祈りの旅 〜長野・群馬・埼玉・東京〜 その2
皆さん、こんにちは。
前回の祈りの旅、後編となります。
この日は、大雨の翌日ということで、枯れはじめていた紅葉が生き生きとしています。初日に訪れる予定だった、秩父の奥地まで行ってみることにしました。
雨上がりの空は、とても澄んでいて清々しいですね。
秩父市内の黄色に彩られたイチョウ並木を通り、道の駅あらかわでひと休み。
秩父メープルとかぼすが特産品ですので、幾つか買ってみました。
それから紅葉の名所、金蔵落としの渓流を目指します。
〈Nikon撮影〉
ちょうど、紅葉は見頃となりました。
筆者が到着した後、続々と観光客が訪れてきました。
三脚を立てて撮影する人に散策する人、それぞれ楽しんでいます。
少し歩きまわってから次の目的地、道の駅おおたきに到着してみると、駐車場は平日でもほぼ満車でした。(さらに奥にある、秩父湖へ行く方が多い)
川沿いの紅葉が、とても美しい‥。
豊かに杉の香りがして、自然と深呼吸。
川のせせらぎと鳥の鳴き声がとても心地良く、色とりどりの紅葉を眺めながら車を走らせました。
11月末だというのに20度まで気温が上がり、暖かくてとても過ごしやすい一日となりました。
少し時間があったのでフルーツ街道を通ってみると、またここでも真っ赤な紅葉の木がありました。
日本は四季折々美しく、神様へ感謝の気持ちが湧き出てきます。
それでは、景色を眺めながら戻ることにします。
この後、だんたんと不思議な雲が出てきたので撮影したところ、まさかの‥。
(※霊的に敏感な方は、閲覧注意してください)
リアルです、これは。
皆さんは、悪魔と悪霊がこの世にいると思いますか?
この世界は、地上界と霊界が存在しています。オカルトでも何でもありません、事実です。霊界で起きることが、地上界に反映されるのです。
RAPT理論から記事を転載します。
霊はこの世に存在している。しかし、人々は霊的なものにどう対処すればいいか分かっていない。
2000年を越える前までは、日本人の大半があまり霊的なものを信じず、オカルト的なものを嘲笑する傾向が強かったように思います。
当時は少しでも幽霊やUFOなどの類の話をすれば、直ちにバカにされ、頭がおかしいと言われていたものでした。しかし、ここ最近は多くの人々が霊的な体験をしたり、UFOを目撃したりと、オカルト的な体験をかなりしているようで、今や幽霊やUFOの存在を信じる人の数もとても多くなったような気がします。
かく言う私も、実は昔から霊的な経験は沢山してきました。霊感は人一倍強かったと言っていいでしょう。ですが、自分が霊的なものを感じたり体験したりしても、それを人に話すことはしませんでした。それだけは自分の中でタブーだったのです。ですから、霊的な現象に悩まされても、誰にも相談しませんでしたし、相談しようという気にもなれませんでした。相談したところで、それを実際に解決できる人などいないと思っていたからです。
もっとも、その状況は未だに変わりがないと言っていいでしょう。その代わり、自らそのような苦悩や艱難をいくつも乗り越えてきたお陰で、今ではどんな霊的な問題が起きたとしても、すべて解決できるだけの知恵や能力を持っている、と自信を持って言えます。
■この世に霊的な存在は実在している。
はっきりと断言します。この世に霊的な存在は実在しています。一般的に霊的な現象というと、幽霊など恐ろしいものばかりイメージしがちですが、霊界には悪なる存在だけではなく、善なる存在もいます。ただ、恐ろしい体験をする人の方が素晴らしい体験をする人よりも圧倒的に多いために、怪奇現象など恐ろしい話ばかりがこの世に出回っている状況なのだろうと思います。
■霊的現象のほとんどが不気味で不快な理由。
基本的に、この世に存在している霊というものは、ほとんどが余り良い存在ではありません。彼らはあの世に成仏できずにこの世にさまよっている霊たちであり、成仏できない原因は、この世に未だに未練を持っていたり恨みを持っていたりするからです。中には自分が死んだということが理解できず、誰にも相手にされない状態を寂しがっている霊たちもいます。そういった類の霊たちがこの世を多くうろついているために、霊的な現象に遭遇した人の多くが不気味で不快で、ネガティブな気持ちに襲われることになってしまうのです。
■霊感が強くない人でも霊の影響は常に受けている。
しかしながら、霊感が強くて、幽霊の姿を見たり、幽霊の声を聞いたりしなくても、この世の大半の人たちは霊界から何らかの影響を受けて生きています。ある人は、自分が気付かないうちに何十人もの霊を引き連れていたりもしますし、そういう人が喫茶店の中に入っていったりすると、その人の周りに座っている他の客たちも、その人の引き連れた霊から霊的な波長を受け、考えが乱されたり、ネガティブな思考に陥ったり、不安や苛立ちが募ったりするということが起こり得ます。もちろん、彼らは単に自分の頭が勝手にそのような思考になったと思うばかりで、それが霊的なものによる影響だとは考えもしないでしょう。
■信じるか信じないかはあなた次第。しかし、信じなくても真実は動かない。
私がここに書いたことを信じるかどうかはあなた次第です。しかし、例えあなたが私の書いたことを信じなくても、あなたは間違いなく霊界から常に何らかの影響を受けて生きています。あなたが不意に嫌なことを思い出したり、急に訳の分からない不安や苛立ちに襲われたりしたとき、あなたの傍には何らかの霊がうろうろしているかも知れないのです。
ここ最近、鬱病患者が急激に増えているのも、霊からの影響が大きいだろうと私は見ています。したがって、心の病をいくら医者に診てもらっても、どんな薬を服用しても治るはずがありません。むしろ、医者の処方や薬の服用によってかえって体に変調を来すばかりです。精神的な病は、医者や薬に頼って治すものではなく、あくまでも心のレベルで、もしくは霊的なレベルで治すしかないからです。
ーーーーーー(転載ここまで)
悪魔とは空想の産物ではなく、架空の存在でもありません。悪魔崇拝者たちはそんな非現実的なものを拝む連中ではありません。
この記事を見てもお分かりの通り、この世の中は人の心をいとも簡単に破壊できるように巧妙な仕掛けが施されています。そのため、この世の多くの人たちがその罠に嵌って自殺したり、他人を殺したりしてきました。
○悪魔が人の心を破壊し、その命を生贄として捧げる二つのパターン。
しかし、このブログの読者の皆さんは、そんな悪魔の罠に引っかかることなく、むしろこの世に何かしら変な罠が仕掛けられているということに気付きました。だからこそ、今の今まで平穏無事に生きてこれたわけですし、今こうして陰謀論ブログを読んでいるわけです。
とはいえ、この世界ではいつ誰が心を病み、自殺するか分かりません。いつ誰が憎しみに駆られて、他人を害するか分かりません。それがこの世界の実態です。本当に恐ろしいことですが……。
