山岳信仰と国常立尊と1985年のJAL123便墜落事故について、国常立尊は出雲族の神

御巣鷹山で亡くなった、520人の犠牲者。

JAL123便墜落事故が、故意に起こされた事故であったという理由についてrapt氏が深く追求しております。

まさか、宗教的な理由があるとは誰も信じられないでしょうが、悪魔を拝んでいる者たちはいつの時代も恐ろしい計画を実行してきたのです。

まずは、こちらの記事をお読みください。

JAL123便墜落事故からソ連崩壊に至るまでの「天皇派」と「教皇派」の戦いの経緯。歴史は常に彼らの戦いの上に作られてきました。

体調がなかなか回復せず、ほぼ一日寝込んでおりました。一応、体調がよくなりましたので、これみよがしに記事を更新しておりますが、まだまだ万全とは言い難い状態です。
 
しかも、私がこのように体調が悪いと書いたとたん、やはり今回もまた「電磁波攻撃」とか「テクノロジー犯罪」ではないか、と適当なことを書いて私を不安がらせようとする人たちが何人も出てきました。
 
しかし、幾らそんなことを言っても、私はそんな話は全く真に受けません。
 
なぜって、もし誰かが私の家に電磁波を飛ばしてきたならば、私だけでなく、私の家族にまで同じように害が及ぶはずですが、現実には体調を崩したのは私一人だけですから。
 
なので、いくら「電磁波攻撃」とか「テクノロジー犯罪」とか書いてきても、そんな話を信じることはありません。いい加減、そういう根拠のない妄想じみた話はもうやめにしませんか。
 
そもそも、私とて人間ですので、体調を崩すことは幾らでもあり得ます。
 
第一、こうして毎日のようにブログの記事を更新するというのは、かなりの体力と精神力を要します。しかも、私が一日に書く記事は見ての通り、かなりの分量です。
 
こんな作業を毎日のように続けてきて、これまで一度として体調を崩さなかった方が自分でも不思議なぐらいです。
 
それだけ神様が私のことを守って下さってきた、という証拠でしょう。本当にありがたいことです。

ということで、今日は「JAL123便墜落事故」に関する最後のまとめを書いておきたいと思います。

「JAL123便墜落事故」が起きる前と後とに「天皇派」と「教皇派」がいかに激しい戦いを繰り広げていたか、その経緯をざっと簡単にお話しておきたいと思います。

今まで私は、この世の中が「天皇派」と「教皇派」の戦いの上に成り立っているという話をさんざん繰り返してきましたが、まさに「JAL123便墜落事故」も「天皇派」と「教皇派」の激しい戦いの延長線上に起きたものでした。
 
先ずは以下の記事をお読みください。
 
(以下、こちらから転載)
 
■1985年、プラザ合意(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の背景と日航機事故
 
日航機事件が発生した1985年、未曾有の520名が死亡するという大事故から、わずか一月余りの9月、米国においてプラザ合意が電撃的に締結されます。
 
これにより、1ドル240円台前後だった為替レートが、1年後には150円台になるという、急激な円高が始まります。
 
実は、この年の1月にも同じ先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、加えて6月にも東京で先進10ヶ国蔵相会議が開かれています。
 
基本的に財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩む米国経済を他の先進国がどう支援するかというのがお題目だったのですが、当時の報道を読む限り、1月の会議でも日本の円高を容認するという意味での合意が甚だしく不調だった痕跡は認められません。
 
ところが、1月の会議直後はむしろ円安に振れ、会議から半年経っても、10円程度の円高に留まりました。その成果は9月の合意に比べれば見る影もありません。
 
《RAPT註:要するに、日本は「JAL123便墜落事故」が起きるまで、アメリカの思惑通りに円高にしようという動きを全く見せなかったということです。見せてもたった10円の円高を許しただけでした。これにアメリカ「教皇派」が怒り狂ったことは容易に想像がつきます。》

注意すべきなのは、同じくG5の参加国である西ドイツ、フランスの動きです。

特に西ドイツのコール首相(当時)は、前年1984年の5月にはフランスと軍事協力協定を調印し、翌1985年には1月、8月とフランスのミッテラン大統領との間で2回も首脳会談を行っています。
 
国際軍事評論家B氏のお話によると、コール首相は米国支配の軍事・経済網から離脱するため、隣国フランスと連携を強め、最終的にはNATO軍の脱米国依存、独立軍化を狙って積極的に外交を進めていたと言います。
 
《RAPT註:前から何度もお話ししていますが、NATOは「教皇派」の勢力下にあります。そのNATOの影響下から抜け出すために、フランスと西ドイツとが軍事協力を結ぼうとしたということは、つまり彼らが「教皇派」の勢力下から抜け出そうとしていたということを意味します。当然、こんな動きをアメリカ「教皇派」が許すわけがありません。》
 
ここで、ヨーロッパへの影響力を失うことなど、米国政府として到底容認できなかったことは容易に想像されます。
 
巨額の対米貿易黒字で潤う日本、米国の影響力排除を計る独仏。しかも、日本は円高を誘導すべき1985年1月のG5の合意を、まともに実行しようとする気配はありません。
 
日本の経済的立場からすれば、自らの不利益になる円高誘導案など飲めるはずがないという理屈も、透けるように見えてきます。
 
貿易立国、電子立国と、現在の姿からは想像できない程の経済力を蓄えた日本が次に打ち出したプランが、アジア共通通貨圏構想だったのです。つまり、将来的なFRB(米国連邦準備制度)からの離脱宣言です。
 
《RAPT註:この当時も「アジア共通通貨圏構想」があったとは私も知りませんでしたが、このようにして日本を初めとしたアジア諸国が、アメリカ・ドルの影響下から離れようとした……となれば、当然、これまたアメリカ「教皇派」が怒るの当然のことですね。ちなみに「アジア共通通貨圏構想」は今でも議論が続いています。》
 
加えて、西ドイツも経済は極めて好調、心配されるのは中距離核弾頭SS20を配備したソ連の動き位だったかもしれません。
 
ここで、プラザ合意前の「脱米国」という日独仏の基本スタンスがくっきりと見えてきます。そんな矢先に起こったのが次の大事件・大事故です。
 
(1)1985年7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
(2)1985年8月 ドイツスパイ事件(西ドイツ)
(3)1985年8月 日航機事故(日本)
 
《RAPT註:このようにアメリカ「教皇派」の影響下から抜け出そうとした国が、こぞって災難に見舞われたわけです。これが単なる偶然であるわけがありません。明らかにこれら全ての事件は、アメリカ「教皇派」による陰謀と考えて間違いないでしょう。》

そして、この3国内政を揺るがした国内事件・事故の直後(9月)に、プラザ合意が改めて締結されるのです。この年、何と3回目の世界的蔵相会議にてです。
 
(1)の事件では、フランス政府が爆破事件への関与を認め、諜報工作機関(DGSE)の局長が解任され、国防大臣が辞任するなど、フランス国内の大スキャンダル事件となりました。
 
また、(2)の事件では、コール首相の女性秘書とその夫が東側のスパイとされ、国家重要機密情報の流出懸念と、首相の脇の甘さが問題視された大スキャンダルとなりました。
 
そして(3)の日航機事故こそ、表面上でも520名が死亡する大事故として世間の大きな関心を集め、一方その裏側では、本ブログでお伝えしているように、日米ソの軍部が直接介入する程の、未曾有の大事件(事変)であったのです。
 
(2)これら、脱米国を目指した日独仏3国内で立て続けに起きた大事件と、プラザ合意の電撃締結が、果たして全く無関係であると、読者の皆様は思われるでしょうか?
 
もちろん、これらを繋げる明確な証拠がない限り、それぞれ独立した事象であると言われても反論できません。もしも、状況証拠的な説明を許していただけるなら、「例え、政府間・中央銀行間で合意が成されても、民間の膨大な資金が実際に動かなければ合意は反故にされる」という点を指摘します。
 
特に、当時の経済大国、日本と西ドイツの民間資本が協調介入しなければ名目だけの合意に終わってしまうはずです。それは、1985年1月のG5合意直後にほとんどその目標が達成されなかったことに端的に現れています。
 
では、9月の合意では何故民間資金がこれだけ大きく変動したのでしょうか?民間資本を突き動かす動機、言い換えれば「恐怖」を考えた時、答は自と見えてきます。
 
以後、急激な円高が進み、翌年1986年には日本の市場開放を求める前川レポートが発表されます。そして過剰なバブル経済が生まれ、弾けた後、坂道を転がり落ちるかのように日本の経済は失われた20年へと続くのです。
 
前川リポート – Wikipedia
 
失われた20年 – Wikipedia

それがすなわち、今の私たちが住む日本なのです。
 
このように時間の流れを俯瞰すると、日航機犠牲者の悲痛な運命と、現在に生きる私たちの運命とは、27年の時が過ぎようとしている今も、歴史の底流部では深く繋がっていることに気が付かされるのです。
 
(転載ここまで)

このように、「教皇派=ロックフェラー」がわざと「JAL123便墜落事故」を起こして「天皇派」に脅しをかけたため、「天皇派」は慌てて彼らの要求を吞み、「プラザ合意」をして円高へと誘導していったわけです。
 
その結果、日本は「失われた20年」と呼ばれる最悪の経済を経験することになりました。
 
また、西ドイツとフランスも同じように「教皇派=ロックフェラー」から脅しを受けたため、NATOの影響下から抜け出すことができず、その後も延々と「教皇派」の傀儡として行動せざるを得なかった……。
 
このように、1980年代というのは「教皇派」の力がかなり強かったため、どこの国も「教皇派」の思い通りに動くしかありませんでした。
 
その結果、アメリカは世界の覇権国家としての地位を着実に手に入れていったわけです。
 
とはいえ、「天皇派」もこの「教皇派」の攻撃をただ黙って見ていただけではありませんでした。彼らもまた実は「教皇派」に対して、何度も反撃に出ていたのです。
 
というのも、アメリカの思惑通り「プラザ合意」に至ったのが「1985年9月22日」のことですが、その翌年の「1986年1月28日」に、アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」が打ち上げ直後に爆破するという事故が起きました。
 
チャレンジャー号爆発事故 – Wikipedia

〈チャレンジャー号、爆発の瞬間〉

一応、この爆破事故はただの「事故」として片付けられてはいますが、果たして真相はどうなのでしょうか。「天皇派」による「教皇派」への反撃ではないかという気がしてなりません。
 
実際、こんな記事も見付かりました。
 
(以下、こちらから転載)
 
▼スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故。乗組員全員死亡。(年表)
 
NASAは日本の設立した研究機関であり、この爆発事故は、米国民にアポロ計画をはじめとする宇宙開発の限界をしみじみと感じさせ、宇宙開発が日本などの他の先進国に引き継がれる環境を作ることを目標にして引き起こされた陰謀である可能性は高い。
 
実際、この日は、宇宙開発に重要な技術『通信技術』について、日本の誇る「八木アンテナ」の発明者八木秀次の生誕100周年記念日だった(1886年1月28日)。
 
(転載ここまで)
 
八木秀次の生誕100周年記念日だったから陰謀というのも少しこじつけがましい気がしますが、正直、スペースシャトルがそんなに簡単に爆発するものなのか、という疑問はあります。しかも、スペースシャトルは全部で135回も打ち上げられていますが、このうち、爆発したのはチャレンジャー号のみです。
 
この事件のおよそ三ヶ月後の「1986年4月26日」に、ソ連のチェルノブイリで原発事故が起きました。
 
チェルノブイリ原子力発電所事故 – Wikipedia

〈チェルノブイリ原子力発電所事故〉

しかも、その発生時刻は「午前1時23分」。
 
そうです。「JAL123便」と同じ「123(ひふみ)」です。同じ犯人がやったのではないかと勘繰りたくなりますね。
 
つまり、このチェルノブイリの原発事故は、「教皇派」による「天皇派」への反撃だった可能性が大というわけです。
 
その翌年にはニューヨークで史上最大規模の株の大暴落が起きています。いわゆる「ブラックマンデー」ですね。

この株の大暴落が起きた原因は未だに分かっていません。どの専門家も「たまたま多くの投資家が株を投げ売りした」という結論を出しています。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
ブラックマンデーの原因
 
しかしながら、数多くの投資家たちがたまたま同じ時期に、こんなに大量の株を投げ売りするとは考えられません。そんな偶然がそうそう起きるわけがありません。
 
恐らくこれは、「天皇派」による「教皇派」への反撃だったのでしょう。実際、以下のような記事も見付かりました。

(以下、こちらから転載)
 
バブル期に、日本企業が、米国の不動産を買いあさっていたのを覚えていらっしゃると想いますが、元々、仕組まれていた事をご存知ない人もいらっしゃるのでしょうか??
 
