本当の救いとは何かー2

皆さん、こんにちは。

政治家たちがどんどんとボロを出し、墓穴を掘っています。

ネット党首討論で、立花孝志が帰化人から議席を10億円で買いたいということを話し出し、「議席を10億で買うのは高すぎる、自民党の先輩から聞いた話によると、3億くらい」などと山本太郎がコメントしていました。

ということは、「議席は売買されている」のですね。RAPT理論プラスアルファの記事を読んでいて、吹き出してしまいました。これは値段の問題ではなく、売り買いされていることが問題な訳です。

北海道知事の鈴木直道とニトリ、橋下徹と上海電力の悪質な売国行為もさらに問いただされています。

北海道民は、中国人の領土にされてもいいのですか?このターニングポイントの時に動かなければ、チャンスを逃してしまします。

近年、爆発的にニトリが拡大し店舗数が増えました。

それは、何故でしょうか?

日本の企業は中国共産党と手を組んで、ウイグル人を弾圧して強制的に働かせて利益を出しています。ウイグル人は無理矢理拘留され、拷問を受けています。

そのような状況で作られたものを、皆さんは購入したいと思いますか?血と涙と汗で作られた品物を気軽に手に入れられて、気分がいい筈がありません。

安ければいい、どのように生産されたかなどは、どうでもいいのでしょうか。

中国人に仕事を与えて、日本を栄えさせるつもりがないのでしょうか。

SDGs何てものは地球も人も救わないし、むしろ目に見えないところで誰かを犠牲にしています。ただの利益目的の延長であり、人口削減の一環です。

日本で物品が販売されているとき、強制されて拷問されていることは全く知らされていません。他の国でも同じように、現実は知らされていません。

しかし、これからはどのように生産され、製造されたかしっかりと把握して購入していくという選択が大切なのではないでしょうか。

悪人の片棒を担ぎたくはありません。

目を背けてはいけないのです。

こちらの記事をご覧ください。

日本企業のウイグル人強制労働問題に対する取組みに関するフォローアップ調査についてのご報告

2020年3月、オーストラリアのシンクタンク「オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)」が、世界の有名企業少なくとも83 社のサプライチェーンに組み込まれている中国の工場で、収容施設から移送された8万人以上のウイグル人が強制労働させられているとの詳細な調査報告書を発表しました。その中には、日本企業の名前も含まれています。

日本ウイグル協会では、2020年4月にそれらの日本企業へ質問状を送り、報道の事実確認や今後の対策について質問させていただきました。そして、企業からの回答も公開しました。

ASPIの調査発表以降、欧米ではアメリカのアパレルブランド大手パタゴニア、スウェーデン衣料品大手H&M、イギリスの小売り大手M&Sなどの企業が撤退や取引停止などの対策を発表し、アメリカ、イギリス、カナダなどの各国政府が輸入禁止などの対策を相次いで発表しています。

2020年12月、ウイグル人の強制労働と日本企業の関与に関する報告書作成やASPI報告書の概要を日本語訳した国際人権NGO Human Rights Nowと共同で、「貴社のウイグル人強制労働問題に対する取組みに関するフォローアップ調査」と題する調査票を日本企業各社に送り、パナソニック以外の全ての企業から回答を頂きました。こちらからお送りした調査票はこちらです。企業からの回答は以下の通りです。※2021年2月13日現在

 (1)株式会社日立製作所
 (2)株式会社ジャパンディスプレイ ※2021/5/21回答差し替え
 (3)三菱電機株式会社
 (4)ミツミ電機株式会社
 (5)任天堂株式会社
 (6)ソニー株式会社
 (7)TDK 株式会社
 (8)株式会社東芝
 (9)株式会社ユニクロ
 (10)シャープ株式会社
 (11)株式会社良品計画
 (12)株式会社しまむら
 (13)京セラ株式会社
 (14)パナソニック(期限内の回答が無かったため、1月29日に電話して対応を促しました。電話対応した方は「担当部署に伝える」と言っていましたが、その後も回答が来ていない状況です。)