とはいえ、こんな世界の中でも、きちんと自分を守る方法があります。それは一言で言えば、自分の心を守ることです。自分の考えを守ることです。
自殺する人も、他殺する人も、どちらも自分の心と考えを守ることができませんでした。悪い方向に考えが偏り、そこから抜け出せなくなってしまったのです。
鬱になる人の大半は、このような思考の罠に陥っています。考えがどんどん狭くなって、そこから抜け出せなくなってしまったのです。より広い視野、より広い考えを持てなくなってしまったのです。
しかし、本当のところは、その狭い考えから抜け出そうと思えば、いつでも抜け出すことができます。自分の思考は自分でいくらでも自由に操ることができるからです。しかし、なぜか本人はそこから抜け出せないと思ったのです。そう信じ切ってしまったのです。
これこそまさに完全なマインドコントロールです。私たちはそんなマインドコントロールに引っかからないように、普段から頭を使う訓練をしなければいけません。
普段から何も考えずにボーッと生きているからこそ、いざ何か辛い状況に陥ったとき、何かの中毒に罹ったとき、物事をまともに考えることができなくなり、一つの考えから抜け出せなくなってしまうのです。これは前にも記事にした通りです。
このように、頭の回転を速くして、自分の考えをすぐに別のところに切り替える、という訓練を普段からやっていた方がいいと思います。普段からそのような癖をつけておくと、いざ何かの悩みに囚われたり、何かに中毒になったりした場合も、そこに溺れて抜け出せない、ということがなくなるからです。
とはいえ、一度深い悩みに陥ったり、何かの中毒になったりすると、なかなかそこから抜け出せないというのが世の常、人の常です。
これは単に人が弱いからというだけではありません。この世には悪魔とか悪霊といった存在がいて、彼らがいつも私たちの思考を操ろうとしているからです。
我々の脳の考えは一つの電気信号のようなものである、ということは既に科学的にも立証されていますが、実はこういった霊的な存在たちは、我々の脳の中に電気信号を送り込むことができます。私はこれを電気信号とは言わず、「波長」と呼んだりしていますが……。
もちろん、この話を信じるか信じないかはあなた次第と言うことになりますが、例えあなたが信じようと信じまいと、この世には間違いなく霊的な存在がいて、我々人間の思考を操ろうとしています。(悪魔や悪霊については、以下のリンクをご参照ください)
○「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(1)
特に「悪魔」たちは普段からこのようなことばかりやっています。「悪魔」にはそれ以外に何も楽しみがないからです。彼らは何の楽しみもない真っ暗な地獄の世界に暮らしながら、何の夢も希望もなく生きています。
そんな彼らにとっての唯一の楽しみは、私たち人間を苦しめて憂さを晴らすことだけです。
この世の悪魔崇拝者たちは、そんな悪魔たちに多くの楽しみを提供するため、我々を悩まし、何かの中毒にさせたりしているとも言えるでしょう。「共産主義」や「資本主義」といったデタラメなイデオロギーを作ったのもこのためです。
そうやって彼らはわざと人を苦しめるような世界を作り、悪魔たちがより簡単に人の思考をもてあそぶことができるようにタネを撒いておいたのです。そして、これもまた悪魔への生贄だと言えるかも知れません。人を命を殺して捧げるばかりが、悪魔への生贄となるのではないのです。苦しむ人間を提供することもまた悪魔への生贄となり得るのです。
こんな話は、人によってはマンガの世界のようにしか思えないかも知れませんが、悪魔崇拝者にとってこれはとても真剣な問題です。
自分たちがいかに悪魔に多くの生贄を捧げられるか、いかに悪魔を喜ばせることができるかによって、自分たちの命運が左右されるからです。少なくとも彼らはそう信じています。
この世の陰謀論者たちの多くが、この悪魔のことを宇宙人であるかのように語ったりしていますが、残念ながら「悪魔」は宇宙人ではありません。「悪魔」とは目に見えない存在であり、霊的な存在です。これについては過去にも記事にしていますので、以下のリンクをご覧ください。
もっとも、ここで私が急にこんな話をしたところで、既に宇宙人の存在を信じている人の多くが、こんな話を信じることはできないでしょう。人はやはり自分の信じたいものを信じるものだからです。そのため、私も今の今までこの話には深く言及しないようにしてきました。
しかし、宇宙人と陰謀論を絡めて書いたサイトが余りにも多く、それを信じている陰謀論者が余りにも多いという現実を見ていると、やはり私もそろそろ本気で「悪魔」について、そして「霊界」について語らなければいけないと考えざるを得なくなってきました。
数学をやっている人には分かると思いますが、数学の世界には「虚数」というものが存在します。この「虚数」はこの世には絶対に存在しないはずの数です。
しかしながら、この「虚数」なしにこの世の様々な現象を解き明かすことはできません。つまり「虚数」とは理論上はあり得るし、なくてはならない数だけれども、現実には絶対にあり得ないという不思議な数なのです。詳しくは以下のサイトをご覧下さい。
「霊界」とはまさにこの「虚数」と同じようなものです。この世の事実をすべて解き明かそうとするならば、この「霊界」について語るしかありません。「霊界」について語ることなしに、この世の全てを理論的に語り尽くすことはできないのです。
第一、裏社会の連中はみんなこの「霊界」に存在している「悪魔」を拝んでいます。
果たして彼らは、存在もしない架空のものを拝んでいるのでしょうか。単なる空想にふけって「悪魔」の存在を信じているのでしょうか。単なる遊びで「悪魔崇拝」ごっこをしているのでしょうか。存在するかしないか分からない漠然としたものを拝んで満足しているのでしょうか。
いいえ。違います。彼らはそんなバカではありません。彼らの行った数々の悪行がどれほど巧妙なものであったかを見れば分かる通り、彼らはそんな頭の悪い連中ではありません。
この世の人々は、お正月には必ず神社仏閣に行って、存在するかしないか分からない神様を漠然と拝んでいますが、悪魔崇拝者たちはそんな漠然とした世界で生きている連中ではありません。彼らは究極的な現実主義者です。そして実際、彼らは普段から悪魔と会い、対話し、交流しています。彼らにとって悪魔はもはや現実的な存在なのです。
彼らの中には悪魔と交流できる専門家がいます。裏社会の連中がこれまで多くの幼児たちを連れ去ってきたのは、そのような専門家を育て上げるためでもあります。これについては過去にも記事にしていますので、詳しくは以下のリンクをご覧ください。
そして、実際にその手の専門家として育てられた女性の証言本なども出ています。もっとも、この本も今ではもう絶版になっているようですが……。それが以下の本です。