1987年10月のブラック・マンデーで、ヨーロッパ・メイスンが、ロスチャイルド家の財力を使って、世界恐慌にした事が米国の政界財界にばれてしまった。
 
定かではないのですが、ロックフェラー氏すら知らなかったのかも知れませんね。
 
何故なら、007で有名になった英国MI6(?)の本部で、爆破テロが発生し、ユーロが急落しました。それを受けて、G7は、ユーロの協調介入を発表。
 
小生、”おっ、米国の反撃が始まった!”と、想いました。元メイスンリーの友人に尋ねますと、
  
 ロスチャイルド家 V.S. J.P. モルガン家 + ロックフェラー家 の戦い!!
 
と、言ってました。 
 
かつて、米国を発って、墜落した事故機には、ロスチャイルド家の後継者が乗っていたそうですが、今だ、原因究明されず!の話をしていました。
 
そうしますと、どう考えても、米国財界は、世界恐慌を知らなかったので、頭に来てるように想うのです。
 
(転載ここまで)

ロスチャイルドは紛れもない「天皇派」です。で、そのロスチャイルドが、ロックフェラーに知らせることなく「ブラックマンデー」を引き起こした。当時、そんな噂が関係者の間で飛び交っていたようです。
 
モルガン家は第二次大戦前後にロックフェラー家に叩き潰された財閥なので、ロックフェラー家とモルガン家を仲間同士ということにしていいのかどうかは分かりませんが、いずれにせよ「ブラックマンデー」は、「ロスチャイルドによるロックフェラー攻撃」と見て間違いないと思います。
 
しかしながら、その後もアメリカはこの経済的苦境を乗り越え、逆にチェルノブイリ事故にあったソ連が崩壊してしまいました。1991年のことです。
 
ソ連は「天皇派」の国です。なので、「天皇派」と「教皇派」の一連の戦いは、この時点では「教皇派」が勝利したと言っていいでしょう。
 
ということで、今日の話をまとめると、おおよそこういうことになります。
 
日本が円高を吞まず、アジア共通通貨圏構想を打ち出す(天皇派の攻撃)→ JAL123便墜落事故(教皇派の攻撃)→ チャレンジャー号爆発事故(天皇派の攻撃)→ チェルノブイリ原発事故(教皇派の攻撃)→ ブラックマンデー(天皇派の攻撃)→ ソ連崩壊(教皇派の攻撃)→ 教皇派の勝利
 
このように「天皇派」と「教皇派」は、これまでずっと我々の知らないところでコソコソと激しい争いを繰り広げてきました。
 
その争いの火花が度々、我々庶民にも降りかかっていたわけですが、我々はその火の粉を見ながら、それを単なる偶発的な事故だとばかり思い込んでいたわけですね。
 
無知とは本当に恐ろしいものです。

転載ここまで

JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。

ここ数日に渡って、JAL123便墜落事故の真相を究明してきましたが、正直なところ、「国常立尊」を蘇らせるために乗客520人が殺されたという事実を知って、未だに私自身もショックが抜け切れておりません。
 
核兵器を隠蔽するためとか、グリコ・森永事件の犯人を抹殺するためとか、プラザ合意を吞ませるために「JAL123便」が撃ち落とされた、という話はネットでもあちこちに出回っていましたので、その事実についてはそれほど大きなショックを受けることはありませんでしたが、「出雲族」が自分たちの信じる神様(悪魔)を蘇らせるために、520人もの人たちを無作為に殺したのだと思うと、余りのおぞましさに気がおかしくなりそうです。
 
しかも、彼らがそんな自分たちの犯罪を今でも必死になって隠蔽し、誰かが「JAL123便墜落事故は陰謀だった」とネットに書くたびに慌てたように火消しています。何の根拠もなく「そんな陰謀論はデタラメ」と言いふらしています。
 
要するに、彼らは自分たちがやったことが悪だと自覚していて、自分たちのやったことを国民に知られたくないと思っているわけです。彼らは悪いと分かっていて、乗客520人を生贄として殺したのです。
 
しかも、この日本の中には、「JAL123便墜落事故」にまつわる真相のすべてを「墓場まで持っていく」と公に発言した政治家がいます。
 
それが誰かといえば、タイトルにも書きました通り、元首相「中曽根康弘」です。(最上の画像の右側。左側はレーガン元アメリカ大統領)
 
恐らく彼は、ここに並べた真相のすべてを死ぬまで隠し通すつもりなのでしょう。
 
しかし、いくら彼一人がこれらの事実を隠そうとしても、他の政府関係者なり、自衛隊関係者なりが事件の真相を暴露してしまう可能性はなきにしもあらずです。
 
そうすると、「中曽根康弘」自身はもちろんのこと、ロックフェラーや「出雲族」の関係者たちなど、「JAL123便墜落事故」に関わった人たちは皆、国民を敵に回してしまうことになります。
 
しかし、そんなことになってはマズイということで、慌てて「特定秘密保護法案」を作らせた……。
 
信じられない話かも知れませんが、実はかの世紀の悪法「特定秘密保護法案」は、この「中曽根康弘」の主導の下で作られたようなのです。

(以下、こちらから転載)
 
特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。
 
2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。
 
岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。
 
この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。
 
2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。
 
稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。
 
結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。
 
後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。
 
これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。
 
にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。

佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。
 
とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。
 
野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。
 
政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。
 
このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。
 
しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。
 
日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。
 
日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。
 
日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。
 
このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。
 
しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。
 
(転載ここまで)

もっとも、この「特定秘密保護法」が作られた目的は「JAL123便墜落事故」の真相の隠蔽のためだけでなく、他にも色々な理由があったとは思いますが、それでもこの「JAL123便墜落事故」は、日本政府が犯した国家的犯罪の中でも群を抜いて悪質なものです。
 
一応、この犯罪を計画したのがロックフェラーで、言い出しっぺもロックフェラーだったのかも知れませんが、それでも「出雲族」も彼らの計画に乗ったわけですから、もしこの事件の真相が暴かれれば、「出雲族」も同じように犯罪者として裁かれることになります。
 
いいえ。それだけではありません。もし本当に「JAL123便」に核兵器が搭載されていたのであれば、そして、その事実を隠蔽するために日本がアメリカと応戦したのであれば、「大和族」もまた同じように裁かれることになるでしょう。
 
その核兵器を搭載したのは、明らかに「大和族」に違いないからです。
 
ですから、この事件の真相が暴かれれば、「大和族」も「出雲族」も「教皇派」もみんな我々国民を敵に回してしまうことになります。
 
そういった事態を避けるためにも、安倍晋三をはじめとした自民党議員たちはあれほど強行的に「特定秘密保護法」を成立させなければならなかったわけです。
 
そして、この法案の成立に最も深く関わっているのが「中曽根康弘」……ということですね。
 
ネットに流布している陰謀論によると、「中曽根康弘」はロックフェラーから円高に誘導するよう脅されていたが、なかなか吞まなかった。
 
そのため、ロックフェラーが彼を脅すために「JAL123便墜落事故」を仕掛けた、ということになっていますが、正直なところ、私はこの話にはどうしても納得ができません。
 
なぜなら「中曽根康弘」も、ロックフェラーと共謀して一緒に「JAL123便墜落事故」を計画したとしか考えられないからです。どこからどう見てみても。
 
というのも、「中曽根康弘」は明らかに「出雲族」の人間であり、この「出雲族」は「JAL123便墜落事故」のお陰で自分たちの神様を蘇らせてもらうことができた。

ということは、「中曽根康弘」こそが520人を殺して「国常立尊」を蘇らせようと計画した張本人ではないかと考えられなくもありません。第一、彼は「JAL123便墜落事故」の起きた当時の首相なのです。
 
「中曽根康弘」が「出雲族」だと言える理由は、何よりも先ず、彼が戦時中に「海軍」に所属していたことにあります。
 
中曽根康弘 – Wikipedia
 
海軍というと「出雲族」でしたね。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
 
もっとも、海軍の兵隊たちがみんな「出雲族」であるとは限りませんが、「中曽根康弘」のような有力者の場合、何の理由もなく「海軍」に入隊するとは考えにくい。
 
さらに彼は、内閣総理大臣に就任した際、「出雲系」の宗教である創価学会などと連携して、「教皇派」に都合のいい政策を次々と作っています。(創価学会が出雲系であると言える理由はこちら
 
(以下、こちらから転載)
 
かってJRが民営化されたときも、当時の中曽根首相が同じように利権を貪っていたようです。
 
自民党と創価学会の連携で。 

 
そして日本の優良不動産が外資の担保とされた。  
 
民営化の真の目的は利権と外資への日本資産の献上だった。
 
2000年9月現在、日本フリーメイソン「東京メソニック協会」は東京のシンボルのひとつである東京タワーと同じ区画にある第38森ビルに入居している。
 
戦後GHQは、日本軍の隠した貴金属を次々と発見していくが、発見されたものは米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければならなかった。

しかし、日本軍部が自己所有として記録に残した貴金属と、実際に米国本土に送還された貴金属の量には圧倒的な「差」があった。日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将であったが、実際に実務を仕切ったのは冶金課長のジョージ・パーディであった。
 
日本から奪われ米国政府にも渡されなかった膨大な貴金属は、パーディの手によって東京メソニック協会と言う得体の知れない財団法人に移され隠された。
 
この東京メソニック協会は、フリーメーソン日本支部代表(グランドロッジ)であった。パーディはフリーメーソン日本支部の支部長であった。
 
そして事実上米国を欺いてイスラエルに奪われた貴金属は、この2つの「森ビル」を拠点に次々と現金に姿を変え、東京港区を中心とした日本の優良不動産の買収に使われ、不動産に姿を変えて行った。
 
