天皇派(天皇家)VS教皇派(バチカン)PART3
今まで支配層たちの計画してきたことは、ことごとく失敗しています。
世界を巻き込んだ権力争いは、たくさんの犠牲者を出してきました。
我々は歴史の真実を知り、支配者たちのやり方に屈せず、今までにない考え方を身につけ、新しい世界になるよう目指して生きるべきです。
それには、知識と知恵が必要です。
まずは、こちらの記事をお読みください。
第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
かねてから私は、第二次大戦で日本が負けたのは「大和族」と「出雲族」との間にあった確執のせいではないかと疑ってきましたが、今回、その確証がはっきりと取れましたので、皆さんにご紹介したいと思います。
日本が第二次大戦に負けた最大のきっかけは、やはり何と言っても「真珠湾攻撃」です。
一応、「真珠湾攻撃」そのものでは日本軍はボロ勝ちをしましたが、日本軍がこの奇襲攻撃に成功し、アメリカ軍に大きな打撃を与えたがために、アメリカは第二次大戦に参戦する口実を得、日本と戦争を始めることになりました。
当時のアメリカの大統領ルーズベルトは、「アメリカは第二次大戦には参加しない」と国民に約束していたため、ずっと参戦を控えていたのですが、さすがに日本軍の奇襲攻撃によってアメリカ兵の多くが戦死したため、黙っていられなくなったのです。
ルーズベルトは日本に宣戦布告し、日本はアメリカによってボロボロに完敗することになりました。
つまり「真珠湾攻撃」さえなければ、日本が第二次大戦に負けることはなかったかも知れないというわけです。
しかし、実はこうしてアメリカが日本から奇襲を受けて第二次大戦に参加する、という流れは、当時の「日本帝国海軍」の司令官だった「山本五十六」と「ルーズベルト」の密約によるものだったとの噂があります。
〈山本五十六〉
一応、ネット上ではこの噂話をインチキ、デタラメと言う人も大勢いますが、私が調べたところでは、この噂話はかなり信憑性が高いと言えそうです。
というのも、「山本五十六」の当時の言動が余りにも不可解、奇天烈なものばかりだからです。
「山本五十六」はもともと日本とアメリカが戦うことに誰よりも強く反対していました。そのため、彼のことを愛国者だと言う人も多いのですが、なぜかその後、彼はその意を翻してアメリカに積極的に奇襲攻撃をかけていきました。
さらには日本軍がわざと負けるように仕組んだとしか思えないような作戦をいくつも立てました。例えば以下のようなことです。
(以下、こちらから転載)
●空軍の独立に反対し、海軍配下とした。空軍の発展を遅らせることになった。航空機の戦略的位置づけ錯誤(米航空機により制空権を奪われた)。
●アメリカに知られていた暗号の変更を遅らせた。日本海軍は秘密保持のため「JN25暗号」を定期的に変更すべきところを怠ったのである。海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側に筒抜けにさせていたということ。
●山本五十六の忠実なる配下の指揮官は山本五十六によって固定され、失敗をしても追求させず、無能であった。しかし1年4カ月の海戦を戦った将官たちは、その極度な無能ぶりにもかかわらず、戦後さまざまな戦記作家によっていずれも名将、名参謀としてたたえられている。
● 海軍軍令部の強い反対を押しきって真珠湾攻撃を強行。広い範囲の戦争を想定することは日本には不利と言われてきた。またその攻撃を不徹底なものとした。
●日米が開戦になった時は先ず真珠湾を奇襲し、アメリカの対独戦を合理化させると同時に、日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げた。
●またアメリカの主力戦艦がハワイにいない日を攻撃した。空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。真珠湾は浅いので、引き揚げて修理を行なうことができた。被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦だった。
● 珊瑚海海戦で米海軍に手ごころを加える。米空母「ヨークタウン」を撃沈せず引き揚げた。「ヨークタウン」にとどめをさすことをせず、攻撃を中止して北上するのである。この「ヨーククウン」がハワイの海軍基地に帰り、わずか2日間で修理されて2カ月後に起こったミッドウェー海戦に参加、あの連合艦隊撃滅の立役者となるのである。
● ミッドウェー海戦で連合艦隊大敗北を画策。戦艦大和など有力艦を後方に配置し、結局使わずに沈んだ。山本長官はソロモン海戦でも「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった。このため戦艦「大和」はついに「大和ホテル」と呼ばれるありさまであった。ミッドウェー作戦には、無能であり、しくじることがわかっている南雲忠一中将や草鹿龍之助少将を最も重要な機動部隊に起用し、自らは後方400キロの北西海上で旗艦「大和」や戦艦「長門」「陸奥」などとともに主力部隊にとどまり、これまた高見の見物をしていたのである。
(転載ここまで)
このような歴史的事実があるため、「山本五十六」はアメリカのスパイだったのではないかという噂が今でも絶えないのです。
かくして、今やネット上にはこんなブログ記事まで氾濫しています。
(以下、こちらから転載)
68年前の今日、尊い犠牲を払い戦争は終わりました。
戦争は、一部の戦争を起こしたい人々によって計画され、何も知らない若者たちが駆り出されていくのです。
この「戦争を起こす手口」の数々は、私の過去記事にも書きましたが、1941年12月8日に起きた、日本軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃の例を見てみましょう。
『アメリカの情報機関は、奇襲をすると言う日本の暗号を解読しており、ルーズベルト大統領は、その事実を知っていたにもかかわらず、現地の将軍には知らせませんでした。
そして、日本の奇襲によってアメリカ太平洋艦隊は大打撃を受け、約3000人の将兵が亡くなりました。
そして大統領はこの日を「屈辱の日」とし「リメンバー・パールハーバー」というスローガンのもと、民衆は戦争へ駆り立てられて行ったのでした。
日本人の奇襲攻撃は、ルーズベルトには好都合でした。
なぜなら、当時のアメリカ国内は日本との戦争に反対する声も多く、民衆の足並みが揃っていなかったのでした。
しかも、ルーズベルトは、選挙公約で「戦争はしない」と国民に約束して大統領になった人だったのです。
だから戦争には大義名分が必要でした。
奇襲攻撃を受ければ、アメリカ国民も戦争を支持するはずだと彼は思った事でしょう。
日本軍の奇襲はアメリカ国民を戦争に結束させるのにまたとない機会だったのでした。』
この時の奇襲が太平洋戦争・第二次世界大戦への引き金になっていくのです。
この時、ルーズベルト大統領と繋がって手引きをしていた人物が日本にいたのです。
山本五十六です。彼はルーズベルトと同じくフリーメイソンだったのです。
山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だったと云われています。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/9dc61647065a9a12f649571611e3ab50より抜粋します。
山本五十六は、連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。
バール・ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。
ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、”率先垂範の指揮”という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。
1942年6月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。
ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗しているのにもかかわらず、空母四隻の前方にいるべき山本の「大和」が、あろうことか空母四隻よりはるか後方に「逃亡=職場放棄」していた事実。
四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。
ミッドウェー海戦は、日本海軍が戦力は圧倒的に優勢であり、空母を分散して十分な戦艦による護衛をつけていれば全滅する可能性は全く無かった。
空母を密集させて護衛をつけなかったことはわざと全滅するように仕向けたとも考えられる。
山本五十六は、自分の命を惜しんだというよりもわざと負けるように仕組んだと見るべきだろう。
〈抜粋終わり〉
山本五十六は、「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった為、戦艦「大和」はついに「大和ホテル」などと呼ばれるありさまでした。
なぜ山本五十六がこんな態度を取っていたかは、彼がフリーメイソンでアメリカ側と繋がっていたと考えると、全ては氷解します。
山本五十六は、連合艦隊司令長官にあるずっと以前からアメリカ側と連絡をとっており、まず真珠湾を奇襲し日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げていたのです。
日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きはすべてアメリカによって把握されていた事から、五十六は、海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側にすべて筒抜けにさせていたのでしょう。
つまり、日本を敗北させることが山本五十六の大きな役目だったのです。
やがて、山本五十六の使命も終り、姿を消す時期がやってきたのでした。
山本五十六はブーゲンビル島上空でアメリカ軍に撃墜され「戦死」したとされています。
アメリカ軍に暗号電報を傍受され、山本長官搭載機撃墜計画が練られ狙われたとされていますが、これも、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて計画された事であり、実際彼は生き延びていたのです。
撃墜される日、山本長官は草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡する際に目立たない格好にしていました。
そして米軍機攻撃の際、一早くパラシュートで脱出し、打合わせの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡したようです。
山本五十六の身替わりとされた男(恐らくは風貌の似た人物)は、座席に縛り付けられ毒殺されています。
山本五十六は、こうして戦線から姿を消したのですが、山本長官と共に1年4ヶ月の海戦を戦った将官達は、極度な無能ぶりにも関わらず戦後様々な戦記作家によっていずれも名将、名参謀として称えられているのが現状です。
(転載ここまで)
あと、参考までに以下のリンクの「回答9」をご覧下さい。私もこの回答はまさに言い得て妙だと思いました。
山本五十六はアメリカのスパイ? – 歴史 | 教えて!goo
このように「山本五十六」はどこからどう見てもアメリカのスパイとしか思えない作戦をいくつも決行しています。
ですから、彼がアメリカと手を組んで日本を敗戦に導いたという可能性はとても高いわけです。
しかし、もし彼が本当にアメリカのスパイだったとしたら、彼が日本を裏切った動機は何だったのでしょうか。
私はかつて「出雲族」の徳川家康が「教皇派」のエリザベス一世とグルになって、天皇中心のNWO計画を阻止していた、との記事を書いたことがあります。
地下鉄丸の内線とGHQと徳川家康とエリザベス女王とイエズス会の奇妙なつながり。東京の地下には教皇派の秘密施設も眠っている。
徳川家康が行った鎖国とキリスト教禁教令の本当の意味。果たして徳川家康は悪魔崇拝者だったのか。
織田信長と豊臣秀吉が日本を「大和族」の天下にし、徳川家康が「出雲族」の天下へとひっくり返しました。
実は「山本五十六」も徳川家康と全く同じことをしていたと考えられなくもないのです。
というのも、「山本五十六」は「海軍」の指揮官であり、実はこの「海軍」は徳川家(=出雲族)の配下にあった「幕府水軍」から誕生したものでした。以下、ウィキペディアの記事です。
(以下、ウィキペディアより転載)
■大日本帝国海軍
徳川家の配下であった幕府水軍は江戸期に一度廃れたが、後に幕府海軍となって強化された他諸藩の水軍も多くが初期の日本海軍に合流した。
初期の日本海軍の構成者の多くが水軍の伝統のある地域出身であったとされる。また、多くの艦船を建造した浦賀や連合艦隊の根拠地柱島等はかつて水軍の根拠地でもあった。
江戸時代の幕藩体制においては鎖国が行われ、諸藩の大船建造は禁止されていたが、各地に外国船が来航して通商を求める事件が頻発するようになると、幕府や諸藩は海防強化を行うようになる。
軍艦奉行、長崎海軍伝習所が設置され、開国が行われたのちの1860年には咸臨丸が派遣される。1864年(元治元年)には初の観艦式が行われる。(幕府海軍参照)
王政復古により成立した明治政府は、江戸幕府の海軍操練所や海軍伝習所などの機関を継承し、幕府や諸藩や海援隊の人員や装備を整理・編成したのが基礎になる。
1870年(明治3年)に陸海軍が分離され、1872年(明治5年)に海軍省が東京築地に設置される。
初期には川村純義と勝海舟が指導する。1876年(明治9年)に海軍兵学校、1893年には軍令部をそれぞれ設置する。明治初期には陸軍に対して海軍が主であったが、西南戦争により政府内で薩摩藩閥が退行すると、陸軍重点主義が取られるようになる。
このように「日本帝国海軍」の出所は明らかに「徳川家=出雲族」なのです。
なので、「海軍」の指揮官だった「山本五十六」が「出雲族」だった可能性はとても高いと言えます。
実際、「山本五十六」のウィキペディアの記事を見てみると、「乃木希典を尊敬していた」と書かれてありますが、この「乃木希典」は「出雲源氏佐々木氏の子孫と称していた」そうです。
山本五十六 – Wikipedia
乃木希典 – Wikipedia
〈乃木希典〉
《RAPT註:「乃木希典」は、明治時代には日本国民にとって英雄のような存在でした。》
「出雲源氏」とは、その名の通り、「出雲族」です。つまり「乃木希典」は「出雲族」の子孫だったというわけで、そんな人物のことを尊敬していたということは、「山本五十六」もまた「出雲族」であった可能性が非常に高いと言えるわけです。
その一方、日本陸軍の出所は「田布施=大和族」でした。ウィキペディアにはこう書かれてあります。
(以下、ウィキペディアより転載)
■日本帝国陸軍
帝国陸軍の起源は、明治維新後の1871年(明治4年)に薩摩・長州・土佐から徴集され組織された天皇直属の御親兵である。
「薩摩」「長州」「土佐」といえば明治維新を起こした一大勢力です。つまり、「大和族」の天皇を担ぎあげた田布施一味と、土佐(坂本龍馬など)の一味によって「日本帝国陸軍」が組織されたというわけです。
《RAPT註:「薩摩」とは鹿児島県であり、「長州」とは山口県ですが、鹿児島と山口に「田布施町」が存在しています。また、「土佐」といえば高知県ですが、高知県は平家(=ロスチャイルド)の落ち武者が大勢なだれ込んでいます。詳しくはこちら》
つまり、こういうことになります。
■日本帝国海軍・・・出雲族
■日本帝国陸軍・・・大和族
第二次大戦当時、「陸軍」と「海軍」は修復不可能なまでに確執が深まっていました。
(以下、こちらから転載)
旧帝国日本軍において海軍と陸軍は色々と異なるので相性が悪かった様です。
まず、発祥から異にしています。
陸軍は幕末の頃、薩摩、長州により生まれ、海軍は江戸幕府の海軍伝習所などから発祥してます。
また、軍隊の組織において、海軍は英国海軍を参考にし、陸軍はフランス、ドイツ陸軍を参考にしています。
やがて、日清戦争、日露戦争、満州事変と日本が深く軍事国家となってゆくにつれて、陸軍の発言権が強まってきます。
そして関東軍の中国進出が拡大してきますと、更に陸軍が傲慢になりますが、海外のABCD経済封鎖で、物資が不足。
戦争をするには、鉄やニッケル、原油などが必要ですが、今も昔も、日本には原料となる資材がなく、輸入に頼っています。
戦艦を動かすには油が、造船には鉄など金属が多量に必要です。
陸軍に比べて海軍は何かと物資が多量に必用になるので、陸軍と海軍で、限られた物資の取り合い、また派閥や利権の対立が生じてきます。
現実派で、海外視察の豊富な海軍上層部は、戦争に反対していました。
米国の近代的、巨大なスケールを知っていたので、どうせ負けるのは分かっていたのです。
陸軍は暴走気味で、最後の切り札、穏健派の東条英機陸軍大臣を政府に起用しましたが、米国の怒りは収まらず、平和交渉は決裂します。
太平洋戦争に突入しましたが、海軍と陸軍では戦略方針が別々であり、ライバル根性むき出しで、対立していたのであります。
(転載ここまで)
「山本五十六」はそんな状態にしびれを切らし、「大和族」をぎゃふんと言わせてやろうと思って、アメリカのルーズベルトと手を組み、日本を敗戦へと追い込んでいったのではないでしょうか。
