祈りの旅 〜鹿児島・桜島、指宿、知覧〜 写真編

皆さん、こんにちは。

今回の旅は、2024年の秋には決定していました。

というのも、単独の旅ではないため、日本全国の中で何処へ行こうかというところからはじまりました。

最初、東北地方に決まったのですが、九州の桜島を間近で見てみたいという話しになったので、鹿児島行きへとなりました。

(個人的には、もう少し先にある与論島の海が‥↓)

2025年、1月某日。

羽田空港から、海側を通過するルートで鹿児島空港へ。地上を眺めていると、噴火側の富士山が見えてきました。

飛行中、ブロッケン現象で、飛行機の影に虹色の光輪が出ました。

空港到着後、レンタカーを手配して桜島へ。

鹿児島は風が強く吹いており、低い山の山頂に風力発電所がありました。高いものがなく、海風が直撃する地形です。

まずは陸路から、桜島の展望台に向かいます。

この日は、曇りの予報で桜島が霞んで見えていたのですが、道の駅たるみずで休憩していると、桜島だけに陽があたって明るくなりました。

その一瞬の隙に、桜島を撮影。

大正3年の噴火で大隅半島と繋がり、大きな橋が架かっています。

桜島がだいぶ近くなって来ました。

桜島に入ると、雨がポツポツと降ってきました。

火山灰が舞い上がると、車のフロントガラスがすぐに曇ってしまいます。

有村溶岩展望所に到着、厚い雲に覆われています。

〈鹿児島の天気予報は、火山灰の方角をお知らせしてくれます〉

〈駐車場に、火山灰が積もっていました〉

〈このような石が降ってくるわけです〉

〈だいぶ火山灰が積もっています〉

〈数カ所トンネルがあり、噴火の際の避難所に〉

〈ちょこちょこと草木、シダ科は生命力が強い〉

〈松の木が多く生えています〉

〈少しずつ成長〉

〈海に光が差しています〉

〈天使の梯子、遠くに開聞岳〉

〈地獄って色のない世界かもな‥と連想してみたり〉

打って変わって、港側はガラッと晴れていました。

ちょっと火の島めぐみ館に立ち寄ってみました。桜島は、小みかんと大きな桜島大根が名産です。

とても天気が良いので、湯之平展望所に行ってみることにしました。

鹿児島の太陽は、関東に比べてやや強めです。ジリジリします。

〈湯之平展望所、駐車場から〉

〈桜島がよく見えます〉

〈激しい噴火あと〉

〈今でも活発に活動している桜島〉

〈まさかの最強寒波で風はとても冷たいです〉

〈鹿児島の街が見えます〉

〈快晴〉

〈←に見えるのは‥もしや〉

撮影している時はわからないのですが、後で見てみると写ってました。

この地上が神様の意向どおり、聖霊で満たされることを祈っています。

〈ハートの石、どうやら7箇所ハートがあるらしい〉

〈ツワブキの花、鹿児島はまだ晩秋の陽気〉

桜島の観光客は、韓国人が多いですね。

島を一周して、宿を目指すことにします。

最後に、噴火で埋もれた黒神埋没鳥居へ。

強風の影響で、島の北側の植木が斜めになって生えていました。

この鳥居のすぐ隣が中学校でした。

黒神埋没鳥居は、3メートルほどあったとのことです。

噴火の際の退避壕は、民家の多い場所に設置されてあります。ここは、本当に間近にそういった可能性のある、凄い地域ですね。

宿に向かう途中、桜島の方に天使の梯子がかかりました。

鹿児島の方々が、こんなに寒いことはあまりないのですが‥と言うほど冷え込みました。ほぼ、雪国と変わらないような寒さです。(筆者は今回準備完全)

霧島の宿では、とても美しい夕焼けが。

霧島温泉は山深い場所にあるので、坂道を走ります。

朝起きると、粉雪がちらついていました。

(最南端方面に来たのですが)

東側は晴れており、西側は厚い雲に覆われています。鹿児島は、場所によって天候がガラリと変わる地域のようです。

霧島の物産展で購入した、オブラートに包まれた生姜アメにハマってしまい、あっという間に一箱食べきってしまいました。

すぐに体が温まってきたので、これ結構、生姜入ってますね。都内の鹿児島アンテナショップにあったら、また購入します!