その土地買収と買収した土地への高層ビル建設を担ったイスラエルのフロント企業が森ビル。
 
日本を代表するビル会社、森ビルの正体はフリーメーソン日本支部であり、イスラエルのフロント企業であり、その資金源は日本軍部とGHQから略奪した貴金属であった。
 
イスラエル=森ビルは港区全体の大地主と言われるようになる。
 
中曽根は総理大臣時代、高層ビルの高さ規制撤廃を行い、森ビルの事業を大々的にバックアップした。
 
そして中曽根は国鉄分割民営化等で出てきた国鉄の土地、政府所有の国有地を破格でイスラエル=森ビルに投げ売りした。
 
イスラエルは日本政府とGHQから略奪した資金で、中曽根が投げ売りする東京都内、日本全国の優良不動産を買収して行った。
 
原発建設、森ビルのための高層ビルの高さ規制撤廃等、中曽根の政策は常にイスラエルのために行われて来た。
 
《RAPT註:全てがイスラエルのために行われたというのは正確ではないと思いますが。》

こうして中曽根の政策により、日本の国土の最重要地を入手したイスラエルは、宗教法人創価学会の名義で不動産を登記する事で、脱税を大々的に行う(宗教法人に課税はされない)。
 
中曽根の子分で、大蔵省の官僚時代から夫婦で東京タワーに隣接するイスラエルのメソニック森ビルに「無料」で住んで来た国会議員浜田卓二郎は、公明党創価学会の強力なバックアップで国会議員を続けながら、イスラエルの取得した優良不動産を創価学会名義で登記するパイプ役となって来た。
 
浜田と中曽根の尽力で無税の恩恵を受けたイスラエルは、見返りとしてその不動産を担保に、新生銀行(日債銀、興銀、長銀等の旧・政府系金融機関が、こうした不正融資のブラック・ボックスになって来たが、現在その機能を引き継いだのが新生銀行である。)から資金の融資を受け、浜田と公明党創価学会の選挙資金とし、中曽根自民党の選挙資金として献金して来た。
 
元々、戦後自民党が結成される際に、その結党資金を提供したのはイスラエル、パーディのメソニック協会であった。
 
森ビルの社運をかけた事業の六本木ヒルズで悲惨な事故が発生した。2004年3月26日、小学校入学直前の6歳の男児が電動回転ドアに挟まれて死亡した。
 
痛ましい死亡事故が発生したのち、2003年4月から2004年2月までに、同ビルの回転ドアで32件の事故が発生したことが明らかになった。
 
森ビルの責任が問われた。
 
しかし、六本木ヒルズの「運営本部長」を兼ねていた森ビルの森稔社長(70)については事故を予見できなかったとして立件が見送られた。

森ビルの森社長は小泉前首相と密接な関係を築いたようだ。森ビルが社運をかけて取り組んだ事業が「六本木ヒルズ」だ。ライブドア、村上ファンド、楽天などの企業が六本本ヒルズにオフィスを構えた。「ヒルズ族」という新語が生まれた。
 
2003年4月22日の六本木ヒルズのオープニングーセレモニー。
 
小泉首相は「この東京の新たな街づくりに極めて刺激的、魅力的な六本木ヒルズが誕生したという、この誕生に立ち会うことができたのは幸運だと思います」と祝賀挨拶した。また、「こんなに賑わっていてどこが不況か」と述べたことも伝えられた。

森氏は私に「小泉政権を批判しないように」と語った。森氏が小泉首相を支援していることがよく分かった。このセレモニーの最中、私は六本木ヒルズ内に個人事務所棟があり、小泉政権や米国政府と親密な学者や元官僚などがオフィスを有していることを聞いた。」
 
テレビ朝日も森ビルのテナントのひとつである。
 
森ビルと清和政策研究会との間には抜き差しならないものがあるのだと考えられる。自民党清和政策研究会は検察を支配し、森ビル関係者は逮捕もされずに事件処理を終えた。
 
(転載ここまで)

このように、「中曽根康弘」は「創価学会」とも仲良し、「森ビル」とも仲良し。その「森ビル」は「小泉純一郎」と仲良しで、「清和会」とも仲良し。
 
そして、これら一連のグループはみんな「出雲系」と思われる連中ばかりです。

実際、彼らはみんなアメリカやイスラエルとグルだったとのこと。このアメリカとイスラエルは「教皇派」であり、「出雲族」は昔から「教皇派」と仲良しと来ている。

竹中平蔵はなぜ創価企業「パソナ」の会長に就任したのか。「天皇派」と「教皇派」と「大和族」と「出雲族」の奇妙なもつれあい。
 
自民党推薦の憲法学者全員が国会で「安保法案」を違憲と表明した裏のカラクリ。
 
なので「中曽根康弘」が「出雲族」であることは確実なことなのです。
 
したがって、彼がロックフェラーに脅されて渋々と「プラザ合意」を吞んだとは考えにくいわけですね。「出雲族」と「教皇派」は仲良しなのですから。
 
ただ、日本の首相が、積極的に「プラザ合意」を受け入れて円高に誘導してしまうと、日本のすべての企業を敵に回してしまいかねないので、ロックフェラーから脅されたということにして、渋々と「プラザ合意」を吞んだという風に見せかけてきたのではないでしょうか。(もちろん、事情に通じた関係者のみの間で)
 
そしてその実、裏ではロックフェラーから多額の賄賂を受け取っていた可能性もなきにしもあらずです。
 
正直なところ、私はこの「中曽根康弘」にはそんな疑いを抱かざるを得ません。
 
以下、2014年8月の記事です。

(以下、こちらから転載)
 
朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。
 
「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
  
だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
  
大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。
 
何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。
 
中曽根元首相は自分の”手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

〈インドネシア、ボルネオ島バリクパパン〉

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
 
まず、”手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
 
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
 
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
 
ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。
 
このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。
 
だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の”手記”のほうがデタラメということになってしまう。

だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。
 
いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 
 
国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。
 
資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。
 
第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。
 
同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。

本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。
 
宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。
 
すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
 
「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 
主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」
 
さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日~同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。
 
バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。
 
そして2つの地図を見比べてみると、”ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。
 
つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 
 
もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。
 
実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。
 
そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
つまり、中曽根首相がこうした”強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。
 
朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。
 
しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。
 
一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
 
(転載ここまで)

このように、「中曽根康弘」は戦時中に「慰安婦」を集めて「慰安所」を作り、それを自慢げに記録に残したりするような人物なのです。
 
これだけ見ても、彼がどこか普通の人間としての常識に欠けていることが分かります。また、彼のウィキペディアの記事を見てみても、その数々の失言・暴言にはただただ唖然とさせられるばかりです。
 
中曽根康弘 – Wikipedia
 
それだけではなく、「原発」を推進して数々の利権を貪り、悪魔崇拝組織「フリーメーソン」のために数々の便宜を図り、今でも「憲法改正」を推進しようとまでしています。(彼は「自主憲法制定」をライフワークとしているとのこと。)
 
【憲法改正】中曽根元首相「長い間改憲できず申し訳ない」 新憲法制定議員同盟 民主・松原氏も改憲訴え – 産経ニュース
 
しかも、ある有名陰謀論者の話によると、彼もまたご多分に漏れず、同性愛の嗜好をお持ちのようです。つまり「悪魔崇拝者」である可能性が高いというわけです。

このようなことから見てみても、彼がロックフェラーと共謀して「JAL123便」を墜落させる計画を立てたという疑いはどうしても捨てきれません。
 
しかも、こういう人間が未だに元首相という看板を掲げて政治に口出ししているというのですから、この国はこれからもまだまだ地獄に向かって突き落とされていく可能性がなきにしもあらずです。
 
この日本に平和と義が満ちあふれるよう、皆さんと共にお祈りしたいと思います。

転載ここまで

JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。

「JAL123便墜落事故」を起こした首謀者は、当時の内閣総理大臣・中曽根康弘であり、彼を取り巻く「出雲族」たちに違いないというお話をしました。

「出雲族」というのは、これまで何度もお話してきました通り、「スサノオ」を神として崇める人たちのことを言います。
 
この「スサノオ」は神様でありながら、先祖もいれば子孫もいます。あるいは、「生まれ変わり」がいると言った方がいいでしょうか。
 
「スサノオ」の先祖にあたるのが「国常立尊」で、その子孫が「大国主」です。
 
先祖にあたる「国常立尊」は、今から何千年も前に殺され、それ以来、ずっと死んでいるということになっていました。
 
ところが、この神様が、あるとき急に蘇った。そのきっかけが「JAL123便墜落事故」です。
 
実は「国常立尊」を崇めている人たちが、この神様を蘇らせようとして昔から「高天原」に520体の石仏をこつこつと集めていたのですが、あるとき突然、この「高天原」に飛行機が墜落し、520人もの死者が出てしまった。
 
人々はこの事故に慌てふためき、嘆き悲しみましたが、ありがたいことに、こうしてたまたま520人もの死者が出たことによって、「高天原」に集められた520体の石仏の中に余すことなく死者の霊が入ることができ、めでたく「国常立尊」が蘇ることになったのです。
 
「JAL123便墜落事故」で亡くなった人たちは、無駄に犠牲になったわけではなく、神様の計らいによって有意義な死を遂げたというわけですね。
 
……といった罰当たりな話が、なぜかネット上に広く出回っています。前にもご紹介しましたが、念のため、もう一度ここにその記事を転載しておきます。

(以下、こちらから転載)
 
先に述べましたが、「JAL123便」は核を積んでいたために撃ち落されました。そのとき巻き添えになった520人の乗員、乗客の無念は計り知れません。
 
これも神の計画の一端であるといわれても、あまりにも無残です。しかし本当に、彼らは無駄に犠牲になっただけなのでしょうか? 私はそうではないと思うのです。
  
なぜJAL機は、高天原に落ちたのか?
 
なぜ123便であったのか?
 
なぜ犠牲者は520人だったのか?
 
そこには理由があるはずです。
 
そこは高天原(たかまがはら)という、特別な名前のついた山でした。
 
周知のように、そこは古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。
 
この世界には偶然というものは存在しません。
 
ですからそこには大きな意味があります。
 
行き着いたのは、高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。
 
その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。
 
古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。

そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ)、そしてその三つの川の源流こそが、高天原です。

その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。

そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間、国常立尊が蘇えるという伝説があります。
 
この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったとわかって、「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。
 
彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇ったのです。
 
(転載ここまで)

もちろん私は、こんな話を素直に真に受けることはできませんでした。こんなマンガのような出来事が、現実に起きるわけがないからです。
 
もし本当に「高天原」に520体の石仏が集められていて、その数と全く同じ死者が出たのだとしたら、やはり「JAL123便墜落事故」はただの事故ではなく、誰かが人為的に起こした事件だったとしか考えようがありません。
 
恐らくこの墜落事故を計画した主犯はロックフェラーに違いありませんが、「国立常尊」を信じる「出雲族」もまた共犯であることは疑いようがありません。
 
彼らが自分たちの神様を蘇らせるために、民間航空機を撃墜し、520人もの乗客を殺したのです。
 
では、520人もの人間を殺害させた「国常立尊」とは一体どんな神様なのでしょうか。今日はその正体に迫ってみたいと思います。
 
先ずは以下の記事を御覧になって下さい。

(以下、こちらから転載)
 
国常立大神(くにとこたちのおおかみ)は、『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。
 
《RAPT註:「国常立尊」と「国常立大神」は全く同じ神様です。》
 
しかし、国常立大神を語るには、大本教(おおもときょう)の出口なお、出口王仁三郎氏を紹介しないといけません。
 
大本(おおもと)は、1892年(明治25年)、出口なおに降りた国祖・国之常立神の神示を立教の原点とする教派神道系の教団であります。
 
出口なおに、国常立大神の神示が降り、霊能者である出口王仁三郎と1898年(明治31年)に出会い、大本として独立することになる。
 
王仁三郎は、出口なおの娘婿となり、後に養子となった。

やがて戦前の日本において、有数の巨大教団へと発展しました。出口なおには、厳霊・国常立大神の神示がお筆先(自動筆記)による間接内流によって伝えられました。
 
出口なおの昇天後には厳霊の神懸りも加わると共に、主神の神霊も本格的に神懸るようになり『霊界物語』の口述もされました。
戦前、政府から二度の弾圧を受け、組織と施設に潰滅的な被害を受けました。
 