そうすれば、「大和族」の昭和天皇の地位を引きずり落とし、天皇中心のNWO計画を阻止することができるからです。
そんな彼の思惑はものの見事に成功し、日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をすることになりました。
お陰で、戦後に生まれた我々は「天皇」を神として崇めずに済むようになったわけです。「山本五十六」の裏切りが、図らずも悪魔どもの計画を粉々に破壊してくれたというわけです。
しかし、「山本五十六」が天皇を裏切ったのは、これ以外にももっと深い理由があると考えられます。
「乃木希典」は「出雲族」を自称しながらも「陸軍(=大和族)」の大将となり、さらには明治天皇(=大和族)の死を惜しんで、自らもその後を追って自害したと言われています。
恐らく「乃木希典」は、明治維新のときに天皇がすり替えられたことを知らず、天皇が「出雲族」のままだと思い込んでいたのでしょう。だからこそ「陸軍」に入隊し、大将にまで上り詰め、さらには天皇の後を追って自害したに違いないのです。
「山本五十六」はそんな「乃木希典」のことが不憫に思えてならなかった。そして、天皇のことが恨みに思えて仕方がなかった。
これではまるで、天皇が「乃木希典」のことを騙していたも同然のようなものだからです。同じ「出雲族」として、これほどの屈辱はなかったでしょう。
そこで、「山本五十六」は日本を敗戦させ、天皇の地位を引きずり落とすことを決意したわけでしょう。そう考えると、全てに筋が通ります。日本の敗戦の陰には、このような深い人間ドラマが隠されていた可能性があるわけです。
ちなみに、日本文学の名作といわれる夏目漱石の「こころ」に登場する「先生」もまた「乃木希典」の死の後を追って自殺しますが、このシーンがその後、この作品の評価を二分することになります。
私が「こころ」を読んだ限りでは、そのシーンがそれほど重要なシーンであるとも思えなかったのですが(先生の自殺は「乃木希典」の死だけが動機ではないため)、このシーンに目くじらを立てなければならない人間がこの世にはそれだけ沢山いるということなのでしょう。
つまり、「大和族」の天皇の後を追って自殺するような「出雲族」の人間をそんなに偉い人として描くな、と言いたいわけです。
興味のある方は、ぜひとも「こころ」をご一読下さい。アマゾンなどで無料でダウンロードできます。
こころ
転載ここまで
「大和族」と「出雲族」との確執によって第二次大戦で日本が敗戦に追い込まれたというお話をしました。
この話を受けて、早速、今日こんなメールをいただきました。
…………………
今回の記事の陸軍と海軍の確執、争いの謎は、大学の時に授業で学んだ時に疑問として残っていました。
何故、同じ日本のために足並みが揃うはずのものたちが、対立するのだろう…張り合っているのだろう…と。
そして、海自に身を置く夫と結婚し、神奈川の厚木基地周辺に住むにあたり、何故、米軍ネイビーと海自は、基地を共有してるのだろう。
陸自、空自は共有の基地がないのに、海自は私が知っている限り日本の4カ所、基地を共有している。謎だ、不思議だと思っていました。
海自は滑走路があり、基地の敷地が広いとか、陸自はあくまで駐屯地として存在する、とかの理由があるようですが、全然納得できませんでした。
空自だって滑走路あるし、陸自の基地は駐屯地といいながら、長年、場所が変わった試しがないじゃないかと単純にすっきりとしないものがあったのです。
それが、今回の記事で一気に雪解けを迎え、すっきりとしました。
…………………
私もこのことは知りませんでしたが、未だに「海上自衛隊」と「陸上自衛隊」とは分かれ争い、なおかつ「海上自衛隊」は未だにアメリカ海軍と仲良くしているようです。
「海軍」とは「徳川水軍=出雲族」が出所であり、徳川家は「教皇派」と仲良しでした。ですから、今でも「海上自衛隊」がアメリカ「教皇派」と仲良しであったとしても何ら不思議ではないのです。
とはいえ、第二次大戦のときに「出雲族」と「教皇派」がグルになって「大和族」を叩き潰そうとしたがために、第二次大戦で日本が敗戦したという話は、多くの日本人にとっては「寝耳に水」はずだったです。
ですから、未だにこの話を信じられないという人も多いと思いますので、今日はこの話をもう少し掘り下げてお話したいと思います。
つい最近、ジブリが「風立ちぬ」という映画を公開して、「ゼロ戦」が一躍、大きな話題になりましたね。
しかしながら、日本の優秀な戦闘機は「ゼロ戦」だけではありません。もう一つ「隼(一式戦闘機)」というものがあります。(ぜひウィキペディアで見比べてみてください。)
零式艦上戦闘機 – Wikipedia
一式戦闘機 – Wikipedia
そして、この「隼」のことを「ゼロ戦」よりも優れた戦闘機であると言う人もこの世には大勢います。
例えば、以下のサイトでは軍事オタク同士が「隼」と「ゼロ戦」とどちらが優れているか議論し合っていて、結局、これといった結論が出ていません。
艦載機と陸上機 零戦と隼の違いとは? : 軍事系まとめブログ
要するに、「隼」も「ゼロ戦」もどちらも優劣つけがたいほど優秀な戦闘機だったというわけです。
にもかかわらず、この日本ではなぜか「ゼロ戦」ばかりが取り沙汰されています。もちろん、これには裏があるわけですが、今日はその話は割愛します。
では、この「隼」と「ゼロ戦」の違いは何なのでしょうか。
はっきり言って、見た目はほとんど同じです。
〈上が「隼」。下が「ゼロ戦」〉
しかしながら、「隼」と「ゼロ戦」にはとても大きな違いがあります。その違いが何かというと、「隼」は「陸軍=大和族」が使用し、「ゼロ戦」は「海軍=出雲族」が使用していたということです。
しかも、「隼」を製造していたのは「中島飛行機」「立川飛行機」で、「ゼロ戦」を製造していたのは「三菱重工」。
出ましたね。このブログで度々問題になってきた「三菱」財閥です。
「陸軍が大和族」「海軍が出雲族」であるとするなら、「海軍」のためにゼロ戦を作った「三菱」もまた「出雲族」なのではないかという疑いが出てきます。
もっとも、「中島飛行機」や「立川飛行機」が「ゼロ戦」を作らなかったのは、海軍の厳しい要求に応えるだけの能力がなかったから、などとネット等には書かれていますが、果たしてそれは本当なのでしょうか。
「中島飛行機」「立川飛行機」が「大和族」で、「三菱」が「出雲族」だったから、「三菱」だけがもっぱら「海軍=出雲族」のために「ゼロ戦」を作っていたとは考えられないでしょうか。
そもそも、「三菱重工」はアメリカ・ロックフェラー(教皇派)系の「GE(ゼネラル・エレクトリック)」とずっと蜜月の関係を結んでいました。もっとも、今ではこの関係は冷え込んでいるようですが……。
三菱重工・GE、幻の事業統合 「蜜月」に終止符 :日本経済新聞
しかも、戦前も「三菱グループ」である「日本郵船」が、アメリカにうら若き女性たちを売春婦として送り込んだりしています。
このように、「三菱」は何かとアメリカと関係が深い財閥なのです。
「出雲族」だった徳川家康も「教皇派」とグルでしたし、「出雲族」だった山本五十六も「教皇派」とグルだったわけですから、アメリカ「教皇派」と親しい「三菱」もまた「出雲族」である可能性が高いということになります。
しかも、さらによく調べてみると、「三菱」の創業者とされている「岩崎弥太郎」は、子供の頃から近くにあった「妙見山」によく登ってお祈りしていたそうです。
(以下、こちらから転載)
岩崎弥太郎の生家からすぐに妙見山という山があり、弥太郎はしょっちゅうここの星神社まで登っていたそうです。
弥太郎が、安政元年(1854年)、江戸遊学に出かける際、裏山の妙見山に登り、星神社の社に「吾れ志を得ずんば、再び帰りてこの山に登らじ」という落書きをし、立身出世を祈願したそうで、まさにここに自身の立身出世を祈願してみましょう。
(転載ここまで)
岩崎弥太郎旧邸・妙見山 – 高知県立坂本龍馬記念館|調べる|龍馬ゆかりの場所
「妙見信仰」といえば「出雲族」です。もう一度、一覧表にしてみましょう。
■大和族 = シリウス信仰 = 南朝 = 天照大神 = アシュトレト
■出雲族 = 妙見(北極星)信仰 = 北朝 = スサノオ = バアル
ちなみに、ロスチャイルドは「シリウス」も「妙見」も「天照大神」も「スサノオ」も拝んでいますが、「天照大神」を最高神と見なしています。(詳細はこちら)
さらに、「三菱」の前身は「九十九商会」です。
(以下、こちらから転載)
坂本龍馬が暗殺されると、海援隊の経営は立ち行かなくなり、土佐藩の商務組織だった土佐商会が、海援隊の運営を引き継ぎ、後の「九十九商会」へと繋がっていくのでした。
つまり、三菱財閥の出発点とされている「九十九商会」の元を辿ると海援隊で、坂本龍馬がいなかったら、三菱財閥は存在しなかったのです。
更に言えば、もし、坂本龍馬が暗殺されなければ、商才に長けていた坂本龍馬のことですから、三菱財閥の代わりに坂本財閥が存在していたのかも知れませんね。
(転載ここまで)
「九十九」というのは「百」から「一」を引いた数ですが、「百」という漢字から「一」をとると、「白」になりますよね。
「白」と言えば「白山信仰」です。「白山信仰」とは「出雲族」の信仰です。となると、やはり「三菱」はどこからどう考えても「出雲系」ということになります。
「三菱」はいわば「明治維新」によって繁栄していった財閥ですので、私はてっきり「大和系」か「ロスチャイルド系」の財閥だとばかり思っていました。
もちろん、「三菱」のマークが赤いところを見ると、ロスチャイルドとも深い関わりを持っていることは明らかですが、それでも「三菱」がもともと「出雲系」であったことは疑いようがありません。
しかし、「三菱」の前身である「九十九商会」は「海援隊」から誕生していて、この「海援隊」は「坂本龍馬」が立ち上げた組織です。
「坂本龍馬」が明治維新を起こしたのは「大和系」の天皇を担ぎ上げるためですから、当然、「坂本龍馬」は「大和系」だったはずです。
《RAPT註: 「坂本龍馬」は妙見信仰の持ち主でもあったので、「大和族」ではなく「ロスチャイルド」ですが、ロスチャイルドは基本的に「大和族」の天皇を担ぎ上げようとしていますので「大和系」としました。》
ですから、「海援隊」ももともとは「大和系」だったはずですが、それがいつのまにか「出雲系」へとすり替えられてしまったわけです。
肝心要の「坂本龍馬」は暗殺されてしまった……。
何か臭ってきましたね。
もしや「坂本龍馬」を暗殺したのは「九十九商会」すなわち「三菱」関係者だったのではないでしょうか。
「海援隊」を「大和族」の手から奪い取り、「出雲族」のものとするために、「三菱」関係者が「坂本龍馬」に手を下したのではないでしょうか。そう疑わざるを得ません。
実際、以下のようなサイトも見付かりました。
(以下、こちらから転載)
龍馬の「船中八策」を山内容堂に提案し、大きな功績を挙げた後藤象二郎ですが、どうしてもグラバーや薩長両藩と関係のあった龍馬のほうが派手に目立ち、龍馬のことを快く思っていなかった後藤象二郎にとっては、龍馬を消すという話に一枚絡んできても不思議ではありません。
実際、龍馬暗殺の後、後藤象二郎は 「海援隊」 を自分のものとし、「土佐商会」 に改名し、岩崎弥太郎が主任となり、後に岩崎弥太郎のものとなってゆきます。
さらに倒産したグラバーの高島炭鉱も二束三文で払い下げを受け、自分のものとし 「蓬莱社」 と改名し、これまた後に、岩崎に譲っています。
この2人の悪友の評判は極めて悪く、明治維新の際に、まさしく公私混同、インサイダー取引を繰り返し、私腹を肥やしてゆきました。
岩崎弥太郎は、言うまでもありませんが三菱の創始者です。
彼は高知県安芸市の地下(ちげ)浪人の長男として生まれましたが、とにかく貧乏で、幼少の頃から奇行や盗み癖が目立ち、泥棒をしては何度も刑務所に入っています。
確か、司馬遼太郎の 「龍馬がゆく」 にも、この事は書いてあったと記憶しています。
岩崎は、25歳の時吉田東洋の門下生となり、土佐藩の命で長崎に派遣されましたが、藩費を浪費・使い込み、翌年解職されています。
もっとも、何度も刑務所にブチ込まれている彼としては、何ら経歴に傷がつくほどの事ではなかったと思われます。
岩崎弥太郎がチャンスをつかむのは、同郷の坂本龍馬が暗殺されてからで、後藤象二郎が「海援隊」 を自分のものとし、「土佐商会」 と改名し、その主任として岩崎を雇ってからです。
前述しましたが、坂本龍馬がつくった海援隊や、グラバーの高島炭鉱は後藤が先ず手に入れ、盗み癖よろしく、官営事業払い下げという形で、岩崎弥太郎が最終的にそれを手にしています。
特に龍馬から受け継いだ海運事業や武器取引は、後に西南戦争、日清戦争、日露戦争で、三菱のドル箱事業となってゆく事になり、岩崎弥太郎は坂本龍馬をしゃぶり尽くしているのです。
また、維新政府が全国統一貨幣制度に乗り出した時に、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得ていますが、この情報を流したのも新政府の高官となっていた後藤象二郎であります。
これは明らかなインサイダー取引で、この2人は国を食い物にして私腹を肥やしていました。
すなわち、三菱は、三井や住友のような老舗の財閥とは異なり、明治維新のどさくさに紛れて、政治家や軍事産業と密接につながり、デタラメをやりながら出来た財閥と言えます。
確かに創始者は岩崎弥太郎に違いありませんが、坂本龍馬がいなかったら、また暗殺されなかったら、今日の三菱財閥はなかったでしょう。
話を龍馬暗殺に戻すと、このように、グラバー、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイルド、薩長両藩のみならず、土佐藩の後藤象二郎や岩崎や太郎も、坂本龍馬暗殺の恩恵を蒙っており、暗殺に関わっていても不思議ではありません。
また、龍馬暗殺をさかいに、グラバーは岩崎弥太郎と密接なビジネスパートナーとなってゆき、グラバー商会倒産後は、三菱の顧問となっています。
(転載ここまで)
今の今まで、坂本龍馬を暗殺した犯人は謎のまた謎とされてきました。今でもネット上では色んな人たちが犯人捜しに躍起になっています。
中には、坂本龍馬は暗殺されていなかったと言う人までいます。実は私もそう思っていました。
しかし、「大和系」だったはずの「海援隊」がいつのまにか「出雲系」になっていたという現実を知って、もしや「坂本龍馬」は「出雲族」の人間に殺されたのではないかと疑わざるを得なくなってきました。
さらに調べていくと、こんなサイトも見付かりました。
(以下、こちらから転載)
龍馬と弥太郎が知り合ったのは慶応3年(1867)3月の長崎ですが、二人は意気投合し、関係は良好だったようです。ただ出会った年の11月15日に龍馬は暗殺されてしまいますが。
長崎時代の弥太郎の日記には、「龍馬が来て酒を置いていった」とか、「自分は龍馬と密談した」とか、龍馬が大政奉還運動のため長崎を去ったときなどは、「自分と仲間は龍馬を見送った。自分は不覚にも涙を流してしまった」と、記されています。
ただ龍馬は金遣いが荒いため、土佐商会の主任をしていた弥太郎は不満を持っていたといいますし、弥太郎は海援隊のルールについても厳しかったのですが、枠にはまりたくない龍馬はお構いなしで、両人は顔を合わせるたびに揉めていたといいます。
(転載ここまで)
岩崎弥太郎。実に怪しき人物です。
私は彼こそが犯人なのではないかと疑わざるを得ません。何しろ、子供の頃から財閥家になりたくて妙見山に登って「悪魔」にお祈りしていたというのですから。(「妙見信仰」とは「悪魔」である「バアル」を拝む宗教のことです。)
そんな強い信仰心が一体どこから湧いてきたのか。自分でそれを身に着けたのか。それとも誰かから教わったのか。
もし誰かから教わったのなら、それは一体誰だったのか。
ちなみに、「日本帝国陸軍」の軍旗は以下になります。
太陽(=天照大神)が真ん中に堂々と描かれています。その一方、「日本帝国海軍」の軍旗は以下になります。
太陽が真ん中からややズレていますね。なんとなく「天照大神」を小バカにしているような感じがしなくもありません。
そして、この「海軍」のためにせっせと「ゼロ戦」を作っていたのが「三菱重工」だったというわけです。
最後に「三菱」の変遷を分かりやすく表にまとめてみます。
■海援隊(大和系) → 坂本龍馬暗殺 → 九十九商会(出雲系)になる → マセソン商会(ロスチャイルド)のグラバーと手を組む → 三菱財閥の誕生
三菱がロスチャイルドを取り込んだというべきか、ロスチャイルドが三菱を取り込んだというべきか……。
転載ここまで
三菱製「ゼロ戦」とジブリ映画「風立ちぬ」と普天間基地の辺野古移設をめぐる日本の闇。
「三菱」財閥が実は「出雲族」であり、「三菱」関係者の中に坂本龍馬(大和系ロスチャイルド)を暗殺した犯人がいるのではないかというお話をしました。
この「三菱」は第二次大戦中に「日本帝国海軍」のために「ゼロ戦」を製造していました。
しかし、「日本帝国陸軍」は「ゼロ戦」をほとんど使わず、もっぱら「中島飛行機」や「立川飛行機」の作った「隼」のみを使っていました。
今の今までどうして日本軍がこんな非効率なことをしていたのか誰にも理解できなかったわけですが、実は「陸軍」は「大和族」で、「海軍」は「出雲族」。
しかも、彼らが互いにいがみあっていたため、最後の最後まで別々の工場から別々の兵器を納入しなければならなかったというわけです。
なんともまあ複雑な世の中です。といっても、話そのものは単純明快ですね。
ところが、日本にはこのように「ゼロ戦」と「隼」という二つの優秀な戦闘機があったにもかかわらず、今では「隼」の存在を知る人はほとんど誰もいません。
