論に毒された火の鳥くらいしか、よく知らない(笑)。
 
兵庫の県立考古博物館館長をなさっている石野先生の名前が聞こえてきた。
 
で、どういう根拠で生け贄と? 白骨でも多数出てきたのだろうか? と、自宅に帰ってネットを探したが、気に入った記事が見あたらない。
 
もしかしたらNHKは新聞各社よりも発表が早いのだろうか~
 
あれこれ考えている内に、産経ニュースで、「奈良・桜井茶臼山古墳に2つの副室 橿考研「中身は不明」」という記事がでた。

 
本来ならこれにリンクすべきだが、ここ数年、リンクはすぐに切れるので(有料化)止めておく。
 
要するに二つの副室が見つかったが中身は分からない、とのことだった。
 
NHKが石野館長の生け贄・生き埋め説を流したのは、もう少し石野先生の話を聞かないと、分からない。
 
橿原考古学研究所は「副室調査は予算に組み込まれていなくて、調査許可を受けていないので、中身は分からない」と言ったようだ。
 
ともかく、本邦大王陵に生け贄・生き埋めの痕跡が明瞭になると、これは大変なことだな、と思って慌てたが、もう少し様子をみないとよく分からぬ。
 
副室は副葬品を埋める施設とも書いてあるし、あるいは生け贄を閉じこめる施設と考える人がいてもおかしくはない。
 
天皇霊の問題、ヘキジャ(邪を防ぐ)の問題、埋葬主体を守る意味、閉じこめる意味~、大王陵の意味意義は深くて錯綜しておるから、私の推論を越える。
 
さて、どうなんだろう。しばらく事の推移を待ちましょう。
 
(転載ここまで)
 
これは完全にマスコミと学者に圧力がかかりましたね。
 
実はこのようなことはよくあることで、理研の笹井副センター長が亡くなったときにも全く同じようなことが起こりました。
 
マスコミは、それまで報道していたことを何の断りもなく取り消しにし、それまでとは全く違う内容を報道しはじめたのです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
理研・笹井氏の暗殺説の裏がとれました。松岡大臣のときと同じく、死因鑑定がわざと回避されたようです。
 
先に報道したことが間違いだったから、突如、内容を変更したというわけではありません。
 
もしそうであれば、マスコミは視聴者に対して、自分たちの誤りを伝え、きちんとお詫びをするはずだからです。
 
しかし、彼らはそのようなことを一切しませんでした。
 
下手にそんなことをして、先に報道したことが真実である、ということを人々に知られてはマズイと考えたからでしょう。
 
はっきりと言いますが、日本の「古墳」には間違いなく「生け贄」が埋められています。
 
マスコミや学者がいくら火消しに必死になったとしても、それがこの世の真実です。
 
なぜなら、中国の歴史書「魏志倭人伝」には、日本の古墳に「生け贄」が埋められていたこと、それをあるときから「埴輪」で代用するようになったことがはっきりと記述されているからです。
 
(以下、こちらから転載)
 
事例をみると、中国の歴史書『三国志』の魏志倭人伝に、「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」邪馬台国の女王卑弥呼が死去し塚を築いた際に100余人の奴婢が殉葬されたとあり、『日本書紀』垂仁紀には、野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したという記載が残っている。
 
(転載ここまで)
 
念のために言っておくと、日葉酢媛命の陵墓とは「佐紀陵山古墳」のことです。

〈佐紀陵山古墳〉

この「佐紀陵山古墳」が作られるまで、日本の古墳には「生け贄」が埋められていたということです。いえ、この古墳が作られた後もずっと「生け贄」が埋められた可能性は高いでしょう。
 
なぜなら、その後もずっと日本では当たり前のように人身供養が行われてきたからです。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
 
徳川家康も紛れもない悪魔崇拝者でした。古代から現代まで当然の如く行われてきた「人身御供」について。
 
しかしながら、上のウィキペディアの元記事を見れば分かる通り、現在は「魏志倭人伝」のこの記述は考古学的に否定されているとのこと。
 
つまり、古墳での「生け贄」はなかったとされているわけです。
 
笑ってしまいますね。当時の記録よりも、現在の学者たちの言うことの方が正しいというわけです。
 
これでは誰が何を記録しても全く意味がありませんね。悲しいことに、これが現在のアカデミズムの実態なのです。
 
ちみなに、以下の画像も「ニューグレンジ」の中にある石垣の一部なのですが、これまた「高句麗」にある古墳の内部の石組みと似ています。

〈ニューグレンジの内部・出典はこちら

〈高句麗の古墳の内部・出典はこちら

このように朝鮮半島にも似たような古代の「古墳」があるわけですね。
 
まあ、天皇家一族は朝鮮半島から渡ってきたわけですから、当然のことではありますが。

転載ここまで

RAPT×読者対談〈第41弾〉古代から現代まで世界を支配してきたのは古代ケルトのドルイド僧である。

今回の対談は、「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」のつながりについてお話をしています。

世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
リンク記事を見てもお分かりの通り、古代の世界においても、「日本」と「エジプト」と「ケルト」は間違いなく何らかの交易があったものと考えられます。
 
ところが、日本史の授業では「遣隋使(西暦600年)」が中国に送られるまで、日本はどこの国とも交易がなかった、ということになっています。
 
遣隋使 – Wikipedia
 
しかも、この歴史の定説を覆すような発見があったとしても、それらは全てなかったものとされるか、現在の定説に合わせた解釈があれこれと施されることになります。
 
しかしながら、「古墳時代」から既に、日本が「エジプト」や「ケルト」、「中国」や「朝鮮半島」と交易があったことは明らかなのです。
 
ところが、日本史だけに限らず、世界史もまたデタラメだらけで、「古代エジプト」も「古代ケルト」も他の国とは全く交易がなく、それぞれが独自の文化を形成していったということになっています。
 
しかし、何の交易もない国が、世界各地で似たような四角錐のピラミッドを、同じ岩を材料として作る、ということがあり得るでしょうか。
 
(以下、こちらから転載)
 
ピラミッドといえば、エジプトが有名ですが、実は世界中にあります。
 
中国、日本、北アメリカ、南米、インド、インドネシア、ヨーロッパ、などなど数多くあります。
 
イリノイ州カホキア古墳は今まで古墳と解釈されていましたが、まぎれもないピラミッドです。
 
このカホキアピラミッドとまったく同じ形をしたのが、中国、咸陽にある前漢時代の皇帝陵です。
 
この皇帝陵もピラミッドで、のちに皇帝が自分の墓にしてしまったのです。このカホキアピラミッドと咸陽ピラミッドとまったく同じ形をしたピラミッドが、メキシコのテオティワカンにある太陽のピラミッドです。
                      
日本のピラミッドは奈良の三輪山と大和三山、青森のモヤ山、大石神ピラミッド、秋田の黒又山、岩手の五葉山、福島の千貫森、富山の尖山、長野の皆神山、広島の葦嶽山など数多くあります。
 
これらは自然の山に手を加えた人工造山であることがわかっています。
 
日本のピラミッドは3000あると推測されています。  
 
(転載ここまで)
 
このように、似たようなピラミッドが世界各国にあるということは、古代から世界中の人々が互いに交易していたか、同じ文化を持った人たちが世界中に散らばっていたという証拠です。
 
また、今回は「ゾロアスター教」と「ミトラ教」の違いについてもお話しています。
 
実のところ、「ゾロアスター教」も「ミトラ教」もどちらも元は同じ多神教の宗教です。
 
「ゾロアスター教」では「ヴァルナ」という神様が最高神とされ、「ミトラ教」では「ミトラ」という神様が最高神とされました。
 
同じ多神教でありながら、最高神だけが違うというわけです。
 
「ヴァルナ」とは水の神様です。
 
そのため、日本の「水天宮」にもこの「ヴァルナ」が「水天」として祀られています。
 
ヴァルナ (神) – Wikipedia
 
一方の「ミトラ」は太陽神です。
 
ミスラ – Wikipedia
 
ゾロアスター教の開祖であるゾロアスターは「ヴァルナ」こそが最高神であるとして定めてしまったので、「ミトラ」を最高神としている人たちが怒って「ミトラ教」を作ったわけです。
 
ミトラ教 – Wikipedia
 
同じ「神道」にも、「天照大神」を最高神とする人と、「スサノオ」を最高神とする人がいるのと同じようなものです。
 
この世の中には「ミトラ」のことを「バアル」だと言う人がいます。それは今回の対談の中でもお話した通りです。
 
その一方、「ヴァルナ」こそが「バアル」だという人もいます。
 
そのため、この辺のことは諸説紛々としていて、私もまだ何とも言うことができません。
 
また、「ヴァルナ」と「ミトラ」を合わせて「艮(うしとら)の神」だという人もいます。
 
「ヴァルナ」が牛で、「ミトラ」が虎というわけです。だとしたら、「ヴァルナ」こそ「バアル」ということになります。「バアル」とは牛頭神のことです。
 
「艮の神」というと「国常立尊」のことですよね。
 
JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。
 
もっとも、この辺のところも諸説紛々としていますので、今後、詳しく精査していきたいと思っています。
 
それはともかく、「ヴァルナ」は水の神様であり、水といえば「青」。
 
実際、「ヴァルナ」は青い姿をしています。

〈ヴァルナ〉

これを模して映画「アバター」の宇宙人がデザインされたことは明らかでしょう。

〈映画アバター〉

「古代ケルト」の中心地スコットランドの国旗は「青」。

〈映画ブレイブハート〉

古代のスコットランド人は「青」と「白」に顔を塗っていたようです。

一方、「ミトラ」は太陽神であり、太陽といえば「赤」。

「古代ケルト」の文化を継承した「ラ・テーヌ文化」の中心地、かつロスチャイルドの拠点であるスイスの国旗は「赤」。

このように同じケルト文化の人たちが「青(または白)」と「赤」に分かれていたということは、これまた彼らが「秦氏」と「出雲族」に分かれて源平合戦をしていたということなのでしょうか。
 
RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
 
「聖徳太子」が空飛ぶ「馬」に乗って飛んでいたという伝承は以下になります。
 
(以下、こちらから転載)
 
『聖徳太子伝暦』や『扶桑略記』によれば、太子は推古天皇6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の黒駒を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養する。
 
同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。
 
(転載ここまで)
 
これは本物の「馬」のことではなく、もしや「飛行機」のことではないかと思ってしまいます。
 
何せ、ドルイド僧たちは当時の他の人たちとは比べ物にならないほど優れた知恵と技術とを有していたからです。
 
実際、聖徳太子は「秦氏」であり、「秦氏」とはドルイド僧の末裔です。
 
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
 
聖徳太子が建てたと言われている「法隆寺」は、現代の耐震技術よりも遥かに先を行っていたことが分かっています。
 
五重塔は耐震設計の教科書【プラント地震防災アソシエイツ】
 
ドルイド僧たちは言葉を文字にすることを禁じられ、口承ですべての知識を伝えていました。(詳しくはこちら
 
そのため、「聖徳太子」が暗殺された後、「聖徳太子」の有していた知恵や技術が子孫に伝わらなくなってしまったのでしょう。
 
その結果、「聖徳太子」の持っていた建築技術は失われ、現代の建築家たちが「法隆寺」を見ながら、あれやこれやと当時の建築技術を学ばなければならない羽目になってしまったわけです。
 
また、キトラ古墳に描かれた天文図については、これまた学者がいかにもデタラメと思われる学説をあれこれと唱え、我々庶民を煙に巻こうとしています。
 
キトラ古墳に描かれた天文図は何処の星空?
 
このキトラ古墳の星図についての真実を解明してしまうと、これまた「古代日本」と「古代エジプト」と「古代ケルト」が一つにつながってしまうため、こうして学者たちは誰にも納得できない適当な学説ばかりを唱えているのかも知れません。
 
ということで、今日は最後に古代ケルトのドルイド僧について、かなり明確に解説された面白い記事を見付けましたので、皆さんにご紹介しておきたいと思います。
 
(以下、こちらから転載)
 
■ドルイド僧の魔術
 
ギリシアの哲学者ディオ・クリソストモスは、ヒンドゥー教のバラモン、ペルシアのマギ、そしてエジプトの司祭と同等のものと見ている。
 
オカルト主義者ルイス・スペンスなどの著述家によってドルイド僧はシャーマンであるとの論説を出している。
 
ドルイド僧に見られる習慣には、夜の焚き火、太鼓打ち、詠唱、恍惚の状態での踊りなどが挙げられ人間を犠牲にする社会に典型的に見られる物の怪に取り憑かれた集団であったとも言われている。
 
しかし 聖職者の一員としてケルト人社会と信仰生活に大いに貢献し重要な役割を果たしたことは確かである。
 
ドルイド僧は宗教的儀式を執り行いケルト民と神々との仲介役を果たした。
 
ドルイド僧の神託をと教育は、ケルト人の道徳心、倫理、天文学、自然の法則にまで及び 更には神々の力によって得られる不死の概念まで教えた。
 
彼らはある種の樹木や動物の聖なる力には 病への治癒力が与えられていると信じ、宗教儀式や病気治療に利用した。
 
例えば天からのお告げは「ヤドリギ」に宿り解毒剤、或いは不妊治療にも使用された。
 
これらは 家畜にも有効利用された。
 
樫の木は 聖なる森から来たものであると考えられ、その葉は宗教儀式に欠かせないものであった。
 
樫の聖なる森は 全ての決定を下す神殿としての役割と裁判が執り行われていた。
 
ケルト人はとりわけ水の神々を信じ、川の水源湖などで行われる集会もあった。
 
こうした儀式の一貫には、動物や人間の犠牲が神々に捧げられた。
 
祈祷が始まり酒を酌み交わす。
 
犠牲は枝細工の籠に入れられ生きながら火あぶりにされたり火刑の柱に括り付けられ剣で刺されたり矢で射抜かれたりされた。
 
ローマ人を激怒させたのはこの犠牲の残酷さであった。
 
元老院法令は直ちに野蛮な習慣を不法としキリスト教改宗へと導いた。
 
とあるが、征服者であったローマ人の記述であることから、これらの内容は疑うべきところでもある。
 
後世のある著述家によれば これら儀式は剣で突く真似だけだったとドルイド僧に対する弁明をしたが、多くの研究者は、儀式の習慣による犠牲は行われていたと言及している。
 
ドルイドの儀式の唯一現存する記録は「ブリニウス」の書き残した「ヤドリギ取り入れの儀式」である。
 
月齢六日目、月は満ちる途中ではなく既に力が満ち溢れている。
 
白い長衣をまとったドルイド僧が樫の木の根元に生贄の二頭の牛を繋ぎその木に登る。
 
左手を使い金の鎌でヤドリギを切り取る。
 
このとき枝葉は、絶対に地面に落としてはならない。
 
樫の木下では白い布で他のドルイドがその枝葉を受け取る。
 
それが終わると二頭の白い牛が犠牲として神々に捧げられ祝祭が始まる。
 
犠牲にされた動物などの苦しみを内臓の変化により読み取り未来の出来事を預言する。また宗教的祝祭の間は夢での占いも行われた。
 
ある男は、ドルイド僧が詠唱をはじめると眠りに落ちる。
 
その男は目覚めると直ちに夢の出来事を語り始め、それをドルイド僧が未来の予言として解釈を行う。
 
17世紀、衰退したはずのドルイド僧に再び関心が集まった。
 
イギリスの好古家ジョン・オーブリは ストーンヘンジ建設に至ったのはドルイド僧であったと示唆する。
 
学説とも呼べないずさんさであったため一世紀ほど無視されていたが、18世紀ウィリアム・シュテュークリがオーブリ説に賛同。
 
後に近代ドルイド教の創始者となる。
 
更に1781年「古代ドルイド教団」がフリーメイソンの影響をうけた大工のヘンリー・ハールによって慈善団体として設立されるも、1833年には分裂。
 
二十世紀初頭までに近代ドルイド教団が5団体以上できたが、そのほとんどが現在活動を行わず消滅していた。
 
(転載ここまで)
 