○多重人格はこうして作られる―モナーク・プログラミング・マインドコントロール (超知ライブラリー)
一応、私もこの本に目を通してみましたが、恐らくこれは嘘ではないでしょう。間違いなく本当の話だと思います。
一時期、「ビリー・ミリガン」という多重人格者のことが世間で話題になったことがあります。恐らくこの「ビリー・ミリガン」も裏社会によって、霊媒師(悪魔を呼ぶ人)として育てられた人だったのだと思います。
でなければ、そうそう簡単に24人もの多重人格を身に付けることができるわけがありません。そんなことが偶然に起きるわけがないのです。誰かが故意にこのような人間を育てたのです。
裏社会は、こういった多重人格者を何人も育て上げています。一人の人間の中にいくつもの「霊」が入り込めるようにして、彼らを通して「霊」と交流するのです。つまり多重人格者とは、「霊」を呼び込むことのできる人のことを言います。言ってみれば、「イタコ」のような人ですね。
ただし、優れた多重人格者は、自分で呼び込む霊をきちんと制御できます。霊を呼び込もうと思ったときだけ呼び込むことができ、呼び込みたくないときには呼び込まないようにコントロールできます。
しかし、「ビリー・ミリガン」はそうではなかったのでしょう。きちんとそれを制御できなかった。そのため、裏社会から使い物にならないと見なされ、捨てられてしまったのです。で、本人自身も、本当の自分が誰なのか分からなくなってしまい、「ビリー・ミリガン」事件は謎のまま終わってしまったわけです。
裏社会は、このような霊媒師を通して悪魔の声を聞き、悪魔から知恵と知識を授かります。そうやって、この世界を治める方法、敵の勢力を叩き潰す方法を身に付けていくのです。
恐らく「共産主義」「資本主義」といったイデオロギーも、このような形で悪魔から授かったものなのでしょう。まさか「共産主義」「資本主義」が人殺しのためのマインドコントロールであったとは誰も思いもしませんでしたが、結果的に見ればそうとしか言いようがありませんし、悪魔には最初から「共産主義」と「資本主義」が人殺しの道具になり得ると分かっていたのです。
要するに、悪魔には人間には分からない何十年先、何百年先のことを見据える力があるということです。だからこそ「悪魔」なのでしょう。
ーーーーーーー(一部転載ここまで)
「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(1)
ここのところ、政治・経済ネタの記事を書くことが多かったので、悪魔崇拝ネタからやや遠ざかっていたようなところがありましたが、私のブログの読者の中には、幼児誘拐について調べていたところ、私のブログに出会い、悪魔崇拝がこの世に現実にあることを知ったという方が多くいらっしゃるようです。
そういう方も、最初は私のブログの内容に半信半疑だったようですが、それは私とて全く同じことで、仮に悪魔崇拝なるものがこの世にあったとしても、まさかこの世のトップたちがこぞってそのような悪徳の限りを尽くしているとは想像だにしていませんでした。
しかしながら、世界のトップの一部(今のところ、この世の本当のトップはバチカンとヨーロッパ王室、ロックフェラー・ロスチャイルド財閥、ブッシュ一族と言われています)が、悪魔崇拝を行い、悪魔の指示に従ってこの世を破壊している、と考えることで、この世の中のありとあらゆる疑問がすらすらと解けていき、ぼやけて見えていた様々な事柄がすっきりとシンプルに見えてきました。
辻褄のあわなかったことが辻褄が合うようになり、それまでバラバラに見えていたものが一つにまとまって見えてくるようになったわけです。
そのため、私は敢えてこのようなブログを書き、この世に悪魔崇拝なるものがあるということ、それをこの世のトップたちが行っているということを多くの人に知らしめ、注意を促さなければならないと考えるようになったわけですが、その結果、多くの方々にこの事実を知っていただくことができ、非常に良かったなと思っています。もちろん、これからもっと多くの人に知ってほしいと願っていますが……。
ただ、読者の方からのメールなどを読んでいますと、この記事のタイトルにも書きました通り、「悪魔」と「悪霊」の違い、また「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いがよく分からずに悩んでいる方、またその違いをよく分からずに適当にこれらの言葉を使っていらっしゃる方が見受けられます。
そこで、今回はこの二つの単語の違いについて簡単にご説明したいと思いました。ただ、これらのことについて話をしているとかなり長くなりますので、二回に分けてお話しすることにします。今回は先ず「悪魔」と「悪霊」の違いについてお話をします。
■「悪魔」と「悪霊」の違いについて■
結論から言いますと、「悪魔」とは堕落した天使のこと、「悪霊」とは成仏できず、恨み辛みを抱えたままこの世をさまよっている人間の霊のことを言います。
あなたが信じるかどうかは別として、悪魔ルシファーとはもともと神様ヤハウェとともに天国にいて、神様ヤハウェに仕える天使長でした。ちなみに、ヤハウェとは聖書に出てくる神様のことです。エホバと呼ぶ場合もあります。「エホバの証人」というカルトがありますが、この名称もつまりは「神様の証人」という意味になります。(ヘブライ語で神様のことをエホバと言うそうです。)
ルシファーについて私なりに色々と古代の文献を調べてみたのですが、やはりルシファーについて言及した書物の中ではやはり聖書が最も古いようです。しかも、聖書以外のルシファーの登場する文献は、そのほとんどが聖書からの引用ばかりで、聖書以外に明確にルシファーについて定義した書物はないように見受けられます。だからこそ、悪魔崇拝者たちも聖書を多用しているのかも知れません。
神様ヤハウェの傍にはもともと三人の天使長がいました。「ミカエル」「ガブリエル」「ルシエル」です。しかし、この「ルシエル」がやがて神様に反抗し、天国から追放されてしまいました。その結果、「ルシエル」は悪魔という烙印を押され、その名前も「ルシファー」へと変えられてしまいました。
このルシファーは天使長であったため、その下には沢山の天使たちが従っていました。この大勢の天使たちもまたルシファーと一緒に堕落し、悪魔に変質したものと考えられます。したがって、天国にいる天使たちのおよそ三分の一が悪魔に変わってしまったわけです。
悪魔たちは、人間に神様ヤハウェを拝ませないようにするため、この世の中に様々な宗教を作りました。神様ではなく自分たち悪魔を拝ませるように仕向けていったのです。しかも、その宗教のほとんどが「悪魔」を拝んでいるとは分からないように巧妙に細工しています。悪魔が自分の存在についてはっきりと教えるのは、この世の一部のエリートのみ。そのエリートたちが先祖代々から「悪魔崇拝」というものを受け継いできたわけです。