(ボンタンアメの生姜バージョン↓)

〈セイカ食品株式会社さんHPより〉

そして、近代日本発祥の地、仙巌園へ。

海沿いにでると、また桜島が見えてきました。

てっぺんが、相当ドス黒い雲に覆われています。

(‥‥)

さて、仙巌園は島津家の歴史と文化が公開されている世界文化遺産です。

2015年に、「反射炉跡」「尚古集成館」「旧鹿児島紡績所技師館」の3箇所が登録されました。

こちらは、島津家19代島津光久が築いた、15000坪の広大な別邸でした。

島津家28代島津斉彬は、1840年代にアジアまで植民地政策を広げていた西欧列強から薩摩を守るため、大砲の鋳造に着手。

そのほか、集成館事業である鉄、ガラス、陶器、薬品、織物や武器製造、蒸気機関、電信、写真などの研究と製造に取り掛かりました。

仙巌園は、集成館事業の工業跡を間近に見学することができます。

(現在、駐車場と本館、幾つかの場所が工事中)

〈入場口〉

〈大砲を鋳造するための反射炉跡〉

〈ギャラリー内の薩摩切子〉

〈一晩で、雪化粧した桜島は庭園からよく見えます〉

〈晴れてきました〉

〈島津家御殿内へ〉

〈薩摩焼蓋付壷〉

ロシアのニコライ2世へ、ロシア皇帝即位時に贈ったというレプリカ。

〈数百年の間、増改築されてきたお屋敷〉

〈島津家29代島津忠義がダムを造り、電力を御殿の灯りに使用〉

〈発電所拡大写真〉

仙巌園の次に、旧鹿児島紡績所技師館(異人館)へ。

1865年にイギリス産の蒸気機関の動力で紡績機械を動かす機械を発注し、英国人技師たちを招き入れ、機械の組み立て、綿打ち、糸紡ぎ、機織りの工程などを学んだといいます。それも、一年という短い期間で習得したそうです。

後に、薩摩の人々が習得した技術が、富岡製糸場をはじめ全国に広がっていきました。薩摩の紡績機械の技術、富岡製糸場に繋がっていたのですね。

異人館の各部屋には、薩摩の歴史についての詳しい資料がありました。

動画もあって、島津家の成してきた事業を簡潔に学ぶことが出来ます。

島津斉彬は、外国の植民地政策に危機感を持ったわけですが、残念ながら現代の政治家たちは狂ってしまって、日本を良くするどころか、日本を売り払うようなマネばかりしています。

(先人たちは、この有り様をどう思うでしょうか)

「写真」に興味を持った島津斉彬は、家臣に銀板写真の研究を命じ、8年かけて写真機を完成させました。そして、自身を撮影。

日本人の手によって、最初に撮影したという写真。

(若干加色)

〈銀板写真・島津斉彬、異人館展示資料より〉

では、仙巌園から次の目的地、指宿を目指します。

車を走らせ、鹿児島市内に到着すると、雨が降ってきました。

だんだんと風が強くなり、雨が斜め45度で打ち付けるくらいの、凄い土砂降りとなりました。

しばらくして、一旦カフェで休憩をとりました。

筆者の好きなセンスで、晴れていたら桜島がよく見えるカフェでした。まさかの好物のオレンジクレープシュゼットがあるという、これまたピンポイントにいいお店でした。

(一般的なカフェでは、中々ない)

指宿方面は晴れているようで、美味しいコーヒーをいただいてから出発。

お天気雨にかわり、海沿いを走り続けていくと‥な、なんと!!