なお、ドルイド教についてのさらなる詳細は、以下のリンク等をご参照ください。
 
島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。

RAPT×読者対談〈第42弾〉イルミナティが国民を洗脳する方法。

今回の対談は、イルミナティ(日本では特に「島津家」「毛利家」)がどのようにして我々国民を騙し、洗脳してきたかについて具体的に紐解いてお話しています。
 
このような対談をするようになったのは、つい先日、「宇宙人を見た」という人からのメールが私のところに届いたのがきっかけです。そのメールは以下のリンクに転載しています。
 
〈お知らせ〉ハロウィンの呪いでしょうか。パソコンが壊れてしまい、現在、修復中です。
 
宇宙人はこの世には存在していません。UFOも人間が作ったものです。イルミナティには既にUFOを作る技術があります。
 
彼らがその技術を我々庶民に公表していないだけで、内々でその技術を独占し、隠し持っているのです。これは今まで何度も書いてきたことです。
 
UFOが宇宙人ではなく、天皇派の乗り物であるという幾つもの証拠。
 
現代人にUFOを開発する技術がないという大嘘。
 
天皇派が既にUFOを開発しているという確たる証拠。
 
佐野千遙氏に関する調査結果のまとめ。またはこの世の超常現象が全て天皇派の科学技術によって引き起こされてきた可能性について。
 
世界の支配層たちが古代から高度な科学技術を密かに独占してきたという幾つもの証拠。
 
世界中のレイラインを生み出したのは宇宙人ではなく、人工衛星「黒騎士の衛星」です。
 
また、「テレパシー」や「思考盗聴」の技術も、人類は既に習得しています。その証拠は、以下のリンクにある動画をご参照ください。この動画は他のサイトに貼り付けられないように設定されていました。
 
脳科学ブームに警鐘!(思考盗聴が犯罪と認められる日) – YouTube
 
念のために言っておくと、人間の思考というのはすべて「電流」から成り立っています。(それが理解できない方は、以下のリンクをご参照ください。)
 
脳の電流でiPhoneを充電できるとしたら、どのくらいの時間がかかる? | 小龍茶館
 
なので、人間の脳に、「電流」や「電波」を使って何らかの情報を送り込んだり、逆にその人の思考を読み取ったりすることは実に簡単なことなのです。
 
また、つい先日、TPPによって本当に得するのは大手企業のみ(日本の大手企業も含む)であるというお話をしましたが、このようなことを話しているのは、世界広しと言えども恐らく私だけだと思います。その話は以下の対談でお話しています。
 
RAPT×読者対談〈第37弾〉TPP締結で本当に得するのは誰か?
 
では、どうしてこのような簡単な事実に未だに多くの人たちが気付かずにいるのか。
 
それは、やはり以下の動画がネットに広く出回ったことが最大の原因ではないかと思います。

この動画は、今や再生回数30万回!!かなり沢山の人が見ています。
 
動画では「TPPで得するのはアメリカ」「損するのは日本」と言って、「トヨタなどの大手企業が儲かる」ということには全く触れていません。
 
そのため、この動画によって、多くの国民が騙されてしまいました。
 
恐らくこの「中野剛二」という人も、「リチャード・コシミズ」や「ベンジャミン・フルフォード」と同様、イルミナティの手先に違いありません。でなければ、こんなインチキな情報をこんなに大真面目な顔をして拡散するはずがないからです。
 
今回の対談でもお話しています通り、日本の経済政策について最もデタラメなことを言って、我々国民を騙しつづけてきたのが「竹中平蔵」です。
 
私はこの「竹中平蔵」のインチキさ加減に辟易して、早くから以下のような動画を作成していました。
 
〈TALK RADIO〉竹中平蔵による国家的犯罪。史上空前の売国政策。
 
私はこの「竹中平蔵」の手口を見て、イルミナティがどのように人を騙すのか、その手口をかなり具体的に理解できるようになりました。なので、「竹中平蔵」にはある意味で感謝しています(笑)。
 
そして、他の様々な分野においても、彼と同じようなエセ専門家たちが華々しく登場し、我々庶民を騙してきました。そうして、イルミナティのみが儲かるように仕向けてきたわけです。
 
特に「美術」の世界においては、先日もお話しました通り、「現代美術の巨匠」と呼ばれる「マルセル・デュシャン」が多くの人々を騙してきました。「マルセル・デュシャン」が何者なのか分からない方は、以下の対談をぜひご視聴ください。
 
RAPT×読者対談〈第40弾〉悪魔が破壊したアートと言論の世界。
 
あと、今回の対談では「村上隆」「ドラゴン・アッシュ」「X-Japan」「エヴァンゲリオン」「徴兵制」などについても語っています。
 
村上隆がイルミナティの操り人形であることは、以下の動画を見ればすぐに分かることです。(と言っても、このブログの読者でなければよく分からないとは思いますが。)

なお、ロック・ミュージックや小説などを使ったイルミナティの洗脳工作については、以下のリンクをご参照ください。
 
ビートルズを使った洗脳工作の実態。またはビートルズを大々的に宣伝する村上春樹について。
 
今回の対談を聞いていただいて、イルミナティから未だに自分が騙されているところはないか、再確認していただければ幸いです。

〈お知らせ〉宇宙人から攻撃されて困っている方が引き続きメールを送ってきています。彼のことを助けられる方を募集します。

古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。

ここ数日、「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」のつながりについてお話をしています。それらの記事が以下になります。

「古代ケルト」の世界ではドルイド教が広く普及し、そのドルイド教の僧侶たちが民衆を支配していたのですが、このドルイド教の僧侶たちは紛れもない悪魔崇拝者であり、日常的に人々を生け贄として悪魔に捧げていたことが分かっています。

島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
このリンク記事を見てもお分かりになる通り、この悪魔教なる「ドルイド教」は我々現代人と何の関係もないわけではありません。むしろ、大いに関係があります。
 
なぜなら、現代の日本を支配しているのは、この「ドルイド教」の僧侶の末裔「島津家」と「毛利家」だからです。
 
しかしながら、「島津家」と「毛利家」はこの事実を隠蔽するために、これまで徹底的に歴史を改ざんし、我々庶民を煙に巻いてきました。
 
そのため、我々がどんなに日本史を学んでも全くのちんぷんかんぷん。
 
歴史の流れをはっきりと掴むことができず、誰も彼もがNHK大河ドラマなどを見て、これこそ歴史の真実であると勘違いしてしまうという有様でした。
 
しかし、この日本が古代から現代までドルイド教の僧侶によって支配されてきた、ということさえ分かってしまえば、日本史の全ての謎がスラスラと解けていきます。日本史が面白いぐらい理解できるようになります。
 
なので、今日はこの日本とドルイド教との関係について、また別の角度からお話したいと思います。
 
この日本で最も活躍したドルイド僧といえば、恐らく「秦氏」ではないかと思われますが、その「秦氏」の中でも特に日本の建国に大きく関わったのが「聖徳太子」です。
 
「聖徳太子」とは「秦河勝」のことであり、この「秦河勝」はその名の通り「秦氏」です。
 
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
 
この「秦氏」と同じく、日本の建国に大きく関わったのが「蘇我氏」です。
 
蘇我馬子 – Wikipedia
 
「蘇我氏」の中でも特に大きく栄えたのが「蘇我馬子」なのですが、この「蘇我馬子」は「飛鳥寺」を建立したことでも知られています。(上の画像)
 
この「飛鳥寺」が実にクセモノなのです。
 
まず、この「飛鳥寺」から「聖方向(真北から20度西)」の角度に、「石舞台古墳」という古墳が作られています。(出典はこちら

〈石舞台古墳〉

〈石舞台古墳の入り口〉

〈石舞台古墳内部の玄室〉

見ての通り、この古墳は古代ケルトの「ドルメン」と同じく、巨大な岩によって作られています。
 
しかも、その内部は古代ケルトの「ニューグレンジ」の内部とそっくりです。

念のために言っておくと、「聖方向」というのは真北から西に20度傾いた方角を示し、ゾロアスター教を国教としていた古代ペルシア、アケメネス朝でとても重視されていた方角です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。
 
実は当時のアケメネス朝ペルシャの首都・ペルセポリスもこの「聖方向」で建設されていました。
 
飛鳥寺と石舞台古墳と聖方位|旅行、美術館、書評
 
このゾロアスター教がドルイド教から派生した宗教であることは、これまで何度も書いてきましたね。
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
なので、「蘇我氏」がこの「聖方向」にこの「石舞台古墳」を作ったということは、「蘇我氏」もまたドルイド教の僧侶だった可能性が高いということになります。
 
いいえ、これだけではありません。この「石舞台古墳」のすぐ傍には、「蘇我稲目」の墓とされている「都塚古墳」があるのですが、この古墳が紛れもない「ピラミッド」であることが分かったのです。
 
(以下、こちらから転載)
 
■明日香・都塚古墳で「階段状遺構」新たに発見、「ピラミッド」改めて裏付け…関西大など調査

蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性が高く、階段ピラミッド状の巨大方墳とされる奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半)で、新たに築造当初の階段状の墳丘のコーナー部分が見つかり1日、関西大と同村教委が発表した。
 
古墳が階段ピラミッド状の方墳であることが、改めて裏付けられたとしている。
 
都塚古墳は、昨年8月の発掘調査で墳頂部に近い墳丘東斜面から石積みの階段状遺構が4段分(長さ約6メートル)見つかり、築造当初は階段ピラミッド状の巨大方墳(東西41メートル、南北42メートル、高さ7メートル以上)だったことが分かった。
 
関西大などがその後、遺構が見つかった場所の南側を発掘したところ、築造当初の墳丘の南東コーナー部分の階段状遺構が3段分確認された。
 
関西大の米田文孝教授(考古学)は「階段状構造については疑問を持つ考えもあったが、少なくとも墳丘上部は階段状をしていたことが裏付けられた。高句麗の積石塚(つみいしづか)などの影響を受けた可能性もある」としている。
 
(転載ここまで)
 
ちなみに、現在の「都塚古墳」はこんな形になっています。

〈都塚古墳の外観〉

〈都塚古墳の内部〉

今さら説明するまでもないことだとは思いますが、これと同じような「階段ピラミッド」は古代エジプトでも作られていました。

〈古代エジプト・ジェセル王の階段ピラミッド〉

つまり、日本の「古墳」は紛れもない「ピラミッド」そのものだったというわけです。この事実がアカデミズムの世界でも認定されつつあるというわけです。(といっても、この事実はいずれ帳消しにされるかもしれませんが。)
 
そもそも、先日も書きました通り、日本の地底遺跡「トンカラリン」の内部と、古代エジプトの「ピラミッド」の内部はほとんど同じ構造。
 
しかも「トンカラリン」の入り口と、古代ケルトの「墳墓」の入り口も見た目がまったく同じ。
 
なので、「古墳」も「ピラミッド」も同じ目的で作られたことは間違いありません。
 
では、その目的が何なのかというと、生け贄儀式を行うことです。実は「ピラミッド」も「古墳」も、生け贄儀式を行うための祭儀場だったのです。
 
さらに言うなら、このような「階段ピラミッド」は、日本の沖縄にも作られていたことが分かっています。

あと、岡山県にも小型の「階段ピラミッド」があります。その名も「熊山遺跡」といいます。
 
熊山遺跡 – Wikipedia

〈岡山県・熊山遺跡〉

あと、奈良県にはもうひとつ、こんな「階段ピラミッド」が存在します。その名も「奈良の頭塔」といいます。
 
頭塔 – Wikipedia

「都塚古墳」は飛鳥時代に作られ、「熊山遺跡」と「奈良の頭塔」は奈良時代に作られたとのこと。
 
この時代、日本はエジプトとの交易はなかったはずですが、それなのになぜ「古代エジプト」と同じ形をしたピラミッドが日本各地で作られているのでしょう。(そもそも、こんなピラミッドの存在自体、ひた隠しにされているような……。)
 
しかも、沖縄の海底にある「階段ピラミッド」に至っては、海の底に沈んでいるわけですから、有史以前に建てられた可能性が高いということになります。
 
というか、そうとしか考えられません。有史より後に、沖縄が海の底に沈んだという記録はどこにもないのですから。
 
しかも、この沖縄のピラミッドの遺跡には、よく見ると、どこかで見覚えのある「渦巻き」マークが描かれています。

そうです。古代ケルトの「ニューグレンジ」にもこの「渦巻き」が描かれていましたね。

〈ニューグレンジの内部の石室〉

〈ニューグレンジの入り口〉

しかも、この渦巻き模様、実は日本の「古墳」にも同じように見られるものなのです。(出典はこちら

〈清戸迫横穴の壁画〉

〈同上〉

清戸迫横穴 – Wikipedia
 
このウィキペディアの記事を見れば分かる通り、「清戸迫横穴」も古墳時代に作られた古墳の一つです。
 
また、同じような「渦巻き」マークは、「縄文式土器(縄文時代)」や「銅鐸(弥生時代)」にも見られます。

〈山梨県花鳥山遺跡出土の深鉢・出典はこちら

〈国宝・桜ケ丘5号銅鐸・出典はこちら

縄文時代と弥生時代にも、日本人が「古代ケルト」の「渦巻きマーク」を使っていた……。
 
ということは、日本人は縄文時代からすでに「古代ケルト」と何らかの関係を持っていたということになります。
 
もっとも、歴史学者たちはこんなことは絶対に認めないでしょう。全てを単なる偶然として片付けるに違いありません。
 
それにしても、この「渦巻き」マークは一体何を意味しているのか。なぜ古代のケルト人や日本人はこんなマークを使ったのか。
 
結論から言うと、このマークは「とぐろを巻いた蛇」を意味しています。
 
というのも、古代エジプトには「メヘン」という盤ゲームがあったのですが、このゲーム盤が「とぐろを巻いた蛇」のデザインになっているのです。

〈メヘン・出典はこちら

ちなみに、古代エジプトではこんな遺物も発見されています。

「蛇」といえば「悪魔」。「悪魔」といえば「ドルイド教」。
 
恐らくドルイド僧たちは、古代エジプトよりも遥か遠い昔から、こんな盤ゲームをして楽しんでいたのでしょう。
 
ということで、今日もまた「古代日本」とドルイド教との新たなつながりが幾つも見えてきました。
 
これでも、まだ「古代日本」と「ドルイド教」には何の関係もないという人がいたら、その人はまさに完全な盲人としか言いようがありませんね。

転載ここまで

 マヤ・アステカ・インカ文明で行われた残酷な生贄儀式が、すべて日本に起源があるという明確な証拠。

数日間に渡って、「古代日本」と「古代ケルト」と「古代エジプト」のつながりを主に見てきました。
 
これによって、「古代日本」が古代ケルトの「ドルイド教」とどれほど深い関わりがあったのかが、ある程度ご理解いただけたかと思います。

一応、「古代日本」と「古代ケルト」と「古代エジプト」のつながりについては、他にも沢山書きたいことが山ほどあるのですが、今日は一旦、別の角度から「ドルイド教(悪魔教)」について記事を書きたいと思います。
 
「古代マヤ文明」、「古代インカ文明」、「古代アステカ文明」で、ごく日常的に生贄儀式が行われていた……ということは、世界史に少し詳しい人なら誰でも知っている有名な事実です。ご存じない方は、以下のリンクをご参照ください。
 
2012年人類滅亡説Ⅳ~生贄の歴史~
 
しかも、これらの文明の遺跡からは、実際に「生贄」となった人骨やミイラなども発見されています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
古代インカで生贄にされた子供たちはビールとコカインで薬物漬けにされていたことが明らかに!!
 