ーーーーーーー転載ここまで

回答後は、改善されたのでしょうか。パナソニックは、回答すらしないという姿勢です。

「手足に鎖の生徒」と「集団レイプ」、女性たちが証言する中国の収容施設の内側

やはり、あまりにも安すぎる商品は、何らかの「からくり」があるのです。企業は、仕入れる価格と儲けの分を考慮して値段をつけます。当たり前のことです。

しかし、生活全般を任される専業主婦や、社会に出て働いたことがない人たちの中には、世の中の現状を理解していない場合があります。

もちろん、それぞれ生活していかなければならないので、綺麗事ばかり言っていられないこともわかります。

それでも、ひとり一人が少しずつ意識を変えて選択していければ、世の中は変わっていくのです。

私は、丹精込めて職人さんの作ったものが好きです。購入する時は、少々値がはりますが、使い込むと味わいが出てきます。

あらゆる文明が発達している中で、いま以上の何かが開発されるとしたら、どのようなものでしょうかね。

すみません、話が逸れてしまいました。本題に入りたいと思います。

前回は、霊のお話しをしました。

霊を育てることで、霊が成長していきます。霊を磨いて成長させることを知らない人たちは、霊が死んでいる状態です。

ですから、世の中のほとんどの人たちは霊が死んでいる状態です。

イルミナティや闇の権力者たちは、霊が死んでいる人たちをコントロールすることは容易なことで、洗脳しやすいということをわかっています。

ですから、目に見えない世界の真実を人類にひた隠しにしてきました。

霊は怖いとか呪いなどの恐怖を植え付け、目に見えない世界に人々があまり近づきたくなくなるように誘導してきたのです。

これからも、ずっと霊を眠らせておいて、奴隷として搾取していきたいのです。モーセの時代、イスラエルの民たちがエジプトで奴隷だったように、強制労働させ、虐待されてきたように人々を苦しめたいのです。

神様は、人類を愛して救いたいと思っています。ですので、人類に嫉妬している悪魔たちは、ことごとく反逆して人類を神様から引き離そうとばかりします。

神様が、人類を愛しているというなら、なぜ助けてくれないのかと考える人がいるかもしれません。

それは、聖書にたくさんの実例がある通り、悪魔にそそのかされて神様を愛さなくなり、金の子牛を拝みだしたり、他国の神を拝み出したり、肉の欲望のまま生きるようになって罪を犯してきたからです。

現代人は、無神論で神様すら存在していないと考えています。本当に、どうしようもありません。

人は、すでに生まれた時から悪魔の洗脳にまみれた世界で育っているので、なかなか神様の世界に気がつくことができません。

それだけ、この世界が悪魔の洗脳だらけだということです。学校で嘘の歴史を学び、嘘の科学を学び、悪魔の思想が入った文学を学んでいるのです。洗脳されても仕方がないことです。

そして、部活動で縦社会を学び、社会に出ても従順になるように仕向けています。

私は、振り返ってみるといい先生たちに恵まれていたのかも知れません。

教科書に載っていないことをたくさん話してくれた、社会情勢に詳しい社会の先生や(やたらと古代文明のロマンを語り、中国共産党やポルポトの残忍さも伝えてくれた)、才能を伸ばそうとしてくれた美術の先生(生活指導で厳しいが本当は優しい)、生徒たちひとり一人気にかけてくれた体育の先生(厳しいが面白い)、昔の人の生活や価値観を細かく教えてくれた古典の先生(生徒を黙って見守るが悪いことは厳しく叱る)‥。大人の役割を果たしてくれました。