一説によると、「悪魔崇拝」の起源はアトランティス大陸にあると言われています。最初のうち、私はこの説を眉唾と考えていました。アトランティス大陸そのものが存在するかどうかも分からないものですし、アトランティス大陸とは今から二万年も前に存在していたと言われる大陸です。そんな古くから「悪魔崇拝」の歴史があったのだろうかと疑わざるを得ませんでした。しかしながら、私がその考えを改めるようになったのは、以下の古代遺跡を知ったからです。
これは前にも一度、皆さんにご紹介したことがあります。(その記事はこちら)ある考古学者の話によりますと、この古代遺跡はおよそ一万年前に作成されたものだとのことです。皆さんもご存じ、これはフリーメーソンのマークですね。つまり、一万年も前からフリーメーソンが存在していたということになります。
ただし、「フリーメーソン」については後でご説明しますが、フリーメーソンが一万年前にあったというのは間違いです。フリーメーソンはそんな古い時代には存在していません。フリーメーソンと同質の宗教が一万年前から存在していた、と言った方がより正確でしょう。そしてその宗教こそ「悪魔崇拝」なのです。
しかし、悪魔崇拝者たちはこの頃から自分たちが「悪魔」を拝んでいるということを公言することはなかったようです。悪魔からそれを禁じられていたのでしょう。その代わり、彼らは自分たち信じる「悪魔崇拝」をこの「三角ピラミッドと一つ目のマーク」で表現することにしたのだと思います。要するに、分かる者だけ分かればいい、ということなのでしょう。
「コンパスと定規」のマークも同じです。このマークもまた紀元前3000年の中国にも存在していたことが分かっています。以下の絵は、中国の伝説上の帝王とされる「伏羲と女媧」の絵です。(詳しくはウェキペディアをご参照ください。)
「悪魔」や「天使」のことを宇宙人だと言う人もいますが、私はそれもあながち間違いではないだろうと考えています。天国はこの地球よりも遙かに文明が進んでいて、UFOのような乗り物など当たり前のように存在していて、彼らがその乗り物を使って地球に来ているとも考えられなくはありません。また、以下のリンク記事のように、宇宙人とは天使(堕天使)のことであると主張する人も多く存在しています。
○日本や世界や宇宙の動向 : ホログラムの飛行機がケムトレイルを撒いています。
私はよく「はやし浩司」さんという方のyoutube動画を見ているのですが、この方の動画を見ていても、私はやはり宇宙人とは「天使」や「悪魔」のことなのだろうと考えるようになりました。
はやしさんご自身は、宇宙人のことを「天使」や「悪魔」だとは考えていないようですが、私はこの方の動画を見ながらそう結論を出すようになりました。要するに、はやしさんとは違う認識を持っているわけです。(はやしさん、ごめんなさい。)
古代人は当たり前のように宇宙人を見ていたのに、現代人は余りそれらを見ないというのも、現代人の霊感、つまり第六感といわれる能力が極端に低下したからだろうと思います。現代は文明が高度に発達したため、何かを予知したり、勘に頼ったりする必要性もなくなってしまいました。そのため、霊感、第六感を使うこともなくなり、その能力が欠けていったのだろうと思います。
しかしながら、古代人は文明もなく、常に危険な獣などから自分たちの身を守らなければならなかったため、常に霊的な感覚を研ぎ澄ませていたものと考えられます。ですから、霊感・第六感もきわめて優れていたはずです。
だからこそ、古代遺跡には宇宙人を描いたような遺跡(一般にはオーパーツと呼ばれています)が多かったのではないかとも私は分析しています。
残念ながら、最近では霊的なものを見たり聞いたりすると、すぐにそれを全て精神病と片付けてしまう傾向にあります。そうすることによって、向精神薬を無理やり飲まして廃人にする、という悪魔の計画なのかも知れないなと、最近は考えています。
悪魔たちは自分の存在をこの世の人たちに知られたくないと思っています。悪魔崇拝者たちも自分たちが悪魔を拝んでいることを誰にも知られたくないと思っています。そのために、悪魔の姿を見た者を精神病扱いすることで、悪魔の存在はないものと我々に思い込ませようとしているのではないかと考えられるわけです。
実は、私の周りにも霊を見たり霊の声を聞いたりする人がいます。しかも、かなり沢山います。多分、「霊は存在している」と私が普段から話しているので、他の人の前では話せなくても、私の前では安心して「霊を見た」「声を聞いた」と話ができるのでしょう。実際には霊的な何かを見たり聞いたりしているのに、恥ずかしくて、あるいは恐ろしくて、人前でそれを話せないという人が実はこの世には大勢いるのではないでしょうか。
では、私の前で「霊を見た」「声を聞いた」という人たちが精神異常者かというと、彼らは全く普通の常識人です。生活には何の支障も来してはいませんし、きわめて常識的な生き方をしています。どこからどう見ても、全く普通の人間です。むしろ、他の人たちよりもしっかりとしている人が多かったりもします。もちろん、中には少し精神的に不安定な人もいますが……。
また、私自身、かなり長きにわたって霊的な体験をしてきました。見たり聞いたりしたというわけではないのですが、私の場合、霊が近くにやってくると、その気配をとても強く感じるのです。単に雰囲気が悪くなったとか、そんなものではありません。はっきりと何かが来たと感じるのです。しかも、何度かその目に見えない存在に首を絞められたり、頭をぐいぐいと押さえつけられたり、殴られたり、といった経験もしました。
それは本当に異常な体験でした。しかも、そういった体験を10年近く体験しました。幸い、ここ数年はそういう体験も全くしなくなりましたが……。
もっとも、悪い体験ばかりではなく、良い体験もあります。霊には良い霊と悪い霊がいるからです。ただし、それについての話は長くなるので今日は割愛します。
いずれにしても、何か霊的な体験をしたからと言って、すぐに自分のことを精神病だと考えるのはやめた方がいいです。また、他人のことを精神病者だと断定するのもやめた方がいいです。
先日も書きました通り、安易に精神科に行ったり、向精神薬を服用してはいけません。それは悪魔の罠です。もちろん、霊的なものを見たり聞いたりする人の中には、本当に錯覚を見たり聞いたりする人もいるのかも知れませんが、薬を飲んだからといって治るものではありません。むしろ、薬の副作用でもっとひどい状態になります。(詳しくはこちら)
現代の科学や医学は、霊的なものを何の根拠もなくすぐに否定します。現代の科学や医学の理論に合わないから否定する、という理屈なのでしょうが、それでは現代の科学や医学はもう既にこの世の科学的・医学的法則をすべて完璧に解明したというのでしょうか。そうではないから、未だに多くの問題が噴出しているのではありませんか。