これは「隼」を開発した「小山悌」が、「われわれの設計した飛行機で、亡くなった方もたくさんあることを思うと、いまさらキ27がよかったとかキ84がどうだったと書く気にはなりません」と言って、「隼」について語ることを最後まで拒みつづけたことが一つの大きな原因でしょう。
〈小山悌氏〉
一方、「ゼロ戦」を作った「堀越二郎」については、宮崎駿が映画にしたこともあって、今や多くの日本人が知るところとなりました。
〈堀越二郎氏〉
というか、宮崎駿が映画化しなくても「ゼロ戦」の名前を知らない人は誰もいなかったと思います。
宮崎駿はもともと戦闘機が大好きなので、「ゼロ戦」をテーマにしたマンガを描き、かつ映画まで作ったわけでしょうが、しかし、実はここで一つ引っかかることがあります。
というのも、宮崎駿は明らかに「出雲族」の人間ではなく「大和族」の人間だからです。
その証拠に、彼が最初に作ったアニメ映画「風の谷のナウシカ」では、主人公のナウシカがこんな台詞を言うのです。
「シリウスに向かって飛べ!!」
この「風の谷のナウシカ」という映画は、もともと宮崎駿が描いた漫画をもとに作られた映画ですが、当初は映画化されるかどうかも確定されておらず、ただ宮崎駿が描きたいものを描きたいままに描いた作品だと言われています。
したがって、この「風の谷のナウシカ」は宮崎駿の思想がそのまま反映された作品だと言っても過言ではないわけです。
ということは、「シリウスに向かって飛べ」という台詞も、宮崎駿の思いがそのまま反映されていると考えて先ず間違いありません。
「シリウス」といえば「大和族」です。太古の昔から「大和族」は「シリウス」を信仰してきたからです。
したがって、「宮崎駿」は完全に「大和族」の人間だと言えるわけです。
宮崎駿は「風の谷のナウシカ」を作った後、「天空の城ラピュタ」を作りましたが、実はここからジブリ映画というものが始まります。
スタジオジブリ – Wikipedia
しかし、宮崎駿は「となりのトトロ」を作り終えた頃から、しきりに引退したいと表明するようになりました。
漫画や映画が好きな人間が、なぜそれほどしきりに引退を仄めかすようになったのか……。彼自身が言うように、描きたいものがなくなったからなのか。それとも歳のせいなのか。
実際に彼は「風立ちぬ」を作った後、映画監督を引退してしまいました。
彼自身はこの引退の理由をあくまで「歳」のせいにしていますが、恐らくそれは完全に嘘でしょうね。やはり彼にとって「風立ちぬ」を作ることは相当な苦痛だったのでしょう。
なぜなら、彼自身は「大和族」なのに、「出雲族」の作った「ゼロ戦」の映画を作らなければならなかったわけですから。
しかも、ここには相当大きなお金の動きがあったに違いありません。
「ゼロ戦」を作った「三菱重工」が自らの宣伝のために「宮崎駿」と「ジブリ」に「風立ちぬ」を作らせたに違いないからです。
「三菱重工」は戦後初となる戦闘機(ステルス型戦闘機)を開発し、2018年までの実用化を目指している最中です。
安倍晋三の兄は「死の商人」であり、安倍晋三はそのセールスマン。日本は着実に軍国主義の道に向かって進んでいます。
「三菱」としては、かの優秀な戦闘機「ゼロ戦」を作ったのはおれたちなんだ、と全世界に宣伝して、開発中のステルス型戦闘機を世界中の多くの国々に買ってほしいと考えているのでしょう。
だからこそ、宮崎駿に「ゼロ戦」の漫画を描かせ、かつ「ジブリ」にその映画まで作らせてしまったわけです。
しかも、「ジブリ」の社長は、2008年の時点で「創価信者」に変わっています。その名も「星野康二」と言います。
星野康二 – Wikipedia
〈星野康二氏〉
創価学会といえば「妙見信仰」。
「妙見信仰」といえば「出雲族」の信仰です。
空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
つまり、「風立ちぬ」という映画は、同じ「出雲族」である「ジブリ」と「三菱重工」とが手を組んで、「出雲族」を宣伝するための映画だったとも言えるわけですね。
「大和族」である宮崎駿にとって、これはかなり不本意なことだったに違いありません。(宮崎駿が戦闘機マニアだったので、嫌々ながらも、この仕事を引き受けることにしたのかも知れません。)
だからこそ、宮崎駿は「ジブリ」をあれほどまで強引に引退してしまったわけです。
しかも宮崎駿は、ジブリを引退した後、「普天間基地」の辺野古移設を阻止するための団体「辺野古基金」の共同代表に就任しました。
(以下、東京新聞より転載)
米軍普天間(ふてんま)飛行場の沖縄県名護市辺野古(へのこ)への移設阻止を目的に設立された「辺野古基金」の共同代表に、映画監督の宮崎駿氏が就任する意向であることが分かった。
宮崎氏は八日、共同代表への就任について、スタジオジブリを通じ「沖縄の人たちがそういう覚悟をするなら、支援するしかないと思いました」とのコメントを発表した。
宮崎氏は米アカデミー名誉賞を受賞するなど、アニメ映画の監督として世界的に高い評価を受けている。
同基金幹部は「名前を連ねていただけるのであれば大変にうれしいことだ」と述べ、今後、正式に就任要請する考え。
宮崎氏は昨年、反対運動をする人たちに向け「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とした直筆の文章を寄せている。
宮崎氏は二〇〇二年に「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭でアニメーションとしては史上初の最高賞の金熊賞を受賞したほか、〇三年にアカデミー賞長編アニメ賞も獲得。「ハウルの動く城」などでも同賞にノミネートされた。
一四年には日本人監督として一九九〇年の故黒沢明監督以来二人目となる名誉賞をアカデミー賞主宰の米映画芸術科学アカデミーから贈られている。
辺野古基金の共同代表にはこれまで元外務省主任分析官の佐藤優氏、俳優の故菅原文太さんの妻・文子さんが就任。同県出身報道カメラマンの石川文洋氏の就任も決まっている。
佐藤氏は「宮崎さんの就任を大変歓迎している。国際的に著名な方が名乗りを上げてくれたことで、辺野古に基地をつくってはいけないという運動の正当性を国際社会に強く訴えられる」と話している。
(転載ここまで)
普天間基地というのは、「アメリカ海軍」の基地です。
普天間飛行場 – Wikipedia
アメリカ海軍は「海上自衛隊」と大の仲良しで、「海上自衛隊」は「出雲族」です。
実に分かりやすい構図です。宮崎駿が「大和族」だから、「出雲族」の思い通りにはさせないぞ、だから辺野古へ基地を移転することは反対する、という意思表示を示したわけです。
一方、この辺野古移転をしきりに推し進めているのが「安倍晋三」です。
「安倍晋三」はアメリカと仲のいい「清和会」の人間です。
清和会と経世会について。または日本の政治家を「天皇派」と「教皇派」に区別する簡単な方法。
もしかして「清和会」とは「出雲族」の集まりなのではないでしょうか。
だからこそ「清和会」の政治家たちは、昔からやたらとアメリカ「教皇派」の意のまま動いてきたのではないでしょうか。(最もひどかったのが小泉の郵政改革ですね。普天間基地の移転案が今のような形になったのも、小泉政権のときです。)
実際、「安倍晋三」は「出雲族」の血を引いていると考えられます。なぜなら「安倍」という姓は「出雲族」に多い姓だと言われていますし、それ以外にも色々な理由がありますから。
現首相・安倍晋三のルーツが陰陽師「安倍晴明」であり、「出雲族」である可能性について。
しかしながら、「安倍家」に途中からロスチャイルドの血が入った。
安倍晋三の先祖はロスチャイルドの手先であり、麻生太郎の先祖はロスチャイルドそのものである可能性大。実は小沢一郎も……?
そのため、安倍は「ロスチャイルド」にも与するようになった(安倍晋三は田布施一族であり、田布施一族はロスチャイルドの傀儡)わけですが、それでも彼が「清和会」に入ったということは、自分はあくまで「出雲族」である、という意思表示なのかも知れません。
もっとも、「安倍晋三」が日本人である以上、完全にアメリカの言いなりになって動くことはできません。
実際、彼が総理大臣になるたびに内閣の不祥事が次々と暴かれ、総理としての地位を脅かされてきました。つまり、安倍晋三がアメリカの言いなりになって動くたびに、それを阻止しようとする動きが陰で働いてきたわけです。
では、その動きが何なのかといえば、恐らく「大和族」の動きだったに違いありません。
今回も、沖縄では辺野古移転に反対の知事が選ばれ、アメリカの思い通りに事が進まないように色々と物事が動いています。これもまた「大和族」が「出雲族」の思惑を阻止しようとしていると考えれば筋が通ります。
この辺野古移転にいち早く異を唱えた総理大臣といえば「鳩山由紀夫」ですが、彼は「ロシア協会」の代表ですね。
クリミアを訪問した鳩山由紀夫が「宇宙人」なら、彼を批判した鳩山邦夫もまた「宇宙人」です。
「鳩山由紀夫」もまた実は「大和族」なのではないでしょうか。実際、「鳩山由紀夫」からはアメリカの匂いが全くしませんよね。
ということで、どうやら以下のようなことが言えそうです。
■辺野古移転賛成 = 出雲族
■辺野古移転反対 = 大和族
次回はさらにこの関係について深く踏み込んでお話したいと思います。
転載ここまで
竹中平蔵はなぜ創価企業「パソナ」の会長に就任したのか。「天皇派」と「教皇派」と「大和族」と「出雲族」の奇妙なもつれあい。
「出雲族」と「大和族」の戦いについて、具体的な事例を挙げながらお話をしました。
普天間基地の辺野古移転についてのお話をしたわけですが、今日はこの件についてもう少し深く掘り下げてお話したいと思います。
実はこの普天間基地の移転問題は、最初のうちはただ単にアメリカ海軍が普天間基地を日本に返還するという話でまとまっていました。
つまり、普天間基地を辺野古に移転するという話が最初からあったわけではなく、あくまでアメリカ海軍に提供していた基地を日本に返還してもらう、ということで話がまとまっていたわけです。
この決定をしたのが、当時の日本の首相である橋本龍太郎と、当時のアメリカ大統領クリントンです。
〈ビル・クリントンと橋本龍太郎。1996年4月17日、迎賓館にて〉
既にピンと来た人もいるかと思いますが、橋本龍太郎はかの「大室寅之祐」の弟の孫ですね。明治維新の際、すり替えられた天皇と血のつながりがあるわけです。
天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇。
ですから、橋本龍太郎は紛れもない「大和族」ということになります。
一方のクリントンですが、彼が大統領に就任していた際、副大統領に選ばれたのがアル・ゴアでした。
アル・ゴアといえば「不都合な真実」というドキュメンタリー映画を作って、地球温暖化を訴えた人物ですが、皆さんも既にご存知の通り、この「不都合な真実」はほとんどがデタラメでした。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
アル・ゴアにとっての「不都合な真実!」:あんたは、嘘映画でノーベル賞かい?: ミーチャンハーチャン Miicyan Haacyan
二酸化炭素によって地球が温暖化しているという話は、根も葉もないインチキだったわけです。
にもかかわらず、未だにこの話はこの世のあちこちで受け入れられていて、日本の多くの企業がこの話を根拠に「炭素税」なんてものを支払っています。
この「炭素税」を支払うことによって、工場から二酸化炭素を排出してもいいよ、という取り決めになっているわけですね。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。
環境省_地球温暖化対策のための税の導入
炭素税 – Wikipedia
この「不都合な真実」が大ヒットした後、アル・ゴアは「火力発電」は二酸化炭素を排出するからよくない、これからは二酸化炭素を排出しない「原発」の時代だと言って、世界各国に「原発」をセールスしまくりました。
要するに、彼が「地球温暖化説」を訴えたのは、単にロスチャイルドの「原発」利権を広めるためのプロパガンダに過ぎなかったわけです。
ですから、アル・ゴアはロスチャイルドの傀儡だったというわけで、そんな人物を副大統領に選んだクリントンも、当然のことながらロスチャイルドの傀儡だったに違いありません。
だからこそクリントンは「大和族」である橋本龍太郎とともに、普天間基地の日本への返還を取り決めたわけなのです。ロスチャイルドは「大和族」の忠実なる臣下ですからね。
ところが、橋本龍太郎の後、小泉純一郎が日本の首相になり、当時のアメリカのブッシュ大統領とともに、いつのまにかこの普天間基地を辺野古へ移転するという話にすり替えてしまいました。
〈ブッシュと小泉純一郎〉
ブッシュといえば完全なる「教皇派」ですね。
一方の小泉純一郎も「清和会」のメンバーで、「清和会」は常にアメリカに都合のいいように動いてきた政治家たちの集まりです。
清和会と経世会について。または日本の政治家を「天皇派」と「教皇派」に区別する簡単な方法。
「出雲族」は、徳川家康にしろ山本五十六にしろ、いつもアメリカ「教皇派」と手を組んで「大和族」に揺すぶりをかけてきたので、もしや「清和会」とは「出雲族」の集まりなのではないかという疑いが出てきたわけですが……。
徳川家康が行った鎖国とキリスト教禁教令の本当の意味。果たして徳川家康は悪魔崇拝者だったのか。
第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
実際、小泉純一郎はアメリカの都合のいいように日本の政治を動かしつづけた完全なる売国政治家でした。
後にも先にも彼ほどアメリカに媚びを売った総理大臣は一人もいないでしょう。
この小泉とブッシュが取り込めたことが、やがて沖縄県民の怒りに火を付け、未だにその怒りが燻りつづけている、というのが現状なのです。
小泉純一郎といえば、もう一人頭に思い浮かぶ人物がいますよね。
そうです。このブログでも度々問題になってきた「竹中平蔵」です。
小泉政権のときに、政治家でもないのに急に「有識者」として横からしゃしゃり出てきて、日本の経済政策にあれこれと口出しし、さらには国民に大嘘をついて大金を毟り取ってきたスーパー詐欺師です。
彼の嘘には私もほとほとうんざりして、思わずトークラジオまで作ってしまったほどでした。
〈TALK RADIO〉竹中平蔵による国家的犯罪。史上空前の売国政策。
とにかく小泉・竹中改革でやったことは、アメリカ・ロックフェラーにとって都合のいいことばかり。
その典型例が「郵政民営化」で、巨万の富の眠る郵便局を「民営化」という名の下にアメリカのロックフェラーに売り渡そうとしたのです。
その結果、「郵政民営化」は国会で採決され、「郵便局」の富がアメリカへ流れていくことになりましたが、小泉はその後すぐに首相から降板し、いつのまにか「郵政民営化」の話はなわなわになっていきました。
なぜなわなわになったのか、当時はその理由がよく分かりませんでしたが、今になって思えば、全ては「天皇派」が「郵政民営化」を阻止しようとしていたわけです。
そんなこんなで、今や小泉・竹中改革は多くの人たちから反感を買っているわけですが、それにもかかわわらず、安倍が政権を取った後も「竹中平蔵」がまた横から急にしゃしゃり出てきて、日本の経済政策にあれこれとうるさく口を挟むようになりました。
しかも、彼はかの創価企業「パソナ」の会長にまで就任していた……というオマケ付きです。
「創価学会」と「竹中平蔵」。一体どこでこんなつながりが生じたのか、今の今まで私にはずっと疑問でしたが、今になってようやくこの不可解な謎も解けてきました。
もし小泉純一郎の所属していた「清和会」が「出雲族」の集まりであるなら、その小泉の手先となって動いた竹中平蔵も、当然ながら「出雲族」に違いありません。
「創価学会」もまた妙見信仰を持つ生粋の「出雲族」の集まりです。
空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
つまり、竹中平蔵とパソナがつながりを持つようになったのは、彼らが同じ「出雲族」どうしだったからだと考えられるわけですね。
それで、「創価学会」にも「竹中平蔵」にも常にアメリカ「教皇派」の匂いがつきまとっていて、私も最初のうちは彼らのことを「教皇派」の手先、またはアメリカの手先だと思い込んでいたわけです。
ところが、色々と調べていくうちに「創価学会」も「竹中平蔵」も完全にアメリカの傀儡になりきっているわけではないということが分かってきました。
「創価学会」は、どこからどう見ても天皇の権力を支えているとしか思えない部分があったからです。
天皇こそがこの日本の最高権力者であり、それを裏から支えてきたのが創価学会です。
不正選挙こそが天皇家と創価学会の権力の源泉。創価学会が消えてなくなれば、天皇の権力も自ずと消えてなくなるでしょう。
一方の「竹中平蔵」も、彼の提案したアベノミクスはアメリカを潤す経済政策というよりも、むしろ日本の支配層を潤すための政策だったということが分かってきました。
もう既に裏社会の日本乗っ取り計画は完了しています。これからは天皇を中心とした世界政府を樹立するつもりでしょう。
私はここで激しく混乱しました。彼らはアメリカの傀儡として働きながらも、どうして天皇の利益のために働いているのだろうか、と。
しかし、彼らがどちらも「出雲族」であったと分かれば、この謎も氷解します。
なぜなら、現在の皇后・美智子様は明らかに「出雲族」の人間だからです。
安倍晋三の先祖はロスチャイルドの手先であり、麻生太郎の先祖はロスチャイルドそのものである可能性大。実は小沢一郎も……?
