祈りの旅 〜長野・白樺湖、車山高原〜

皆さん、こんにちは。

前回に続き、白樺湖と車山高原の様子になります。

早朝、少し湖畔を散歩してみました。お天気が良く、車山高原での見晴らしが期待できそうな予感です。

とても静かな朝、ゆっくりと湖畔を歩いて行きます。

一匹の蝶が、花の蜜を吸っていました。

山に動画撮影に行った際に、ひらひらと飛んできた蝶と同じ種類。

しばらくの間、私のそばを周りながら飛んでいたことを思い出します。

こちらの曲、RAPT氏作詞・作曲の『蛹から蝶へ』をもとに撮影。皆さん、どうぞお聴きください。

『蛹から蝶へ』
作詞・作曲 / RAPT NAKAMURA


戸惑わずに 耳を澄ませ

一つ一つの 御言葉に生きる

心尽くし 思い尽くして
完全になる日 目指し生きる


蛹のままじゃ 飛べないけれど

愛の翼を 広げるために

涙も迷いも 乗り越えていく

いつの日か 自由に舞い上がる

幼い頃の自分を 責めずに

学びつづけて 強くなれる

蝶が羽ばたく その日までは

愛の導きに 身をゆだねて

蛹のままじゃ 空は遠いけど

御言葉の風が 翼を育てる

祈りとともに 成長していく

いつかきっと 高く舞い上がる

蛹のままじゃ 終われはしない

愛と真実が 私を変える

涙の跡も 羽根に刻まれ

神のように 光の中へ

こちらの茶色の蝶になります。

風が吹いても舞い戻ってきて、10分ほどその場にいました。

このようなことは、非常にまれなことです。

かなり近くで撮影しても全く逃げず、本当に撮らせてくれているようでした。

しっかりと、模様まで撮影することができました。

よほど、このお花の蜜が美味しかったのかも知れませんね。笑

宿の部屋は、風で揺れる白樺の間から朝日が差し込んできます。

撮影と散歩から戻って、手作りの焼きたてパンをいただきました。

湯気が出るほど、あつあつで美味しい。チーズ入りのスペインオムレツとサラダ、絞りたてのオレンジジュースも美味しかった。

元気な子どもたちと、手を繋いで散歩を楽しんでいた老夫婦。

とても、ゆったりとした、平和で穏やかな朝でした。

チェックアウトを済ませ、車山高原へと向かいます。

どのような景色を観ることができるのか、楽しみですね。

宿から観光バスや車が、坂道を登る様子が見えていました。

〈白樺湖から登っていきます〉

〈背丈の低い草原が続きます〉

しばらく登ると展望スペースがあったので、車を降りて撮影することにしました。

車を降りた途端、なんと、美しく虹色に光る彩雲が現れました!さっきまで、ありませんでした。(下で撮影した雲が光りだす)

〈7色に光る〉

〈きれいです〉

〈横に長く光って〉

〈天のサプライズでしょうか〉

とても、嬉しく美しい光景が撮影できました。

周りにいた方々が「虹ー!」とか「きれーい!」と言いながら、眺めていたり撮影していました。

このような大きな彩雲は、なかなか珍しい光景です。(過去の旅でも現れましたが、一瞬だったり)

嬉しい気持ちで、車山高原を目指します。

とはいえ、リフトに乗って頂上まで行くかどうかは、少し迷っていました。

すると、なんということでしょうか。

ちょうど駐車場に到着した、その途端。

蝶のような形をした彩雲が現れたのです。やっぱり、行くしかない!

午前中で、すでに駐車場は満車。

早速、リフトの往復チケットを購入して車山の山頂へ向かいます。

登山道で頂上を目指す人たちも、たくさんいらっしゃいました。ニッコウキスゲの開花はまだ一足早く、山ツツジがところどころ、咲いていました。

〈チケット売り場の正面にリフト乗り場がある〉

〈爽やかな高原の風〉

〈中間地点に到着〉

〈ここからさらに角度が急になります〉

〈いい眺めです〉

〈もうすぐ頂上〉

〈到着です〉

〈遠くの山まで見渡せます〉

〈白樺湖が小さく見えます〉

360度、景色を見渡せるのは、本当に気持ちがいいものです。

リフトの乗客と登山客で、頂上はワイワイと賑わっていました。

駐車場で彩雲を見なかったら、霧ヶ峰の方へ走り抜けてもいいかなと考えていたところでしたが、ここまできて本当に良かった。

もう少し上に車山山頂テラスがあるので、登っていくことにします。

ここが山頂になります。

行った時点ではわからなかったのですが、もう少し先に、蝶々深山という山があります。諸説あるとのことですが、蝶のような石があるとか、蝶が多く生息している等が山の名前の由来だそうです。(なんだか、蝶がらみ)