教育は大事なことです。

何を学ぶかが本当に重要なことです。

霊と肉は脳を共有しています。

ですから、考えと行動によってその人の人生は決まっていきます。

考えもつかないことを肉体が実行することはありません。欲望のままに生きて、罪を犯し続ければ、救われることは永久にありません。

こちらの記事をお読みください。

 本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。

正直なところ、こうして裏社会の内幕を知れば知るほど、彼らの余りに汚いドロドロとした実態がはっきりと見えるようになって、さすがの私にも刺激が強すぎるというか、ショックが強すぎるというか、とにかく自分でも記事を書きながら、うんざりしてくることが多々あります。
 
特に「チベット仏教」や「密教」の教理を知ったときは、唖然・愕然とすると同時に、余りの気味の悪さに頭がおかしくなりそうな気分でした。きっと皆さんの中にもそういう方が大勢いらっしゃたのではないでしょうか。
 
なのに、裏社会の連中はそれを毎日のように実践しているわけですから、彼らの心や考えがどれほど腐りきっているかは容易に想像がつくというものです。
 
もっとも、彼らはその心の汚れが人目につかないように、必死で外見を着飾って生きているわけですが、腐ったリンゴをいくら人目に付かないところに隠したところで、その臭いをごまかすことができません。
 
それと同じく、人の心の汚れもどんなに隠したところで、いずれ誰かにバレてしまいます。実際に今や多くの人々が、この世の政治も経済も文化も芸術もすべて腐りきっていることに気付きつつあります。
 
ですから、悪魔崇拝者たちがいくら自分の外見をきれいに着飾ったところで全くの無意味です。いずれ彼らの心の汚れはすべての人の目につくようになるでしょう。
 
しかしながら、悪魔崇拝者どもは二度と仲間を裏切ることもできないし、普段から淫乱・邪悪な儀式をすることが習慣になっているので、その儀式を行わないことには気が済まないのでしょう。だから、やめたくてもやめられないのです。
 
悪魔崇拝では、人肉や人糞を食べたり、同性愛をしたりと、普通に考えたら気持ちの悪いことばかり行うわけですから、最初は誰しもイヤイヤ悪魔崇拝を行うはずですが、何度もそういった行為を繰り返しているうちに、いずれそれが癖になってやめられなくなってしまうわけです。
 
これはもはやアルコール中毒やギャンブル中毒の患者と全く同じです。彼ら中毒患者はアルコールやギャンブルをやることが癖になり、それをやらないとどんどんストレスが溜まってしまうわけですが、その一方で、アルコールやギャンブルをやる度に自分が嫌になるので、それはそれで余計にストレスが溜まります。
 
つまり、一度何かの中毒になってしまうと、精神的にどんどんおかしくなってしまうばかりなのです。彼らはそんな自己矛盾に延々と苦しみつづけなければならないのです。それはもはや地獄のような苦痛ではないでしょうか。
 
しかも、悪魔崇拝者たちは今でもせっせと自分の仲間を作ろうとしています。

それが何よりも恐ろしいところです。
 
彼らは先ずキリスト教やら仏教やら神道を看板にして宗教団体を作り、その信者を増やします。
 
そして、その信者の中から特に教祖に忠実な人を選んで、これこそが「秘密の奥義」だと言ってその人に「悪魔崇拝」を教え、自分と同じような悪魔崇拝者へと作り変えていくわけです。
 
しかし、この世の中には、そうとも知らずに某かの宗教団体に入り、何か変だなとは思いつつも、その宗教から抜け出すのは不安だからといって、その宗教を信じつづける人たちが今でも大勢います。

