神様の御言葉(2016年 4月のまとめ)
RAPT有料記事55 (2016年4月2日)潜在能力を最大限に引き出す方法。
人間に「霊魂」がある以上、「潜在意識」のようなものが存在していることは確かだと思いますが、この世の人々の大半はこの「潜在意識」をどのように使いこなせばいいのか、その方法を全く分かっていません。
もちろん、それは当然のことです。
人間は「霊魂」についての知識を全く持っておらず、誰からもそれを使いこなす方法を教わっていないからです。
そのため、この世の人たちの大半が「潜在意識」を一生使いこなすことなく、「潜在能力」を生かし切れずに生涯を閉じてしまいます。
人間として生まれて、これほどもったいない話がどこにあるでしょうか。
では、どうすれば自分の中にある「潜在意識」を使いこなし、「潜在能力」を最大限に引き出すことができるのか……。
この世の中ではその方法について、色々な人たちがあれこれと複雑に難解に語っていますが、「聖書」の言葉を使えば、その方法をとても易しく説明することができます。
その方法はそんなに難しいものではありません。
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RAPT有料記事56 (2016年4月4日)自分の人生をおいしく作る人、まずく作る人。
同じ材料を使って料理をしても、誰が作るかによって料理の味は全く違ってきます。
おいしく作る人もいれば、まずく作る人もいます。
人によっては甘く作り、酸っぱく作り、塩辛く作り、ある人は誰の口にでも合うように作ります。
その味はまさに千差万別と言っていいでしょう。
これと同じく、我々人間も生まれてきたときには誰もがほとんど同じ身体をもって生まれてきますが、この世を生きている間に人それぞれが千差万別の人生を作り上げていきます。
おいしく人生を作る人もいれば、まずく人生を作る人もいます。
そうしておいて、一方では自分の人生に満足して喜んで生き、一方では自分の人生に絶望して嘆きながら生きています。
しかし、たった一度しかない人生なので、誰もが自分の人生をおいしく作りたいと思っているはずです。
でなければ、この世に生まれてきた甲斐も、この世で生きている甲斐もなくなってしまうからです。
では、どうすれば自分の人生をおいしく作り、その味を深く噛み締めながら生きていけるのか。
今回はこのような観点から、「聖書」のお話をしたいと思います。
RAPT有料記事57 (2016年4月9日)真に知るべき知識を数多く得て生きる。
このブログの読者の皆さんであれば、知るべきことを知って生きることと、知らずに生きることとにどれほど大きな違いがあるのか、一度ははっきりと実感し、体感したことがあると思います。
そして、知らずに生きていたとき、自分がどれほどムダなことを行い、どれほどムダなお金や時間を投資して、多くの損を被ったかを思い、今さらのように嘆いている方もいらっしゃるかもしれません。
というか、ほとんどの方がそのような体験をしたことがあるのではないでしょうか。もちろん、私とて例外ではありません。
ということは、逆に真に知るべき知識を数多く得られれば、それだけムダなことも行わなくなり、ムダな時間やお金を使うこともなくなって、損をすることがなくなるということです。
むしろ、お金も時間も真に価値あるところに使い、真に実りのあることだけを行って、多くの有益を得て生きられるようになることでしょう。
そしてもちろん、肉的に知れば、肉的に得て、霊的に知れば、霊的に得られるようになるはずです。
そして、一生の間、あるいは永遠に至るまで、実り豊かな祝福に満ちた人生を生きられるようになるに違いありません。
ところが、悲しいことに、この世の人々の多くは、学ぶ時間をケチり、学ぶ労苦や努力をケチって、知るべきことを知らずに生きていきます。
あるいは、偏見を持ったり、邪推をしたりして、真に学ぶべきことを学ぼうとはしません。
そうして、知る必要もないことばかりを知って、ガラクタのような無益な知識ばかりを頭に詰め込み、自分の人生をどんどん破滅へと追い込んでいきます。
それがこの世の現実です。
私たちはそんな悲惨な人生を送らないためにも、真に知るべきことを知って、しかもできる限りたくさん知って、たった一度しかない人生を限りなく有益に、有意義に、実り豊かに生きなければなりません。
RAPT有料記事58 (2016年4月11日)天の知恵を得て生きるという特権。
前回の有利記事では「知識」を得ることがどれほど重要なことなのかについてお話しましたが、今回は「知恵」をもって生きることがどれほど重要なことなのかについてお話しています。
知識がいくら沢山あったとしても、その知識をうまく生活の中で使いこなすことができなければ、その知識は何の意味もなく、何の役にも立ちません。
