祈りの旅 〜長野・志賀高原、中野市〜

皆さん、こんにちは。
今回は、長野県にある志賀高原へ行ってきました。
長野県と群馬県の県境にあり、一度行ってみたかった場所です。
幾つものヘアピンカーブが続き、日本一高い国道を通ります。群馬県側から長野県へ走るルートです。
群馬県からゆっくり国道を走り、まずは、八ツ場ダムに立ち寄りました。人気のスポットらしく、駐車場がいっぱいで観光バスがたくさん入ってきました。




こちらのダムは、珍しい色でひときわ青かったです。
休憩していると、スズメの雛が3匹近くに寄ってきました。足元まで来て、何かくれないかな?とじっと見つめられました。笑




ここから、志賀草津高原ルートを目指して走ります。
途中の草津温泉のあたりでは、ツツジが美しく満開でした。
お天気が良く夏日となりましたが、標高が高くなるにつれ、一気に気温が10度以下まで下がります。
群馬県から長野県に入る国道は、冬期封鎖となるルートですので、まだまだ雪が残っていました。5月の末に通行止めが解除されたばかりです。
頂上に近づくにつれ、硫黄の香りが立ち込めてきて、まるで異空間に来てしまったかのような風景が続きます。
ところどころ蒸気が噴出しており、桜島のように噴火の際に避難する防空壕が設置されていました。



景色が良いのですが、ケムトレイルが凄いですね。
ここ最近、また日本全国に豪雨の兆しがありますけれども、人工的な降雨は可能ですし、兵器にすらなりうるのです。
九州地方が豪雨の被害に遭われています。
今年の1月、鹿児島県へ行ったので現地の被害が気になっています。
鹿児島県で土砂崩れ 道路で通行止め 被害まとめ 線状降水帯発生(10日午前0時現在・大雨情報)

指宿市で被害広がる きのう過去最多の降水量を記録 市道で45件の被害確認 斜面の崩落や冠水など

ケムトレイルについての記事がありますので、どうぞご覧ください。
ケムトレイルも天皇家一族のボロ儲けの種。この世の陰謀論は、天皇家一族の悪事を隠すための情報撹乱である。
世のため人のために人工降雨を利用するなら、科学の発展も大いに結構です。
ですが、災害を起こすために使われるというならば、その研究は無用の長物、ただのゴミです。
混沌とした世の中で、騙されずに正しい情報を選択してください。
それでは、旅の続きになります。
多くのバイカーと、ドライブを楽しむ人々で賑わう日本国道最高地点。
とても、眺めが良かったです!






ここから下りになります。
国道には、眺望スポットが幾つもありますので、慌てず美しい風景を眺めることができます。
アルプス山脈を望める場所があったのですが、こちらはやや曇り。



長野県側に入ると、雲が厚くなってきました。
次に向かうのは、中野市の一本木公園です。こちらは、気候の違いでバラの開花が遅いため、もう一度、満開のバラを眺めることができます。
街中に入ると、街路樹と共にバラの花が植えてあり、全て満開。大きな道を通るだけで、すでにバラの花がたくさんあります。
一本木公園は、道から少し低くなっていて、近づいただけでバラの香りに包まれてしまいました。
これほどまでに、バラの香りが楽しめる公園というのは、あまりないのではないかと思います。神様が人類のために造った、地上の花々は本当に美しい。
今回は、こちらの御言葉をおすすめします。

2025年3月1日(土)
私たち義人が伝道するなら、中断される裁きもあると仰った。しかし、私たち義人が伝道しなければ、日本への裁きはさらに厳しさを増し、場合によってはは義人もその裁きに巻き込まれる。(心を清めてこそ神様と一体となり、神様の体となって伝道していくことができる。)

2025年3月2日(日)
聖霊に満たされた人が、霊魂に栄養が行き渡り、力と知恵で満たされた人だと言える。そして、そのような人がサタンにも勝利し、多くの人を救っていくことができるので、神様もそのような人に使命を任せ、ご自身の体としてお使いになる。(もうそろそろ本気で一人一人が神の体となって働けるようにもがきなさいと主は仰った。)

