祈りの旅 〜群馬・下仁田町、長野・蓼科、白樺湖〜

皆さん、こんにちは。
今回の旅は、出かける前日になんと、虹が出ました。
昨年から、自宅前で大きな虹が出るようになったり、旅先で虹が出たりと、筆者にとって喜びあふれる出来事が度々起きるようになりました。
というのも、仕事第一人間だった筆者が、本格的に時間をかけて信仰を深めようともがき出してから、何度も虹を見るようになったのです。
振り返ってみると、握りしめていたものの一つを「捨てた」からです。
それまでの人生で、長年積み上げてきたキャリアと実績を捨てるということは、容易なことではありませんでした。
しかし、人生の葛藤を乗り越えて決めたことです。
こちらの御言葉をおすすめします。
2025年6月29日(日)
この世のものは、どんなものも私たちを救うことはできない。なのに、どうしてこの世のものに執着するのか。私たちの霊肉魂を救うことができるのは、唯一神様だけだ。だから、その神様を第一に愛して、霊肉魂の救いを得て幸福に生きなさい。
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突然、パラパラと大粒のしずくが大きな音を立てて降りはじめ、その後、強い太陽の光が差してきました。
虹の出現は、神様の大きな存在を感じる時間でした。

〈外を覗いてみたら、虹が!〉

〈人間にできない現象こそ、神の存在を感じる〉

〈ダブルレインボー!〉

〈優しい色〉

〈天と地を繋ぐ虹〉

〈まるで、架け橋のよう〉

〈夕焼けに変化〉
この虹は、長い時間あらわれていました。
実をいうと、今回の旅は少し先に見送ろうかと迷っていました。
神様は後押しするかのように、この虹を見せてくださったのでした。
そして、「神を侮るな」とおっしゃいました。
神様が本気を出したら、奇跡も災いも何でも起きるのだという、聖書の出来事の数々が頭をよぎりました。
『信じて行うしかない!』
すぐさま宿をとって、旅の準備に取り掛かりました。
あじさいの花を撮影したいと考えていたので、白樺湖に向かう区間にあるかどうか検索してみたところ、群馬県下仁田町の「あじさい園」が見つかりました。
翌日の午前中、立ち寄ってみることにしました。
今年の春先に(長野県の小川村に向かう一週間前)妙義山麓の「さくらの里」に行ってきたのですが、紹介するタイミングがなく、お蔵入りに。
その際に、あじさい園の看板を見かけていたことを思い出しました。
桜の様子、ご覧ください。ちょうど満開です。










荒々しい山脈と桜。
タッチの差で駐車場にすんなりと入れたのですが、帰る頃には駐車場待ちの車で渋滞していて、そのタイミングの良さに神様に感謝しました。(というのも、もう一つの駐車場が1000m先になる。汗)
続いて、あじさい園の様子になります。
今年は、ピンク色のあじさいが少なく、ブルーを中心とした花がメインだという案内がありました。
撮影しながら歩いていると、暑気にやられて目がチカチカし、倒れる寸前となってしまいました。
これはマズいと思って、必死で神様に祈り求めると、歩けるまでには回復しました。(近くの休憩小屋で、しばらく涼みました。汗)
前日、雨が降り、通常よりも蒸された状態だったようで、近くにいたおじいさんが心配してくれました。皆さん、真っ赤な顔で汗だくで歩いています。
あじさいはきれいに咲いていましたので、どうぞご覧ください。












あじさい園を後にして、車で少し走り抜けた途端、さっきまでの体調の悪さが吹っ飛んでしまいました。(何かにやられた?)
平日の内山峠は、ほぼ貸し切りのようでした。幾つものカーブを超え、初夏の景色を楽しみつつ、快適に佐久平まで到着。
白樺湖に向かって国道を走っていると、広い牧場が見えてきました。
ちょっと、立ち寄ってみることにします。