話を元に戻しますが、はやし浩司さんの動画の中には、いくつもの(古代の)神様が登場してきます。そして、その古代の神様のほとんどが実は「悪魔」なのではないかと私は考えています。
なぜ聖書の中でだけ「悪魔」についての言及がされてあって、他の宗教書にはその言及がないのか。他の宗教書は、悪魔が人間に書かせたものだからではないかのか。
別に、聖書を贔屓しているわけではありません。ただ、そう考えると全てに筋が通ります。というのも、「聖書」を教典とするのはユダヤ教とキリスト教ですが、悪魔崇拝者たちは、なぜかこのユダヤ教とキリスト教をことさら特別に敵視しています。現に、彼らはユダヤ教とキリスト教の内部に入り込み、信者になった振りを装いながら、内部からこれらの宗教を破壊してきました。
○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。
金融ユダヤはその名の通り、悪魔崇拝者でありながらユダヤ教徒を名乗り、ローマ法王やイエズス会もまた、悪魔崇拝者でありながらキリスト教徒を名乗っています。彼らは本物のユダヤ教徒やキリスト教徒ではありません。彼らは紛れもない「悪魔崇拝者」です。
○悪魔崇拝者(イルミナティ)による世界支配の構造。その概略について。
このように彼らはそれぞれユダヤ教徒とキリスト教徒になった振りを装い、それぞれの宗教に大きな影響を与えつつ、その教理をねじ曲げてきました。今日、カルトと呼ばれるおかしな宗教が増えているのもそのためだと考えられます。
「タルムード」なるものも「ユダヤ教」の教典ではありません。今日、多くの方が誤解されていますが、タルムードは紛れもなく「悪魔崇拝」の教典です。ユダヤ教の教典はあくまで「旧約聖書」のみです。
エホバの証人などの異端とされているキリスト教の宗派もまた悪魔崇拝者が作った宗教です。統一教については、もともとは教祖・文鮮明がもともと純粋に聖書を布教しようとしていたところ、教団が大きくなった時点で、金融ユダヤに騙されて乗っ取られたものと考えられます。もちろん、信者の方々はこの事実を知らないと思いますが……。
一応、「イスラム教」も聖書を教典としてはいますが、「イスラム教」はヤハウェとは別のアラーという神を創出しています。ですから、この宗教もまた悪魔崇拝者たちが作ったものかも知れません。現に、今の時代もイスラム教はいつも金融ユダヤに都合のいいように利用されていますし……。
ということで、今回は「悪魔」と「悪霊」の違いについてお話をさせていただきました。
繰り返しますが、「悪魔」は堕落した天使のことを言います。「悪霊」はきちんと成仏できず、この世をさまよいつづけている人間の霊のことを言います。
もちろんこの話を皆さんが信じるかどうかはご自由ですが、悪魔崇拝者たちが「悪魔」と「悪霊」とを明確に使い分け、「堕落した天使」を拝み、「人間の霊」を拝んでいるわけではないということはご理解ください。
そして、もちろん悪魔崇拝者たちは、この悪魔ルシファーこそが神様ヤハウェよりも優れた存在である、と信じています。
次回は、「フリーメーソン」と「イルミナティ」の違いについてご説明します。以下のリンクからご覧ください。
○「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(2)
ーーーーーーー(転載ここまで)
これほどまでに、霊界について詳しく書かれている記述はありません。
中心者はとても霊的に敏感な方であり、神様に導かれて25年の練達に耐え抜き、相当な分量の義の条件を立て続け、霊界の解き明かしを我々に与えてくださいました。
霊的に苦しんでいる方は、多くの謎が解けたのではないでしょうか。
ですが、中心者はもっと大きな、「人間の苦しみの根本にある原因」が何なのかを教えてくださっています。
こちらの記事もご覧ください。
この御言葉の中で、神様はこれからこの世の中に厳しい裁きが下され、大艱難の時代がやってくると預言されています。
そして、その大艱難によって多くの人々が心を病み、滅んでいくだろうと仰いました。
しかし、世の人々が心を病んでいくのは、この世の経済が傾いていくからではなく、この世の治安が悪化していくからでもありません。
神の愛を受けられないからです。
どんな艱難の中にあっても、絶えず愛を受けて生きられる人は、心を病むことがなく、むしろ常に力と気力に満たされて生きられるものですが、誰からも愛を受けられない人は、少しの艱難に打たれるだけでも心を病んでしまうものです。
そして、私たち義人は神様と愛を成すことを知り、この世のどんな人の愛よりも偉大な神の愛を受けられるので、例えどんな艱難がやってこようとも、常に力と気力に満ち溢れ、喜びと希望の中で生きられます。
それこそ、どんな艱難も艱難と感じることはなく、どんな状況においても常に天国のような生を生きられるでしょう。
これからさらに多くの人々が神様に出会い、神様の愛を知って神様と愛を成し、これからの大艱難の時代を乗り超え、永遠に天国のような生を生きられますことを心から祈ります。
ーーーーーーー配信はこちらから
信仰とは、救いの道です。
神様は、この世にばら撒かれた悪魔の思想や文化から抜け出し、どうすれば救われるのかということを、中心者を通して「御言葉」で教えてくださっています。
地上の混乱や裁きの中で、人々が病んでしまうと預言されています。それは、神様が、地上に埋もれた救われるべき人を、救われるように導きたいからです。
真実を求めて、「御言葉」を探し出すようにと計画されているのです。
それでは、旅のお話しの続きになります。
翌日は、もしかしたら秩父ミューズパークの展望台で雲海が見られるかも知れないという情報を得たので、さっそく行ってみることにしました。
10月、11月が一番多く雲海が現れるとのこと。
月明かりの中、出発しました。深い霧に包まれつつ、車を走らせることになりました。(どうやら期待できそうです)
駐車場には、チラホラ車が停まっています。すでにウオーキングしている方が多くいらっしゃいました。
さっそく歩き出すと、三脚に折りたたみ椅子を抱えた、20代くらいのメンズが「おはようございます!」と元気よく挨拶して、展望台へ向かっていきました。(おそらくタイムラプス撮影)
日の出まで、あと数分というところで到着。ギリギリ間に合いました。
〈雲海が街を包み込んでいます〉
〈秩父公園橋が見えてきました〉
〈ロイヤルブルーの空の色〉
〈いよいよ日の出です〉
〈街の雲海が消えはじめました〉
〈山のくぼみから光が〉
〈ちょうど橋に光が差しました〉
〈美しい光景です〉
〈感無量の絶景〉
〈だいぶ明るくなってきました〉
〈朝日と秩父武甲山〉
〈本当に美しい〉
本当に、感動の光景でした。