ペルーの古代遺跡で集団生贄の証拠が発見される : カラパイア

古代の中南アメリカには、生贄儀式を行った痕跡がいくつも発見されています。
 
なので、古代のアメリカにおいて生贄儀式が行われていたということは、いくら隠そうとしても隠し切れない事実となっています。
 
しかし、この当時のアメリカと日本とには明確なつながりがあった、何らかの交流があった、という話をすれば、皆さんはきっと驚かれることでしょう。
 
そんな話は世間には全く出回っていないし、ほとんど誰にも知られていないことだからです。
 
無理もありません。この世界を支配しているドルイド僧たちは、この事実を絶対に我々庶民には知られたくないと思っているからです。
 
そのため、彼らはこれまで数々の情報撹乱、隠蔽工作を行い、我々を煙に巻いてきました。
 
驚くべきことに、彼らは旧石器時代・縄文時代について、学校で教えることすら禁じていたようです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
旧石器・縄文時代が教科書から省かれていた理由|生きていく理由
 
まさに隠蔽工作の何物でもありません。(今では、学校の教師たちの抵抗によって、きちんと縄文時代について教えるようなったようですが。)
 
いかに日本の支配層たち、つまり「島津家」「毛利家」たちが、旧石器時代や縄文時代について知れられたくない、国民に興味を持ってほしくないと思っているかという証拠です。
 
なので、今日はこれらの時代の真実について、あからさまに書いていきたいと思います。
 
まず、「シカン遺跡」ですが、これは南アメリカのエクアドルやペルーのあたりで栄えた文明です。
 
実はこのエクアドルで、なぜか「縄文式土器」が発掘されているのです。
 
(以下、こちらから転載)
 
「南米エクアドルで縄文土器が発見?」
 
アメリカ・スミソニアン大学の博士は、エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというのである。
 
その一つを年代測定すると5500年前のものだったという。
 
土器の模様は、九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていた。
 
しかし、出土する土器の成分は、日本の縄文土器とは違い、エクアドルの土から作られたものであった。
 
アメリカ・スミソニアン大学の博士は、ある仮説を提示した。
 
それは、今から約5000年前に縄文人が南米エクアドルへ、移動してきた可能性があるというものだった。
 
エクアドルで発掘されたものは、日本の縄文式土器そのものではなく、その土器を作った人が、ここまで来て作ったとしか説明がつかないというのである。
 
もちろん、その時代に同じような文化が偶然生まれたとも考えられる。
 
しかし、日本の縄文式土器とエクアドルの作られた土器の時代を見ると、日本の土器はおよそ1万4000年前に起こり、簡単なものから徐々に複雑な模様に変化していった歴史がある。
 
これに対してエクアドルの土器は、バルディビアで発掘された土器は、5500年前に発掘されたものが最古で、しかもその土器はある程度発達した日本の土器と酷似している。
 
つまり、エクアドルで1番古い土器は、簡単なものから複雑化する、過程の全くない複雑なものだったのである。
 
もし当時のエクアドル人が土器を作ったとすれば、このような複雑な模様は生まれなかったはずだという。
 
このことからエクアドルの奇妙な土器は、日本から運ばれたのではなく、縄文人がエクアドルへ移動してきて土器の文化を伝えたと考えればごく自然なのである。
 
だが縄文人といえば竪穴式住居に住み、森でシカやイノシシを追う狩猟民族のイメージがある。
 
当時は温暖化が進み、5000年前の日本は海に囲まれ、陸づたいにエクアドルにたどり着くことは不可能であった。
 
だとすれば、どうやって縄文人はエクアドルにたどり着いたのであろうか。
 
(転載ここまで)
 
ちなみに、エクアドルでは以下のような「ピラミッド・アイ・タブレット」と呼ばれる遺跡も発見されています。まさにフリーメーソンのマークそのものです。

この「ピラミッド・アイ・タブレット」をブラックライト(紫外線)に当てると、以下のように青く光ります。(出典はこちら

このような怪しげな遺跡が発見されたエクアドルで、なんと「縄文式土器」が発見されたとのこと。
 
しかも、日本で作られた「縄文式土器」が発見されたわけではなく、エクアドルで作られたとしか思えない「縄文式土器」が発見されたというのです。
 
ということは、縄文人が海をわたって南アメリカのエクアドルまで行った、という可能性が出てくるわけですが、果たして縄文人にそんな航海技術があったのでしょうか。
 
結論から言うと、ありました。
 
なぜなら、「縄文人」は歴史の授業で習うような原始的な人たちではなく、優れた技術を持った文明人たちだったことが分かってきたからです。
 
上の転載記事にも書かれてありますが、「縄文式土器」が最初に作られたのは今から1万4000年前。これがどれほど凄いことか皆さんはお分かりになるでしょうか。
 
しかも、1万4000年前というのは誤りで、それよりも2500年も前、つまり1万6500年前には既に縄文式土器は作られていたのです。
 
そして、世界中のどこを探しても、そんな古い時代に作られた土器は一つも見付かってはいません。
 
つまり、土器を最初に発明したのは、他でもない「日本人」だったということです。
 
少し長くなりますが、以下の記事をご覧ください。
 
(以下、こちらから転載)
 
縄文時代、縄文人として一般的に思い浮かぶ姿は、歴史時代以前の日本の森林に住んでいた狩猟採集民というイメージでは無いだろうか。
 
実は、何を隠そう私自 体がつい最近まで、そのようなイメージしか持ち合わせていなかった。
 
それと言うのも学校で習った縄文時代と言うのは、日本の文明が目覚める前の原始人の時代で、人々は狩の獲物を追って原野をさまよう生活を送っていたと言う物だったからだ。
 
歴史の始まる以前、原始人の生活には、はっきり言ってあまり興味は無かった。
 
しかし近年三内丸山遺跡の発見により、縄文時代の生活様式が盛んに議論されるようになってきた。

〈三内丸山遺跡〉

それに伴い私の縄文時代に関する意識も変わってきた。
 
最近では縄文時代こそ古代史を塗り替える鍵を握っているのではないかと考え始めている。
 
そもそも縄文時代の名前の由来となったのは、言うまでも無く縄文土器に代表される独特の土器文化からである。
 
アメリカの学者モースが大森貝塚を発見した折、縄文のついた土器にCode Marked Potteryと名づけた事から、縄文土器と呼ばれるようになった。
 
ほんの最近まで、縄文人は狩猟採集民族で集落などに定住する事は無く、家族単位の集団で狩の獲物を求めて移動を行っていたと考えられていた。
 
実際、この 記事を読んでいる、ほとんどの読者は、そのように学校で習った事を覚えているだろう。
 
学校で教わった縄文時代の知識は実際本当に貧弱な物である。
 
わずかな土器や土偶の知識と縄文人に関する間違った認識、すぐにテキストに出てくる時代は弥生に移ってしまう。
 
弥生時代も縄文と似たようなもので、あっという間に終了し古墳時代に移る。
 
本格的に歴史らしい歴史の知識を学ぶのは古墳時代以降である。人々があまり興味を抱かないのはもっともな事だ。
 
しかし、縄文時代に関する貧弱な認識は急速に変化しつつある。
 
特に三内丸山遺跡の発見は縄文時代に関する常識を根本的に変えてしまった。
 
三内丸山遺跡の発掘が進むにつれて、この遺跡が縄文の常識を覆す規模で広がっていた事が明らかになった。
 
縄文前期から中期にわたりなんと1500年間もの間、維持された大集落である事が判明した。
 
最盛期には500人を越す人々が生活したと見られ、縄文人が定住をしていた事がはっきり証明された。
 
三内丸山遺跡からは膨大な出土物が出ているが、その中でも目を引くのが巨大なヒスイの珠だ。
 
ヒスイは非常に硬い鉱物で、その加工には高い技術をようする。
 
そのヒスイの珠に穴をあけた物が多数出土している。

〈三内丸山遺跡から発見されたヒスイ〉

従来、これらのヒスイの珠は身を飾るアクセサリーに使用されてきたと思われていたが、首からぶら下げるにはあまりに重すぎる為、楽器の一種ではないかとも考えられている。
 
実際、笛の名人が吹いてみると澄んだ綺麗な音色が出るらしい。
 
ヒスイは青森では産出されず、新潟県の糸魚川周辺からはるばる運ばれてきた物だ。
 
黒曜石を原料とした石器類も多数出土しているが、 黒曜石もはるばる北海道から運ばれてきた。
 
更には岩手県からは、琥珀が運ばれてきており、縄文人の盛んな交易の様子がうかがえる。おそらく、交易は船で行われていたと考えられている。
 
縄文人が船で沖へ乗り出し、漁を行っていた証拠も三内丸山から見つかっている。
 
なんと1メートルもある真鯛の骨で、縄文人が沿岸ばかりでなく遥か沖合まで出向いて漁を行っていた事の証だ。
 
縄文人の食文化を考える上での、最大の発見もここ三内丸山で行われた。
 
ここから発見された栗のDNAの研究より、栗が人工的に栽培されていた事がはっきりしたのだ。
 
これだけの規模の集落が長い間、安定して存在しつづけた事や猪などの大型哺乳類の骨があまり発見されない事などから、農耕が行われていた可能 性は以前より推測されていたが、始めて科学的に裏付ける事が出来たのである。
 
更に近年、縄文人が栽培農耕を知らない単なる狩猟採集民ではなかった証拠に、各地の縄文遺跡から稲の栽培を示す籾殻やプラントオパールなどが見つかりだした。
 
稲作は弥生時代に始まったのではなく、縄文時代から行われていたのだ。最近まで大規模な水田の跡が縄文時代からは発見されていない事から、稲作が本 格的に始まったのは弥生時代以降と思われてきた。
 
しかし、やはりDNAの研究などから、縄文時代に栽培されていた稲は水田を必要としない種類の物である事が明らかになってきた。
 
水田イコール稲作と言う概念は間違いだったのだ。
 
この様に縄文人が原始人であるイメージは徐々に改善され、一気に人々の縄文時代へ の関心が高まってきている。
 
だが、縄文時代が先進的な文化を備えた、縄文文明と呼べるほどの物だったと言ったら信じられるだろうか。
 
縄文は単なる古代日本の一時代ではなく、縄文文明と呼べる立派な独立した文明だったのだ。
 
たとえば、意外と知られていない事実だが世界で最初に土器を発明したのは縄文人である。
 
世界最古の縄文土器は、青森県の大平山元I遺跡から出土した物で、最新の年代測定法による分析の結果、なんと1万6500年前の物である事がわかっている。
 
1万6500年前と言う事は、ダントツに世界最古にあたる。
 
世界最古の文明が発達したとされるメソポタミアでさえ土器の歴史は1万年前ぐらいにしか遡る事は出来ない。

 
(中略)
ここで、縄文文明の文化の高さをうかがい知る事の出来る、いくつかの出土物を紹介してみよう。
 
以下の写真は、三内丸山遺跡から程近い、八戸市の縄文学習館に展示されている是川中居遺跡出土の縄文土器である。

《RAPT註:これらの画像は、是川中居遺跡の土器の一部です。こういったものが他にいくつも見つかっています。》

縄文土器といえば、文様をつけた植木鉢程度のイメージしか抱いていない読者も多いのではないだろうか。
 
しかし、この赤漆と黒漆を見事に施された光沢を放つ縄文土器を見てほしい。
 
これが原始人の産物であるはずが無い、一流工芸家作の骨董品として売られていても誰も疑問には思わないはずだ。
 
土器同様、漆も又、日本で独自に発明されたものである。
 
漆器と言えば、欧米でJapanと呼ばれていることからもわかるように、現在でも日本を代表する工芸技術の一つである。
 
しかし、その起源に関しては、中国・長江下流域の河姆渡遺跡出土の約7000年前の物が世界最古とされてきた。
 
ところが、北海道南 茅部町の垣ノ島B遺跡から、約9000年前の漆製品が発見された事により、漆の起源も縄文人にある可能性が高くなっている。 
 
国立歴史民俗博物館の永島正春氏や慶応大学の鈴木公雄氏らは同時代の中国と比べると日本の漆技術が非常に高い事を指摘している。
 
更に、三内丸山から発見された漆は、DNA検査の結果、中国とは別系統であることも明らかになっている。
 
これらの事より、少なくとも日本の漆技術は、中国とは別系統に発達してきたと考える事が出来そうだ。
 
あるいは漆技術自体が日本から中国に伝えられた可能性も十分に考えられる。
 
次の写真は、ご存知遮光器土偶の断片である。

黒光りする現代のセラミックのような土器の断片が素焼きの植木鉢とは如何に異なるか見て取れるだろう。
 
実際、この土偶の復元を試みた中田宝篤氏によると、遮光器土偶の表面には、「炭化珪素による焼き戻し法」と言う現在のセラミック加工技術にも通じる特殊な処理が施されていると言う。
 
次の写真は、縄文時代の遺跡から出土した漆塗りの弓を復元した物である。

見事に赤漆と黒漆で装飾されたこの弓に関しては、もはや何も説明を加える必要などないだろう。
 
(転載ここまで)
 
ということで、実は「古代日本」こそが世界の文明の発祥の地である、少なくともその可能性がある、ということがお分かりいただけたかと思います。
 
そして、これほど優れた文明を持っていた日本人が、海をわたってアメリカに行くことなど朝飯前でしょう。
 
また、「縄文文化」と「マヤ文明」との関連性を示す面白い記事を見付けましたので、加えて皆さんにご紹介したいと思います。
 
(以下、こちらから転載)
 
続々・マヤ文明と縄文文化とももちゃんの古代史は、今マヤ文明と日本縄文文化との関連を解明しています。
 
第1にマヤ文化と縄文文化は時代が今から5000年以前の紀元前3000年頃で、両文化とも時代的に大差ないこと。
 
第2に人を神への貢物としている点。生贄を神にささげている。
 
メキシコの壁画に生贄が生々しく書かれ彫刻されている。
 
一方で縄文製鉄時代には製鉄には幼児の生贄を奉げていた。
 
製鉄にカルシュウムが必要なことは製鉄者たちの製鉄途上で子供が製鉄途上の火に落ちて、その時の製鉄が柔らかい鉄ができたという、良い鉄を得るには欠かせない体験をした。
 
その後新技術(他の動物や貝殻でカルシュウムを得られると言う技術)を発明するまでは、幼児の犠牲を必要としていた。
 
その生贄を必要とした技術の時代にメキシコ・マヤに縄文文化が伝わったと推定できる。
 
マヤの生贄文化は信州製鉄文化の初期時代の生贄を必要とした時代に伝播して行ったと推定できる。
 
第3にメキシコ・マヤ文化は彩文土器の文化だが、日本の東日本の・・土器(今土器の形式が出てこない、少し前までは直ぐ思い出したのに、年を取ると言うことはこういうことかと少し戸惑う)の工字文等の土器等とメキシコの彩文土器の技術は同じだと言うこと。