この世には多くの知識を持っている人が大勢いますが、その知識を生活の中でしっかりと活かしきれている人がほとんどいません。
そうしておいて、自分が学んできたものは何の役にも立たなかった、あるいは自分が行ったことは何の意味もなかったと言って、後でぶつぶつと文句を言い、自分は不運だ、自分には運がない、神様は自分を見捨てたのだといって嘆きます。
沢山の知識を吸収したのなら、その知識を「知恵」をもって使わなければなりません。
それと同時に、必要な知識と不必要な知識、使うべき知識と使うべきでない知識をきちんと分別する「知恵」を持たなければなりません。
では、どのようにすればそれだけの「知恵」を得られるのか。
その答えはたった一言です。
今回の有料記事ではその「たった一言」の答えをお話すると同時に、その「知恵」をどのようにして生活の中で得て、使っていけばいいのか、また「知恵」を得ることによって人生にどれほどの差が生じるのかについてお話しています。
RAPT有料記事59 (2016年4月16日)この世の誰もが「個性」の王様だ。
人にはそれぞれ個性があります。
人はそれぞれ顔も全く違い、体格も全く違い、性格も違い、考え方も違い、好きなものや嫌いなものも違います。
また、人それぞれ才能も能力も全く違います。
ある人は数学が得意で、ある人は料理が得意で、ある人は絵が得意で、ある人は工作が得意です。
どんなに数学が得意な人でも、料理の得意な人の前では頭が上がりません。
また、どんなに料理が得意な人でも、絵をうまく描く人の前では頭が上がりません。
なのに、その人が絵をうまく描けないからといって、「この人はいらない」と言って切って捨ててしまうと、今度はおいしい料理を作ってくれる人がいなくなってしまい、自分にとっても大きな損失となります。
この世の中の一人ひとりが「個性」の王様です。
だから、本来ならこの世の中には切って捨てるべき人は誰もいないはずです。
しかし、この世の多くの人々が、自分の中に眠っている個性や才能を見付けようともせず、見付けてもそれを開発するための努力をせず、一生をムダに終えてしまうことがほとんどです。
そうしておいて、あの人はこれができるのに自分にはできないと言って自分を責め、自信を失い、さらには人を羨み、妬んだりもします。
あるいは逆に、せっかく自分の能力を開発して人の上に立つようになっても、人前で威張るだけで、他の人の個性を伸ばそうともせず、ただ他人を軽んじるばかりの高慢な人たちも大勢います。
時代が経つに連れて、この世の中はどんどんそのような冷たい世界になりつつあります。
一人ひとりが個性の王様となり、それぞれの分野をよりよく開拓していく、そしてそのような人を一人でも数多く育てていく……。
これからはこのようなことがより強く求められる時代になっていくでしょう。
RAPT有料記事60 (2016年4月18日)個性と才能をさらに強烈に光り輝かせる方法。
前回の有料記事では、この世の誰もがそれぞれ特別な「個性」を持っているので、誰でもこの世で光り輝く存在になれるというお話をしました。
しかし、そのためには当然、自分の才能や個性をそれぞれが見付け出し、きちんと開発していかなければなりません。
また、人を指導する立場にいる人たちも、人それぞれの個性や才能をきちんと見付け出し、引き出し、伸ばし、育ててあげなければなりません。
そうすることによって、初めて自分自身もその人自身もさらなる有益を得られるようになるのです。
そこで今回は、自分や他人の個性や才能をさらに引き出し、伸ばし、さらに有益なものとして使えるようになるためにはどうすればいいのか、その方法についてさらに具体的に踏み込んでお話しています。
そして、それはそんなに難しい話ではありません。
この世の自己啓発やスピリチャル系では、その方法について実に複雑に小難しくあれこれと話をしていますが、彼らがそのような話しかできないのは、結局のところ、自分自身がきちんと自分の個性や才能を伸ばしていないからでしょう。
自分がやってもいないことをさもやったかのように話すから、誰にも理解できないトンチンカンな話ばかりするしかないのです。
RAPT有料記事61 (2016年4月23日)祈りは神様との愛の対話だ。
一般記事で、聖書を読んだり、お祈りしたりすると、神との一体感や全知全能感を得られるという話をしました。
そして、それは実際にその通りなのですが、神様に対する祈りは、単にそのような錯覚状態に我々を陥れるというものではなく、現実に我々の霊魂と神様とが疎通できる状態にしてくれるものです。
さらには、この地上界においても、我々の祈ったことが現実に叶えられるようになります。
そして、有料記事の読者の皆さんの中には、既に数多くの方々がそのような体験をしておられることと思います。
とはいえ、神様に対する信仰を持つようになっても、なかなか祈りがうまくできないという方もいらっしゃるかも知れません。