確かにこの辺りは、いろいろな種類の蝶が羽ばたいており、撮影しようと試みたのですが、山の蝶はとても動きが素早い。(ブレブレだったのでアップするのは控えます)

テラスで休憩しようと向かっていると、なんと!また彩雲が!?

〈これを撮った時は、気づかず〉

〈腰掛けてから、あっ!ええ〜!?〉

さすがに、彩雲3回目となると驚きが激しくなります。

テラスにいた皆さん、「虹が出た〜!」とか「ここで見れるなんて凄い!」など、頂上で見れたという彩雲の風景に、感激していました。

天を近くに感じ、美しい情景にほうっと見惚れてしまいました・・。

聖霊が降り注ぐこの時代、まるでそれを、形にして見せてくださっているかのようでした。

神様は、いつもすぐそばにいらっしゃるのです。

今度は、こちらの曲をおすすめします。

『神はすぐ傍にいる』
作詞・作曲 / RAPT NAKAMURA

暗闇に浮かぶ一筋の光
迷いながらも探した答え
遠いと思ったその愛が
実は私を待っていた

神はすぐ傍にいる
声を上げれば届く場所
涙の中に響く温もり
その手が全てを癒してくれる

嵐に揺れる夜の中でも
優しい声が耳に響く
どんな深い傷跡さえも
その愛が癒してくれる

神はすぐ傍にいる
助けを求めるその瞬間に
静かな光で包み込んで
新たな力を与えてくれる

神はすぐ傍にいる
囁き一つも聞き逃さず
どんなときも優しく支え
明日への道を照らしてくれる

神様の存在を感じるしかない事象の数々。

それでは、車山を後にしてリフトへ。登山道を歩くのも気持ちが良さそうなので、また訪れてみようと思います。

今回は、こちらの記事をおすすめします。

RAPT有料記事940(2025年6月30日)神様の愛は空気のように常に私たち人間を包み込んでいる。その愛を常に実感して生きられれば、誰であれ神様を強く信じ、愛して生きられるだろう。

ーーーーーーー(一部転載します)

神様の愛は、まるで空気のように常に私たち人間を包み込んでいます。

そして、空気が存在しなければ、私たち人間がこの世で生きていけないのと同じように、神様の愛が存在しなければ、やはり私たち人間はこの世で生きることができず、たちまち滅び去ってしまいます。

しかし神様の愛は、それこそ空気と同じく、誰でもその存在を感じられるというわけではありません。

感じられる人と感じられない人がいて、感じられる人は神様の愛がどれほど素晴らしいものかを分かって、神様を信じ、神様を愛さざるを得なくなりますが、それを感じられない人は、その素晴らしさを知りことができず、いつまで経っても神様を信じようとはしませんし、神様を愛そうなどと思うこともありません。

神様は誰よりもこのことを分かっているので、今、この終わりの時に聖霊を豊かにこの地上に降り注ぎ、この世の多くの人々が神様の愛を強く感じられるように導いてくださっています。

皆さん一人一人が、神様の切なる愛の心情を受けて、神様を信じ愛して、真の祝福に包まれた生を生きられますことを心から祈ります。

ーーーーーーー配信はこちらから

RAPT有料記事941(2025年7月5日)心を清めて肉性を完全になくしてこそ、毎日24時間、神様の愛を感じて生きられるし、神様の愛を感じてこそ、私たちも心から神様を愛して生きることができる。

ーーーーーーー(一部転載します)