《RAPT註:上に出てきた「是川中居遺跡」のことでしょう。》

日本では縄文土器の後の時代に鉄粉で赤い彩文土器を作った。
 
その後に黒色土器の時代になって、東北に伝わって赤・黒の美しい彩文土器を生んだ。
 
東北の彩文土器技術・文化がメキシコや中国に伝わってメキシコや中国の彩文土器文化が発展した。と私は考えている。
 
この他にもメキシコ文化に水晶のドクロが有ったりするが、水晶は縄文時代に信州と共に栄えた山梨県が名産地。

〈水晶のドクロ・現代の技術でも作れないため、オーパーツとされています。〉

山梨県の文化遺跡・遺物の研究がまだ私の中でできていないので断定はできないが、メキシコにどの程度の水晶の技術が有ったのかも未調査だが、山梨では水晶玉の加工品が縄文時代から出土していたと記憶する。
 
等など文化を比較すれば日本の文化がメキシコ・マヤ文化等に伝わった可能性が高い。
 
(転載ここまで)
 
と、このように「縄文文化」と「マヤ文明」には、いくつもの共通点があるのです。
 
と同時に、「縄文時代」に子供たちが生贄として捧げられていた、ということも明らかな事実のようです。
 
もっとも、この事実は全く我々国民には知らされていませんが。縄文時代はあくまで古き良き時代として教わりましたから。
 
ちなみに、縄文時代に「製鉄」の技術があったということも、これまた歴史の授業では絶対に習いませんが、どうやら縄文人は既に製鉄の技術を持っていたようです。
 
信濃では、縄文中期から 製鉄が行われていた。

マヤ文明といえば、やはりピラミッドですよね。以下のピラミッドは、誰でも見たことがあると思います。
 
チチェン・イッツァ – Wikipedia

〈古代マヤ・ククルカンの神殿〉

そして、このピラミッドでは日常的に生贄儀式が行われていたわけですが、このピラミッドが日本の「階段ピラミッド」に通じていることも明らかでしょう。

ということで、マヤやインカ、アステカ文明で行われていた残酷な生贄儀式は、決して日本と無関係ではないということが、これではっきりとお分かりいただけたかと思います。
 
というか、そのような残酷な生贄儀式は、すべて日本にその起源があるということです。
 
なので、残酷な生贄儀式を必要とする「悪魔教」の発祥の地は「日本」だということになりますね。
 
まあ、これについては過去にも一度、記事を書きましたので、このブログの読者の皆さんにとっては、それほど驚くことではないかも知れませんが。
 
悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。
 
ということで、日本こそが「悪魔教」のみならず、「世界文明」の発祥の地である可能性も高くなってきました。
 
「悪魔崇拝者」たちは、やはり有史以前から日本を中心として世界を支配していた可能性が高いというわけです。

転載ここまで

日常的に生贄儀式を行っていたインカ文明の遺跡が、ドルイド教の神官「秦氏」の技術によって作られたとしか思えない理由。

古代のマヤ・アステカ・インカ文明で行われていた残酷な生贄儀式が、実は日本にその起源があったというお話をしました。

しかし、現在の日本を支配している「島津家」と「毛利家」は、この事実を隠しておきたいがために、マヤ・アステカ・インカ文明は世界最大の謎ということにしておいて、誰にもその謎を解明させようとしません。
 
恐らく誰かがその謎を解明しようとしても、直ちに現地スタッフを使って、その調査を断わらせるでしょう。
 
ご紹介した中南米の「シカン文化」も、日本人の「島田泉」という考古学者が唯一、現地に行って詳しく調査しているのですが、この学者もなぜか日本とエクアドルとのつながりについては一言も言及していません。
 
島田泉 (考古学者) – Wikipedia
 
要するに、この「島田泉」なる人物も「シカン文化」を調査しにいったわけではなく、単なる情報操作・撹乱工作をしにいっただけというわけでしょう。
 
そうしておいて、「シカン文化」はすべて「島田泉」が調査した、彼がやれるだけのことは全てやった、だからあとは誰が何を調べても意味はない、ということにしてしまったわけです。
 
これは古代エジプトの研究家「吉村作治氏」がやったことと同じことだと言えます。
 
ということは、この「シカン文化」には、我々庶民に知られてはマズイ何かが隠されているということでしょう。
 
なので、私もこの「シカン文化」についてあれこれと調べてみました。
 
まず、「シカン文化」の「シカン」という言葉は、「月の神殿」を意味するとのこと。
 
ということは、「月派」の遺跡なのかと思ってしまいますが、この「シカン文化」の栄えるよりも前に「モチェ文化」なるものが栄えていて、「モチェ文化」には「太陽のワカ」と「月のワカ」という名の神殿がそれぞれ建造されています。
 
モチェ文化 – Wikipedia
 
華麗なるモチェの世界へ―「太陽のワカ」と「月のワカ」

〈太陽のワカ(奥の建物)〉

〈月のワカの想像復元図〉

ということは、この「モチェ文化」には「太陽派」と「月派」が仲良く同居していたということでしょうか。
 
「太陽派」と「月派」が内部争いをし、「月派」が勝って「モチェ文化」を滅ぼし、「シカン文化」を誕生させたということなのかも知れません。
 
この「シカン」という地域は、「黄金の都」とも呼ばれるほど、黄金製の遺物がたくさん発見されています。以下はその一例です。

〈シカン黄金大仮面〉

〈シカン黄金製トゥミ(儀式用ナイフ)〉

〈黄金の神輿〉

例のごとく、彼らは上の「トゥミ」なる儀式用ナイフを使って、生贄となる人たちを殺していたとのこと。まったく嫌になりますね。
 
しかも、きれいに黄金に「赤」と「青」で色付けされているところを見ると、「秦氏」と「出雲族」が同居していた可能性は十分に考えられます。
 
しかも、日本から遠く離れたアメリカの地に、なぜか日本と似たような「神輿」がある……。
 
これだけでも、日本と「シカン」に何らかのつながりがあったと考えられますが、これまた誰かさんのせいで、この「黄金の神輿」も日本の「神輿」とは何の関係もない、ということになっているわけでしょう。
 
この「シカン文化」は「プレ・インカ文明」と呼ばれていて、「プレ・インカ文明」というのはその名のごとく「インカ文明」より前に栄えた文明のことです。
 
そして、この「プレ・インカ文明」はおおよそ以下のように大別されています。
 
・チャビン文化(アンデス全域;1000B.C.頃~200B.C.頃)
・ナスカ文化(ペルー南海岸;A.D.1頃~A.D.600頃)
・ティワナク文化(チチカカ湖畔;A.D.1頃~A.D.900頃)
・モチェ文化(ペルー北海岸;A.D.100頃~A.D.700頃)
・ワリ文化(アンデス全域;A.D.800頃~A.D.1000頃)
・シカン王国(北海岸ヘケテペケ川流域;A.D.800頃~A.D.1100頃)
・チムー王国(ペルー北海岸;A.D.1000頃~A.D.1476頃)
 
この中で最も古い「チャビン文化」では、「黄金のデスマスク」と呼ばれるオーパーツが作成されています。

〈黄金のデスマスク〉

なぜこれがオーパーツと呼ばれているのかというと、その理由は以下になります。
 
(以下、こちらから転載)
 
紀元前1000年ごろ、ペルーに繁栄していた文明はプレインカ文明と呼ばれ、その時代の遺跡や遺品も多く発見されている。
 
その中でも、アンデス地方のプレインカ時代の墓地から発見されたミイラがつけていた仮面が写真のものである。
 
仮面自体は金で作られており、仮面の方はいかにもこの時代のものであるが、不可解なのは仮面の目から垂れ下がっている数珠状のものである。
 
涙を表現したものと考えられ、両方の目に7個ずつのエメラルドが数珠つなぎに垂れ下がっている。
 
エメラルドには極小の穴があけられ、糸が通されているが、問題は硬いエメラルドにどうやって小さな穴をあけたかということである。
 
エメラルドは鉱物の硬度基準でいえばダイヤモンドを10として硬度7.5となる。水晶は7となっている。
 
エメラルドよりも硬い鉱物といえば、ダイヤ、ルビー、サファイアだけであるが、当時のアンデス地方の人々はダイヤ、ルビー、サファイアを知らなかったらしく、エメラルドを極上の石として扱っていた形跡がある。
 
エメラルドは硬いわりには縦の衝撃に弱く、割れやすい性質もあり、そのような難しい鉱物にどうやって極小の穴をあけることが出来たのか、その方法も道具も残されていない。
 
(転載ここまで)
 
また、同じ「チャビン文化」では、以下のようなオーパーツも作られています。
 
(以下、こちらから転載)

同じくアンデスのプレインカ文明の遺品で、墓から出土した首飾りのようなビーズがある。
 
このビーズは、スポンディルスという青い貝の貝殻を使った工芸品で、ビーズはそれぞれ円筒形に加工され、1個の直径はわずかに1mmしかない。
 
しかもそれぞれのビーズには直径0.3mmの極小の穴があけられて糸が通されている。
 
貝殻という、もろい材質にこのような小さな穴をあけるということは現代でも簡単なことではない。
 
しかも写真では新たに別の糸が通されて保存されているが、発見された時にはこの0.3mmという穴に極細の糸が6本も通されていた。
 
現代でも金属を極細に加工したものならともかく、繊維でここまでの細い糸を作ることは極めて困難である。
 
当時の人たちが、ごくわずかの力で切れたり割れたりしてしまうデリケートな品物をどうやって作ったのか、穴も糸も製造方法が不明である。
 
(転載ここまで)
 
簡単に言えば、現代でもあり得ないような強度の強い微細なドリルが、紀元前に開発されていた可能性があるというわけです。
 
しかし、歴史の定説では、紀元前の人たちはみんな原始人で、そんな技術は開発されていない、ということになっているので、誰も彼もがこれらのオーパーツを見て、「偽物じゃないか」とか「何かの間違いじゃないか」とか言ったりしながら、首をかしげているわけです。
 
また、その後の「インカ文明」においても、やはり現代の技術では作れない遺跡が作られています。
 
その一つが「インカ神殿」の石組みです。

〈インカ神殿の石組み〉

この石組みについて、こんなことが書かれた記事を見つけました。
 
(以下、こちらから転載)
 
インカ帝国の中心地であったクスコの建物の礎石は、そのほとんどがインカ帝国時代に組まれた物がそのまま使用されています。
 
その石組みはカミソリの刃も通さないと云われるほどぴったりと合わさっていて、鉄器を持たなかったインカの人たちがどのようにしてこんな緻密な建築ができたのか、とても不思議な気持ちになります。
 
そんな礎石の中で有名なのが、ある増す広場近くにある「12角の石」です。(上の石組みの画像)
 
幅が1メートルもある巨石で、それが緻密に計算されたように12角に加工され、隣り合う石とぴったりと合わさっているのです。
 
インカ文明の石造技術の高さがうかがい知れる場所です。
 
(転載ここまで)
 
インカ帝国とは、15世紀に南アメリカのペルー、ボリビア、エクアドルを中心に作られた国家です。
 
しかも、文字を持たない社会、そして文明であったとのこと。(これまたドルイド教の匂いがします。ドルイド僧たちは、自分たちの知識を絶対に文字にしませんでしたから。)
 
インカ帝国 – Wikipedia
 
15世紀といえば、かなり最近の話ですが、この時代にもまだメソアメリカには「鉄器」がなかった、と歴史学者たちは唱えているようです。「バカも休み休み言え」と言いたくなりますね。
 
コロンブスがアメリカ大陸を発見するまで、アメリカには原始人が住んでいた、ということになっているので、何が何でも当時のアメリカには製鉄の技術はなかった、ということにしなければならないわけです。
 
しかし、このメソアメリカの文明を作ったのは、はるばる日本からやってきた縄文人たちであり、彼らは高度な航海技術を持っていたし、製鉄の技術も持っていました。
 
なので、彼らがコロンブスの新大陸発見よりも前の時代に、アメリカの原住民たちが他の国々と交流を持ち、製鉄の技術を持っていた、ということは十分にあり得ることなのです。
 
そもそも、「インカ文明」よりも前の「シカン文化」では既に黄金の文化が栄えていたわけですから、熟練した金工職人がいたことは明らかです。
 
なのに、「シカン文化」よりも数百年後になっても、アメリカには製鉄の技術がなかったというのですから、ちゃんちゃらおかしな話です。
 
しかも、上に出てくる「石組み」は、現代の技術でも絶対に作ることはできません。まして「12角の石」など、絶対に作成不可能です。(ちなみに、現代の石組みの技術については以下のリンクをご参照ください。)
 
石垣の積み方 – Wikipedia
 
では、彼らはどうやってこれらのものを作ったのか。
 
これまた、考古学者たちはムチャクチャな説を唱えています。
 
(以下、こちらから転載)
 
アルマス広場の東側に続くハトゥン・ルミヨク通りの石壁に、有名な「12角の石」があります。
 
第6代皇帝インカ・ロカの宮殿の礎石として使われたものです。
 
この通りの石組みは、こうした多角形を複雑に組み合わせたジグソーパズルのような石組みで、12角の石が隙間なくぴったりと壁にはめ込まれている光景は驚きです。
 
しかも表面は中心部で少し膨らみ、それが太陽の光で美しいシルエットを映しだすのです。
 
この見事な工法については古くから曰く、人間のやったことではなく、宇宙人の仕業ともいわれてきました。

《RAPT註:はいはい。笑》

石を柔らかくする薬草を使用していたのではないか、という説も膨大な労働力から推測すると現実的なものではないからなのです。
 
しかし、近年の実験考古学の視点から少しづつその工法が分かってきました。
 
現在の石切り場の風景にあるような整然とした切出しの跡は全く発見されていません。
 
つまり自然に転がっている石を加工したという結論なのです。
 
道具はさまざまな石です。石で石を根気良く叩いて削ったようです。
 
実験の結果からの推測では、壁用の石、道具の石に適切なものを選んで4.5×3.2×1.7mの垂直面の 荒削りに要する労働は20人で15日になるようです。
 
ある遺跡に残る150個の石の土台でも8ヶ月はかかったといわれています。
 
(転載ここまで)
 
はっきり言います。石で石をいくら根気よく叩いたとしても、石を削ることはできたとしても、カミソリ一枚入ることのできないほど、石と石を隙間なく組み合わせることは絶対にできません。
 
もし仮に一度や二度ぐらいたまたま組み合わせることができたとしても、こんなに沢山の岩を全てそのように組み合わせることはできません。
 
もしやれるというのなら、それを再現してVTRに撮影してください。でなければ、こんな説明では誰も納得できません。

とにかく、当時のアメリカには何が何でも鉄器はなかったということにしたいので、こんなムチャクチャな説を唱えなければならないわけです。
 
しかし、当時のアメリカには製鉄の技術があって、しかもその技術は現代のそれよりも遥かに優れていた、そして大きな石をスパスパと簡単に切れるような刃物すら作っていた、考えれば全てに辻褄が合います。
 
いやいや。まさかアメリカの原住民にそんな刃物が作れるわけがない、と思う人は多いかも知れません。というか、ほとんどの人がそう考えるでしょう。
 
しかし、実際に古代の世界では、現代の刃物よりもダントツに切れ味のよい刃物が作られていたのです。
 
そして、その刃物を作成したのが、他でもないドルイド教の神官「秦氏」なのです。より正確に言うと、「秦氏」の祖先と言ったほうがいいかも知れません。
 
「秦氏」が「ヒッタイト」の出身であることは、前にも軽く触れたことがあります。以下の記事がそれです。このことについては、いずれまた詳しく記事にしたいと思います。
 
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
 
この「ヒッタイト人」は、現代人よりも遥かに優れた製鉄の技術を持っていたのです。
 
(以下、こらちから転載)
 
時代をはるかに超えた製鉄技術を有していたヒッタイト帝国。
 
彼らが齎した鉄は、まさに古代世界の究極の兵器となった。
 
そんな鉄のテクノロジーを、彼らはどこから手に入れたのか?
 