そして、祈りがうまくできないと、信仰もなかなか長続きしません。
恋人どうしが互いに会話をしなくなれば、いずれその関係が切れてしまうように、「祈り」は神様との対話なので、神様との対話である「祈り」が切れてしまえば、当然、神様と関係が遠くなるしかないからです。
しかも、祈らなければ、当然、神様からもらえるべきものももらえなくなってしまいます。
聖書に書かれてある通り、神様は祈ってこそ与えてくださる方だからです。
なので、逆にこの「祈り」がうまくできるようになると、神様と関係がどんどん近くなり、最終的には神様からの祝福で豊かに満ち溢れるようになります。
今回もまた「祈り」について、いつもとは別の観点からお話したいと思います。
RAPT有料記事62 (2016年4月25日)現実ばかり見ないで、将来のことを考えて希望で行いなさい。
未だに私のところに「祈り」より「努力」することの方がもっと大事なのではないかと質問してくる人がいます。
要するに、私のブログをろくに読まずに、私が書いたことを全て分かった気になって質問してきているわけです。
はっきりと言いますが、私が言っているのは、「100%の努力」と「100%の祈り」、その両方が必要だということです。
その両方が揃ってこそ、初めて自分の願いも叶えられますし、ひいては死んだ後に天国に行くことができます。
現実に、この世の中にはどんなに努力しても全く報われない人も大勢います。
逆に、祈ってばかりいて、何も得られない人も大勢います。
だからこそ私は、「100%の努力」と「100%の祈り」の両方が絶対的に必要である、と口を酸っぱくして言っているのです。
しかしながら、現実に「100%の努力」と「100%の祈り」を毎日のように続けるのは大変なことです。
だから、私がいくらこんな話をしても、「100%の努力」と「100%の祈り」をやめてしまう人もいるかも知れません。
どうしてそんなことになってしまうのか、その理由は多々あるとは思いますが、その中でも特に大きな理由が、今の現実だけを見て、将来に対する希望を失ってしまうから、ということではないでしょうか。
しかし、将来に対する希望で満ちている人は、例え現実の中でどんなに大変なことがあっても、どんな大きな挫折に見舞われても、諦めることなく最後まで「100%の努力」と「100%の祈り」をたゆまず続けます。
そして、そのような人はどんな大きな夢をも、いつか必ず成し遂げることでしょう。
RAPT有料記事63 (2016年4月30日)もう一つ深い段階で祈り、もう一つ深い段階で神様と疎通する方法。
先日の有料記事で、お祈りについてかなり具体的にお話しましたところ、多くの読者の方々から、お祈りが深くできるようになったとか、お祈りが叶えられるようになったとか、お祈りを再びやろうと決心するようになった、などといったメールをいただくようになりました。
そのようなメールを読みながら、私もとても嬉しく思いました。
皆さん一人ひとりにはご返事できていませんが、この場を借りてお返事とさせていただきたいと思います。
このようなメールを見る度に、やはり神様に対する祈りは、我々の人生を根底から覆してしまうほどの強力な武器だということがよく分かります。
そして、それがはっきりと分かった人は、決して祈りを中断しようとは思わないでしょうし、むしろもっと深くお祈りできるように必死で努力しようとすることでしょう。
そして、そのように決心して行う人は、神様からのさらに大きく祝福されるようになりますので、さらに深いお祈りができるようになる、という好循環に入っていきます。
私としては、有料記事の読者の皆さんには、ぜひともその段階まで挑戦してほしいと心から願っています。
そこで今回は、さらにもう一つ深い段階でお祈りするためにはどうすればいいのか、その具体的な方法についてお話しています。
と同時に、今回のお話はこれまでの有料記事を総合的にまとめたような内容にもなっているかと思います。
ですから、これまでの有料記事を読んでよく分からなかった部分、またはよく悟れなかった部分を、また新たな角度から、また新たな次元で悟れるようになるのではないかと思います。
いかがでしたでしょうか。
より良い人生を生きようとする知恵のある人は、愚かな人には自分から近寄ろうとはしません。
今回のお話は、祈りについてとても重要な内容となっています。
聖書の歴史を振り返ってみると、祈らずに滅びてきたものがたくさんあります。
神様は、一人ひとりに個性と才能を与えてくださっています。
しかし、サタンは個性と才能を見つけられないように、祈りの時間を奪い去ろうとしてきます。神様と繋がる大切な時間を、絶えず邪魔してくるのです。
一人ひとりが認識を間違えず、絶えず神様と共に生きていくことができますように。