ヘンリー・キッシンジャーという悪魔の計画について
皆さん、こんにちは。
キッシンジャーはユダヤ人であり、イルミナティの李家の血族でした。
世の中を金の力で混乱させ、人々を苦しめ、好き勝手に金儲けしてきたユダヤ人たちは、計画してきた世界統一のために中国共産党員を利用して悪を働いていることがわかっています。
今回は、毛沢東に続いて、世界を不幸に貶めてきたヘンリー・キッシンジャーについて詳しく書かれたブログをご紹介したいと思います。
2008年以降、現在まで続く、リーマン・ショックと呼ばれる、金融恐慌を引き起こし、金融恐慌に続く、大規模な戦争を世界で引き起こそうと、画策する「軍事産業」リーマン・ブラザース。
このリーマン・ブラザースは、日露戦争において、日本とロシアを戦争に「追い込んだ」、戦争画策の犯人であった。
その目的は、帝国ロシアに「市場開放」を行わせ、ロシアの安価な農産物・資源を、鉄道によって西欧に運び・販売し、莫大な利益を上げる事にあった。
日本は、この鉄道事業の利益ための、「持ち駒=アヤツリ人形」に過ぎなかった。
リーマン・ブラザースの「正体」を見抜く事が出来なかった、世間知らず=外交オンチが、日本を戦争に追い込み、日本人を戦争によって、多数、死なせる結果となっていた。
2012年現在も、リーマン・ショック=リーマン・ブラザースの「正体」を見抜く事が出来なかった、世間知らず=外交オンチが、日本を大不況に追い込み、大量の失業者=自殺者を生み出し、日本人を多数、死なせる結果となっている。
1930年代、ソ連=ロシアにスターリンが現れ、鎖国体制を取った事によって、アメリカが、ソ連を敵視する「冷戦」が始まる。
鎖国体制によって、ロシアの安価な農産物・資源を、鉄道によって西欧に運び・販売し、莫大な利益を上げる事が不可能になった事が、原因であった。
ソ連を崩壊に追い込んだ、核ミサイルの大規模な軍拡を展開した、アメリカのレーガン政権の実権を握り、政権を動かしていた父ブッシュ副大統領の一族が、このリーマン・ブラザース=鉄道屋の経営一族であった。
ソ連時代の、「ロシアに入り込み」、ソ連の鉱山開発等に従事してきた、「ザ・トラスト」と呼ばれる密輸組織の中心人物=ヘンリー・キッシンジャーは、「密輸」の形で、ロシアの「市場開放」の準備を行い、全面的な市場開放の方途を探っていた。
1979年の、アメリカ・中国の国交回復を準備したのも、ヘンリー・キッシンジャーであり、それは、2012年現在の、中国の市場経済への「全面的な参画」を準備した。
1930年代の、スターリンの鎖国体制によって、ロシアの安価な農産物・資源を西欧に運ぶビジネスが不可能になった、鉄道会社インターコンチネンタル・エキスプレス社=ヨーロッパ横断鉄道は、鉄道事業が窮地に追い込まれてきた。
このインターコンチネンタル・エキスプレスの子会社が、リーマン・ブラザースである。
ヘンリー・キッシンジャーの経営する、インターコンチネンタル・エキスプレス社は、ソ連=ロシアとの密輸、中国との国交回復によって、ロシア・中国の「市場開放」を狙い、鉄道事業によるヨーロッパ=ロシア=中国の統一、ユーラシア統一事業を目指していた。
「そのための」ロシアとの密輸、中国との国交回復であった。
インターコンチネンタル・エキスプレスは、ロシアとの鉄道ビジネスが不可能になると、アメリカに本拠地を移し、鉄道事業から、金融事業に、「とりあえず」ビジネス・モデルを変更し、ユーラシア統一の戦略を練り直し続けてきた。
アメリカに本拠地を移した際、インターコンチネンタル・エキスプレスが、アメリカン・エキスプレス社と改名し、クレジット・カード会社であるにも関わらず、エキスプレス=鉄道という名前を残したのは、鉄道事業によるユーラシア統一と言う、ヘンリー・キッシンジャーの「執念」を世界に示すためでもあった。
なお2012年現在、ロシア・東欧、旧共産主義圏で使用できるクレジット・カードは、VISAでも、マスターカードでもなく、圧倒的にアメリカン・エキスプレスであり、旧共産圏がアメリカン・エキスプレス社の「金融支配圏」となっている。
共産圏の「市場開放」を手がけた、ヘンリー・キッシンジャーへの、「創業者利得」である。