人類はこの金属を駆使することによって文明を築きあげてきた。
 
とくに現代文明は鉄の大量生産技術の確立によって、初めて現在の高みに達することが可能になったのだ。
 
もし鉄が突然、消失するようなことがあったら、現代文明はたちまち崩壊してしまうだろう。
 
私たちの生活を支える資材のすべては、鉄でつくった機械や道具によって生みだされているからだ。
 
あまりにも身近に、豊富にありすぎるので、ついその重要性を失念してしまいがちだが、鉄を生みだした技術こそ、まさに“大いなる知識”なのである。
 
その有効性からいえば、核の技術さえ比較の対象にもならない。
 
この鉄の歴史はかなり古い。
 
紀元前3000年ごろの遺跡から、明らかに加工の跡のある鉄片や鉄玉が出土している。
 
が、それは自然の状態で発見された隕鉄を利用したもので、その希少性からも宗教的な儀礼に用いられただけだった。
 
そして、従来、鉄器が実用品として文明を支配するようになったのは、紀元前1200年ごろ以降だとされてきた。
 
そのころ、世界各地でいっせいに鉄器文化の花が開いたからである。
 
その見方に疑問が生じたのはごく最近のことだ。
 
ヒッタイトの文明が発見されたからである。
 
ハットゥシャシュその他の遺跡から、鉄の使用や売買に関することを書いた粘土版文書が発掘され、また公的・私的な調査で数々の鉄器が発見されているのだ。
 
そこで、ヒッタイト帝国こそが、世界の鉄器文化の発祥地だと考えられるようになったわけだ。

《RAPT註:現在では、この定説すらもぐらついていて、もっと過去の時代から製鉄の技術はあったということになりつつあります。詳しくはこちら

ヒッタイト人は“鉄の発明”を、一気に500年もさかのぼらせてしまったのである。
 
しかも、このヒッタイトの鉄は、やはり歴史の常識を超えた、非常に優れたものだった。
 
製鉄史研究家は、古代人は隕鉄以外にも砂鉄をたたいて鍛えた鉄器を使用していたと考えている。
 
それはすぐに錆びて崩れてしまうもろい鉄だったので、考古学資料として残ることはなかったのだ、というのだ。
 
が、ヒッタイトの鉄は違う。
 
例えばエジプトのツタンカーメン王の墓から、ヒッタイト帝国からの贈り物だとされている鉄の短剣が出土しているが、3000年以上もたっているというのに、ほとんど錆が出ていないのだ。

〈ツタンカーメンの短剣〉

現代の製鉄技術からいっても、それは驚異的なことである。
 
その出自を隠してアナトリア高原に突然現れたヒッタイト人は、歴史を何千年も超越した製鉄技術をもっていたのだ。
 
ヒッタイトの鉄がいかに優れていたかを語る粘土版文書もある。
 
カッパドキアで発掘されたそれには、ヒッタイト人がもっていた不思議な金属「アムートゥ」のことが出ているが、この金属はなんと銀の40倍、金の5倍という高値で取り引きされていたのだ。
 
この「アムートゥ」が、実は鉄の一種だったのではないかと考えられているのである。
 
このヒッタイトの製鉄技術がどんなものであったかは、現在全くわかっていない。
 
ずっと後になって、アリストテレス(紀元前520~468年ごろ)が、ギリシア人の伝説によると“鉄の発明者”ということになっているカリベス族の製鉄法について伝えている。
 
それによると、カリベス族は鉄の鉱石を繰り返し洗い、彼らだけが知っているピリマカスという石を加えて精錬した。
 
“こうして製造される鉄は、他の鉄にくらべてずっと美しい輝きをもっており、銀に似ている。この鉄だけが錆びないのだが、しかし、ごく少量しかとれない”。
 
カリベス族とは、アルメニア地方にいたとされる少数民族で、その居住地はアナトリアに隣接している。
 
ヒッタイト帝国が消滅したあと、その鉄の技術の一部を受け継いだと考えられるが、彼らが“銀のような美しい輝きをもつ錆びない鉄”をつくっていたということは、伝説とはいえ注目する必要があるだろう。
 
ヒッタイトのテクノロジーに起源をもつと考えられる、さらに優れた鉄がある。
 
やはりヒッタイト帝国にゆかりの深いシリアからヨーロッパに輸入されていたダマスカス鋼だ。

〈ダマスカス鋼製のナイフ〉

十字軍時代、ヨーロッパにもち帰られたダマスカス剣は、王侯や貴族の家に家宝として伝えられた。
 
折れず、曲がらず、群を抜いて強靱で、表面にウォーター(日光にきらめく水面)と呼ばれる波紋があった。
 
ヨーロッパの武器鍛冶たちは、競ってこのダマスカス剣を真似ようとしたが、ついに成功しなかった。
 
いや、20世紀になってからも、第2次世界大戦の前、ヨーロッパ各地でこのダマスカス鋼に匹敵する鋼を製造しようと、科学者が動員されたが、やはりその目的を達成することはできなかったのだ。
 
当時、その研究に従事したイギリスの科学者はこういっている。
 
「私は古代人の事理に精通した実際知識に深い印象を受けた。私はダマスカス鋼のウォーターの謎をつきとめたが、私たちの製鉄技術がその方法を発見したのは、20世紀に入って最近20年のことである」
 
ヒッタイト人のテクノロジーの水準が、いかに群を抜いたものであったかは、この一例だけでもよくわかるだろう。
 
(転載ここまで)
 
ドルイド僧「秦氏」の先祖であるヒッタイト人は、このような優れた製鉄の技術を持っていました。
 
しかし、ドルイド僧たちは、自分たちの知識や技術を決して文字に残してはならないということになっています。
 
なので、彼らの持っていた製鉄の技術も、時代が経つに連れてどんどん忘れ去られていったわけでしょう。
 
「錆びない鉄」と言われているのは「ツタンカーメンの短剣」だけでなく、例えば以下の「デリーの鉄柱」などもあります。
 
デリーの鉄柱 – Wikipedia

錆びない鉄は、現在でも作るのは不可能とされています。
 
にもかかわらず、このような鉄が紀元前200年頃に作られていたというわけです。(一応、紀元後500年頃ではないかという説もあるようです。)
 
しかも、ツタンカーメンの短剣にいたっては、紀元前1300年頃に作られました。今から三千年以上も前のことです。
 
つまり、古代人の製鉄の技術は、現代人のそれよりも遥かに、遥かに、遥かに、優れていたというわけです。
 
そして、その技術がメソアメリカにも伝わり、アメリカの原住民たちがその技術を使って、エメラルドや貝殻に小さな穴を開けたり、巨石を精密に加工したりしていたというわけでしょう。
 
というか、そうとしか考えられません。
 
でなければ、どうやって現代人でも作れない建造物を、彼らがこんなにもあっさりと作ることができたでしょうか。
 
そもそも、鉄器が実用品として普及しはじめたのは紀元前1200年ごろだと言われていますが、プレ・インカ文明が栄えはじめたのもちょうど同じ頃のことです。これが単なる偶然でしょうか。
 
こんなことを言うと、またしても工作員があれこれとイチャモンをつけてきそうですが、まあ、せいぜい現代のインチキ考古学を真に受けて、インカ文明を作ったのは宇宙人(シリウス人)だとか何とか、適当なことを言って笑いものになっていればいいと思います(笑)。
 
とにかく、イルミナティが宇宙人なるものをでっち上げたがるのは、古代の遺跡をすべて宇宙人が作ったということにして、我々を思考停止にさせ、歴史の真実を我々に知らせないため、(他にも理由はあるけれども、それも一つの目的ではないか)と私は考えています。
 
しかし、私がこれほどまでにこの世のカラクリを解き明かすことができたのは、最初から「宇宙人」の存在を徹底的に否定して調べてきたからに他なりません。

転載ここまで

コロンブスの新大陸発見より遥か昔から、人類が既にアメリカ大陸の存在を知っていたという幾つもの証拠。

コロンブスがアメリカ大陸を発見する前から、一部の人類はアメリカ大陸の存在を知っていて、そのアメリカの原住民と交易を行っていた可能性があるというお話をしました。

要するに、コロンブスがアメリカ大陸を発見するまで、この世の誰もアメリカ大陸の存在を知らなかった、というのは大嘘だったということです。
 
とはいえ、記事だけではまだその事実を信じられない方もいるでしょう。
 
なので、今日はそのさらなる幾つかの証拠を皆さんにお見せしたいと思います。
 
まず一つ目の証拠です。
 
皆さんは「ピリ・レイスの地図」をご存知でしょうか。オーパーツについて詳しい方なら、知らない人は誰もいないと思います。
 
しかし、ご存じない方もいらっしゃると思いますので、一応、簡単に説明しておきますと、この「ピリ・レイスの地図」はコロンブスがアメリカ大陸を発見した直後に書かれた地図です。
 
ところが、発見直後にもかかわらず、アメリカ大陸の海岸線がかなり正確に描かれていたり、アマゾン川が正確に描かれていたりと、不自然な点が多いということでも知られています。

〈ピリ・レイスの地図〉

しかも、この地図には当時まだ発見されていなかった「南極大陸」まで描かれている。
 
それどころか、「ピリ・レイスの地図」の端っこには、紀元前4世紀のギリシアで書かれた地図の模写である、との説明が書かれてあります。詳しくは以下の動画をご覧ください。

ということは、紀元前4世紀の人たちは既にアメリカ大陸の存在を知っていたということになります。
 
まさかそんなことがあるわけがない。この世の大半の人がそう思うでしょう。
 
実際、これまで多くの人たちが「この地図はインチキだ」と言ってイチャモンをつけてきました。
 
しかしながら、先日も記事にしました通り、日本の縄文時代が1万6500年前から既に始まっていて、その縄文人たちが高度な文明を持っていた、ということは紛れもない事実です。

となると、この地図が本物である可能性は十分にあると考えられます。
 
二つ目の証拠です。以下の記事をご覧ください。
 
(以下、こちらから転載)

上の地図を見て欲しい。これは来週、北京で公開される予定の古い複写地図である。
 
この地図は1763年、更に古い時代の地図から複写されたものであるとされ、現在、英国や欧米で大きな注目を集めている。
 
何故ならば、この複写地図には、その複写元であるオリジナルが”1418年の地図”であると、はっきりと記されていたからである。
 
つまりそれがもし事実であるならば、我々が長い間信じ続けていた常識、即ち、”アメリカ大陸が西洋に”発見”されたのは1492年、コロンブスによる”という歴史的事実が覆されることになる。
 
そして現在、ひとまずこの複写地図の作成年代を巡って調査が行われ、その結果は来月公表されることになるという。
 
南北アメリカ大陸、アフリカやオーストラリアといった、現在我々が手にする世界地図と良く似た地形が示されているこの複写地図には、それがモ・イ・トンなる人物によって(1763年に)複写されたこと、またそのオリジナルが明朝の永楽帝(1360-1424)の時代、あるいは1418年に作成された地図であることがはっきりと記されている。
 
元探検家にして古地図の専門家であるガンナー・トンプソン氏はエコノミスト誌の取材に対し、次のように語っている。「この地図は、我々が知る世界史を覆すことになるかもしれません」。
 
この複写地図は元々、弁護士にして古美術収集家のリウ・ガン氏が、2001年に上海の古美術ディーラーから凡そ$500で買い上げたものであるという。
 
リウ氏は購入からしばらくの間、その地図の価値には気づかなかったが、二〇〇二年に事態は一変した。その年、リウ氏は英国で出版された本、「1421: The Year China Discovered America(ガヴィン・メンジーズ著)」を読み、初めてその地図の驚くべき価値に気づいたのである。
 
同書は、発刊当時から今日に至るまで、その内容を巡って大きな物議を醸している。
 
何故ならば、著者のガヴィン氏が展開した論考とは、明朝永楽帝時代、イスラム教徒にして宦官であった異色の大提督、鄭和が世界を航海し、コロンブスに先駆けてアメリカ大陸に到達していたというものだったからである。
 
鄭和は、1405年から1435年にかけ、強大な艦隊を率いて東南アジアやインドまで航海したことは広く知られ、その様子は1418年頃に著された航海日誌「瀛涯勝覧」を初めとした歴史的文献に詳しい。
 
しかし現在調査が行われているこの1763年の複写地図の記述は、これまで議論が続いているガヴィン氏の主張 ― 即ち鄭和が既に世界一周していたこと ― と”十分一致している”ことが明らかにされたという。
 
例えば複写地図の右上に書かれた文字は「全世界地図」を示しており、付記的に記された項目には、当時アメリカ西岸に暮らしていた人々の概要が、次のように記されている。
 
“この地に住む人々の肌の色は赤黒い。頭や腕には鳥の羽が縛り付けられている”。
 
また地図には幾つかの間違いもあり、例えばイギリスは地図には存在せず、また現在のカリフォルニア(=米西海岸)は島として描かれている。
 
しかしこれら間違いはむしろ、この地図が当時書かれたものであるという事実を、逆説的に裏付けているとも言えるのである。
 
しかし多くの懐疑論者達からは、例え今回の複写地図が1763年のものであったとしても、そのオリジナルが1418年のものであったとする記述は疑わしいとする声が上がっている。
 
また一部からは、例えこれが本当であったとしても、アメリカの第一発見者は決して中国人航海者ではなく、むしろヴァイキングのレイフ・エリクソン(※)であると主張している者もいるという。
 
※レイフ・エリクソンは一説には西暦1000年頃にアメリカを発見していたと言われる。二つのアイスランド伝説(「エリク・サガ」、「グリーンランド・サガ」)によれば、彼はとある陸地を発見し、そこで育つブドウにちなんで“ヴィンランド”と命名したとされているが、今日尚、ヴィンランドが実際にどこだったのか、また彼が本当にアメリカの”第一発見者”なのかどうか不明のままである。
 
とはいえ、鄭和よりもっと前に世界一周をしていた人々がいても不思議ではない。
 
アフリカ一周航路の存在は古代エジプト時代から分かっていた可能性があるし、8世紀に起こったイスラム帝国の商人たちは、すでにアフリカ東海岸を南下する航路や、インド洋を横断する航路を頻繁に行き来していた。
 
アラブ商人たちが、インド洋のもっと先の太平洋から南米に達したり、アフリカ南端を回って南米方面に向かっていたとしても、不思議ではない。
 
「地理上の発見」とか「大航海」といったような概念は、15世紀まで西欧からほとんど出たことがなかったヨーロッパの人々にとって「発見」であり「大」航海だった、というだけのことだ。
 