しかし、そんな宗教をいくら熱心に信じたところで、人生がよくなるはずがありませんので、いずれその宗教に嫌気がさしていきます。
 
そのためでしょうか。ここ最近は、私のところにも「自分の信じている宗教は大丈夫なのでしょうか」といったメールを送ってくる方が何人かいらっしゃいます。

しかし、私も全ての宗教団体を詳しく把握しているわけではないので、そういった方にはおおよそ次のように返答することにしています。
 
「その宗教を信じることで自分の徳が高くなったと少しでも感じるなら、その宗教は本物です。しかし、そう感じられなければ、その宗教は偽物です。」
 
カルトと呼ばれる宗教の大半は「奇跡」を売りにします。かのオウム真理教も、麻原彰晃が宙を浮いたことを大々的に宣伝しながら信者を集めていました。

バチカンとて同じです。彼らも様々な「奇跡」を演じて見せながら、多くの信者を獲得しようとしてきました。
 
中にはそれらの奇跡を信じられず、そのトリックを見破ろうとする人も大勢いますが、そんなことを調査・研究するだけ時間の無駄です。それが本物の奇跡かどうかが重要な問題ではないからです。
 
そんなことよりも、その宗教の教えによって自分自身の徳が高くなるかどうかがより大きな問題なのです。
 
宗教を信じる目的は、奇跡を起こすことではありません。幸福になることでもありません。まして、自分の願いを叶えることでもなければ、自分の悩みを解消することでもありません。
 
はっきり言って、自分の徳を高めさえすれば、自然と幸福になれるし、自然と自分の願いも叶えられるし、自然と自分の悩みも解消することができます。
 
しかし、人々はそこのところがよく分かっていません。そのため、先ず最初に幸福を手に入れようとし、欲望を満たそうとし、悩みを解消しようとしますが、そんなことだから、いつまで経ってもかえって何も得られずに苦しみつづけることになるのです。
 
では、徳を高めるとはどういうことなのか。一言で言うなら、それは「完全な人になる」ということです。
 
人の心は「知・情・意」から成り立っていると一般的には言われています。

「知」とは「知識・学問」のこと、

「情」とは「人情・感情」のこと、

「意」とは「意志・倫理」のことを指しています。
 
こういったものを育て伸ばしていくこと、そして完全にしていくこと、それが「完全な人になる」ということです。
 
もっとも、この世の中で「完全な人になる」のはとても難しいものです。この世の中が余りに邪悪なので、自分一人だけ完全になろうとしても、実に様々な壁にぶつかってしまうからです。ときに自分を作るなど不可能だと思えることもあります。
 
しかも、この世のほとんどの人たちが「人間が完全になれるわけがない」と言います。キリスト教の牧師の中にすら平気でそんなことを言ってくる人がいます。

「あなたが完全でなくても神様はあなたのことを愛しておられる」などと言ってその場限りの気休めを言ってくるわけです。

聖書にははっきりと「完全な人になりなさい」と書かれてあるというのに。(マタイによる福音書5章48節)
 
もちろん、神様は私たち人類のことを基本的には愛してくれています。

それは確かな事実です。しかし、本当に神様に愛されるためには、やはり人間がそれなりの努力をしなければなりません。
 
例えば、ある親に二人の子供がいて、そのうちの一人は自分を伸ばそうと努力もせず、毎日のように遊びほうけて生きていて、もう一人は勉学に励み、自分を磨こうと懸命に努力していたとします。果たしてその親はどちらの子供をより愛するでしょうか。
 
答えは明白です。後者をより愛し、その子の願いをもっと聞いてあげようとするはずです。
 
神様もこれと同じです。ある人が自分を完全に作ろうと努力するならば、神様はその人のことをより愛し、その人のためにもっと何かをしてあげようとします。
 
しかし、悪魔どもは巧妙にこの宗教の本質をすり替えてしまいました。彼らは先ず人々の前で「奇跡」を起こして、その「奇跡」を売り物にして宗教を信じさせようとします。

あなたが善い行いをしようとしまいと、この宗教を信じれば何かいいことがあるよ、幸福になれるよ、といって宣伝するわけです。
 
そのため、この世のほとんどの宗教は、どんなに熱心に信じても、本物の善人を生み出すことができません。

それがなぜかといえば、この世の宗教の大半が腐りきっているからです。この世のほとんどの宗教の中枢に悪魔を拝む連中がいて、宗教の本来の目的をねじ曲げてしまっているからです。