全国に大本弾圧の嵐が吹き荒れた頃、弓削道鏡、足利尊氏、明智光秀と並んで日本史上「四大逆賊」の一人である、とまでの非難を浴びせられた出口王仁三郎について書くと批判を受ける覚悟で書かせて頂きます。
 
大本教の聖師であった出口王仁三郎によると、泥海の状態にあった地球の天地を、修理固成した神を、国常立大神と言います。
またの名を「艮の金神」(うしとらのこんじん)とも言います。
 
この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨したそうです。

国常立大神自身も龍神であったようですが、他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。
 
その後も国常立大神は、地球の相司令官として君臨し続けたようですが、次第にその厳格さゆえに、他の眷属神から不平がもれ始め、世界の東北(=艮)の地にあたる日本列島に封印されてしまう事になります。
 
それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。
 
しかし、次第に地上の人間達が欲望とエゴにまみれ、地球環境破壊などを起すようになってきます。そこで、この世の「立て替え」の為に、荒神である国常立大神の力が、再び必要とされ始めたという事なのです。
 
国常立大神は、既に「日本の地」に下生されて活動を始めています。この世を作った神でなければ、世の「立て替え」はできないという事なのです。
 
また、ここで言う世の「立て替え」とは、全人類の宗教観や社会常識など価値観の立て替えであり、次第に物理的な立て替えにも繋がっていく事になります。

大本教では、国常立大神が世の悪神達によって世界の東北(=艮)の地に封印されてしまった事、節分の豆まきは、国常立大神を封印する「まじない」であるとしています。
 
(転載ここまで)

このように「国常立尊」を神として信じ、かつ最も巨大化した宗教団体が「大本教」です。
 
しかし、この「大本教」は神道を信じる宗教団体でありながら、神道の最高神である「天照大神」を信じず、「国常立尊」を最高神として信じていました。今でも「大本教」の信者たちはそう信じているはずです。
 
もちろん、当時の天皇をはじめ、皇室の面々はこの「大本教」の信仰のあり方を見て怒り狂いました。
 
当然です。天皇家が最高神としている神様は「天照大神」です。なのに、「大本教」ではその「天照大神」を差し置いて他の神様を信じているというのですから。
 
天皇家からしてみれば、これほどの相当な屈辱はなかったでしょう。
 
そこで、天皇家は「内務省」を通して「大本教」を激しく弾圧することにしました。それがいわゆる「大本事件」と呼ばれるものです。

大本事件 – Wikipedia

このように、現在の天皇家にとって「国常立尊」は一種のライバルのような存在であると言えます。
 
そもそも、天皇家は「国常立尊」をずっと昔から煙たがっていて、あるときこの神様を「東北=艮(うしとら)」の方角に封印してしまいました。
 
今でも「節分」には豆まきが行われますが、実はこの豆まきはこの「国立常尊」を追い払うために行われるものです。
 
世間一般に言われている「鬼」とは、実は「国立常尊」のことなのですね。
 
しかし、この「国立常尊」を神としている「出雲族」からしてみれば、自分たちの神様を追い払うなんてとんでもないことです。なので、当然、彼らは節分に豆まきをしません。
 
もし読者の方の中に、自分の家では一度も豆まきをしたことがないという方がいらっしゃいましたら、そのご家庭は「出雲系」である可能性が高いと考えていいでしょう。(もっとも、ここ最近は、家系とは関係なく豆まきをしない家庭も増えてきているとは思いますが。)
 
また、日本の神社の中にはこの「鬼」を神様として祀っている神社もありますので、当然、こういった神社でも節分に豆まきはしません。

(以下、こちらから転載)
 
節分というものは“福は内、鬼は外”で、鬼の災いを避けるという、昔からの行事があるのです。そのためにほうぼうの神社仏閣で豆まきをやるのです。
 
ところでこれは、前にも話したことがありますが、あべこべなのです。鬼というのは偉い神様なのです。
 
艮の金神国常立尊という神様です。
 
今日の御讃歌にも「常立の神」というのがありましたが、国常立尊(くにとこたちのみこと)のことを略して常立の神と詠んだのです。
 
それからもう一つ「艮の神」ということも入れてありました。そういうようで、つまり事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではないのです。そう古いことでもないのです。
 
もっとも三千年ということになってますから、三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。

ところが非常に厳格な神様で、間違ったことは許さないというために――大本教のお筆先などを見ると分かりますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとてもやりきれないというので、こういうやかましい神様は押し込めなければ楽はできないというわけで、押し込められたわけです。
 
押し込めた方の神様は天若彦(あめにわかひこ)神というのです。これはよく天邪鬼(あまのじゃく)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪鬼と言って、つまり素直でない、なんでも横車を押すという性格の神様です。
 
それで国常立尊という神様を、艮(東北)に押し込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌み嫌ったのです。もっとも忌み嫌うわけです。
 
人間の方が間違ったことをすれば、そういうやかましい神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろんなことをやったのです。
 
そういうわけで、三千年押し込められたとしてあります。そうしてその神様が明治二十五年に大本教の教祖の出口なおという方に憑られて非常に怒鳴ったのです。

出口なお刀自の口を借りて怒鳴ったのです。その第一声が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」というそれが最初の獅子吼(ししく)です。
 
それで、大きな声をして怒鳴るので、気違い扱いにされて警察に引っ張られて、二十日か三十日間勾留されたのです。それが大本教の始まりなのです。
 
その艮の金神という神様は、押し込められて肉体の方はなくなりましたが、霊は霊界に行かれて閻魔大王になるのです。それで閻魔大王というのは、善悪、罪穢れを裁く神様、裁くお役目です。閻魔大王というと非常に恐ろしがられたのです。
 
それが、本当は至正至直の神様ですから、そこで霊界に行っても、悪い人間が見ると恐ろしい顔に見えるのです。
 
(転載ここまで)

恐らくこの記事を書いた人も「出雲族」か、その関係者なのでしょう。
 
このように「艮の神」や「国常立尊」を良い神様として書くような人は、先ず「出雲族」か、その関係者と考えて間違いありません。
 
逆に「国常立尊」のことを悪く書くような人は、「大和族」か、その関係者である可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
 
この「国常立尊」を良い神様として崇め、広くこの日本に普及させてきた最大の立役者が「大本教」の教祖「出口なお」と「出口王任三郎」だったわけです。
 
いえ。それだけではなく、実は彼ら二人が国家から大弾圧を受けた後も、「国常立尊」の名をさらに広めた人物がいます。
 
その人物とは「岡本天明」です。
 
あるとき突然、彼は「国常立尊」に取り憑かれ、「日月神示」という書を「自動書記」によって書くようになりました。1944年のことです。「自動書記」とは自分の意志ではなく、霊に取り憑かれて勝手に文字を書くことを意味します。

日月神示 – Wikipedia

今ではこの「日月神示」はネットでも広く普及し、多くの人の知るところとなっています。
 
そして、この「日月神示」には別名があって、「ひふみ神示」または「一二三神示」ともいいます。
 
そうです。1985年に墜落した民間飛行機、「JAL123便」と全く同じ「一二三」です。
 
「JAL123便」の乗客520人の死によって蘇った「国常立尊」が、今から半世紀近くも前に「岡本天明」に取り憑いて「一二三神示」を書かせていたというわけですね。
 
まあ、なんとも矛盾した話ですが、いずれにせよ、「一二三神示」を書かせた神が「123便墜落事故」の死者によって蘇ったというのは余りにも出来すぎた話です。
 
なので、「JAL123便墜落事故」が単なる事故ではなく、人為的に起こされた事件であったということは疑いようもありません。
 
しかしながら、「国常立尊」を神と崇める人たちは、今でも「JAL123便墜落事故」を神の成した業であり、神様がついにこの世の悪を糾すために活動を始めたのだと本気で信じ込んでいるのでしょう。
 
実際、かの「3.11」もたまたま日本の艮(北東)の方角の地で起きたわけですし、「国常立尊」が祀られている御嶽山(最上の画像)でも、ここ最近やたらと激しい噴火を繰り返していますので、尚更、そう信じないわけにはいかないでしょうね。

(以下、こちらから転載)
 
(2014年)9月27日午前11時53分ごろ、長野、岐阜県境にある御嶽山(おんたけさん)が7年ぶりに大噴火した。紅葉シーズンの週末土曜日、日帰りの登山者が最も多い時間帯。まさに最悪のタイミングでの噴火だった。
 
この、御嶽山は「木曽の御嶽山」として、古くから山岳信仰の霊山として有名だが、この山の御祭神は、なんと国常立尊なのである。これは、冒頭でもお伝えした『日月神示』に神示を与えている、”国を作った”神なのだ。そこでこのような事態が起きたとは…。
 
ついに国常立尊が動き出したとしか言いようがない。『日月神示』の予言に記されている「大峠(未曾有の大厄災)」が始まったのだ。そう、御嶽山噴火はただのプロローグに過ぎない。

■御嶽山噴火! 的中か!?
 
「日は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ、人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとして、神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」
 
この予言にある「火の雨降らしての大洗濯……」とは、まさに火山噴火による大災害のことであろう。また、
 
「江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ」
「八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ」
 
そして、まさに9月、今回の御嶽山の噴火が起きた。しかし、予言はこれで終わらない。上に記したとおり、「十月に気つけて呉れよ」とある。ということは…?
 
(転載ここまで)

もちろん、御嶽山の噴火のみならず、「出雲族」の神様はあらかじめ「3.11」が起きることもきちんと予言していたようです。凄いですね。

(以下、こちらから転載)
 
2011年3月11に起きた3.11テロと福島原発の事故による放射能汚染・・・
 
実はこの恐ろしい事態を予言していた神社があったのです。
 
東日本大震災が起きた年の1月、長野県諏訪郡の諏訪大社下社春宮で行われた神事で占われた結果が、
 
《RAPT註:諏訪大社もまた「出雲系」の神社です。》
 
「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出た。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き足をすくわれる」と出たのです。
 
この神事は、毎年1月14日の夜から15日早朝にかけて1年の世相や農作物の豊凶を占う神事で「筒粥神事」と呼び、よく当たることから「諏訪大社七不思議」のひとつとされています。

そして、この年は農作物については、秋蚕、里芋、晩稲の3品目が大豊作で、インゲン、茄子が不作という結果が出たそうです。

問題は世相についての結果です。
 
出たのは「三分五厘」という数字。
 
これは「五分」を最高とする中では厳しい数字らしいのです。
 
神事を終え、北島権宮司は
 
「今年は怖い1年。過去20年間で最も悪い結果が出たのです。
春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相」
 
と語り、地元紙などに掲載されました。
 
3月11日の東日本大震災と、その後の暗い日本の世相を見事に言い当てたというわけです。
 
不吉なことはさらに続きます。

震災後の4月4日のこと。
 
日本一大きな日の丸国旗があることでも有名な京都の出雲大社で、それは起きました。

この出雲大社の国旗の大きさは畳75帖分あるというから、いかに大きな国旗であるかがわかります。
 
その日本一大きな国旗が風で真っ二つに裂けて半分が下に落ちたというのです。
 
神のいる神聖なる場所で起きたこの不吉な出来事を私たちはどう捉えるべきなのでしょうか?
 
近いうち日本が真っ二つに分かれるというのでしょうか?
 