その後、西欧文明が世界と「世界史」を支配するようになったから、「人類初の世界一周はマゼラン」ということが「常識」になったのだと思われる。

(転載ここまで)
 
「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」という歴史的事実は、単に当時のヨーロッパ人にとっての「新発見」であって、その他の国の人からしてみれば「新発見」でも何でもなかった。
 
全くもって的を射た記事です。
 
そもそも、私から言わせてもらえば、「コロンブスの新大陸発見」というニュースは、ドルイド僧たちがアメリカ大陸の存在を知っていたという事実を隠蔽するための情報撹乱だったとしか思えません。
 
そうすることで、自分たちがアメリカの原住民と交易していたという事実を隠そうとしたに違いないのです。
 
そうしないと、自分たちがアメリカ原住民の生贄儀式と何らかの関わりがあった、ということになってしまいますから。
 
三つ目の証拠です。
 
ちょっと前に、「聖徳太子」が空飛ぶ飛行機に乗っていた可能性があるというお話をしました。
 
今のところ、この話が本当かどうかは判断がつきかねますが、これが事実であることを証明するかのように、この世には「聖徳太子」が持っていたとされる地球儀が存在しています。
 
聖徳太子の地球儀 – Wikipedia

〈聖徳太子の地球儀〉

これは「斑鳩寺」から発見された「聖徳太子」が持っていたとされる地球儀です。
 
しかし、この地球儀についても、ネット上では「本物だ」とか「偽物だ」とか激しい論争が繰り広げられています。
 
そんな中、きわめて中立的な立場でこの地球儀について冷静に分析した記事がありました。
 
(以下、こちらから転載)
 
聖徳太子の地球儀とは日本で発見された最も有名なオーパーツのひとつである。
 
超能力者であったという説もある聖徳太子が作ったと言われ、西暦606年に聖徳太子開基の兵庫県の斑鳩(いかるが)寺に伝わる。
 
いびつではあるが手のひら大の球形の地球儀であり、陸地は凸、海洋は凹の立体的な石製レリーフの丸い地球儀であり、「地中石」とも呼ばれている。
 
聖徳太子が存在した時代にはまだ地球が丸いという概念もないころである。
 
さらに驚くことに地図上には南北アメリカ大陸やアジア、アフリカ大陸が描かれており、1800年代に発見された南極大陸も含め正確に配置されているのだ。
 
そしてその地図の太平洋上にはいまだに謎が残る1万年以上前に太平洋に沈んだとされる「ムー大陸」らしき大陸も存在している。
 
ここから考えられるのは聖徳太子は地球が丸い球形であること、このムー大陸が存在していた頃に南北アメリカやユーラシア大陸などが位置していたということをなんらかの能力で知っていたということになる。
 
またこの地球儀にはまだその存在が知られていなかった南極大陸の位置に「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」と書かれていた。
 
文字を紙に書いたものを埋めこんであるので、地球儀ができた後に書き足されたものではないことがわかる。
 
聖徳太子が超常的な能力をもってこの地球儀を完成させたこととなり、超能力者であったという伝説がにわかに真実味を増した。
 
このように謎の多い不可思議な「聖徳太子の地球儀」であるが、実は聖徳太子によってではなく江戸時代に作られたものではないかという説が有力視されている。
 
18世紀頃にヨーロッパで作られた世界地図には当時未発見であった南極大陸の位置にマゼランにちなんだメガラニカという大陸名が表記されており、江戸時代の日本ではヨーロッパから学んだ世界地図が製作され、この地図にも南極大陸はメガラニカと表記されているのだ。
 
以上のことから、この地球儀は江戸時代に日本で最初の百科事典を編纂した寺島良安という人物が作成したのではないかと言われている。
 
なぜかというと、その江戸時代の百科事典「和漢三才図会(1712年)」に書かれている「山海興地全図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致しているのだ。
 
最新の科学技術を用いてこの地球儀を分析した結果、この聖徳太子の地球儀は聖徳太子が存命していたころではなく江戸時代になって作られ斑鳩寺に奉られたという仮説が導かれ現在もこのように推測されている。
 
しかひとつ気になる点が残っている。この聖徳太子の地球儀には先ほど述べた「ムー大陸」らしき大陸が描かれてていることだ。
 
「山海興地全図」にムー大陸は描かれていない。
 
太平洋上に1万年以上まで存在していたというムー大陸の概念が初めて知られるようになったのは、1931年にジェームス・チャーチワードが著した「失われたムー大陸」という書物が発刊されてからである。
 
寺島良安がこの地球儀を作ったならば、なぜそこに200年後まで知られることのなかった「ムー大陸」を太平洋上に位置付けて表すことができたのかという疑問が残る。

 
この地球儀は江戸時代に作られたという仮説自体にまだ解明できない問題点が残り、すべての謎は解き明かされていない。
 
(転載ここまで)
 
このブログの読者の皆さんなら、ドルイド教の神官である「聖徳太子」なら「ムー大陸」の存在を知っていてもおかしくはない、と思われる方が大半だと思います。
 
なので、世間一般の人たちのように、この「地球儀」を何が何でも偽物だと決めつけるようなことはしないと思います。
 
しかし、この地球儀をなんとしてでも偽物だと決めつけたい人たちは、「山海興地全図」にもムー大陸は描かれていた、だからこの地球儀は「山海興地全図」の模写だ、などと屁理屈をこねています。
 
例えば以下のリンク記事がそれです。
 
聖徳太子の地球儀: 零画報

〈山海興地全図〉

悪いですが、この地図にムー大陸が描かれていると考える方が無理がありますね。
 
どこからどう考えても、ここに描かれているのは「ムー大陸」ではなく「日本列島」です。
 
多少デフォルメされてはいますが、北海道やら九州やらが(小さいながらも)きちんと描かれているからです。
 
ところが、一方の「聖徳太子の地球儀」には北海道や九州は描かれていません。しかも、日本列島が尋常でないぐらい大きいし、太平洋のちょうど真ん中あたりに描かれています。
 
これは明らかに「日本列島」ではなく「ムー大陸」です。
 
それに何より、「聖徳太子」の時代に地球儀なんかあるわけがない、と考えるのがそもそもの間違いです。
 
何せ、「聖徳太子」よりも前の「卑弥呼」の時代から地球儀は作られていたことが分かっているからです。しかも、「聖徳太子の地球儀」よりも遥かにリアルな地球儀が。
 
以下の動画は、前にもご紹介したことのあるものですが(その記事はこちら)、再度、ここでご紹介したいと思います。これが何よりの証拠です。

このように「卑弥呼」の時代から既に(一部の支配層たちの間で)当たり前のように作られていたのです。
 
しかも、この「卑弥呼の地球儀」を見た限りでは、当時から既に「衛星写真」が存在していたとしか考えられません。
 
いや、そんなわけがない、とおっしゃる方のために、さらなる証拠をお見せします。
 
以下の記事をご覧ください。
 
(以下、こちらから転載)
 
今回、久しぶりにこのシリーズを書こうと考えたきっかけは、昨年に放映された映画「ピラミッド 5000年の嘘」を観たためでした。
 
概要は、以下の動画でも視聴することができます。

本映画の中で私が最も衝撃を受けた内容は、ギザのピラミッド、ナスカの地上絵、イースター島、マチュピチュ、シュメール、アンコール・ワット、モヘンジョダロ、等々、数多くの古代遺跡が一直線上に並んでいるという事実でした。
 
実際にGoogle Earthでパスを描いてみると、これらの古代遺跡は本当にほぼ一直線に存在し、地球を一周しています。
 
① ギザのピラミッド 〜 アンコール・ワット

② ナスカの地上絵 〜 ギザのピラミッド

③ イースター島 〜 ギザのピラミッド

※ どなたでも簡単に試すことができます
 
この古代遺跡が一直線に地球を一周しているという点で思い出したのが、このシリーズの第一弾で紹介した、考古学者クラウス・ドナが講演で説明していたエクアドルで1984年に発見された古代の世界地図を示すと言われている石です。

註 :出ました。またしてもエクアドルです。縄文式土器が発見された場所ですね。ちなみに、この世界地図は今から1万年も前に作られたものだそうです。

<Project Avaron>クラウス・ドナ :人類の隠された歴史
 
<エクアドルで発見された古代の世界地図>

白く見える線は水晶によって描かれているそうですが、この古代の世界地図も、エジプト、イラク、インド、イースター島など、同じ様に数々の古代文明の遺跡間を線で繋いでいるように見受けられます。
 
なお、瞳の絵柄が埋め込まれた所が2カ所あり、一カ所は中近東(シュメール文明のあった辺り?)と、もう一カ所はこの古代の世界地図が発見されたエクアドルの位置だそうです。
 
この古代の世界地図には、空想とされているアトランティス大陸と思われる現代には存在しない大陸も描かれていると言われております。
 
また、直線と言えば、ナスカの地上絵では不思議な巨大な絵が有名ですが、私がもっと疑問として持っていたのが、無数の直線で描かれた地上絵です。

〈大三角形〉

〈十字型〉

これらの直線の意図は一切謎とされているようですが、もしかしたら各古代遺跡を繋ぐ直線も見つかるのかもしれませんし、もっと深い意味が含まれているのかもしれません。
 
(転載ここまで)
 
このように、世界の有名な遺跡はどれもこれも一直線のレイライン上にきれいに作られています。
 
これだけでも、古代人たちが空を飛び、この地球を宇宙から見下ろしていたという可能性は高いと言えます。
 
しかしながら、そのような高度な文明は今ではほとんど全て消滅してしまった……。
 
なぜかといえば、その高度な文明の鍵を握るドルイド僧たちが、自分たちの有する知識や技術を文字にして書き残すことを禁じていたからです。
 
そのため、ドルイド僧たちが一人また一人と死んでいく度に、その知識や技術は次々と忘れ去られていったのです。
 
ということで、今日はコロンブスの新大陸発見が大嘘だった、ということがさらにはっきりとご理解いただけたかと思います。
 
もっとも、頭の硬い人はこれだけ言ってもまだ信じられないかもしれませんが……。
 
ちなみに、悪魔崇拝者なるドルイド僧たちが、古くから日本こそが世界の中心であると考え、天皇中心のNWOを実現しようとしてきたということは、これまで何度もお話してきた通りですが、今日はこれにちなんで、皆さんに面白いものをご紹介したいと思います。
 
以下の地図をご覧ください。

これは「ヘレフォード図」といって、1300年頃にヨーロッパで作成された世界地図です。
 
ヘレフォード図 – Wikipedia
 
そして、この地図は明らかに地球が丸いという前提で描かれています。
 
しかし、地球が丸いということがヨーロッパで一般に認識されるようになったのは、マゼランが世界一周をした後のことです。(1522年9月6日)
 
しかし、その前の時代から、地球が丸いという話は一部の人たちの間では割と知られていたようです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
地球球体説 – Wikipedia
 
しかし、このウィキペディアの記事を見ても分かる通り、地球が丸いということを知っていたのは、いわゆるドルイド僧とおぼしき知識人たちばかりです。
 
ということは、この「ヘレフォード図」を描いた人物も、ドルイド僧である可能性が高いということになります。
 
そして、面白いことに、この「ヘリフォード図」の頂点にはなぜか日本が描かれ、その日本のことを「HEAVEN(天国)」と書いてあります。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
日本は、エデンの園だった! – 未来を見つめて
 
この地図を描いたのは「ヘリフォード大聖堂」に務めていた聖職者であり、つまりはクリスチャンです。
 
しかし、普通のクリスチャンは日本のことを「天国」とは呼びません。
 
日本のことを「天国」だと思っているのは、世界広しと言えども「国常立尊=ルシファー」を最高神として崇めるドルイド教徒だけですから。

転載ここまで

RAPT×読者対談〈第43弾〉ゼロ磁場グッズ開発者・木村将人氏との対談 (1)

本日は、我々が「イヤシロチグッズ」と呼んでいる電磁波の歪みを修正するグッズを開発した「木村将人」さんとの対談を公開します。
 
驚いたことに、木村さんは理系の方ではなく、私と同じく「文学」を専攻された方のようです。
 
これまで膨大な書物を読みあさり、様々な知識を一つにつなげていくうちに、「イヤシロチグッズ」を開発するに至ったとのこと。(これについては、次回の対談でお話しています。)
 
「イヤシロチグッズ」を買った人も、まだ買っていない人も、頭から「イヤシロチグッズ」なんてインチキだと思ってる人も、とりあえず今回の対談を聞いて、「木村将人」さんがどのような方なのかを知っていただければと思います。
 
この対談でもお話しています通り、今のところ、私は「イヤシロチグッズ」によってかなり体調が良くなっているのですが、どうしてこんなに体調が良くなるのか不思議で仕方がなく、その仕組みを木村さんに根掘り葉掘り聞いています。
 
この対談にはまだ続きがありますが、今回の対談だけでも、「イヤシロチグッズ」がどのような経過を経て開発されることになったのか、おおよそのことがご理解いただけるのではないかと思います。
 
なお、「木村将人」さんの経営されている「縄文環境開発」のホームページは以下になります。
 
株式会社 縄文環境開発
 
電磁波の歪みを修正する「イヤシロチ」関連のグッズは、以下のリンクからご覧ください。
 
宇宙エネルギー載パワー「ゼロ磁場グッズ」オリジナル商品
 
次回もどうぞお楽しみに。
 
ちなみに、木村さんの話によく出てくる「Oリングテスト」「フルボ酸鉄」については、それぞれ以下のリンクをご参照ください。
 
ORT友の会 オーリングテストとは何か?
 