2025年3月3日(月)
神様の願うことを祈ることが神様と心情一体になる近道だ。そして、神様と心情一体になった人は、神様が必ずその人をご自身の体として使うようになる。(神様の願うことを祈るなら、そのときもう既にその人は神の体になったと言える。)

2025年3月4日(火)
神様が私たちを熱烈に愛し、いつでも私たちを受け入れる態勢でいて下さっているのだから、その神様と一体になることがそんなに難しいことだろうか。私たちが本気で神様を呼び求め、愛するなら、いつでも私たちは易しく神様と一体になることができる。

2025年3月6日(木)
これから来る艱難によって、この世界から愛は消えてなくなっていく。その中で唯一、神様の愛だけが人類にとって救いの方舟となるだろう。(神様の愛はただ心を満たして終わりではなく、霊的にも肉的にも豊かに満たしてくれる実質的なものだ。だから、神様の愛を受けることが救いだ。)

2025年3月8日(土)
悪人は「6」までしか行けず、義人は「7」まで行けると神様は仰るが、その「1」の違いが何かと言えば、神様の愛を受けられるか、聖霊を受けられるかの違いだ。そして、神様の愛を受け、聖霊を受けるなら、全人生が保障されるわけだから、その違いはどこまでも大きい。

2025年3月10日(月)
平素から豊かに義の条件を立て、愛を動機にして祈る者の祈りが強力に叶えられる。そして、そのような人たちが心を一つにして祈るなら、もはや叶えられない祈りは一つもない。

2025年3月11日(火)
いくら個性・才能を磨いても、聖霊の導きを受けなければ、その個性・才能が生かされることはない。聖霊の導きを受けてこそ、自分の個性・才能が生かされる道へと正しく導かれる。だから、平素から神霊に生きて、豊かに聖霊に満たされる者になりなさい。

2025年3月13日(木)
平素からしっかりと義の条件を立ててこそ、霊的な基礎体力がつき、いざサタンから攻撃されてもびくともせず、むしろサタンを滅ぼすことができる。サタンが来ていないときに気を抜くのではなく、そういうときこそ徹底的に義の条件を立てて、霊的に武装しなさい。

2025年3月14日(金)
神様のために全人生をかけて何かを成し遂げようとすること、それが愛だ。神様も私たちのために天地創造してくださったのだから、私たち人間もそれに匹敵する壮大なことを神様のために成し遂げる、それが神様と愛を成すということだ。

2025年3月15日(土)
神様に全人生を捧げて生きるなら、神様はその人が最も幸福に生きられるように永遠に祝福してくださる。(神様は、オンの時間もオフの時間も常に私たちが最大の幸福を感じて生きられるように導くことのできる方だ。)

2025年3月24日(月)
天から遣わされた人を天から遣わされた人だと理解して受け入れ、天から来た御言葉を天からきた御言葉だと理解して受け入れる人が、神様から天の人だと認められ、天の使命者として育てて使われ、死んだ後も天国に入ることができる。(天のものと地のものをきちんと区別できない人は、永遠に神様から天の人とは認められない。)

2025年3月25日(火)
神様の御言葉は義を行う人だけが理解できるパスワードのようなものだ。そして、それを理解して生きる人たちは、理解できない人たちからすれば、羨望の的・嫉妬の的でしかないので、どうしても迫害が起きてしまう。だからこそ、義人たちは心一つにして互いのために祈り、互いのことを守り合っていかなければならない。

2025年3月27日(木)
サタンや悪人が私たちを攻撃してくるとき、そこに理性はなく、ただ身勝手な嫉妬という感情があるばかりだ。だから、私たちはどこまでも不条理を感じ、辛い思いをしなければならないが、それでも神様から選ばれたことに心から感謝し、ひたすら義の道を突き進みなさい。(エリートが嫉妬されるのも辛いことだが、エリートがエリートの道を行くのをやめる方がもっと不幸だ。)

2025年3月28日(金)
既に救われた私たち義人がきちんと神様の前で果たすべき責任を果たさなければ、神様もいつまでもこの地球を顧みることはしない。(この地を義で覆い尽くしていかなければ、悪が再びこの地を覆い尽くしてしまうことは当然の帰結だ。)