お馬さんの牧場のようですね。
高原の牧場は、風が爽やかで、とても気持ちがいい。
近くまで歩いて行いていくと、数頭が寄ってきてくれました。
〈Nikon撮影〉

〈ご飯タイム〉

〈美しいグレーホース〉

〈食べながら、ちょっとずつ近づいて来ます〉

〈かなり近い〉
何人かいましたが、牧場につくと筆者一人に。
貸切のごとく、お馬さんたちを観察することができました。
馬は繊細な生き物だと言われますが、何となしにこちらを伺っています。

〈食べる様子を撮らせてくれました〉

〈長いまつ毛〉

〈美味しそうに食べています〉

〈本当に近く〉
美しい柄をした馬です。
覗き込んで、じっとこちらを見ています。

〈んじっ〉

〈とても可愛い〉
もう一頭、興味しんしんに近づいて来た馬がいます。
馬の立て髪がおしゃれにカットされた、ブラウンホースです。

〈ウエーブした立て髪〉

〈ジリジリと〉

〈こちらに来る〉

〈モシャモシャ〉

〈美味しそうに食べる〉
柵に擦り寄って来て、触らせてくれました。
触れると、ビクッとしてとても繊細な反応をしました。
後から看板を見たのですが、触れないようにとのこと。(除菌シートで手を清潔にしていましたから、お馬さん安心してください、汗)

〈毛艶のいい馬です〉

〈大きな体、たくさん食べるのでしょうね〉

〈草原と馬〉

〈シロツメクサにルリシジミ、蜜を吸っています〉

〈優しい眼差し〉

〈また、こちらを見ているお馬さんが〉

〈ジリジリ・・〉

〈スッ・・〉

〈モシャモシャ食べ〉

〈こちらを見る〉

〈美味しいよ〜〉
お馬さんたち、ふさふさと育った草を頬張っていました。
高原の風が爽やかに吹き、思わず深呼吸。とても広々とした場所・・。




そろそろ、目的地へ向かいましょう。
ここは、また訪れたい場所の一つになりそうです。

〈チラ見っ〉

〈セセリチョウ、蜜を吸っています〉

〈このあたりは日照時間が長いとのこと〉

〈モンキチョウが戯れていました〉

〈白樺の林が続きます〉

〈一箇所だけ、ツツジが咲いていました〉

〈水場にてんとう虫〉

〈ここは古代の祭祀場だったようです・・〉
案内板がありました。
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雨境峠と勾玉原
五世紀後半から六世紀にわたり人々の間では、峠の峰には荒れる神がいると云われ、峠を越す際にぬさを奉納し旅の安全を祈願する習慣があった。
平安時代以降の奉納品は、米や野菜、紙などに変わったが、それ以前は、極く小さな剣形、円盤形、臼玉などの滑石製模造品が用いられていた。この模造品は、一から二センチメートルの極く小さいもので、必ず小孔があけられ草や糸に通して峠付近の巨石、巨木などにかけて祭祀がなされたと伝えられる。
信濃で滑石製模造品が出土する峠を西から上げると岐阜県から伊那谷通じる神坂峠、群馬県から佐久地方に通じる入山峠(旧碓氷峠)などで、これらを結ぶ道が五世紀から六世紀にかけて大和朝廷の東征軍や要人が東国平定のために通過した道で、大化の改新後制定された東山道以前の古道で古代東山道とも言われている。
明治、大正の頃、この峠付近一帯の地から滑石製模造品が多く拾われ勾玉原と呼ぶようになった。
尚、この峠付近に四つの堆積塚があるが、これらは鎌倉時代以後蓼科山に対し祭祀がなされた遺跡であると云われている。
立科町文化財保護委員会
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ここ数年、縄文時代を重視するスピリチュアル系の人たちが八ヶ岳界隈に集まっているようですが、南海トラフ地震が起きたとしても津波がこないとか。
余談になりますが、十数年以上前に「ジョン・タイター」という未来人の本を立ち読みした時、このままでは日本が分断されてしまう?!と不安を植え付けられ、一人慌てたことがありました。
今となっては、RAPT理論によって、そのカラクリが解明されています。未来人の本は、単に悪人たちの計画の書物だったのです。
ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。
RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
このところ、中央構造線上での「祈りの旅」が多くなっていますが、悪人たちが大昔から付け狙ってきた場所です。
現実に、古代から祭祀場があったという。悪魔崇拝儀式によって、悪霊・サタンを召喚していたのでしょう。
今年の春から、豊洲で古代エジプト展を開催していることもあってか、古代エジプト文明やピラミッドを褒めそやす情報がちょくちょく目に入ってきます。

