神様の御言葉(2017年11月のまとめ)

RAPT有料記事221(2017年11月4日)主に出会って救われたことを愛と感謝でお祝いしなさい。〈11月11日の主の祝祭についての御言葉〉

今回の有料記事もまた、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
今回は特に、今年の11月11日の主の祝祭の日に関する啓示の御言葉をピックアップして掲載しています。
 
昨年、主は私たちに11月11日を、私たちと聖三位が出会って愛を成したことを記念する日として定め、お祝いしなさいと仰いました。
 
そして、私自身も昨年は家内とともにこの日をお祝いし、とても恵みに満ちた一日を過ごすことができました。
 
しかし、今年は教会も建てられて、多くの移住者や一時滞在者とともにこの祝祭の日を過ごすことになります。
 
そのため、主はこの日をどのように準備してお祝いしなければならないのか、またこの11月11日にはどんな意味が込められているのかについて、昨年以上に具体的に私たちに啓示を通して教えてくださいました。
 
しかし、単に愛媛の教会に集まれる人だけでなく、遠くの地で一人で信仰を守っている人たちも、できればこの日のために真心から準備し、11月11日を迎えて盛大にお祝いしなければなりません。
 
特に今年の11月11日は土曜日ですので、会社勤めをしている人も特別な日として過ごせるのではないでしょうか。
 
といっても、義務的にこの日をお祝いするのではなく、愛と感謝でお祝いしなければなりません。
 
では、愛と感謝でお祝いするとはどういうことなのかというと、今回の御言葉を読めば全てはっきりと分かるはずです。
 
そして、今回の御言葉をしっかりと守った人は、11月11日をどこまでも主と共に幸せに過ごし、一生の思い出となる一日にすることができるでしょう。

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RAPT有料記事222(2017年11月6日)この終わりの時における現在進行中の神様の愛と裁き。

今回の有料記事もまた、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
以前から何度もこの有料記事でお話してきましたように、これから主の裁きはどんどん加速していきます。
 
つまり、この世の人々を羊(義人)と山羊(悪人)に分けて、義人には祝福を、悪人には裁きを下していきます。
 
そして実際、この御言葉を聞いて信じて従っている人たちは、もう既に神様の愛を受けて祝福された人生を生きていますし、この御言葉を受け入れずに拒絶し、私や神様の悪口を言う者はもう既に裁きを受けて地獄のような生を生きています。
 
しかし、神様の御心はこの地に地上天国を作ることであり、その御心はまだ成就したわけではありません。むしろ、まだ始まったばかりだと言っていいでしょう。
 
とはいえ、神様の成したいと願ってきた地上天国がここまで具体的に成されるようになったのは、これまでの人類史上初めてのことだと言っても過言ではありません。
 
これまでにも数多くの中心者がそれを成そうとしてきましたが、全てがことごとく失敗に終わってしまったからです。
 
ですから神様は今、我々が成している主の働きを見て大いに喜ばれておられますし、実際に我々にこれでもかと言わんばかりの祝福を下さっています。
 
しかし、それと同時に、神様はこの主の歴史を意図して破壊しようとする者、意図せずして破壊しつつある者に対しては、どこまでも激しい怒りを覚えておられます。だからこそ、これからますます主の裁きも加速していくわけです。
 
今回は、私とレビ人が受けた啓示の文章を掲載していますが、そんな神様の義人に対する愛と喜びの心情、そして悪人に対する激しい怒りと裁きの心情が強く感じられるものとなっています。

RAPT有料記事223(2017年11月11日)愛の心をもって御言葉に従順に従う者がサタンに勝利し、偉大な使命者として選ばれる。

本日は、主の祝祭の日である11月11日になります。
 
皆さんはこの日一日、どのように過ごしていますか。
 
神様の愛をいつも以上に豊かに受けて過ごせていますか。
 
それとも、いつもと同じ一日を過ごしていますか。
 
私自身は愛媛の教会に集まった人たちと共に過ごし、驚くべきしるしと奇跡に満ちた一日を過ごしていますが、その間を見計らって記事をアップしています。
 
今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載していますが、今回は自分自身が羊となるか、山羊となるか、その運命を分けるような御言葉となっています。
 
今日の御言葉を一言で言うなら、愛をもって御言葉に従順に従う者は義とされて祝福され、愛もなく御言葉に不従順に生きる者は不義とされて裁かれるというものです。
 
これは今まで何度も繰り返し出てきた話ですが、私たち人間はともするとこの重大な事実を忘れてしまいがちです。
 
なぜなら、主は常に皆さんが悔い改めるのを忍耐強く待っておられるので、例え御言葉に不従順に生きたとしても、即座に裁かれることがないからです。
 
そのため、御言葉に不従順に生きても裁かれることはないと思って油断し、高を括るようになるのです。
 
そして当然のことながら、主はそんな人のことをいずれ裁かれ、主の御国から追い出してしまいます。
 
しかし、裁かれるから従うとか、裁かれないから従わないとか、そんな基準で生きる人はそもそも主に対する愛のない人です。
 
主はご自身を心から愛する者をどこまでも愛され、祝福される方です。
 
この事実を平素から忘れることなく、常に愛の心で主の御言葉に従って生きる人は真に幸いな人だと言えるでしょう。

RAPT有料記事224(2017年11月13日)11月11日は主と私たちが互いの愛を確認し合い、互いの愛を深め合う日だ。〈主の祝祭の日についての御言葉〉

今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
今回は、11月11日の主の祝祭の日に受けた啓示と、その翌日に受けた啓示を掲載することにしました。
 