日露戦争、帝国ロシアの崩壊=ソ連の成立、冷戦=核ミサイルの開発競争、ソ連の崩壊、ロシア・中国の市場開放路線。過去100年間の世界史は、インターコンチネンタル・エキスプレス社の鉄道事業、ユーラシア横断鉄道の完成の「ために」、動いて来た。
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)
1923年5月27日ドイツ・ヴァイマル共和国のフュルトに生まれる。本来の姓名はHeinz Alfred Kissinger(ハインツ・アルフレート・キッシンガー)両親ともドイツ系ユダヤ人である。
1938年にアメリカへ移住し、第二次世界大戦中の1943年に同国に帰化。
大学での学業を中断してアメリカ陸軍に入隊する。
1946年に復員し、ハーバード大学に入学。1950年、政治学の学士学位を取得し最優等で同大学を卒業する。引き続き同大学大学院に進学、博士学位を取得する。
1968年の大統領選挙では共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めていた。しかしロックフェラーの敗北後に、アイゼンハワー政権の副大統領であったリチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、政権誕生とともに国家安全補償問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、ニクソン外交を取り仕切る。
リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォードの大統領2代にわたり国務長官を務める。
CIA防諜担当局の元局長だったジェームズ・ジーザス・アンジェルトンの記録によれば、キッシンジャーは長きにわたってソ連のスパイだった可能性がある。というのも、彼の父親がバイエルン地方のソ連のNKVDと接触があったからだ。様々な理由から定期的に内容がリークされる公式記録によると、キッシンジャーは「ボーア(Bor)というコード・ネーム(暗号名)を持っていたという。
キッシンジャーに関する記録の内容が正確かどうかは、今もってアメリカ情報関係者の論議の的になっている。キッシンジャーは国際銀行資本と結び付いた特殊工作班に属しているとみるのが妥当だろう。つまりロスチャイルド家とウォーバーグ家につながっている上に、イギリス情報組織とも関係があると見る。
キッシンジャーが政権の内にあっても外にあっても様々な経路を通じてソ連と繋がっているのは、ロスチャイルドやウォーバーグとの結び付きがあるからである。彼がアンジェルトンが考えるようにソ連のスパイなのか、それとも意図があって大物ソ連スパイとして振舞っているのかは、事実がどうなのかという問題ではなく単に定義の問題であるにすぎない。
アンジェル卜ンの考え
だが、キッシンジャーに関するアンジェルトンの考え方を正しく理解するためには、ソ連、中国それに彼もその一員だった英米の各エスタブリッシュメントに関して、アンジェルトンが考えていた大前提というものを見てみる必要がある。
今はもう亡くなったアンジェルトンは、共産主義者の陰謀は実際に存在し中ソ分裂は見せかけにすぎず、ソ連はCIAにトップ・レベルの工作員を送り込んでおり、その工作員がCIAを弱体化しほとんど崩壊させてしまったと考えていた。キッシンジャーがソ連相手に行ったことの内容や、彼が密かに図っていた共産中国との国交回復も長い目で見ればソ連の利益になることなどを考え併せると、キッシンジャーはソ連情報組織のために働いていたというのがアンジェルトンが諜報活動を行う上での前提だった。
こういう考え方に立った結果、アンジェルトンはソ連やその諜報活動に関してパラノイア(妄想症患者)的見方をするようになった。彼はソ連やその情報活動が優勢な地域での工作では、自国の諜報活動をもはや信頼しなくなった。というのはアメリカがどんな工作を行ってもソ連は簡単にそれを自分のいいようにしてしまうことができると恐れたからである。