主のサプライズかと思われるこの光景は、一生忘れません。
また別の機会で、この他の写真もご紹介したいと思っています。
地上はとても美しいものですが、天国は気絶するほど美しいといいます。(やっぱり、見たい)地上が天国に近づけるよう、天使天軍がもっとたくさん地上に降臨できるよう祈り求めます。
地上に埋もれている義人たちが、これから御言葉に出会えますように。
こちらの御言葉をどうぞ。
2024年12月1日(日)
聖霊を受けたということは、つまり天の霊が降臨したということだ。天の霊は私たち義人の上に降臨し、私たちと共にこの地上で主の御心を成していきたいと願っている。そうすることで、彼ら自身も天で昇進することができるからだ。(心のまっすぐな人しか聖霊を受けられない。)
2024年12月2日(月)
天の霊は、サタンよりもこの世の人間よりも数が多く、一人一人がどこまでも優秀で、力と権能に満ちている。そのような霊たちが私たちの味方についてくれるから、私たちは常に成すべきことを全て成就し、天国のような生を生きられる。
2024年12月3日(火)
普通の人はただ生活ができればいいと思い、無理して一級品を手に入れようとは思わないが、一級品を手に入れた人は、一級品の素晴らしさを分かって、一級品のない生活にはもう戻れないし、戻りたいとも思わない。天にあるものの素晴らしさを分かった人もこれと同じだ。(天にあるものの素晴らしさを分かった人に、主は惜しみなく祝福と恵みを与えてくださる。)
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だいぶ、朝方は冷え込むようになりました。
公園内を少し歩いて、一旦戻ることにします。
ローズマリーの花が咲いていたお店で、一休み。
この日の夕方、ようやく美しい日没の様子を眺めることができました。
さて、いよいよ最終日。
高速に向かう途中で、山々がよく見える場所があり、ちょっとだけ立ち寄ってみることにしました。
〈農道、鳥がたくさんいます〉
〈野菜の上に雀たち〉
〈上に雨雲が〉
〈近いですね〉
〈こんなに近い〉
〈こんなことあります?〉
強風の中、頭の上に雨雲がやってきました。
早めに帰ろうと車に乗ると、なんと、左側に牛がいました。(急で驚く)
〈牛が伏せている、まるで牛伏山のよう〉
〈角が生えそうで生えていない子牛と雄牛〉
耕作地の肥やしのためか、何頭か牛がいました。
興味シンシンに、こちらに子牛が近づいてきました。(餌場が空だったから、餌が欲しかったのだろうけど‥何もないからゴメンネ)
車を走らせた途端、ポツポツとお天気雨が降りはじめました。
後から牛伏山のパンフレットを見返すと、公園の方に像があったようです。
まさか、最後にこのような締めくくりになるとは思ってもいませんでした。
牛伏山と呼ばれるようになったのは、江戸時代あたりとのこと。
金の子牛のお話しをしましたが、牛の姿をして神と崇められているものは、悪魔のバアル神です。悪魔は自分を「神」だとすり替えて、人間に拝ませてきたのです。
古代から悪魔崇拝者が存在し、「神」だと騙されてきたわけです。
ですから本当の神様は、偶像崇拝は悪魔を崇めることになり、拝んだ人は悪魔のものになってしまうので、お怒りになるのです。(罪となる)
誰でも、なりすまされたら腹が立ちます。
中国人は、日本人になりすまして日本を乗っ取ろうとしたり、マイナンバーカードや保険証を悪用して保険料を安く済まそうと嘘をつきます。悪魔の性質とまるで同じことをしています。
こちらの記事をお読みください。
(2014年〜2016年の記事)
「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
ここ数日に渡って、「サナト・クマーラ」を拝む人たちがみんな妙見信仰の持ち主であり、「出雲族」の血統であるというお話をしてきました。
○ 「天皇派」の中で代々続いた内輪争いは「出雲族」と「大和族」の争いだった可能性大。「サナト・クマーラ」は「出雲族」の神様なのか。
○空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
○現首相・安倍晋三のルーツが陰陽師「安倍晴明」であり、「出雲族」である可能性について。
このように、現首相である安倍晋三までもが妙見信仰であり、「出雲族」である可能性が出てきたわけですが、こうなってくると、今や「出雲族」の力は「大和族」よりも強くなっているのではないか、と考えざるを得ません。
昨日もお話しました通り、この日本には「白山人脈」という「出雲族」の一大ネットワークが作られていて、彼らがこの日本の経済や政治を陰から大きく動かしています。それだけ「出雲族」の力が強くなってきているということです。
しかし、「出雲族」の力が強くなったからといって、「大和族」が弱体化しているというわけではないでしょう。「大和族」と「出雲族」が一つとなって天皇中心のNWOを推進しようとしていることは間違いありませんから。
場合によっては、「大和族」と「出雲族」の両方の血をもった天皇を即位させることで、彼らの争いを終息させようとしているとも考えられなくはありません。
実際、秋篠宮の「悠仁親王(皇位継承順位第3位)」は北朝と南朝の血がともに流れていて、彼が天皇に即位することで、北朝と南朝の争いに決着がつくなどとも噂されています。
〈悠仁親王〉
そもそも、単純に考えて、こういうことになりますからね。
■大和族 = シリウス信仰 = 南の星 = 南朝
■出雲族 = 妙見(北極星)信仰 = 北の星 = 北朝
まあ、それはそれとして、これだけ妙見信仰が日本に大きく広がった背景には、やはり「出雲族」の神「サナト・クマーラ」がそれだけ強大な力を持っているという証拠だと思います。
実際、「サナト・クマーラ」を拝む人たちは、「サナト・クマーラ」のことを「ルシファー・悪魔の頭」だとまで思い込んでいるようですし……。
とはいえ、一部には「サナト・クマーラ」をルシファーではないとする声もあります。私としても、「サナト・クマーラ」はやはりルシファーではないと思います。
なぜそう言えるのか……。
前に一度、以下のような悪魔の一覧を皆さんにご紹介したことがあります。(以下、ウィキペディアより)
〈最上級の悪魔〉
この三人の悪魔が、悪魔の中でも最上位の悪魔です。で、この三人の悪魔の下に以下のような悪魔たちがいます。
このうち、「ルキフェゲ・ロフォカレ」がロスチャイルドの召喚できる悪魔で、「サタナキア」が「教皇派=月派」の召喚できる悪魔ではないか、と私は推測していますし、恐らくこの推測に間違いはないと思います。(詳しくは以下のリンクをご覧下さい。)
○ロスチャイルドとイエズス会と天皇が悪魔を召喚するプロであるという証拠。