主があらかじめ啓示してくださっていた通り、11月11日にはサタンの妨害が全くなく、むしろ聖霊の恵みに満ち溢れて、明け方から私自身も次々と不思議なしるしと奇跡を体験しました。
 
これについては、朝会の御言葉の音声の中でも既にいくつか証をしていますし、これからも証をしていくことになると思います。
 
しかも、読者の皆さんからも、11月11日に受けた恵みについて次から次へと恵み深い証言のメールをいただいています。
 
これらのメールは、できれば近いうちに「読者の証言」でも取り上げたいと思っていますが、とにかくこの日は多くの方たちが朝から晩まで聖霊の恵みに満ち溢れた一日となったようです。
 
そして今回の有料記事では、その翌日の12日に以降から再びサタンの攻撃や妨害が激しくなるという話もしています。
 
では、どうして神様はこのようなことをなさるのか、どうしてこのようにしなければならないのか、今回の啓示を通してとても分かりやすく主が話をしてくださいました。
 
また、11日には全く恵みを受けられず、むしろ裁かれてしまったという人もいたかも知れませんが、その裁きもまた主が皆さんとの愛を深めたいがために下された裁きです。
 
つまりは、全ては愛によって恵みも裁きも下されたということです。
 
今回の啓示を通して、神様のそんな愛の心情と、皆さんに期待する心情を深く悟ってくださることを願います。

RAPT有料記事225(2017年11月18日)これから主の裁きはますます加速していくから、裁きの巻き添えを食わないように悔い改めて主にすがりつきなさい。

今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
今回の御言葉は、大きく分けて3つの内容になっています。
 
まず一つ目は、主から使命を受けるに相応しい者がどのような者なのかについて。
 
二つ目は、タイトルにも書きました通り、主の裁きがこれからますます加速するというお話です。
 
これまで愛媛の教会には工作員とおぼしき者たちが度々紛れ込んできましたし、未だにネット上では性懲りもなく私の悪口を書いて拡散している愚かな者たちがいます。
 
彼らのほとんどは私の有料記事を読み、朝の祈り会の配信を聞いているとしか思えない連中ばかりですが、そうやってこの御言葉を見聞きしているにもかかわらず、彼らは自らの悪行をやめようとはしませんでした。
 
そんな彼らの姿を見て、主の怒りはついにピークに達した、と主ご自身が仰られました。
 
実際、私の悪口を言っていた者たちは次々と裁かれていますし、それだけでなく、日々のニュースを見れば分かる通り、主の怒りが肌身に感じられるほどイルミナティの連中に次々と恐ろしい裁きが臨んでいます。
 
しかし、私たち神様を信じる者も、そんな主の怒りを見て他人事と思わず、どこまでも自らの罪を悔い改め、自らを清めて、主の裁きに巻き込まれないように注意しなければなりません。
 
そして三つ目は、私たちが聖三位の行き交う受け皿とならなければならないというお話です。
 
聖三位の受け皿となる人がこの地上に現れなければ、この地に聖三位が降臨することができず、この地で聖三位が強力に働くことができません。
 
二千年前にキリストや使徒たちが強力に主の御心を成すことができたのも、彼らの上に聖三位の霊が強力に臨んだからに他なりません。
 
では、どうすれば私たちが聖三位の行き来できる受け皿となれるのか。
 
今回の御言葉を通して、皆さんがその主の法則を深く悟ることを願います。

RAPT有料記事226(2017年11月20日)霊肉ともに実力を身につけた者が大使徒となり、十二弟子となる。

今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
私たちは誰でも、人間として生まれてきた以上、何かのために役に立ちたいと思って生きています。
 
家族のため、会社のため、仲間のため、友達のため、あるいは平和のため、環境のために生きたいと願って生きています。
 
もちろん、中には単に自分さえ幸せに生きられればそれでいいと思っている人もいるでしょう。
 
しかし、単に自分のために生きるのではなく、この世の何かのために生きる人がより次元の高い人だと言えますし、それよりも高い次元にいる人が、まさに神様のために生きる人です。
 
そしてその神様は、この世の全ての人々が救われて、全世界に地上天国が成されることを強く願っておられるわけですが、そんな神様の願いを叶えてあげる人こそ、この世で最も次元の高い位置にいる人だと言えるでしょう。
 