それとも日本が崩壊するとでもいうのでしょうか?
 
ネガティブなイメージだけが頭をよぎます。
 
今後も恐ろしいことが起こりそうな予感がするのは私だけではないと思います。
 
平和ボケしている日本国民に対し神様が激怒しているのかもしれません。
 
日本国民は平和ボケしている場合ではありません。
 
今こそ目を覚まし危機感を持つべきです。
 
(転載ここまで)

このように、「出雲族」の神様は次から次へと未来の出来事を予言したり、この世を糾すために大災害を起こしたりと、とても忙しく活動なさっているようです。
 
もちろん、賢明なるこのブログの読者の皆さんはこんな話を真に受けることはないと思いますが……。
 
しかし、こうしてよくよく見てみると、「国常立尊」がいにしえの時代に暗殺され、艮の方角に封印されてしまったというのは無理もない話です。
 
こんな迷惑な神様はとっとと殺して、封印してしまった方が身のためですから。
 
ちなみに、この「国常立尊」の子孫である「スサノオ」や「大国主」は、かつてメソポタミア地方で「バアル」という名で崇められていた神様(悪魔)です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
 
はっきりと言いますが、このように悪魔を多くの人たちが神として崇めるようになると、この世の秩序が完全にひっくり返ります。
 
現在の日本がおかしくなっているのは、まさにこのような悪魔を神として信じる人たちが大勢いることに原因があるのです。
 
このような人がこれ以上増えることなく、むしろ減少し、ゆくゆくは完全にいなくなることを強く願うばかりです。

転載ここまで

体調が万全に整うまでしばらく記事の更新はお休みします。しかし、ただ休んで終わりではなく、新たな企画を構想しています。

ここ二日間、記事を更新することができませんでした。またしても、皆さんにご心配をおかけしましたことを心からお詫びいたします。
 
実はこの間、強烈な頭痛に襲われ、ほとんどずっと寝込んでおりました。
 
今もまだ完治したとは言えない状態ですので、余り長く文章を書くことはできません。
 
こんなことを書くと、またしても電磁波攻撃を受けたのだとか何とか書いてくる人が出てきそうですが、この激しい頭痛は明らかに霊的な攻撃によるものと私自身は思っています。
 
このブログの読者の方の中には、私がいくら(霊的な)悪魔が存在していると書いても、その話を信じられない方がまだいらっしゃるかも知れませんが、まあ、本当に存在しているものは、何と言われてもどうしようもありません。

とにかく私は昔から霊的に敏感で、悪魔や悪霊が近付いてくると、すぐにそれを感じて察知してしまいます。もちろん、100%いつでもどこでも察知できるわけではないと思いますが、ほとんどの場合は察知できます。(逆に良い霊が近付いてきても分かります。)
 
今回は「JAL123便墜落事故」のカラクリを暴くことで、「国常立尊」という名の悪魔が激しく怒り狂い、私がこれ以上、ブログを更新できないように攻撃してきたのではないかと強く感じております。
 
とにかくこの「国常立尊」という悪魔は、他のどんな悪魔と比べても、かなり強力な悪魔であることは間違いありません。多分、たくさんの手下も従えているのでしょう。だからこそ、「出雲族」の連中はこの「国常立尊」のことを大きく敬っているわけです。
 
人によっては、私が余りにもこの世のドロドロとした世界に頭を突っ込みすぎたので、精神的に参ってしまい、それで体調を崩したのではないかと考えている方もいらっしゃるようですが、まあ、それも確かに一理あるとは思うのですが、多分、その程度のことでこんなに何日も激しい頭痛に苦しめられることはないのではないかと私自身は思っています。

とはいえ、「JAL123便墜落事故」は想像していた以上に闇の深い事件でした。
 
余りにも闇が深いので、この事件の闇に余すことなく光を当てれば、この日本の闇をことごとく暴き尽くすことができるのではないかと思っているぐらいです。
 
実際、この事件について調べていくうちに、今まで分からなかった日本や世界の謎が次から次へと解明できるようになりました。
 
それについては、これまで何日間かに渡って記事にしてきましたが、実はまだ書いていないことが山のようにあります。それぐらい「JAL123便墜落事故」は闇の深い事件なのです。
 
なので、私が体調が回復したときには、その闇をどんどん記事にしたいと思っているのですが、こうしてこの世の闇ばかり書いていると、私もいい加減、精神的に滅入ってきますし、それは読者の皆さんとて同じではないかとやや懸念しております。
 
人によっては、この世に希望を失い、生きる気力さえ喪失してしまった人もいるかも知れません。

そこで、私はこの二日間、あれこれと考えた末、これからはもっと「聖書」や「人生」についてもっと深く語っていこうと考えるようになりました。
 
私のブログを通して、聖書を読みはじめたという方、聖書を読んで感動したという方、聖書を読んで楽になった、という方が想像以上に増えてきているからです。
 
一週間に一通ぐらいはそういったメールをいただいているかも知れません。私としても実に嬉しい限りです。
 
と言っても、ブログの中で「聖書」のことばかり書いてしまうと、またしても「RAPTが宣教している」とか「羊の群れを作ろうとしている」とか言う人格の欠けた人が出てくることが予想されます。
 
しかも、そういった人がいくら「聖書」や「人生」について私の書いた記事を読んだとしても、その内容をよく理解できないので、さらにあれこれとイチャモンをつけてくることでしょう。

なので、そういった「聖書」に関する記事は今後、ブログに書くのではなく、メルマガという形で書くことにしました。
 
とはいえ、無料メルマガにしてしまうと、結局、ブログと同じく誰でも読めてしまうので、有料メルマガにしようと思っています。
 
多分、値段設定は他の有名メルマガと同じぐらいになると思います。相場は800円ぐらいですね。
 
そうすれば、私としても多少のお小遣い稼ぎになり、調査費を工面することができ、非常に助かります。
 
このようにすれば、この世のカラクリだけを知ることができればそれで十分という人は、今まで通りブログだけを読めばいいわけですし、それだけでは満足できず、もっと自分の人生に深く向き合いたいと思っている人、この世でもっと希望を持って生きたいと思っている人、自分の人生をもっとより良くしたいと思っている人、複雑に絡み合った人生の問題を解きたいと思っている人は、メルマガも併せて読んでいただければいいということになります。

私としても、読者の皆さんが私のブログを読んで、この世に失望し、落胆して終わりになってしまうのでは、このブログを書く意味も甲斐もありません。
 
私は皆さんを落胆させ、失望させるためにこのブログを書きはじめたわけではないからです。少しでもこの世の中を改善していきたいと思って書きはじめたのです。
 
しかし、こうしてブログを書いていく内に、結局、この世の中を変えていくためには、単にこの世の問題点を指摘するだけではダメだし、かといって署名活動やデモ活動などしても何の意味もないということが分かってきました。
 
本気でこの世を変えたいと思うならば、先ずは私たち一人一人が自分の人生に深く向き合い、自分の人生を変えていくところから始めていかなければいけません。
 
自分の人生をまともに生きられない人が、いくらこの世の中を改善したいと大言壮語し、何かしら行動を起こしたところで、いずれ悪魔に食い物にされ、倒されて終わりになるのがオチだからです。それぐらい悪魔どもは、狡猾であり、強力な存在なのです。

それについては、このブログの読者の皆さんならもう重々お分かりいただいていることでしょう。
 
そして、そのためにはやはり「聖書」を読むことは必須です。「聖書」しか、悪魔と戦って勝つための具体的な方法が書かれた書物はこの世に存在しないからです。
 
しかしながら、「聖書」を一人で読もうとしてもモチベーションが続かない人、一人で読んでもほとんど理解できない人がいるというのも現実でしょう。
 
中には、この世のクリスチャンたちと同様、「聖書」を無理やり解釈して、かえって自分の人生をダメにしてしまう人も出てきてしまうかも知れません。それでは、せっかく「聖書」に出会えた意味がありません。
 
「聖書」の中にもこうあります。

「このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。 」(ペテロの第二の手紙第3章15〜16節)

なので、頑張って「聖書」を読んでいる方々が、間違った解釈をすることなく、むしろこれからも続けて「聖書」から大きな悟りを得て、人生に大きなプラスとなるようなメルマガを書いていければと思っています。
 
メルマガについての詳細は、私の体調が回復し、もう少し具体的にプランを練った後にまた報告したいと思います。

ブログ記事の更新も、やはり私の体調がきちんと整ってからにしようと思います。でないと、またすぐに悪化して、再び寝込んでしまう恐れがあるからです。なので、もう何日間かは記事の更新はお休みするかも知れません。今日もこれだけ書くのでやっとです。
 
あと、実を言うと、私がこうして倒れてしまうまで、実は楽曲の制作もかなりのスピードで進んでおりました。

私がこの世の謎を新たにスラスラと解明し、かつ楽曲の制作もかなりのスピードで進んでいたために、悪魔どもが慌てて私を攻撃し、私の計画を破壊しようとしたのではないかという気がします。

(音楽が完成すれば、またさらに情報拡散の効果が広がるかも知れませんからね。)
 
しかしながら、こうして倒れて寝込んでしまうことによって、私はまたしても新たな構想を得ることができました。
 
神様にお祈りすれば、どんな試練も自分の人生にとってのプラスにすることができるということですね。

皆さんのためにも続けてお祈りしています。どうか私のためにも続けてお祈りしてください。

よろしくお願いいたします。

転載ここまで

 私の住む愛媛県の最高峰「石鎚山」は、JAL123便を撃墜して520人の命を奪った「国常立尊」そのものでした。

一週間ほど記事の更新を休ませていただきました。
 
その間、多くの激励や応援のメールやコメントをいただき、心から感謝しております。皆さんの言葉に心から励まされました。本当にありがとうございます。
 
と同時に、ご心配をおかけして本当に申し訳ありませんでした。
 
とりあえず体調はかなり回復しましたが、先週のように、また明日になっていきなり体調を崩すということもなきにしもあらずなので、「大丈夫かな」と思いつつ様子を見ながら記事を書いています。
 
前回の記事にも書きましたが、今回、私が体調を崩したのは、明らかに霊的な攻撃によるものだと思っています。(なので、病院には一切通っていません。)
 
ですから、この一週間の間は、体調がよくなったと思っても、また霊的な攻撃を受けて、体調が再びおかしくなるということが何度も繰り返されました。
 
私が「JAL123便墜落事故」の内幕について深く暴露したことが、どうやら「国常立尊」の怒りを買ってしまったようです。

もっとも、私がこんなことを言うと、読者の方の中には相変わらず私が妄想を語っていると思う人がいるかも知れません。
 
なので、今回、こうして私の体調が崩れたのが「国常立尊」からの攻撃によるものなのかどうか、自分なりにはっきりと確かめてみることにしました。
 
しかし、どうすればそんなことが確かめられるのか。実はその方法が一つだけありました。
 
私の住んでいる家の近くには「石鎚山」という西日本最高峰の大きな山があります。(最上の画像)

この山は「日本七霊山」の一つであり、まさに四国地方にとっての「富士山」、いえ、西日本にとっての「富士山」と言っても過言ではないほど巨大な山です。

実際、四国の人々からは、この「石鎚山」は神様のように崇められています。

ちなみに、「日本七霊山」とは以下の山々のことを言います。(出典はこちら
 
・富士山(静岡県、山梨県)
・立山(富山県)
・白山(石川県、岐阜県)
・大峰山(奈良県)
・釈迦ヶ岳(奈良県)
・大山(鳥取県)
・石鎚山(愛媛県)
 