森から海への贈り物“フルボ酸鉄”

RAPT×読者対談〈第44弾〉ゼロ磁場グッズ開発者・木村将人氏との対談 (2)

今日も、「イヤシロチグッズ」を開発された木村さんとの対談の続きとなります。

「イヤシロチグッズ」が開発されるまでの過程について主に聞かせていただきましたが、今回はなぜ「イヤシロチグッズ」に効果があるのか、また「イヤシロチグッズ」に副作用はないのかについて、私が気になっていることをしつこいぐらいに質問させていただきました(笑)。
 
「イヤシロチグッズ」を使っている方なら誰でも同じだと思いますが、私も「イヤシロチグッズ」の仕組みが知りたくて知りたくてたまりませんでした。
 
なので、この対談を機に、私が皆さんを代表して木村さんにしつこく質問させていただいたわけですが、それに対する木村さんからの回答が今回の対談となります。

「電磁波」が人体に害を及ぼす、ということはネット上でもこれまでずっと大きく騒がれてきましたが、この「電磁波」の被爆を免れる方法を提示した人はほとんど誰もいませんでした。
 
なので、木村さんの開発した「イヤシロチグッズ」で本当に電磁波被爆を免れることができるのなら、これほど有り難いことはありません。まさに人類にとっての大きな福音です。
 
とはいえ、「イヤシロチグッズ」はそこそこ高価なものですので、誰でも簡単に手が出せるものではないかも知れません。

高圧電線の近くに住んでいる人、ハイブリットカーに乗っている人、オール電化住宅に住んでいる人などは、個人的に何らかの対策を打った方がより安全であることは確かでしょう。
 
もちろん、これについては皆さんご自身の判断に任せるしかありません。
 
なお、「木村将人」さんの経営されている「縄文環境開発」のホームページは以下になります。
 
株式会社 縄文環境開発
 
電磁波の歪みを修正する「イヤシロチ」関連のグッズは、以下のリンクからご覧ください。
 
宇宙エネルギー載パワー「ゼロ磁場グッズ」オリジナル商品
 
次回もどうぞお楽しみに。

RAPT×読者対談〈第45弾〉ゼロ磁場グッズ開発者・木村将人氏との対談 (3)

「イヤシロチグッズ」の開発者・木村将人さんとの対談を公開してきましたが、今回はその最終回となります。

木村さんとの対談を通して私が思ったことをいくつかまとめておきます。
 
今のところ、木村さんはご自身が開発された「イヤシロチグッズ」の原理について、きちんとした言葉で説明することはできないようです。
 
このことについて、私自身、少し思うところがありました。
 
私自身、「RAPT理論」が完成するまでは、この世のカラクリについて、分かるところよりも分からない部分の方が多かった。少なくとも、私はそう感じていました。
 
しかし、実際に「RAPT理論」が完成してみると、分かっていたことの方が、分かっていないことよりも意外に多かった、ということが分かってきました。
 
「RAPT理論」が完成していないときには、私の目には分からない部分が怪物のように大きく見えていました。
 
「謎」というのは、いつもそのようなものです。しかし一旦、「謎」を解明してみると、その答えは意外に単純だった、という場合が大半です。
 
また、根拠薄弱な部分、証拠がない部分については、人に語りたくても語ることができない。それが実情です。
 
なぜなら、下手にそれを語って、それが実は間違いだったということになれば、私がそれまで語ってきた全てのことまでインチキ扱いされてしまいかねないからです。
 
恐らく木村さんも、今現在はこのような段階にあるのではないかと感じました。
 
木村さんの中では、分かっていることよりも分かっていない部分の方が多い。少なくとも、木村さんはそのように感じておられるのでしょう。
 
だから、語りたくても語ることができない、あるいはうまく語ることができない、というのが現状ではないかという気がします。
 
もっとも、木村さんの場合は、私とは違って「企業秘密」の部分も多々あるのではないかとも思いましたが……(笑)。

というのも、「イヤシロチグッズ」は人間の精神にかなり大きな影響を及ぼすと思われるからです。
 
そもそも、人間の「体」と「心」は別々に存在しているわけではありません。それぞれが互いに影響しあって存在しています。
 
したがって、「体」に何らかの影響があるものは、当然、「心」にも大きな影響を及ぼします。また、その逆も然りです。
 
そのため、木村さんが仰ったように、「イヤシロチグッズ」によって悪人が善人に変わっていく、ということも十分にあり得るのですが、この世の悪人たちが皆そのようになるとは限りません。
 
むしろ、悪人というものは往々にして、どんどん悪い方へと流されていきます。いいことがあっても、悪いことがあっても。
 
そうすると、「イヤシロチグッズ」によって悪のエネルギーが増幅し、その人自身に大きな災いが襲いかかる、ということは十分にあり得ることではないかと思いました。

この世の優れた技術は、ほとんどすべて「ドルイド教」に起源があると考えて間違いないからです。
 
では、ドルイド僧の発明した技術がすべて悪なのかといえば、決してそんなことはありません。
 
彼らの技術のおかげで、我々現代人は、数多くの文明の恩恵に預かれるようになったわけですから。
 
「修験道」「仙道」にしても、すべての出どころは「ドルイド教」です。
 
また、「合気道」、「サッカー」、「ヨガ」、「ロック・ミュージック」、こういったものも全ては「ドルイド教」に起源があることが分かっています。
 
さらに言うなら、建築、医療、科学、数学、芸術など、この世に存在するありとあらゆる分野が、ドルイド僧の知識から始まったと考えて間違いありません。
 
だからといって、これらのものを全て排除してしまうなら、我々はこの世の中でまともに生活することができなくなります。
 
我々はこれらのものから悪い部分だけを分別して抜き取り、排除し、良いものだけを残して有効活用していくべきです。
 
そうすることで、悪魔の道具として利用されていたこれらのものが、人類にとって真に有益な形で活用されるようになります。
 
そして、そのような活動をする人たちがこれから数多く出てくるべきでしょう。
 
木村さんの発見した「渦巻きマーク」も、もともとは悪魔が利用していたものなのだと思います。

悪魔どもがこのパワーを悪用したがためにムー大陸やアトランティス大陸も滅亡してしまったのかも知れません。
 
しかし、この「渦巻きマーク」が絶対的に悪なのかというと決してそんなことはないと思います。少なくとも、私は今回の対談を通してそう思いました。
 
この「渦巻きマーク」を真に有益な形で有効利用することは可能だと思います。
 
そして、これを有効利用する方法を思いついたのが、何の因果か、たまたま「木村将人さん」だった、ということなのでしょう。
 
いわば、神様が木村さんをお選びになったわけです。
 
今回の木村さんとの対談を通して、私はそんな感想を抱きました。
 
ちなみに、「電磁波」の被曝によって三半規管がおかしくなり、平衡感覚を失うという話は、ネット上でも割と出回っている情報です。
 
思考盗聴の技術 電磁波で人を操作する技術
 
めまい、ふらつき

木村さんの対談は今回で終了となります。
 
私としても、非常に意味深いお話を聞かせていただくことができ、今回、こうして木村さんと対談できたことを心から感謝しています。

 10月31日ハロウィンの日に起きたロシア機エアバスA321墜落事件と、異常に増えつづける有名人の死亡者数について。

ここ最近、ドルイド教徒(悪魔崇拝者)による生贄儀式が古代から世界規模で行われていたという事実、そしてその古代世界の中心が他でもない「日本」だったという確たる証拠を皆さんにご紹介してきました。

古代世界には「日本」を中心とした世界帝国が作られていて、その世界帝国ではほぼ日常的に残酷な生贄儀式が行われていた……。
 
これについては、世界各地から発掘されたミイラや遺骨などから見ても明らかなことであり、誰にも隠し切れない事実となっています。
 
ところが、イルミナティの連中はこの事実を隠し通すために、古代史のありとあらゆる情報をひたすら隠蔽、情報撹乱してきました。
 
そのため、一時期、小学校の歴史の授業から、旧石器時代・縄文時代のことが省かれていたことすらあったほどです。もっとも、今では学校の先生方の抵抗により、これらのこともきちんと教えるようになったとのことですが。
 
この生贄儀式を行っていた古代の世界帝国は、一時的に何らかの理由で滅亡しました。いわゆる、ムー大陸・アトランティス大陸の滅亡です。
 
しかし悪魔崇拝者たちは、その後も古代ケルトのドルイド僧として暗躍し、白昼堂々と生贄儀式を行いつづけていました。

ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。
 
このドルイド教はその後、「ゾロアスター教」「ミトラ教」「密教」「神道」「チベット仏教」など様々な宗教へと形を変え、世界各地に広く浸透していきました。
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
このようにドルイド教が他の宗教に形を変えていく中で、生贄儀式のやり方もそれぞれの地域によって多様に変化していきました。
 
時代の変化とともに、「生贄儀式は非人道的である」という認識が広まっていったためでしょう。
 
ドルイド僧たちは白昼堂々と生贄儀式を行うことができなくなり、他の儀式やお祭りを行う振りを装いつつ、生贄儀式を行わなければならなくなったのです。
 
特に10月31日の「ハロウィン」はまさにその典型です。
 
「ハロウィン」はもともと古代ケルトの「サウィン祭」という名の生贄儀式だったのですが、今ではこの事実を知る人はほとんど誰もいません。
 
誰も彼もが、「ハロウィン」をキリスト教系のお祭りだと思い込み、仮装して馬鹿騒ぎをしたり、お菓子をもらうために家々を回ったりしています。
 
しかし、皆がそうやって浮かれ騒いでいる中で、ドルイド僧たちは今でも陰で密かに残酷な生贄儀式を行っているのです。
 
島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
 
しかし、これは「ハロウィン」だけに限ったことではありません。
 
実は、日本の祝祭日の多くが、古代ケルトの「サバト(生贄儀式)」に由来があるものばかりなのです。

(以下、こちらから転載)
 
―魔女の祝祭―
 
魔女は年に8回の季節のお祭りをします。これを「サバト」と呼びます。1年間の季節の移り変わり(つまり、太陽の移り変わり)を基準にしているので、「太陽のお祭り」と言うこともできます。
 
もともとは魔女が焚き火等の大きな火のまわりに集まり、巡る季節の移り変わりと共に神および女神を祝っていたものです。
 
サバトは二種類に分けることができます。大サバトと小サバトです。
 
大サバトはイモルグ、ベルテイン、ルーナサー、ソーウィン、小サバトは春分と秋分、夏至と冬至です。
 
小サバトの方は日照時間に合わせて決められるものなので年によって若干のずれがあります。ですから、下の表にかかれている日付も「大体この辺」、ということです。
 
(中略)
 
■Imbolg(イモルグ)2月2日
 
ケルトの豊穣と火を司る大母神ブリギッドを祭ったことから「ブリギッド祭」、キリスト教では聖母マリアの清めの日で、安産祈願のために妊婦がキャンドルを納めに行く日であることから聖燭節(キャンドルマス)とも呼ばれます。
 
春の訪れを祝うお祭りです。新しい始まり、浄化やインスピレーションにも関係しています。このことから、新しいメンバーをカブンに迎え入れたり、新たにWiccanとなるには最適の日であるとされています。
 
※Oriental Wiccaでは、正式には「イモルグ」、通称「キャンドルマス」と呼んでいます。キリスト教のキャンドルマスも、もともとはブリギッドに火を捧げることの影響で、このような儀式が生まれたようなので、「キャンドルマス」と呼ぶことに本質的な疑問を感じないからです。
 
■Spring Equinox(スプリングイクイノックスあるいはオースターラ)3月22日
 
日本の春分の日と同じです。イースターとしても知られています。「イースターエッグ(色とりどりに塗ったり、絵を描いたりしたゆで卵)」もキリスト教よりはるか昔からのもので、「世界の卵」を象徴しています。
 
「世界の卵」というのは女神が産んで、太陽神が暖めてかえした卵のことです。この卵から世界が生まれた、という伝説に基づいています。
 
部屋中を春の花で飾って、お祝いします。そして、参加者の中の若い女性を「春の女王」に指名して、お祭りの最後には彼女の腕にいっぱいの花束を持たせる伝統があります。
 
※Oriental Wiccaでは単純に「春分の祭り」と呼んでいます。祭壇に「太陽の象徴」として真鍮製の小さなシンバルを飾っています。その年の儀式を行う場所によっては「梅や桜などの花見」も重要な儀式として行っています。
 
■Bealtaine(ベルテイン)4月30日
 
夏の始めを祝うお祭です。
 
メイ・イブとも呼ばれますが、おそらくもっとも有名なのは「ワルプルギスの夜」という名前でしょう。
 
昔は山上で巨大な焚き火(ものすごく大掛かりなキャンプファイアーを想像してください)を焚いて、夜通しで大騒ぎのお祭をしていたようです。古代の宗教を毛嫌いしたキリスト教が「悪魔達の夜だ!」といったほどに大騒ぎしたようです。
 
また、「メイ・ポール」という大きな丸太をリボンなどで飾り立てて、その周りをぐるぐると踊りまわったりすることも伝統的です。
 
労働者のお祭り「メイ・デー」もここに端を発すると言われています。
 
※Oriental Wiccaでは、「メイ・ポール」のミニチュアを祭壇に飾ってお祝いします。数年のうちには、本物でできるようにしよう、と言うのが目標です。
 
■Litha(リーザ)6月21日
 
夏至のお祭です。
 
私たちは、一年のうちで最も陽が長い1日の暖かさを楽しみます。
 
昔はベルテインと同じように丘の頂上で大きな焚き火をしてお祝いしたようです。
 
また、女性がほうきにまたがって畑の中をぴょんぴょんと跳ねながら踊ることで、その年の豊作を祈る、というダンスもこのときに行われていたようです。これが後に「魔女がほうきに乗って飛んでいる」という話の元になっています。
 
※Oriental Wiccaでは単純に「夏至の祭り」と呼んでいます。ただ、厳密に夏至の日に行うことはまれです。夏至の日を含む夏至の日以降の最初の晴天の日に行うようにしています。昼間の長さを祝う祭りに、梅雨空は似合わないからです。
 
■Lughnassad(ルーナサー)7月31日
 
もともとは一足早い収穫祭としてのお祭です。夏至を境に日は短くなって太陽はその強さを失って行きます。また、夜は日々長くなります。
 
実りの秋に向かって作物がさらに豊かに実るように祈ったお祭が始まりとなっています。 「コーン・ドーリー」と呼ばれる人形を作って祝います。
 
※Oriental Wiccaでは、ハーブの収穫などが大変忙しい頃です。収穫したハーブを祭壇一杯に飾ってお祝いします。
 
■Mabon(メイボン)9月21日
 
秋分の日のお祭で、収穫祭でもあります。そして、来年もまた、豊作であることを祈る日です。
 
また、春分が色々な意味での始まりの日だったのに対して、この日は「休息の日」でもあります。
 
伝統的には「キャンドルゲーム(二重の輪になって座り、内側の輪の人が火のついたキャンドルを手から手へと回し、外側の輪の人が間から吹き消す、というゲーム)」を行っていました。
 
※Oriental Wiccaでは単純に「秋分の祭り」と呼んでいます。秋の味覚をみんなで楽しむ儀式を行っています。
 
■Samhain(ソーウィン)10月31日
 
ハロウィンという別名でいえばほとんどの人がわかるお祭ではないでしょうか。
 
オバケカボチャに仮装行列などのイメージが強いのですが、本来は日本の「お彼岸」と似たような意味合いを持ったものです。自分たちにとって大切な故人を偲ぶ日なのです。
 
また、占いをするには最適の日である、とされています。大釜に水を張って、それを覗き込んで水晶球占いのようにする占いが有名です。
 
※Oriental Wiccaでは、重要な占いをする儀式が執り行われます。また、故人を偲ぶ儀式と、「ハロウィン」の馬鹿騒ぎに似たにぎやかな儀式の2部構成で祝うことになっています。
 
■Yule(ユール)12月21日
 
冬至のお祭です。
 
そして、これが、男性神の力がここを境に強くなっていく日であることから、「イエスキリストの誕生日はこの日である」ということにして、後にクリスマスになりました。
 
木の葉が落ち、全てが死んでしまったかのように見える太陽のもっとも短い日ですが、それは同時に翌日から陽がのびてくることを意味します。そこで、「死と再生」を感じる日でもあります。
 
魔女は輪廻転生に基づく「生まれ変わりの概念」を信じていますので、新たなる誕生の喜びを思うのです。
 
※Oriental Wiccaでは、正式には「冬至の祭り」、通称「ユール」と呼んでいます。ゆず湯と鍋物は儀式の欠かせないものといつの間にかなっています。
 
(転載ここまで)
 
平和的な文章が淡々と書かれていますが、これらの行事はすべてドルイド教の生贄儀式です。
 
つまり、「春分の日」「メーデー」「夏至」「彼岸」「ハロウィン」「冬至」「クリスマス」などの日は、全て「ドルイド教」の生贄儀式に由来があるというわけです。
 
私がこうして「ドルイド教」について詳しく調べていた最中、まさに「10月31日」のハロウィンの日に、思ってもいない重大事件が起きました。

(以下、こちらから転載)
 