とはいえ、そんな神様の願いを実際に叶えてあげるためには、霊的にも肉的にも相当な実力を備えていなければなりません。
 
だからこそ、神様は私たち義人にどこまでも厳しい練達、修練、訓練を強いられるのですが、それら全てに耐えて乗り越え、神様の願いを実際に叶えていく人が、ゆくゆくは大使徒となり、十二弟子となっていくのです。

RAPT有料記事227(2017年11月25日)自分をよく見せるために人前で善を行ってはいけない。

今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
今回の御言葉は、大きく分けて3つの内容になっています。
 
まず一つ目は、神様が認める善とはどのような善なのか。
 
この世の中では、人前で善いことをすれば善い人として認められます。
 
しかし神様の世界では、人前で善を行って人々から善人として認められようとすることを偽善と呼び、厳しく断罪されます。
 
今回、愛媛の教会の中でもこのような偽善を行い、かつその偽善を見抜かれてレビ人から指摘された際に、怒り狂ってレビ人の悪口を言う人が現れました。
 
これはまさしくパリサイ派・律法学者が行ったことと全く同じことです。
 
彼らもまた人前で善を行い、自分たちのことを善人だと思って高ぶっていましたが、イエス様から偽善者だと指摘されたとたん、怒り狂ってイエス様を十字架につけて殺してしまいました。
 
これと同じようなことが愛媛の教会の中で起きたわけですから、これは実に大きな問題であり、神様もこの問題には激しい怒りを下されました。
 
二つ目の御言葉は、祈りは必ず叶うということです。
 
こうして御言葉を聞いている私たちは、悪人が滅び、義人が栄え、地上天国が実現することを心から願っているはずです。
 
しかし、この願いはもともと私たちの願いではありません。神様の願いです。
 
私たちがこのことを心から願っているのは、私たちがただ神様のその願いを知って共感したからです。
 
ですから、我々がこれらのことのために真心を込めて祈るなら、神様がその祈りを聞いてくださらないはずがありません。
 
三つ目は、間違った考えを持つことの恐ろしさについて主が改めて語ってくださいました。
 
どんな小さな間違った考えも、それを捨てなければ脳全体の考えをあっという間に腐らせてしまいます。
 
ケーキの一部が黴びてしまうと、その黴がケーキ全体あっという間に覆い尽くしてしまうのと同じように。

RAPT有料記事228(2017年11月27日)神様の世界では次元の高い愛が義とされ、次元の低い愛は罪とされる。

今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
これまでこの御言葉の中で何度も伝えてきました通り、私たちの信じる神様はどこまでも豊かな愛をもった神様です。
 
しかし、神様が我々に対して抱いている愛は、私たち人間が考えている愛とは根本的に違います。
 
これについてはこれまで何度も話してきましたが、愛媛の教会に通う人たちの中にも、未だに神様の愛をきちんと理解できず、間違った愛で人を愛する人が現れ、それによって大きな問題が発生しました。
 
その人は、皆で食事をしているときに、一人だけ子供とじゃれ合ってその場の雰囲気を乱し、さらにはそのことを指摘してきた兄弟姉妹について、陰であれこれと悪口をまくし立てました。
 
そうすることで、自分はあいつよりも子供に対する豊かな愛を持っているとアピールしようとしたわけですが、真に愛を持っている人がどうして皆の楽しい雰囲気を壊したり、陰で他人の悪口を言ったりするでしょうか。
 
この時点で、この人が真の愛を持ってはおらず、自分勝手な歪んだ愛を持っていることが分かります。
 
神様が仰られる愛はどこまでも次元の高い愛であり、その愛こそが神様の前で義とされます。
 
一方で、この世には次元の低い愛があり、その愛は神様の前では罪とされます。
 
神様の世界では同じ愛という行為をしても、一方では祝福され、一方では裁きが下されるのです。
 
今回はこの愛の問題について、主がまたしても深い啓示の御言葉を私たちに与えてくださいました。

いかがでしたでしょうか。

神様は、全人類を見つめています。

コロナパンデミックの渦中で、神様の裁きに気付き、今までの罪を悔い改めるよう人々を導かれています。

しかしながら、このような状況においても欲望を剥き出しにして生きるのであれば、サタンに人生を奪われて、生きていることが辛いまま人生が終わっていくでしょう。

神様を信じて祈るなら、確実に人生は変わっていきます。罪を悔い改めて、祈り求める人を神様は救ってくださいます。

これは、実際に行った人だけが理解できます。

サタンの支配している世の中から抜け出し、神様が祝福してくださる地上天国で生きたい、生きてみたいと望むなら、神様の御言葉があなたを救うでしょう。

キリスト教として世の中にある、今までの宗教では救われません。近くの教会に行っても、残念ながら偽の真理しか語られないのが現状です。

本当の救いは、使命者が語る「神の御言葉」でなければ意味がないのです。

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