この「石鎚山」は私の住んでいる家からも見ることができます。夏は青々とした姿が美しく、冬は雪のかかった白い姿がとても美しく見えます。人々がこの山を神様のように崇めたくなる気持ちも分からないでもありません。
 
「石鎚山」について詳しく調べてみると、実はこの「石鎚山」そのものが本当に「蔵王権現」という神として定められ、祀られていることが分かりました。
 
蔵王権現 – Wikipedia

このウィキペディアの記事の「全国の主な蔵王権現」という項目の中に、「石鎚山 – 山そのものが石鎚蔵王権現」とあります。
 
また、以下の記事にもこうあります。
 
石鎚神社 – Wikipedia
 
(以下、ウィキペディアより転載)
 
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。
 
伝説で紀元前63年のこと崇神天皇第35年石鎚の峯に神を勧請す(長寛勘文による)とある。
 
また、685年に役小角(神変大菩薩)が開山、引き続き、上仙法師(寂仙または石仙とも呼ばれている)が開山したと伝えられる。
 
その後、空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから空海も修行したことは異論のないところである。
 
さらに伊予国風早郡の出身の光定といった高僧たちも修行した。
 
以来、石鎚蔵王権現と称され、別当の前神寺(四国八十八箇所第64番)・横峰寺(四国八十八箇所第60番)のもとで、神仏習合・修験の道場として繁栄した。
 
(転載ここまで)

しかも、さらによく調べてみると、この「蔵王権現」は、なんと「JAL123便」を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」と同じ神であることが分かりました。(「国常立尊」が520人を殺した犯人であるという証拠はこちら
 
つまり、「蔵王権現 = 国常立尊」というわけです。
 
(以下、ウィキペディアより転載)
 
また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。
 
(転載ここまで)
 
ですから、四国にある石鎚山は「国常立尊」そのものである、と言ってもいいわけですね。
 
正直、これには私も驚きました。自分の近所にある親しみのある山が、実は「悪魔」として祀られていたというわけですから。
 
私の住んでいる愛媛県には、この「石鎚山」を御神体として祀っている神社があって、その神社の名を「石鎚神社」と言います。以下がその神社の画像です。

この「石鎚神社」は山そのものを御神体と祀っているので、かなり規模の大きな神社です。
 
以下の画像はこの石鎚神社の案内ですが、これらの建物はほんの一部に過ぎません。上の画像を見てもお分かりになる通り、山の上にも建物があったりしますので。

私は試しにこの神社に行ってみることにしました。家で寝てばかりいても仕方がないので、気分転換もかねてドライブに行こうと思ったわけです。(もちろん、山にまで登る気はなく、ちょっと立ち寄るぐらいのつもりで。)
 
しかも、この神社は私の家から車で一時間もかからない場所にあります。なので、行こうと思えばいつでも行くことができます。
 
しかし、そんな近い場所にありながら、私は今までこの神社には一度も行ったことがありませんでした。多分、私の家族も(もしかしたら先祖も)誰も行ったことはないと思います。
 
恐らくうちの家系は「出雲族」ではないということなのでしょう。「国常立尊」はあくまで「出雲族」にとっての神様ですから。

上の画像にもありますように、先ずは赤い大きな鳥居をくぐり、さらにもう一つ小さな鳥居をくぐります。で、第二駐車場に車を止めて、「神門」に行きます。
 
すると、そこには「鬼」と「天狗」のリアルな木彫りの彫刻がありました。以下は私が撮った写真です。光が反射しているのは、ガラス張りになっているからです。

この二つの彫刻はかなり巨大なもので、上を見上げるようにして見なければなりません。しかも、これらの彫刻を間近で見るととても気味が悪い。彼らの正体を知っている分、余計に気味が悪かった、というのもあるかも知れません。
 
この「神門」に行った時点で、私はおかしな偏頭痛に襲われました。頭がヒリヒリ、チクチクするような感じです。
 
さらにこの「神門」をくぐって、その奥にある「会館」「社務所」に行こうとした時点で、私はさらに強烈な頭痛に襲われました。
 
その頭痛はまさに一週間前に経験した頭痛と全く同じものでした。この頭痛がひどかったので、この一週間、私はずっと記事の更新をお休みさせていただいてきたわけです。

いえ。もっと正確に言うなら、それは一週間前に経験した頭痛よりももっと激しい痛みでした。まさに悪魔か何かが私の頭に覆い被さってきたような感覚です。
 
その頭痛が首筋を通って、全身をもしびれさせはじめました。まさに電気信号が頭から全身へと伝わっていくような感じです。
 
特に首筋に強烈な痛みが走り、首の筋が自然とピクピクと激しく動き出しました。
 
その痛みが余りにも強烈だったので、それ以上、先に進むことはできませんでした。「神門」から先を少し進んだところでリタイアです。
 
まあ、普通の人なら、「それは電磁波攻撃だ」と言われたら、素直にその言葉を信じたかも知れません。本当に強い電波が頭から全身に伝わっていくような感じでしたから。
 
さらに言っておくと、私の頭痛がたまたまそこでぶり返したというわけではありません。なぜなら、私がもう一度「第二駐車場」に戻ったときには、その頭痛はきれいさっぱり消えてなくなったからです。
 
どうやら私は「国常立尊」に弾かれてしまったようです。「お前はこれ以上、この神社に近付くな」という警告だったのかもしれません。

私が「国常立尊」とそれを信じる「出雲族」たちの悪事を次々と暴いてきたので、私はどうやら「国常立尊」から激しく恨まれてしまったようです。
 
まあ、私としても「国常立尊」や「出雲族」と仲良くやっていきたいとは思わないので、ある意味、願ったり叶ったりではありますが。
 
ちなみに、私以外の人たちは特に頭痛を感じることもなく「会館」や「社務所」に行くことができるわけですから、私が感じた頭痛の原因が「電磁波」でないことは明らかです。
 
ということで、今回、こうして「石鎚神社」に試しに行ってみたことで、私を襲った頭痛の原因が、間違いなく霊的な攻撃によるものであるということがはっきりと分かりました。双方ともその痛みが全く同じタイプのものだったからです。
 
ですから、私と違って霊界の存在を信じていない人が、下手に「国常立尊」の悪事を暴いたりすると、強烈な頭痛に苛まれ、「電磁波攻撃」を受けたと信じ、二度とそんな目に遭いたくないと思って、それ以上の記事を書こうとしなくなるかも知れません。

しかも、そういう人は「国常立尊」を追い払うための祈りすらしないでしょうから、その後も強烈な偏頭痛に悩まされつづけるかも知れません。
 
一応、私の場合はこの一週間ずっと祈りつづけて、なんとか頭痛からも解放され、「国常立尊」も追い払うことができたという感じです。
 
もっとも、今後いつ再び彼らからの攻撃があるか分かりませんので、油断は禁物です。これからもさらなる祈りが必要でしょう。
 
しかしながら、多くの人々がこの「石鎚神社」のような神社に行って、美しい自然に囲まれた勇壮な建物を見ながら、心が洗い清められるような神聖さを感じているわけです。そう考えると、なんとも複雑な気持ちになりますね。
 
確かに外観だけを見れば、その自然や建物の壮麗さに心を打たれるてしまう人たちの気持ちも分からないでもありません。
 
しかしながら、目に見えないところでは、このように悪なる霊どもがうようよしているわけですので、何度も繰り返しこの神社に通っているような人たちは、その心や人生に何らかの影響を受け、危害が及んでしまう可能性はなきにしもあらずです。

実際、この「石鎚神社」のある「西条市」は年々、目で見て分かるほどに寂れていっています。「西条市」のお住まいの方たちには本当に申し訳ないのですが、それが傍目から見ていて感じる率直な印象です。
 
もちろん、町が寂れていく原因がすべて「石鎚神社」にあるとは断定できませんが、悪魔崇拝者たちが「石鎚山」を神として崇め、ちょくちょくその山に足を運んできては、その近辺で悪魔崇拝なんかを行っているわけでしょうから、霊的に大きな(悪い)影響を与えていることは疑いようもありません。
 
近所にお住まいの人たちが知らず知らずのうちにその影響を受けて、やる気を失ったり、生気を失ったり、病気に罹ったり、精神的に辛い思いをしたりしている可能性もなきにしもあらずなのです。
 
そして、それが町の行政や経済などにも影響を与えてしまっているわけですね。
 
とはいえ、他の人たちが悪魔の影響を受けることを止めるのは難しいので、先ずは自分から悪魔の影響を受けないように努めることが何よりも重要です。

そこで、先日もお話しました通り、いずれこのブログでは近いうちに「聖書」をテーマにしたメルマガを配信する予定です。
 
そのメルマガを読んでいただければ、多くの方々が少なからず悪魔の影響下から抜け出すことができるかと思いますし、むしろ神様から良い影響を受けて、本当に意味のある、甲斐のある人生を生きられるようになるのではないかと期待しています。
 
なぜなら、「聖書」には間違いなくそのような力があるからです。
 
もっとも、この世のほとんどのクリスチャンたちは、その「聖書」の力を感じられず、受けられずに生活しています。なぜなら、彼らの多くが根本的に「聖書」の解釈を間違っているからです。
 
悪魔どもがこれまで何百年、何千年とかけて、ねじ曲げてきた聖書解釈を、彼らはそのまま受け入れて信じてしまっているのです。
 
ですから、今後はメルマガを通して、そのねじ曲げられた聖書解釈をひたすらまっすぐに引き戻したいと考えています。

ブログの更新についても、今後は私の体調が再び変調を来さない限り、今まで通り再開しようと思っています。
 
また、音楽の制作もこのまま順調に進めば、いずれ近いうちに第一作目のアルバムを発表できるのではないかと思っています。
 
ということで、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
それにしても、ブログを再開して早々から、こんな不思議体験を記事にすることになるとは思ってもいませんでした。とにかく、この世にはこんな不思議なこともある、ということを分かっていただければ幸いです。

転載ここまで

香川県は「うどん県」ならぬ「ピラミッド大国」でした。あなたの住む町にもピラミッドは存在するかも知れません。

愛媛県にある最高峰「石鎚山」が、実は「JAL123便」を撃墜して520人もの乗客の命を奪った「国常立尊」そのものだった、というお話をしました。

要するに西日本最大の「石鎚山」を「出雲族」たちは御神体として祀り上げ、神として拝んできたというわけです。
 
実際に私がこの「石鎚山」を祀っている「石鎚神社」に行ってみたところ、確かにこの「石鎚山」がただの山ではないということが分かりました。
 
間違いなくそこには神ならぬ悪魔のような霊物が存在していることがはっきりと分かったからです。
 
しかも、その霊物はかなり強力な力を持っていて、私に対して激しく牙を剥いてきました。私はたちまち強烈な頭痛に襲われ、「石鎚神社」に立ち入ることさえできませんでした。
 
まるで漫画かアニメのような話ではありますが、現実にこの世にはこのようなことが起こり得るということです。悪魔のような霊物は間違いなくこの世に存在し、いつでも私たち人間を攻撃することができるのです。

霊的に敏感な人はそれを感じ取ることができますが、そうではない人はそれを感じることなく、知らず知らずのうちに精神的、肉体的に害を受けるということも大いにあり得るでしょう。

ということをお話したわけですが、今日はこの「山岳信仰」についてさらに深く踏み込んでお話したいと思います。
 
ずっと前に一度、私は読者対談の中で、「徳島県」には人工ピラミッドとおぼしき山々がたくさん見受けられるというお話をしたことがあります。その対談が以下になります。
 
RAPT×読者対談〈第二弾〉秦氏と神社とロスチャイルド。
 
この対談の中で、読者の方が「香川県にはそのようなピラミッドらしき山はないのですか」と私に尋ねてこられました。私はそのときにはまだ香川県のことはよく分かりませんでしたので、「よく分かりません」と答えました。
 