エジプト文明の悪魔崇拝者の末裔たちが世界を牛耳っているので、エジプト文明はいかに凄いものかと、盛り上げていきたいのでしょう。
こちらのRAPT理論に、真実があります。
出雲大社とピラミッドの余りに奇妙な共通点。出雲大社は「大国主」を侮辱するために作られたものなのか。
日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。
悪魔は人間の考えを狂わそうとしてきます。
御言葉で、悪魔に打ち勝っていかなければ地上天国はできない、霊界では一人一人の義人の力が必要だ、とお伝えされています。
あじさい園では、御心を成せないようにと、いつの間にかやられてしまった。(一時は、白樺湖に行けないかも知れないと思うほど)
悪魔たちは、攻撃の方法を変えてきています。
旅から戻ったとき、ちょうど御言葉でお話しがありました。
2025年7月1日(火)
サタンの気配を感じようと感じまいと、サタンは常に義人を攻撃している。義の条件が立てられなくなった、御心を成せなくなったということがあれば、確実にサタンが働いていると考え、気を引き締めてサタンに徹底対抗しなさい。
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それでは、白樺湖へ向かいましょう。

ワイワイと騒がしい声がします。
林間学校でしょうか。白樺湖に到着すると、子どもたちがカヌーを楽しんでいました。
チェックインの前に、少し湖畔を歩いてみることにします。






薄曇りでしたが、次第に晴れてきました。
池の平ローソンには展望デッキがあり、休憩がてらデッキに登ってみました。
到着して、空を見上げた途端、ブルーの天使の梯子があらわれました。

〈力強い梯子〉

〈光が地上に降り注ぐ〉

〈まるで、見守られているかのよう〉

〈しばらく、見惚れてしまう〉
聖書、エズラ記 8ー1〜3
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天使は言った。
「いと高き方はこの世を多くの人のために造られた。しかし、来たるべき世は、わずかな人のために造られている。エズラよ、たとえを話そう。あなたが大地に尋ねると、大地は答えるだろう。『器を造る粘土は多くできるが、金を生み出す土はわずかしかできない。』と。この世の有様もそうである。確かに造られた者は多いが、救われる者は少ない。」
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下には池があり、睡蓮の花が咲いています。