〈大きな虹がーー!〉

〈とても近いです!〉

〈本当は半円になってます〉

心躍る瞬間、一気に高揚してしまいました。

防波堤が低かったので、虹の先端を見ることができました。神様を感じる、そして一緒にいてくださっているという安堵感‥。

(テンション上がる)

この虹は、ダブルレインボーでした。

車の停まれる場所がない海岸線が続き、ようやく停車したのですがもう薄い。

ちなみに、虹は←小島→にかなり薄く出ています。

宿に到着する頃には、すっかり晴れていました。

指宿は、砂むしが名物です。

浴衣のまま砂をかけてもらい、10分から15分ほど入ります。

皆さん、汗ダラダラで出ていかれましたが、筆者は健康なのか普通にお風呂に入ったくらいの汗でした。

温泉だけで1000坪ある元禄風呂は、広々と入浴することができます。

明け方、九州の人々が真実に目覚め、聖霊で満ち溢れるよう祈りました。

〈晴天〉

〈中庭〉

〈館内は、歴史博物館並みに数多くの鹿児島アイテムが展示されています〉

早めにチェックアウトして、同敷地内にある薩摩伝承館へ。

日本の伝統美と歴史を体験できる場所とのことで、薩摩が輝いた江戸時代末期から明治初期の時代の400点近い展示品が見学できます。

(このお宿は、お庭だけで50000坪あります)

薩摩伝承館は、1階は撮影可ですが、2階の薩摩焼についての歴史や文化などの重要な項目は撮影不可となります。

奥にはショップとカフェがあり、薩摩切子や薩摩焼が購入できます。(99万円の薩摩焼などもあった)

それでは、東洋のハワイ指宿から知覧へ。

最強寒波で鹿児島に雪が降ったため、山深い峠のような道では、ちらほら雪が積もっていました。知覧は、標高が高いようです。

薩摩英国館で、知覧茶と紅茶を購入。

鹿児島は、お茶の生産地が全国第2位で知覧茶が名産品です。

この後は、武家屋敷庭園群で趣を凝らした庭園を観賞したいと思います。

道路脇にお堀があり、とても綺麗な水が流れていました。鯉が飼われていて、わらわらと近寄ってきます。

〈目、合ってる?ご飯ちょうだいの顔〉

氷が張るくらいの冷え込みです。

空気が澄んでいて、空がとても綺麗でした。

島津家18代島津久峯が京の文化を持ち帰り、枯山水と築山泉水の庭園が造られました。江戸時代から270年間、維持されているお庭です。

国の重要伝統的建造物群保存地区となっています。

丁寧に剪定された植木たちは美しく、たくさんの古木が残っていました。

春には美しい花を咲かせることでしょう。今は、春に向けての準備のときです。

薩摩は、美意識が高い先人たちと、それらの文化と伝統に誇りを持った人々に守られている地域です。

筆者は長い間、移りゆく流行と都会の進化を見つめてきましたが、真逆に美を継承しようとする人たちの気持ちや思いが、とても美しいのだと思いました。

お茶屋と駐車場を営むお店では、鯉の餌を販売していましたので、餌やりをしました。祖父が鯉を飼っていたので、いつかは飼ってみたいと思っています。

〈可愛いな〜〉

フライトの時間があるので、このあたりで知覧を後に空港へ向かいました。

もう少し色々立ち寄ってみたい場所があったので、今度は暖かい季節に訪れたいと思います。

〈街路樹〉

〈桜島〉

〈鹿児島空港到着〉

〈夕日が見えています〉

〈鹿児島から離陸〉

〈羽田空港へ〉

あっという間に過ぎていった時間。

鹿児島から宮崎をまわろうかという話しもあったのですが、何となく地震が気になったのでやめました。帰ってから数日後、地震が発生。

しかし、土砂崩れや駅の窓ガラスが割れるなどの被害はあったものの、怪我人等出なかったようですので、胸を撫で下ろしました。

できる限り、この日本中で多くの人々が神様に立ちかえり、能登のようなことにならないようにと祈っています。

今回、鹿児島をまわって祈り、多少なりとも九州地方に聖霊が降り、どなたかでも救いの道に辿り着くことができましたら幸いです。

最後に、こちらの記事をどうぞ。

次回は、祈りの旅「隠された真実編」へと続きます。

Follow me!