ところが、この度、実は徳島県のみならず、香川県もまたとんでもない「ピラミッド大国」であることが分かりました。
 
香川県というと、地方自治体による宣伝効果もあって、今では「うどん県」と反射的に思い浮かべる人もいるかも知れません。しかし、香川県は実は「うどん県」ならぬ、四国最大の、いや、もしかしたら日本最大の「ピラミッド県」かも知れません。
 
ご紹介した「石鎚神社」は国道11号線の通り沿いにありますが、私はこの「石鎚神社」に行ったついでに、国道11号線をさらに香川県の方に向かって車を走らせてみました。
 
普段、私はこの国道11号線を通って香川県に行くということはほとんどありません。私の町から香川県まではかなりの距離がありますので、香川県に行くときにはいつも高速道路を使っているからです。(そもそも、香川県に行くこと自体、ほとんどありませんが。)
 
しかし、この日は敢えてのんびりとドライブをしようと思い、国道11号線を走っていくことにしました。別に何か目的があったわけではありません。強いて言うなら「讃岐うどん」でも食べようかと思っただけです。
 
ところが、この道を行く途中、私はとんでもない景色に遭遇しました。
 
徳島県でちょくちょく見かけていたピラミッド型の山々が、なんと目の前にいくつも現れはじめたのです。以下がそのとき撮った写真です。

これらの山々はどれも似たような形をしていますが、すべて別々の山です。
 
そして、これらの山々は、見ての通り、きれいな左右対称の形をしています。まさにお椀や杯がひっくり返ったような綺麗な形をしています。
 
こういう山が一個か二個あるだけなら、自然に作られたものだと考えることもできますが、国道11号線沿いにはこのような山が「幾つも」ありました。
 
例えば、香川県の11号線の周辺を適当にストリートビューで見てみると、以下のような景色がすぐに見付かります。
 
https://goo.gl/vhaflS

かつて徳島県に「邪馬台国」があり、「卑弥呼」がいたかも知れない……。
 
その「卑弥呼」が実は悪魔崇拝者で、悪魔崇拝者はピラミッドと密接な関係がある……ということを知らなければ、もしかしたら私も、これらの山々を見ても、「面白い山がたくさんあるな」と思って終わりにしていたことでしょう。
 
しかし、この日本と古代エジプト、そしてピラミッドとは明らかに深いつながりがあります。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
 
古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
 
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
 
私はその事実を知っていたので、これらの山々を見たとたん、これらが単に自然に作られたものではなく、人工的に作られたピラミッドに違いないとすぐに確信しました。
 
そこで、私はこれらの山々のうち、適当に一つの山を選んで近付いてみることにしました。すると、案の定、その山のてっぺんにはちゃっかりと神社が建っていました。(私が選んだ山は以下の「飯野山」になります。)
 
飯野山 – Wikipedia

〈山の頂上にある飯野山神社〉

この山がピラミッドであることを分かっている人がいるからこそ、この山の頂上にこんな神社が建てられたわけでしょう。こうして神社を建てておけば、所有権を主張できる上、山が切り崩される心配もありませんから。
 
さらにその後、家に帰って調べてみると、実はこの「飯野山」が「讃岐富士」とも呼ばれていて、「讃岐七富士」の一つとして指定されていることが分かりました。
 
讃岐七富士 – Wikipedia

つまり、香川県にはこのようなピラミッド型の山が七つはあるということです。もっとも、私がざっと調べただけでも、七つどころか、十以上はあることが分かっていますが。
 
しかも、これらの山々を「富士」と呼んでいるということは、「富士山」とも何らかの関係があるということなのかも知れません。
 
これらの山にある神社では、今でも夜な夜なあやしげな儀式が行われているのではないでしょうか。
 
しかしながら、一般庶民にはそんなことは分からないので、誰も彼もがこれらの山々をただの「山」と思っているわけです。まさか有史以前に、人工的にこんな大きなピラミッドが造られていた、とはこの世の誰も想像すらしないでしょうから。
 
ということは、香川県ほど沢山のピラミッドはないとしても、私たちが気付いていないだけで、実は自分の住んでいる地域にもこのような人工の山がいくつか存在しているかも知れない、と私はふと考えました。(四国地方はとにかく山が多い、というのもあります。)
 
そう思って、私は再び愛媛県に戻っていく際、車を走らせながら絶えず周囲の景色に気を配っていたのですが、一応、愛媛県でもそれとおぼしき山を一つ発見しました。
 
「石鎚山」のある「西条市」で、たまたまこんな景色に遭遇しました。

山というより、森という感じですが、それでもこんもりと土地が盛り上がっているのが分かりましたので、これまた小型のピラミッドではないかと思って、この山に近付いてみました。
 
すると、思った通りでした。この山の頂上にもちゃっかりと神社が建っていました。その名も「福岡八幡神社」と言います。

前にもお話しましたが、「八幡神社」といえば「秦氏」が建てた神社です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
秦氏の正体はロスチャイルドでした。
 
この「秦氏」というのは「ロスチャイルド」のことである、とこの上のリンク記事にも書いていますが、この「ロスチャイルド」のために作られた宗教がいわゆる「密教・真言宗」です。
 
平清盛が平家をロスチャイルド家にしてしまった可能性。または「密教」と「日の丸」に隠された意味。
 
この「真言宗」を作ったのが「空海」ですが、この「福岡八幡宮」のすぐ傍にも「空海」が建てたとされるお寺がありました。その名も「正善寺」と言います。
 
正善寺 – Wikipedia
 
ですから、この「福岡八幡神社」と「空海」とには明らかなつながりがあるわけですが、まあ、普通の人はまさかこれらに何かの関連性があるとは思いもしないので、「空海」がたまたま「福岡八幡宮」のすぐ傍にお寺を建てたという話になっているようです。

〈正善寺〉

ちなみに、私はこの「福岡八幡神社」のある山の頂上まで登ってみました。石作りの階段をただひたすら登り切ったところに神社はありました。(かなり長い階段でしたが。)
 
この「福岡八幡神社」では「石鎚神社」に行ったときのような頭痛は感じませんでした。
 
しかし、この山から下りた後、胸の辺りが変にムカムカしてきて、ちょっとした吐き気を催してしまいました。多分、この「福岡八幡神社」にも変な霊がうようよしていたのだろうと思います。
 
実際、神道の世界では「大きな山には位の高い神様がいて、小さな山には位の低い神様がいる」ということになっているらしいので、この小さな山にも位の低い神(悪魔)が住み着いているのでしょう。
 
いずれにせよ、国道11号線というのは要注意ですね。「11」自体、意味深な数字でもありますし。「9.11」「3.11」ですから。(ちなみに、「福岡八幡神社」は11号線からは少し離れたところにあります。)
 
そもそも、この国道〜号線の〜に入る数字は、その道路がどれぐらい重要なものであるかを表す数字だと言われています。
 
ネットには道路が造られた順番だとか、あれこれと色んな説が載っていますが、道路の重要度を表しているというのが正確なところです。
 
(以下、こちらから転載)
 
日本国内には459の国道がある。
 
その全てに1から始まる連番が振られていると思われがちだが、実際には欠番がいくつか存在しており、全国道中で最大の番号は507号となっている。
 
それぞれに与えられたナンバーは、日本の国道網における相対的地位を表すものであると言って良い。
 
そして、日本の道路網の根幹をなす国道内での順位付けは、基幹道路としての重要度そのものを意味している。
 
また、国道に振られたナンバーは、数字が若いほどその路線が重要な道であることを示すものでもある。
 
(転載ここまで)

つまり、国道11号線というのはこの国にとって11番目に重要な道路というわけです。
 
しかしながら、この国道11号線はさして重要とも思えない田舎のど真ん中を走っています。特に重要な建物がこの道路沿いに幾つも建っているというわけでもありません。
 
国道11号 – Wikipedia
 
なのに、なぜこんな道路が11号線として指定されたのか……。今の今まで私にもその理由がよく分かりませんでしたが、これにてようやくその謎が解けたような気がします。
 
この道路沿いにこれだけの数のピラミッドがあれば、11番目に重要な道路として指定されるのも当然というものでしょうからね。
 
ということで、今日は随分とローカルな話題になってしまいましたが、それでも今回の発見はとても重要なものだと言えるでしょう。

転載ここまで

 「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。

香川県に人工的に造られたピラミッドと思われる山がいくつもあるということ、そして、それらのピラミッドの頂上には必ずと言っていいほど神社仏閣が建てられているというお話をしました。

しかしながら、日本人のほとんどが、有史以前の日本人があんな巨大なピラミッドを造れるわけがないし、造る必要もない、という常識に縛られているので、物的証拠を見せられても、すべての山々が自然にできた山であると考え、信じ込んでいるわけです。
 
もちろん、人によってはあんな山が本当に自然にいくつもできるものだろうかと不思議がっていることでしょう。実際、そんなコメントやメールを書いてくださった方たちが沢山いらっしゃいました。
 
ということで、今日は香川県のお隣にある「徳島県」にあるピラミッドを見てみたいと思います。
 
実は、香川県にも「讃岐富士」と呼ばれる山があるように、実は徳島にも「阿波富士」と呼ばれる山があります。
 
その山の名を「高越山」といいます。
 
阿波富士(高越山)

〈高越山〉

この「高越山」の頂上にはやはり空海と縁のある「高越寺」があります。

〈高越寺〉

しかし、「阿波富士」はこれだけではありません。実はもう一つあります。その山の名を「城王山」といいます。
 
阿波富士(城王山)

〈城王山〉

この「城王山」の頂上にもやはり「城王神社」という神社が建てられています。
 
この「城王神社」の祭神は「天照大神」とのことですから、どうやら「大和系」の神社のようですね。(出典はこちら

さらによく調べてみると、この「城王山」は「讃岐山脈」とよばれる山脈にあるようです。
 
讃岐山脈 – Wikipedia
 
この「讃岐山脈」は「阿波山脈」とも呼ばれているようですが、それはこの山脈がちょうど香川県と徳島県の県境にあるからです。
 
徳島県民からしてみれば「讃岐山脈」と呼ばれるのは癪に触るし、香川県民からしてみれば「阿波山脈」と呼ばれるのは癪に触る、ということなのでしょう。
 
この上のウィキペディアの記事を見てもお分かりの通り、この「讃岐(阿波)山脈」は全部で33の山々から成り立っています。
 
これらの山々を一つ一つ丹念に調べていくと、やはりこれらのどの山にもほとんど神社仏閣が建てられていることが分かります。
 
例えば、「大麻山」には「大麻比古神社」があり、「雲辺寺山」には「四国八十八箇所第六十六番札所・雲辺寺」があるという具合です。

〈大麻比古神社〉

〈雲辺寺〉

また、「妙体山」と呼ばれる山の山頂にはなぜか二つの神社が並んで建っています。

右が「明多意神社」、左が「妙体神社」だそうです。なぜ二つ並んで建っているのかはよく分かりませんが、まあ、色々とその理由は伝説として今でも語り継がれているようですね。
 