こういった精神構造と行動の結果、アンジェルトンはロシアのユダヤ人の中に入り込んだシオニストを利用する計画をはじめ、様々なプロジェクトにイスラエル情報機関を使うようになった。この工作はすべてイスラエル情報機関と正式な提携関係にあったアンジェルトンの防諜担当局に任されていた。
こうしたチャンネルを通じて、アンジェルトンはその他のいくつかのプロジェクトにおいても、イスラエルとの間に秘密の裏ルートを持っていた。アメリカの諜報活動の中でイスラエル情報機関が決定的な役割を果たしているこうしたプロジェクトに、キッシンジャーも関係していたというのは皮肉なことだが、事実である。元CIA職員によると、こうした意味において、それに他の複雑な理由もあって、アンジェルトンはソ連とイスラエル双方の情報機関に操られていたとされているという。
こうした見方からすれば、アンジェルトンにはアメリカに対して仕掛けられた工作の本当のところは分かっていなかったと思われる。ソ連の工作員、あるいはソ連の息のかかった人物だとアンジェルトンが考えた人物の多くは、イギリスかイスラエルの工作員だったと考えられる。
現代のシャイロック、キッシンジャー
ユダヤの銀行家は彼らがやっている事に対して、シェークスピアの 『べニスの商人』 に登場するユダヤ人のイメージを持たれることを恐れている。
シェークスピアの古典の中で出てくる 「ユダヤ人」 という言葉は、ユダヤ人の銀行家の役割を意味したものである。つまりべニスの国王の代理で借金を取立てるのが彼らの仕事であった。
ユダヤ人銀行家シャイロックに関する記述の中で、彼が「肉一ポンド」 を取り立てる話がある。彼はべニスの法廷で、現に存在する反ユダヤ主義に異議を申立てる一方で、借金を背負った者に対し情容赦無くその返済を迫る。その結果人々は、彼は一人の 「ユダヤ人」 以外の何者でもないとますます思うようになるわけである。
実際、彼は国王の汚い仕事を請負っているわけだが、それによって人情を失っているばかりか、彼自身の人間としての尊厳をも破壊されてしまっている。絶対的権力を持つ国王の奴隷になり下がって、その地位を守るためなら何でもする。これがあの有名な劇の中でシェークスピアが言おうとした事である。
シェークスピアが描いた悲劇の主人公は、今の世界にも存在している。
たとえばアメリカの元国務長官ヘンリー・キッシンジャーである。ロンドンやニューヨークの銀行が、シェークスピアが指摘したのと全く同じ意図を持ち、同じ目的のために活動していることは決して偶然ではない。1970年代初頭に、卑劣にもロッキード事件を利用して田中政権を倒した時にキッシンジャーの後押しをしたのも、このロンドンやニューヨークの金融勢力であった。
キッシンジャーはADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)の幹部たちと共に活動している世界的重要人物の一人である。彼らは世界中の反ユダヤ活動を監視している。また彼は日本の政治を動かしてきた重要人物の一人でもある。
彼が作った会社であるキッシンジャ-・アソシエーツ社が、ADLとは違ったレべルではあるものの、一部秘密工作を行うに際し決定的な役割を演じている事はほとんど知られていない。
1973年の中東戦争の後、キッシンジャーと彼に同調するユダヤ・ロビーは、日本がイスラエルに対するアラブのボイコットに参加しないようにと強い圧力をかけてきた。1970年代半ばに、日本が中東産油国との間で重要な話合いをしているときに、キッシンジャーは日本のマスコミに一連のスキャンダルを漏洩して日本政府に揺さぶりをかけた。キッシンジャーとADLの狙いは、日本がアラブ産油国に何らかの支援をすれば、それがパレスチナ国家建設というさらに大きな支援に繋がり兼ねない旨を訴える事であった。
ロンドンのS・G・ウォーバーグ・アンドサンズ社から創設に際して出資を受けたキッシンジャー・アソシエーツ社は、今でも同じような工作に従事している。
現に、竹下政権崩壊を招いたスキャンダル(リクルート事件)の漏洩に、キッシンジャー・アソシエーツ社が一枚かんでいた。
中国を育てたヘンリー・キッシンジャー