〈池の方へ〉

〈池に雲が映り込む〉

〈黄色い花〉

〈空に浮かぶ睡蓮〉
空と池の景色が重なり合って、睡蓮が空に浮かんでいるかのようでした。
神様は、この地上を天国のようにするため働かれています。天の文化・芸術が地上に広められれば、神様と繋がるようになれる・・。
こちらの記事をおすすめします。
ーーーーーーー(一部転載します)
これまでの百年間、サタンは「無神論」という概念を、様々な文化・芸術を通して全世界に広めてきました。
例えば、20世紀最大の発見と言われる「ダーウィンの進化論」「アインシュタインの相対性理論」「マルクスの共産主義」「フロイトの潜在意識の証明」は、全て神の存在を否定するためにサタンが作ったもので、これらの学問を多くの学者たちに賞賛させることで、「無神論」は全世界に急速に広まっていきました。
しかし、今のこの時代、神様は使命者をこの世に遣わして、神様の存在をはっきりと証明する御言葉を私たち人類に与えてくださいました。
私たちはこの御言葉を、これから千年間かけて全人類に述べ伝えていかなければならないわけですが、私たち義人が優れた天の文化・芸術を成してこそ、この御言葉は急速に全世界に広まり、全人類が神様を信じ、愛するようになると主が仰いました。
優れた文化・芸術を成すならば、単に現代人だけでなく、後世の人までもがその文化・芸術に触れることで、神の存在を感じ、確信するようになるからです。
皆さん一人一人に天の知恵と力が臨み、優れた天の文化・芸術を成して、多くの人々を救うことができる大使徒となれますことを心から祈ります。
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ーーーーーーー(一部転載します)
神様が、私たち人間に動物にはない高度な知能を与えてくださっているのは、文化・芸術を成して楽しむためだと主は仰いました。
しかし人類は、サタン・イルミナティの支配下に服し、ただ企業の奴隷となって働くために脳を使い、あとはただ生活のために脳を使い、様々な思い煩いのために脳を使います。
そのように、この世の多くの人たちが本来使うべきところに自分の脳を使わず、使うべきでないことにばかり使っているので、あるときふと我に返り、「自分は何のために生きているのだろう」と思い、突如、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感に襲われてしまいます。
神様も文化・芸術を究められ、その集大成として私たち人間を創り、この地球を創られました。
そして人間も地球も、その造形美と機能美はどこまでも完璧で、余りにも完璧すぎるために謎と神秘に満ち溢れ、まさか誰かの知能がこれらのものを創ったとは思いもしないほどでした。
神様は私たちに対して、常に神様のようになりなさいと仰ってこられましたが、神様のようになるというのは、つまりは神様のような優れた学者になり、優れた芸術家になるということでもあります。
そうやって神様のように優れた学者・芸術家になって生きることで、私たちは自分の脳を本来使うべきところに使って、人生の空しさから完全に解放され、どこまでも充実した幸福な生を生きられるようになるのです。
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RAPT有料記事743(2023年5月13日)天の文化・芸術とは神様を褒め讃えるために行うものであり、それによって互いに霊的な力と恵みを与え、霊的な有益を与えるものだ。
ーーーーーーー(一部転載します)
この世の中において、文化・芸術というものは生活とは余り関係がなく、むしろ遊び・娯楽のようなものだと考えられているところがあります。
しかし、天国においては、文化・芸術は生活の全てであり、誰もが全人生をかけて文化・芸術を成して生きています。
というのも、天国では衣食住のために働く必要がないので、互いに霊的な力を恵みを与え合うために働くことが重要と見なされているからです。
この世では、文化・芸術によって誰かに力と恵みを与えるという考え方は余りありません。
しかし、天においては文化・芸術というものは、神様を褒め讃えて、神様に力と恵みを与えるために行うものであり、それによって天国にいる全ての人たちにも同じように霊的な力と恵みを与えるために行います。
神様は、私たち義人に対して、このような天の文化・芸術を成して、神様にも多くの人々にも霊的な力と恵みを与えられる者になってほしいと心から願っていらっしゃいます。
そうすることで、この世にもあの世にも神様の栄光が満ち溢れ、多くの人々が幸福に楽しく人生を生きられるようになるからです。
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さて、夕暮れの湖畔を歩いてみました。




だいぶ、涼しくなってきました。
近くに湧き水があるということで、歩きながら探していると、犬の散歩をしている男性がこちらに向かって来るのが見えました。
尋ねてみると、方向をざっくりと教えてくれました。
トイプードルがじっとこちらを見つめながら歩くので、「よし、行こう!」と話しかけると、楽しそうにジャンプして飛び跳ねながら、走り出しました。
本当に、ぬいぐるみのようです。

〈結局、歩く方向が同じだったという・・〉

〈湧き水は甘い水!〉





最後に、こちらの記事をおすすめします。
それでは、旅は次回へと続きます。