だから、この世の宗教のほとんどが完全な善人を生み出すことができないのです。
 
善人を生み出せない宗教、完全な人を生み出せない宗教に、果たして何の存在意義があるというのでしょうか。
 
私個人としては、自分を完全に作ってくれる人、自分を完全につくれる教えを説いてくれる人でない限り、むやみやたらと敬ったり、崇めたりすることはありません。ましてその人の後をついていくようなこともしません。
 
この世では「天皇」や「ローマ法王」が最も偉いということになっているようですが、「天皇」も「ローマ法王」も私を完全な人間に作ってはくれません。彼らがそのような教えを説くこともありません。
 
「天皇」はただ誰かの作った原稿を棒読みするだけですし、「ローマ法王」に至っては「同性愛者を歓迎する」などとトンチンカンなことを言っています。幾らそんな話を聞いたところで、自分を完全な人間に作ることはできません。
 
ですから私は、彼らのことを信じることも敬うこともしません。そんなことをする気にもなれません。
 
ましてや「チベット仏教」や「密教」のように性的なものを推奨するような宗教など論外です。そんな宗教は最初から信じるに値しません。
 
宗教に限らず、セックスをしないと人間がダメになる、性欲がない人間はダメだ、みたいなことを言っている人もみんな同じです。欲望というものは、なければないに越したことはありません。ない方がずっと楽です。
 
もし仮に欲望を持つとしても、自分を作ることに欲望を燃やせばいいのです。
 
それ以外の無駄な欲望を持って生きるから、満たされない心も大きくなり、満たされない心が大きくなるから、不平や不満が大きくなり、心配も悩みも増えていくのです。
 
しかし、最初から無駄な欲望がなければ、不平や不満も生じませんし、誰かを嫉妬したり恨んだりすることもなく、むしろ自分のやるべき仕事に没頭できるようになります。よそ見をすることなく、まっすぐに生きられるようになります。
 
そうすると、無駄なことを全くしなくなるので、それだけ時間を有効に使うことができるようになります。人が二時間かけてやることを一時間でできるようになります。そうすると、その人は他の人よりも二倍長く人生を生きたも同然です。長生きしたければ、そのように生きればいいのです。
 
そもそも、世的な欲望の強い人を誰が尊敬するでしょうか。中にはそういう変わり者もいるかも知れませんが、一般的にはそういう人は誰からも尊敬されることはありませんし、むしろ誰からも見下されるのが落ちです。
 
悪魔崇拝者たちもそうと分かっているからこそ、淫乱な儀式を人に見付からないように陰でこそこそと行っているわけです。で、自分の惨めさを慰めるために、性的なことを無理やり人にも薦めたりしているわけでしょう。
 
性的なことを行ってストレスが解消したり、一時的に悩みから解放されたりしたとしても、性的なことに中毒になったら、それだけでその人は人間として終わりです。そして、この世の多くの人たちがそのことを理解できず、悪魔の理論に騙されて、どんどん性的なところに流されていっています。
 
本当に哀れな人たちです。そうやって「できちゃった婚」などして自分の人生をダメにしている若者たちを見ていると、情けない気分になります。
 
そんな悪魔の理論に騙されないためにも、私たちは自分を作ることに努力するべきです。「知・情・意」を開発する努力をすべきです。そして、そのような努力を続けている限り、悪魔の理論に騙されることは決してありません。
 
なぜなら悪魔は、人の体を支配することはできても、人の心まで支配することはできないからです。そして、そのような状態になってこそ、人は初めて真の幸福、真の自由を得たと言えるのではないでしょうか。
 