キッシンジャーの最大の罪は悪魔の巣窟、中国の竹のカーテンを無理やりこじ開けて毒ガスを世界中に撒き散らした事である。彼はソ連を牽制するために野蛮国中国を世界のグランドに招きいれた。そして中国と取引して台湾と日本を見捨てた。
その一方で、60年代最大の外交課題であったベトナム戦争の終結に成果を納めた。
米国が中ソと関係改善を行ない、その結果、ベトナム戦争において中ソ両国の支援を受けてアメリカと対峙していた北ベトナムを国際的に孤立させたことで、米国はジョンソン政権末期の1968年5月よりパリで行なわれていた和平交渉妥結に成功した。
1973年にはパリ協定が調印され、これを功績として米国交渉団の代表であったキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞することとなるが北ベトナム側の代表であるレ・ドゥク・トは受賞を辞退している。
キッシンジャーは中国と手を握る事によってソ連を孤立化させ、敵の敵は味方を実践した。しかし、この策謀家の最大の弱点は権力欲と金銭欲で途中からミイラ取りがミイラになってしまった。
当初彼は、一党独裁の共産国であり、国民を過酷な統制下においていた中国を経済発展させれば資本主義開放経済への道を進みやがては中国も民主国家へとなっていくと本気で思っていた。そして中国発展のために彼はあらゆる便宜を図った。
ところがこのずる賢い極貧国家中国がキッシンジャーの予測以上に経済発展をとげ魔王に育ってしまったのである。そしてこの悪魔は目もくらむぐらいの大金でキッシンジャーを中国の走狗にしてしまった。
中国はキッシンジャーを使ってアメリカ政権内部に入り込み信じられない大金を使ってクリントンを大統領にした。
中国はクリントン大統領夫妻や民主党有力政治家と癒着して国防総省の機密情報が大量に北京にながれ、ミサイル技術や核弾頭の技術まで中国は手に入れる。
いまや米贈賄工作は官僚の末端まで浸透して、中国スパイは捕まる事もなく大手を振って政権内を闊歩している。クリントン夫妻がワン・ジュンというスパイから何回も賄賂を受け取っていた事はアメリカでは周知の事実である。
彼は既に90歳になったが今も厳然とアメリカ政権内で外交アドバイザーとして影響力を発揮している。ブッシュ政権下で起こったイラク戦争も彼のアドバイスと言われている。
当初、彼も中国もヒラリー・クリントンが大統領になると思って資金援助をしていた。ところが中国は途中から盛んにオバマにも大量の資金を流して保険をかけ始めた。
世間ではオバマの場合ネットによる個人献金と言われているが、この方法のほうが目立たなくて資金を投入できるのだ。アメリカ在住の大量の中国人を使って献金し、名前だけ使われた中国人も多くいた。
オバマが選ばれた時点で、中国の資金まみれのヒラリーを国務長官に押し込んだ。人間の心情として選挙中にあれだけオバマを口汚く罵ったヒラリーを政権のNO.2に取り込むほど人間は寛大ではない。しかし、中国に尻尾を握られたオバマは拒否できなかった。
クルド人を見捨てたキッシンジャー
1974年から75年にかけて、彼はイラクのクルド人をそそのかし、サダム・フセインに対して武力闘争を仕掛けさせる。しかし、フセインがイラン国王と外交交渉を成立させると、彼らは山岳地帯に取り残され皆殺しにされた。キッシンジャーはクルド人を政治的に利用しながら、都合が悪くなると切り捨てた。
民主主義が大嫌いなキッシンジャーがよく使う表現がある--「国民が無責任だからといって、国家がマルクス主義になっていい理由はない。」
1975年12月、彼は国務省の部下にはインドネシアによる東チモール侵略を阻止するように命じていた。スハルトとの会談が終え、彼が帰国してから16時間後には、インドネシア軍のパラシュート部隊が東チモールの首都ディリに舞い降りている。海上からの揚陸作戦も展開され、チモール人の三分の一が犠牲となった虐殺が始まったのだ。そのとき、彼はインドネシアに対する米国の軍事援助を早急に倍増させることを発表している。彼と米国は裏でインドネシアの東チモール侵略を支援していたのである。
「世界の人口は半分に減らす必要がある」 ヘンリー・キッシンジャー。
キッシンジャーのNSSM200