皇后様が「出雲族」であるならば、「出雲族」の人間たちは当然、皇后様のためにも働かなければいけません。
しかし、「出雲族」はこれまで何度も「教皇派」の手を借りてきたので、「教皇派」にもそれなりに恩返しをしなければならない。
なので、「出雲族」は「天皇派」でありながらも、常に「教皇派」にも気を配らなければならないわけです。
この「出雲族」はちょっとくせ者ですね。「大和族」に日本のトップの座を奪われたものだから、それを嫉妬して「教皇派」と手を組み、「大和族」を抑えつける。
徳川家康も山本五十六もそうでしたが、小泉純一郎もきっと同じようなことを企んでいたわけでしょう。
その小泉の子分格であった安倍晋三も似たようなことをしようとしたわけですが、そんな彼の態度が「大和族」の鼻につき、次々と内閣の不祥事が暴かれ、第一次安倍内閣はすぐさま解散、第二次もまた解散……という運びになってしまいました。
もっとも、二度目はなんとか再び持ち直したわけですけれども……。
しかしながら、再び政権を与えてもらった代わりに、安倍は「大和族」の言いなりになって働かなければならなくなり、なおかつ「出雲族」の利益のためにも働かなければならなくなった……。
しかし、余りにも「天皇」に都合のいいように動きすぎたために、今ではアメリカにおける安倍の評価はどんどん下がってきています。
echo-news – 「安倍晋三総理の意思決定は独善的」アメリカ大使館機密文書 飯島勲氏が主要な米国情報源の一人〜ウィキリークス漏洩公電から判明
安倍晋三首相の米議会演説 なぜアメリカのメディアからは酷評された? – ライブドアニュース
こんなことなら最初から「大和族」の人間が首相になればいいようなものなのですが、いざ「大和族」の人間が首相になって、「大和族」に都合のいい政治をしはじめると、そのときは「出雲族」が黙ってはいないし、「教皇派」もすぐさま刺客を送り込んで、殺したりスキャンダルまみれにしたりしてしまう……。
ならば、日本の首相になるのはやはり「出雲族」が最も安泰だ……ということになって、結局、「清和会」の人間がいつも首相に選ばれてしまうわけでしょう。
これで何となく日本の政界のカラクリが分かってきましたね。要するに、こういうことです。
1. 出雲族も大和族もどちらも天皇派。
2. 大和族とロスチャイルドはグルで、大和族を世界のトップにしたい。
3. 出雲族は自分が世界のトップになりたいので、ロックフェラーなど教皇派とちょくちょくと手を組んで、大和族を抑えつけてきた。
4. 教皇派は天皇をトップにしたくないので、出雲族が天皇ばかりに与すると(または自分が世界のトップになろうとすると)怒り狂う。
5. 出雲族はそんな教皇派の怒りを鎮めるためにもアメリカ売国政策をときどき行わなければならない。
6. 出雲族がアメリカ売国政策をしすぎると、大和族が怒って政権に揺すぶりをかける。
なんか、書いているうちに笑ってしまいました。これではまるで子供どうしの喧嘩です。
でも、その喧嘩の規模が余りにも大きいので、我々庶民にいつも火の粉が降りかかってきて、大惨事になってしまうわけですね。
本当にいい加減にしてほしいものです。
転載ここまで
悪魔のNWOに荷担せずして国際貢献する方法。自国の文化の押しつけはやめて、互いの国の個性を尊重しあう国際社会へ。
このブログではこれまで悪魔崇拝者たちがNWO(ニューワールドオーダー)を樹立しようとしているということ、そしてそれを絶対に阻止しなければならないということを念頭に置いて記事を書いてきました。
悪魔崇拝者たちは、有史以前からこの世界を一つに統一し、自分たちを世界の支配者にしたいと願ってきたわけですが、もし本当にそのような世界が作られてしまったら、我々庶民にとっては単なる地獄でしかありません。
悪魔に支配された世界がどれほど恐ろしく、残酷で悲惨な世界になるかは、もはや想像に難くないからです。
もっとも、彼らの計画しているNWOが絶対に実現する見込みはない、と私は思っていますが(その理由はこちら)、それでも彼らがNWOを計画している以上、これから世界はますます国際化の波が広がっていくことでしょうし、海外で活躍する日本人もどんどん増えていくことでしょう。
そして、その中には図らずも悪魔どもに騙され、誘惑されて、彼らのNWO計画に荷担してしまう人たちも出てくるかも知れません。
とにかく悪魔どもは、「国際貢献」「国際社会」「世界を一つに」という名目の下、世界各国の人たちを一つに束ねようと計画しており、しかもこのような動きは、一見すると、我々人類にとって非常に良いことのように見えなくもありません。
なので、悪魔の願う通りに、世界を一つにしようと活躍しはじめる人がこれからどんどん出てくることが予想されます。
もっとも、私個人としては、多くの日本人が国際的な感覚を持ち、かつ海外で活躍すること、海外で貢献することはとても素晴らしいことだと思いますし、それに反対する理由は何もありません。
しかし、純粋な気持ちで世界のために活躍しようとしている人たちが、図らずも裏社会のNWO計画に飲み込まれ、彼らの思惑に荷担するようなことになるのではないかと思うと、強く憂慮せざるを得ません。
実は、私はある起業家志望の方と対談をしていたのですが、その方は以下のようなビジネスプランを考えていました。
1、ベトナム現地からの人材紹介(優秀なエンジニアに特化)
2、技術者に特化した、失業者の採用支援(ソニーなど、元大手企業にて技術者として働いていた人たちの転職或いは、その人たちが起業するための支援活動)
3、伝統工芸品、日本食の販売、海外へのプロモーション、営業先の開拓(日本文化を海外に広めて、間接的に日本に親しみを持ってもらうため)
4、ベンチャー企業と一流大学在籍中の学生のアルバイトマッチングビジネス(優秀な人たちが集まって、より面白い会社が日本に生まれる方が、世の中に役立つと考えているから)
この方は過去にフランスとベトナムで仕事をされ、かつタイとも交流があるとのことで、国際的なボランティア活動を行い、なおかつ収益も得られるビジネスプランを構築したいとのことでした。
その志はとても素晴らしいものだと私も思いました。
しかしながら、この方は上記のような素晴らしいビジネスプランを持っていながら、色々な人からアドバイスをもらっているうちに、「日本食」や「日本文化」を海外に紹介するビジネスが最も良いのではないかと考えるようになったとのことでした。
「日本文化」はとても奥が深く、その素晴らしさを世界の多くの人たちに伝えていくことは実に素晴らしい社会貢献である、と思うようになったというのです。
しかし私は、そのアイデアを聞いたとたん、即座にその「古典的」なアイデアに釘を刺しました。
その考えはまさに「クールジャパン」そのものであり、「クールジャパン」とはまさしく悪魔どもが日本中心のNWOを作るために描いた計画に他ならないからです。
クールジャパンはハリウッドに抵抗して「日本こそ世界の中心」と世界中の人々を洗脳するプロパガンダ装置です。
はっきりと言いますが、なぜ他の国々にこの日本の文化を押しつけなければいけないのでしょうか。
確かに日本の文化には優れたところが沢山あります。他の国にはない優れたところが沢山あります。だからこそ、私もこの日本のことが好きですし、よほどのことがない限り、海外に移住するようなことはないと思います。
しかしながら、私がこの日本を愛し、日本文化を愛しているのは、あくまで私が日本人だからに過ぎません。日本人としての体質に、日本の文化が合い、よく馴染んでいるだけの話なのです。
かつて日本ではハリウッド映画が流行し、西洋のロックミュージックが流行しました。
多くの日本人がそんな西洋文化をとても珍しく思い、新鮮に思い、飛びつき、入り浸り、陶酔しました。そして、そのような時代がとても長く続きました。
しかし、今の日本人に、どれだけハリウッドや西洋のロックミュージックが好きで好きでたまらないという人がいるでしょうか。
年配の方の中にはそういう人はまだ大勢いるかも知れません。
しかし、今の若い世代の人たちの中に、日本の映画やポップミュージックよりも、ハリウッド映画や西洋のロックミュージックの方が好きという人がどれほどいるでしょうか。
恐らくそんなに大勢はいないでしょう。なぜなら、日本人には日本の文化こそ体質に合っているからです。
しかも、日本で映画や音楽を作っている人たちも、常に日本人の体質に合うようなものを作ろうと日々、努力し、悪戦苦闘していますので、日本人は自ずと日本の文化のことが好きになるしかないのです。
かつて、日本では熱狂的な韓流ブームが起こりました。
しかし、一部の人たちを除いて、今ではほとんどの日本人が韓流ドラマや音楽に嫌気がさしています。メディアが余りにも一方的に韓流ブームを押しつけてきたので、日本人の多くが辟易してしまったのです。
しかも、多くの人たちが韓流ブームに怒り狂い、テレビ局の前でデモ活動までしたりしました。
それだけ韓流というものが日本人の体質には合わなかったという証拠です。一時的には新鮮さを感じ、物珍しさを感じて、飛びついたものの、すぐに飽き飽きし、うんざりしてしまったのです。
しかし、韓国人にとっては韓流こそが体質に合い、馴染みやすいので、今でも韓国では相変わらず韓流ドラマ、音楽が流行しています。彼らは今でもその世界に没頭して生きています。
なので、私は対談者の方にこう言いました。
「日本の食や文化を他国に押しつけても、いずれ飽きられるでしょう。だから、その国独自の文化の良さを見付けてあげて、その良さを引き出し、さらに伸ばしてあげた方がいいのではないですか」
「地方活性化」で成功する人の多くが東京出身者です。なぜかというと、東京出身者の方が、田舎の良さに気付きやすく、理解しやすいからです。
それと同じく、日本人だからこそ他国の文化の良さに気付きやすく、理解しやすい、というところが多々あるはずです。
なので、「地方活性化」と同じようなことを海外でやってみてはいかがでしょうか、と私はその方に提案してみたわけです。
確かに、既にある日本の文化を他国に押しつける方が楽で簡単です。
だからこそ、多くの日本人が、「国際貢献」という名の下、世界の国々に日本のものを押しつけようとするわけでしょう。
しかも、現地の人たちも、日本の文化が物珍しいし、新鮮に感じるので、一時的には飛びついてきます。中にはありがたいと思って感謝してくれる人もいるでしょう。
そんな彼らの姿を見て、日本人の多くが自分はいいことをしてあげたと思い込みます。そして、それと同じことをその後も延々と続けようとします。
しかし、長い目で見れば、現地の人たちはいずれ日本の文化に飽き飽きしてくるはずです。
なぜなら、それは彼らの体質には合わないからです。
日本人が今やハリウッドや韓流に辟易しているように、他国の人たちもいずれ日本の文化に辟易しはじめるに違いないのです。
いや、日本の文化は他のどの国の文化よりも優れているから絶対にそんなことはない、と思うなら、それはとんだ思い上がりです。というか、完全に「天皇派」のプロパガンダに洗脳されてしまっています。「天皇派」の流した「選民思想」に洗脳されてしまっているのです。
私はかねてから、このようなプロパガンダに多くの日本人が洗脳されていくだろうと予測していましたが、早くもその時が来てしまっています。
悪魔崇拝者は天皇を「救世主」に仕立てるつもりのようです。根拠のない希望にすがりつくのはやめましょう。
日々ナチス化していく日本の現状。
以前、「宮城ジョージ」さんとの対談でもお話しましたが、悪魔どもはこの世界の各国の文化を破壊し、一つに地ならししようとしています。
特に「天皇派」の面々は、日本独自のものを「国際化」の名の下に破壊し、かつ日本独自のものを他国に押しつけることによって、文化の均一化みたいなことをやろうとしています。
そうやって彼らは世界各国の豊かな「個性」を破壊しようとしているのです。
以前もお話しましたが、「天皇派」は「共産主義」という思想を作り、それを世界に広げようとしてきました。
東西冷戦とはバチカンと天皇の権力闘争でした。
「共産主義」とは、いわば「全体主義」のようなもので、すべての人たちを平等にすると言いながら、すべての人から個性を剥奪し、皆が同じように働き、同じように生活する世界を作り上げようとするものです。
日本も今ではこの「全体主義」に染まり、「出る釘は打たれる」ようなところがあります。誰もが「右にならえ」で、自分の個性を前面に出そうとはしません。むしろ、それを嫌がったり、恥ずかしがったりします。
日本の悪魔崇拝者どもは、とかくこのように人々から個性を剥奪し、均一化しようとしてきたのです。
そうすれば、我々庶民の中から突出した能力者が現れることがなく、支配者たちの権威を脅かす者が現れにくくなるからです。
そうしておいて、自分たちの中からのみ、優秀な能力者が出るようにするわけです。
我々はそんな彼らの洗脳工作に騙されることなく、互いの個性を尊び合い、互いにその個性を伸ばし合うように努めなければなりません。
そうすれば、我々庶民の中からも数多くの優れた能力者が次々と現れ、悪魔どもは我々庶民を支配しにくくなります。
さらには、そのような世界を作ることで、本当の平和が訪れるようになります。
例えば、ベトナムからベトナム料理の達人が現れ、タイからタイ料理の達人が現れ、日本人から日本料理の達人が現れたとしましょう。
彼らはみんな同じ達人ではありますが、それぞれ極めた分野が違うので、互いに互いを追い越すことはできませんし、逆に相手から追い越されることもありません。
なので、彼らは互いに自尊心を持ちながらも、互いのことを心から尊重することができます。
自分はベトナム料理については超一流だけど、日本料理に関してはド素人だと思って、素直に相手に対して敬意を払えるわけです。
そうすると、彼らは互いにライバル意識を持って蹴落とそうとしたり、嫉妬して悪口を言ったりすることもありません。
しかし、この世の誰もが日本料理ばかりを極めようとするなら、常に壮絶なライバル争いが起き、嫉妬と野心の渦巻くドロドロとした世界になってしまいます。
そして、実際に今までの日本社会がそのような有様でした。
これからはそんなつまらない生き方はやめて、互いの個性を尊重し合いながら、互いの個性を引き出し、伸ばし合うような社会に作っていくべきではないでしょうか。
また、国際人になろうとする人も、今までのように日本文化の押しつけばかりをしないで、相手の国の文化の良さを見付けてあげ、その良さを引き出してあげ、その良さに磨きをかけてあげるのです。
そもそも、いま既にあるベトナム料理が全てではありません。いま既にあるタイ料理が全てではありません。これからもっと面白いベトナム料理やタイ料理が出てくる可能性は十分にあります。そのために、あなたが力添えをしてあげればいいのではないでしょうか。
そのように他国の文化を尊重し合うなら、悪魔どものNWO計画に荷担するもことなく、むしろ彼らのNWO計画を破壊しながら国際貢献していくことができます。
これこそが、まさにこれからの国際貢献のあるべき形なのではないかと私は思います。
もちろん、私は自分のこの考えを皆さんに押しつけようとは思いません。あくまで一つの意見として参考にしていただければと思います。
ちなみに、今回のこの対談は対談者のご希望により、音声をアップすることはしません。どうぞご了承ください。
転載ここまで
フリーメーソンの情報を知りすぎた者も暗殺されてしまうそうです。本当かどうか確かめてみましょう。
今日はフリーメーソンについて書こうと思います。
もしこの記事を書いて私が死ぬようなことがあれば、フリーメーソンが私を殺したということであり、もし死ななければ「百軒」という人は大嘘つきということです。(何を言っているか分からない方は、以下のリンクをご覧下さい。)
レイズナーブログに現れる「百軒」というコメントの常連に要注意。
先程も書きましたが、私がこの世のカラクリをほぼ解いてしまったので、裏社会の人たちは冷や冷やしているし、陰謀論マニアの多くが私のことをやっかんでいます。とにかく、そういう人がやたらと目につきます。
やっかむのは自由ですが、「あいつは殺される」みたいな非常識なことをコメントに書く人が許されていいわけがありません。
これはまさに脅迫行為であり、下手すると警察沙汰になりかねないものです。
いずれにせよ、私は今後この「百軒」という人に対して厳しい態度を取らざるを得ません。名前を変えて活動しても無駄です。
最悪の場合、本当に警察に通報します。
警察も天皇とグルだから通報して大丈夫か、とか何とかおかしなメールを送ってきた人がいましたが、そんなことは関係ありません。脅迫は脅迫で、警察はきちんと対応します。
「百軒」一人を逮捕するぐらい、警察には訳もないことですからね。
それに、警察が私のことをまだ何も知らないとでも思っていますか。警察は一日中、ネットの情報を漁りまくっていますよ。ネット上には犯人逮捕につながる情報が溢れていますからね。
ということで、今日はフリーメーソンについて書きたいと思います。