少なくとも、私自身はそう考えて、悪魔の罠から自分を守っています。
 
僭越ではありますが、今日は悪魔から自分の身を守る方法について述べさせていただきました。

ーーーーーーー、一部転載ここまで

霊と肉について、もっと知りたい方は以下の記事がおすすめです。

社会に出て働いていると、どうしても俗的な波長に飲み込まれてしまいます。疲れきってしまうのは、肉体だけでなく、霊体が苦しんでいるという場合があります。

神様を信じてお祈りをしたり、義の条件を立てると聖霊の力で霊が救われます。

俗的な波長を受けたり、罪を犯してしまうと聖霊の力が奪われます。

私たちは、本当のところ、どこまでも成長していける存在だということです。中心者が、壮絶な練達を受け、神様の御心をなそうと努力されてきました。

神様に選ばれ、神様の御言葉を伝えてくださっているので、私たちを救いの道に導いています。この世界の最後の使命者です。

肉が霊のために生きてこそ、霊が神のように成長するので、霊が肉を憐れんで助けてくれる。だから、主の裁きが進行し、この世がどんなに傾いても、霊のために生きる人が肉も栄えて豊かに生きられる。

2021年の12月に主は、私たち人間の霊と肉の関係について詳しく話をしてくださいましたが、その前段階として、その一ヶ月前の11月に、私たちの霊が成長すれば、神のような愛のかたまりになるので、私たちの肉体が苦しんでいるときに、その霊が肉体を憐れんで助けてくれるようになると話をしてくださったことがあります。
 
今や世の中はどんどん傾き、経済も疲弊し、人々はワクチンを打って副作用に苦しでいます。
 
主はこれからも世の中に厳しい裁きを下されますので、このような世の流れはまだしばらく続くでしょう。
 
そのため、多くの人々がこの世に希望を見出せず、さらなる絶望の中で生きることになるでしょうが、私たちが常に自分の霊のために生き、霊を成長させていくならば、その霊が私たちの肉を憐れんで助けてくれるようになるので、肉にできないことを霊が補い、私たちの肉がこの世で栄えることができるように助け、導いてくれます。
 
つまり、この世の中がどんなに傾いたとしても、私たちが霊のために生きるなら、霊が祝福に満たされることはもちろん、肉も豊かな祝福に満たされて、栄えて生きることができるようになるということです。
 
皆さん一人一人が、目に見える肉のためにだけ生きるのではなく、目に見えない霊のために生きて、霊も肉も豊かな祝福に満たされて栄えることができますよう心から祈ります。

ーーーーーーー転載ここまで

主が私たちを愛するから、私たちの人生が変わるわけではない。私たちが主を愛するから、私たちの人生が変わっていく。

私たちは主の御言葉を聞くことで、主の愛を知り、主が自分のことをどれほど愛してくださっているのかを知りました。
 
それによって、私たちの心は喜びに満たされ、人生が大きく変わりました。
 
しかし、ここで誤解してはいけないのは、主が私たちを愛してくださっているから、私たちの人生がこれからも変わっていくというわけではなく、私たちが主を愛してこそ、私たちの人生が変わっていくということです。
 
確かに神様の愛に初めて気付いたときは、それだけで私たちの心が変わり、人生も大きく変わりました。
 
しかし、それによって私たちが一生、祝福されるというわけではありません。
 
神様の愛に気付いたなら、今度は私たちの方から神様を愛さなければ、神様は心情を痛め、私たちを愛することをやめてしまいますし、私たちを祝福してくださることもありません。
 
神様はこれまで六千年間ずっと人類を愛してきてくださいましたが、人類が神様を愛さなかったので、人類は祝福されることなく、むしろ裁きの中に閉じ込められて生きるしかありませんでした。
 
神様の愛を知った皆さん一人一人が、その愛に答えて神様を喜ばせて差し上げる者となり、神様からさらに愛され、祝福される者となることを心から祈ります。
 

ーーーーーーー転載ここまで

毎日、主を愛すると心から決心して生きるなら、主も毎日、私たちに働きかけてくださるから、私たちも主への愛が冷めることがなく、むしろ愛の火が燃え上がり、主と真の恋人になっていく。