2025年3月30日(日)
この世のどんな組織に所属しても、その組織の規則に従わなければ、いずれその組織から追い出されるように、一旦、御言葉を受け入れて天に属する人になったとしても、天の規則に従わなければ、いずれ天から追い出される。

2025年3月31日(月)
主の御心のために使われたいと願っていながら、未だに使われないのであれば、それだけ人類の救いのために祈ってこなかったという証拠だ。天の世界では全て行った通りに結果が出る。神様に使われたいと願うなら、もっと人類の救いのために祈りなさい。(世に対する裁きだけが進み、人類の救いが進まなければ、神様の歴史が成されたとは言えない。)
神様を信じて、義を行おうと決心する人が増えれば増えるほど、天と地が繋がって世界が変わっていくのです。
筆者も、御言葉に従順にしたがって生きられるように、日々もがいています。
悪のない世界の方が、明らかに清々しく生きられると思いませんか?
見せかけの楽しさに溺れても、虚しくなりませんか?
愛がある世界の方が、誰にとってもいいのです。
皆さん、自分の心に聞いてみてください。
では、旅の続きに戻りましょう。
翌日は、雨の予報。峠はカーブが多いので、高速道路にするかどうか迷いましたが、小雨だったので渋峠を通過することにしました。
森に入ったあたりから霧に包まれ、10メートル先は見えないくらいの視界の悪さ。(過去一のスリル、汗)
坂を登り切ってしまうと、霧がない状態に。


横手ドライブインでカフェオレをいただき、また登っていきます。高原牛乳を使っているのか、通常のものよりも遥かに美味しいカフェオレでした。
渋峠に到着すると、また深い霧の中へ。




近づいてみると、かなり雪が残ったままです。霧の中でこの残雪を見ると、自然の脅威を感じます。雨が止んでいるだけありがたいという状況。
(午前10時ごろですよ)




長野県と群馬県の県境になります。
学生の頃、湖のほとりでキャンプをしたとき、1メートルか2メートル先しか見えないという深い霧に遭遇したことがあります。
(もう歩くのがやっとだという)
このくらいの深い霧は、久しぶりです。
峠が終わって草津に着いた途端、土砂降りになりました。神様が雨を制限してくださったとしか思えないくらい、本当に急に降り出したのです。
(峠が終わって良かった〜ってなるくらい)
そのまま土砂降りが続き、午後には高速道路に規制がかかるくらいでした。
高速道路を選択しないという感動、神様に感謝です。
この体験を通して、またこちらの有料記事が配信されたことによって、これから『神様を信じる者の見える景色』と『神様を信じない者の見える景色』がこれくらい違うものになる、と神様が見せてくださったのだと思いました。
(昨日と今日で、全く違う景色)
こちらの記事をご覧ください。
RAPT有料記事933(2025年6月2日)聖霊の時代とは、義なる者と悪なる者が真っ二つに分けられる時代だ。義人はどこまでも豊かに祝福され、悪人はどこまでも恐ろしい裁きを受けることになるだろう。
神様は今年から聖霊の時代が始まると仰いましたが、聖霊の時代とはまさに義なる者と悪なる者が真っ二つに分けられる時代です。
というのも、聖霊は義なる人にしか宿ることができず、悪なる者には宿ることができないからです。
そのため、義人たちが聖霊の恵みに豊かに満たされる一方で、悪人たちは聖霊に満たされることができず、それだけでもその人生に大きな差が出てきます。
さらに、聖霊を受けた人たちの内、自分の余計な考えを捨てて、神様の御言葉にどこまでも従順に従って生きる人たちは、聖霊の導きを受けて生きられるようになるので、この世でも地上天国を作り上げて幸福に生き、死んだ後も天国に入って神様と共に永遠に祝福された生を生きられるようになります。
一方、聖霊を受けられない悪人たちは、聖霊たちから罪をつつかれ、悔い改めるまで裁かれつづけます。
そこで、彼らが悔い改めるなら、聖霊を受けて幸福に生きられるようになりますが、悔い改めなければ、聖霊から厳しく裁かれ、災いに次ぐ災いを受けて不幸のどん底に突き落とされるでしょう。
今年から始まる聖霊の時代は、このように人類が真っ二つに分かれる時代なのです。
どうか全人類が、神様のもとに立ち返って救われることを願います。