ある有名陰謀論者はフリーメーソンなど存在しないと言っていますが、はっきり言って、フリーメーソンは存在します。日本にもきちんと存在しています。
(以下、こちらから転載)
日本では、フリーメイソンがある種の秘密結社的な性質を持つ団体だったため、戦前は活動を行うことはできませんでした。
戦後はGHQ総司令官のマッカーサーを始め多数の軍人がフリーメイソンだったこともあり、積極的な設立活動が行われました。
そのころのフリーメイソンの会員としては首相にもなった鳩山一郎がいます。
日本グランド・ロッジは、戦前は海軍OBの団体だった水交社の跡地にありますが、現在はフリーメイソン(正確には財団法人の東京メソニック教会)が所有権を持っており、東京メソニックビルを取り囲む形になっている、メソニックMT38、39ビルも所有しています(森トラストが信託契約でテナントの募集や家賃の徴収を行っている)。
日本には2,000人程度のフリーメイソンの会員がいると言われていますが、その大半は米軍関係者のようです。アメリカとは違って、日本でのフリーメイソンの存在は大きなものではありません。
(転載ここまで)
〈メソニックビル〉
このようにフリーメーソンとは、空想や想像の産物ではありません。紛れもなく現実に存在している団体です。
なのに、これを存在しないという有名陰謀論者がこの世には存在します。呆れてものも言えません。その有名陰謀論者とはリチャード・コシミズと言います。
ここ最近、彼はその素性を暴かれてしまったため、今や開き直ってこんな対談を企画したみたいです。
WONDER EYES STORE / 船瀬俊介×ベンジャミン・フルフォード×リチャード・コシミズFACT666講演会 (6/6)
しかも、驚くなかれ、このフリーメーソンは今や「一般財団法人」として政府から公認され、「内閣府」の管轄下に置かれています。フリーメーソン「日本メイソン財団」の公式ホームページを見れば、それがすぐに分かります。
これを見てお分かりの通り、この「日本メイソン財団」は先ず最初(昭和25年)に文部省の管轄下にあり、その後(昭和30年)、厚生省の管轄下に移りました。そして現在、「内閣府」の管轄下へと移動したようです。
前にも「宮城ジョージ」さんの対談でもお話しました通り、安倍晋三もフリーメーソンの上位の人物であるという情報がネットに流れています。
[竹下雅敏氏]安倍首相がフリーメーソンであることを示す写真と不正選挙との関わりについて
また、上の転載記事を見てもお分かりの通り、「鳩山由紀夫」の祖父にあたる「鳩山一郎」もフリーメーソンのメンバーでした。
一応、「鳩山由紀夫」にもフリーメーソン疑惑があって、その根拠が以下の写真です。
誰かが手で作った三角マークに、「鳩山由紀夫」が指を突っ込んでいます。明らかにフリーメーソンのマークですね、これは。いつもこんなことばかりして遊んでいるのでしょうか。
さらに「民主党」のビルの屋上にもこんな看板があります。これは有名な話ですね。
このようにフリーメーソンというのは秘密の団体でも何でもありません。しごく普通に存在している団体です。
にもかかわらず、その存在がやたらと怪しいものとして囁かれてきたのは、言うまでもなく、彼らが陰で何をやっているのか全く分からないからです。
一応、表向きは「友愛団体」ということになっていますが、フリーメーソンに関する不穏な噂は昔から事欠きません。
例えば、前にも記事に書きましたが、フリーメーソンの秘密を漏らした者は報復として殺される、とも言われています。
佐世保女子高生殺人事件は紛れもない冤罪です。悪魔崇拝者による報復殺人でした。
さらに「宮城ジョージ」さんの話によると、フリーメーソンの階級によって、その報復の方法も変わってくるとのこと。
RAPT×読者対談〈第五弾〉フリーメーソンの儀式と報復の方法。
もしこの話が本当だとしたら、このフリーメーソンを単なる「友愛団体」であると考えることはできません。明らかに不法(違法)な団体です。
にもかかわらず、そんな怪しげな団体が「内閣府」の管轄下にある……。
だから、フリーメーソンなど存在しないと言ったり、フリーメーソンはただの友愛団体だと言ったりする人が後を絶たないのでしょう。そうやって、我々を煙に巻こうとするわけですね。
恐らくそのような弁解じみたことを言う人は、フリーメーソンと何かしら関わりがある人たちなのでしょう。少なくとも、私はそう疑っています。
第一、この世で起きる様々な事件は、明らかにフリーメーソンとの関連性が疑われるものが多いです。
私は過去に「佐世保女子高生殺人」とフリーメーソンの関係について記事を書きましたが、この事件は明らな冤罪事件であり、にもかかわらず、マスコミは一人の女子高生の犯行として一方的に報道しつづけました。
しかも、この「佐世保女子高生殺人事件」が起きる何年か前にも、同じ「佐世保」で小学六年の女の子が、同級生の女の子の首と手首をカッターで刺し殺すという事件が起きています。これは単なる偶然なのでしょうか。(佐世保女子高生殺人事件でも、同じ箇所が切断されています。)
私みたいな人間がこのような情報をネットに書くと、必ず「百軒」のような人間が現れて、口封じのためなのか、脅迫じみたコメントを書いたりするわけです。
もしかしたら「百軒」もフリーメーソンなのかと思ってしまいますね。何せ、この人は昔からフリーメーソンは存在しないと言っている某有名陰謀論者をやたらと持ち上げていますからね。
この日本で最初にフリーメーソンになったのが「西周」と「津田真道」という人物だと言われています。
〈津田真道〉
〈西周〉
二人ともオランダに留学していた際にフリーメーソンに入会したそうですが、「西周」は徳川家最後の将軍「徳川慶喜」の側近として活動し、「津田真道」は「大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想した」とウィキペディアには書かれています。
要するに、二人とも徳川家と関わりが深かったわけですが、「大政奉還」に関与したということは、ロスチャイルドとも関係が深かったということです。「大政奉還」はロスチャイルドの計画したことでしたからね。
この「西周」と「津田真道」はともに「明六社」という啓蒙学術団体を結成しました。
明六社 – Wikipedia
「六」といえば「悪魔」の数。「明」とは「日」と「月」から成る漢字であり、つまり「太陽」と「月」。
「天皇派=太陽派」と「教皇派=月派」、同じ悪魔どうしで仲良くやりましょうということで、「明六社」という名前をつけたのでしょうか。
ウィキペディアの記事を見てみると、「明六社」のメンバーの中には「高橋是清」とか「福沢諭吉」などの名前が連なっています。
「高橋是清」といえば、「麻生太郎」が模範としている昭和初期の「大蔵大臣」「総理大臣」です。三橋ナントカという経済学者もやたらとこの「高橋是清」を持ち上げています。
彼らは二人とも「高橋是清」と同じような経済政策をとれば、日本の未来は明るいと主張していたのですが、結局、彼らの言うことは全てデタラメでした。(彼らがどんなデタラメを言っていたかは、以下のリンクをご覧下さい。)
平成の高橋是清|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」
要するに、二人とも日本経済を破壊し、貧富の差を激しくするための政策(アベノミクス)に荷担した人物だったということです。こういう人たちに騙されてはいけません。
「福沢諭吉」もまた「学問のすすめ」という名著を書いた人物ですが、「日本郵船」と組んで日本のうら若き女性たちをアメリカに売春婦として送り込むことを提案した人物です。
天皇とともに日本国民を地獄のどん底に突き落としてきた「三菱グループ」の正体。
このような悪魔的な人物を生み出した「明六社」を結成したのが、フリーメーソンのメンバー「西周」や「津田道真」だったというわけです。
これだけでもフリーメーソンという団体が、いかにいかがわしい団体であることが分かるわけですが、それに加えて、このフリーメーソンは未だに何から何まで謎だらけ。
これまで実に多くの人たちがフリーメーソンについて様々な説を唱えてきましたが、未だに諸説紛々としています。だからこそ、余計に多く人たちから怪しまれてきたわけです。
例えば、「フリーメーソンの起源が何なのか」ということ一つとっても、人によって言うことが全く違います。例えばウィキペディアには以下のような様々な説が書かれてあります。
(以下、ウィキペディアより転載)
■フリーメーソンの起源
1.中世イギリスの石工職人のロッジ説
1360年、イギリス、ウィンザー宮殿の建造の際に徴用された568人の石工職人達が、数百年に渡るゴシック建築のプロジェクトを遂行しようとしたときに自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにロッジで暗号を使用したのが始まりとされる。
成立の時期は諸説あるが、石工組合説が現在の通説である。なお、ロッジとギルドはしばしば混同されるが、厳密には別のものである。
ギルドは自治都市を基盤としていたため、よそ者に排他的だった。しかし、石工は工事の状況に応じて雇用する必要があり、工事現場を渡り歩く職人も珍しくなかった。
そのため、古くからロッジ間の交流があり、また他所のロッジに出向く時に同業者を見分ける手段として、暗号や符牒が発達したのである。
もっとも、中にはギルドとロッジが同居している場合もあった。また、ロッジという形態を生んだのはスコットランド・イングランド・アイルランドだけで、さらに現在のフリーメイソンリーに発展したのは、直接的にはほぼスコットランドのみとされている。
他の地方では、最後まで文字通りの石工のギルドとして存在した。
2.テンプル騎士団説
1118年、聖地エルサレムへの巡礼者の保護を目的としてフランスで結成されたテンプル騎士団の生き残りが建てた組織と言われている。
元々の設立メンバーは9人の騎士だが、貿易や金融業で莫大な富と権力を有し、巨大組織となった。
しかし14世紀、当時のフランス王フィリップ4世の奸計(かんけい)により壊滅状態に追い込まれ、スコットランドに逃げ延びた騎士たちがその地で新たに作った組織がフリーメイソンリーになったという説もある。
スコティッシュ・ライトによる位階が広く用いられているのはそのためであるとされる。
3.ソロモン神殿建築家説
ソロモン神殿の建築家を起源とする説はフリーメイソンリーの自称である。ソロモン神殿建築の際の建築家棟梁ヒラム・アビフが建築家集団を「親方」「職人」「徒弟」からなる集団に分け、それぞれに秘密の合言葉や符牒を定めて仕事に当たらせた。
4.近代設立説
起源がどこにあるにせよ、現代のフリーメイソンリーの発足を1717年6月24日のロンドン、グランド・ロッジ(Premier Grand Lodge of England)の結成とする説。これはこのロッジの結成を転機としてフリーメイソンリー自体の性格が大きく変貌を遂げるからである。
そして1723年、ジェームズ・アンダーソンにより「フリーメイソン憲章」が制定された。
5.ピラミッド建設の際の石工集団説
古代エジプト文明の象徴であるピラミッドを建造したとする説。それは「ピラミッドとは石を切り出して作られた巨大建造物である。
紀元前においてあれほどの建造物を作るには熟練した石工の技術が必要となるがフリーメイソンが打ってつけだったのではないか」とするものだ。
フリーメイソンのシンボルとして使われているプロビデンスの目を始め、ピラミッドのモチーフがフリーメイソンのシンボルとして使われていることだろう。また「ナイル・ロッジ」や「ピラミッド・ロッジ」などエジプトに関係する名前が使われており、かつて日本には「スフィンクス・ロッジ」があった様に、現在でも一部で古代エジプト文明が信仰されている。
またエジプトのスフィンクス前にはケンタッキーフライドチキン社のケンタッキースフィンクス前店というフランチャイズ店が建っている。これは創業者のカーネル・サンダースがメイソンであり、その関係でフィンクスとピラミッドの前に建っているという。
(転載ここまで)
この他にも、イエス・キリストが処刑された翌年のAD34年にイスラエルで結成されたという説もあります。その説が書かれた本が以下になります。(この本は、現在、入手困難になっています。)
ヘロデの呪い―暴かれたユダヤ古写本
フリーメーソンは表向きは「友愛団体」だけれども、実はキリスト教を破壊するために設立された団体、ということがこの本には書かれてあるようです。
「宮城ジョージ」さんとの対談でもお話しましたが、悪魔崇拝者はとにかく「聖書」に書かれたことと反対のことをやりたがるので、非常に信憑性が高い説だと言えるでしょう。
しかしながら、AD34年がフリーメーソンの起源だというのは、絶対にあり得ない話ですね。
なぜなら、フリーメーソンは明らかに悪魔崇拝の組織であり、その悪魔崇拝が有史以前から行われてきたことは明らかなことなのですから。
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
しかも、前にも紹介したことがありますが、以下の遺物も今から一万年以上も前に作られたものだそうです。
まあ、ここまで話が進んでしまうと、この世の一般人はトンデモ理論として片付けたくもなるでしょう。だからこそ、フリーメーソンなんて嘘っぱち、という話になってしまうわけです。
しかし、以下の写真を見て、それでもまだ嘘っぱちだと言えるでしょうか。
これは「日本メイソン財団」の代表理事のアナンダJ.ムールティ氏が「NPO法人ふくしま震災孤児・遺児をみまもる会」に義援金200万円を渡したときの写真だそうです。(出典はこちら)
このようにフリーメーソンはこの世でしごく普通に活動しています。
もっとも、表向きはこのように「友愛団体」として活動しているわけですが、悪魔はとにかく「偽善」が大好きです。
なので、彼らが陰で何をやっているかは分かりませんし、彼らのことを素直に「慈善団体」だと信じることはできません。
ということで、私がこれから誰かに殺されるかどうか、皆さんの目でお確かめ下さい。
もっとも、私が今日語ったことは、ネット上に普通に書かれてあることなので、秘密でも何でもないのですけどね。
転載ここまで
ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺はなかった。その背後に隠された誰も語らぬ「河豚 (フグ) 計画」とは。
未だにネット上にはリチャード・コシミズのような天皇派のエージェントを擁護する人がいます。
私がそのような人のことを向こう側の人間だと指摘すると、私をバカにして笑い飛ばしてくるわけですが、いくらそんなことをしても、誰が工作員なのか、分かる人には分かるので、どんなに足掻いても全ては無駄骨です。
しかも、そうやって人を笑い飛ばしている彼ら自身が人からバカにされていることに気付いていないのですから、本当に哀れとしか言いようがありません。
とにかく、私は例え冗談でもこんな企画をしようとは思いませんね。
たまたま6月6日に何か企画をやることになったというのなら仕方がありませんが、なぜタイトルにまで「FACT666」なんて言葉を付ける必要があったんでしょう。
こんな人のことを未だに擁護しようとする人の気が知れませんね。
彼は「フリーメーソンはない」という理論を展開し、多くの人々を煙に巻いてきましたが、フリーメーソンは現実に存在しています。
しかし、誰かさんは「リチャード・コシミズはただ単にフリーメーソンの話をしたくないだけ」とか言っています。これはとんだ大嘘です。
リチャード・コシミズは過去の講演会で「フリーメーソンはない」と何度も断言しています。「フリーメーソンについて話したくない」のではなく、「フリーメーソンはない」とはっきりと断定しているのです。
したがって、このリチャード・コシミズを擁護する時点で、その人自身も自分の素性をばらしているようなものです。そんなことばかりしていたら、いずれネット上に彼らの居場所はなくなるでしょう。
せいぜい似た者どうしで集まって、互いに悪口をたらたらと言い合って憂さ晴らしをしていればいいと思います。そうすれば、周りからどんどん嫌われ者になっていくでしょう。
では、今日の本題に入ります。
このリチャード・コシミズはかねてから「フリーメーソン」は存在しないと主張すると同時に、「ホロコーストはなかった」と主張してきました。
「ホロコースト」とはヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺のことを言います。では、本当に「ホロコースト」はなかったのでしょうか。
結論から言うと、この話の90%は本当です。しかし、残りの10%は真っ赤な嘘で、実は重大な真実を隠しています。
先ず、真実の部分についてお話します。
確かにヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺はありませんでした。少なくとも、なかった可能性がとても高いです。