NSSMとは、ナショナル・セキュリティ・スタディ・メモランダム。 (米国国家安全保障研究メモランダム)
1974年12月、大統領安全保障担当補佐官、ヘンリー・キッシンジャーは、世界的人口増加と米国の国家安全保障の関係についての文書NSSM200を作成した。
1975年11月、米国の国務長官に昇格したキッシンジャーの後任、米国、国家安全保障担当大統領補佐官、ブレント・スコウクロフトは、キッシンジャーの関与の下に、NSSM200をNSDM(国家安全保障確定メモランダム)314として、国家の公式文書にした。
この文書は、米国が、世界の人口増加を抑制し、管理し、規制することを公式の国家の政策としたことを示して居る。
それらの一連の政策のうちの、最大なるものが、米国国家による生物兵器としてのエイズウィルスの製造と使用である。
生物兵器を製造するのは誰か。
それは、
基本的には、医学者であり、医師である。
人間を確実に殺す能力のある生物兵器を製造するためには「医学的知識」と、「医学的技術」とを必須とする。
西洋に於て医者=医師=医学者の本質は殺人者、人殺しである。
西洋の近代科学は、まぎれもなく破壊の科学である。
つまり、人間を殺すことは家畜をするのと、何の変わりもないのである。
また、あらゆるものを戦略的に利用することを提唱したのもヘンリー・キッシンジャーである。
食料、石油、ワクチン、医薬品、原子炉、種子に至るまで、それを戦略的武器として扱うということである。
日本では、東大卒とか、東京大学教授とか、ビッグネームバリューがつくと、下々の人々は何でもかんでも信じ切ってしまう。それと同じで、ハーバード大卒とか、ハーバード大学教授とか、ビッグネームバリューがつくと、さすがのアメリカ人もひれ伏してしまう。
しかし、ハーバード大はユダヤ人学者の牙城と言われ、要するにシオニストNWOの本家本流なのである。一方、スタンフォード大は、米軍の軍産複合体の牙城なのである。スタンフォードに入ること、すなわち、軍産複合体の下僕となることを意味する。同様に、ハーバードに入ること、すなわち、シオニストの下僕になることを意味するというわけである。
そして、ハーバード大のエリート看板教授が、「兵器としての食品(Foods as weapon)」なんていう概念を言い出したために、世界中のユダヤ人経営者がそれに従ってしまったのである。
ニクソン政権、およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは、国務長官の就任中、1970年代の石油危機の際し、「石油を支配する者は、諸国を支配する。食糧を支配する者は、人口を支配する。マネーを支配する者は全世界を支配する」と語り、キッシンジャーは1974年、NSSM-200(人口過多を宣言する合衆国の計画)を発表した。
NSSM-200の内容は、食糧支配と発展途上国の人口削減の政策推進のたたき台としてまとめられた物だ。
飢餓だけではない。ボイド・E・グレーヴス医師はアメリカ公文書の中からウィルスによる人口削減の文書を発見し、以下のような告発をした。
これはルーマニアのブカレストにおける「世界人口会議」の内容を伝える唯一の文書であった。影に潜む男は勝利し、全世界は秘密裏にアフリカの人口を間引くことに同意したのだ。今日はアフリカや他の望まれざる人々なのだろう。
明日はあなたなのかもしれない。
1975年、ジェラルド・フォード大統領は「国家安全保障メモランダム314号」に署名をした。合衆国がキッシンジャーのMSSN-200を導入するということである。
1976年、合衆国はスペシャル・ウィルス計画の「進捗報告13号」を発行した。 この報告書はアメリカが、ロシア人やドイツ人、イギリス人やフランス人、カナダ人および日本人などと様々な国際合意を結んでいることを明らかにしている。
黒人を殺すという計画は広範な国際的賛同を得ているのだ。 この年の3月には、スペシャル・ウィルス計画はAIDSウィルスの生産を始め、 1977年の6月までにこのプログラムは15000ガロンのAIDS病原を生産した。 ジミー・カーター大統領は、この黒人を間引くという秘密計画の続行を承認した。