で、この悪魔の一覧表を見てみると、ここには「サナト・クマーラ」という名前はありません。当然です。「サナト・クマーラ」は「サタン・鞍馬」のアナグラムであり、正式名称ではないからです。
■「SANAT KUMARA」サナト・クマーラ
■「SATAN KURAMA」サタン・鞍馬
しかし、「サナト・クマーラ」がこれほど強力な悪魔である以上、この上位の悪魔のうちのどれかであることは間違いありません。
では、一体どれなのでしょうか。
結論から言うと、「ベルゼビュート(ベルゼブブ)」ということになります。その理由をご説明しましょう。
先ず、「サナト・クマーラ」は「スサノオ」と同一視されていますが、「スサノオ」はかねてからシュメール話の神「バアル」と同じであると言われてきました。その姿形が同じであり、やることなすことも全く同じだからです。
ーーーーーーー(以下、こちらから転載)
■日本の神話 = 素盞嗚尊(スサノオ)の別名は牛頭天王と呼ばれ、同じように牛の角を生やしている。素盞嗚尊(スサノオ)が人身御供で人間を食らう、頭が八つもあるヤマタオロチに酒を飲ませて酔わせてから退治する。その時にオロチの尻尾から、鉄の剣(草薙の剣)を手に入れる。
■シュメール神話 = 古代シュメールの伝える神の一つ、バール神は牛の角を生やしており、天候(暴風雨)の神といわれていた。太古シュメールの神話には、ヒッタイトの守護神である、7つの頭を持つ龍が人間を生け贄としていた。そこでバール神が、龍を酒に酔わせて退治する。すると龍の中から、ヒッタイトの鉄を手に入れる。
ーーーーーーー(転載ここまで)
で、旧約聖書を読んだ方ならば、「バアル」という名前は何度も目にしたはずでず。旧約聖書には「バアル」という名前が100回以上も登場しますからね。
旧約聖書の時代(つまり紀元前)、イスラエル民族はみんな神様「ヤハウェ」を拝んでいましたが、イスラエルの周辺地域に住んでいた別の民族たちは「バアル」という神様を拝んでいました。
それだけ「バアル信仰」が当時のメソポタミア地域に広く浸透していたということです。
では、この「バアル」が何者なのかといえば、上の表に出てくる「ベルゼビュート(ベルゼブブ)」のことなのです。
ーーーーーーー(以下、ウィキペディアより転載)
バアルは旧約聖書の著者達から嫌われており、もともと「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)と呼ばれていたのを「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)と呼んで嘲笑した。
この呼称が定着し、後世にはベールゼブブと呼ばれる悪魔の1柱に位置づけられている。
ーーーーーーー(転載ここまで)
このように「スサノオ」が「バアル」である以上、「サナト・クマーラ」も「バアル」ということになります。「スサノオ」と「サナト・クマーラ」は同一神ですから。
実際、以下のような記事も見付かりました。ちょっと長いですが、非常に重要な内容です。
(以下、こちらから転載)
さらに吉田敦彦の『神話の考古学』においてはデメテル神話(ギリシャ神話)とアマテラス神話の驚くほどの類似をあげている。
では日本神話とギリシャ神話のこうした類似はいったい何を意味しているのか?
こうした神話の類似はすなわち日本神話とギリシャ神話が同じ源をもっていることを示しているのである。
その源とはメソポタミヤ文明の神話であり、その神話が地中海地方やギリシャまで広範囲に伝播し拡散したのである。そして時代と場所によって少しずつ話の内容を変えながら伝わったのであろう。
■メソポタミヤの神話とギリシャ神話
紀元前5000年頃メソポタミヤに文明を築いたシュメール人はたくさんの神々を崇拝していた。
(註:現在の天皇家はもともとシュメール人だと考えられます。シュメールがスメルとなり、これに帝(みかど)という意味の「ミコト」を足してスメラミコト=天皇と呼ばれるようになったのです。)
天の神アヌ、その妻アントム、性愛と闘いの神イナンナ、アヌの息子エンリル、その妻ミリッタとムリルトウ、魔法の知識の主エンキ、その息子マルドウク、月の神シン、太陽神ウトウ、牧神ドウムジ、雷神アダト、冥界の神アヌンナキなど八百万の神々がいた。
これらの神々はその後、フェニキア地方やバビロニア地方に少しずつ神話の形を変えて継承されたのであった。
性愛の神イナンナはその後イシュタルとも呼ばれ、フェニキアではアシタロテと呼ばれ、さらにギリシァではアフロディテ、地中海地方ではビーナスと呼ばれた。
(註:ミロのビーナスのことです。つまり、ミロのビーナスも悪魔ということですね。)
21世紀の今日にいたって もセックス・シンボル的女性をビーナスと呼ぶのは、そこからきている。
■バアル神話の展開
どこの国の神々もそうなのだが、ある地方ではこんなストーリーでも別の地域では少し違ったり、他の神の話が吸収されていたり、イロイロである。しかしその神の基本的な性質は変わらない。
イナンナは小悪魔的浮気者であり、それは多少神話の異なるアシタロテもアフロディーテも同じであり、小悪魔的浮気者である。
性愛の神イナンナの恋人、夫の神は120もいるが、その中でも配偶神とされたのがタンムズとドウムジであり、これらの神話が折り重なって後のフェニキアのバアル神話となったのである。
そしてバアルはギリシャではアドニスと呼ばれた。バアルはアシュタロテの配偶神であり、アドニスはアフロディーテの配偶神である。
ドウムジ、タンムズ、バアル、アドニスと言う名前はそれぞれ、その地域の言葉で「土地の主」と言う意味である。
そしてこのアドニス神話が日本のオオクニヌシの神話とよく似ており、両者が同源であると言う事は、日本のオホクニヌシはバアルである事を示している。
日本のオホヌニヌシの名前も又「大国主」であり、「土地の主」と言う意味である。
ーーーーーーー(転載ここまで)
「大国主」とは「スサノオ」の息子のことです。
ですから、「スサノオ」はやはり「バアル」であり、「ルシファー」ではないということです。したがって、「サナト・クマーラ」も「ルシファー」ではありません。
では、「天照大神」が「ルシファー」なのでしょうか。
私もずっとそう思っていましたが、この記事を見た限りでは、どうもそうではなさそうです。
というのも、この記事の中に「バアルはアシュタロテの配偶神」とありますが、「アシュタロテ」とは上の悪魔の表に出てくる「アスタロト」のことです。
で、この「アスタロト」は女神です。
ーーーーーーー(以下、こちらより転載)
■アスタロトの起源
悪魔アスタロトの源流は旧約聖書「士師記」「列王記」などに登場する女神アシュトレトとされる。
「士師記」の冒頭で、カナンに侵攻したイスラエルの民は時がたつごとに本来信仰すべきはずだったヤハウェを忘れ、現地のバアルやアシュトレト信仰に傾くようになりヤハウェの怒りを買い、民に災難をもたらす。