私はこれまで、毎日欠かさず、明け方の祈りの時間に、全力で主を愛することを決心して生きてきました。
 
なぜなら、私がそのように決心して生きると、必ずその日のうちに主が私に何らかの働きかけをしてくださるからです。
 
実際、今でもこうして主は私に毎日のように啓示を与えてくださり、その他、様々な霊感・構想を与えてくださり、様々な祝福を与えてくださり、私を祝福と繁栄の道へと導いてくださっています。
 
そして、このように主が私に強く働きかけてくださっているからこそ、私もまた主への愛が冷めることなく、むしろ日に日に主への愛が熱く燃え上がっていくばかりです。
 
このようにして、私たち人間と神様との愛は日ごとに深まっていき、やがてはお互いの存在なしに生きることはできないという次元にまで到達して、互いに真の恋人として愛を成していけるようになるのです。
 
そして、神様と恋人になるということは、私たち人間にとってこれ以上はないというぐらい祝福された人生であることは言うまでもありません。
 
皆さん一人一人が、毎日、主を愛すると心から決心して、日ごと主との愛を深め、主の真の恋人となり、真に祝福された人生を歩めるようになることを心から祈ります。

ーーーーーーー転載ここまで

目に見えない世界のことを、私たちの知識だけで説明することは困難だが、聖霊が私たちに語るべきことを教えてくださるなら、人々が理解できるように易しく説明できるようになる。

この世の人々は目に見えるものばかりを重視し、目に見えないものをないがしろにして生きています。
 
目に見えないものについて特に深く考えることなく、目に見えるものについてばかり深く考えて生きています。
 
実際のところは、目に見えるものよりも、目に見えないものの方がよほど人間にとって重要なのですが、人々が堕落して、知能が低下してしまったため、このことが分からず、いつも人生の限界にぶつかって、ろくな人生を生きられません。
 
しかし主は、そんな彼らにも主のことを理解させ、神様のことを理解させて、人々を幸福にしたいと思っていらっしゃるからこそ、この地上に何人もの使命者を送って、目に見えない世界のことについて述べ伝えさせてこられました。
 
目に見えない世界を信じていない人たちに、目に見えない世界について理解させることは非常に困難なことであり、相当な知能が必要になりますが、主は使命者たちに聖霊を下し、聖霊の力によって人々が目に見えない世界について理解できるように導いてこられました。
 
私がこうして主から啓示を受けて述べ伝えているのも、すべては聖霊の力によるものです。
 
聖霊を受けて語ってこそ、人々に目に見えない世界のことを深く理解させ、信じさせることができるのです。
 
主の御言葉を信じる皆さん一人一人が、聖霊を受けて御言葉を述べ伝え、この世の多くの人々を救っていくことができますよう心から祈ります。

ーーーーーーー転載ここまで

自分のために生きる人は人生が重荷となり、不安と心配と悩みが尽きないが、神様のために生きる人は常に喜びと希望に満たされ、自分の願いも全て叶えられる。

神様は私たちが霊的に成長できるようにと、常に御言葉を伝えてきて下さいました。
 
では、霊的な成長とはどういうことを言うのかというと、一言で言うなら、自分のために生きるのをやめて、神様のために生きるようになることを言います。
 
自分の欠点や弱点を克服したり、個性・才能を伸ばしたりするなら、それも確かに成長したと言えますが、どんなにそういった成長ができたとしても、自分のために生きる生き方をやめて、神様のために生きる生き方ができるようにならなければ、神様は霊的に成長したとは見なしてくださいません。
 
人は、自分のために生きなければ損をすると考えて、自分のためにばかり生きてしまいがちですが、どんなに自分のために生きたとしても、自分の願った通りの幸福な人生を生きられる人はこの世には誰もいません。
 