1977年、ロバート・ギャロ博士とソビエトの最高の科学者たちが会合を持ち、15000ガロンのAIDS病原の拡散について論議した。彼らはアフリカ向けの天然痘ワクチンの補充物として、また、マンハッタン向けの「実験的な」B型肝炎ワクチンにもAIDS病原を添加した。ジューン・グッドフィールド(June Goodfield)およびアラン・キャントウェル(Alan Cantwell)の2人の著者によれば、バッチ・ナンバー♯751(のワクチン)は何千人もの何も知らないニューヨークの市民に使用された。
政府はこの社会的強姦、恥辱、そして非道な偏見のために、日常においてHIV/AIDSに向き合わなければならない人々に対して、決して贖い切ることはできないだろう。
AIDSの暗幕の影に隠れる男たちは、もし黒人やゲイたちだけが死んでいくならば、あなたは気にしないということを正確に計算しているのだ。事実、あなたは50万人の湾岸戦争退役兵たちがなんらかの伝染病を背負い込んでいても気にしてはいない。
これがノーベル平和賞受賞者ヘンリー・キッシンジャーの真の姿である。
◆ネルソン・ロックフェラーは米国大統領に為る機会は持たなかったが(実際には、何回か、大統領選に立候補しているが、予備選で落ちている)、副大統領には為った。
ロックフェラー一族が南米に多数の銀行を所有しているのは周知の事実である。其の目的は麻薬や武器の密輸に依る売上金の偽装(ローンダリング)であり、英国其の他の国の国際金融財閥の関係者が紳士顔で銀行に出入りしている。
彼等の所業を長年、苦々しく思っていたネルソン・ロックフェラーは、腹に据えかね、弟のデビッドに電話で斯う叫んだと云う。「もう良い加減にしてくれ。私の銀行で麻薬金の偽装(ローンダリング)なんてとんでもない。彼等の顔等もう見たくもない」
ネルソンはその2時間後に急死した。例に依って死因は心臓麻痺。
米国が未だ英国の植民地であった頃、欧州から多くの基督教徒が移民したが、ロックフェラー家は其の子孫である。ジョン・D・ロックフェラーは1870年にスタンダード石油を創設する等、一代で財を為したが、彼に対する世評は辛辣を極めた。彼の父親は石油から作った偽藥の行商人であった。其の縁あってか、ロックフェラー家は石油と製薬業で繁栄を築く事に為った。しかし其の陰には、ロスチャイルド家による支援があった事を忘れてはならない。
ネルソンが死ぬ2時間前の会話は完全に盗聴されていたと云うが、此の様な話を聞く度に、ロックフェラーの立場とは一体どの様なものなのかと考え込まざるを得ない。ネルソンはロスチャイルドと並んで、国際政治、国際金融を支配する人物ではなかったのか。何故、そんな立場に居た彼が、其れ程簡単に殺されたしまうのかと。(主犯は、ユダヤ人の長老会議)
この様な事件が何回も繰り返されるのを見て来る中で、キッシンジャーこそが陰で世界を動かす大きな組織に於ける重要な鍵を握っているのではないか、と云う疑いを抱く。
デービッド・ロックフェラーの寵愛を受けていたキッシンジャー(其れよりも直接に英国と繋がっている噂がある)は、1979年に国際金利の20%引き上げを求めたが、此れはIMFに対して債務のあるラテン・アメリカ諸国を締め上げ、麻薬貿易に転じざるを得ない状況を作り上げる為の物である。換金可能な輸出品としての麻薬である。
キッシンジャーの事務所はニューヨークのビジネス街の大きなビルにあった。ワンフロア全部を借り切っているのに、ビルの案内版にはキッシンジャーのキの字も出て来ない。事務所の存在自体が完全に隠藪されている感じだった。
目的の階までエレベータで上がり、ドアが開いた瞬間、真正面に現れたのは防弾ガラスが張られた分厚い小窓であった。いきなり異様な、薄気味悪い光景を目の当たりにしてしまう。
秘書を経由してドアの中に入ると、其の内部は例え武装した敵が乗り込んで来て銃撃戦が始まったとしても、十分に防衛出来そうな構造に為っていた。フロアは幾つもの小部屋に仕切られている為、中に何があって、何を遣っているのかを知る事は出来ない。小部屋の戸を開いてみようとすると、此れも又異常に厚く、鋼鉄のズッシリとした重みが手に伝わって来る程であった。