「列王記」では老いたソロモン王が外国出身の妻に誘われて異教の神アシュトレト、ミルコム、ケモシを信仰し、ヤハウェを怒らせて最終的に王国分裂に繋がる。
アシュトレトはオリエント全域で崇拝された女神アスタルテであり、さらに遡ればメソポタミア神話のイシュタルにいきつくという。
イシュタルはウルクの豊穣神イナンナの信仰を核として、王権授与、王権を守る戦神と変遷し、ウルクが没落した後は“諸国の神”という都市国家の枠にはまらない破格の地位についている。
特に豊穣、戦神の神性は様々な王の信仰を獲得し、イシュタルは各都市国家の女神を吸収してオリエント世界における女神の普遍的名称として使われるようになった。
アスタルテはウガリット・カナンに起源をもつ女神だが、エジプトなどの外国に信仰が伝わるにつれ戦争の女神、王権の守護者というイシュタルに似通った神性を獲得し、シュメール・アッカドにおいて両者は習合、大いなる地母神としてギリシャ・ローマにまでその勢力を拡大させている。
ーーーーーーー(転載ここまで)
で、「日本書紀」と「古事記」の中に出てくる女神は「アマテラス」ですし、人によっては「スサノオ」と「アマテラス」が婚姻関係を結んだという説を唱えています。先日ご紹介した記事にもそう書かれてありましたね。
○出雲族と大和族の話(パート1) | 天の王朝 – 楽天ブログ
したがって、「バアルはアシュタロテの配偶神」という一文を、そっくりそのまま「スサノオはアマテラスの配偶神」と言い換えることができます。
ということは、「アマテラス」は「アスタロト」と同一神ということになります。「ルシファー」ではないということです。
となると、最後に残った三貴神のうちの一人、「ツクヨミ」こそが「ルシファー」なのでしょうか。
確かにそう考えると筋が通るような気もしますが、先ほども言いましたように、「月派」の神様はあくまで「サタナキア」です。「ルシファー」ではありません。
ですから、現段階での私の見解としては、「ルシファー」は「大和族」も「出雲族」も「月派」もすべてを支配しているということになります。
つまり、「ルシファー」はどれか特定の部族の神ではない、ということですね。だからこそ、悪魔の頭と呼ばれているのではないでしょうか。
ということで、現段階での結論はこうなります。
1.大和族の神 = アシュタロト
2.出雲族の神 = バアル
3.月派(教皇派)の神 = サタナキア
4.ロスチャイルドの神 = ルキフェゲ・ロフォカレ
5.ルシファーは彼ら全員の神。
6.ルシファーとバアル(スサノオ)とアシュタロト(天照大神)は悪魔の三位一体。
ーーーーーーー(転載ここまで)
牛の神と崇められているものは、悪魔バアルです。
その他諸々の由緒の神と言われているものも、歴史を辿っていくと「神」と偽っている悪魔ということになります。
しかし、近年、お寺が中国人に買われたり、神社の屋根が盗まれたりと、仏教・神道がだんだんと衰退しています。
記事を書いている最中、このようなニュースが。
悠仁さまご受験の筑波大「学校推薦型選抜」 一般入試合格以上の学力、科学五輪実績も要件
天皇家がこれからどうなるかわかりませんが、悪を続けるなら必ず裁かれることは間違いありません。悪が立ち行かない時代になっているからです。
この裁きの時代にどうすれば救われるか、神様は教えてくださっています。
最後に、こちらの記事をおすすめします。
RAPT有料記事888(2024年12月7日)ふらふらと揺れ動くこの世のものに心の拠り所を置くな。神様という不動の存在に心の拠り所を置いてこそ、自分の心も絶えず不動で、常に安心してこの世を生きられる。
これから大艱難の時代がやってくると、主はこれまで何度も御言葉を通して宣布してこられました。
サタンの支配する時代から神様の支配する時代へと移行しようしている今、サタンは最後の存亡をかけて様々な悪あがきをするので、この世には様々な災いが起きます。
しかし、神様を知り、神様の御言葉を学んでいる私たちは、サタンに対処する術を知っているので、サタンがどんなに暴れ回っても全ての対抗することができますが、御言葉を知らない世の人々は、サタンとどう戦っていいのか分からないので、ただサタンにやられて精神を病み、滅び去っていくしかありません。
そんな中で、彼らが滅んでいくのを止めるためには、ただ彼らに神様の御言葉を述べ伝えるしかありません。
そして、御言葉を受け入れた人はサタンとの戦い方を知って、自らの滅びを食い止めることができるでしょうが、御言葉を受け入れなかった人はそのままサタンにやられて滅び去っていくことになります。
今の時代、本当に何が起きるか分かりません。
全く常識では考えられないようなことが次々と起きる時代になりました。
そんな時代の中にあっても、皆さん一人一人が神様の御言葉に従って、絶えず祝福と恵みに満たされ、喜びと平安と希望の中で生きられますことを心から祈ります。
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RAPT有料記事889(2024年12月9日)この地に起きる災いを止めたいなら、大勢の人々を伝道しなさい。神様を呼び求める人が現れた分、神様の裁きも止み、サタンが起こす災いも阻止できるからだ。
今、この地上には今までにないような様々な災いが次々と起きています。
このような災いがどうして次々と起きるのかというと、それは神様が裁いたという場合もありますし、サタンが暴れ回って災いを起こしたという場合もあります。
しかし、私たち人間が神様を信じて、神様を呼び求めるなら、神様の裁きを止めることができますし、サタンが暴れ回って災いを起こそうとしても、それら全てを止めることができます。
ですから、この地に神様を呼び求める人が増えた分だけ、この地に起きる災いはどんどん減っていきます。
逆に言うと、この地に起きる災いを止めるためには、それだけ大勢の人々を伝道しなければならないということです。
皆さん一人一人がこの天の法則をはっきりと理解し、この世の多くの人々を救って、この地に起きる災いを次々と止めることのできる者となりますことを心から祈ります。
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日本のみならず、世界中で災害が発生しています。
神様を信じる人が多いほど、地上は裁かれるのではなく祝福の地となるのです。
上記の有料記事の中で、パウロのお話しがあります。ちょうど、聖書の使徒行伝を読んでいるのですが、パウロは偉業を成した中心者です。
この旅から帰って、また新宿に行かなくてはならない用事がありました。立ち寄ったお店には、ローズマリーの花が咲いていました。
恵まれた祝祭の日のような時間。
中心者の御言葉によって救われ、神様を信じたことで与えられる賜物です。
皆さんに、神様からの祝福がありますように。