こんな話をすると、驚く人もいるかも知れません。中には私の頭を疑う人も出てくるかも知れません。しかし、これが歴史の真実です。
しかも、この理論は別にリチャード・コシミズだけが主張していることではありません。これまでに実に多くの人たちが、ヒトラーによるホロコーストはなかったと言っています。
といっても、ヒトラーがユダヤ人を差別していなかったというわけではありません。確かにヒトラーはユダヤ人を激しく差別していました。
しかし、ヒトラーにはユダヤ人を殺すつもりは最初から全くありませんでした。
彼はただユダヤ人を差別をして自ら悪者になり、「ユダヤ人を差別する者は悪人である」というイメージを全世界に植え付けようとしただけです。そうすることで、かえってユダヤ人の人権が守られるように世界を誘導していったのです。
その結果、パレスチナにユダヤ人国家である「イスラエル」が建国されることになりました。そして、これがリチャード・コシミズの主張してきた理論です。
しかし、これだけでは事実の半分を語っただけに過ぎません。もっと重大な事実が、この歴史の裏側には隠されているのです。
その話は後回しです。先ずはホロコーストが本当になかったのかどうかを検証してみましょう。
ホロコーストがなかったと主張すると、必ずユダヤ人の人権団体から何かしら抗議を受けます。その顕著な例が「マルコ・ポーロ事件」でした。
「マルコ・ポーロ事件」とは、「マルコ・ポーロ」という雑誌が「ヒトラーによるユダヤ人の虐殺はなかった」という記事を書いた際、ユダヤ人の人権団体から激しく抗議され、廃刊に追い込まれたという事件です。
マルコポーロ事件 – Wikipedia
しかし、「マルコ・ポーロ」という雑誌は決してデタラメを書いたわけではありません。「マルコ・ポーロ事件」について少しでも検証したことのある人なら、「マルコ・ポーロ」がデタラメを書いたわけではないことがすぐに分かるはずです。
以下、「マルコ・ポーロ」のその問題の記事の冒頭です。
(以下、ウィキペディアから転載)
獣をいけにえとして捧げ、火で焼くというユダヤ教の儀式を「ホロコースト」と言った。
これが転じて、「ナチスのユダヤ人虐殺」を意味するようになったのは、ナチスドイツがアウシュヴィッツなどの強制収容所にガス室を作り、毒ガスを使って計画的に虐殺、さらにそれを焼いた――という恐ろしい話とイメージが重なったからだ。
ところが、このホロコーストが作り話だったという説が、今、欧米で野火のように広がりはじめている。
戦後五十年近くもの間、語られてきたこの「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて、驚かない人はいないだろう。
私自身、この話を六年前に英文で読んだ時には、驚天動地の思いをしたものである。
私は一医師にすぎないが、ふとした機会に、この論争を知り、欧米での各種の文献を読み漁るようになった。そして、今では次のような確信に達している。
ーまず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。
それから『シンドラーのリスト』も一旦忘れてほしい。ー
「ホロコースト」は、作り話だった。アウシュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑用ガス室などは存在しなかった。
現在、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所跡で公開されている「ガス室」なるものは、戦後ポーランドの共産主義政権か、または同国を支配し続けたソ連が捏造した物である。
アウシュヴィッツでもどこでも、第二次大戦中のドイツ占領地域で、「ガス室」による「ユダヤ人大量虐殺」などは一度も行なわれていなかったのだ。
こう断言する理由は後述するが、その前に二つのことを言っておきたい。
まず、第一に私は、第二次世界大戦中にドイツが採ったユダヤ人政策を弁護するつもりは全くないということである。
たとえ「ガス室による大量虐殺」が行なわれていなかったとしても、ドイツが罪のないユダヤ人を苦しめたことは明白な歴史的事実である。私はその事実を否定する者ではないことをここで明白にしておく。
第二は、近年、アメリカやヨーロッパで、「ホロコースト」の内容に疑問を抱人々が急速に増えつつあるのに、日本の新聞、テレビが、そのことを報道せず、結果的にはそのことを日本人の目から隠しているという事実である。
最近は、論争を断片的に伝える報道もでてきたが、そうした報道は、「ホロコースト」に疑問を投げかける者は皆「ネオナチ」か「極右」であるかのような「解説」を加えている。
事実は全く違う。
「ホロコースト」に疑問を投げかける人々の中には政治的には明白に反ナチスの立場を取る知識人やユダヤ人さえ多数含まれているのだ。
例えば、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授は子供の頃ナチスの迫害を受けアメリカにわたったユダヤ人の一人で、日本でも有名なきわめて権威ある歴史家である。
彼は「ガス室」の存在そのものまでは否定しない「穏健な」論者だが、それでもユダヤ人の大多数は「ガス室」で殺されたのではないという「驚くべき」主張をしている。
このことは1989年6月15日号のニューズウィーク日本版でも取り上げられている。
また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代に属するデイヴィッド・コウルというビデオ作家がいる。
彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張しているのである。
「ネオナチ」の中にも「ホロコースト幻説」を取り上げる人間はいるだろうが、ユダヤ人の中にも「ホロコースト」はなかったと主張する人間が現われていることは注目に値する。
とにかく、まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。それから、『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きたい。映画は、歴史ではないのだから。
そこで皆さんにまず、何が真実であったのかを先に言ってしまおう。欧米の幾多の研究を一口に要約し結論を述べ、証拠はあとから示そう。そうした方が、皆さんにとって後の話が理解しやすくなると思うからである。
ナチスがその政策においてユダヤ人に不当な差別を加え、様々な圧迫を加えたことは紛れもない事実である。
そして、アメリカとの戦争に突入した後、ドイツ本国及びドイツの支配下に置かれたヨーロッパ諸国ではユダヤ人に対する圧迫が強まり、ユダヤ人を強制収容所に収容する政策が全ヨーロッパ的規模で開始された。この点について、従来の説明は大筋で正しい。
しかし、ヒトラー及びナチスの指導部は、収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したことなど一度もなかった。
ナチス指導部が計画したことは、強制収容所に収容したユダヤ人達を戦後、ソ連領内などの「東方地域」に強制移住させることであった。彼らはこのユダヤ人強制移住計画をユダヤ人問題の「最終的解決(Endlösung)」と名付け、東部戦線でソ連を打倒 した後、実行するつもりでいた。
ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、ポーランド領内に建設した強制収容所は、戦後ドイツがソ連を打倒、占領した後に実行する「最終的解決」のためのユダヤ人強制移住計画の準備施設であった。
すなわち、ナチスドイツは、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所に収容したユダヤ人達を戦争中は労働力として利用し、戦後、ドイツがソ連に勝利した暁には、ソ連領内ほかの「東方地域」に強制移住させる計画であった。
従って、この計画とは両立し得ない「ユダヤ人絶滅」などをドイツ政府が計画、実行したことは、一度もなかった。
ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。そして、戦争末期の混乱の結果、ユダヤ人達がいた収容所の衛生状態が悪化し、チフス等の疾病の爆発的発生が起きた。その結果、多くの罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した。
戦後、それらの収容所で病死したユダヤ人らの死体を撮影した連合軍は、そうした病死者達の死体を「ガス室」の犠牲者であるかのように発表した。
読者の多くは、こんな話をすぐには信じられないに違いない。当然である。すぐに信じられる方がどうかしている。私も最初は信じることが出来なかった。
読者と同様、私も物心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィッツのガス室」についてくりかえし教えられ、聞かされてきた者の一人であって、あるきっかけから真実を知るまでは、「ガス室による大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度もなかったのである。
しかし、ある機会から「ホロコースト」について実は論争が存在することを知った私は、この論争に関する文献を買いまくり、読みまくった後、「ホロコースト」が作り話であるという確信に至ったのである。
「ホロコースト」に疑問を投じる人々は、自分達のことを「ホロコースト・リビジョニスト(Holocaust revisionist)」、すなわち「ホロコースト見直し論者」と呼んでいる。
(転載ここまで)
この「ホロコースト見直し論者」たちが、「ホロコースト」がなかったと主張する根拠が以下になります。
(以下、ウィキペディアから転載)
■計画性
戦後、連合軍がドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。
ヒトラー署名の命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令、総統命令は発見されていない。
残された公文書には殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない。
公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画案がある。
これは収容所の建設目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。
「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。だがソ連戦線の崩壊とともに移住計画は頓挫し移住による「最終的解決」は不可能となり別の解決策が模索された。
当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。
だがその予算表にはユダヤ人から接収した資産は計上されておらずその接収資産をそのままユダヤ人対策の予算として使っていた証拠の一つとなっている ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を処罰する場合もあった。
■ガス室
ブーヘンヴァルト強制収容所 とミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容されたポール・ラッシニエはブーヘンヴァルト強制収容所ではガス殺人を目撃しなかったと証言している。
青酸ガスを用いたガス室はアメリカ合衆国で死刑執行の一手段として使用されてきた。ところが、その米国の経験では青酸ガスを用いたガス室処刑は致死量の22倍ものガスを一人の処刑に使用しており、高価な処刑方法とされ、経済的には非合理的である。
ツィクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間が余りにも長時間に及ぶ。また、ガス室の換気にも長時間が必要で、非効率である。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は不合理である。
ソ連軍が押収したドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は発見されていない。
戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、図面から読み取れる。
このことは、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めている。プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたという解釈を述べているが、それにしては目的に沿わない中途半端な改造であり非合理である。
ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、医学的記述ではなく、死体の解剖記録をソ連は提出していない。
戦後語られてきたガス室の目撃証言には、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者がごく少数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人もいたが、彼等の発言は無視され続けた。
ガス室およびツィクロンBは当初シラミ駆除のために設計、納品された。
■焼却炉
大量殺人が実行された場合、死体処理には多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもルブリン強制収容所にもなく、また焼却に必要な燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた。
工業廃油等を使わざるを得ない。存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。
1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツの航空写真には死体焼却の煙も石炭の山も見られない。また大量の石炭を購入した伝票などの証拠も大量の石炭が運び込まれていたとの証言もない。
火葬炉があった理由は自然死や、囚人の密集していた環境で当然予想される伝染病の蔓延による病死に対応する目的で設置されたものと考えるのが自然である。死体焼却は肉等の有機物を炭化しその腐敗を防止して衛生環境を守るのが目的であって、死体の消滅が目的ではない。
死体の消滅が目的であれば、死体を骨ごとミンチにして家畜の餌等するのが簡単で経済的である。家畜の糞は醗酵させ堆肥として畑に撒けば完璧である。ドイツは養豚業など家畜の飼育が盛んであり肉骨粉などの家畜の餌の引き取り先には困らない。
だが、この方法を取るとすれば、アウシュビッツに輸送してきた人員と同じ重量の肉骨粉を家畜の飼育場までもう一度列車で輸送する必要が出てくるため非常に非効率的である。そして、青酸ガスに曝された肉骨粉を家畜に食べさせるのかという問題にもなるうえ、銃殺したとしても鉛の混じった肉骨粉を家畜に食べさせるという重大な問題が出てくる。
さらに骨ごとミンチにするにはその前に捕虜を殺害しておく必要があるため(生きたまま人間を裸にして口の中から金歯などを奪いミンチにするのは労力や合理性の点からみて不可能である。)結局、その場で焼却して焼け残った骨を砕いて捨てるのが一番効率的な方法だということになる。
■死亡者数
1939年前後の全世界のユダヤ人総数は1600~1700万人、1948年前後では1500~1800万人という統計から、ユダヤ人犠牲者が600万人というのは誇張が入っている。
『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac) の統計ではホロコースト前の1940年版ではユダヤ人人口15,319,359人、1948年版で15,713,638人とあり、3年間で1.4~1.8倍の人口増加している。(戦後日本の第一次ベビーブームの時代を経た昭和20年~昭和30年の人口増加でさえ7200万人から9000万人であり1,25倍)。
この人口増加率からしてもたとえ出生率が非常に高かったとしても600万人ものユダヤ人が死んだことはありえない。仮に600万人が犠牲となったならば大戦終結後のユダヤ人総数は1100万人前後となるはずである。
■証言
連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加えて自白を得ており、こうした自白には信憑性がない。
ホロコーストを生き延びた反対証言も存在するにもかかわらず、彼等の証言は無視され続けている。