キッシンジャーは大学で教鞭を取った学者であるが、大統領補佐官迄歴任している。同様の経歴を辿ったシュレシンジャーやブレジンスキーは退官後、シンプルで学者らしい事務所を構えている。ところがキッシンジャーの事務所の場合は、単なる研究目的とは到底思えない。ビジネス街の中にあっては、全く異様としか言い様のない砦である。此の秘密めいた事務所と、彼が「死の商人の番頭」と迄陰で噂される事実とは、何か関係があるのだろうか。
ニクソンを辞任に追い込んだ原因はウォーターゲート事件であるとされるが、此の人工的な醜聞(スキャンダル)の陰で糸を引いていたのはキッシンジャーである。ニクソンが大統領を辞任する前、クーデーターを起こしたのも彼である。此の件に関しては、多くの退役軍人が其れを裏付ける証言を行っている。此れだけでも、キッシンジャーの行為は米国に対する反逆罪に値する。
パキスタンのブット大統領暗殺、伊国のモロ大統領暗殺、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争勃発等を含む多くの世界的な大虐殺事件に、キッシンジャーは関与していたのであろう。
彼の家族はドイツから米国に移民した貧しいユダヤ人だった。ニューヨーク市立大学の学生であった彼は、第二次世界大戦中、徴兵で欧州に送られた。クレーマー将軍の運転手兼通訳を務めながら、次第に才能を見込まれて<闇の政府>の代理人(エージェント)として組み込まれる様になった。其の後、ハーバード大学で学び、講師に為った。其の頃、彼が開いたハーバード国際セミナーには、日本からも著名な政治家達が参加している。
此のセミナーは注目を集めたが、背後には国際金融財閥の支援があった。将来性のある有望な若い政治家を世界から集め、<力の道>に依る世界統一の為に有用な政治家をリクルートする事が其の隠れた目的であった。
キッシンジャーは其の後、ロックフェラー主宰の外交評議会の会員にも選ばれ、ビルダーバーグの円卓会議にも参加している。戦略を立案する重要な地位に置かれ、其処での功績を買われて欧州のビルダーバーグと北米の外交問題評議会の橋渡し役を努める事となる。
大統領補佐官になる以前には国務省の相談役にも為っている。キッシンジャーをモデルにした映画『Dr.Strangelove』(『博士の異常な愛』)には当時の状況が余りにもリアルに描かれている為に、国務省の役人を震い上がらせたと言われる通り、此の映画は決して架空の物語では無い。
ワシントンのジョッキークラブで昼食をした或る上院議員は、「米国を信じていたブット大統領は気の毒だった」とポツリと漏らしたとされるが、此れは彼が核武装しようとして1979年に暗殺された実相を表すものであった。パキスタンのブット大統領はキッシンジャーの忠告にも関わらず、核武装への道を選んだのだった。と云う事は、キッシンジャーの忠告に耳を貸さない政治家は最悪の運命を想定しなければならないのであろうか。
ーーーーーーー転載ここまで
いかがでしたでしょうか。
人口削減と大陸を結ぶ鉄道計画、医療の話‥‥。この令和の時代にピッタリと当てはまることばかりです。
戦争も災害も都合よく起こして、どっぷりと金を儲ける。欲望にまみれて汚れきっています。
余談になりますが、「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになった」という映画。この映画の監督は、アポロ11号の月面着陸のねつ造映像を制作したと噂されております。
本当に、彼らの頭の中は、全てお金儲けのことばかりです。
メディアを利用して、「危険なことが世の中に氾濫している」と見せかけることに膨大なお金を費やしています。
そして、世論誘導するために使った何倍ものお金を回収しようと先手を打って、我々庶民にお金を使わせるのです。
恐怖→安心素材の提示→品薄・足りないと不安を煽る→騙される→儲かる
まさに、詐欺師の手口でこの繰り返しばかりです。
サタンや人間悪魔は、不安や恐怖、病んでいる心につけ込んできます。
コロナパンデミックは、国家レベルの大きな詐欺に他ならないのです。
世の中のたくさんの人々がサタンやイルミナティの仕掛けた罠にかかってしまい、毎日苦しみの中で生きています。