■乗客乗員224人 エジプト当局「生存者いない」 
 
ロシア航空当局に入った連絡によると、エジプト東部シャルムエルシェイクから露サンクトペテルブルクに向かっていたロシアのエアバスA321旅客機(乗客乗員224人)が31日、エジプトのシナイ半島で墜落した。
 
エジプト当局は、機体トラブルによる事故だとの見方を強めている。搭乗者の大半がロシア人の旅行客とみられ、地元メディアによると、複数のエジプト政府当局者は生存者がいないと語った。
 
エジプトからの報道によれば旅客機は大破した状態で発見された。在エジプト日本大使館は乗客乗員に日本人はいないとみている。
 
旅客機は離陸の約23分後に消息を絶った。国営ロシア通信によると、同機のパイロットは離陸直後、技術的な問題があるとして、カイロへの緊急着陸を管制官に要請。エジプトのメディアは、ミサイルによる撃墜などは考えにくいとする消息筋の話を伝えた。
 
旅客機を運航していたロシアのコガルイム航空はチャーター便を扱い、墜落した機は製造から18年以上が経過。プーチン露大統領は31日、搭乗者の親族に弔意を示し、事故に関する国家委員会を設けるようメドベージェフ首相に命じた。
 
(転載ここまで)
 
私はまず「エアバスA321」という機体の番号が気になりました。
 
「国常立尊=ルシファー」によって撃墜された「JAL123便」と同じく「1」と「2」と「3」という数字が使われているからです。
 
しかも、その数字が逆さまになっています。逆さまにする、という発想はまさしく悪魔が好むものです。
 
JAL123便墜落事故で死亡した520人は、出雲族の神「国常立尊」を蘇らせるために殺害された可能性大。
 
JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。
 
それに何より、この事件が起きた日付が「10月31日」のサバトの日。
 
この飛行機墜落事故があった直後、「イスラム国」が自分たちの犯行であるとの声明を発表。
 
それに対して、各国の要人やマスコミが否定的な見解を述べました。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
 
ロシア航空機墜落の原因は爆弾?ISによるテロの可能性が高まる – NAVER まとめ
 
こうなってくると、現代の「ドルイド教徒」たちが、あらかじめ「イスラム国」なるテロ組織をでっち上げておいて、自分たちの行った生贄儀式をすべて「イスラム国」のせいにしている、としか思えません。
 
ちなみに、「イスラム国」が現代のドルイド僧(悪魔崇拝者)によって作られたという証拠は以下になります。
 
イスラム過激派「ボコ・ハラム」が「イスラム国」に忠誠を誓った時点で、「イスラム国」が天皇派の傀儡であることを立証したも同然です。
 
「イスラム国」に資金援助したトヨタが、軍用ロボットを密かに開発しているという恐るべき現実。
 
とはいえ、現時点ではこの「エアバスA321」墜落事故をドルイド僧の生贄儀式であると断定することはできません。それだけの明確な証拠が見付かっていないからです。
 
ただし、その可能性を示唆する一つの状況証拠を見付けました。
 
以下のウィキペディアの記事をご覧ください。
 
10月31日 – Wikipedia
 
この記事には、有史以降、「10月31日」に起きた毎年の重大事件・重大事故が余すことなく羅列されています。
 
その事件を1件ずつ見ていくと、これまで「10月31日」に5件もの飛行機の死亡事故が起きていることが分かりました!!
 
■1979年10月31日 – ウェスタン航空2605便事故。73人が死亡。
■1994年10月31日 – アメリカン・イーグル航空4184便墜落事故。68名全員死亡。
■1999年10月31日 – エジプト航空990便墜落事故。203名死亡。
■2000年10月31日 – シンガポール航空006便墜落事故。乗員乗客83名が死亡。
■2014年10月31日 – 試験飛行中のスペースシップツー一号機「VSSエンタープライズ」が墜落。1名死亡。
 
「エアバスA321」墜落事故を合わせると、全部で6件です。死亡者数の合計はなんと「652人」。
 
果たしてこの件数は多いのか少ないのか。ちなみに「652」を「6」で割ると、「108.6666666666666‥」となりました。「18」と「6」は意味深な数字ですね。分からない方は以下のリンクをご覧ください。
 
RAPT有料記事14(2015年10月5日)「6」と「7」と「11」と「18」の意味。
 
私はそれが知りたくて、ざっと簡単に「10月31日」以外の日に起きた飛行機事故の一日ごとの件数について調べてみました。
 
といっても、365日すべての日を調べることは難しいので、上に出てきた「サバト」の日を中心に、その前後の日をランダムに選出して調べてみました。
 
また、それ以外にも、私がパッと適当に思いついた日を何十件か検索して調べてみました。
 
しかし、どんなに調べてみても、6件もの飛行機事故が起きた日は他に一つも見付かりませんでした。
 
というか、2件もの死亡事故が起きた日すらなかなか見付け出すことができませんでした。(一応、7月31日に二件起きていることが分かりました。)
 
これはもはや確率統計的に見て、絶対にあり得ないことです。
 
つまり、「10月31日」だけ6件もの飛行機の死亡事故が起きるということは、人為的に引き起こさなければ無理だということです。
 
「10月31日」に起きた飛行機事故は、すべてドルイド僧による生贄儀式である可能性が高いということです。
 
もしお時間のある方は、ぜひとも10月31日以外に、2件以上もの飛行機死亡事故が起きた日があるかどうか調べてみてください。
 
そして、もしそれが見付かったら、ぜひともご一報ください。
 
また、話は少し変わりますが、ここ数年間、若くして死亡する有名人・芸能人が異常なまでに増えてきています。
 
2012年 亡くなった芸能人・有名人 まとめ|カイトのブログ
 
2013年 亡くなった芸能人・有名人 まとめ|カイトのブログ
 
2014年 亡くなった芸能人・有名人 まとめ|カイトのブログ
 
2015年 亡くなった芸能人・有名人 まとめ|カイトのブログ
 
このブログの管理人による調査の精度がどれほどのものなのかは分かりませんが、それでも2012年に「20人」だったものが、2013年にはその三倍の「63人」に増えています。これは余りに異常な数です。
 
2014年になると、その人数は「34人」と半分ぐらいに減りますが、その代わり「がん」で死亡した人が増えていることが分かります。
 
今年2015年はまだ終わってはいませんが、今のところ「27人」。こちらもやはり「がん」が目立ちます。
 
また、「3.11」以降、「声優」の死亡件数が異様なまでに増えているようです。
 
(以下、出典はこちらこちら
 
[2011]
6/9 川上とも子 (41) 卵巣がん
 
[2012]
11/15 荒川太朗 (56) 多臓器不全
12/27 谷口節 (65) 自転車走行中卒倒。急死
 
[2013]
1/26 亀山助清 (58) 悪性リンパ腫
2/18 本多知恵子 (49) 多発性がん
2/26 嶋村カオル (43) 乳がん
3/5 納谷悟朗 (83) 慢性呼吸不全  
3/6 紗ゆり (55) がん
3/10 滝下毅 (37) 転落事故
4/1 沼波輝枝 (89) 肺炎 
6/5 石森達幸 (81) 心不全
6/13 内海賢二 (75) がん性腹膜炎 
7/5 村田則男 (65) 肝硬変 
9/9 亀井三郎 (75) 急性心不全
9/21 石田太郎 (69) 心筋梗塞
10/10 檀臣幸 (50) 再発性大動脈解離  
11/13 相生千恵子 (78) 心不全 
11/18 小関一 (81) 病死
11/25 来宮良子 (82) 多臓器不全
 
[2014]
1/17 加藤清三 (86) 膀胱がん
1/27 永井一郎 (82) 虚血性心疾患 
1/27 塚田正昭 (75) 病死
2/9 久保智史 (34) くも膜下出血
3/12 あきやまるな (61) 急性心不全
5/1 矢田耕司 (81) 慢性腎不全
7/30 仲村秀生 (79) 入浴中溺死
8/26 半田雅和 (47) 死亡 心不全 
9/30 家弓家正 (80)
11/1 弥永和子 (67) 敗血症 
11/17 納谷六朗 (82) 肺炎・脳梗塞
12/25 中村秀利 (60) クモ膜下出血 

[2015]
2015/1/12 花形恵子 (79)
2015/1/15 大塚周夫 (85) 虚血性心疾患
2015/3/7 小川真司 (74) 器質化肺炎  
2015/4/19 西本裕行 (88) 急性大動脈かい離
2015/6/18 たてかべ和也 (80) 急性呼吸器不全
2015/9/2 斉藤瑞樹 (41)  肺動脈血栓
2015/10/27 松来未祐 (38)
 
(転載ここまで)
 
いくらなんでもこの人数は尋常ではありません。
 
一応、この出典元の記事によると、「声優」の働くスタジオが放射能で汚染されているのではないか、と指摘されています。
 
(以下、こちらから転載)
 
「声優、音楽関係者の訃報・体調不良の多さを考えると、音楽スタジオの汚染が酷そうだ。窓ないし、屋内だし、埃っぽいところ多いんだよね」
 
確かに、録音スタジオは窓もなく気密性が高く、雑音がはいらないよう空調を止めたりもします。一度放射性物質がはいりこむと、外に出て行くこともなく滞留しやすいでしょう。
 
そんなところに篭って何時間も仕事をすれば、当然放射性物質を多く吸い込むことになります。とくに声優は呼吸量も多く、危ないと言えます。
 
スタジオ関係者の方は、ぜひスタジオ内の汚染を測定して下さい。とんでもないレベルの汚染が見つかるかも知れません。
 
(転載ここまで)

しかし、この死亡率の多さは「声優」だけに限られたことではありません。実は「歌舞伎界」でも同じようなことが起きています。
 
(以下、こちらから転載)
 
すでにマスコミでも報道されていますが、歌舞伎界ではこのところ病人・死人が続出しています。
 
福島原発事故後にこれだけの不幸が起きています。
 
松本幸右衛門(83) 腎不全 死去 2011/6
中村芝翫(83) 肝不全 2011/10
市川歳三 (78) 間質性肺炎 死去 2011/10
市川段四郎(65) 体調不良・休演 2011/10
片岡芦燕 (85) 心筋梗塞 死去 2011/12
岩井半四郎(84) 多臓器不全 死去 2011/12
 
中村雀右衛門(93) 肺炎 死去 2012/2
澤村鐵之助(81) すい臓がん 死去 2012/3
市川染五郎(39) 舞台から転落、右手首骨折 2012/8
片岡仁左衛門(69) 体調不良・休演 2012/11
中村勘三郎(57) 食道がん 死去 2012/12
 
市川団十郎(66) 白血病・肺炎 死去 2013/2
市川猿翁 (73) 肺炎・うつ病  2013/2
竹本喜太夫(74) 心不全 死去 2013/5
竹本清太夫(78) 心不全 死去 2013/9
坂東三津五郎(57) すい臓腫瘍 2013/8
中村吉右衛門(69) 喉にヘルペス・味覚障害 2013/10
坂東三津之助(51) 肝不全 死去 2013/11
中村福助(53) 脳内出血・筋力低下 2013/12
 
事故前は、80才前後の長老が年に一人ないし二人亡くなるぐらいでしたが、事故後は明らかに病気や亡くなる人が増えているし、しかも若年化しています。
 
病気やケガで穴を開けると大変な迷惑がかかりますから、俳優は健康・体調管理には細心の注意を払うものですが、そういった人たちがこれだけバタバタと倒れるとなると、やはり被曝の影響を疑わざるを得ません。
 
もし歌舞伎界に被曝被害が多いのなら、それはなぜか。
 
一番考えられることは、歌舞伎座や浅草などのある東京東部は汚染がひどく、ホットスポットもあちこちにあるということでしょう。

〈共産党都議団による都内各地の放射線量測定結果〉

もう一つ考えられる理由は、外食が多く汚染食品を食べてかなりの内部被曝をしているのではないかということ。
 
後援会や贔屓筋とのつき合いが多い世界ですから、宴会やパーティでの食事がとても多い。
 
自宅で産地厳選食材で作った料理だけを食べる、というわけにはいきません。
 
もっとも、歌舞伎界だけではなく、この程度の被害は東京のどこでも出ているのかも知れません。
 
一般人が多く亡くなっても報道されず、1年以上後に統計として残るだけです。
 
被曝の被害がはっきりしたときにはすでに手遅れです。
 
歌舞伎の語源は、かぶく(傾く)、頭をかしげるという言葉だそうですが、なぜこんなに不幸が多いのかと頭をかしげているうちに、病人死人続出で歌舞伎界が、いや日本自体が傾いてしまったということになりかねません。
 
歌舞伎座建て替えの祟りだ御祓いだと騒ぐ前に、科学的に原因・対策を考えなければなりません。
 
汚染スポットは除染する、尿検査等で内部被曝の検査をする、汚染食品の検査、廃棄を徹底する。
 
子供や出産予定の女性は避難させる。
 
こういったことを早急にやらないと、取り返しのつかないことになるでしょう。
 
いったい政府はいつになったら重い腰を上げるのでしょうか。
 
(転載ここまで)
 
このような死亡件数の増加が果たして「放射能」によるものなのかどうかは今のところ断定はできません。
 
しかし、「3.11」以降、体調不良で死亡する有名人がこれほど増えているのを見ると、やはりその可能性は否定できないと言えるでしょう。
 
ただし、有名人の死に関しては、単に「放射能」によるものと決めつけることができないのも現状です。
 
このブログの読者の皆さんなら既にお分かりのことと思いますが、この世には「悪魔に魂を売る」という契約をした上で、一花咲かせた有名人が多いというのが実情だからです。
 
特に、自殺したとされる有名人の多さは尋常ではありません。
 
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 – Wikipedia
 
また、国内外問わず、異常な死を遂げたミュージシャンが多いことも有名な話です。
 
【閲覧注意】ロックミュージシャンのヤバすぎる死亡事件まとめ【薬物/自殺/殺人/変死】 – NAVER まとめ
 
このようなことから、有名になったミュージシャンたちは皆、「悪魔に魂を売る」という契約をしたのではないかと、まことしやかに語られるようになったわけです。その最たる噂話が、いわゆる「27クラブ」ですね。(ちなみに、「27」は「9+9+9」であり、「9」は「6」の逆さまです。)
 
27クラブ – Wikipedia
 
耳障りの良い話についつい誘惑されて、自分の魂を悪魔に売り払ってしまう……というのは、人間としてとても悲しいことです。
 
しかし、誘惑する者が存在している以上、誘惑される者も出てきて然りです。
 
マスコミはひたすら誘惑された側のみにスポットライトを当てて報道したがりますが、やはり誘惑する側が誰なのかを探し当てていくことも重要なことでしょう。
 
でなければ、こういったことがこれからも続けて引き起こされるに違いないからです。
 
とはいえ、その答えはもう既にある程度まで分かっています。このブログの読者の皆さんなら、その答えはもうお分かりですね。

転載ここまで

いかがでしたでしょうか。

これからの時代は、新しい時代の幕開けとなるように、古代から続く古い思想と宗教を破壊して、本当の神様と共に新しい世界をつくっていきたいですね。

悪魔教に支配されてきたこの世界が、新しく生まれ変われますように。

新約聖書

ルカによる福音書 体のともし火は目 11ー33〜36

「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。

あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。

だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。

あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」

目は、口ほどに物を言います。

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