妙体山と大山積神・木花咲夜姫♪ : すえドンのフォト日記
 
また、徳島県には日本一低い山があって、その山のてっぺんにも神社が建てられているようです。その山の名を「弁天山」と言い、神社の名を「厳島神社」と言うそうです。

〈弁天山〉

こちら」の記事によると、「自然で古来よりある山のなかで日本で一番低い山は、弁天山(べんてんやま)です。標高6m、徳島県徳島市方上町にあり、とくしま市民遺産に選定されています。」とのこと。
 
たった1分で登頂!日本一低い山 「弁天山」【徳島】 :日本珍スポット100景
 
「低い山には位の低い神様が住んでいる」ということらしいので、この山には日本一位の低い神様(悪魔)が住み着いているということなのでしょう。
 
このように、徳島県にある山々にもやはり、そのほとんどに神社仏閣がしっかりと建てられています。恐らくこれらの山々も、悪魔崇拝者たちからピラミッドと見なされ(あるいは造られ)、信仰の対象とされてきたわけでしょう。
 
実はこの徳島には、そんな彼らのピラミッドに対する信仰心がはっきりと現れているお寺があります。それが徳島県小松島市にある「桂林寺」です。

〈桂林寺〉

言うまでもなく、このお寺には他のお寺と同様、幾つものお墓が建てられてあります。

ところが、この墓地をさらに奥へと進んでいくと、なぜか以下のようなピラミッドの形に並べられた墓地が出てきます。

この場所は多くの人たちから気味悪がられ、徳島の心霊スポットとして広く知られているようです。

それにしても、この墓の下に眠っているのは、一体誰の遺骨なのでしょうか。
 
一応、このお墓は「無縁仏」といって、供養する親族がいなくなった人たちのお墓ということになっているようですが、もしやこの墓の下には悪魔崇拝の生贄とされた人たちの遺骨が眠っているのではないでしょうか。ついついそんな変な想像をしてしまいます。
 
実際、マヤやアステカ文明などでは、ピラミッドの頂上で多くの人たちが生贄として捧げられたことが分かっていますからね。なので、ピラミッドと聞くと、どうしてもそんなことを勘繰らざるを得ません。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

それに何より、この「桂林寺」は「真言宗」のお寺だそうですが、この「真言宗」は明らかにピラミッドと深い関わりがあります。

「真言宗(密教)」といえば、これまで何度もお話してきました通り、「空海」がつくった「ロスチャイルド」のための宗教です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
平清盛が平家をロスチャイルド家にしてしまった可能性。または「密教」と「日の丸」に隠された意味。
 
日本の建国に大きく関わった「秦氏」も、実は「ロスチャイルド」の一派でした。
 
秦氏の正体はロスチャイルドでした。
 
ですから、「空海」と「秦氏 = ロスチャイルド」は明らかに密接なつながりがあるわけですが、実はこの「秦氏」はもともとは神道ではなく、ゾロアスター教の祭杷氏族であり、しかもこのゾロアスター教は古代エジプトとも密接なつながりがあります。
 
実はこれら全ては「シリウス信仰 = 聖方向」というキーワードで一つにつながっているのです。

(以下、こちらから転載)
 
1月31日、2月1日の岡山県内、とくに備中地方を重点的にめぐるイワクラツアーで、中核となった佐藤光範(敬称略) の着眼は注目に値した。
 
「ハタ」なる地名にあるイワクラが多いのだからこのイワクラ信仰の主催氏族は秦氏だというのである。
 
実は私も似たことを感じていたことがある。
 
奈良県山添村波多横山にある神波多神社周辺に広がるイワクラ群も秦氏がつくった気配が濃厚だからだ。
 
ここは柳原が鍋倉天の河説を打ち立てたところなのだが、添村だけではなく、もっと北の笠置山までの目立つ巨石を調べ、その分布様態をみると、私が、主張しているゾロアスター教の聖方向が浮かびあがってくるのだった。
 
ゾロアスター教はBC500年頃に最盛期を迎えていた古代ベルシア、アケメネス朝の国教だが聖都市、ベルセポリスの主軸が真北から20度西に傾いている。この方向が聖方向なのだ。
 
ヘルセポリスには西から北に折れ、入り口は北で南が深奥である。
 
聖方向が真北から20度西に傾くということは真南から東に20度傾いていることでもある。
 
この方向はBC500年頃、冬至の真夜中、午前0時にシリウスが南天つ主者の如く燦然と輝いている方向だったのである。
 
事実ゾロアスター教では主神で、太陽神、アフラ・マズダの次に崇められていたのがシリウスのテシュトリア神だった。
 
ゾロアスター神殿は10メートル立方ほどの石造建築だが、これも入り口は北で主軸は聖方向なのだ。
 
ところが日本でも鹿島神宮が西から北に折れ、入り口が北で主軸が聖方向、ベルセポリスとまったく同じ空間構成なのだ。
 
奈良盆地中央を走る太子道も正確な聖方向だ。太子道は斑鳩から飛鳥まで聖徳太子が通った道と伝えられているものだ。

それだけではない。斑鳩宮の街路構成の、王軸も聖方向だ。歴史地理学者千田稔からその理由を調べてほしいと言われ判ったのがこの聖方向だった
のである。
 
また飛鳥自体がこの聖方向を強く意識して都市計画された都だったこともわかってきた。ただし考古学者は誰一人としてそんなことには関心がない。
 
日本にゾロアスター教が伝えられていたなど考えてみたことすらなかったのだ。飛鳥とゾロアスター教といえば松本清張の『火の回路』が有名だが、ただ彼は晩年に自説をぐらつかせてしまったのは残念だった。
 
建築家でないと解釈できないことに踏み込んだせいだ。でも松本のおかげで私が聖方向発見へと至ったのだから大いに感謝しているし、彼とは対談もしている。晩年ではあったが元気だったし面白かった。
 
秦氏とイワクラだが、秦氏の渡来はどんなに古くみても、せいぜい五世紀前半までだ。ただし朝鮮からではない。中央アジアに巨大王国を樹立した大月氏が秦氏である可能性が高い。

私の発見に共鳴してくれて中央アジアに現地調査にいっている栗本慎一郎は確言してはいないがほぼそんな問題提起をしている。
 
栗本は聖方向はゾロアスター教と特定はできず、むしろミトラ教のものではないかと指摘している。
 
というのもゾロアスター教と直接関わらない遺跡にもこの聖方向が盛んに使われているからだ。
 
私もBC1500年代のエジプ卜新王国時代の有名な主、アケナトンの都の主軸がこの聖方向を示していることに気づいている。
 
BC500年には聖方向はシリウスと関係付けられたのは間違いないが、それより1000年以前にこの方向が重視されていたのだ。
 
しかもアケナトンは太陽神を唯一神とした宗教を信じていたから、聖方向はやはりミトラ信仰が発生源かもしれない。これは今後の研究課題ではある。
 
秦氏が巨石を聖方向に関連づけて配列していったとしても五世紀前半以降だ。彼らはすでにあったイワクラのうちでも特に目立ち重要視されていたものを起点に、それから聖方向に沿って新しい巨石を配列していったということは充分考えられる。

飛鳥をつくり、その飛鳥で主権を確立したのは蘇我氏である。
 
その蘇我氏と大陸で合体し、北海道か北東北に渡来してきたのが秦氏と安倍氏だ。
 
蘇我は主、安倍は水軍、秦は治金、機織、土木建築、殖産興業、さらに地方官僚として威を振るった。
 
それと忘れてはならないのは、ゾロアスター教の祭杷を司ったことだ。秦氏はゾロアスター教の祭杷氏族なのだ。
 
ゾロアスター教はそのまま日本に定着しなかった。修験道に姿を変えたのが主、次に天武天皇がゾロアスター教を禁じたため、秦氏に主力はキリスト教の一派、ネストリウス教に改宗した。
 
ヨーロッパの絵画で十字架にかけられたキリストの画像に「INRI」と書き込まれている例をよくみかける。「ユダヤ人の王ナザレのイエス」というラテン語の頭文宇をとったものだ。
 
《RAPT註:この「INRI」は前にも書きました通り、イエス・キリストを敬ってつけた名前ではなく、イエスをバカにしてつけた名前です。わざと人を褒めそやしてからかう人がいますが、それと同じことです。詳しくはこちら

日本人の豪族の枢にこのINRIが刻まれていた。上野国(群馬県)多胡郡の羊大夫の墓だ。
 
羊大夫は奈良時代初期の人で秦氏だった可能性が高いといわれている。
 
このINRI (インリ)がイナリとなり稲荷神社となった。稲荷神社は今は商売の神だがこれは江戸時代以降のことで、そのもとはキリスト教だったのである。
 
また稲荷神社は秦氏がつくり祀っている。秦氏はこうしてゾロアスター教からキリスト教へと転向していった。
 
ゾロアスター教の方はまず東北山形県の出羽三山の修験道として姿を変えていった。出羽一二山の開祖は聖徳太子の従兄弟峰子皇子だが、聖徳太子も峰子皇子も蘇我氏の血が濃く流れている。まずは蘇我氏といっていい。
 
出羽三山の一つ、月山神社から北の正方向に正確に猿田彦神社が位置するが、猿田彦神社は秦氏と関わり、薩摩半島にもそっくりの図式をみせる猿田彦神社がある。
 
これを祀るのも秦氏だ。いずれにしてもイワクラとゾロアスター教は深い関係があるのはまず間違いあるまい。
 
谷口美智代の発見した北斗七星も秦氏と関わるものではないか。
 
(転載ここまで)

上野国(群馬県)多胡郡の羊大夫についてはこのブログでは初登場ですが、詳しくは以下のウィキペディアの記事をご参照ください。
 
多胡羊太夫 – Wikipedia
 
この上の記事では「秦氏」と「空海」の関連性については直接、言及されてはいませんが、「真言宗」が「キリスト教ネストリウス派(もちろん、これも悪魔教の一派と考えられます)」の影響によってつくられたものである、ということは前にもお話したことがあります。詳細は以下のリンクなどを御覧下さい。
 
大乗仏教に見られるキリスト教の影響
 
「秦氏」も「ネストリウス派」に改宗したというわけですから、「空海」も「秦氏」も全く同じ宗教を信じていたということになります。
 
しかし、改宗と言ってもそれはあくまで表向きの話であって、結局は「ゾロアスター教」も「ネストリウス派」も似たような宗教(悪魔教)だったに違いありません。だからこそ、そんなに簡単にコロコロと改宗できたわけでしょう。
 
そのゾロアスター教もネストリウス派も「シリウス」信仰であり、実は古代エジプトでも「シリウス」が信仰されていた……。
 
ということですから、ネストリウス派から影響を受けて作られた「真言宗」のお寺に、エジプトのピラミッドの形をした墓地が作られていたとしても、何ら不思議なことではないわけです。
 
「桂林寺」の住職は決して遊び半分でお墓をピラミッドの形に並べたわけではないのです。彼らは全てを分かった上で確信犯的にやっているのです。

一部転載ここまで

いかがでしたでしょうか。

遥か昔から、悪魔を神様としてきた宗教。

それを拡めたのは空海で、真言宗は多くの日本人が信仰しています。

四国八十八ケ所は、とても有名です。高野山も知る人ぞ知る場所ですね。

山だと思っていたものは、もしかしたらピラミッドなのかも知れません。

新約聖書

ヨハネによる福音書  

真理はあなたたちを自由にする  8ー31~38

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

すると、彼らは言った。

「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」

イエスはお答えになった。

「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。

だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。

わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。

ところが、あなたたちは父から聞いたことを行なっている。」

反対者たちの父  8ー39~47

彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」

そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。

「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。

わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。

悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。

しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。

神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

真理を知ることで、人は自由になれるのです。

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