ところが、私たちが心から神様のために生きるようになると、神様がお喜びになって、私たちを豊かに祝福してくださり、最終的には私たちの心の中にある全ての願いを叶えてくださいます。
 
私たちが神様の願いを叶えて差し上げることで、神様は祝福として私たちの心にある全ての願いを叶えてくださるのです。
 
人類はこの奥義を知らず、相変わらず自分のために生きて、何の願いも叶えられない空しい生を生きています。
 
皆さん一人一人が霊的に成長して、ただひたすら神様のために生き、祝福に満ちた人生を歩むことができますことを心から祈ります。

ーーーーーーー転載ここまで、続きはこちらから

(有料記事は、一ヶ月ごとにお読みいただけます。上記全て含む)

こちらの有料記事のもとになっている御言葉がこちらになります。

2021年11月1日(月)主の御言葉に従うより従わない方が楽だから、ユダヤ人は主に反逆し、その結果、この世界は地獄のような世界になってしまった。主の御言葉に従うことは、そのときは確かに大変だが、後になれば全ての願いが叶えられ、後悔のない祝福に満ちた生を生きられるから、どれだけいいだろうか。

11月2日(火)主がこの地に降臨された最大の目的は、私たち人間の中から主の恋人(新婦)になるに相応しい人を探し出すためだ。そして主は、何よりも主を第一に考え、主を第一に愛して生きる人を恋人(新婦)になるに相応しいと認め、導き育ててくださる。

11月4日(木)サタンの影響を全く受けることなく生きられるようになることが幸いだ。そして、主を第一に愛する人がサタンの影響を免れ、神様の恋人になるに相応しい者と見なされて救われる。(主は、私たちが主以外のものを捨てることができるかどうかを何度も試されるが、実際に捨てるならば、恋人に相応しい者と見なしてくださり、私たちが捨てたものも後で倍にして返してくださる。)

11月6日(土)私たちの肉が霊のために生きるなら、霊は神のように成長して愛のかたまりとなるので、肉が苦しんでいるときに、霊が肉を憐んで助けてくれる。だから、主の裁きが進行し、この世がどんなに傾いたとしても、霊のために生きる人が最終的には肉も栄えて豊かに生きることができる。

11月12日(金)私たちが毎日、主を愛すると心から決心して生きるなら、主も毎日、必ず私たちに何らかの働きかけをしてくださるから、私たちの主への愛が冷めることがない。私たちが主を愛すると毎日決心しないから、主が何の働きかけもしてくださらず、私たちの主への愛も冷めていくのだ。

11月14日(日)アダムとエバのときから6000年間続いた人類に対する刑罰の期間は、イルミナティが完全に滅びることによって終了する。そして、神様にとってイルミナティを滅ぼすことはとても簡単なことだが、私たちがアダムとエバのように不従順になるなら、刑罰の期間は再び繰り返される。

11月23日(火)主がこの地上で最も成したいことは、人類の救いと悪人の裁きだ。だから、人類の救いと悪人の裁きのために祈る者が主と心情一体となり、主から最も使われ、最も祝福された生を生きられる。

ーーーーーーー続きはこちらから

(御言葉も一ヶ月分の配信となっております。)

人々は、目に見えることばかりを追い求めています。

イルミナティのばら撒いた、嘘の幸せを鵜呑みにして生きています。

名誉、名声、富、異性などを手に入れたとしても、死の間際には全て虚しいものとなります。あの世に持っていけるのは、この世で体験して身についた、叡智になります。

学生の頃、物理の先生はこう言いました。

「我々は、物理的に言うと、生まれたら死に向かって生きている。そういうことになるんですね。」

大人になっていくという過渡期に、生きている時間には限りがあるのだと悟りました。

誰にでも、肉体には寿命があります。

皆さんは、これからどのような時を過ごしていきたいでしょうか。

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