■矛盾
戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ベルゲン・ベルゼン強制収容所などの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた。
ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。人間石鹸も都市伝説であった。
ホロコーストの歴史学的証拠とされたものは偽造、または故意に誤って解釈されたものである。戦後に公開された多数の写真や映画フィルムは、連合国軍による反ナチスプロパガンダとして特別に捏造されたものである。
例えば、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の後に処理されているドイツの民間人であった。我々が目にする写真は飢餓やチフスの犠牲者を写したものである。
アウシュヴィッツ第一死体焼却棟の1945年の写真には、撤退直前に爆破されたため現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。
煙突は戦後建てられており、現地の「物証」はこのように戦後変更されている。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のままと主張していた。しかし、さまざまな不合理を指摘されると、戦後の再建を認めた。
同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。
■イスラエルのプロパガンダ
ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドやチェコスロヴァキアといった関係国を脅してソ連による支配を受け入れさせることはソ連の利益になる。
ホロコースト論には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエルのパレスチナ人政策に対する支持を獲得することに利用されている。
1970年代の中東戦争以来、ホロコースト論が語られるようになった。ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、アメリカのユダヤ社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、中東戦争を背景にイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している。
ということで、少し長くなってしまいました。さらに詳しくお知りになりたい方は以下のリンクを御覧下さい。
ホロコースト否認 – Wikipedia
もちろん、これに対する反対意見もウィキペディアには色々と書かれていますが、これらの記事を読む限りでは、やはりヒトラーによるユダヤ人虐殺はなかったと考えた方が自然のような気がします。
つまり、「マルコ・ポーロ」は口から出任せを言ったわけではないということです。
にもかかわらず、ユダヤ人の人権団体は「マルコ・ポーロ」がデタラメを言ったといって激しく抗議し、「マルコ・ポーロ」を廃刊にまで追い込んでしまいました。
なので、このユダヤ人の態度に抗議をする人間が出てきても何ら不思議ではありません。リチャード・コシミズのように「ヒトラーによるホロコースト」はなかったと主張する人が出てくるのはむしろ当然のことなのです。
なので、私も最初のうちはリチャード・コシミズの言うことに信頼して耳を傾けていたわけですが、この世のカラクリをあれこれと調べた結果、リチャード・コシミズが向こう側の人間であることが分かってきた。
ということは、彼が正論を吐くはずがない……と思い、私はこの「ホロコースト」についてさらに詳しく調べてみたのですが、やはりそこにはちゃんとした裏がありました。
私はこれまで、ヒトラーもナチスも「天皇派」の傀儡であると何度もお話してきました。
ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
ヒトラーのとった政策はすべて「天皇」からの命令だったということになります。
したがって、ヒトラーがユダヤ人を差別しつつも、ユダヤ人を虐殺しなかったという政策は、ユダヤ人にとってプラスになるばかりでなく、天皇にとってもプラスになるものだったと考えられるわけです。
ヒトラーがこの政策を実施した結果、パレスチナにユダヤ人の国家が建国されたわけですが、これでは「天皇」にとっては大した利益にはならなかったと思います。というか、全く何の利益にもならなかったのではないでしょうか。
ならば、「天皇」には何か他の目論見があったに違いありません。ヒトラーにユダヤ人を差別させることで、「天皇」には何か他に利益を得られる見込みがあったはずなのです。
では、その利益とは一体何だったのでしょう。
皆さんは「河豚(フグ)計画」というものをご存知でしょうか。
これは、1930年代に日本で始まったユダヤ難民の移住計画です。(第二次大戦が始まる数年前から始まりました。)
河豚計画 – Wikipedia
日本はかつて中国の一部を占領して「満州国」というものを作っていました。この「満州国」に世界中のユダヤ人を移住させて、日本の統治下に置こう(あるいは、ユダヤ人と協力し合ってやっていこう)という計画があったのです。
「天皇派」の面々はこの計画を遂行するために、ヒトラーを使って大々的にユダヤ人を差別させたのです。ヨーロッパで大々的にユダヤ人差別を起こせば、ユダヤ人は否応なくアジアに逃げてくるしかありませんからね。
しかし、「満州国」という名前は聞いたことがあっても、「河豚計画」なんて聞いたことがない、という人が大半だと思います。
当然です。悪魔どもは、過去の日本にこんな計画があって、すべて失敗に終わったということを我々庶民には知られたくはないでしょうから。
次回はこの「河豚計画」について詳しくお話したいと思います。
転載ここまで
満州国へのユダヤ人移民計画が失敗し、パレスチナにイスラエルが建国されるまで。または「河豚計画」が声を大にして語られない理由。
ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺はなく、実はその背後でユダヤ人を「満州国」に移住させようとする「河豚(フグ)計画」なるものが遂行されていたというお話をしました。
この「河豚計画」は日本の「五相会議」において決まったとのことで、「五相会議」とは昭和初期、「内閣総理大臣」「陸軍大臣」「海軍大臣」「大蔵大臣」「外務大臣」の五人の閣僚によって開催された会議のことをいいます。
「陸軍」と「海軍」の大臣がそれぞれ参加しているところを見ると、「大和族」と「出雲族」が仲良くこの「河豚計画」を取り決めたことが分かりますね。
「陸軍」とは「大和族」であり、「海軍」とは「出雲族」ですから。
第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
この「河豚計画」という名前は、ユダヤ人が河豚(フグ)のように美味でありながら毒を持つ危険な存在である、というところから来ているようですが、要するに、昭和初期には「ユダヤ陰謀論」なるものが今よりも広く一般的に知られていたということでしょう。
今の日本人に「ユダヤ人」は河豚のようなものだと言っても誰にも理解してもらえないでしょうからね。
ウィキペディアの「河豚計画」の記事を見てみると、以下のようなことが書かれてあります。
(以下、ウィキペディアより転載)
河豚計画の核心はアメリカ(殊にユダヤ系アメリカ人)を説得することにあった。
つまり、ヨーロッパ諸国の数千から数万のユダヤ人に対して、満州国(あるいは上海)への移住を勧めるようアメリカを説得しようとした。
その目的は、ユダヤ人の経済力の恩恵を日本が享受し、日本へも資本を投下させようとしたためである。
その背景として、当時すでにユダヤ人がヨーロッパ諸国で迫害を受けるばかりか、ドイツ国内における市民権を否定され公職から追放されるなど深刻な状況下におかれていたことを挙げることができる。
実際、ナチス政権下のドイツにおいては、1935年にニュルンベルク法が制定されるに至っていた。
(転載ここまで)
これを見て先ず疑問に思うことは、なぜヨーロッパのユダヤ人を満州国に移住させる際にアメリカを説得しなければならなかったのか、ということです。
恐らくこの「河豚計画」は天皇とロスチャイルド(つまり「天皇派」)がグルになって遂行しようとした計画だろうと思います。
となると、当然、「教皇派」はこれに強く反発したに違いありません。しかも、1930年代というのは、ちょうどロックフェラーがモルガン家を叩き潰してアメリカで大きく台頭しはじめた時期でした。
今まで何度もお話してきましたように、ロックフェラーは「教皇派」の傀儡であり、彼らはアメリカを中心としたNWOを樹立しようと目論んでいます。ロックフェラーがアメリカで台頭した際、このアメリカ中心のNWO計画が本格化したと言ってもいいでしょう。
なので、「教皇派」からしてみれば、「天皇派」の配下にある「満州国」にユダヤ人が集められ、その地域に大きな経済圏が作られることは絶対に避けたかったはずです。
そのため、彼らは「河豚計画」に強く反発したわけです。なので、日本としては先ずこの「アメリカ」を説得する必要があったわけですね。
しかし、当然のことながら、「アメリカ」がそんな日本の説得にすぐに素直に首を縦に振るはずもない。
なので、「天皇派」としてはもはや強硬手段を取らざるを得ませんでした。ユダヤ人を強制的にアジアに移住させるしかなかったのです。
そこで、彼らは先ずドイツでナチスを結成し、ヒトラーという独裁者を仕立て上げました。
ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
そして、このナチスが1935年に「ニュルンベルク法」という法律を作って、日夜堂々とユダヤ人を差別できるように取り決めました。
もっとも、それ以前からヨーロッパではユダヤ人はひどい差別を受けていました。そのきっかけは、「シオンの議定書」という書物が発見されたことにあります。(シオンの議定書が何なのかは、以下のリンクをご覧下さい。)
「シオンの議定書」の概要。ユダヤ金融資本の行動パターンが理解できる重要書です。
この「シオンの議定書」が発見された後、ロシアやヨーロッパではユダヤ人に対する激しい迫害が始まったのです。
なので、ヒトラーがユダヤ人を差別するような法律を作ったとしても、さして不自然さは感じられなかったのかも知れません。むしろ、この法律はドイツ国民から支持されたようです。
何しろ、この「ニュルンベルク法」は、単にユダヤ人を差別するための法律ではなく、「アーリア人」を優遇するための法律、つまり選民思想を助長するような法律でしたからね。一部の人間にとって、とても美味しい法律だったわけです。
この法律の下でヒトラーはユダヤ人を激しく差別しはじめ、いわゆるユダヤ人ゲットーに彼らを押し込めていきました。ユダヤ人を無理やり家から追い出して、特別の居住区へと移住させていったのです。
ゲットー – Wikipedia
そんな状況に困り果てたユダヤ人を日本人が温かく「満州国」へと迎え入れる……というのが、「河豚計画」の全貌だったわけです。
まあ、なんとも悪魔的なやり方です。一方で迫害しておきながら、一方でそれを温かく迎え入れる(振りをする)というわけですから。
しかしながら、問題はその後です。日本人がそのようにユダヤ人を「満州国」へ迎え入れている最中、あろうことか日本がナチスドイツと同盟を結んでしまいました。いわゆる日独伊三国同盟の前身である「日独防共協定」です。(もちろん、日本は最初からこの同盟を結ぶつもりではありましたが。)
そうすると、ユダヤ人としては日本に警戒心を持つしかありません。実際に彼らは「満州国」に移住することに躊躇しはじめます。
ところが、そんな最中、ドイツで「水晶の夜」という事件が起きました。
水晶の夜 – Wikipedia
「水晶の夜」とは、ユダヤ人の居住地域が次々と襲撃され、放火された事件です。
不思議ですね。これって少し偶然が過ぎませんかね。(もちろん、偶然ではなく、全ては仕組まれたことだったに違いありません。)
こんな事件が次から次へと起きたら、当然、ユダヤ人はドイツ国外へ逃亡したいと考えるようになるでしょう。
しかし、それでもドイツに留まりたいと思うユダヤ人が多かったのでしょうか。この事件が起きた際、なぜかユダヤ人が逮捕されてしまったのです。明らかに被害者はユダヤ人なのに、そのユダヤ人が逮捕されてしまったのです。
あり得ない話ですね。ユダヤ人からしてみれば、まさに不条理の極みです。
しかし、「天皇派」としては何としてでもユダヤ人をアジアに連行したかったので、あれこれと言い訳をしながらもユダヤ人を強制連行していったわけでしょう。
これにて、ユダヤ人はほぼ例外なくドイツから離れたいという強い気持ちに駆られていったに違いありません。
実際、「水晶の夜」事件をきっかけに「河豚計画」はさらなる弾みがつくことになったようです。ウィキペディアにもこう書かれてあります。
(以下、ウィキペディアより転載)
日本がユダヤ人の支持を得たいのならば、これ(水晶の夜)は絶好の機会であった。
なぜなら多くのユダヤ人がヨーロッパから逃れており、亡命先を求めていたからである。内閣は多数決ではなく全会一致によって運営されていたが、同会議は深夜に至っても紛糾したままであった。
だが最終的に、合意らしきものは得られた。「猶太人対策要綱」と題するこの合意文書は、ドイツやイタリアとの関係を尊重しつつも、ユダヤ人排斥は人種平等の精神に合致しないとして、以下の3点を方針として定めた。
現在日、満、支に居住する猶太人に対しては他国人と同様公正に取扱い、之を特別に排斥するが如き処置に出ずることなし
新あらたに日、満、支に渡来する猶太人に対しては一般に外国人入国取締規則の範囲内に於て公正に処置す
猶太人を積極的に日、満、支に招致するが如きは之を避く、但し資本家、技術家の如き特に利用価値のあるものはこの限りにあらず
(転載ここまで)
このように、日本はナチスドイツと同盟を結んでいながらも、ユダヤ人を差別することなく他の人種と同じく平等に扱います、と決定したわけですね。
そのため、「河豚計画」もいよいよ軌道に乗るかと思われたわけですが、実際には全くうまくいきませんでした。
というのも、上海やアメリカにいたユダヤ人たちが「河豚計画」に激しい難癖をつけてきたからです。
「アメリカ」のユダヤ人とは、言うまでもなくロックフェラーのことです。一方の「上海」のユダヤ人とは、サッスーン財閥(ロスチャイルド系ですが、教皇派に与していたようです)のことです。
サッスーン財閥とは、中国とのアヘン貿易でボロ儲けした悪徳企業です。(詳しくは以下のリンクをご覧下さい。)
アヘン戦争」の舞台裏 ~アヘン王サッスーンの暗躍~
このサッスーンの代表であるビクター・サッスーンが、1939年にニューヨークの記者会見でこのような反日発言をしています。
(以下、こちらから転載)
日本軍による対中国作戦と中国側の焦土作戦の結果、中国大陸では来年大飢饉を免れないであろう。
『日支事変』後の日本の中国経済開発事業は、アメリカ、イギリス、フランスの財政支援なしには不可能であろう。
日本の戦略物資の70%を供給しているアメリカ、イギリス、フランスが対日輸出禁止を実施すれば、日本は中国大陸から退却せざるをえない。
また、日華戦争の経費負担の増加のため、日本は中国よりも赤化する可能性がある。なお、アメリカ、イギリス、フランスの対中国投資は、今後も安全が保証されるであろう。
(転載ここまで)
〈ビクター・サッスーン(左)〉
さらにその後、アメリカと日本の関係はますます悪化していきます。
(以下、ウィキペディアより転載)
極東ユダヤ人会議議長となっていたカウフマンは記者を通じ、日本への警戒心を緩めるようアメリカ社会に説いたが、フランクリン・ルーズベルト大統領の側近で世界ユダヤ人会議議長のスティーヴン・サミュエル・ワイズは、「ユダヤ・日本間の如何なる協力も非愛国的行為だ」とする強い見解を示した(アメリカが日本に対して行った通商停止措置に違背するため)。
1940年には、在米ユダヤ人の有力者との間にパイプを持つ田村光三(ユダヤ系学生の多いMIT卒で東洋製缶ニューヨーク出張所職員)が移住構想を進言したが、にべもなく断られている。
(転載ここまで)
結局、日本とアメリカが開戦する運びとなったわけですね。彼らが戦争を始めた原因の一つに、実はこの「河豚計画」が絡んでいたということです。
さらにこの「河豚計画」に決定的な打撃となったのが、言うまでもなく、ヒトラーが「天皇派」を裏切ったことです。これについては前に記事を書いていますので、以下のリンクをご参照ください。
ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
このようにヒトラーが「教皇派」の攪乱工作にまんまと騙されて「天皇派」を裏切ったため、ドイツによるユダヤ人移住計画は頓挫。
せっかく強制収容所に集めたユダヤ人もそのまま放置され、「満州国」に連行してくることができなくなってしまいました。
なので、強制収容所の中で多くのユダヤ人が餓死したり病死したりしたわけです。
彼らが強制収容所で死んでいる写真が巷には溢れていますが、その死体のほとんどが「ガス室」で殺されたものではなく、飢餓や病気で死んだものだったのです。
こうして、ユダヤ人を「満州国」へと移住されるという「天皇派」の夢は叶わなくなりました。
その代わり、ユダヤ人の多くがパレスチナへと移住し、イスラエルという国家が建国されるという運びになったのです。
では、このイスラエルの建国も「天皇派」による計画だったのかというと、決してそんなことはありません。この計画は明らかに「教皇派」が主導したものです。以下、ウィキペディアの記事です。
(以下、こちらから転載)
第二次世界大戦が始まり、ナチスのホロコーストがイシューブに伝わり多くのユダヤ人を震撼させた。
ユダヤ人にとってパレスチナへの避難は急を要したが、イギリスは移民制限を変えることはなかった。しかしながら、戦時中はユダヤ人の反英闘争はなりをひそめ、義勇兵としてイギリス軍とともに戦った。
戦争が終わるとイギリス政府はアメリカに共同調査委員会の設立を提案し、英米調査委員会が設立された。
委員会は強制収容所にいる10万人のユダヤ人をパレスチナに移住させるようイギリス政府に勧告したが、イギリス政府はこの勧告を受け入れず移民制限を変更しなかった。
これを受けキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件などユダヤ人過激派の反英闘争が激化することとなった。
(転載ここまで)
このように、パレスチナへのユダヤ人の移住計画は、アメリカとイギリスの主導で行われました。アメリカとイギリスといえば「教皇派」の国ですね。ですから、イスラエルを建国したのは「教皇派」だったわけです。
イギリスがユダヤ人のパレスチナへの移住に消極的だった理由が何なのかよく分かりませんが、イギリスにはロスチャイルドの拠点があるので、ロスチャイルドが何かしらこの計画に反発したのでしょう。
しかし、この「教皇派」によるパレスチナへの移住計画は、紆余曲折を経ながらも、1948年には無事に完遂しました。パレスチナにユダヤ人の国家「イスラエル」が建国されたのです。
「教皇派」の面々は、ユダヤ人たちにこうして便宜を計ってあげることで、ユダヤ財閥家たちの経済力を自分たちのものにしようとしたわけですね。
9.11や神戸淡路大震災の起きる前に、すべてのユダヤ人が事前に国外へ避難していたという話は有名ですね。
9.11も阪神淡路大震災も「教皇派」によるテロ攻撃だったわけですが、「教皇派」の面々はあらかじめユダヤ人一同、彼らの親戚一同に災害が起きることを告知して、彼らの命を守ってあげたわけです。
阪神・淡路大震災は日本中心のNWO計画を阻止するためのロックフェラーによる攻撃でした。
そうやってユダヤ人を守ることで、彼らの持つ巨大な経済力の恩恵に預かろうとしたわけでしょう。
つまり、「教皇派」であろうと「天皇派」であろうと、決してユダヤ人を殺したり、怒らせたりすることはできないということです。
しかし、この「河豚計画」の全貌を知ったら、ユダヤ人は「天皇派」に対して相当怒り狂うでしょうね。だからこそ、「天皇派」の面々は、これまで「河豚計画」について声を大にして語ってこなかったのではないでしょうか。
普通に考えれば、この「河豚計画」は日本版「シンドラーのリスト」みたいなものなのに、変だなとは思っていたのです。
リチャード・コシミズのように、ヒトラーによるユダヤ人差別は「ロックフェラー」の陰謀だったと言って煙に巻こうとするエージェントが現れるわけです。そうやって全てを「天皇」のせいではなく、「ロックフェラー」のせいにするわけですね。
ちなみに、ユダヤ人には「スファラディ(アラブ系)」と「アシュケナジ(ヨーロッパ系)」がいて、「アシュケナジ(ヨーロッパ系)」だけが悪人、と今までの私は考えていましたが、どうやらその考えは間違いだったようです。
というのも、アヘンでボロ儲けしたサッスーン家は「スファラディ(アラブ系)」のユダヤ人だからです。(彼らはロスチャイルド系ですが、ロスチャイルドにも「スファラディ(アラブ系)」がいるということですね。)
なので、「スファラディ(アラブ系)」は善、「アシュケナジ(ヨーロッパ系)」は悪、という区分けの仕方は適当ではないようです。もっとも、「スファラディ(アラブ系)」全員が悪人かどうかは今のところまだ分かりませんが……。
しかし、一方の「アシュケナジ(ヨーロッパ系)」はほとんどが偽ユダヤ人(悪魔崇拝者)と考えて間違いないのではないかと思います。
転載ここまで
なぜユダヤ人は全世界で差別されながらも、一部では好待遇を受けているのか。「天皇派」と「教皇派」によるユダヤ人獲得競争のなれの果て。
ヒトラーによるユダヤ人差別が、実はユダヤ人を満州国へ移住させるための「天皇派」の計画の一環であったというお話をしました。
つまり、ユダヤ人の人材を確保するために、ヨーロッパで大々的にユダヤ人を差別しておいて、彼らユダヤ人がヨーロッパから「満州国」に亡命せずにはいられない状況を無理やり作ろうとしたわけです。
実際にその計画は途中まではうまくいっていました。特に「杉原千畝」という日本人は、ナチスからユダヤ人を救出するという名目で6000人のユダヤ人にビザを発給し、彼らを「満州国」へと亡命させました。
杉原千畝 – Wikipedia
〈杉原千畝氏〉
かのアカデミー賞映画「シンドラーのリスト」の主人公「オスカー・シンドラー」の救ったユダヤ人の数が1200人ですから、「杉原千畝」はそれのおよそ5倍のユダヤ人を救ったことになります。
〈オスカー・シンドラー〉
にもかかわらず、「杉原千畝」は政府の許可も得ずに勝手にビザを発給しただの何だのと言われて、全世界からずっと悪人扱いを受けてきました。
もっとも、今ではこの疑いも晴れて、多少、彼に対する評価も変わってきてはいるようですが、「オスカー・シンドラー」とてドイツ政府に反逆してユダヤ人を救ったわけです。
なのに、彼はハリウッド映画にまでなって、全世界から賞賛を浴び、一方の「杉原千畝」は悪人扱い……。この評価の違いは一体何なのでしょうか。
やはりユダヤ人は、ある程度この世のカラクリが分かっている、ということではないでしょうか。
つまり、「ナチスのユダヤ人差別」は日本(天皇)による卑劣な計画だったということを知っているのではないでしょうか。
実際、「シンドラーのリスト」を作った映画監督スティーブン・スピルバーグはユダヤ人です。
〈スティーブン・スピルバーグ〉
やはり彼も、ナチスドイツが「緑龍会(天皇の傀儡)」によって作られたということ、そしてナチスがユダヤ人を差別したのは全て日本(天皇)の差し金であることを知っていたのではないでしょうか。
だとしたら、とてもではないですが「杉原千畝」のことを映画にしようという気にはなれないでしょうね。
もっとも、今では日本国内での「杉原千畝」に対する評価は少しずつ見直されてきているようですが、それでも私のこのブログを読んでいる皆さんは、ナチスドイツが天皇の傀儡であると知っているわけですから、誰も「杉原千畝」のことを素直に評価する気にはなれないでしょう。
ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
ちなみに、第二次大戦中にユダヤ人を救おうとしたのは「杉原千畝」だけではありません。以下のA級戦犯たちも皆、同じようにユダヤ人の亡命に手を貸しました。
(以下、こちらから転載)
◆東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。
◆松岡洋右 ……凍死寸前のユダヤ難民のために列車を手配。神戸に来たユダヤ人のために便宜を計らう。
◆荒木貞夫 ……文部大臣の時、ドイツから在日ユダヤ人教師の追放を要求されるも、民族差別には同意できないと拒否。
◆東郷茂徳 ……亡命ユダヤ人医師の婚約者を救出。恩義を感じたその医師は、東郷の主治医となり、日本で死去。
◆広田弘毅 ……命のビザを発給した杉原千畝の尊敬する人物。亡命ユダヤ人音楽家の身元保証人となる。
◆板垣征四郎 ……五相会議において、ユダヤ人も公平に扱うべきと主張し、その結果、ユダヤ人を公平に扱うのが日本の国策となった。
(転載ここまで)
彼らをA級戦犯として裁いたアメリカは、当然、日本がユダヤ人を救出しようとした意図を全て知っていたはずです。
だからこそ、彼らA級戦犯がいくらユダヤ人の亡命に手を貸していたとしても、それらの事実を全く評価することなく、ことごとく悪者扱いしてきたわけでしょう。
そもそも、アメリカやイギリスなど「教皇派」の国々には、ユダヤ人の人材確保のために「上海」を外国人の居住区として作っていく計画がありました。
上海租界 – Wikipedia
表向き、この「上海租界」はアメリカやヨーロッパの人々をアジアに租界させるための計画とされていますが、この「上海」にはアヘン王であるサッスーン財閥(ロスチャイルド系ユダヤ人)が居座っていました。
なので、この「上海」もユダヤ人の拠点になっていた、あるいはユダヤ人の拠点として作ろうとしていた可能性があります。
実際、ヒトラーがドイツでユダヤ人差別を始めた際にも、ユダヤ人たちは「満州」だけではなく「上海」にも亡命しています。
こうして見てみると、第二次大戦というのは「天皇派」と「教皇派」によるユダヤ人の奪い合いだったのではないかと考えざるを得ません。
第二次大戦で「教皇派」が勝利した結果、「満州国」は解体させられ、ヨーロッパのユダヤ人は「パレスチナ」に移住させられることになりました。
「教皇派」がユダヤ人の人材を確保するために「イスラエル」という国家をわざわざパレスチナに建国してあげたわけです。
事実、「イスラエル」の国旗にはロスチャイルドを表す「赤」がありません。
これは明らかに「教皇派」を表す国旗です。
以前、私は第二次大戦が「天皇派」と「教皇派」による領土争いだったというお話をしました。
第二次世界大戦はロスチャイルドとロックフェラーの勢力争いでした。
この世界は「天皇=ロスチャイルド」と「バチカン=ロックフェラー」の抗争の上に成り立っています。
ですが、私はここでさらにこう付け加えようと思います。第二次大戦は「天皇派」と「教皇派」によるユダヤ人の人材の獲得合戦でもあった、と。
この第二次大戦で「教皇派」が「天皇派」に勝利したため、ユダヤ人のほとんどの人材が「教皇派」のものになってしまったというわけです。
とはいえ、「天皇派」とて負けてはいません。
ここ最近、この日本では急速に「日ユ同祖論」が話題になり、日本とユダヤの関連性が取り沙汰されるようになりましたが、それもこれも全てはユダヤ人に日本に関心を持ってもらうための施策であると考えられます。
そうすることで、この日本にユダヤ人差別はないし、むしろ日本人はユダヤ人のことを好意的に見ているとアピールしようとしているのだと考えられます。
実際、彼らが「河豚計画」を行った際にも、彼らは「日ユ同祖論」を大きく取り扱おうとしました。
(以下、ウィキペディアより転載)
■河豚計画
当時、ユダヤ人社会は日本と比較的友好的な関係にあり、また、アメリカは、満州国建国などで日本との外交的対立が先鋭化してきていた。そこで同計画書において提示されたのは、世界のユダヤ社会とアメリカとの双方の関心を惹く方法であった。すなわち同計画書には、
アメリカへの代表団を派遣すること
アメリカのラビ《RAPT註:ユダヤ教の指導者》を日本に招聘し、ユダヤ教と神道との類似点をラビに紹介すること、および、ユダヤ人とユダヤ教を日本人に紹介すること
(転載ここまで)
このようにユダヤ教と神道の類似点を紹介しつつ、つまり「日ユ同祖論」を紹介しつつ、ユダヤ人の気を惹こうとしたわけです。
それと全く同じことを今でも「天皇派」の面々はやろうとしているわけですね。
ユダヤ人というのは今や全世界の嫌われ者です。日本にはユダヤ人差別の風潮はほとんどありませんが、ヨーロッパ諸国では未だにユダヤ人は厳しく差別されています。
例えば、以下の動画を見ください。ユダヤ人がユダヤ人と分かる格好でパリの街を歩くと、周りから次々に侮蔑的な言葉をかけられます。(日本語の字幕がないので分かりにくいかも知れませんが、英語が分かる人には分かると思います。)
このようにヨーロッパではユダヤ人差別の風潮が根強く残っています。それもこれも「天皇派」がヨーロッパからユダヤ人を追い出し、「満州国」に亡命させようとしたことが全ての元凶なのです。
なのに、「天皇派」の面々は、今でもユダヤ人から気に入られようと躍起になっているわけです。本当に呆れた話です。
しかも「天皇派」のロスチャイルドは、「ノーベル賞」なんて(権威があると見せかけた)賞を作り、この「ノーベル賞」を実に多くのユダヤ人たちに与えています。
ユダヤ人の人口は全世界の0.25%であるにもかかわらず、「ノーベル賞」受賞者の20%がユダヤ人なのです。皆さんはこの事実をご存知でしたか。
ユダヤ人のノーベル賞受賞者 – Wikipedia
このように「天皇派」の面々はありとあらゆる方法でユダヤ人に気に入られようとしています。
そのため、世界のあちこちで未だにユダヤ人差別が根強く残っているにもかかわらず、実に多くのユダヤ人が世界の支配者たちから好待遇を受けているわけです。
今までのところ「天皇派」と「教皇派」によるユダヤ人獲得競争は、どちらかというと「教皇派」に軍配が上がっていたわけですが、現在のイスラエルの首相は「安倍晋三」とも「今上天皇」とも仲良しのようです。
なので、今やイスラエルは「教皇派」から「天皇派」の配下に移りつつあるような気がしないでもないのですが、それは今後の成り行きをじっくりと見守っていくしかないでしょうね。
転載ここまで
いかがでしたでしょうか。
翻弄された民たちは、このような権力争いによって命を落としていったのです。権力者たちの計画は、あまりにも幼稚で呆れるばかりです。
これからは、権力者たちのいいように命をもて遊ばれてはいけません。自分たちでどうしたいか考えて、行動していきましょう。
きっと、黙って従って生きていきたい人などいないはずですから…。
新約聖書
使徒言行録 ピシディア州のアンティオキアで 13ー41~52
『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』
パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。
次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。
そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。
「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたがそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主は、わたしたちにこう命じられているからです。
『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた。あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。
ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々っを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。
それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。
他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
イコニオンで 14ー1~7
イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話しをしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。
ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。
主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。
異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。
そして、そこでも福音を告げ知らせていた。
より多くの人々が、主の御言葉によって救われますように。