前回の有料記事では、神様の愛は空気のように常に私たちを包み込んでいると話をしました。

にもかかわらず、この世にはその神様の愛を感じられる人と感じられない人がいます。

それせはなぜでしょうか。

神様の愛は、心の清い人しか触れることができず、感じることができないからです。

だから、神様は私たちに全ての罪を悔い改めて、心を清めなさいと仰っているのです。

神様の愛は心を清めた先にあり、全ての肉性を削ぎ落とした先にあります。

しかし、心を清めることのない者は、いつまで経っても神様の愛に触れることができず、神様の愛を感じることもできません。

そして、神様の愛によって導きを受けることもできず、ただ苦しみばかりの人生を生きることを余儀なくされてしまいます。

しかし、神様の愛に触れ、神様の愛を感じて生きる人は、常に神様の愛によって導かれ、どこまでも幸福な人生を生きることができます。

皆さん一人一人が心を清め、神様の愛に触れ、神様の愛を感じて、どこまでも祝福に満ちた幸福な生を生きられますことを心から祈ります。

ーーーーーーー配信はこちらから

RAPT有料記事942(2025年7月7日)心を清めて神様と疎通することで、私たち人類は救いを手に入れることができる。

ーーーーーーー(一部転載します)

イエス様は私たち人類に対して救いの道を切り開くことで、救い主と呼ばれ、キリストと呼ばれるようになりました。

では、イエス様は何をしたからといって救いの道を切り開くことができるようになったのでしょうか。

それは全ての罪を悔い改めて心を清め、神様と心と心で疎通できるようになったからに他なりません。

そして言うまでもなく、神様と心と心で通じ合うようになるなら、私たちは豊かに聖霊に満たされ、神様の体となって、神様の御心を大きく成していくことができるようになります。

そうすると、当然、私たちは神様から豊かな恵みと祝福が与えられ、この世でもあの世でもどこまでも幸福に生きられるようになります。

ですから、心を清め、神様と心と心で通じ合うということが、救いに至る第一歩だと言えます。

皆さん一人一人が、心を清めて神様と心と心で深く疎通し、神様と愛し合うようになって、真の救いと祝福に満ちた幸福な生を生きられますことを心から祈ります。

ーーーーーーー配信はこちらから

それでは、壮大な景色を眺めてから降ります。

天気が良く、遠くまで見通せる眺望と尾根の美しさに感動。

山ツツジが、緑に映えて美しい。

景色を楽しみつつ、中腹のレストランで休憩します。

リフトを降りてふと空を見上げると、なんということでしょうか!

またもや、彩雲が現れました。(主よ?サプライズが多すぎます!?)

驚きと感動!

さすがに、この彩雲に気づいたのは筆者のみ。

天の存在が、本当に近いということを現実に見せてくださっています。(一人興奮してゼーゼーしながら、レストランに入る)

まずは、水分補給。

こちらのお店では、珍しく本格的なピザ窯がありました。お昼の時間より早かったので、比較的、席は空いています。

そうして、席に座った途端、またもや彩雲が!?

さすがに、えっ?ええ〜!?(飲み物を吹き出しそうになる、汗)

もう、驚きが止まらない。

少し離れた隣の席で、カレーを食べていたご夫婦が、慌てて美しい彩雲の写真を撮っていました。笑

座った席の窓から、よく見える目の前に、彩雲が現れたのです。まるでそれは、何かのショーのようでした。

最後に、ふわりとした雲に変わっていきました。

全く味わってないクリームソーダ、がぶ飲みです。

眺望を360度見渡し、旅から帰って御言葉を聴いていると、ふと思いました。

時計の針は、中心から円を描くように、12の時間を指していきます。

神様の勝利となる日が近づいている、今この時。

一人一人が戦いに勝って、「神様と義人たちの勝利を祝いたい」という思いが込み上げてきました。

神様の7000年に及ぶ壮大な計画!!

最後に、こちらの御言葉をおすすめします。

2025年7月6日(日)

サタンは義人の祈りによって滅ぼすことができる。そして、サタンがこの世の悪人たちを動かす原動力だから、そのサタンが滅び去れば、この世の悪人たちもたちまち力を失って滅び去っていく。

2025年7月7日(月)

十二弟子が立てられるということは、神様とサタンの戦いに決着がつき、神様が勝利したということを意味する。十二弟子が立てられれば、全ての義人たちが易しくサタンに勝利し、確実に神様の御心を成せるようになるからだ。

ーーーーーーー配信はこちらから

皆さんに、神様からの祝福がありますように!

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